新帝国暦3年7月26日。
この日の午後から夜間にかけて、新帝都フェザーンの中心市街は嵐としか形容しようの無い風雨を迎えた。
その悪天候の中、新帝都に駐在する弁務官府には仮皇宮からの出迎えの使者と地上車が訪問していた。
ヤンは急ぎ、文官としての高等弁務官として着用していた背広から、何時もラインハルトに面談する時に着用していた「旧」同盟軍からの制服に着替えた。
同じ頃、仮皇宮には文武の高官たちが集まり、それぞれの部屋で待機し始めていた。
帝国元帥や上級大将と言った階級の軍の高官たち。
あるいは各省の尚書・次官クラスなどの高級文官たち。
ただ、双璧と呼ばれる両元帥だけは、ひとまず私邸に戻って妻子を連れて来る様に希望された。
とある転生者だけが知っていた。
「マイン・フロイント」が健在で側に居たため、数時間はやく呼び出される結果に成っていた事も、その結果として、出水に足止めされる事なく仮皇宮に到着していた事も。
……後世の歴史家にも知られている事は以下の通りだった。
ミッターマイヤー夫妻とフェリックスを連れたロイエンタール一家が到着すると、とりあえずは上級大将たちが集まっていた談話室と連結している1階の部屋の1つに招き入れられた。
前後してヤン・ウェンリーが到着すると、先ず其々(それぞれ)の夫である両元帥だけが呼び出された。
双璧と「奇蹟の魔術師」が招き入れられた天井の高い宏壮(こうそう)な室内には、病中の皇帝の他に数人が待っていた。
カイザーリン。
元帥の1人でもある「マイン・フロイント」さらには国務尚書と後2人の文官。
皇帝の姉は、ひと時だけの休息をとっていた。
私人としての弟では無く公人としての皇帝に招き入れられた面々を見て、彼女らしく室外で待機しようとした処を、自分の女官である子爵夫人と男爵夫人に自室へと連れ込まれていた。
実の処、退院し帰宅してから義理の妹と交代で幼い甥の育児を、弟の親友を含めた3交代で弟の看病を続けていたのだから、休息の必要は実在していたのだが。
皇帝としてラインハルトは、公式の遺言を確認しようとしていた。
国務尚書の他に2名の尚書を立ち合わせたのは、3元帥と文武の数を合わせたのと同時に、カイザーリンの実父でもある国務尚書の立場上から証人を必要としたためだった。
この場合、リヒター財務尚書、ブラッケ民政尚書そしてシルヴァーベルヒ工部尚書と言った皇帝ラインハルトが見込んで抜擢した人材たちは、かえって証人としての中立性を軽くする。
結局、中立性からも証人として選択されたのは、厳正なる法律家として知られた司法尚書と職務上からも事務担当者である内閣書記官長だった。
片やヤン・ウェンリーが立ち会わされたのは、小なりとも対等の国交相手と認められた「外国」の代表と言う立場には違いない。
だが皇帝ラインハルトの心情としても「ヤンの息子で代理人」では無くヤン本人であれば、この好敵手には同じ建物の中では無く、互いの視覚内に招きたかっただろう。
これらの人々が見守る中、すでに巻物の形式に整えられていた皇帝の遺言状がカイザーリンの声で読み上げられた。
その各条ごとに枕の上で頷(うなず)いていた皇帝は、最後の署名欄で「皇帝ラインハルト・フォン・ローエングラム」と自分の名前が読み上げられると、ハッキリと肉声を出して肯定した。
それだけでも疲労する様に成ったらしい身体を寝台に委(ゆだ)ねると、しばらくの休息をとる様に見えた。
巻き戻された書類は其の場で何重にも封印された上で、司法尚書に預(あず)けられた。
旧王朝時代以来の数多い再審と名誉回復裁判をかかえた司法尚書だったが、保管期間は其れほど長くも無いだろう。
……公式の遺言状が形式を整えると、室内の人々が部分的に入れ替えられた。
ひと先ずヤンは、妻子や同行者を待たせている1階の部屋へと戻った。
そのヤンと東西に分かれる様に退出した双璧は、妻子を連れて戻る様にカイザーリンから依頼されていた。
ふたたび戻って来た時、室内で待っていた内の数人が入れ替わっていた。
