元人気子役の役者が、知り合いの大女優に転がされる話。


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どうしようもない性格の主人公が好きで書きました。
勢いで書いた作品なので、かなり見にくいです。

誰も幸せにならない話なので、そういったものが苦手な人は見ない方がいいかも…。




第1話

不安定な足取りで、一人の女性は都会のビルの屋上を歩く。

高級マンションの屋上、誰もが入れるスペース。

時間は丑三つ時、他に人はいない。

 

酷い土砂降りが彼女の体を濡らし。

下に広がる人々の明かりが女性を照らし、パトカーのサイレンが彼女の住むマンションの直ぐ傍から聞こえてくる。

 

 

濡れた女性は靴を脱ぎ棄て、綺麗に整える。

ぎこちない動きで、彼女は屋上の柵を乗り越える。

雨で滑りやすくなった金属柵は、彼女が昇るのを阻害するが、完全に止めるには至らない。

 

乗り越え終わった彼女は、手を広げ、仰向けの姿勢で身を投げ出す。

風が彼女の体を撫で、大量の雨が彼女の視界を遮った。

 

そうして、数瞬の後。

痛々しい破裂音が響き渡り、彼女は永遠の眠りについた。

 

 

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ある所に一人の男が住んでいた。

 

男は役者を自認していた。

彼は昔、子役をやっており、そのままの流れで役者になった。

子役だったころは、大人気とまではいかずとも、それなりに仕事をもらうことが出来ていたし、他の子役と比べても間違いなく優秀だったと言えるだろう。

 

しかし、彼の絶頂期はそこだった。

 

幼い子供だった頃にもらえていた仕事も、大人になればもらえなくなり。

成長して大人になっていくにつれて、男に目をかける人物は減っていった。

そして、成人を迎えたころには彼には輝かしい過去以外何も残らない。

 

毎日やりたくもないアルバイトをし、フリーターとして金を稼ぎながら、養成所とオーディションに通い詰める。

そして、良い返事をもらえずにまた帰宅する。

それ男の毎日であり、人生だった。

 

昔、そこそこ売れていた子役だったからこそ。

今の惨状に、男は心をすり減らしていた。

 

上がってしまった生活水準や人生のレベルを下げるのは難しいという。

男は、それを身をもって実感している。

 

それなりに売れていた子役時代の経験は、男のプライドを高く積みあがった塔の様にしてしまい。

自分のダメなところを受け入れるのが遅れ、彼は自らを過大に評価し続けた。

 

そしてそれは巡り巡って男を苦しめることになって。

積みあがったプライドは男の慢心を招き、気づいたときにはもはや自分に目を向ける人間はいなくなっていた。

 

 

 

たった一人の、憎たらしい元好敵手を除いて。

 

 

 

男が手元の携帯電話に目を向ける。

一件のメッセージが来ていた。

 

「調子はどう?そろそろ月末だけど」

「今月はどっちの家やるの?まだ決めて無かったよね」

 

男はメッセージに目を通し、そのまま携帯を自分のポケットに突っ込んだ。

 

メッセージの相手の名前は、珠洲貴 ヒガン。

男の元好敵手であり、今をときめく一人の女優だった。

 

本来途切れるはずで、途切れるべきだった子役時代の縁。

それは何たる奇遇か、いまだに男と女性を繋いでいた。

 

落ちぶれた男と、活躍中の女優。

男と彼女の出会いは数年前に遡る。

 

 

 

 

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初めての邂逅は、子役の養成スクールでの事だった。

男がスクールに通っていたある日、ヒガンが入学してきたのだ。

とは言っても、劇的な出会いがあったわけではない。

スクールの入り口で、すれ違う程度の些細な出会い。

 

こちらは覚えているが、あちらはきっと覚えていない。

その程度のつまらない出会い。

 

男はあの時の出会いを完全に覚えているわけではないが、あの時のヒガンはどこか目に光がなく。

演技なんかできるようには見えなかった。子供ながらにそう思っていて。

そして、その時の予想は当たっていた。

 

男はスクールに通っている間、ヒガンが下手な演技を練習しているところを何度も目撃した。

男だってその時はまだ子供だ。人の演技を的確に評価することは出来ない。

しかし、彼女のそれは子供の目から見ても酷い演技だった。

 

感情が感じられず、渡された文章を読み上げるだけの機械音声みたいと言えばいいだろうか。

まぁ…とにかく酷かった。

最初は誰でもそんなものなのだが、彼女の場合は他の人よりも進歩が遅くて。

講師の前では多少は上手くなるのだが、一人で練習しているときの演技がまぁ酷い。

 

 

なんで男がそんなことを知っているのかって?

