【コミカライズ化決定】引き抜いた聖剣が独占欲剥き出しなヤンデレ彼女面してくる件   作:アスピラント

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聖剣ちゃんフルバースト

「――――!!!」

 

 エリドゥはその場から退避した。

 幻術を制御していた魔法陣が砕け、展開していた手はひび割れて血が噴き出す。

 

(なぜ破られた……!?)

 

 続々と幻術から解放されたアレックスのパーティメンバーが、ひび割れた空間から現れる。皆キリッとしていて、さも何もなかったみたいな表情をしているが、そんなわけがなく――

 

「ぁぁぁ…………アタシ、所詮は井の中の蛙、クソ雑魚ナメクジっす……」

「ババアなのに……ボクっ娘してごめんなさい……」

「…………仕方ないだろ、私だって……好きにヤンキーしてないって」

「皆ー!?」

 

 仲間達は見事にナイーブをぶちかましていた。

 一体何があったんだと問い詰めたいが、それどころじゃない。

 

「ふぅ……なかなか嫌らしい魔法だったね」

「ルカさんは……大丈夫ですか?」

「アレックス殿、心配してくれてありがとう。でも私は平気だ。ストレスばっかの環境に慣れてるからね。アハハハハ」

「目笑ってないです……」

 

 ルカは一周回って大丈夫(?)だったようだ。

 流石は騎士団長……胃も心も丈夫だった。

 

『アレックス……いや私の夫』

「担い手だよ」

『……私、もうキレちまったよ……剣だけに……』

 

 上手くねぇし――という言葉は飲み込む。

 

『私のトラウマを……散々ほじくり返して……!』

 

 するとマルティアナから感じた事のないほど、強大な力が溢れてくる。

 

『貴様……ただで死ねると思うなよぉぉぉ!!! アァン!?』

 

 レイナ顔負けの勢いで怒髪天かますマルティアナ。

 ちなみに彼女の声は聞こえていない。

 

『フルパワーで行くわよ!!! 我が夫!!』

「担い手だよ!!」

 

 高まっていくマルティアナを見て、エリドゥは笑みを浮かべる。

 

「小細工はもう無用だね」

 

 エリドゥの声が、低く響いた。

 退避した先で、その両腕が広がる。

 

「ここまでやってくれたんだ……お礼に、今度は純粋な破壊だけで押し潰してあげよう」

 

 天井から床まで、空間そのものを埋め尽くすように魔法陣が展開し始めた。一枚、二枚、三枚だったのが幾重にも重なり、互いを補強し合い、収束していく。

 

 その中心に、途方もない魔力が凝縮されていく。

 

「あれは……まずいっすよアレックス、あの密度の食らったら……!」

『アレックス』

 

 マルティアナの声が、頭の中に響いた。

 いつもより怒りが底に満ちている。

 

『剣を地面に突き立てなさい』

「え?」

『今すぐ』

 

 有無を言わせない声だった。

 アレックスは迷わず従った。

 マルティアナを逆手に持ち、石の床へ向かって力一杯突き立てる。刃が床に食い込んだ瞬間、剣から光が溢れ出した。

 

 白い光だ。

 根が張るように、床を伝って広がっていく。壁を這い上がり、天井へ届き、部屋全体を覆っていく。

 

 その直後だった。

 

滅びよ、全ての壁を砕いて(ハシュメダ・ハコル・メハラエス)

 

 エリドゥが詠唱した。

 魔法陣が一斉に輝いた。

 収束した魔力が、極太の破壊光線となって解き放たれた。

 轟音が部屋を揺らした。

 しかし光線は、アレックスたちに届かなかった。

 

 マルティアナの光が、防壁となって立ちふさがっていた。

 床から伸びた光が壁のように凝固し、エリドゥの魔法を真正面から受け止めている。押し込まれるたびに光が揺らぎ、アレックスの手を伝って衝撃が走ってくる。

 

「ぐ……っ!」

 

 剣を突き立てたまま、両手で柄を押さえ続ける。

 腕が痺れ、膝が笑う。全身に痛みが走るがそれでも離さない。

 

「大丈夫っすか!? アレックス!」

 

