1926年の欧州。
大戦開戦から約三年の月日が経過した。
時に、ターニャ・デグレチャフ13歳。
彼女というイレギュラーが、彼と出会わずに、この世界にとって最良のアプローチを掛けていれば、戦争はそう遠くない未来に終わっていたであろう。
より穏やかで、より静かに。
だが、何の因果なのか、彼女の乗ったレールは激しく燃え盛る戦火の炉へと真っ直ぐ伸びていた。
ターニャは彼と出会い、ターニャは彼を選んだ。
奇しくも、彼女は彼の元で夢であった後方勤務を実現する。
魔導師として、ではなく。金飾緒の参謀として。
まぁ、それもほんの一時のこと。
最前線に関わらなかったことで、ターニャと帝国の運命はねじれにねじれ、こじれにこじれた。
孤児として魔導師の才覚を見出されることになる検査の前日に、彼女は終生の主人と出会ってしまったがために。
世界は動転した。
動かしたのは神か?
否。
動かしたのはターニャである。
1914年から1926年までの彼女の働きは、正史で辿るべき如何なる道とも異なるものとなった。
1914年に自我を得、1920年にヨアヒム・オイゲン・フォン・ヴィッツラントの手で孤児院から連れ出された。
ヨアヒム・オイゲン…通称ヘッケンは以後、ターニャという人間を語る上で外せない。何がターニャを惹きつけたのか、何がヘッケンをそこまで想わせるのか…それはターニャにも分からない。
少なくとも、ターニャはヘッケンがライヒ屈指の軍閥名家の御曹司だから彼に忠誠を誓ったわけではない。ヘッケンだから誓ったのだ。
とはいえ、この二人の関係性を紐解くのはこれから長い時間を必要とするだろうし、実際問題当人たちにとっても言葉に尽くせるものではないのだ。
唯一つ、ヘッケンはターニャの終生の主人となったことだけが確かなことである。
さて、ターニャの人生の指針はヘッケンとの出会いから間もなく決定する。
それもこれも、ヘッケンの為である。具体的には、彼を生き残らせる為であった。
というのも、ヘッケンの父親は現役の上級大将。祖先を遡れば将軍を多数輩出している名家の中の名家であった。生まれた時から軍人になることが運命づけられていたのである。
このことに対してヘッケン自身に悲壮感はなかった。
だが、その素質に問題があった。
ターニャの中身、もとい前世で人事課のエリートサラリーマンだった彼に言わせてみれば、ヘッケンの人物評・人間的資質は以下のとおりである。
「パイパーの外見。ディートリヒのカリスマ。ロンメルの高潔さ。モーデルの自信。ゲーリングの俗っぽさ。総じて坊ちゃまには自制心が欠けている。人間的魅力に溢れており、下士官以下からの人気は得られる一方で、高級将校以上からの受けは悪いだろう。こういう指揮官は功名を欲しがる余り突出部を形成しやすく、また管轄を巡り意固地になる。好くて大佐。大尉止まりでも不自然ではない。少なくとも坊ちゃまの人事担当官が私ならばこれ以上の昇進はあり得ない」
ターニャの懸念は概ね的を得ていた。ヘッケンには純軍事的才能と言うものがこれっぽっちもありはしなかったのだ。
一方で、このことをヘッケン自身に伝える気は、ターニャには毛頭なかった。
寧ろ、ターニャは自身が『あり得ない』とまで言い切ったヘッケンの昇進を心から望んでいた。
ヘッケンの子供の頃からの夢である『将軍になりたい』という願望を実現するために、彼女は参謀になる事を決めたのだ。
それからは怒涛の日々であった。
1922年に士官学校を最年少で卒業するや、前線勤務を経ずして軍大学へ進学。1923年に飛び級で卒業し、最速最短のルートで少尉任官。
その後は参謀本部で二年間経験を積み、この間に電撃戦理論、消耗戦理論等…先進的な戦術・戦略・軍事理論を論文にして書いて書いて書きまくった。
全ては坊ちゃまの為。主人の今後の為に、好かれと思って、である。
そして来る1925年。中尉への昇進を経てターニャは満を持して、一足先に少佐として一個大隊を率いてフランソワ共和国の首都パリースィイへと進軍するヘッケンの元へと辿り着いたのである。
アレーヌ市での武装蜂起は思わぬ足止めとなり、それまで順調に進行していた西部戦線における最後にして最大のしこりとなった。
共和国の残存兵力は組織力を維持したままド・ルーゴ少将の指揮の下で無事にブレスト港から南方大陸へと出港した。
フランソワ共和国軍の事実上の完全撤退により、帝国軍はパリースィイの無血開城と占領を成し遂げた。
帝国により欧州西方が併呑されたことで、西部戦線は一時的に停滞の兆しを見せることになった。
これに伴い、帝国はパリースィイを拠点として西方総軍を形成すると共に、手の空いた部隊から順次東方へと動員された。
束の間の休息が終わる頃、帝国軍は大きく分けて三つに再編されていた。
一つはパリースィイを拠点とした西方総軍。
一つは共和国軍の息の根を止めるべく南方大陸へと派遣される、帝国軍南方派遣軍。