それは、男が彼女が一人で練習しているところを見かける機会が幾度となくあったからだ。

 

 

子供時代の男は何度も彼女が一人で居残りで演技しているところを見かけた。

それは到底うまいと言える演技ではなかったが。

それでも、彼女は一人でずっと、懸命に演技を続けていた。

 

 

男はそれを見ていてふと、手を差し伸べたくなったのだ。

なぜ手を差し伸べようと思ったのかはよく分からない。

 

親切心か、それとも哀れみか。

 

もしかしたら、思い上がっていたのかもしれない。

男はその時が絶頂期で、実際に子役の仕事をしていたこともあった。

もしかしたら、目の前で苦しんでいる後輩を自分なら助けられると考えたのかもしれない。

 

そして、男は一人で擦り切れた台本を片手に演技を続ける少女に話しかけた。

これが男とヒガンの関係の出発点だった。

 

 

それからは特筆すべきこともない。

男は彼女に自分が知ることを教え、彼女はどんどんとそれを吸収していった。

ヒガンは一人で練習をすることは得意ではなかったが、誰かを手本としてそこから何かを学ぶことには長けていた。

 

なにより、彼女には多くの事を学ぼうという強い意志があった。

俗にいう大器晩成型だったのだろう。

多くの事を乗り越え、一緒に演技の練習をし互いの演技を評論しあい。

 

時に、共に悲しみ。

時に、意見の違いで議論しあい。

時に、失敗による傷を慰めあった。

 

その果てに、ヒガンはメキメキと頭角を現していく。

それはあっという間に男の演技力を超えて。

成長した彼女の演技は、多くの人から評価された。

 

そして、昔のように無気力な雰囲気とは違う気力溢れる女優として。

彼女は夢の舞台へと飛び出していったのだ。

 

 

 

華々しい過去から抜け出せず、凋落した男とは裏腹に。

 

 

 

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男は既読無視を決め込み、そのまま家路につく。

凋落した男にとって、彼女はあまり会いたくない存在だった。

昔ながらの付き合いで今までの友人関係を続けている…と言った方が正しい。

 

別に嫌いなわけではない。ただヒガンの存在自体が、男のコンプレックスを刺激したのだ。

一緒に歩いてきたはずなのに、同じように努力を重ね、同じように学んできたはずなのに。

ヒガンと男には大きな差があった。立場も、能力も、何もかも。

 

 

俺とあいつ、何が違う?

そんな思考が、男の頭を巡る。

 

…何が違うか、それで言えば。

きっと才能の有無なのだろう。

 

簡単な話だ。

男には子役の才能はあっても、俳優の才能はなかった。

そして、彼女には女優の才能があった。

それだけだ。

そんな簡単な話なのだ。

しかし、それを認めるのは男にとって受け入れがたく、苦しい事だった。

 

そもそも才能だけではなく、彼の今までの怠慢も関係しているのだが。

それを言ったところで何も変わらないし、プライドの高い男にとっては直視するには厳しい現実だ。

 

 

そんな事を考えていると、ポケットが振動する。

男は舌打ちをしながら携帯を取り出し、電話をかけてきた相手を確認した。

それは案の定、ヒガンからの電話だった。

 

 

一つだけ、勘違いをしないで欲しいのが。

男はヒガンに疎んでこそいるが、彼女を憎んでいるわけではない。

ヒガンとは長い付き合いだし、彼女の成功を男は喜んでいる。

彼女の栄光を見て、それを称賛する心は持ち合わせている。

 

しかし、それでも彼女に嫉妬や劣等感を感じてしまうのは。

彼の人間性が故だった。

 

コールを数回鳴らされた後、男はため息と共に通話を始める。

 

『もしもーし、聞こえてる?』

 

優し気な、柔らかい一人の女性の声が男の耳に響いた。

男が返事を返す。

 

『そっか、聞こえてるならよかった』

『最近、既読つけてるのに返事してくれないこと増えたよね』

『忙しいならいいんだけど、ちょっと寂しいな』

 

男は、彼女にさっさと本題に移るように促す。

 

 

『…むぅ、もう少しお話してくれたっていいと思うんだけど』

『まぁいいや、それで本題だけど、今月はどっちの家で開催する?』

『前回は私の家でやったけど、次は君の家でしようか?』

 

 

男とヒガンの間には、ちょっとした決まりごとがあった。

それは、男が昔に提案した決まり。もはや不要な約束。

 

一か月に一度、同じ題目で演技をしてショートムービーを撮影する。

それを相手に送りお互いにその演技を評価しあう。

そして、お互いに不足している部分を確認することで、お互いの間違いや欠けた部分を補填する。

 

 

