「そういや、レミリア。あんたたちって師匠と仲良いわね」
桜の残り香が漂う午後のことだった。
ふらりと博麗神社を訪れた私は、いつものように静まり返った境内の景観を眺めながら、縁側に腰を下ろしていた。賽銭箱の横で手持ち無沙汰そうにしていた霊夢と、とりとめのない世間話を交わしながら、ぬるくなったお茶に口を付けたその時、霊夢がふと思い立ったように、私へ視線を向けて尋ねてきた。
「霊夢の師匠と言うと…あー、夕雲の事?」
「そう、それ」
「”それ”扱いって…夕雲の普段の扱いが知れるわね。……まぁ、それなりに仲良くさせてもらってるわ。それがどうかしたの?」
夕雲の神社での立場に呆れ混じりに溜息をつきながら、私は片手を頬に当て、湯飲みを膝上に置く。ぬるくなったお茶の表面が静かに揺れた。
「いや、ね。あんたと夕雲が案外仲が良い事が意外で。ほら、この間の宴会の時も一緒にいたじゃない?」
この間の宴会と言うと、真夜異変が無事に解決したことを祝う宴会の事だろう。
普段は人混みや騒がしい場所を嫌い、紅魔館の地下で静かに過ごすことが多いフランも、あの夜ばかりは珍しく自ら宴会の席へと足を運んでいた。
久しぶりに自分の能力で壊れない
「それであんたたちが師匠と仲良い理由がちょっと気になったの。ほんと、それだけよ」
霊夢は膝を抱え直し、どこか手持ち無沙汰そうに境内の木々に視線を遊ばせる。
ふ~ん、なるほどね。
私は手元にある湯呑みをじっと見つめ、ぬるくなったお茶の表面に映る己の瞳を静かに揺らした。あたたかな日差しが照らす境界の境目で、遠い記憶の残滓をすくい上げるように息を吐く。
「ま、簡単に言えば、親を殺し殺された仲ね」
「は?…なんで仲良いわけ?」
破綻した一言に、さすがの霊夢も言葉を失ったらしい。私はそのあからさまな反応がおかしくて、ふっと唇の端を吊り上げると、湯呑みを縁側に置いた。
「しょうがないわね。ちょっとだけ教えてあげる」
私にとって、夕雲は不倶戴天の仇だった。
ただの比喩や言葉の綾などではなく、文字通り「君
それがたとえ、幻想郷を支配しようとした私たちがただ敗北した結果だとしても、逆恨みだとしても私は彼女を憎まずにはいられなかった。
「ねぇ、パチュ。心臓を抉っても死なないアイツ、どうやったら殺せると思う?」
静まり返った大図書館の奥深く、羊皮紙と古書の匂いが充満する図書館で、私は机に肘をつきながら不機嫌そうに呟いた。
「…博麗の巫女のこと?」
山積みになった厚い魔導書の間から、パチュがゆっくりと顔を上げる。紫色の瞳を少し細め、手にしていたペンを置いた。
「そう、それ」
「それって…レミィのなかでの博麗の巫女の扱いが……いやまぁ当然ね」
「パチェは悔しくないの?」
私は詰問するように爪を机に立てた。カン、と重い木調の音が静寂な図書館に小さく響く。
「そうね。たしかに良くしてもらっていたのは確かで恩義もある。けど、
パチュは淡々とした調子で答えながら、開いていた魔導書のページを静かにめくった。その表情には、私のような焦燥の色はなく、客観的で冷めた静けさが漂っている。私とお義父様の間の関係を知っているからこそ、自分の立場と感情を明確に切り分けているのだと分かった。
「話を戻すけど、博麗の巫女は殺すべきではないわ。博麗の巫女はこの幻想郷を楽園たらしめる機構。博麗の巫女が死んだりしたら、私たちもどうなるかわからない。一番考えられるのが、私たち全員、外の世界で幻想として消える事ね。ま、あんな馬鹿げた存在が死ぬことなんて、そうそうないと思うけど」
「そんなこと、私だって分かっているわよ」
私は苛立ちを隠さずに鼻を鳴らし、椅子の背もたれに深く体重を預けた。
あの博麗の巫女が赤と白の衣を纏い、博麗の巫女として大結界を維持していることくらい、知っている。だからこそ、余計に腹が立つのだ。父を奪った仇が、この世界の平穏を保つ大黒柱として涼しい顔で君臨しているという事実が。
「はぁ~どうしたものかしら」
パチェが深いため息を吐く。手元の魔導書をパタンと重い音を立てて閉じると、酷く痛む頭をあやすように目元を押さえた。
「レミィ、正直言って、私は博麗の巫女を殺すのは反対だわ。私は死にたくないし、貴女を死なせたくない」
「はいはい、心配ありがと」