一つは来るべき対ルーシー連邦との大戦に備えて拡大・充足された東部方面軍。
このうち西方総軍司令官はパリースィイ陥落の功により元帥に昇進したヘッケンの父、ゲルト・フォン・ヴィッツラントその人であった。
ヘッケンとターニャも、父と同様にパリースィイ攻略の功を以てそれぞれ中佐と大尉に昇進していた。
名実ともに軍部の長として君臨する実父の影響力を加味すれば、ターニャの予想では当面の間、ヘッケンは敵のいなくなった西方パリースィイでのバカンスを大隊の面々と共に楽しむはずであった。
だが、この時に限りターニャの予想は外れた。
致命的に、かつ大胆に。
父ゲルトの名で辞令が降りてきたのだ。
『東部方面軍への転属を命ずる』と。
一見すれば虐待的な命令にも見えたが、父ゲルトは至って赤心からの気遣いのつもりだった。
この辞令は言い換えれば『ルーシー連邦は腐った納屋国家だから、常勝無敗の精鋭帝国軍なら鎧袖一触で倒せるよ。戦果上げ放題だから折角だし行って来なさい』である。
果たしてターニャとヘッケンの受難は始まったのだ。
東部戦線の開戦まで、残り僅か数か月。
ライヒ滅亡まで続く、長く険しい苦難の道は、肉親の細やかな情で舗装されていた。
原作との細かい相違点
・ターニャの参謀畑入り
魔導師としての自身の才覚は隠れて受けた検査結果を通じて理解しているものの、これを坊ちゃまの父ゲルトの威を借りて黙殺した。魔導師としてのバフがないターニャは単なる幼女であるからして、ここでも往々にしてヴィッツラント家のコネを通じて士官学校・軍大学と進んだ。期待に見合う価値を示そうと、何よりもヘッケンの為にと前世の世界で軍事史を塗り替えた数々の理論を最初からフルスロットルで提唱した。お陰でこれから先の地獄のインフレが酷くなる。レルゲンは案の定警戒し、ゼートゥーアとルーデルドルフからは軍閥の関係で気を遣われている。第203航空魔導大隊は結成されていないが、東部戦線への配属に伴い、部隊を再編する要が生まれ、これを充足する形でゲルトの名のもとに無理矢理一個精鋭航空魔導師団(一個師団ではない)が編成される。尚、ターニャがヘッケンの首席参謀に任官してから訓練が死ぬほど厳しくなった。
・電撃戦の実施
ヴィッツラントの名は伊達ではなかった。ゲルト上級大将の意を汲んだゼートゥーアやルーデルドルフの庇護下で、軍大学在学中からターニャは最先端の軍事理論を提唱、半ば強引にも電撃戦とこれを完遂する上で重要な奇襲・包囲殲滅戦術を研究し、北方戦線での作戦計画へと組み込んでいった。結果、この時代には異例の空挺降下による奇襲が成功してしまった。この際、陸上機甲部隊と航空魔導師部隊との連携も相乗効果を生み、好ましくないない大成功を収めてしまった。…所謂『勝ちすぎ』てしまった。主要港と中枢・工業地帯を抑えられたレガドニア協商連合との戦線はあっけなく崩壊し、帝国は拍子抜けしたまま、治安維持及び占領の為の部隊を残して切り上げた。この際、追撃の為の部隊を出すことはなく、帝国軍の大半は西部戦線に向けてこの地を後にした。協商連合側の将兵は合州国、連合王国に亡命し反攻準備に精を出している。このイレギュラーによって、電撃戦を筆頭に新たな戦術、航空戦力と陸空連携の重要性が各国軍の認識するところとなった。
・ターニャのご主人様
ヨアヒム・オイゲン・フォン・ヴィッツラント。通称ヘッケン。20歳である。現階級は中佐。コネと豪運を頼りにした異例の大出世だが、13歳で大尉のターニャのお陰で好い感じに誤魔化せている。顔が死ぬほどイイ。カリスマもある。人間性も悪くない。肉体にも恵まれており、体格もよく、身体能力自体は高い。だが、地図も読めない上に、戦術や戦略に対する理解も未熟。単純で俗物過ぎる。おまけに変なところで冷めており、お世辞にも史に名を遺せる器ではない。ではないにも関わらず、ターニャを拾い、ターニャに惚れられてしまったが為に歴史の表舞台に引きずり出された。ターニャとの関係性は、ダメ男と、そんなダメ男へ貢ぐことに快感を覚えてしまった悲壮な彼女。無論、ダメ男とはヘッケンのことである。
・太い実家(ヴィッツラント家)
代々軍人の家系。帝国でも随一の名家である。当代のゲルトは軍部の象徴のような存在で出来物。しかし、次代のヘッケンに純軍事的才能は皆無である。ただ…才能のない一人息子に平然と最新鋭の装備で完全に充足され、過剰な訓練が施された一個大隊をポンと与えるような父親であることからも、ゲルトの子煩悩・溺愛っぷりは並みのそれではない。ヘッケンと共に育ったターニャも、その点はよく知るところである。何気にターニャとは志を同じくする同志である。隙あらば勲章と昇進を息子とターニャに斡旋しようと企んでいる。やったね!戦果が正当に評価されるよ!とはいえ…今回に限ってはそれが悪い方向に働いたようだが。