ダンジョンでモンスターと戦うのは間違っているだろうか   作:アイル123321

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誤字脱字など変なところがあったら教えてください!


未完の新人と、未熟なマスター

「れ、レベル2……!? 一ヶ月半で、ランクアップ……!?」

 

迷宮都市オラリオの頭脳とも言えるギルドの受付。その一角で、エルフの受付嬢エイナ・チュールは、手元の報告書と目の前の白髪の少年を交互に見つめながら、ひっくり返った声を上げていた。

いつもは冷静沈着で、お姉さん気質を崩さない彼女の眼鏡が、驚きのあまり今にもずり落ちそうになっている。

 

「はい……。神様にステータスを更新してもらったら、上がれるようになっていて。それで、昨日の今日でランクアップを……」

 

ベル・クラネルは、気恥ずかしそうに頬を掻きながら、いつも通りの気弱な笑みを浮かべた。

だが、エイナの衝撃はそんなものでは収まらない。彼女はガタッと椅子を鳴らして立ち上がり、ベルの両肩を掴んだ。

 

「驚くなんてレベルじゃないわよ、ベル君! 一ヶ月半でのランクアップなんて……これまでの歴史を全部ひっくり返す、世界最速よ!? あの【ロキ・ファミリア】の『剣姫』ですら、レベル2になるのに一年はかかったのよ!?」

 

「へ、へえ……そうなんですか……?」

 

「そうなんですか、じゃないわよ! もう、本当にどれだけ心配させれば気が済むの……!」

 

エイナは呆れと、それ以上の深い安堵をため息に変えて息を吐き出した。死地を潜り抜け、怪物の王に単独で打ち勝った少年。その背中には、確かな『偉業』の重みが刻まれている。

エイナから盛大な祝福と小言をセットで貰い受けたベルは、足取りも軽く、本拠地へと向かった。

 

 

【ヘスティア・ファミリア】の本拠地である廃教会の地下室。

ひんやりとした空気の中に、喜びの歓声が響き渡っていた。

 

「すごい、すごいですベル様! 本当にレベル2になってしまうなんて……!」

 

リリルカ・アーデが小さな手を叩いて飛び跳ねる。その隣では、10歳の少女テリーも、満面の笑みを浮かべていた。

 

「おめでとう、ベルさん!! あの強いミノタウロスを倒しちゃったんだもんね!」

 

「ありがとう、二人とも。でも、なんだかまだ実感はないんだよね…… 強くなったって感覚は特にないし……」

 

ベルは自分の両手を見つめ、握ったり開いたりしている。

 

「ふふん、無理もないですよ。ですが、これでお金稼ぎもぐっと楽になりますね」

リリが抜け目なく算盤を弾くような仕草を見せる中、ふと思い出したようにテリーの顔を見た。

「まあ、ベル様も凄まじいですが、テリー様も大概ですけどね……。まさか、あの武装したミノタウロスを本当に従えてしまうなんて、リリは今でも夢を見ているんじゃないかと思いますよ」

 

「えへへ、アステルはもう私たちの家族だもん。今はモンスターファームでルゥとフロッピーと仲良くしていると思うよ!」

 

テリーは無邪気に笑うが、リリの言う通り、世間がベルの『最速』に目を奪われている裏で、テリーの成し遂げた『未知の使役』もまた、オラリオの常識を根底から揺るがす異常事態だった。

 

「まぁ、とりあえずゆっくり神様の帰りを待とうか。今日はちょうど、3ヶ月に一度の『神の会合(デナトゥス)』の日だからね」

 

ベルの言葉に、リリとテリーがコクりと頷く。

ランクアップした冒険者には、神々の遊び心と悪意が入り混じった『二つ名』が与えられる。それが今日、決定するのだ。

 

 

その頃、主神ヘスティアは、北西のメインストリートにある巨大なギルド本部の神殿にて、冷や汗を流しながら神々の怒号と嘲笑の中にいた。

 

「おい、ヘスティア! あの白髪の坊や、一ヶ月半でレベル2だと!? どんなチートを使ったんだ!」

「二つ名か……そうさね、『早漏兎(ラビット・フット)』なんてどうだい?」

 

「お前たち、ふざけるなー! 僕の可愛いベル君に変な名前をつけるんじゃない!!」

 

