転生ヒナちゃんVS正論モンスターの仁義なき戦い   作:流星の民(恒南茜)

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#34 「心象的フラクタル」

「──どりーむがーる! 準備OK? 行くよーー!!」

 

円陣を組んで手を重ね──そして、一気に振り上げる!

 

「……すばるちゃん。なにそれ」

「なんか良くない? 明朗快活ハッピーバンド!って感じで」

「良くないよ……。ハッピーというか、なんか軽薄じゃん……!」

 

私たちのバンドにはそういう意味での連帯感はちっともないらしい。すばるちゃんの掛け声には誰も便乗しようとしない。

それどころか仁菜がげんなりした顔ですばるちゃんを睨むせいで、なおさら彼女は居心地が悪そうだった。

今日はいつもと違って他バンドとの対バン、ましてやあの有名な”beni-shouga”が相手だ。

それもあってか、社交性の高いすばるちゃんは空回りしてしまったのかもしれない。

 

ライブ直前の控え室では、みんながピリピリしている。

確かにみんなが仲の良いバンドというのを相手に見せつけるのもまた一つのイメージ戦略ではあると思う。

ただ、控え室の隅で静かに佇む二人──ベースをチューニングするルパさんと、キーボードを抱いた智さんの前では、あまりやらない方がいいようにも思えた。

 

「……みたいな感じなんですけど。どりーむがーる、準備OK?みたいなの、beni-shougaはやらないんですか〜?」

「二人だけだもの。いらないに決まってるじゃない」

 

仁菜の次は私……には分が悪いと判断したからか、今度は智さんをターゲットにするけれど、そちらはそちらでやっぱりノリが悪い。

 

「おー、でしょうか?」

「さすがルパさん! た、助かる……っ!」

 

パッと顔を上げるすばるちゃんは目を輝かせていた。

ルパさんのノリの良さに救われた形になるのだろうけど……やっぱり、こうして見ると二人は対照的だ。

 

「……すばるちゃん。あんまりお相手に絡まない。過干渉を嫌うバンドメンバーもいるんだから。まあ、私は意外と嫌いじゃないけどさ」

「ミ、ミネさんも……! ありがとうございますっ!」

 

ルパさん、ミネさん、すばるちゃん。

この三人がライブ前でもかなり軽快な、舞台を前にしてテンションが上がっていくタイプなのだとすれば、私と仁菜はその間。そして、智さんは──激しくピリピリするタイプだ。

演奏時はあんなに楽しそうなのに今はその姿とは裏腹、警戒心をバリバリに尖らせたハリネズミみたい。近づいたらすぐプツリと刺してきそうだ。

端から見ていれば、単に怖い人、気難しい人、とも捉えられたけれど。

ここ何回か、一緒に練習をしてきて何となくそれがどんな感情を表しているのか私にもわかるようになってきた。

 

「……緊張、してるんですか?」

「違うわよ。もっと正確に、あんたならわかるでしょ?」

 

確かな恐怖心。そして、それに対する防衛反応──ようは、緊張に近いものではあるのだろう。

だけれど、それの正確な出どころが今の私には何となくわかる気がした。

 

「えっと……本気だから、ですよね。なんか、落ち着かないの」

「よくわかってきたじゃない」

 

ちょっと上から目線で澄ましたままフン、と鼻を鳴らすけれど。

それでも、智さんの口角は僅かに上がっていた。

 

「……前は少し言い過ぎたわね。仕送りを貰ってるだの、地元にいればいいだの……」

 

きっと、この流れのまま言ってしまおうだとか、それともライブ前には精算しておかなきゃとか、そういう意図もあったのだろう。

ぽつりと零す智さんの瞳は、僅かに揺れている。

彼女は見た目のツンツンさよりもずっと純真な人だ。

それだけに、誰よりも音楽に本気で、それゆえに言い過ぎて。その分の人間関係の不和にだって心を痛めてきたのだろう。

正直に相手と向き合えない気持ちなら私にだってわかる。

もどかしくて、爆発してしまいそうで。言えたとしてもはぐらかしてしまう。

仁菜との向き合い方だって、少しずつ立ち位置を見直してきたのだから。

 

「いえ。何というか、私も甘かったんだなって気付かされましたから」

「……そ、そう? とにかく。私も人のことは言えないわよ」

 

そう呟いて、バツの悪い顔をする。

ほんの一皮剥けてしまえば、意外と智さんは素直なのだろう。

 

「きっと、人より恵まれてはいたんだもの。何だか、外に出てすごくグラグラした。自分は甘かったんだって──そう思えてしまって」

 