 ローズが横で叫んだ。

 

「大丈夫……!」

 

 汗が滝のように流れ落ち、視界が揺れても答えた。

 

「大丈夫だから……!」

 

 エリドゥの魔法が更に強くなった。防壁がきしむ音がする。光にひびが入りかける。

 

 その瞬間――マルティアナが声を発した。

 

『皆、聞きなさい』

「「「!!」」」

 

 マルティアナの声が、その場にいる全員に届いた。

 声だけではない。

 温かい何かが、全員の体を包んだ。

 ローズが自分の手を見下ろした。うっすらと、金色の光が纏わりついている。

 

「これ……」

「聖剣の……加護……?」

 

 ルカが静かに言った。その手にも、同じ光がある。リリアも、レイナも、全員が同じ光に包まれていた。

 

『おっしゃる通り、聖剣の加護よ』

 

 マルティアナの声が続く。

 

『今この瞬間だけ、私の力を全員に分けてあげる。使い切りだから無駄にしないで』

 

 一拍置いて。

 

『全員でエリドゥをボコボコにするわよ!!』

 

 その声に、迷いも遠慮もなかった。

 

「……意外と聖剣様って物騒っすね、アタシ的には意外っすけど」

 

 ローズは自分の手を握り締めた。金色の光が強くなる。

 

「やってやるっすよ……!」

「ボクも」

 

 リリアが剣の柄に手をかけた。

 体の芯から力が満ちてくる感覚だ。

 

「私は癒し尽くす」

 

 レイナが静かに言った。その目が、いつになく真剣だった。

 

「私も、まだやれる」

 

 ルカが剣を構えた。

 アレックスは防壁を支えながら、仲間たちを見た。

 全員の目が、同じ方向を向いていた。

 

『今よ!』

 

 マルティアナの声とともに、防壁が一瞬だけ薄くなった。隙間が生まれた、その瞬間を逃さなかった。

 

炎の刃よ、奔れ(ヴィンド・ラハヴ)……!」

 

 ローズが両手を前に突き出した。いつもとは明らかに違う。金色の加護が炎に混じり、放たれた刃は普段の倍以上の熱量を纏って唸りを上げた。石の床を焦がしながら飛んでいく炎の奔流に、エリドゥが初めて顔を歪める。

 

「っ……!」

 

 後退したエリドゥに、今度はリリアが踏み込んだ。

 

風よ、刃となれ(ルアッハ・ラハヴ)!」

 

 剣に風が纏わりつく。加護の光がそこに重なって、刃の色が金色に染まる。リリアは間合いを一気に詰め、連続の斬撃を叩き込んだ。一閃、二閃、三閃。風圧だけで石壁にひびが入るほどの斬撃が、次々とエリドゥへ向かっていく。

 

「くっ……小癪な……!」

 

 エリドゥが反撃の術式を構築した。複数の魔力の槍が生成され、リリアへ向けて飛ぶ。直撃すれば只では済まない密度だった。

 

 しかしその瞬間、金色の光がリリアを包んだ。

 

「大丈夫、治してるから」

 

 レイナの声は穏やかだった。まるで散歩でもしているような涼しい顔で、しかし手だけは猛烈な速度で動いている。魔力の槍が掠った傷が、みるみる塞がっていく。リリアは振り返ることもなく、次の斬撃へ移っていた。

 

「ありがとレイナ」

「どういたしまして」

 

 二人のやり取りを遠目に見ながら、エリドゥは歯を食いしばった。いくら攻めても、傷が追いつかない。削れない。じわじわと追い詰められていく感覚が、確かにあった。

 

「……しぶとい!」

「そうだろうね」

 

 横から声がした。

 エリドゥが振り向く暇もなかった。

 ルカがそこにいた。いつ動いたのか、誰も見ていなかった。神速、という言葉が最も正確に表現できるほどの踏み込みで、気づいた時にはもう間合いの内側にいた。

 

「私もちょっとは役に立ちたいのでね」

「!!」

 

 柔和な笑みのまま、ルカは剣を振り――一閃。

 しかしその一閃は、エリドゥが展開していた魔法陣を三枚まとめて切り裂いた。精緻に組み上げられた術式が、ただの一太刀で両断される。魔法陣が砕け、火花のように散った。

 