ヘスティアは必死に声を張り上げ、神々の悪ノリを食い止めようと奮闘していた。変な二つ名がつかないように、とにかく無難な、目立たない名前を勝ち取るために、彼女は神としての威厳(と、少々の泥臭い交渉)をすべて注ぎ込んだ。

 

夕方になり、リリが自身の宿舎へと帰宅した後。

廃教会の広い礼拝堂を、ベルとテリーが一本の箒を分け合うようにして掃除していた。

 

「ベルさんの二つ名、なんだろうね。歴史の英雄みたいに『光の騎士』とか、そういうのかな?」

 

「いやいや、テリーちゃん、そんな大層な名前、僕には似合わないよ……。でも、ちょっとだけ……本当にちょっとだけ、格好いい名前だと嬉しいな、なんて」

 

二人がそんな妄想と期待を膨らませて話し合っていると、教会の扉が勢いよく開いた。

 

「ただいま戻ったぞー、二人とも!」

 

「あ、神様! お帰りなさい!」

 

ヘスティアは、勝利をもぎ取ってきたと言わんばかりに嬉しそうに胸を張っていた。

 

「神様、それで、僕の二つ名は……?」

 

ベルが身を乗り出して尋ねると、ヘスティアは懐から一枚の羊皮紙を取り出した。

 

「うむ。神々の悪意に満ちた包囲網を、この僕が見事に突破して勝ち取ってきたぞ。ベル君の二つ名はこれだ!」

 

広げられた紙に書かれていた文字を見て、ベルは瞬きを繰り返した。

 

「……『未完の新人(リトル・ルーキー)』?」

 

「そう! どうだい、文句なしに無難だろう! 変な変態じみた名前をつけられるよりは、百万倍マシさ!」

 

ヘスティアは誇らしげだが、ベルは「あはは……」と肩を落とした。

「未完の新人(リトル・ルーキー)」。確かに傷つかない名前ではあるが、英雄への憧れを抱く少年としては、いささか無難すぎて少しばかりがっかりしてしまったのが本音だった。

 

それを見たテリーが、ベルの服の裾を引っ張って、顔を覗き込んできた。

 

「いいじゃん、ベルさん! 『リトル・ルーキー』って、なんかこれからどんどん強くなっていくぞ、って感じがして、私はすごく格好いいと思うな!」

無邪気にはしゃぐテリーの笑顔に、ベルも救われたように微笑んだ。

 

「うん……そうだね。ありがとう、テリーちゃん。この名前に恥じないように、これからもっと頑張るよ」

 

 

その日の夜。ベルのランクアップ祝いを兼ねて、3人は活気あふれる酒場『豊饒の女主人』を訪れていた。

リリも合流し、賑やかな喧騒の中で木製のテーブルを囲む。

 

「……やっぱり、ちょっと無難すぎだよね?」

 

ベルはジョッキに入った果実水をちびちびと飲みながら、リリに愚痴をこぼしていた。

 

「まあ、リリとしては変に目立つ名前をつけられて、他の派閥から余計な嫉妬を買うよりは良かったと思いますよ。ただ……確かに少し無難すぎますね、ひねりが無いというか」

 

リリがもっともらしく頷いていると、トレイに山盛りの料理を載せたシル・フローヴァと、リュー・リオンが静かに歩み寄ってきた。

 

「私は素敵だと思いますよ、ベルさん。これからどんな色にも染まれる、素敵な二つ名です」

シルが柔らかく微笑みながら、大きなローストチキンの皿を置く。

 

「クラネルさん。レベル2へのランクアップ、おめでとうございます。」

リューもまた、鋭くも温かい瞳をベルに向け、エールのグラスをテーブルに並べた。

 

「あ、シルさん、リューさん。ありがとうございます!」

 

ベルが礼を言ったその瞬間、酒場の中が一時的にざわついた。

「おい、今『クラネル』って言ったか?」

「あの白髪の……じゃあ、あいつが例の『世界最速』かよ」

周囲の冒険者たちから、好奇と驚愕、そして一抹の嫉妬が混ざった視線がベルに集中する。居心地悪そうに身を縮めるベルを見て、リリがジト目をリューに向けた。

 

