「だから駄目だっつってんだろうが!! 何遍言わせりゃわかるんだ!?」
基地の廊下に響いた怒声を、ビスケットが聞きつけたのは単純な偶然だ。夜明けの地平線団との戦いに向けて、各部門の準備状況を見回っていたときのことである。
血気盛んな男所帯で喧嘩は茶飯事だが、特に戦いが迫る時期は皆ピリピリとし始め、衝突も増える。人間関係に深刻な亀裂が入れば戦闘にも支障を来すから、あまり放置しておくのもよろしくない。
早歩きで向かった先では、ユージンが新入りのハッシュと、何やら口論の真っ最中だった。
「えーと、これは一体……」
「ビスケットさん、お願いします!」
「おいビスケット、お前も言ってやれ!」
「何が何だかさっぱりだよ!?」
とりあえず、事情がわからないことには仲裁のしようがない。
ビスケットが説明を求めると、ユージンはハッシュに向け顎をしゃくった。
「こいつがMSに乗せろだ、阿頼耶識の手術を受けさせろだって聞かねえんだよ!」
ユージンの言葉とハッシュの表情で、大方の事情は察せられた。
なるほど。頭ごなしに怒鳴るのは考えものだが、こと命に関わるとなれば致し方ないだろう。ハッシュの心意気はありがたいが、だからといって実行に移すのは無茶というものだ。
しかしハッシュもなかなか強情らしく、眉間に皺を寄せて、真っ向から食い下がる。
「数が足りないことぐらい、俺だってわかりますよ。俺のバディはMW降りちゃいましたし、空きがあるならちょうどいいでしょう?」
「そんで弾除けにでもなろうってか? 言っとくが、俺もオルガもビスケットも、お前を弾除けになんざする気は無え。この際はっきり言うけどな、お前みてえな新入りがMSに乗ったって、足手纏いにしかなんねえんだよ」
「だから必要なら、阿頼耶識の手術も受けるって言ってるんです!」
ハッシュの叫びが、廊下に反響する。
──彼の言葉に、一理も無いとは言い切れない。
阿頼耶識を使えば、MWしか操縦したことのない新米でも、最低限戦えるようにはなるだろう。無論、
──だが。
「……何でオルガが、手術を禁止したか、わかってんのか……!?」
脊髄に
CGS時代の手術は麻酔無しの乱暴なものだったから、余計に失敗率が高かったという一面はある。しかし、たとえ麻酔や消毒などの措置を適切に施したとて、手術そのものが持つ根本の危険性は変わらない。
「俺の同期も、後から来た奴もな、クソみてえな手術で病院送りになって、今でも起き上がれねえ奴らが大勢いやがるんだ! 必要なら手術も受けるだあ? てめえがそれで使い物にならなくなったら元も子もねえだろうが!!」
「じゃあ数が足りないせいでみんな死んでも良いんですか!?」
「んだとお──!!」
「ユージン、ストーップ!」
ハッシュの胸倉に掴みかかったユージンを、ビスケットは必死に止めた。
顔を顰め、乱暴にハッシュから手を離したユージン。半ば突き飛ばされた格好のハッシュが、たたらを踏む。
「ユージン、俺が話すよ」
軽くユージンを宥めてから、ビスケットはハッシュと正面から対峙した。
「ハッシュ、歳は今幾つ?」
「……十七です」
「その歳じゃもう、阿頼耶識のナノマシンは定着しない。それはわかってるよね?」
「……そんなの、やってみなきゃわかんないでしょう。別に良いっすよ、失敗したって……」
「てめえッ──」
食ってかかろうとしたユージンを片手で静止し、ビスケットは続けた。
「……聞かせてくれるかな。なんでそこまで、阿頼耶識に拘るんだい?」
「決まってますよ。強くなって、役に立ちたいんです」
「本当に、それだけ?」
「…………」
黙秘するハッシュの瞳を、その奥底にあるものを、覗き込むようにじっと見つめる。
互いに無言のまま、暫く目を離さないでいると、ハッシュは観念したのか、ばつが悪そうに目を逸らした。
「……俺は、スラムの出なんすけど」
そう切り出してから、ハッシュは訥々と、彼自身の過去を語り始めた──。
幼少の頃、スラムの孤児たちで、寄り集まって暮らしていたこと。
皆の憧れだった、ビルスという兄貴分がいたこと。
ある時ビルスが、CGSの兵士になって皆を楽にしてやると、スラムを出ていったこと。
ビルスはそれから数日経って──背中が酷く腫れ上がり、腰から下が動かなくなって帰ってきたこと。
俺は阿頼耶識の手術に失敗した、もう使い物にならない『産廃』なのだと、ビルスが零していたこと。
ハッシュがビルスの世話を焼く度に、ごめんな、ごめんなと、ビルスが涙ながらに謝っていたこと。