そんな決まり事。彼らはそれを演劇会と呼んで、仲良くなってから毎月欠かさずに続けていた。

 

男はどちらでもよいとそっけなく返す。

 

 

もはや、彼にはこんなことをする意味が分からなくなってしまった。

彼女は親切心でやっているのだろう。

しかし、ここまで差がついてしまった今。

男がヒガンに指摘できる部分など、ほとんどなくて。

 

男にとっては、ただストレスを受けるだけの虚しい物でしかなかった。

 

 

『なら、私の家でやろっか』

『私の家の方が多くの機材あるし』

 

 

もはやそんな何気ない一言ですら嫌味に感じる。

勿論、男だってヒガンに悪意がない事は分かっている。

彼女は親切心で自分を指導してくれようとしているのだ。

 

 

しかし、だからこそ。

ただひたすらに、自分が無力に感じられた。

男が何も言わないでいると、電話越しにヒガンを呼ぶ声が聞こえた。

そして、直ぐ後に彼女の声が聞こえる。

 

『…ん?…今大切な電話中なんだけど。それ今じゃなきゃいけないやつ?』

『…はぁ……あぁもう!分かったって!』

 

『…ごめん。問題が起こったみたいで…それじゃ、またあとで』

『予定が合う日は、いつも通りリストアップして送るからさ』

『楽しみにしてるね。それじゃ…またね』

 

そうして、電話が切れて。

男は、誰も通っていない、街頭の光も当たらない路地裏で一人スマホを見つめた。

 

 

もはやこの時点で、彼は俳優への道を諦めかけていた。

 

 

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少しの時間が経ち。

男は、ヒガンの暮らす場所まで歩を進める。

 

如何にも大スターが住んでそうな、高層マンション。

その最高層の部屋に、彼女は暮らしている。

一つ一つの部屋が、かなり広く。

防音設備もキチンと整えられていて、シアタールームなんかも取り付けることが出来て…。

 

 

今の男が住んでいる部屋とは、比べることすら烏滸がましい。

そんなマンションの一室に彼女は住んでいた。

電車に乗り、最寄駅から少し歩けばその場所にたどり着く。

マンションの玄関前で、男は一人立ち尽くす。

 

ヒガンが来るまで、男はマンションの中に入ることが出来ない。

故に彼は、目立たない日陰で彼女を待っていた。

 

男はこの待ち時間が嫌いだった。

 

なるべく目立たない位置に立ってはいるが、それでも住民から視線は多少なりとも向けられる。

その視線が、自分を嘲笑するようで。

昔と今の自分の違いをこれでもかと理解させようとしているような気がして

どうしても嫌な気分になった。

 

男だって分かっている。

彼らは何も考えていない。そもそも、マンション玄関前のベンチに誰かがいたところで誰も気にしない。

仮に一瞬警戒したとしても、中に入り部屋に戻ればすぐに忘れるだろう。

だって男は何もしていないのだから。

 

これは勝手な思い込みで。くだらない被害妄想に過ぎない。

 

 

だが、それでも。

一度でも脚光を浴びたことがある人間として。

 

今の屈辱的な立場が、男には辛かった。

たとえそれが、全て自分に非があるとしても。

いや、自分に非があるからこそ。こんなにも許し難いのかもしれない。

 

寒風が男の体を冷やし。

男は、自分の体を抱きしめるようにしてコートを羽織りなおす。

 

 

そんなことをして待っていると。

男の横から声がかけられた。

それは、彼の待ち人の声だった。

 

『ごめんね。待たせちゃって』

『寒かったでしょ…。別に、外で律義に待つ必要なかったのに…はい。コーヒー』

 

『ちゃんと貴方好みの無糖にしたから。多少体が温まったら行こ?』

 

口元を隠したマスクに、髪型が見えないようにするニット帽。

そんな風に変装したヒガンは、男にコーヒーを渡してくる。

 

男は彼女から渡された缶を受け取ると、タブをこじ開けて胃にグッと流し込む。

そして、寄り添うように男と肩を並べて、マンションの玄関に向かって歩き始めた。

 

 

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二人は同じソファーに座り。

お互いに撮ったショートムービーを鑑賞している。

そうして、見終わった後。二人はお互いの意見交換を始める。

お互いに真剣な顔をして、議論が始まる。

 

二人とも演劇自体に造詣が深い事も相まって、お互いの意見交換は表面上は良好に見える。

しかし、実態はそうではない。

男がヒガンに向ける評価は、重箱の隅をつつくようなものなのに対して。

ヒガンが男に向ける評価は、的を得ているものが多い。

 

