後方のアックアが現れた。
そんな、どこぞのロールプレイングゲームのようなテキストが脳内を三周ほど駆け巡ったところで、コーネリア=バードウェイはようやく臨戦態勢を取ることができていた。
「っ……な、何でお前がこんなところに居やがんだよ……後方のアックア!」
「それはこちらの台詞である。今回の騒動に貴様は全くの無関係であるはずだが?」
「無関、係……っ!?」
ぎりぃっ、と奥歯を噛み締めるコーネリア。
しかし、それだけだった。
先の戦いで己の無力さを痛感した。主人公だ何だと胸を張っても無駄だと思い知らされた。聖人として覚醒した今となっても自分はこの物語とは無関係な存在である事は重々理解している。
だから、コーネリアは怒りを堪えた。
やるせない気持ちを呑みこみ、沸々と沸き起こる憤慨を抑え込み――そして大きく深呼吸をした。
「……ただの偶然だよ、偶然。私用でロンドンに来てたところでこの騒動に巻き込まれちまったってだけだ」
「ほぅ……?」
「ンだよ」
感心したように溜息を吐いたアックアにコーネリアは眉を吊り上げる。
アックアは表情一つ変えぬまま――しかし、どこか穏やかさが感じられる雰囲気を身に纏いながら、
「聖人としての在り方は未だ三流であるが、人間としての在り方に関しては少し成長したようであるな」
「ねえなんなのその上から目線? ケンカ売ってんの? 俺に負けたゴリラ野郎がよくもまあそんな評論家気取りで居られますねえ?」
無骨なゴリラの頬がひくくっと引き攣る。
それが分かっていながらも――いや、分かっているからこそ、コーネリアは人を小馬鹿にする笑みを浮かべながら、世界最強の二重聖人への挑発を全力で続行する。
「つーか、前から思ってたんだけど何なのその無駄に堅苦しい日本語は? 語尾に『である』とか一昔前のサムライかっつーの! ただの傭兵崩れがサムライの真似事とか最高に笑えるんですけど! ぷーくすくす!」
「…………」
「お、おい、先輩。もうそこまでにした方がいいんじゃねえか……?」
額に影を落とし、筋肉に包まれた巨体を小刻みに痙攣させるアックアを見て、ツンツン頭の少年は場を収めようとひそひそ声でコーネリアに危険を知らせる。
だが、今回ばかりはいろいろと条件が悪かった。
心根が割とクズなコーネリア=バードウェイと、見た目に寄らず割と短気な後方のアックア。相性は最悪、まさに火と油のような関係である二人が一つの場に揃ってしまっている時点で、全てはもう手遅れだったのだ。
「身体を鍛えすぎて脳まで筋肉になっちまったんじゃねえか? 流石はゴリラ! ミスター・ゴリラ!」
「…………」
静かに……ただの一言も発さぬまま、アックアは大剣の柄をギチリと握りしめる。
そして、次の瞬間――――
「―――ぬぅんっ!」
――――アスカロンがコーネリアの目の前に振り下ろされた。
「…………………………………………………………ふぁっ?」
空気が裂けた、大地が割れた。
まともに反応する余裕すらなかった。
気づいた時には足元に大剣の刃が突き刺さっていた。
「…………っ!」
何が起きたのかを認識した瞬間、全身の毛穴から嫌な汗が噴き出してきた。頬は今までにないぐらいに引き攣っているし、足に関して言えばバイブレーション機能でも搭載されたのかというぐらいにがくがくぶるぶると震えている。
声にならない呻きを漏らしながら、コーネリアは視線を上げる。
そこには、無骨な男が立っていた。
ゴリラと呼ばれ馬鹿にされた無骨な男は額にビキリと青筋を刻み込むと、怒りの籠った呟きを漏らした。
「…………外したか」
「あは、あははは、あははははは…………」
この男は怒らせてはならない。
瞳の奥で「次は殺す」と物静かに語るアックアを見て、コーネリアはあまりにも遅すぎる学習をした。
☆☆☆
ロンドンはフォークストーン。