「貴様……!」

 

 エリドゥがよろめいた。魔法陣の崩壊による逆流が体を揺さぶる。膝が折れかける。表情が、初めて焦りに歪んだ。

 

 その瞬間を、アレックスは見ていた。

 

「マルティアナ」

『わかってる』

 

 短いやり取りで十分だった。

 マルティアナの力が、アレックスの全身を駆け上がってくる。足元から膝へ、腰へ、肩へ、腕へ。熱いというより、満ちてくる感覚だ。体の隅々まで満たされていく。

 

 青白い光が、アレックスを包んだ。

 剣が輝く。刃が、柄が、アレックスの手ごと光の中に沈んでいく。部屋中を照らすほどの輝きが、一点に収束していく。

 

「行くよ……!」

『ええ、我が夫』

 

 照れた様子も、いつものからかいもなかった。ただ真剣に、静かに、力強く。

 

 アレックスはマルティアナを構えた。

 全身の力を、剣の一点に叩き込む。エリドゥが迎撃の体勢を取ろうとしている。間に合わない。そう確信した上で、アレックスは引き金を引いた。

 

 光線が、放たれた。

 

「ハァァァアアア!!!」

「グゥゥゥゥゥ……!!!」

 

 2人の力は拮抗していた。

 アレックスの光線とエリドゥの魔力が正面からぶつかり合い、その境界線で空間が歪んでいる。床が焦げ、壁にひびが走り、部屋全体が悲鳴を上げていた。

 

 エリドゥの表情が、苦しそうに歪みながらも口は動いた。

 

「お前の力があれば……何でも出来る」

 

 押し返そうとしながら、絞り出すように言った。

 

「忌まわしい過去も……未来の悲劇も、引き起こさずに済む。世界を変えられる。それがわかっていて、なぜ手を貸さない……! なぜそれがわからないんだ……!!」

 

 その言葉は、マルティアナへ向けられていた。

 沈黙が、一瞬だけ落ちた。

 アレックスの頭の中で、マルティアナの声が響いた。

 

『……確かに』

 

 静かな声だった。

 

『昔起きたことは、悲しかった。今でも悲しい。二度と起きてほしくないと、心の底から思ってる』

 

 一拍置いて。

 

『でも……せっかく出会った担い手様と築く未来を否定してまで、世界を変えたいとは思わない』

 

 エリドゥの目が、わずかに揺れた。

 

『貴女は過去を変えようとしている。でもそれは、今を壊すことと同じよ。私にとって今は……悪くない。むしろ』

 

 一瞬だけ、声に柔らかさが混じった。

 

『大切なものが、ちゃんとあるから』

「……それは」

 

 エリドゥが歯を食いしばった。

 

「それは逃げだ。目を背けているだけだ。お前が背負ってきた痛みを、なかったことにしたくないだけだろう……!」

『要するによ……!』

 

 マルティアナの声が、低くなった。

 静かで、それでいて底に炎が宿っているような声だった。

 

『現実から目を背けているのは、貴女の方よ』

 

 アレックスは感じた。

 剣の中から、力が溢れてくる。さっきまでとは次元が違う。熱くて、眩しくて、体の芯から弾けそうな力が、マルティアナから流れ込んでくる。

 

「っ……!」

 

 腕が震えた。

 今度は苦しさからではなく、満ちすぎた力を、体が受け止めようとしている。

 

「アレックス……!?」

 

 ローズが後退りした。

 アレックスを包む青白い光が、急激に輝きを増していた。眩しくて、直視できない。

 

『行くわよ、アレックス』

「ああ……!」

「待て……! 待てぇ……!!」

 

 エリドゥが迎撃の術式を積み上げようとした。何枚も、何枚も、魔法陣を重ねようとした。

 間に合わなかった。

 

「喰らえぇええ!!!」

 

 光が、炸裂した。

 エリドゥの魔力が、砕けた。術式が、弾け飛んだ。防壁が、消し飛んだ。

 

