若手カメラマンは覗き見たい。   作:水棲リクガメ

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13th shoot Vol.2 光亨は手伝いたい 〜食〜

 

「私、今日ほど光くんと知り合えてよかったと思う日はありません」

「そうだろうね……」

 

 四宮家別邸の応接室。

 テーブルを挟んで向かい合って座る亨と早坂。二人の間には、解体された巨大なケーキが山を作っている。

 ちゃんと美味しそうなのがまた腹立たしい。

 

 ケーキの山にフォークを突き立て、自分の皿に取り分ける。

 亨の皿に置かれたケーキを見た早坂は、湿っぽい視線を亨に向けた。

 

「少なくないですか?」

「そ、そんなことないと思うよ……」

 

 亨もお返しとばかりに早坂の皿を指差す。

 

「早坂さんも初回にしては遠慮しすぎじゃない?」

「……そうでもない……ですよ?」

 

 二人の皿に載っている量はほぼ同じ。普通のホールケーキを八等分したくらい。

 通常ならばこれで満足できる量。しかし完食するには程遠い。大鍋いっぱいのスープをひと匙すくったようなものである。

 

「とにかく食べようか」

 

 千里の道も一歩から。手を動かさなければ終わりは来ない。

 亨は精一杯の笑みを浮かべたつもりだが、上手く笑えているか自信はなかった。

 

「そうですね。いただきましょう」

 

 早坂の頬もやや引きつっている。

 

 フォークでケーキを一口大に切り分けて口に運ぶ。口に入れた瞬間、亨は目を見開いた。

 

「めちゃくちゃ美味いな……!」

 

 濃厚にして繊細な甘みが、口いっぱいに広がる。ここまで美味いケーキを亨は食べたことがなかった。

 

「かぐや様によれば、材料にも相当こだわったそうですから。そこらの店で食べられるクオリティではないですね」

 

 心なしか早坂のテンションも高い。

 

 二人の心に希望の明かりが灯った。

 

「光くん。私、これならイケる気がします」

「奇遇だね。俺もだ」

 

 ◆◆◆

 

「光くん、手が止まってますよ」

「早坂さんこそ、さっきから一口も進んでないよ」

 

 二人の希望は、ロウソクの炎みたいに儚かった。

 

 ようやく半分近くを食べ切ったところで、亨と早坂は動けなくなってしまった。

 時折、屋敷の使用人たちがやって来ては、申し訳程度に一口二口手をつけて、亨と早坂に可哀想なものを見る目を向けて去っていく。

 

「四宮さんは?」

「この時間帯でしたら入浴中かと」

 

 亨はこの世の残酷さを感じた。

 

 胃の辺りにケーキの塊が鎮座している。舌に甘味が染み込んだような錯覚を覚えていた。

 

「ごめん、ちょっとトイレ」

 

 立ち上がった亨の前に早坂が立ち塞がる。その目には疑念と不安が浮かんでいる。

 

「逃げるつもりじゃないでしょうね?」

「まさか」

 

 そんなこと考えてもいない。ほんの少しだけしか。

 

 早坂は探るような目つきで亨を見て、それからため息をついた。

 

「休憩にしましょう。コーヒー淹れてきます」

「うん。ありがとう」

 

 亨がトイレから戻って少し経ってから、早坂はコーヒーを持って戻ってきた。

 

 カップに注がれたコーヒーに口をつける。

 舌の上にまとわりついていた甘みが、コーヒーの苦味によって中和された。

 

 亨はひと心地ついたような気分だった。

 

「これは早坂さんが淹れてくれたんだよね」

「ええ。いかがですか?」

「すごく美味しいよ。ありがとう」

「気に入ってもらえたなら、よかったです」

 

 実際、今まで飲んだどのコーヒーよりも美味しい。豆がいいのか、早坂の腕か、あるいはその両方かもしれない。

 

「さあ、光くん。ケーキもいきましょう」

 

 現実は残酷である。

 早坂の淹れてくれたコーヒーは、食後に一息つくためのものではない。あくまでケーキを平らげるための、サッカー選手がハーフタイムで飲むスポーツドリンク的なものでしかない。

 

「もうしばらく、早坂さんのコーヒーを堪能したいね。せっかく淹れてくれたんだから」

 

 亨の胃袋はとうに限界を超えている。角砂糖一つですら、入る隙間はない。

 好きな人の前で甲斐性を見せつけようという男の意地も、既に尽きかけていた。

 

 しかしそれは早坂とて同じ。

 

「いえ、せっかくならケーキと一緒に味わってください。ケーキに合うように最適な淹れ方をしたと自負していますよ」

 

 もはやこの二人、いかに相手に多くケーキを食わせるかの方に思考がシフトし始めていた!