確かに、男とヒガンでは立場が違う。

性別も違えば、日ごろに受けている演技指導も天と地ほどの差がある。

だから、このような差が出るのはある意味で必然であり、驚くことなど何もない。

 

しかし、男のうずたかく積み上がったプライドが、彼の気持ちを嫌なものにさせる。

ヒガンに悪意がないの分かるのが、尚のこと苦しい。

 

彼女はあくまでも彼女の視点から評論をしているだけであり。それは演劇についてよく知っていればいるほど正しいものであることが分かる。

ましてや、彼女とずっと付き合ってきた男からしてみれば、彼女が自分に対して真剣に向き合っているからこそ多くの問題を指摘してくれているのだろう。

 

男にだって、そのくらい分かっている。

だが、毎月これが続けば。散々な気持ちにもなるというものだ。

 

特に今回は、特別に気合を入れた作品だった。

しかし、彼女が下した評価はいつもと変わらない。それどころかいつもよりも酷いかもしれない。

それが、男の折れかかった心を粉々に叩き折る。

 

彼女の言葉に納得しか出来ない。正論で真正面からぶった切られれば何言うことはない。

ヒガンの真摯な姿勢と的確な言葉が、男にとって何よりも辛かった。

 

…ここらが潮時か。

彼女の言葉を聞いて、男はある決意を固める。

それは、元々男が計画していたものであり。

 

今日のショートムービーの評価次第で、実行するかどうかを悩んでいた事。

 

彼は、俳優業の引退を考えていた。

もはや自分は俳優をするのは無理なのだろう。

 

いい加減、才能がないことを認め。

この現実と向き合う時が来たのだろう。

 

 

洗面所で自分の顔を見る。

昔の面影はなく、もはや普通の人と大差ないように見える。

男は大きなため息をついた。

 

彼は今までの全てと決別することを選んだ。

 

 

 

 

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そして男は議論が終わった後。

 

二人で見る映画を吟味し始めたヒガンに、己の決心を伝えることにした。

コロコロとリモコンを使って、いくつかの映画をリストアップする彼女に、話があると男は切り出す。

 

『話って…何について?』

『まぁいいや…ええと…取り敢えず座ったら?なんだか深刻そうな感じだし…』

 

男の纏う不穏な気配を感じ取ったのか、ヒガンは優しく男に声をかける。

しかし、男は彼女の提案を拒否した。すぐに終わる事だからと。

 

『…そんな風には見えないけどなぁ…』

『分かった。なら言ってみて?』

 

そして、男は先ほどの決意を口に出す。

 

 

もう、俳優をやめる。

 

 

ガタンと、床に投影器具のコントローラーが転がる音がする。

今まで見たことのないような眼をして、ヒガンは男を見つめている。

 

『…ええと、もう一度言ってくれる?私の聞き間違い?』

『貴方…今なんて言ったの?』

 

俳優をやめる。

 

男は先ほど言った言葉を、目の前の女性に再度伝えた。

信じられない物を見るような眼を、一瞬男に向けた後。

ヒガンは少し焦った様子で言葉を紡いだ。

 

『ちょ…ちょっと待って…どうして?』

『なんで急にそんなことを…』

 

 

前々から考えていたんだ。

いい加減、この夢からも醒めるべきかもしれないと

 

 

男はヒガンにそう話す。

彼女は言葉に詰まっている。なんといえばいいのか分からないらしい。

しかし、ヒガンは男の言葉に面食らった後に、彼にこんなことを言った。

 

『…ちょっと急すぎない?もう少し…もう少しだけ、頑張ってみようよ』

『きっといつか、その努力が報われ―』

 

 

男は堰き止めていた言葉が溢れ出すように、彼女に反論を行う。

 

 

なら、その報われる日はいつ来るんだ

数日後?数年後?数か月後?

俺だって頑張れば結果が出ると思いたい。

だが、その日が来なかったらどうすればいい?今みたいに空しいだけの生活をいつまで続ければいいんだ?

 

 

男はそう言葉を吐き捨てる。

そこには凋落して擦切った男の哀れな姿があった。

しかし、まだ諦めきれない女性は男の言葉をしっかりと飲み込んだ後。

男を説得するため、もう一度口を開く。

 

 

『…確かに、貴方の気持ちは理解できる。私も、どれだけ努力してもうまく行かなかった時期があった』

『けどさ、諦めなかったから。今の私がある訳で…』

 

 

お前と俺を一緒にするな。

お前は成功してるだろうが、成功者が失敗した人間に何かを説いても苛立ちしか呼び起こさないぞ。

 

 

男が食い気味にヒガンに返答する。

男の声には、もはや隠す気すらない苛立ちが含まれていた。

そのままの勢いで、男は言葉を吐き出し始める。それはもはやただの八つ当たりで。

自分の想いを吐露するだけのものだった。

 

 

お前は俺に対して才能があるという。俺なら自分と同じくらいの役者になれるという。

なら、なんで俺には仕事が来ない!なんで俺は日雇いのバイトをしている!?