とあるアパートメントの一室にて、マーク=スペースは盛大に溜息を吐いた。
「どうした、マーク? ストリップバーで好みの女にでもフラれたのか?」
「そんな特殊な恋愛事情は抱えていませんよボス」
炬燵に足を突っ込み、日本産の蜜柑をもっぎゅもっぎゅと食す上司に軽口を返すマーク。しかしそれはあくまでもただの相槌であり、二度目の溜息を披露した後、マークは頭を掻きながらレイヴィニアにとある疑問を投げかけた。
「それにしても、よかったんですかね」
「何がだ?」
「コーネリアさんへのあの冷たい態度についてですよ、ボス。偉そうに言えた立場ではないですが、もうちょっと言い方とか考えた方が良かったんじゃないですかね」
ぴき、とレイヴィニアの動きが止まる。
「……やっぱり気にしてるんじゃないですか」
「き、気になどしていない、していないぞこの馬鹿野郎! 私は世界最強の魔術結社『明け色の陽射し』を束ねる世界最高峰の魔術師だぞ? たかが兄の機嫌を損ねたぐらいで動揺するほど軟ではない!」
「そう言いながらカタカタ震えているところについて何かツッコミを入れた方がいいですか? ジャパニーズコメディアンよろしくナンデヤネーンとでも言いましょうか?」
「…………じゃーん! ミラクルダイナミックスペシャル蹂躙虐殺肉ミンチポメラニアンもふもふアーム!」
「ぎゃぁああああああああああああああああああああああああああっ!?!? 嫌な記憶が強制的に掘り起こされるーっ!?」
しかもご丁寧に子犬タイプだし可愛いなもう! やっぱり子犬こそが世界で一番可愛い生き物だよね! と全力で混乱する黒服男マーク=スペース。一回り以上年下である少女にここまで踊らされるなんて真に面白くない話なのだが、そんな事を今さら気にしたってしょうがない事をマークは重々理解している。この少女は、レイヴィニア=バードウェイは、年の差などどうでもよくなるぐらいに圧倒的に強いのだから。
脅えに脅えて土下座へとシフトしたマークの後頭部をミラクルダイナミックスペシャル蹂躙虐殺肉ミンチポメラニアンもふもふアームで軽く叩きながら、レイヴィニアは邪悪な笑みを浮かべる。
「お前は本当に学ばない奴だなあ、マーク。私を馬鹿にすることがどんな悲劇を招くことになるのかがまだ分かっていないと見える。ちょっと地獄にでも実地研修行ってみるか?」
「それだけはご勘弁を、ボス! 私にはまだいろいろとやるべきことが残っています!」
「知らん。死刑」
とりあえず股間を中心にクソ生意気な部下をぶちのめすと、レイヴィニアは小さく溜息を吐いた。
「別にお前が気にするような事ではないのだよ」
「ばう、ばばう……」
「コーネリアの事は世界で一番この私が理解している。天草式十字凄教の爆乳聖人ではなく、この私がな」
ぴくぴくと手足を痙攣させるマークを見下ろしながら、レイヴィニアは続ける。
「聖人原石として覚醒したばかりである今のコーネリアは少しの事ですぐに調子に乗る。悪い意味でも良い意味でもな。だから一旦、私の手で精神的にどん底にまで叩き落とす必要があったのだ。アイツはお前と違って学習する男だからな。一度痛い目を見れば、嫌でも自分の無力さに気付けるだろう」
実際、彼女の企みは成功している。
レイヴィニアに罵られ、騎士団長に叩きのめされた事で、コーネリアは己の実力を正しく認識することができたのだから。病的なブラコンであるレイヴィニアが己を犠牲に捧げた事は決して無駄ではなかったと言える。
だから、彼女は自信を持ってこう言える。
私は間違ってなどいない、と。
「……しかしそうは言っても二、三時間ぐらいは全力で落ち込んでいたボスなのであった」
「―――唸れ、私のポメラニアンアーム!」
どったんばったん、という愉快な音がとあるアパートメントに響き渡り、そして一人の愚かな青年の命が儚く散った。