 

「早坂さんはいつも頑張ってるじゃないか。たまには美味しいケーキをたくさん食べてほしいな」

「光くんにはいつもお世話になってますから。そのお礼と思ってどうぞ遠慮なく召し上がってください」

「甘いものを幸せそうに食べてる女の子って、とても素敵だと俺は思うな」

「威勢よくたくさん食べる男の子、カッコよくて私は好きですよ」

「いやいやいや……」

「いえいえいえ……」

 

 醜かった。

 食べ物が絡んだ時、人間とはかくも浅ましくなる生き物なのである。

 

 沈黙を破ったのは早坂だった。

 

「光くん。ジャンケンをしましょう」

「どうして?」

「負けた方が一口ずつ食べる、というのは」

「あー。いいね、それ……」

 

 唐突に繰り出された早坂の提案を、亨は快諾する。

 

 ——俺にジャンケンを挑もうなんて、無謀にもほどがあるよ早坂さん。

 

 この男、ジャンケンの腕には絶対的な自信があった。

 写真を撮る時、被写体が止まっているとは限らない。むしろ生き物であれば動いていることの方が圧倒的に多い。

 亨は幼い頃から写真を撮ることに莫大な時間を費やしてきた。その経験から被写体のわずかな動きをも観察し見切ることが可能になった動体視力、そしてここぞという瞬間でシャッターを切れる反射神経。これらは亨のジャンケンに対する多大なる自信の裏付けとなっているのだ。

 

 ジャンケンとは、ただの運任せのゲームではない。己の五感と反射神経を存分に活かす、刹那の勝負!

 

 早坂の掛け声が始まる。

 

「それでは。——最初はグー、ジャンケン……」

 

 ポン。

 

 亨も早坂も、手の形はグー。あいこである。

 

 しかし亨は驚愕した。

 

 早坂の手が読めなかったのだ。

 

 ポン、と手を出す直前、亨は時間が止まった錯覚を覚えた。早坂のわずかな指の動きから、それに勝てる手を選択する。簡単な話のはずだった。

 しかし早坂の手の動きは、亨の予測を許さなかった。

 ギリギリ直前まで粘り、結果、あいことなった。

 

 亨は反射的に早坂の顔を見た。彼女もまた、その顔に驚愕の色を浮かべている。

 

「あいこだね」

「ですね。……それでは、あいこで——」

 

 しょ。

 

 またも手の形はグー。あいこである。

 

「光くん。後出しはダメですからね」

「そんなことしないよ。早坂さんこそ、後出しなんて野暮なこと考えてないよね」

「ええ、当たり前です。これは正々堂々とした勝負ですから」

 

 嘘である。

 早坂もまた幼い頃からかぐやに仕える近侍であり、そのための高度な訓練をこなしてきた。その経験は、早坂に人並外れた五感と勘の鋭さをもたらしている。

 亨にジャンケンを提案したのも、自身に有利な土俵に引きずり込むため。

 

 亨は笑いが込み上げてきた。早坂もまた薄く笑みを浮かべている。

 

 天才二人の繰り広げる刹那の読み合いは、その高度さゆえに、膠着状態に陥った!

 

 その後、五回ほどあいこを繰り返し、早坂が大きく息を吐いた。

 

「ジャンケンはやめましょう……」

「そうだね……」

 

 じりじりと、無意味な時間だけが過ぎていく。

 

 深く、深く、ため息をついた早坂は、覚悟を決めたように皿にケーキを取り、フォークで突き刺した。

 そのケーキを亨の方へと向ける。

 

「光くん、あーん」

 

 「あーん」! それは、カップルの間で執り行われる、神聖なる儀式! 全男子が一度は憧れる、夢のようなシチュエーション!

 そして、言わずもがな早坂は美少女。彼女の「あーん」は必殺の威力である。

 

 亨は硬直した。

 

 亨の中で、意中の人からのあーんは、クリティカルヒットしていた!