「ちょっと、リュー様。わざわざ大きな声で名前を呼ばなくてもいいじゃないですか。ベル様が注目されてしまいます」

 

「すまない、配慮を欠いた。……ですがアーデ、私たちはミア母さんから『シルとリューをそこの席に貸してやるから、その分しっかり金を落とせ』と伝言を預かっているのです」

 

「やっぱりただの営業活動じゃないですかー!」

リリのツッコミに、テリーが「あはは」と声を上げて笑う。

 

「まあまあ、リリちゃん。せっかくのベルさんのお祝いなんだからさ! かんぱーい!」

テリーが果実水のグラスを掲げると、全員のグラスが中央でぶつかり、快い音が響いた。

 

食事が一段落した頃、リューがふと真剣な表情になってベルを見つめた。

 

「クラネルさん。ランクアップしたということは、これから活動の場を『中層』へ移すおつもりですか?」

 

「はい。体をもっと慣らしてからですけど、そのつもりです」

 

ベルが答えると、リューは少し目を伏せ、それから静かに首を振った。

「差し出がましいことを言うようですが……まだ13階層より下へは行かない方がいい」

 

その言葉に、リリが真っ先に不服そうな顔をして身を乗り出した。

「リュー様、それはどういう意味ですか? リリとベル様、そしてテリー様たちのパーティでは、中層には通用しないということですか?」

 

「そうではありません。」

リューの声には、かつて深層までを経験した元・第一級冒険者としての重みがあった。

 

「上層と中層は、全くの別世界です。モンスターの個々の強さ、一度に出現する数、出現頻度。あらゆるもののレベルが数段階跳ね上がります。レベル2が一人、レベル1が一人、そして優秀なサポーターが一人いたとしても、処理能力の限界を超えて囲まれれば、一瞬で全滅に至る。中層を目指すのであれば、前衛であれ後衛であれ、もう一人は確実にパーティに人員を加えるべきです」

 

リューの冷徹なまでの正論に、ベルは考え込むように黙り込んだ。

確かに、自分の一瞬の判断ミスが仲間の命を奪うかもしれない。レベル2になったとはいえ、過信は禁物だ。

 

しかし、リリの内心は少し違っていた。

(……普通のパーティなら、リュー様の言う通りです。でも、今の私たちにはテリー様がいます。テリー様のモンスター達がいればそこまで切羽詰まった人員不足ではないはず……)

 

リリはテリーの『モンスターマスター』としての隠された爆発力を計算に入れていた。

一方のテリーは、チキンをモグモグと食べながら、言葉には出さないものの、別の意味で胸を躍らせていた。

(中層……上層とは全然違うモンスターがいっぱいいるんだよね。どんな魔物に出会えるんだろう。新しい仲間、たくさんできるかな……!)

不穏な空気を余所に、10歳の少女の心には、未知への純粋なワクワク感が広がっていた。

 

 

次の日。

【ヘスティア・ファミリア】の3人は、ダンジョンの第12階層へと足を踏み入れていた。リリの提案による、試験的な「中層進出の検証」である。

 

「昨日、リュー様には13階層以下は止められましたが、それはあくまで通常のパーティの話です。テリー様と、仲間モンスターの皆様がいれば、中層でも問題なく戦えるのではないか、とリリは踏んでいます。なのでここ12階層で問題がないようなら、改めて13階層への本格進出を考えましょう」

 

リリが地図広げながら先導する。上層よりも天井が高く、岩肌が赤みを帯びてきた迷宮を進み、3人は他の冒険者の目が届きにくい、開けた大部屋へと行き着いた。

 

「よし、それじゃあアステル、おいで! ゲートオープン!」

 

テリーが腰のタイトルを掲げると、まばゆい光の粒子が部屋の中に満ち、そこから巨大な、あまりにも巨大な牛頭の怪物が姿を現した。

背中に背負った大剣。鋼のように鍛え上げられた筋肉。第9階層で死闘を繰り広げた、あのミノタウロス――アステルである。

 

「ブモォン……」

アステルは静かに咆哮を上げ、テリーの前に恭しく膝をついた。

 

「うわぁ……やっぱり近くで見ると、ものすごい迫力だね」

ベルが少し腰を引かせながら苦笑する。リリもまた、何度も見たはずの光景ながら、本能的な恐怖に背筋を震わせた。

 

