《統一暦1926年11月下旬 東部戦線 モスコー戦線》
世界は、白一色の絶対零度へと閉ざされた。
降雪が本格化し、マイナス三〇度を下回る真の「冬将軍」がルーシーの大地に君臨し始めた。凍てつく暴風雪は、人間の体温だけでなく、鋼鉄の兵器が持つ内燃機関の熱すらも容赦なく奪い去っていく。
帝国軍の兵士たちは、毎朝戦車のエンジンを始動させるために、凍りついたオイルパンの下で焚き火をして油を溶かさねばならず、歩兵たちの持つ小銃は潤滑油が凍結してボルトが引けなくなるという事態が頻発していた。
だが、そのような極限の自然環境にあっても、人類による絶滅戦争の炎が消えることはなかった。
帝国軍の総力を結集した装甲軍集団は、凍土の上を進撃し、モスコー北方の重要都市カリーニンを陥落せしめた。これにより、北方のスオミ軍と呼応する形で、連邦第二の都市レネングラードは外界との陸上交通路を断たれ、実質的な完全封鎖状態へと追い込まれた。
さらにモスコー中部戦域では、帝国軍の歩兵と装甲部隊が、連邦軍と市民が血の滲む努力で構築した「モスコー市外防衛線」に接触。幾重にも掘られた対戦車壕とコンクリート製のトーチカ群を巡り、数メートル前進するごとに十人の血が流れるという、壮大かつ凄惨な消耗戦が展開されていた。
そして。
このモスコー攻略戦の真の「本命」たる南部、トゥーラ戦域。
装甲軍集団の中でも最強の突破力を誇る第一装甲軍が展開するこの地でも、いよいよ両軍の存亡を賭けた血みどろの決戦が始まろうとしていた。
◇
「パンツァー・フォー! 突撃砲、前へ! 瓦礫の陰のパックを吹き飛ばせ!!」
トゥーラ市街地の外縁部。
雪と硝煙が入り混じる灰色の視界の中、帝国第一装甲軍の歩兵部隊が、突撃砲と僅かな戦車を盾にしながら、廃墟と化した市街地への突入を開始していた。
だが、彼らの前進は、赤軍の想像を絶する強固な防衛戦の前に、完全に攻めあぐねていた。
「くそっ、また敵戦車か! 一体どこから湧いてきやがる!!」
「さっき撃破したはずの場所から、別の車輌が出てきました! 砲塔の塗装すらされていません!!」
帝国軍の戦車兵たちが悲鳴を上げるのも無理はなかった。
南部の工業要衝であるトゥーラには、連邦の巨大な戦車工場やトラクター工場が、前線のすぐ背後に隣接したまま稼働を続けていたのだ。
連邦の工員たちは、頭上を帝国の砲弾が飛び交い、工場の屋根が吹き飛ぶ中であっても、昼夜を問わず戦車の製造と修理を行っていた。前線で被弾し、装甲をぶち抜かれた戦車がトラクターで工場へと引き込まれると、女性や子供を含む溶接工たちがその穴を鉄板で塞ぎ、煤けた車体のまま、塗装も乾かないうちに再び弾薬を積み込む。そして、片手にスパナを持った工員自身がそのまま操縦桿を握り、工場から数キロしか離れていない最前線の塹壕へと直接乗り込んでいくのである。
「いかれてやがる……工場から産地直送で戦車を送り込んでくるとは!」
未塗装の赤い鉄の塊が、瓦礫の陰から帝国の突撃砲へと至近距離で砲弾を叩き込む。撃破しても撃破しても、翌日には工場で継ぎ接ぎされたフランケンシュタインのような戦車が再び前線に復帰してくる。
トゥーラ市街の防衛線は、帝国第一装甲軍の精鋭歩兵の猛攻を受けながらも、その泥臭い血と鉄の循環によって、決して決定的な突破を許さなかった。
だが、帝国軍にとって真の脅威は、トゥーラの市街地で粘る防衛部隊ではなかった。
「……連邦の二つの戦車軍は、未だ動きを見せんのか」
トゥーラ戦域のやや後方に位置する、第一装甲軍司令部。
第一装甲軍司令官、ヘルマン・ヘト大将は、忌々しげに分厚い雪雲に覆われた空を睨みつけた。