ある朝、いつものように、貰い物の残飯を持っていったら。
ビルスが首を括り、冷たくなっていたこと──。
「……ビルスが言ってたんです。俺は凄くなかったって。俺は一回で『産廃』なのに、隣にいたチビの奴は、三回も手術を受けてピンピンしてたって。──そんなの、おかしいっすよ。なんで……なんで、あの人は良くて、ビルスは……!」
声を震わせ、拳を固く握りしめるハッシュを前に、ビスケットは運命の神様に──そんなものが本当にいるのなら、だが──文句の一つも言いたくなった。
博打同然の危険な手術を、三回も受けて無事だなどと。
そう聞いて思い当たる人物は、たった一人しかいない。
「……みんな、ビルスに付いていきゃ、何とかなるって思ってたのに……だから、俺が次のビルスに、ならなきゃなんねえんです……!」
「……そういうことかよ……」
ユージンが苦い顔で、がりがりと頭を掻く。
内圧を下げるように、大きく息を吐いてから。
「てめえの言いてえことはわかった──けど、だったら尚更許す訳にはいかねえ」
「っ!? なんで──」
「俺はビルスって奴のことは知らねえ。顔ぐらいは見たかもしれねえが、会ったかどうかも覚えてねえ。けどな」
ユージンが、真っ直ぐにハッシュを見る。
その声色は先程までとは違って、厳しくもどこか、気遣うような響きがあった。
「お前の兄貴だった奴が、クソみてえな手術のせいで死んだんなら……そんなクソな手術を弟が受けて、嬉しい訳ねえだろ」
「…………………っ!」
ハッシュの拳が、震えている。
ぎり、という歯軋りの音が、ビスケットにも聞こえた気がした。
「…………すいません……失礼します……!」
それだけを、絞り出すように発して、足早に去っていくハッシュ。
ややあって、曲がり角の向こうから大きな打撃音が響き、二人は顔を見合わせた。
「ったく、あんにゃろう……」
「ナイスだよ、ユージン」
「……別に、オルガならああ言うだろって、真似しただけだっつの」
「これでハッシュも、わかってくれると良いんだけどね……」
共同副団長も楽じゃねえなあ、というユージンのぼやきに、ビスケットは苦笑で答えた。
「んで、その団長は今何やってんだ?」
「臨時のリモート会議中だよ。それも、お偉いさんから直々のご指名でね」
◆
厄祭戦時代の高度な科学技術はその多くが喪われて久しいが、今日まで連綿と継承され、陰に日向に活用され続けてきた技術的遺産もまた多い。それらは今この瞬間も、人類社会に計り知れない恩恵をもたらし続けている。
無尽蔵のエネルギーを生み出し、今日の宇宙文明の根幹を成す、エイハブ・リアクター然り。
旧時代の化学ロケットとは比較にならない、短期間かつ高効率の惑星間航行を可能にする、航宙艦船用推進エンジン然り。
医学の奇跡と讃えられ、数多の命を死の淵から救い続けてきた、再生治療用ポッド然り。
そして、これもその一つ。宇宙灯台『アリアドネ』を中継器として、およそ数千万から数億キロメートルという惑星間距離でのリアルタイム通話を実現した、超光速通信システム。
途方もない話であるが、宇宙規模の情報伝達という観点では、光や電波ですら
だが、この超光速通信を用いれば、たとえ太陽を挟んだ反対側にいようと、オフィスの内線通話とさほど変わらぬ感覚で、互いのデスクに通信を繋ぐことが可能なのである。
──そう。今まさに、オルガが実践しているように。
「……仕事の依頼はありがたいんですが、こっちは今、立て込んでましてね。えー……」
『マクギリス・ファリドだ。気安くマクギリスと呼んでくれたまえ』
オルガは通話相手から見えないのをいいことに、デスクに片肘をつき手に顎を乗せて、"
一人団長室で通話するオルガは、いささか不機嫌だった。主な原因は、慢性的な過労と睡眠不足である。
夜明けの地平線団の討伐に際し、
海賊退治の呼びかけに応じてくれた武装勢力は、計三つ。奇しくもSAU、オセアニア連邦、アフリカンユニオンの各植民地域から一組織ずつであり、これにアーブラウ植民地域の鉄華団を加えれば、四大経済圏が揃い踏みということになる。
各組織との一対一の交渉にはひと段落つき、いよいよ四者会談に臨むべく、議題を整理していたところにこれだ。しかも相手はセブンスターズの一員でありながら、仮面の商人に化けて鉄華団に支援を寄越してきた
厄介ごとの予感しかしない。ついでに胡散臭さも倍増である。
「……マクギリスさん。それで、ご用件は何です?」