「よし、アステル! 今回はルゥとフロッピーはお休みだから、アステル一人でどこまで戦えるか見せてね!」

 

「ブモッ!」

 

その時、部屋の奥の壁が激しく剥がれ落ち、中層のモンスターが姿を現した。

ゴブリンなどとは比較にならない巨体を持つオーク、そして俊敏な動きで迫るニードル・ラビットの群れだ。

 

「来ました! ベル様、テリー様!」

 

リリが叫ぶより早く、アステルが動いた。

地響きを立てて突進したアステルは、背中の大剣を抜くことさえせず、ただその巨大な丸太のような腕を一振りした。

 

「――ブモォッ!!」

 

ドガァァァン!!と、凄まじい衝撃音が部屋に響き渡る。

それだけで、迫り来ていたオークの巨体が文字通り消し飛び、背後の岩壁に叩きつけられて一瞬で魔石へと変わった。さらに、逃げようとしたニードル・ラビットの群れを、その巨大な足で容赦なく踏み潰していく。

 

上層最上位のモンスターたちが、まるで赤ん坊のように蹂躙されていく。

 

「す、すごい! アステル、めちゃくちゃ強いよ!」

純粋に飛び跳ねて喜ぶテリー。しかし、それを見守るベルとリリは、あまりのレベルの違いに、若干、いや、完全に引き気味だった。

 

「……リリ。これは中層行けるかもね……?」

 

「……そうですね、ベル様。中層最強クラスのモンスターが、上層のモンスター相手にするとこんな感じになるんですね……。これ、私たちは後ろで見てるだけで良いのでは?」

 

「あはは……。でも、僕もちゃんと戦わないと、レベル2の力も試したいしね!」

 

ベルは苦笑しながらも、新しく湧き出てきたモンスターへ向かって飛び出した。

最初はレベル2に上がったことによる認識と肉体の感覚のズレに苦しんだが、アイズとの特訓を思い出しながら、徐々に感覚をアジャストしていく。

 

数戦をこなす頃には、ベルは流れるような動きで上層の最上位モンスターを一刀両断できるようになっていた。

 

「さすが、ベル様も素晴らしい適応力です。これなら、中層への進出自体は全く問題なさそうですね」

リリが満足そうに頷く。だが、周囲の時計を確認し、パチンとノートを閉じた。

「ですが、アステル様の戦力確認も出来ましたし、時間的に今日はここまでにしましょう。深追いは禁物です」

 

「うん、そうだね。帰って神様にお土産を買っていこう!」

テリーがアステルを光の渦へと戻し、3人は意気揚々と地上への帰路についた。

 

 

次の日。

昨日の探索が順調だったこともあり、ファミリアとしては一日、休息日(オフ)とすることになった。

 

ベルは、新しく新調するための防具を探しに、中央広場にある大きな防具屋へと向かっていた。昨日、中層の攻撃を受けた際、これまでの軽装では少し心許ないと実感したからだ。

特に、頑丈で信頼できると噂の「ヴェルフ・クロッゾ」という鍛冶師が作った防具を探して、店内の棚を巡っていた。

 

しかし、お目当ての品が見つからない。店主に場所を聞こうとしたその時、店の奥で大きな怒鳴り声が響いた。

 

「だからよぉ! なんで俺の作った防具を、こんな埃を被るような端っこの棚に追いやるんだよ!」

 

声を荒らげていたのは、燃えるような赤髪を持った、ガタイの良い青年だった。店主ともめているらしい。

店主は青年の言葉を適当にあしらっていたが、ふと店に入ってきたベルの姿に気が付き、救われたように青年を遮って声をかけた。

 

「おや、いらっしゃいませ! 何かお探しですか?」

 

「あ、はい。あの……『ヴェルフ・クロッゾ』さんの防具を探しているんですけど、どこにありますか?」

 

ベルがそう尋ねた瞬間、店主の顔が引き攣り、隣にいた赤髪の青年がガタッと音を立てて振り返った。その目は驚きに見開かれている。

疑問に思ったベルが首を傾げると、赤髪の青年はニカッと白い歯を見せて笑い、自身の胸を叩いた。

 

「あるぜ、ヴェルフ・クロッゾの防具! なんたって、それを作った本人が目の前にいるんだからな!」

 