 

 

『それはまだ、貴方の才能―』

 

 

黙れ!お前だって分かってるはずだ!

俺には才能がない事に!少なくとも子役の才能は有っても!俳優の才能はない!

まだ周りが気づいてないだけだって!?

お前以外に俺の才能を認めてくれる人間に会ったことなんかないぞ!

そもそもお前が俺に向けるそれは!ただのえこひいきで、友人に向ける憐憫だろうが!

 

 

男は慟哭するように、目の前の女性に言葉を叩きつける。

ヒガンは返す言葉が思いつかなかったのか、それとも怒り狂う男に委縮してしまったのか。

怯えたような目を向けるだけで、何も言うことはなかった。

 

 

声を荒らげた男がふと正気に戻る。

そして彼は自身の短絡的な行動を恥じるように、大きく深呼吸をした後。

言い訳がましい言葉をペラペラと述べた。

 

 

クソっ…はぁ…すまない。

怒鳴って悪いとは思ってるんだ。ただ…どうしても抑えられなくて…。

…今日はもう帰るよ。邪魔したな…

 

 

男はそう言うと、ハンガーにかかった自分のコートと小さな鞄を乱雑に掴み。

そのまま部屋を後にしようとする。

しかし、部屋の主はそれを許さなかった。

男の手首を掴み。彼の動きを阻害する。

 

『…待って。まだ話は終わってないよ』

 

男が睨みつけるように後ろを向く。

彼の手を掴むヒガンは、決意の込もった眼をしていた。

男が黙っていれば、彼女が話を始める。

 

『…貴方、これからどうするの?』

『俳優をやめるにしたって。これから先は?まさか何も考えてないわけじゃないよね?』

 

その言葉を聞いて、男は返答を行う。

それはぶっきらぼうで、誠意を一切感じさせない返し方だった。

 

 

…アルバイト先で社員として働こうと思ってる。

まだ決まってないけど…店長が打診してくれるらしい。

だから、別に心配する必要はない。

 

『なら、このショートムービーを見せ合う慣習も…』

 

…もう終わりだ。俺はこれから先、普通の会社員になる。

ショートムービーなんか撮る理由もなくなる。

こんな風に、お前と会うことももうないだろう。

 

『…そっか。…急に終わるんだね』

『別れは意図してない時に訪れるとは聞いてたけど…こんなに突然だと思ってなかった』

『どうして相談してくれなかったの?私達、親友でしょ?』

 

『貴方が悩んでいると知っていたら、もっと…ううん。どんな手を尽くしてでも助けてた』

『こんな風に一瞬で終わりになるなんて。凄く…寂しい』

 

男は彼女の言葉を聞いて何も言わない。

何も言えない。

 

そんな男を無視して、ヒガンは言葉を続ける。

 

『ねぇ、まだ社員になるかどうか決まってないんだよね?なら、今からでも―』

 

 

結構だ。

もう決めたことだから、何も言うな。

もう…十分だ

 

 

男はヒガンの言葉を遮り、言葉を発する。

そう言われれば、彼女も何も言うことは出来ない。

彼女は乾いたような笑みを浮かべると。

打つ手なしといったような感じで、小さく息を吐いた。

 

『…はは。そっか。言い切る前に断られちゃうかぁ…』

『もう決めてるんだ。なら私がいまさら言ったところで、何も変わらないってことね…』

『…貴方はそこまで思い悩んでいたのに、私には何も言ってくれなかった…』

 

寂しそうな顔で、ヒガンは男を見る。

男は何も言えない。彼女を見つめ返すことしか出来ない。

気まずくなったヒガンは、適当な言葉でお茶を濁すことにした。

 

『ええと、でもさ。これで今生の別れって訳じゃないもんね…』

『また二人でご飯を食べたり、一緒にお酒を飲みながら、映画鑑賞くらいは出来るし!』

『まぁ、貴方と一緒に同じ映画で共演するっていう夢は破れちゃうけど…ふふ』

 

 

彼女は想いを隠すように、柔らかく笑いながらそんなことを言う。

男はそれを聞いて思わず肯定したくなる感覚に駆られる。

 

 

しかし、それではダメなのだ。

もはや自分はヒガンの傍に居るべきではない。

俳優を目指す者ですらなくなった今。彼女の元からは立ち去るべきなのだ。

 

 