私は気のない返事を返しながら、爪の先で机の端を軽やかに叩いた。カン、カン、と硬い音が図書館の暗がりに空虚に弾ける。私の目線は既に、ここではないどこか――地下へ続く薄暗い廊下へと向けられていた。
「ちょっと真面目に聞きなさい。博麗の巫女を殺すのは反対だけど、貴女のその蟠りを何とかしてあげたいというのも事実」
パチェは椅子から身を乗り出し、私を射貫くような強い眼差しを向けた。その声音には、いつもの物静かな彼女からは想像もつかないほどの真剣さが滲んでいる。
「……」
私は叩いていた爪を止め、パチェの言葉に耳を傾ける。彼女がただの保身や気休めで引き留めようとしていないことくらいは、長い付き合いゆえに分かっていた。
「だから、正々堂々ゲームをしましょう。一度だけ、本当に一度だけ……私も全力を尽くして、あの巫女を殺す策に協力する。けれど、もしその一度で殺し切れなかった時は、二度と『復讐』なんて言葉を口にしないと誓いなさい。どう?」
「一度だけ、ね……」
私は静かに言葉を噛み締め、唇の端を吊り上げた。
パチェの提示した条件は、私を泥沼から救い出そうとする、彼女なりの精一杯の妥協であり決意なのだと分かったからだ。
ならば、紅魔館を統べる主人として、この大魔女の唯一無二の親友として、私は彼女が差し出したこの進言を、誇り高く受け入れなければならない。
「いいわ、乗った。一度きりの千載一遇の好機……私のすべてを賭けてやるわ」
パチェの頭脳と私の「運命を操る程度の能力」があれば、きっと巫女を殺し、私はお義父様の仇を取ることが出来る。
「で、どういう作戦を取るつもりなの、レミィは?」
パチェは静かに尋ねながら、机の端へ置いていた羊皮紙を指先で滑らせた。
「簡単よ。近いうち、あいつは初めての『監査』としてこの館にやってくるわ。その時にフランを紹介するわ。で、その時に、あの子の『ありとあらゆるものを破壊する能力』で、肉体も存在も跡形もなく粉砕させれば、終わりよ」
私の迷いのない言葉に、パチェは即座に首を横へ振った。
「……レミィ。それだけじゃ足りないわ」
「なによ。フランの力でも不十分だって言うの?」
「確かに妹様の破壊力そのものは本物よ。でもね、あの巫女の権能は現象の巻き戻しよ。妹様が『目』を握り潰すその一瞬の隙に、彼女が能力を発動させたらどうするの? コンマ数秒でも巻き戻しが始まれば、妹様の攻撃すら最初からなかったことにされるかもしれない」
パチェは「それに妹様の能力の行使は目を握りつぶすという動作が必要になるわ。本来なら、隙とも言えないようなモノだけど、あの巫女ならばその隙に止めてくるかもしれない」と続けた。
う~む、確かに一理あるかもしれない。だが、あの巫女の能力の発動を止める方法なんて考え付かない…もう手詰まりなのだろうか。
不機嫌そうに眉をひそめる私に対し、パチェは目を閉じて考え込んでいる。
「レミィ、先代当主様の『銀時計』はあるのよね?」
「あれ?確かにあるけど、槍と違って、私は使えないわよ?」
元々は人間のお義母様の持ち物だったという『銀の懐中時計』。神聖な純銀で出来ているせいで、吸血鬼である私には触れることすら忌々しく、上手く扱うことが出来ない。お義父様は「慣れれば簡単だよ」などと言っていたが……あの人は根性で拒絶反応を押し殺して使っていただけだ。私にそんな真似ができるのだろうか。
これはパチェも同じ。時を地めるほどの魔道具なのだ。一瞬ならば機能するかもしれないが、瞬時に魔力や体力を吸い取られてしまうだろう。頼りになり親友でも無理ならば、消去法的にも私が使うしかないのだろう。
それに、どれほど皮膚が焼き焦げようと、お義父様の遺品を扱い、仇を討つ役割を他人に譲るつもりなんて毛頭なかった。
それから特訓に次ぐ特訓だった。パチェも私が銀時計を痛みなく扱えるように様々な研究をした。銀を触れることによる痛みならば、手袋などをして間接的に触れたり(聖なる気配がダメなので失敗)、聖なる気配が届かないほどの遠くから棒を使ってみたり(距離のせいか魔力が流れずしっぱお)などと、試行錯誤を繰り返したが、どれも根本的な解決にはならなかった。
(これはもう少し時間がかかるかもね…)
いつも通り銀時計を執務室の机に置き、私はしばらく窓際で黄昏る。
「お嬢様、お夕食の準備が整いました」
そうして、扉が静かに開かれ、落ち着いた声と共に深々と頭を下げたのは、この紅魔館に珍しい人間のメイド――咲夜だった。
「ええ、分かったわ。すぐに行くわね」