連日の降雪により、頼みの綱である航空機による偵察活動は完全に麻痺していた。そのため、ヘト大将の第一装甲軍は、ジェーコブ元帥がモスコー防衛のために南部へ振り分けたとされている「二つの戦車軍」が、広大な雪原のどこに潜伏しているのか、全く把握できていなかったのである。
この見えない脅威のせいで、第一装甲軍が誇る九〇〇両の戦力のうち、要となる三個機甲師団は、敵の側面攻撃を警戒して迂闊に前進することができず、後方で待機せざるを得ない状況が続いていた。
「ベルネータ少将。敵の戦車軍は、一体どこから我々の横腹を食い破りに来るつもりだ?」
ヘト大将の問いに対し、第一装甲軍参謀長のユリアス・フォン・ベルネータ少将は、指揮棒で地図上の二つの地点を示した。
「司令官閣下。トゥーラを巡る戦域において、敵の大規模な装甲部隊が機動できる可能性のあるルートは、大きく分けて二つ。トゥーラの『北部』か、『南部』か、です」
ベルネータ少将は、極めて優秀な参謀らしく、冷徹な軍事合理性に基づいて分析を続けた。
「まずトゥーラの『南部』ですが、ここは深い森林地帯が広がっており、雪に覆われた現在、大部隊による戦車戦や機動戦には全く向いていません。進軍ルートが限定されるため、ここから敵が主力を投入してくる可能性は極めて低いと言えます」
指揮棒が、トゥーラの上(北)へと移動する。
「一方で、トゥーラの『北部』。こちらはモスコーへと繋がる重要な鉄道線やクリム街道などの交通線がいくつも密集しており、戦略的価値が極めて高いです。我々がここを抑えればモスコーの包囲が成るため、赤軍としても絶対に死守しなければならない生命線です。……軍事的に考えれば、敵の戦車軍は必ずこの『北部』に潜伏しており、我々の北上を阻止するために大規模な反転攻勢を仕掛けてくると考えるべきです」
「軍事合理性に従えば、北が本命ということだな。私も同意見だ」
歴戦の猛将であるヘト大将も、自らの参謀の論理的な推論に深く頷いた。
「はい。そこで、我が第一装甲軍の行動指針として、北部に二個機甲師団を先行して投入し、陽動と威圧を行います。これに焦った連邦の戦車軍を雪原に引きずり出し、そこを叩き潰す。それが最善の手です」
「よし。では、南部の森林地帯への備えはどうする?」
「念のため、トゥーラ南部には、我が軍の一個装甲擲弾兵師団と後方の軍集団から毟り取ってきた三個歩兵師団を、ノボモスコフスク前面まであえて突出させて前進させます」
ベルネータ少将の描いた陣形は、極めて理にかなったものであった。
南部に歩兵主体の部隊を大きく突出させておくことで、万が一、赤軍の戦車軍が南部の森林地帯から強襲を仕掛けてきたとしても、彼らがセンサーならびに肉の盾となって時間を稼ぐことができる。
そして、その稼いだ時間を使って、北部に回している二個機甲師団を反転させ、さらに上位組織である装甲軍集団に要請して戦略予備の一個機甲師団を再展開させて迎撃すれば、いかなる事態にも対応できる。
「隙はないな。直ちにこの作戦案を、ガデーリアン上級大将の装甲軍集団司令部へ打電しろ」
◇
《同日 ヴァジマ近郊 帝国装甲軍集団司令部》
第一装甲軍から上がってきた作戦案の電文を読み、装甲軍集団総司令官のハインツ・ガデーリアン上級大将と、久々の航空魔導戦から帰ってきた参謀長のローゼフシルト少将は、作戦机の上で視線を交わした。
「ヘト大将からの具申です。第一装甲軍は敵主力戦車部隊の潜伏先をトゥーラ北部と断定。北部へ二個機甲師団を投入し、敵を誘引・撃滅するとのこと。南部の森林地帯には歩兵師団を突出させ、警戒にあたらせると」