職務として立ち会った文官2名は皇帝の義理の父を残して待機室に退き、皇帝の姉が戻って来ていた。
「わが子アレクサンデル・ジークフリードに友人をつくっておいてやりたいのだ」
ラインハルトは自らの親友を振り返り、そして双璧と呼ばれた親友同士の間で視線を往復させてから、自分の息子を見返した。
「帝国などというものは、強い者がそれを支配すればよい。
だが、この子に、対等の友人をひとり残してやりたいと思ってな。
勝手な願いだが、承知していただけるだろうか」
それぞれの生母の胸に抱かれて、生後2ヶ月の乳児と1才2ヶ月の幼児が互いを見詰め合った。
見守る誰も滑稽(こっけい)だとは思わない。
やがて幼児の父親が乳児への忠誠の誓約をすすめた。
その意味を理解したのだろうか、フェリックスがアレクへと手を伸ばし、幼児と乳児は互いの手を取り合った。
……憲兵本部でハンス・ゲオルグ・ザルツ中将は、特命室長としての自室で窓打つ嵐を聞いていた。
間もなく「知っていた」物語は終わる。
それはザルツにとっても物語の中の人物では無く自分としての「現世」を生きる事が、改めて始まる事を意味していた………。
……。
…何時の間にか嵐は過ぎ去り、星空が戻って来ていた。
1階の部屋で待機していたヤンが今1回だけ呼び出された。
同室していたフレデリカやユリアン、カリンそしてアッテンボローやシェーンコップ、ポプランたちも緊張する。
今回の呼び出しが意味する処は明解だった。
何時もは不遜(ふそん)な「薔薇の騎士」やエースですら茶々も入れられない。
ヤンもベレーをかぶり直して、案内者に付いて行った。
無論、呼び出されたのはヤンだけでは無い。
同じ1階の各部屋に待機させられていた提督や臣下たちが次々に呼び出され、上階へと昇って行く足音とザワメキが通り過ぎて行く。
建物の外では嵐が過ぎ去った後の静けさの中、そうしたザワメキが廊下から響(ひびい)いて来る室内で、ヤン1人を送り出した後のユリアンたちも来るべき瞬間を待っていた。
何時しかユリアンは、カリンと手を取り合っていた。
ヤンは歴史の当事者では無く観察者で在りたかった。
そして今、彼は目撃者と成ろうとしていた。
ラインハルト・フォン・ローエングラムとヤン・ウェンリー、2人の英雄を主役として語られた時代が1つの終わりをむかえる瞬間に、そのラインハルトと同室で立ち会おうとしていた。
歴史の目撃者であると同時に当事者として………。
……。
…そして「その時」が来た………。
……。
…嵐の過ぎ去った後の星空を背景に「白鳥」の宇宙戦艦が浮かんでいた。
乗り手をいたむ愛馬の様に。
憲兵本部の自室の窓から見上げながら、ザルツは始まりと終わりを自覚していた。
『原作』の読者だった「前世」が終わり、未知の「現世」が始まった事を。
ここまで生き残るザルツ個人の目的は達成出来た。
そして“主役”たちの物語も終わった。
あらためて「現世」をこれから生きる。
誰も知らないハンス・ゲオルグ・ザルツだけの物語を自分の選択だけで。
……同じ戦艦を仮皇宮の庭に出ていたユリアンとカリンも見上げていた。
1つの伝説が今、歴史と成った。
そしてユリアンも仲間たちも自分たちの未来を生きて行く。
これまでのユリアンと仲間たちは、ヤン・ウェンリーと言う主役を取り巻く脇役として「あの」白い宇宙戦艦で銀河を駆け抜けた、いま1人の英雄と戦って来た。
その伝説も、いま終わった。
これから未知の未来が始まる。
とりあえずヤンたちと合流して皇帝ラインハルトの国葬、そして新皇帝の戴冠に立ち会うであろうヤンの近くに居て。
それから?
その後は誰も知らない。
ユリアンも仲間たちも、自分たちの未来を自分の選択で生きていく。
ユリアンは未来の同行者かも知れないカリンと手を取り合い、見上げていた戦艦に背中を向けると歩き始めた。
歴史と成った伝説の終わりから、未来の始まりへと。
「蝶は羽ばたいた」(『銀河英雄伝説』2次創作)完結
ここまで読み続けて頂いた皆様方には、あらためて厚くお礼を申し上げます。 作者:高島智明