短く答えて席を立とうとした時、ふと部屋の隅々に視線を走らせ、微かな違和感を覚えた。
そういえば、ここ最近の紅魔館はやけに手入れが行き届き、どこを見ても塵一つなく美しく磨き上げられている。それだけではない。以前よりも廊下や部屋の空間そのものがどこか広々として心地よく、出される料理も日に日に豪勢なものへと変わっていた。
(……もしかして、パチェかしら)
私が銀時計の拒絶反応に苦しみ、連日血の滲むような特訓を重ねているのを見て、彼女なりに気遣ってくれているのかもしれない。私に過酷な痛みを強いていることに負い目を感じて、せめて館の居心地を良くしようと生活の質を上げる魔術を裏で色々施してくれているのだろうか。
「もう、本当にお節介なんだから……」
私は小さく苦笑を漏らした。彼女の不器用な優しさに胸の奥が少しだけ温かくなりながら、私は案内してくれる咲夜の後ろをついて、重厚な廊下を歩み進めた。
「なにそれ、全然知らないわよ」
「あれぇ?」
食堂で料理を口に運びながら尋ねた私に、パチェは心の底から心当たりがないといった顔で首をかしげた。
「館が綺麗で広い? 料理が豪華?……生活改善の魔術を使う暇も魔力もないわよ。私はここ連日、銀時計の聖なるオーラを無効化するための研究で手一杯」
「じゃあ、一体誰が……?」
私が首をひねると、パチェはテーブルに肘をつき、疲れたように溜息をついた。
「いま取り組んでいるのは、ギリシャ神話の魔術に由来する術式よ。……その神は魔術の神であると同時に、古代においては『月』の神でもあったとされる存在なの。で、銀が神聖である要因である月を司る存在の加護を重ねることで、銀時計が発する聖なる気配を魔力で中和し、貴女への拒絶反応を殺せないかと試行錯誤しているのだけれど……」
「月の神の魔術……」
「ええ。でも、その研究だけでも時間と魔力を使っているのに、館を綺麗にしたり豪華な食事を作る無駄な魔力なんて、私にはないわ」
その言葉に、私は思わずスープを運んでいた手を止めた。
親友の仕業でないのだとすれば、この不自然なほど快適な紅魔館の環境は、一体誰の手によるものなのだろうか。
パチュとの妙に噛み合わない会話に不気味な首をかしげながら、私は食後の紅茶もそこそこに立ち上がる。
静まり返った重厚な廊下を歩く。
足音すら吸い込む深紅の絨毯、磨き上げられた壁面の燭台、そしてどこか以前よりも奥行きを増したように感じられる天井。パチェの魔術ではないとすれば、一体誰がこの館に手を加えているというのだろう。胸の中に小さな燻りを残したまま重い木製の扉を開け、私は自室の執務室へと足を踏み入れた。
そして、部屋の空気を感じ取った瞬間に、異様な違和感が肌を刺した。嫌な予感に駆られ、私はすばやく部屋の奥へと視線を走らせた。
ない。
つい先ほどまで確かにそこにあったはずの銀時計が跡形もなく消え失せていた。
「嘘でしょう……?」
誰かが侵入して盗み出したというのか?
いや、この紅魔館は外の世界から幻想入りして以来、この幻想郷において不可侵に近いタブーとされる存在だ。ここに無体な手を出せば、幻想郷の賢者たちの顔に泥を塗ることと同義であり、相応の報いを受けることになる。そもそも、そんなリスクを鑑みる頭もないような弱者は、この館の敷居を跨ぐ前に脱落しているはずだ。ならば、外部からの侵入者は考えなくていい筈だ。
「……となれば、内部犯か」
私は眉をひそめると、右手を静かに差し出し、己の『運命を操る程度の能力』を解き放った。
「すいません、お嬢様。御時計を少々借りていました」
「………………なんて?」
私が能力を行使したと同時に、突如、虚空から現れた咲夜が銀時計を返しに来た。銀のチェーンを静かに揺らし、恭しく私へと差出された手のひら。そこには、つい先ほどまで私が死ぬ思いで触れていた、あの神聖な純銀の懐中時計が何事もなかったかのように納まっていた。
「ですから、こちらの御時計を少しお借りしておりましたのですが……どうかなさいましたか?」
「どうかしたって……?いや、ちょっと待ちなさいな」
どうやって何もないところから現れたのか。なぜ銀時計の力を利用できているのか。そもそも主人の私物を勝手に使うな。というか、銀時計を使っていたのは何故?本当になんで使えるの?と言うか、咲夜って何者?なんかノリで従者にしたけど…私たちの苦労は?