 轟音が部屋を満たし、衝撃波が全員を揺さぶった。ローズたちが体勢を崩しながらも踏ん張る。

 

 煙が、晴れていく。

 エリドゥが膝をついていた。

 

 黒いローブはずたずたに焼け、その下の腕には光で灼かれた痕が幾筋も走っていた。魔法陣は全て消えていた。手元に魔力を集めようとしているが、指先が震えて形にならない。

 

「ハァ……ハァ……」

「お前の負けだ……エリドゥ、大人しく――」

「ああ、今回はね。でも……私だって譲れないものがある」

「譲れないもの、か」

 

 アレックスは剣を構えたまま、エリドゥを見据えた。

 エリドゥは膝をついたまま、静かに笑った。苦しそうに、それでも笑った。

 

「そう。私の目的は変わらない」

 

 震える指先が、床に触れた。

 次の瞬間、エリドゥの足元に魔法陣が浮かび上がった。さっきまでの攻撃的な術式とは違う。複雑に絡み合った、細い糸のような紋様だ。

 

「何をしている……!」

 

 ルカの声が鋭くなった。

 エリドゥは答えなかった。指先だけを動かし続ける。魔法陣が輝きを増す。繋がった先で、何かが動く気配がした。

 

「やめろ……!」

 

 アレックスは踏み込もうとした。しかし体が重い。さっきまでの全力が、じわじわと体に返ってきている。

 

 間に合わなかった。

 エリドゥが、指を一度だけ弾いて何かが砕ける音がした。

 

「ユピテルスの封印を無理矢理、解いた」

 

 エリドゥはゆっくりと顔を上げた。

 顔には不気味な笑みを貼り付けていた。

 

「早く止めに行った方がいいよ」

 

 穏やかな声だった。

 まるでメイド喫茶で話していた、あの声と同じだった。

 

「このまま放っておいたら……街は大変なことになるからね」

「お前……!」

 

 アレックスは叫んだ。

 しかしその瞬間、エリドゥの体の輪郭が、滲んでいた。

 

「逃げる気か……!」

「逃げる、というより」

 

 エリドゥは静かに言った。

 

「撤退だよ。今日のところはね」

「……!」

「心配しなくても……近いうちに会えるさ」

 

 ふざけるな、二度と会うか――と思ったアレックスの心情を察したのか、エリドゥは楽しそうに笑った。

 

「じゃあね」

 

 それだけ言ってエリドゥは、消えた。

 後には何も残らなかった。焦げた床と、砕けた魔法陣の残骸と、静寂だけがあった。

 

「エリドゥが言ってる事がほんとなら戻らないと……!」

「大丈夫だ、レイナ……」

 

 焦るレイナを制しながら、アレックスはローズを見ながら言った。

 

「またマルティアナの力で転移する、魔法陣の準備を」

 

 最後の仕事を果たすために。

 

 

 古塔が、鳴いていた。

 建物全体が軋み、石が削れ、亀裂が走る。尋常ではない力が内側から押し出そうとしている。結界の表面に、幾筋もの亀裂が走り始めていた。

 

「持ち堪えろ……!」

 

 青年の騎士が叫んだ。術師たちが歯を食いしばって魔力を注ぎ込み続ける。しかし注いでも注いでも、結界は削れていく一方だった。

 

「キール殿、南側が……!」

「わかってる、今やる!」

 

 キールが怒鳴りながら両手を突き出した。補助結界に魔力を叩き込む。亀裂が一時的に塞がる。しかし数秒後にはまた広がり始めた。

 

「ァァァァアアア!!」

 

 塔の内側でユピテルスが暴れていた。

 かつて街を守った大精霊は、今や別の何かになりかけていた。魔獣化が進むにつれて、その力は純粋な破壊へと変質しつつある。放出される魔力の色が、清澄な金から、不穏な紫へと変わっていた。

 

「これが……大精霊の力か」

 

 カイアスが呟いた。顔は青ざめているが、目だけは冷静に術式の状態を分析し続けている。

 

「理論上は抑えられるはずなんだが……出力が想定の三倍を超えてる」

「理論の話をしてる場合か今!」

 