彼女を見ていると。

どうにも昔を思い出してしまう。

輝き、注目に晒されていたあの幸福な過去を。

彼女を通して、見てしまうような気がするのだ。

 

それでは今と何も変わらない。結局、過去に縋りついているだけだ。

男は別の道を歩む決心をしなければならない。

 

故に男はヒガンという存在と別れ、これから先の未来を歩まなければならないと考えていた。

例え彼女から嫌われて、その怒りを買おうと。

男は彼女と別れなければいけないのだ。

それが自分が生まれ変わるために必要な事だと、彼は信じて疑わなかった。

 

 

だからこそ、男は一つの言葉を彼女に向けて贈ることにした。

 

 

 

いや、もうそんなこともなくなる。

こんな風に二人で会うのは辞めよう。

 

 

 

 

その言葉を、贈った瞬間。

目の前の女性の笑顔が凍り付いて、部屋の温度が一気に下がった気がした。

 

 

 

『…なんで?』

 

 

笑顔が消え、冷たい能面のような顔になる。

そして、口からは恐ろしいほど底冷えする声が聞こえてくる。

先程までの、怒りや憤り、そして悲しさを感じさせる声ではない。

そんなものとは一線を画す、普通の精神状態の人間では出ない恐ろしい声だった。

 

男は思わず身を震えさせてしまう。

彼女とは十年来の付き合いだったが、目の前の女性がこんな風になったのは見たことがない。

だが、ここで引いては彼としても立場がない。

 

 

彼は引かない。

自分の意思を貫き通す。その為に言葉を紡ぐ。

 

 

動機なんて挙げればキリがない。

そちらの為でもあるんだ。賢い君なら分かるだろう。

 

 

『全然わかんないけど?なんで今まで良かったのに、貴方が俳優を目指さなくなった瞬間私たちは会っちゃいけなくなるの?』

『そんなのおかしいじゃん。筋が通らない。理不尽だよ』

 

眼が完全に開き切った状態で、ヒガンは一気に男に詰め寄る。

そこに先ほどまでの落ち着いた雰囲気はない。鋭利なナイフのような剣呑な気配が彼女から溢れ出す。

 

それでも男は動かない。相手に臆したら負けだと分かっているから。

男も負けじと言い返す。

 

 

今までは我慢していたんだ。

本当は言いたかったし、言うべきだったんだが。

昔からの習慣っていうのもあって言い出せなかった。

だが、今ならちょうどいい機会だろう。これを機に終わりにしよう。

 

俺はお互いの為を思って言っているんだ。

君ならわかるだろう?

 

 

男の言葉を聞いたヒガンは、信じられない物を見るような眼で男を見つめ返す。

そして、言葉を吐き出し始めた。

 

『…ねぇ。貴方、自分が何を言ってるか分かってる?』

『私たちは友達で、10年以上ずっと一緒に歩んできた。毎月、どんなことがあろうと必ず一度は連絡を取り合ってた』

『傷を慰めあって、たまに旅行したり、一緒にご飯を食べたりもしたよね』

 

『それだけ深い関係なのに、自分が俳優を目指すのをやめるからもう会うのは辞めましょうって言ってるんだよ?』

 

『それがお互いの為になると本気で思ってるの?ふざけないでよ!?』

『例えそれが、本当に私の為を思って言ってるんだとしても。なんでそこまでするのか理解できないし』

『どうして貴方と絶交しなきゃいけないわけ?私達の友情って、そんな軽々しい物じゃないでしょ!?』

 

『少なくとも…!私にとって、貴方との関係はそんな簡単に終わらせられるものじゃない!』

 

 

男はヒガンに早口で捲し立てられる。まぁ、納得は出来る意見ではある。

男は彼女の迫力にちょっとクラクラしていたが、少なくとも彼女は自分の意見に同調するつもりは微塵もないという事を理解した。

というか、まぁ…あっちの言っていることの方が正しい気はする。

 

これについては、男が全面的に悪い。

自己中心的で、利己的な言動であることくらい、男にだって分かっている。

 

しかし、男が前に進むためにはこれが必須なのだ。退けない事なのだ。

 

 

そして、ヒガンがこの話に乗ってくれないのなら。

男としても最後のカードを切るしかない。

 

これは自分も彼女も傷つける最低最悪な嘘である。

しかし、人は時に残酷になってでも前に進む必要がある。

少なくとも男はそう思っている。

 

 

だから、そう。

これはお互いの為なのだ。

お互いにとって、最良の選択のはずだ。

それに1から10まで嘘って訳でもないから。

 

 

男はそう思い、決意を込めながら口を開いて。

こんなことを言った。

 

 

…確かにそうだ。お前の言う事の筋は通ってる。

だが、お前と俺の見解で一か所致命的に違う部分がある

 