私の頭の中で、いくつもの思考が凄まじい勢いで交錯し、激しく衝突する。
「よし、一つずつ質問するわね」
「ええ、どうぞ」
「そもそも、なぜ銀時計を使ったの?なぜ使えるの?どうやって使ったのよ」
「仕事を滞りなくこなすための時間を捻出することと、サボ…休憩時間を確保するためです。なんとなく構造を少し観察しながら弄っていたところ、勝手に時が止まりましたので、なぜ使えるかどうかは私にも分かりません。というか、皆さん使えないんですね。後、お嬢様、質問が一つではありません」
「ツッコミどころが多すぎるから、質問が増えるのは当然でしょう」
私はこめかみを指で押さえながら、大声で叫びそうになるのをどうにか抑え込んだ。目の前で涼しい顔をしているこいつは、自分がどれほど異常なことを口にしているのか、全く分かっていないらしい。
「お義父様の魔道具をいじくり回して時を止めたっていうの!? というか『弄ってたら勝手に止まった』って何よそれ! 私があの強烈な拒絶反応で手を焼き焦がしながら、どれだけの激痛に耐えて特訓したと思ってるのよ!」
「お嬢様が手をお焦がしに……? それはいけませんね。後ほど傷に効く薬草をご用意いたします」
「もう直ったからいいわよ!」
「それはよかったです」
噛み合っているようで、噛み合わないやり取りに、私は頭痛すら覚えてきた。
「……咲夜、貴女。まさかとは思うけれど、館の手入れが急に完璧になったのも、廊下が広くなったのも、豪華な料理がすぐ出てくるのも……全部、その銀時計で時を止めて作っていたわけ?」
「ええ。屋敷の手入れも調理も、時間を止めれば私一人で幾らでも時間をかけられますから。空間の拡張に関しても、サボり部屋…失礼、訳あってコツを掴みましたので」
「コツ……? 時空を伸ばすコツ……?」
絶句した。完全に絶句した。
このメイド、素質があるどころの騒ぎではない。人間でも毒になりそうなほどの浄化のオーラを一切受け付けない体質であり、なおかつ時間を操る概念を感覚だけで完璧に理解し、応用してみせているのだ。
(……待ちなさい)
混乱の渦中で、私の脳裏に雷が落ちたような衝撃が走った。
私が血の滲むような特訓をしなくても。
パチェが白目をむきそうになりながら研究を重ねなくても。
神聖な銀の痛みに耐え、あの巫女の時間を止める触媒として完璧な存在が今、目の前に平然と立っているではないか。
「……咲夜」
「はい、お嬢様」
「貴女、その銀時計……これからも完璧に使いこなせるわね?」
「ええ。慣れましたので、何の問題もございません」
私は静かに、けれど深く息を吐き出すと、唇の端を吊り上げて狂おしいほどの笑みを浮かべた。
やはり、運命は私の手に在る!
「ふふ……あはははっ!良いじゃない!最高だわ、咲夜!」
「……お嬢様?」
「決まりよ。咲夜、貴女に最高の仕事を命じてあげるわ」
お義父様の遺品を咲夜に扱わせ、あの巫女の時を止めさせる。そして無防備になったアイツを、フランに粉々に砕かせる。
灯台下暗しの勝利の女神が、我が紅魔館に舞い降りた瞬間だった。
「急に気味が悪いほど気分を上げられても、少々不気味なのですが……お嬢様?」
「もう!締まらないんだから!」
想像以上に長くなったので分割です。本当になんでこんなに長くなった?
こんな感じで日常をコトコト煮詰めた話を永琳博士シリーズで書きたいんですよね。そのためには一度書いたものを全消すする必要があり…フフ、ままならないね。
ちなみになんですが、実際のドラキュラ伝説では銀は別に弱点でもなんでもなかったようです。
一応、鏡に映らない原因が、当時の鏡には銀メッキで作られていたから…と言われるぐらいですかね。
では、なぜ銀が吸血鬼の弱点とされるようになったのか?
それには1941年のハリウッド映画『狼男』が関係しています。この映画では不死身の怪物である狼男を殺すための武器として、銀の弾丸がアイデアとして採用されました。この映画の影響により、銀は邪悪なるモノ、不死なる怪物を倒す武器として地位を確立していったのです。当時はモンスター映画ブームの真っ只中だったのも一役買ってそうです。
じゃあ、なぜ『狼男』では銀を武器として採用したのか…これにはグリム童話の説話の『二人兄弟』からで……長くなりそうなのでカット。
にしても、月ってやっぱ興味深いですよね。神聖で穢れがないイメージがありながらも、狂気的で魔力の元ともされる。世界各地での月のイメージ分布とか調べたら面白そう。
紅魔館の面々は銀の懐中時計が時間に作用することは知っていますが、対象の時を止めたりする事は出来ないのは知りません。