ローゼフシルト少将が、淡々と第一装甲軍の意図を読み上げる。
ガデーリアンは地図を睨みつけながら、太い指でトゥーラの北部をトントンと叩いた。
「ヘトとベルネータの判断は正しい。南部のような戦車運用に適さない地形から大兵力を動かすのは、兵站的にも戦術的にも下策中の下策だ。彼らは、極めて理にかなった作戦を立てている」
「……私も同感です、閣下」
ローゼフシルトは何か、引っかかりながらも同意した。
「敵がクリム街道の防衛を放棄するとは思えません。我が軍の北上に対し、必ず北から強烈な反撃に出るでしょう。南部の歩兵師団を突出させておくのも、万が一の保険として良い布陣かと」
「よし。第一装甲軍の作戦を承認する。連中の機甲師団が北で敵を捕捉し次第、戦略予備の一個機甲師団の前進を許可し、一気に敵戦車軍を包囲、すり潰すよう伝えろ」
帝国軍の誇る灰色の頭脳たちは、装甲軍集団司令部から第一装甲軍司令部に至るまで、与えられた情報と合理的な計算から、全く淀みのない完璧な方程式を導き出した。
だが、彼らは気づいていなかった。その「完璧な軍事合理性」こそが、赤軍の最高司令官が仕掛けた致命的な死の罠へと続く、一直線のレールであることを。
◇
《翌日 連邦軍モスコー防衛軍司令部》
「……やはり、帝国の連中は軍事マニュアルに忠実だな。奴らは、自らの合理性という殻に完全に閉じこもっている」
カシーラの地下司令部。
ジェーコブ元帥は、戦況図に配置された帝国第一装甲軍の駒の動きを見て、氷のように冷たい笑みを浮かべた。
「元帥同志。NKVDからの報告によれば、帝国の第一装甲軍は、我々の戦車軍の配置を完全に『トゥーラ北部』であると誤認し、彼らの機甲師団の主力を北へ振り向けた模様です。南部には、センサー代わりの歩兵師団と擲弾兵師団が突出してきているのみです」
「ご苦労。……全て、私の予想通りだ」
ジェーコブは、深くタバコの煙を吸い込んだ。
彼は、ヘト大将やベルネータ少将、さらにはその上にいるガデーリアンたちが、「南部は森林地帯だから戦車戦に向かない」と判断し、装甲兵力の投入を避けることに賭けていた。
「連中は、我々が不合理な行動に出ることを軽視している。だからこそ、その虚を突く。……我が方に残された二つの戦車軍の全力は、夜間の吹雪に紛れて敵が最も警戒を薄くしている南部の森林地帯に集結させ、そこから一気に第一装甲軍の側面を食い破る!」
それは、帝国軍の合理性を逆手に取った、強烈なカウンターパンチの構えであった。
だが、優秀な帝国軍の参謀たちが、単に南部から奇襲をかけただけで崩れるほど柔ではないことも、ジェーコブは熟知していた。敵は南部に歩兵を突出させて時間稼ぎを図り、北部の機甲師団や戦略予備を再展開させる保険をかけている。
その保険を完全に無効化し、敵の目を完全に北部へと「釘付け」にするために。
ジェーコブは、極めて大規模かつ緻密な欺瞞作戦――マスキロフカの種を、すでにいくつも蒔いていた。
「まず第一の種。モスコー防衛線の下士官から将校にいたるまで『赤軍はトゥーラ北部で大規模な反転攻勢を実施する』という偽情報を、教え込ませた。これで捕虜にした複数人から聞き取った帝国第一装甲軍は今頃、その情報の裏付けを取ったと思い込み、北部からの反攻への確信を深めているはずだ」
参謀たちが静かに頷く。
「そして第二の種。……敵の目を完全に眩ませるための、北部での大規模な偽装攻勢だ」
ジェーコブの作戦は、北部に配置した二個戦車旅団と、狙撃師団四個、そしてNKVD一個軍という大兵力をもって、さも「こちらが本命の反転攻勢である」と見せかける大規模な陽動作戦であった。