 

『…なぁに?言ってみてよ…?』

 

彼女からも促された男は。

ゆっくりと息を吸い、最低な演技を始めることにした。

 

 

 

俺は、お前の事をもう友人だと思っていないし。

実を言うとお前の事が、だいぶ前から嫌いだった。

 

 

 

『…え』

 

 

時間が静止した。

これはあくまで比喩に過ぎないが、少なくとも男がその発言をした時。

彼と目の前の彼女にとって、間違いなく世界は静止したのだ。

 

そして、止まった次の瞬間には。

男の口から次の言葉が放たれる。

勢いに任せて、濁流の様に言葉をぶつける。

 

 

この際だから言わせてもらうがな。もううんざりしてたんだよ。

お前には自覚がないだろうが、お前の存在自体が俺のコンプレックスを刺激するんだ!

お前が売れ始めたあたりから俺はずっとお前が妬ましかったし、うざったかったんだよ。

それで、お前の事をだんだんと嫌いになっていったんだ

 

 

『…ちょ、ちょっと待って。なんでそんな話に…!それに…もしそうだったとしたらなんで―』

 

先ほどの覇気を纏った様子はどこへやら。

彼女は男の言葉にたじろぎ、慌てふためく様子を見せ始める。

言葉を出し切る前に、男はどんどんと言葉を紡ぐ。

 

 

なんで付き合いをやめなかったのかだって?

お前を見返してやるために関係を続けてただけだよ。

…結局、うまくいかなかったけどな!

 

 

男のそんな一方的な言葉を、ヒガンは直接受け止めてしまう。

男の事を相当信頼していたのか、彼女は男がついた嘘にかなり参っている。

 

『…嘘を吐くのはやめて!』

『じゃ…じゃあ何?今までの数年間。貴方は私を見返すためだけに、友達を演じてたって事?』

『二人での旅行も…映画館で見たあの名作映画も…全部…全部嘘だってこと…?』

 

『そんな訳ないよね……?だって…だって昔から、ずっと一緒だったじゃない!』

『10年以上前から、二人で一緒に頑張って、二人で歩んで…』

『私達…一蓮托生だったのに。そんな風に思ってる訳ない…よね?』

 

目の前の彼女は男に縋るような目を向ける。

その端正な顔は悲痛に歪み、今にも泣きだしてしまいそうだ。

 

『ねぇ…嘘でしょ?嘘だって言ってよ』

『もし本当にそうなら…私は…!』

 

男はヒガンの望みを聞き入れない。

始まってしまった劇は、最後になるまで終わらない。

彼の演技はまだ続く。

 

 

…時間と環境は人を変えるんだ。

学生の時と同じように思ってるのはお前だけ。俺はとっくのとうにお前の事を友達だと思えなくなってる。

お前を、いつか見返したい敵としか思えなくなってる。

 

…もっと言うなら、お前を見ていると自分がみじめになるんだ。

 

お前は成功した、昔は俺の方が上だったのに。俺の方が教える側だったのに。

今ではもう、俺はお前の足元にすら及ばない。名声でも演技力でも。何一つとして勝てやしない。

そんな自分がみじめで仕方ないんだ。

 

俺だって、これじゃダメなのは理解してる。

だから、これでお別れにさせてくれ。

お前と一緒にいると、俺は進み出せないんだ。

 

別に恨んでくれてもいい。怒ってくれてもいい。

憎んでくれても構わないから。

 

最低だと罵ればいいさ。

それじゃあな、達者でやれよ。

 

 

男は面と向かってヒガンに言葉を伝える。

そして、最後の言葉を吐き出した瞬間身を翻して、玄関へと歩み始める。

 

 

『ねぇ…待って。待ってよ…!』

『納得できない…もう少しだけ話を…』

『いかないで、置いてかないで…私を一人にしないで!』

『貴方が…貴方だけなのに…!』

 

後ろから縋りつくように手が伸びてきて、先程と同じように男の手首を掴もうとする。

しかし、男はそれを軽く撥ね退けた。

 

『きゃ…!』

 

ガタンと、部屋に空虚な音が響く。

女性は尻餅をつき、そのまま動かなくなる。

男は彼女の無事を確認すると、そのまま無言で歩くのを再開する。

 

その勢いのまま、彼はマンションの一室を後にするのだった。

 

『…まっ―』

 

 

絶望した一人の人物を置き去りにして。

 

 

 

男はマンションの外まで歩いて出る。

あの後、ヒガンが追いかけてくることはなくて。

そのまま、男は振り返ることなく自宅に帰るのだった。

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 

 

そうして数日が経って。

男は自宅の整理整頓をしていた。

 