 

 亨は、自分の中で「早坂からのあーん」と「自身の胃袋のキャパシティ」を反射的に天秤にかけた。

 結果、ギリギリもギリギリ、僅差も僅差、わずかなタッチの差で、胃袋のキャパシティに傾いた。

 

「ものすごく魅力的な提案だね、早坂さん。でも、もう少し余裕のある時にお願いしたいかも」

 

 しかし早坂も引き下がらない。

 

「そんな寂しいことを言わないでください。私みたいな美少女からのあーんなんて、光くんの人生では金輪際起こりませんよ?」

「今ので余計に食べる気が失せたね」

 

 この空間に、恋人らしい甘々な空気など欠片もない。とにかく目の前の相手に少しでもケーキを押し付けるという、高度にしてアホな心理戦が繰り広げられている。

 

 早坂は飛び切りの微笑みを浮かべ、声に圧を込める。

 

「光くん、あーん」

 

 早坂の可愛さと卑怯さに、亨の情緒が揺れる。

 

 ——人の気も知らないで……!

 

 ならばと亨は、自分の小皿のケーキをフォークですくい、早坂に向けた。

 

「早坂さん、あーん」

「……っ」

 

 早坂の頬がピクリと痙攣した。

 

 目には目を、歯には歯を、あーんにはあーんを。

 当然、早坂の胃も限界を超えている。

 両者譲らぬ一騎打ちだ。

 

「姑息ですね、光くん」

「どの口が言うの?」

 

 ケーキを突きつけ、互いにあーんをする男女。しかしその表情は険しい。

 

「光くん、あーん」

「早坂さん、あーん」

「あーんっ」

「あーん」

「あーん……!」

「あーん!」

「あーん!?」

「あーんっ!!」

 

 これまでの人類史にあっただろうか、これほどまでに醜い、あーんの応酬が。

 過程や方法などどうでもいい。とにかく相手にケーキを押し付けられればそれでいいのだ!

 

 あーんの戦いの均衡は、突如割って入った声によって中断された。

 

「あなたたち……何をやってるの……?」

 

 風呂上がりで、若干頬を上気させたかぐやが、ケーキを相手の口元に押し付け合う亨と早坂を、冷たい目で見つめていた。

 

 亨と早坂は、かぐやの方はちらとも見ずに応じる。

 

「かぐや様、聞いてください。光くんが私のあーんを拒絶するんです。私がこんなことするのは、光くんだけだというのに」

「聞いてよ四宮さん。早坂さんったら照れちゃって、おれのあーんを受け取ってくれないんだ」

 

 かぐやは、笑っていいのか呆れていいのか分からないとばかりに、頬をぴくぴくさせた。

 

「バカなの、あなたたち……」

 

 こぼれ出たかぐやの言葉に、二人の矛先はかぐやへと向けられる。

 

「光くんがどうしても食べないと言うなら仕方ありませんね。かぐや様、ご一緒にどうですか?」

「それは名案だね。四宮さん、三人で夜のティーパーティと行こうよ」

 

 二人の提案に、かぐやは素っ気なく返す。

 

「こんな時間に食べたら、太るんじゃないですか?」

 

 軽率なかぐやの発言に、亨と早坂の瞳から光が消えた。

 団結とは共通の敵を前にして生まれるもの。亨と早坂の共通の敵は、今、目の前にいる。

 

 次の瞬間、狩りをするネコの如き素早さで、早坂はかぐやの背後に回り込み、間髪入れずに羽交締めにする。

 亨はケーキを載せた小皿を手に、ゆらりとかぐやの眼前に迫る。

 

「ちょ、ちょっと何なの、二人とも?」

「光くん、この素晴らしく*上品な褒め言葉*なケーキを、是非ともかぐや様にも味わってもらいましょう」

「そうだね早坂さん。こんなに*素敵な賞賛の言葉*な美味しいケーキを、俺たちだけが食べるなんて申し訳ないよ」

 

 自由を奪われたかぐやの頬を、冷や汗が伝う。

 

「あ、あの、二人とも? 今のは、その……失言というか、何というか……」

「…………」

「…………」

「ちょっと、何で黙るの!? 早坂、放しなさい! 減給にするわよ! 光くんも! この私に向かってその態度は……!」

「「いいから食え!!」」

 

 その夜、四宮家別邸に、令嬢の断末魔がこだました。

 

 

 

 

 

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