このマスキロフカによって第一装甲軍の全兵力と意識を北部に釘付けにし、装甲軍集団が後方に残している戦略予備の一個機甲師団までも北の戦闘に引きずり出したその瞬間。
南部の森林地帯に隠した本命の二個戦車軍を一斉に解き放ち、敵の突出した四個師団をミンチにして消し飛ばし、カルーガからトゥーラまでの補給線を完全に封鎖する。
第一装甲軍を兵站線ごとへし折り、モスコー包囲の野望を粉砕する、完璧な包囲撃滅戦のシナリオであった。奇しくもかつて帝国が共和国を破壊した西方電撃戦に酷似した作戦だった。
だが、ここでジェーコブの脳裏に、一つの重い懸念がよぎった。
(……しかしロリヤの勝手な暴走のせいで、北部での欺瞞攻勢の主力の一角を担うはずだったNKVD第一、第十ライフル師団が、ズヴォーロフの森で帝国の魔導部隊に返り討ちに遭い、完全に壊滅してしまった)
本来であれば、無傷のNKVD一個軍の全てを北部の偽装攻勢に投入し、圧倒的な圧力で帝国軍を騙し切るはずであった。だが、戦力が低下した現在の偽装部隊では、前線に出張ってきている二個機甲師団の誘引はできても、その後方に待機している戦略予備の一個機甲師団まで完全に誘引しきれるか、怪しくなってしまったのだ。
「……もし、敵の予備の機甲師団が騙されず、南部の本命の強襲に気づいて迎撃に回ってきた場合。我が方の二個戦車軍の被害は、想定を大きく上回る泥沼の戦車戦となるだろう」
ジェーコブは、タバコの灰を落としながら、静かに目を閉じた。
「だが、構わん。敵の予備師団が南部に回ってきたとしても、総数において我が戦車軍の数的優位は揺るがない。多少の被害増大など、モスコーを守り抜くためであれば安い代償だ。……むしろ、これだけのリスクを負わねば、あの狡猾な帝国軍は出し抜けん」
ジェーコブは、ゆっくりと目を開き、作戦室に集まった将官たちへ向けて、氷のような声で命令を下した。
「全軍に告ぐ。これより我が赤軍は、トゥーラ北部にて攻勢を開始する。……帝国の豚どもに、冷たい雪と偽りの炎をくれてやれ!」
◇
《トゥーラ北部 クリム街道方面》
「敵襲ゥゥッ!! 赤軍の大規模な反転攻勢です!! 北部正面より、敵の戦車軍および多数の狙撃師団が我が方の陣地へ向けて突撃を開始しました!」
第一装甲軍の最前線に、悲鳴のような通信が飛び交った。
雪煙を巻き上げながら、赤軍のT−34の群れと、Ура!と叫びながら雪原を埋め尽くす歩兵の大群が、帝国の二個機甲師団へと襲いかかった。
「来たか! やはり敵の主力は北部に潜んでいたぞ!」
「司令部の予測通りだ! 慌てるな、第一線で受け止め、敵の装甲をすり潰せ!」
帝国軍の戦車長たちは、待ち構えていたとばかりに八.八センチ砲と七.五センチ砲の火蓋を切った。
吹雪の中で、重厚な装甲同士が激突し、爆発の閃光が白い雪原を赤く染め上げる。赤軍の偽装攻勢は、その狂気的な突撃と物量によって、瞬く間に激戦の様相を呈した。
《第一装甲軍司令部》
「閣下! 北部での敵の攻勢は想定以上に大規模です! 前衛の二個機甲師団だけでは、前線を維持しつつ敵を包囲殲滅するには火力が足りません!」
「捕虜の情報とも完全に一致しています! これが、敵の『二つの戦車軍』を用いた本命の反転攻勢に間違いありません!」
ベルネータ少将をはじめとする参謀たちの慌ただしい報告を受け、ヘト大将は力強く頷いた。
「装甲軍集団司令部へ至急電! 『敵主力、北部にあり。我が第一装甲軍はこれと交戦中。直ちに戦略予備の機甲師団の投入を請う』と伝えろ!」
《帝国装甲軍集団司令部》
ヘト大将からの切迫した電文を受け取ったガデーリアンとローゼフシルトは、即座に決断を下した。