 マリーが叫んだ。

 結界に繋がる魔法陣を両手で掴んだまま、額に汗を滲ませている。

 

「とにかく持ち堪えるしかないよ! アレックスたちが来るまで!」

「そのアレックスとやらは……本当に来るのか」

 

 ダリスが低く言った。

 否定ではない。ただ確認だ。術式を維持しながら、彼女は冷静に状況を把握しようとしていた。

 

「来るって信じるしかないっしょ」

 

 キールが言った。自分でも意外なほど、迷いのない声が出た。

 

「信じるね……」

 

 ダリスは何も言わなかった。

 ただ頷いて、結界への魔力供給を続けた。

 しかし限界は近かった。

 塔の頂上から放たれる力が、一段階強くなった。結界全体が大きく揺れ、術師の一人が膝をついた。補助結界の糸が数本、同時に切れた。

 

「まずい……!」

「離すな、絶対に離すな……!」

 

 レヴァンが前髪をかきあげながら、術式の穴を塞ごうとした。間に合わない。亀裂が広がっていく。

 

 その瞬間――光が降ってきた。

 空から、ではない。地面から湧き上がるように、青白い光が広場の中心に出現した。光の中から人影が現れる。一人、二人、三人、四人、五人。

 

「……来た」

 

 キールが息を吐いた。

 先頭に立っていたのはアレックスだった。マルティアナを手に、こちらを見ている。その後ろにローズ、リリア、レイナ、そしてルカが続いた。

 

「遅くなった!」

 アレックスはすぐに駆け寄って聞いた、

 

「状況は?」

「最悪よ」

 

 マリーが即答した。

 

「ユピテルスが魔獣化しかけてる。結界があと持って数分ってとこ」

 

 アレックスは塔を見上げた。

 紫色に染まった光が、頂上から溢れ出している。

 

『当然ながら倒すのは無し……あくまでも暴走を止めるのが仕事……ね』

「出来るか、マルティアナ?」

 

 アレックスは心配そうに聞くとマルティアナはカタカタ揺らしながら言った。

 

『当たり前よ、今の私……フルバーストだし、何でも出来る』

 

 だって貴方が落ちていた私を救ったんだから――と内心で呟く。

 

「結界の中に入る」

 

 アレックスはダリスに向かって言った。

 ダリスは一瞬だけ黙り、それからはっきりと言った。

 

「死ぬぞ」

 

 忠告でも脅しでもない、純粋な事実の確認だった。大精霊の暴走に真正面から踏み込むということが、どれほど無謀なことか。人間が結界の内側に入れば、魔力の奔流に飲み込まれて跡形もなく消える。

 

「大丈夫」

 

 しかしアレックスは毅然とした態度で答えた。

 

「マルティアナがいるから」

 

 ダリスはアレックスを見て、次にマルティアナを見た。

 それからゆっくりと、長い息を吐いた。

 

「……やれやれ」

 

 呟きながら、両手を結界へと向けた。

 

「少しだけ開ける。すぐに入れ」

 

 ダリスの指が動く。

 結界の一点が、人一人分だけ、ほんの僅かに緩んだ。

 

「ありがとう」

 

 アレックスはそれだけ言って、踏み込んだ。

 次の瞬間、世界が変わった。

 結界の内側は、外とは別の空間だった。塔を中心に渦巻く魔力が、嵐のように全方位から叩きつけてくる。まともに立っていられない。足が地面から持ち上がりかけて、アレックスは歯を食いしばって踏みとどまった。

 

「く……っ!」

 

 暴風が頬を切る。魔力の奔流が肌を灼く。体が内側から押しつぶされるような圧力が、絶え間なく押し寄せてくる。

 

 その瞬間、マルティアナが輝いた。

 

 金色の光が広がり、アレックスを包む障壁が展開された。暴風が障壁に当たり、弾けて散る。灼けるような魔力が遮られ、アレックスの周囲だけが、嵐の中の凪のようになった。

 

『ありがとう、アレックス』

 

 マルティアナが静かに言った。

 

「何が?」

『さっきのこと。私が折れかけていた時に……来てくれたこと』

 

 アレックスは前を向いたまま答えた。

 

