メスガキちゃんを命がけで助けたら右腕がなくなった 作:崖の上のジェントルメン
「……へー、そんなに不味いの?そのラーメン屋」
「いや、マジでやばいっすよ!中村先輩、今度行ってみてくださいよ!」
「えー?やだなあ、不味いって分かってるラーメン屋に行きたくないって~」
放課後の五時すぎ。俺、中村 礼仁郎は、陸上部の部室の中で、みんなと談笑しながら服を着替えていた。
部室から差し込む光は、もうすっかりオレンジ色に変わっていて、部員たちの顔や身体も、その色に染められていた。
「ん、ととと……」
俺がシャツのボタンをはめるのに手こずっていると、浅井くんが「大丈夫か?」と言って助けに入ってくれた。
「ああ、ごめん。ちょっと第二ボタンだけお願いしていいかな?」
「分かった、首を上げてくれ」
そうして俺は、彼にボタンをはめてもらい、制服へと着替えることができた。
最近は、こうして人に頼むことも慣れてきた。前までは「俺なんかが人に頼っちゃいけないんじゃないか」と思っていたけど、そういう気持ちもだんだん薄らいできた。
人間、誰しもが一人で生きているわけじゃない。頼ることは何も恥ずかしくないし、俺もまた、誰かに頼られたら快く受けられるような人間になりたい。
個人的に、こうして人の手助けを素直に受け入れられるようになったのが、ここ最近で嬉しかったことだった。
「じゃあ、帰るか?」
「うん、行こうぜ浅井くん」
そうして俺は、彼とともに部室を出た。後輩たちは背中越しに「お疲れっしたー!」と声をかけた。
俺は少しだけ振り返り、「お疲れ様~」と言ってその場を去った。
だだっ広いグラウンドを横断しながら、俺と浅井くんは並んで歩き、学校の正門前へと向かう。
そして、その正門前で待つ長谷川と合流する。これがいつものパターンだった。
「くはっー!今日も疲れたなあ~」
俺は左手を上げて、背中をぐっと伸ばした。
「しっかし、浅井くん凄いよなあ。100メートル10秒台って、俺には逆立ちしても出来そうにないや」
「んなことねえよ。中村だってすげえさ。大して運動部やってなかったわりに、俺たち部員と肉薄してて、正直焦るぜ」
「ははは、なんでか昔から脚だけは速くてね。こんなことなら、中学生くらいからちゃんと陸上やってればよかったかもなあ」
「ああ、ほんとだよ。もったいねえ。お前もインターハイに出れたら、すげえ成績残せたかもしんないのに」
「いやあ、どうだったんだろうね~」
ビルの影に隠れて沈んでいく太陽を見つめながら、目を細めてそう答えた。
俺は、今年のインターハイには出れない。俺が入部した時には、もうエントリーの期間を過ぎていたからだ。
最初の頃は全然大会に関心がなかったので、そこまで気にもとめてなかったけど、こうして毎日練習を重ねるに連れて、「自分の力を試せる場所があるっていいなあ」と、そんなことを思うようになった。
三年になってから陸上部に入ること自体が、もう既に遅いのだから、今さら考えても仕方のないことなんだが……。
「ありがとな、中村」
「え?」
浅井くんからの突然の礼に、俺は思わず聞き返した。
「中村が来てからよ、部内の空気が良くなったんだよな」
「そう?」
「なんていうか、前までは結構だらけ気味というか、気合いが入ってない感じだったんだが……お前の頑張ってるところを見て、みんなまたやる気を出し始めたんだよ。片腕のお前が頑張ってんのに、俺らが頑張んないのはダメだよなってさ」
「………………」
「お前には、なんかこう……人を元気づける力があるんだろうな」
「ははは、なんか、そう言われると照れ臭いなあ」
俺は頭を掻きながら、少し弾んだ声でそう返した。
「おい、見ろよ。腕なし野郎だぜ」
そんな時、正門へ向かう途中の中庭で、俺たちは三人の男とすれ違った。
正確には、その三人の男は、中庭にある自販機の横にしゃがんでおり、俺をからかう視線を向けていたのだった。
奴らは、同じ陸上部だった。
早瀬、槇尾、矢部という名前の三人で、全員三年生だった。
特に早瀬は三年の中でもトップクラスに速く、浅井くんと並んで校内最速の男だった。
にも関わらず、彼らはほとんど部活には来ず、遊んでばかりいた。
「よお、腕なし。今日もいい汗かいたかよ?」
早瀬は意地の悪い笑みを浮かべながら、俺へ声をかけた。
「いいよなあ、腕なしは。ちょっと頑張るだけで、お涙ちょうだいできるんだからよ」
「『一生懸命頑張ってる障がい者のボク、かっこいー!』」
「ぎゃははははっ!!」
「………………」
「早瀬、いい加減にしろ」
俺へのからかいに難色を示した浅井くんが、鋭い眼差しで彼らを睨んでいた。
「なんでいつも、お前らは中村に突っかかるんだよ。中村は頑張ってるだけだろ。それを冷やかすようなことは止めろ」
「けっ、その頑張るってのが気にくわねえのよ」
早瀬はぷっと、地面に唾を吐いた。
「三年になってから今さら入部して、頑張ってます、努力してます面されんのがウザいんだよ。いい子ちゃんぶってんのが筒抜けだっつーの」
「………………」
「邪魔なんだよ、お前みたいなのがいると。鼻について仕方ねえんだよ」
「お前らなあ……!」
額に青筋をたてて顔をしかめる浅井くんの前に、俺はすっと立った。
「な、中村?」
「いいよ、浅井くん。こんな奴ら、ほっとこうぜ」
俺がそう言うと、三人はぴくっと眉を動かした。
特に早瀬はじっと三白眼になって、俺のことを睨んでいた。
「俺が頑張ってるのを見るのが嫌ってことは、自分が頑張ってないのが惨めだってことさ」
「………………」
「怖いんだろ?俺に努力されるのが。真面目に生きられなくて、置いていかれると思って、焦ってるんだろ?」
「………………」
「へっ、早瀬は浅井くんと同じくらい速いらしいが、ずいぶん練習もサボって、錆び付いてんだろ?どうせもう、今さら浅井くんには追い付けねえさ」
「………………」
早瀬は、すっと音もなく立ち上がると、俺の前へ近づいてきた。
ガンッ!!!