そんなことないです、なんて。思わずその言葉を遮ってしまいそうになる。

私が甘えてばかりなのは事実だし、親の仕送りもなしに自立した智さんとなんて比べられようはずもない。

だけれど、ぽつぽつと言葉を紡ごうとする智さんの姿にはどこか重なるものがあった。

音楽をする理由を聞かれた、以前の私と。

そうして自分の過去に触れようとする智さんは、やっぱり普段より一回りぐらい小さかったのだ。

上手く答えられなくて──それだけ、自分の核に触れようとするものだったから。

 

「前に言ったじゃない? 親と絶縁したって。あれは、私からなの」

 

それでも、言い切った。

あの時の私と同じぐらい不確かそうに、私を映す瞳は僅かに揺らぐ。

 

「違う男と一緒にいたから。それで、母親を見限ってやった。一人で生きた方が何倍もマシだと思って、帰る場所がなくなった。本気でやるしかなくなった」

「もしかして、前に言っていた『プロになりたい』奴らって……」

「その後一緒になった奴らよ。……でも、あれは、私が嫌いだった、合わなかっただけだから。楽しむための音楽があるのは、わかっている」

 

今の智さんからは、すぐに膨れ上がって外敵を突き刺そうとする針を見つけられなかった。

 

「だとしても、私にはこれしかないから許せなかった。だから……やっぱり、あんたは何も悪くない。あの時も狼狽えて当たり前だったのよ」

 

そうやって視線を下げて、私のことを気遣って、誰かのことを強く恨んで。

その行動に合理性がなくてもやってしまうことへの、悔いのようなもの。

きっと、いい意味で智さんにだって俗っぽい一面はあったのだ。

普段は全身を覆い隠している針を引っ込めた先には──ほんの少しの躊躇いと譲歩を孕んだ、子供らしさというか、どこかちっぽけに震える身体があって。

 

「……ううん。許せないもの、私にだってたくさんありますから。相手が悪くなかったとしても、そうじゃなきゃやりきれないし……仕方ないって、割り切っています」

 

──そうか、智さんも私と同じだったんだ。

 

技量も立場も私とは大きく違うけれど、相手に対して素直になれないところも、自分では本気でいたいって、思わず担架を切ってしまうところも。

 

「なんか、私たち同じですね」

 

思わず呟いた言葉は失礼だったかな……なんて、思えてしまったけれど。

顔を上げた智さんは、目を丸くしていた。

予想していなかったその言葉に取り繕おうと慌てて用意した言葉も全部引っ込んでしまって。

 

何というか、ほんの少し可愛げを見せてくれたから。

少しだけなら意地悪をしてみてもいいかなって、口を衝いた言葉があった。

 

「……なーんて。智(・)ち(・)ゃ(・)ん(・)」

「ちょっ! あ、あんたまで……!」

 

ペロリと舌を出してみて、もしかしたら智さん改め智ちゃんは不服だったのかもしれない。

それでも、彼女は顔をボッと赤らめて。口では厳しいことを言いながらもモジモジとしている。

関係値が低い状態で仁菜は失礼だ──と思っていたけれど、何となく「智ちゃん」呼びを続ける理由が私にもわかってしまった。

 

「あ! ヒナも『智ちゃん』って言ってる……! 私のこと、あんなに注意してきたくせに……!」

「私は仁菜と違って、ちゃんと段階踏んでるから。いっつも馴れ馴れしすぎなのよ」

「だからって今更……って感じじゃん。ねっ、智ちゃん!」

 

仁菜とのやり取りに集中している内に何度『智ちゃん』という呼び名が出てしまったことか。

気づいた頃には彼女はプルプル震えてしまっていて──そして、ついには。

 

「智ちゃん智ちゃんうるさいのよ……! それ、やめてよねっ!!」

 

そうやって爆発してしまって、怯む私になおのことにやりと笑う仁菜。

何というか、演奏スキルも生い立ちのハードさも、私たちと智ちゃんの間では大きな差があったことには違いない。

けれど、そうしている間の私たちと、彼女は──きっと、普(・)通(・)の(・)女(・)の(・)子(・)だったのだ。

 

「ねぇ、智ちゃん。良かったですね」

「ぜんっぜん、良くないわっ」

 

ただ一人だけ、誰とも話さずにじっと私たちを見つめていたルパさんが微笑みかけてくる。

慈しみと、仲睦まじさと。ルパさんと智ちゃん、二人のやり取りからはいつもそんなものが滲み出ていた。

きっと、許せないものがあったとして。

それよりもずっと大きな守りたいものがあるから──だから、私たちは今から叫ぶ。

 