「ヘトの部隊が敵主力を北で捕捉したか。完璧だ」
ガデーリアンが獰猛に笑う。
ローゼフシルトは何となく心の内に渦巻く違和感を押し殺しつつ、それに多少の修正案を加えて同意した。
「……ええ。これより後方に待機させている一個機甲師団を直ちに北部へと前進させましょう。いつでも前線へ投入可能な状態に配置させます。これで、敵軍を十分引き付けた時に北部の赤軍主力を完全に包囲・撃滅し、モスコーへの道をこじ開けます」
ローゼフシルトの指示により、戦略予備の師団が轟音を立てて北へと動き始めた。
合理的な判断。完璧な戦力配置。
第一装甲軍から装甲軍集団に至るまで、帝国軍の全意識と切り札までもが、ジェーコブの仕掛けた偽の幻影(北部)へと完全に引き寄せられたのである。
――破局は、まさにその瞬間に訪れた。
「へ、ヘト大将閣下!! 緊急電、緊急電です!!」
第一装甲軍司令部において、通信兵がヘッドホンを投げ捨てるようにして立ち上がり、顔面を死人のように蒼白にして絶叫した。
その異常な声音に、作戦室の空気が凍りついた。ヘト大将も、ベルネータ少将も、怪訝な顔で通信兵を振り返る。
「騒々しいぞ。北部の部隊がどうかしたか?」
「ち、違います!! 通信は『南部』から……! 南部のノボモスコフスク前面に突出させていた、一個装甲擲弾兵師団と三個歩兵師団からなる臨時軍からの、非暗号によるSOSです!!」
「なんだと……?」
ベルネータ少将の瞳が、僅かに見開かれた。
戦車戦には不向きな、南部の深い森林地帯。そこに配置したセンサーと呼べる部隊からの悲鳴。
「報告を読み上げろ!」
ヘト大将が怒鳴る。通信兵は、ガチガチと歯を鳴らしながら、震える手でメモを読み上げた。
『―――敵戦車の大群!! 南部の森林地帯より、突如として赤軍の『二つの戦車軍』が出現!! 規模は優に一千両!! T−34とKV重戦車による大規模な機甲突撃を受け、我が方の歩兵師団の防衛線は完全に蹂躙されつつあり!! 前線は崩壊寸前! 敵の本命(主力)は南部!! 直ちに、直ちに機甲師団の救援を求む――――ッ!!』
シンッ、と。
第一装甲軍司令部の作戦室から、一切の音が消え失せた。
「…………な、に?」
ヘト大将の手から、赤鉛筆がポロリと床に転がり落ちた。
ベルネータ少将は、手元の指揮棒を握りしめ、ギリッと音がするほど奥歯を噛み締めた。
北部の攻勢は、全て偽装。
捕虜の供述も、敵の部隊配置も、自らが導き出した完璧な「軍事合理性」すらも。
全ては、赤軍の最高司令官が、帝国軍の喉首を掻き切るために用意した、緻密で壮大な欺瞞(マスキロフカ)であったのだ。
そして、この絶望的な凶報は、即座に上位組織である装甲軍集団司令部のガデーリアンとローゼフシルトのもとへも叩きつけられた。
「騙された……ッ! 敵の本命は南だ! 第一装甲軍の北部に移動した機甲師団をただちに移動させろ! 予備の師団もすぐに南へ……!」
「間に合いません、閣下! 予備の機甲師団はすでに北部の戦闘空域に向けて前進を開始しており、南へ再展開させるには丸一日はかかります! その間に、第一装甲軍の南部の歩兵師団は完全にすり潰され、我々の補給線まで遮るものは無くなります!!」
ローゼフシルトの冷徹な声すらも、焦燥に震えていた。
「くそぉぉぉぉぉぉぉぉッ!! ジェーコブめぇぇぇぇッ!!」
ガデーリアンの絶望の咆哮が、作戦室に響き渡る。
完璧な布陣を敷いていたはずの帝国第一装甲軍、そして装甲軍集団の司令部は、一瞬にして底なしの大混乱と恐慌状態へと叩き落とされた。
マイナス三〇度の極寒の雪原。
白銀の大地を赤く染め上げる、決戦の幕が、切って落とされたのであった。