そして、俺の頬を思い切り殴った。
「がっ!」
目の前で火花が散ったように、一瞬にして見えなくなった。
口の端が切れて、ザクッと痛みが走った。
「早瀬!お前なんてことを!」
浅井くんの言葉に「うるせえ!」と返して、早瀬は俺の胸ぐらを掴んだ。
「おい中村、舐めてんじゃねえぞ」
「………………」
「障がい者は殴られないとでも思ってんのか?ああ?」
「………………」
「言っとくが、俺は殴れるぜ。お前が片腕だろうが知るもんかよ」
「……へっ。てめえこそ、舐めんじゃねえぜ」
「なに?」
俺はニッと笑ってから、歯をぎりっと食い縛り、早瀬の鼻目掛けて思い切り頭突きをかました。
ガンッ!!
「あがっ!!」
痛みに狼狽えた早瀬は、直ぐ様鼻を抑えた。
鼻の穴から鮮血が溢れて、ボタボタと地面へ落ちた。
「おいコラァ!!早瀬よお!障がい者は人を殴らないとでも思ってたかあ!?」
「ぐっ……!」
「俺はよお!殴れるぜ!ムカつく相手にはなあ!!」
「……この、クソ野郎が!」
それから俺と早瀬は、取っ組み合いの喧嘩になった。
殴り合うわ噛みつくわで、凄まじい泥試合になった。
「コラ!お前たち何してるんだ!」
先生から止めに入られるまで、俺たちの喧嘩が止むことはなかった。
「……かー!おーいて!早瀬の野郎、容赦ねえな全く」
俺はズキズキと痛む頬を擦って、痛みに顔をしかめていた。
保健室で応急措置を受けたため、左の頬には大きな湿布が貼ってある。ここに消毒液が塗られているので、それがまた染みるのなんの。
先生からの説教と保健室での治療もあって、空は夜の顔を見せ始めていた。
俺と浅井くんがようやく正門に向かって歩き出せたのは、もう六時を過ぎた頃だった。
「悪い、中村。俺が隣にいながら、あんなことになっちまって……」
浅井くんは上手く止めに入られなかった罪悪感で、口をきゅっと結びながら謝ってきた。
「いいって、浅井くんのせいじゃないよ。むしろいろいろと庇ってくれたじゃないか」
「………………」
「にしても、今日はまた一段と嫌味を言ってきたなあ。困ったもんだぜ本当に」
「……前は、あんな奴じゃなかったんだ」
「え?」
「あんな、あんな嫌な奴じゃ、なかったはずなんだ……」
浅井くんは何かを思い出すように顔を伏せて、下唇をきゅっと噛んできた。
「………………」
「先輩!」
ふとその時、俺の元へ長谷川が走ってきた。
「部活、お疲れ様です。今日はずいぶん、遅かったですね」
「ああ、ごめん長谷川!ちょっとトラブルがあっててな……」
「その頬、どうしたんですか?怪我されたんですか?」
「ん?んー、まあな」
さすがに喧嘩したとは言いにくかったため、俺はその答えをぼかすことにした。
「それじゃ、またな」
「ああ、浅井くん。またね」
そうして、浅井くんとは正門前で別れ、それと入れ替わるようにして長谷川と並んで歩き出した。
「………………」
『お前の頑張ってるところを見て、みんなまたやる気を出し始めたんだよ。片腕のお前が頑張ってんのに、俺らが頑張んないのはダメだよなってさ』
『邪魔なんだよ、お前みたいなのがいると。鼻について仕方ねえんだよ』
不思議な話だよな。俺がやっていることは一緒なのに、こうも受け取り方が違うなんて。
ただ真っ直ぐに頑張ればいいと思っていたけど、あまり単純にはいかなそうだ。
まあ、そりゃそうか。誰しも真っ直ぐに生きられるなら、苦労しないよな。
もしかしたら、真っ直ぐほど、難しいのかも知れないな。
「どうしたんですか?先輩?」
「ん?」
「何か、心配事ですか?」
「……ん、いや、何でもないよ。さ、帰ろうぜ」
そうして、俺は空に宵の明星を見つけながら、長谷川とともに家へと向かうのだった。