「……なにそれ」

「成功させようってグータッチ。智ちゃんもやろうよ!」

「やらないわよ。頑張る度にいちいち意思確認してたら、時間の無駄じゃない」

「え〜! 智ちゃんのケチ……」

 

仁菜のちょっかいは相変わらずあしらわれて。そうしている内にライブ開始の時間が訪れる。

円陣を組むとか、グータッチとか、そういう劇的な気合い入れのようなものはちっともない。

 

「……ねぇ」

 

ちょい、と袖を引っ張って。

智ちゃんからだった。私と仁菜、二人分の袖。それを軽く引いて「行くわよ」と口にする。

それからは振り返ることなく、ずんずんと進んでいく智ちゃんの背を見送りながら。

 

仁菜と二人、目と目を見合わせた。

 

◇ ◇ ◇

 

「──まずは私たちから! 聞いてください!」

 

マイクにぐっと顔を寄せ、思いっきり声を張り上げる。

いつもより少しキャパの広いライブハウスだ。その分、遠くまで声が届いている確証は薄くて僅かに怯んでしまいそうになる。

それでも、一歩引いた場所で私たちを見つめる智ちゃんとルパさん。

対バン相手二人の挑戦的な視線を前にしたら黙っていられない。

 

仁菜と、すばるちゃんと、ミネさんと。

後ろを振り向いて、目配せは一瞬の内だ。

 

さあ吠えてやれ、思いっきりかましてやれ。言い切ったんだろ、私。

生(・)き(・)て(・)く(・)た(・)め(・)に、バンドをやるって──。

 

「どりーむがーるで、『吹き消した灯火』!」

 

か細くポトリと、今にも落ちそうな線香花火。

この曲の歌いだしはそれほどまでに儚い。

だとすれば、僅かに燃える火花を消してしまわないようにふっと小さく息を吹くみたい。

仁菜が歌い上げた旋律がそっと手渡しされてくる。

消えるなと私が酸素を送り込んで、少しずつ、確かに少しずつ、私たちが起こした火種はパチパチと熱を強めていく。

 

智ちゃんに言われた通り、どちらかが自分の方向へと引っ張ってしまったら崩れてしまうほどにか細い旋律だ。

けれど、ミネさんのベースとすばるちゃんのドラム、リズム隊の二人が築き上げた函の中でこそ、仁菜と私、互いに行くべき場所は決まっていた。

軽くウインクしてやると、ムッと仁菜は唇を尖らせる──ここだ。

 

交わった種火、眩く燃える一粒の光。

サビに達した瞬間に全身全霊を賭けて命を燃やす。

吹き消されるだろう、消えるだろう──そんな灯火を。

私たちは喉の奥で最後の一滴まで燻らせ続けた。

 

「……っ、ありがとうございました!」

 

普段の私たちとは違う方向の音楽だったからか、歌い終えた後のライブハウスは耳が痛くなるぐらいしんとしていた。

視界の端、きゅっと拳を握りしめる仁菜が見えて──次の瞬間。

 

どっと、客席が沸いた。

歓声、拍手、ふとそれは後ろからも聞こえてくる。

振り返ると、智ちゃんたちも手を叩いてくれていた。

 

その反応に、確かな感触に思わず足下がぐらりと揺れる。

ずっと上手く行かなかった曲、ようやく仁菜と合わせられたのも土壇場でのことだった。

ぶわりと痺れたような頭でよろめいて──安心していて。

 

だけれど、それには少し早い。私たちはまだ対バン中なのだ。

足踏みを幾度か、唇を強く噛む。そして、目に焼き付けた──。

 

「beni-shouga! 『心象的フラクタル』!」

 

私たちとは全く違う音作り。

キーボードという未知の存在が、シンセサイザーの音が、跳ね回るように私の周囲を取り囲む。

コロコロと転がりながらも繊細に形を変えていくメロディー、それを支えるのは力強いルパさんのベースだ。

智ちゃんの歌い方は命を賭して歌うような、そんな必死さを含んだものじゃない。

自ら紡いだ一音一音に声を乗せて、軽快に紡がれていく歌声。それでいながらも安定していて、ちっともブレがない。

磨かれきった音にはただ身を委ねていればいい。

ここまでで一切の不安を抱かなかったこと――それが、この曲に没入させるための鍵だったのだ。

 

きっと、表面だけ見たら私たちは違う。楽器編成も、歌い方も、見せたい世界だって。

だけれど、この曲もまた叫びなのだ。鼓膜を揺らす歌詞が私にそう告げている。

 