とにかくさっさと通話を切りたい気分なので、簡潔に続きを促す。
一応、相手側に別の誰かが同席している可能性も考え、敬語は保つように努める。
『──夜明けの地平線団の討伐』
返答を聞いたオルガは、思わず息を呑み。
直後に、人悪い笑みを浮かべた。
「……こっちの動きは、全部お見通しって訳ですか」
『夜明けの地平線団には、我々も手を焼いていてね。石動という腕の立つ部下をそちらに向かわせた。できる限りのことはしよう』
「……俺らは餌だと?」
『信用しては、もらえないかな?』
「元からしちゃいません──が」
オルガは相手から見えないと知りつつ、その場で姿勢を正した。
「その依頼、引き受けさせてもらいましょう」
『ほう……疑いながら、何故?』
依頼主からの問いかけに、オルガは淀みなく答える。
「こっちも数揃えんのに苦労してましてね。あんた方が一緒に戦ってくださるんなら心強い。利害の一致って奴ですよ」
『……なるほど。勇猛なだけでなく、合理的な思考も持っているようだ』
ギャラルホルンへの対応方針は、あらかじめ団の幹部たちと打ち合わせてあった。
もし、夜明けの地平線団との戦いにギャラルホルンの介入があった場合、鉄華団は協力的に応じ、かつ可能な限りの助力──あわよくば共闘──を引き出す。二年前は敵同士だったが、怨恨は敢えて水に流す──。
これは余計な敵を増やさないためでもあり、他組織との交渉が破談になってしまった場合の保険でもある。
ギャラルホルン側から共闘を持ちかけてきたのは、少々予想外ではあったが。
「ただし、何個か条件があります。一つ。うちも他の組織に声かけてるんですが、そいつらも討伐に参加させること。二つ。うちが得た鹵獲品は、そのままうちの所有物になること。三つ。万一の時は、うちは独自の判断で撤退すること」
『艦艇と構成員は、無条件で引き渡してもらいたい。拉致被害者はこちらで事情聴取したのち、処遇は当人の意志を尊重する』
「懸賞金はいただきますよ」
『無論、正当な報酬は約束するとも』
オルガは淡々と応対しつつも、内心では警戒を崩さない。
──この男のことだ。おそらく何か、腹に一物抱えているのだろう。
しかし、背に腹は代えられないのも事実。
渡りに船、ならば乗るまでだ。
『作戦の詳細は、石動と話し合ってくれたまえ──では、よろしく頼むよ。鉄華団』
◆
自身の執務室にて通話を終えたマクギリスは、デスクの前に立つ人物を見た。
「やはり君は、不満かな?」
「……准将」
伏し目がちながらも険しい眼差しなのは、休めの姿勢で通話を聞いていたカルタだ。
現在、EOCIF司令で准将のマクギリスと、同副司令で二佐のカルタ。二年前と今日とでは互いの立場も変わり、階級の上下も逆転した。
だが、在りし日を共に過ごした幼馴染であることは、今も昔も変わらない。
「二人だけのときは、マクギリス、で構わんよ。敬語も必要ない」
聞く者が聞けば口説き文句とも取れる台詞だが、カルタは彼女にしては珍しく、頬を赤らめさえもしなかった。
「……なら言わせてもらうわ、マクギリス──何故、
──私の部下は、鉄華団に殺された。
カルタの言わんとすることは、言葉に出されずともわかる。
しかしながら、マクギリスは鷹揚な態度を崩さず、緩やかに席から立ち上がる。
「君の心境は理解している。私とて、二年前のことを忘れた訳ではない」
マクギリスはカルタに背を向け、窓の傍まで歩み寄った。
今日は波が少し高い。蒼天の中に立ち昇る、真っ白な積乱雲。その下は雨なのだろうか、周囲よりも少し暗い。
「だが、世界の安寧という大義のためには、個の感情を捨てねばならないときもある。悪を誅するため、別の悪をも利用する……その非道もまた、セブンスターズたる我々が負うべき責務だ」
「……ええ。わかっているわ……」
マクギリスはカルタの細い声を聞きながら、空をゆく海鳥を眺める。
マクギリスには、カルタの胸中が手に取るようにわかる。彼女が抱えるもどかしさも、自らに向ける思慕の念も。
だが、それらさえもマクギリスにとっては、利用すべき駒に過ぎない。
──そう。
マクギリスは不敵に微笑みながら、頭だけをカルタの方に振り向けた。
「心配はいらない。彼らが増長するようなら、また教えてやれば良いだけさ──世界の守護者たる、我らの力を」
戦いのときは、刻一刻と近づいている。
マクギリスがモンタークと名乗っていないのは、すぐ側にカルタがいたため。
鉄血世界の技術力には割と夢を見ています。