「ただいま」
「おう、おかえり」
相変わらず鳥たちの囀りに満ちた実家の戸を開ければ、すっかり居着いてしまった元同室が軽く迎え入れる。元同室兼同居人(といっても朝来は滅多に帰らないのだが)の彼は「師匠は餌を獲りに山に出てる」と続けるが、視線は鳥篭に入ったカラスから離さなかった。カラスもまた、警戒するように彼をじっと見つめている。
「そのカラス、新入りか?」
「ああ。師匠の言うことは聞くんだけど私の言うことにはなかなか聞いてくれなくて」
「舐められてる」
「うるさいな。忍術学園に顔出してきたのか?」
「うん」
履き物を適当に放り投げ、朝来は板間でごろりと横になる。先生方もお変わりなかったよ、と続ければ、彼もそうか、と少し柔らかい声で返した。
「お前の懸念ごととやらも片付いたか」
「片付いたというか盛大な勘違いだった。これだからおれは考えるのが好きじゃない」
「拗ねるなよ、勘違いで良かったじゃないか」
朝来は彼にも詳細は話していない。入れ替わりに学園を去った彼は土井のことを知らないというのもそうだが、長く同じ時間を過ごしてきたとはいえ、心のうちを打ち明けるような間柄とは少し違っていた。
必要ならば手や知恵を借りるが、線引きはある。お互いが「忍び」であることに拘るが故の矜持とでも言うのだろうか。元・学級委員長には「お前たちはもう少し言葉を増やしてもいいんじゃないの」と言われたこともあるが、不便はしていないから別にいいというのが朝来の言である。彼も同感だと頷いていた。
それでも彼らが軽口をたたける仲であることは変わらない。
そういえば、と朝来は横になった身体を転がし元同室へと身体を向ける。
「後輩たちにおれの居所を教えたのはお前だって? 何を勝手に」
「ああ、勘兵衛と清右衛門か。そりゃあもう一度お前に会うことがひとつの目標だったなんてアサガオの種を見せられたな。ここに辿り着くまでにも結構な数のアサガオを見つけてきたようだし、それだけで忍びとしては将来有望だろ」
あのアサガオにたいした意味なんてないって言ってるのに、とぼやくように言う朝来に彼は肩を揺らし、カラスを見据えたままどこか自慢げに両腕を組んだ。
「いいんだよ、こちらが勝手に意味を見いだしてるだけだ」
お前からもらったことに意味がある、という彼の言葉に、これまで種を渡してきた顔が次々と浮かんでは重なっていく。何年経っても敵いそうにない学園長、学園を去って行ったクラスメイト、己との別れに涙をこぼした後輩たち、そして教師らしくなったのかどうなのかよくわからない五歳上の教師。
それから、もしかしたらきっと、――これから種を渡すことになる顔も、また。
忍術学園にて土井と話をしたあと、朝来はそっと己が卒業したときの一年生――今も学園にて生き残っていてくれた、六人の六年生のところに顔を出した。
彼らはどこかで朝来の訪れを聞きつけていたらしく、忍たま長屋にてどこかそわそわしながらそれぞれ朝来との思い出話を語っていた。そろばんの使い方を丁寧に教えてくれた話、迷子になった己を探しだしてくれた話、わかりやすい教本を紹介してくれた話、こっそりと教本に載っていない毒や薬の調合を教えてくれた話、その分野ならあの先生に伺うといいと橋渡しをしてくれた話。
当の朝来ですら「よく覚えてるな」と思うほど些細なことも自慢げに話す健気さに、ついつい苦笑してしまいそうになるのを堪え、いつもの微笑みをつくった。音もなく一番近くにいた潮江文次郎の背後に立ち、そっと背をつついたときの潮江の反応ときたらそれはそれは面白かったのだが、さておき。
一通りの挨拶をかわしたあと、六年ろ組の七松小平太がさっと前に出た。
『朝来先輩は、今もアサガオの種をお持ちですか』
突拍子もない質問に首を傾げつつ是と答えれば、ならば、と七松は両の拳を握る。
『いつか朝来先輩にも認めて頂けるような忍者になれたとき、私にも種をわけて頂けないでしょうか!』
え、と予想外の言葉に朝来の取り繕いが揺らぐ。同時に、それはずるいと他の六年生も騒ぎ始めた「いきなり失礼だぞ小平太、」「もそ」「さすがに抜け駆けはずるいだろう」「先輩、それならば私も!」「僕だって、」そのさまと来たらピーチクパーチク、親鳥に餌をねだる雛のごとし。だからアサガオの種に深い意味なんてないんだって、と何回目かもわからない呟きを内心で残し、とりあえずほかを黙らせて七松に理由を問う。
七松は不思議そうに「尊敬する先輩に認められたいと思うことに理由が必要か」と続けた。さらに聞けば、どうやらすでに種を持つ桜木や若王寺がさんざん自慢していたのもあるらしい。
別に種くらい普通にあげるのに、と呆れたように朝来が言っても、七松はまだ早いのだと首を振った。
『先輩にとっては深い意味がなくとも、私たちには意味があるのです。ですからまだ頂けません』
そう言い切られてしまえば、少々複雑ながらも断る理由はなく。
では、と朝来は彼らに約束を残した。卒業した後、桜木や若王寺と同じように、白のアサガオを目印に各地に散った朝来の元クラスメイトたちを探しだし、そこから手がかりを辿って朝来のもとまで辿り着けたら渡してもいい。朝来の仲間たちは、少なくとも朝来と繋がりのある間はアサガオを咲かせ続けてくれるはずだから、と。
気合い十分で頷いた彼らのうち、何人が朝来のもとに辿り着くだろうか――六人とも来たら面白いなと、つい口元が緩む。
「……そのうちまた、別の後輩来るかも」
「そりゃあ楽しみだな」
最後の一年もちゃんと「先輩」やってたんだな、と言われ、たぶん、と朝来は正直な言葉を返す。
クラスメイトたちがやっていたことを真似ただけの「先輩」だったが、こうも慕ってくれる者がいるということはきっと間違ってはいなかったのだろう。
何せ、こんな変哲もないアサガオの種に意味を見いだして欲しがるくらいだ。
「……ただの種なのにな」
思わず、と言ったように朝来は呟く。
白い花を咲かせるアサガオの種。
課題として学園長からもらったものを少しずつ増やしてきた。
同時に、ともにアサガオを育ててくれるひとも少しずつ。
クラスメイトだけでなく、後輩や――先生も。
アサガオの蔓が繋いでくれた縁は、確かに朝来に多くをもたらした。
当時はわからなかった課題の意味を、「人間」になった忍びは噛みしめる。
「ただの種なのに、――面倒くさすぎる」
ひとの心を知った「朝来九郎太」の、その言葉、声に込められた感情は。
ふ、と小さく笑った同室の彼は、首だけで振り返ってひどく愉快そうに口を開いた。
「――文字通り、全部お前が蒔いた種だよ。責任は取ってやれ」
しばらく黙って考えた後、そういうもんかと真顔で返した朝来に、元同室かつ現同居人の彼は盛大に肩を揺らす。
にらめっこをしていたはずのカラスはいつのまにかそっぽを向き、呆れたようにカアと鳴いた。
お付き合いありがとうございました。