『一人で生きた方が何倍もマシだと思って、帰る場所がなくなった。本気でやるしかなくなった』

 

智ちゃんの駆けてきた道筋はガタついていて、普通だっていう規範になぞらえることができなくて。きっと、そうした想いを殺していればよかったって悔恨すら時に芽生えて。

だけれど、ヒリついたそれを指先で引っ掻いては、やってやるってなおさら腹を立てるのだ。

生活が逼迫しているだとか、そういうところに差こそあれども共鳴できてしまったから──曲が終わった時、私はひたすらに手を叩いていた。

熱くなって、ヒリヒリ傷んで。それでも、思いっきり私は身を揺らすことができたのだ。

 

「あんた、いつまで拍手してるのよ。次、一緒にやるんでしょ?」

 

そうやって智ちゃんにかけられた声でハッとする。

紅潮した頬に荒げた息、歯を剥き出しにしながら笑う彼女の顔を初めて見たから。

音楽は生きるための手段だ。本気にならなきゃいけない分、嫌なことだってたくさんある。

それでも大好きだ──やっぱり、私たちと同じなんだ。

 

「うんっ、やってやる!」

 

マイクを引っ掴み向き合う私と仁菜。

後ろでは一緒に声を吹き込んでくれる智ちゃんがいる。

 

「beni-shouga対どりーむがーるで──『生きて生きてゆく』!」

 

突然の土砂降りに、私たちは為すすべなく生きている。

渋谷の屋上にいた時だって、仁菜に押さえつけられた私は身動きも取れないままに水滴が顔中伝っていくのを黙って見つめているだけだった。

けれど、出かけたことに後悔して家に引っ込むだとか、雨宿りしようと屋根にでも駆け込んでいたら、私たちはきっとここにいない。

ちょっと日が射したと思ったら、すぐに雲が覆って雨が降る。たぶん、人生というのはそうやってできていた。

それでも、生きていたい。

生きるために歌っていたい。

 

あの日、仁菜を前にして決意させられたこと。

私が綴ったのはそんな想い、みんな思い思いの詞を注ぎ込んで、できあがったのがこの曲だった。

 

仁菜と私のギター。掻き鳴らした旋律の裏で刻まれるキーボード。

天気雨のように晴れ間を縫って降り注ぐそれをストロークで受け止めて、そして。

 

ふっと、息を吸った。

生きてやるって叫びを、サビを、紡ぐために。

 

「っ」

 

──綻んだ。

声にならなかった音が、ひゅっと喉を抜けていく。

何が起きた? 一瞬の困惑がよぎるけれど、理由は鮮明だった。事態は収まるどころか段々とその姿をくっきりと現していったから。

 

キーボードの音だった。

ポロン、ポロン、と合間に入る不協和音。取り繕おうと挟まった音が次の不協和音を生み出してしまう。

 

智ちゃんに何かが起きたのだ。

演奏をやめる? 仁菜と交わした視線はしかし、すぐにNOを示す。

智ちゃんが手を止めていない。それなら、私たちも何とかする外ない……。

 

次第にドラムの拍が開いていく、ベースの音が歪んでいく。

私たちも、歌声が上ずっていく──。

 

掴むべきものがプツリと切れて、音と一緒にバラバラに。地の底深くへと落ちていくようだった。

雨だれみたいに霧散した音は、再度掴めるだけの形を保っていない。

 

終わった。

しんとしたライブハウスは、今度こそ歓声を帯びることはなかった。

俯いたまま、視界が霞む。じっと見つめた床の模様がじわりと滲んで、切り取られた四角い輪郭が何重にも重なってしまう。

 

「ちょっ、智ちゃん!」

 

ガタンと機材が跳ねた一瞬、直後に智ちゃんが走るようにしてステージを後にした。

もう、この事態をどうにかする術は私にはないように思えて──握った拳が視界の中で揺れていて。

それを、ぱっと仁菜が掴んだ。

 

行こう、とでも言うように。

頷いて、小さく礼をして。それから、私たちも駆け出した。

失敗したステージを置き去りにすることに抵抗はある。

ただ、失敗したままで終わらせないためだ。

 

◇ ◇ ◇

 

「どうして! ここに来てるのよ!」

 

悲鳴にも近い叫びを追って辿り着いたのはライブハウスの外だった。

その顔をくしゃくしゃにした智ちゃんが見つめている先には一人の女性がいる。

その顔立ちと表情、何よりも智ちゃんの態度を見ていて、動揺したような音色を聞いていて──それが誰か、わかってしまう。

 