「えっ!? あなたが、クロッゾさん……!?」

 

これが、後にベルの生涯の友となる鍛冶師、ヴェルフ・クロッゾとの運命の出会いだった。

ベルが彼の防具を購入した後、ヴェルフは「少し話をしようぜ」とベルを誘い、店外のベンチで話し込むことになった。

 

「クロッゾさん、本当に格好いい防具をありがとうございます」

 

「おいおい、クロッゾって呼ぶなよ。俺のことはヴェルフでいい。それよりさ、ベル……お前、俺と直接契約を結ばないか?」

 

「え? 直接契約、ですか?」

ベルが目を丸くする。直接契約とは、特定の鍛冶師が特定の冒険者の専属となり、武器や防具のメンテナンスから新作の提供までを一手につむぐ、深い信頼関係の証だ。

 

「そうだ。お前の専属になって、最高の武器でも防具でも作ってやる。……ただ、その代わりと言っちゃなんだが、俺のわがままも一つだけ聞いてもらいたい。もちろん、それに見合う礼はするつもりだ」

 

ヴェルフはそれまでのフランクな態度から一転、真剣な、職人としての、そして一人の男としての熱い眼光をベルに向けた。

 

「……何ですか、そのわがままって?」

 

ベルが唾を飲み込んで尋ねると、ヴェルフは真っ直ぐに少年を見つめ、力強く言い放った。

 

「――俺を、お前のパーティに入れてくれ!」

 

 

ベルが地上で新しい出会いを果たしているその頃、テリーは一人、ウキウキとした足取りでダンジョンへと向かっていた。

 

胸に抱くのは、昨日アステルの強さを確認した時の高揚感だ。しかし、テリーにはまだ達成していない大きな課題があった。

相棒のコボルトであるルゥ、頼れる癒やし手のフロッグ・シューターのフロッピー。そして、新たに加わった武装ミノタウロスのアステル。この「3体」を同時に戦場へ呼び出し、連携を取らせたことは、まだ一度もなかったのだ。

 

「3体が揃ったら、きっとどんな敵にも負けない無敵のチームになるぞー!」

 

小さな拳を握りしめ、テリーは意気揚々と迷宮の階段を下りていく。

だが、そのウキウキとした気分は、階層を進めるごとに少しずつ、冷たい現実へと削り取られていった。

 

テリー自身、ヘスティアから神の恩恵(ファルナ)を授かってはいる。しかし、彼女はあくまでモンスターを導く「マスター」として成長しており、前線で戦う戦士としての成長はまだまだできていなかった。

1階層、2階層と、これまでに何度も通った道を下りていくが、ふと気づけば、いつも隣にいたベルの大きな背中がない。リリの的確な指示もない。

 

「あ……危ないっ!」

 

第4階層の曲がり角。突如飛び出してきたキラーアントの一撃を、テリーは間一髪で身を翻してかわした。手にした訓練用の小さな短剣を必死に突き出し、どうにか魔石へと変える。

 

息を切らしながら、テリーは自分の小さく震える手を見つめた。

5階層に到達した時点で、容赦なく襲いかかってくる魔物の鋭い爪や牙をさばくのに余裕はなくギリギリの戦いとなる。ベルや仲間モンスターがいれば一瞬で片付くような戦いでも、テリー一人の戦闘力では、この5階層を突破するのが精神的にも肉体的にも精一杯だった。

 

(私……一人だと、こんなに弱いんだ……)

 

胸の奥に冷たい塊がポツリと落ちたような感覚を覚えながらも、テリーは首を振ってそれを打ち消した。

「ううん、だからこそのモンスターマスターだもん! 私は私の戦い方をしなくちゃ!」

 

テリーは5階層は6階層への道を諦め人目が付きにくそうな行き止まりの部屋へと向かう。ここなら、他の冒険者に不審がられることなく、全力で訓練ができる。

 

テリーは深く息を吸い込み、腰の魔物部屋のタイトルに手をかけた。

 

「みんな、おいで! ゲートオープン!」

 

まばゆい光の粒子が部屋を埋め尽くし、三つの影が実体化する。

「ワンッ!」と元気に吠えるルゥ。「ゲコッ」と喉を鳴らすフロッピー。そして、「ブモォ……」と重低音の咆哮を上げる巨躯のアステル。

 