「当然のことをしただけだよ」

『当然じゃない。あれは普通じゃなかった』

「担い手なんだから普通だよ」

 

 マルティアナは少しの間黙っていた。

 それからふっと、声が柔らかくなった。

 

『……強情ね、相変わらず』

「そっちも大概だけど」

 

 短い沈黙の後、マルティアナが続けた。

 

『ユピテルス』

 

 声のトーンが変わった。

 柔らかさの中に、確かな意志が宿った声だった。

 

『以前の貴女は……優しくて、誰よりも争いを嫌った精霊だったわね』

 

 塔の頂上で、何かが揺れた。

 紫色の光の中に、かすかな動揺が走ったように見えた。マルティアナの声が届いているのかどうか、アレックスにはわからなかった。それでもマルティアナは続けた。

 

『人々の笑顔を守るために、自分ごと封印を引き受けた。そういう精霊だった。今貴女を蝕んでいる力は、そんな貴女のものじゃない』

 

 暴風が一瞬だけ、弱まった気がした。

 

『今から、その力を消し去ってみせるから』

 

 アレックスはマルティアナを握り直した。

 

「行くよ」

『ええ』

 

 アレックスはゆっくりと、マルティアナを天へ向かって掲げ上げた。

 

「これで……楽にしてみせる」

 

 剣が輝いた。さっきまでの青白い光とは違う。もっと暖かく、穏やかな光だ。夜明けの空が少しずつ明るくなっていくような、じわりと広がる金色の光だった。

 

 その光が、上へ向かって伸びていく。

 塔の頂上へ……ユピテルスへ向かって。

 

「――――――!!」

 

 紫色の光が揺れた。抵抗するように、一瞬だけ強くなった。しかしマルティアナの光はそれに揺らがず、ただ静かに、包み込むように広がり続けた。

 

 

 触れた瞬間に紫色の中に、金色が混じった。

 最初はほんのわずかな滲みだった。しかしそれが少しずつ広がっていく。汚れた水に清流が混ざっていくように、少しずつ、少しずつ、色が変わっていく。

 

「く……! すごい力だ……!」

 

 アレックスの腕が震えた。反動が来ている。浄化の力を流し続けることで、マルティアナの力がアレックスの体を経由して消費されていく。足元がふらつく。それでも腕を下げなかった。

 

「もう少し……!」

 

 紫が、消えて……汚染が、溶けていく。

 かつて街を守った大精霊の本来の色が、少しずつ取り戻されていく。清澄な金色が、純粋な光が、塔の頂上に戻っていくと穏やかな緑色の風が吹いた。

 

「終わった……?」

『ええ……』

 

 アレックスはゆっくりと、マルティアナを下ろした。膝が笑っている。体中が重い。それでも倒れなかった。

 

「…………!」

 

 静寂の中で、声がした。

 それはどこから聞こえるともわからないけど、確かに存在感のある声だった。

 

「……マルティアナ」

『ユピテルス……!』

 

 ユピテルスの声だ――マルティアナはハッと声を上げた。

 暴走していた時の荒れ狂った気配は、もうどこにもなかった。ただ穏やかな、本来の優しさを取り戻した声だけがあった。

 

「ありがとう」

 

 マルティアナは何も言わなかった。

 ただ静かに、一度だけ揺れた。その揺れが、返事のように見えた。

 

「もう少しだけ……眠らせてもらうね」

 

 声が、遠くなっていく。

 

「街を……よろしく頼むわ」

 

 それだけ言って、静かになった。

 

『任せて……ユピテルス、今度はちゃんと……頑張るからね』

 

 マルティアナが言い終わると塔の頂上の光が、穏やかに収束していく。荒れ狂っていた魔力が落ち着き、結界の内側が、嘘のように静かになっていく。

 

「はぁ……」

 

 アレックスはしばらく、塔を見上げていた。

 振り返ると、結界の外側でダリスたちが息を飲んで見ていた。キールが何か言いかけて、言葉を飲み込んでいた。マリーが目元を拭っているのが見えた。

 

「やっと終わった……」

 

 こうしてユピテルスをめぐる問題は見事解決に至った。

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