「だってあなた、黙っていなくなって……」

「黙っていなくなった……!? おかあ──あんたが、あんなことをしたからでしょ!?」

 

智ちゃんの母親だ。

見限ったという、その相手だ。

 

「それは……確かに、私が間違っていた。でもね、智。あなたはまだ一人で生きていくには――」

「生きていくには早いっていうの!? 今更、どの口が!? そうやってどっちつかずで、私たちのこと捨てたなら捨てたってハッキリ言えばいいじゃないっ!」

 

確かに智ちゃんはいつも苛立ったような態度でいたかもしれない。

けれど、ここまではっきりと怒りを露わにしているのは。喉が潰れそうなぐらいに声を張り上げて、その澄ました顔を崩して、誰か一人を仇として憎んでいるのは──私が見る限りでは初めてだった。

 

「そんな、捨てたなんて……」

「捨てたでしょ!? お父さんも、私もあんたに捨てられた! だから、私も捨ててやった! それの何が間違ってるのよ!」

 

智ちゃんが口にしていることは確かに度を過ぎている。

普段だったら言い過ぎだ──なんて私も止めていたかもしれない。

それでも、彼女の母親が智ちゃんを捨てたのは本当だ。

自分から見限った、捨てたと言わせるぐらいに酷い仕打ちをしたのは事実なのだ。

 

「……私がしてきたことは、どれだけだって詫びるわ。それでも、智がどう生きているか、必死か聞いて、私……」

「そうよ必死よ、必死に生きてるのよ……! だから、今更母親ヅラしないで……っ!」

 

しゃくりあげて、声が掠れる。

せきを切ったように止めどなく、いっぱいに見開かれた智ちゃんの瞳からは涙が零れていた。

唇を噛み締めて、赤く染まった唇。それを幾度かぱくぱくさせながらも。

 

 

「お願いだから……っ、二度と、私の人生に関わらないで」

 

 

智ちゃんは言い切った。

俯いたまま彼女の母親は背を向ける。

そうしてそっぽを向いたような仕草がどうにも似ていて、場違いだけれど親子なんだと思えてしまった。

 

「……あんたたち」

 

そしてもう一度、瞳にたっぷり浮かべた涙に私たちを映して。

その場から智ちゃんは逃げ出した。

 

今度も振り返らずに。

私たちに触れることすらせずに、遠く遠く。

 

隣で仁菜が伸ばそうとした手。思わずそれを遮ってしまう。

彼女の正義感は、暴れ立つ正論モンスターですらもきっと無力だったから。

私の中で根を張っていた仁菜への信頼すらもこの場では萎れてしまうほどに。

 

彼女を追うなんてことは、私たち程度じゃできるはずもなかった。

 

◇ ◇ ◇

 

「……智ちゃんは、あれからどうですか?」

「……あれから酷くなってはいません。ただ……少し受け止める時間は必要だと思います」

 

beni-shougaとの対バンから数日が経つけれど。毎日のように私たちは牛丼屋に通い詰めていた。

すばるちゃんの時と似ている。智ちゃんがどうなっているのか、私たちではさっぱりわからなかったから。

 

「仁菜さんも、ヒナさんも。あまり思い詰めないでください。今回の件は私が……」

「……いえ。何もできなかったのは私たちも同じです。ねぇ、仁菜」

 

頷く仁菜の顔を浮かないままだ。

そんな中でも不幸中の幸いというべきか、ルパさんは智ちゃんのシフト分まで働いているようで、彼女を通してのみ私たちは近況を知ることができた。

 

「……うん。私、追いかけようとしてました。でも──もしかしたら、もっとダメになっちゃってたかもしれない。そう思うと、余計怖いんです……」

 

熊本にいた頃は瞳を伏せる仁菜なんて、ちっとも想像がつかなかった。

けれど、何となく彼女の気持ちはわかるのだ。色々知って、思慮が深まれば深まるほど、最悪の想定ができるようになっていく。その精度が上がっていく。

だからこそ、どちらにせよ私たちは無力だった。それには違いない。

 

そうして沈んだまま、飲み込んだ牛丼が胃の中で確かな質量を持つ。

だからといって掻き込んだら、すぐにでも逆流してきそうだからぐっと水を飲み干した。

 

「……ねぇ、ヒナ」

「なに?」

 

だからだろうか。不意に仁菜が声を上げてくれたのが何だかありがたくて、私は思わず食いついてしまった。

彼女が口にしたことは場違いだったに違いない。

けれど、僅かにでもこの場が和らいだ。それだけは事実だったのだ。

 

 

「……帰って来ないかって。お父さんたちから」

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