「ルゥ、フロッピー、アステル! 今日は初めて、3人一緒の特訓だよ! 向こうから来る敵を、みんなで協力してやっつけよう!」

 

テリーの言葉に応じるように、ダンジョンリザード、ウォーシャドウが現れる。

 

「よし、いくよ! アステルは正面のウォーシャドウを受け止めて! ルゥは右から回り込んでダンジョンリザードをかく乱して! フロッピーは天井からサポート!」

 

テリーは必死に声を張り上げ、小さな手を振って指揮を執った。

3体のポテンシャルは圧倒的だ。アステルが丸太のような腕でウォーシャドウの突進を真っ向から受け止め、ルゥが鋭い爪でダンジョンリザードを引き裂く。

しかし――。

 

「ああっ! アステル、そこだとフロッピーのベロが届かない! ルゥ、後ろからキラーアントが来てる、避けて!」

 

「ワンッ!?」

「ブモッ!?」

 

体格も、戦い方も全く異なる3体を「同時に」「完璧なタイミング」で動かすことは、10歳のテリーの脳にとって、想像を絶する情報量だった。

アステルの巨体が動くだけで部屋の視界が遮られ、ルゥの死角が生まれてしまう。フロッピーが敵を拘束しようとしても、アステルの大剣の軌道と重なりそうになり、咄嗟に攻撃を中断せざるを得ない。

 

「ルゥは左! 違う、アステルの足元! ああ、もうっ、みんなごめんね!」

 

モンスターたちの個々の強さだけで現れたモンスター達を瞬く間に全滅させたものの、そこにあったのは「完璧な群れの指揮」とは程遠い、お互いの足を引っ張り合うような、泥臭く荒削りな乱戦だった。

 

「はぁ……はぁ……、みんな、怪我はない……?」

 

テリーは息を荒らし、その場にペタンと座り込んでしまった。

魔物たちは傷ひとつつくことなく、テリーを心配そうに見つめている。アステルが巨体を屈め、申し訳なさそうに鼻を鳴らした。

 

「ううん、みんなは悪くないの。私の、私の指示が下手くそだから……」

 

テリーは傷ついたわけではない。しかし、床にポタポタと落ちる自分の汗を見つめながら、ぎゅっと拳を握りしめた。

仲間を呼び出せば、中層の魔物だって圧倒できる。だけど、それは「仲間が強い」だけであって、テリー自身が強いわけではない。さらに、自分の不器用な指揮のせいで、みんなの足を引っ張ってしまっている。

 

ベルはあんなに必死に足掻いて、自分の力でレベル2になって、誰もが驚くような英雄への道を歩み始めているのに。

自分は、神様の恩恵をもらって、こんなに凄い仲間たちがいてくれるのに――自分自身は、あの出会った日からは何も変わっていない、ちっぽけで無力な子供のままだ。

 

「私は……弱いなぁ……」

 

ぽつりと呟いたテリーの言葉は、5階層の冷たい中に、寂しく溶けて消えていった。胸に刻まれたその強い劣等感と焦燥感こそが、彼女の心を優しく、しかし確実に蝕んでいくのだった。

 

 

とある国のとある場所

 

穴に埋まった全身がピンクの毛でおおわれた生き物が、ふんぞり返りながらブツブツと文句を垂れ流していた。

 

「あー、カメハの野郎のせいでこんなことになっちまって。昨日、イルとルカのガキどもに『マルタのへそ』の代わりを任せるって言っちゃったけどよぉ……」

 

その生き物は、不機嫌そうにため息をついた。

 

「いくら素質がありそうだからって、この国の存続なんて、流石にあのガキ二人じゃ荷が重すぎて心配だな。手が回りきらなくて、マルタが海の底にドボンしちまったら、俺様も消滅しちまう!」

 

その生き物は虚空を見つめた。

 

「まだ俺様の力に余裕がある内に……どこか別の異世界から、ミレーユみてぇな、モンスターを惹きつける最高にいい『マスター』を見つけるべきか……?」

 

生き物の視線が、時空の壁を突き破り、とある「迷宮都市」にいる、その世界でたった一人のマスターを見つけるのは――そう遠い未来の話ではなかった。

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