今までの思い出を断捨離して、不要なものをゴミ箱に叩き込む。

演技の練習用のノート、昔から撮り貯めてきたビデオも捨てて。

生まれ変わっていく。そして、新しい人生を歩みだす。

 

アルバイト先の店長には既に話がついており、就職に困ることはなくなった。

これで憂いなく新生出来る。

 

 

男がそんな満足感に浸っていると、スマホの着信が鳴る。

SNS経由の電話ではなく、公衆電話からだった。

 

男はなんだか嫌な予感がした。

しかし、出ない限りはずっと電話をかけてきそうな気がして。

しょうがなく、その電話を取った。

 

『もしもし…あは、久しぶり…ってほどでもないね…』

 

酷く元気のない掠れ切った声と、土砂降りの雨の音が電話越しに響く。

それは、間違えようもなくヒガンの声だった。

 

男が着信拒否をして、全てのSNSをブロックしていたから公衆電話からかけてきたのだろう。

思わず、その電話を切ろうとする。

しかし、ここで切ってしまうと。酷い事が起こる予感がして、どうしても切れなかった。

 

『…話、聞いてくれるんだ。直ぐに切られちゃうかと思ってたんだけどな…』

 

男が用件を聞く。

 

『…あのさ、昔。二人で願掛けをしに行った神社があったじゃん?』

『小さくて、誰も見向きもしないような場所にあったけど…私達は必死になってお祈りしたあそこ』

『私ね。そこにいるんだ…。もしよければ、今から会えない?』

『最後になってもいいから…貴方と話したい事があるの…』

 

消え入りそうな声でヒガンは男に言う。

外は酷い土砂降りで、時刻はもう夜だ。

 

普通なら断っていただろう。

というより、断るべきなのだろう。

彼女に言った言葉の内容的にも、男はもうヒガンに関わるべきではない。

 

しかし、ここで彼女を拒絶すれば、そのまま死んでしまいそうだった。

そんな危うさと儚さを、電話越しの彼女から男はひしひしと感じた。

 

男は大きくため息をつき、彼女の現在地を確認する。

そして、今から向かう旨を伝える。

 

『…ありがと、待ってるね…』

 

電車を乗り継ぎ、その神社の最寄り駅まで向かう。

既に夜も更け、日は完全に落ち切っている。

土砂降りの雨は男の持つ傘に降り注ぎ、酷い音を立てている。

 

人通りがほとんどない道を歩き、神社の階段の前にたどり着く。

そのままゆっくりと階段を上がる。

 

そうして、上がった先には。

一人の女性が待っていた。

 

『…待ってたよ』

 

彼女は傘もささずに来たのか、びしょ濡れで一人、神社の屋根の下に佇んでいる。

それは、まさしく映画のワンシーンのようで。

彼女の美貌も相まって、非常に絵になった。

 

男がヒガンに聞く。

話したい事とはなんだ?

 

『…ほんとに、酷い人だね…』

『今の状況で、真っ先に聞くのがそれなんだ…』

 

ヒガンは、薄ら笑いを浮かべ、男にそんなことを言う。

最も、土砂降りの雨のせいで男にはほとんど聞こえていなかったが。

 

『こっちに来てよ。そこじゃ話も聞こえないでしょ?』

 

ヒガンが男にそう告げる。

男はそれに同意し、彼女に近づいた。

そして、彼女の話が始まる。

 

土砂降りで、雷の音すら聞こえる天気の中。

一人の女優の独白が始まる。

 

『…君が、私に別れを告げて出て言った後。色々と一人で考えたんだ』

『君といた数年間、私が大成してから君との日々…』

 

『あの後、仕事をちょっとだけお休みしてね…色々と昔に思いを馳せたの』

『…君は…ううん、貴方は…本当に、私の事が嫌いなの?』

 

びしょ濡れで、弱弱しい姿のヒガンは、男に視線を向ける。

その視線は、どこか縋りつくような、嘆きを感じさせるようなものだった。

 

男は何も言わない。

 

『…一緒にご飯を食べたり、映画を見たり、二人で旅行に行ったり…』

『私が女優になってからも、貴方とは色々な経験を共にした』

『そのどれも、私の記憶にある貴方は…とても楽しそうで…』

『貴方の言う、私に対する嫌悪を感じることが出来なかったの』

 

『ねぇ、これは私の記憶だからなのかな。これは、独りよがりな思い込みにすぎないのかな』

『教えてよ。貴方は…本当に、私を見返すための演技を続けていたの?』

 

男は答えない。

 

『…もしも、貴方のそれが唯の嘘なら…私を騙すための、引き剥がすためだけのつまらない嘘なら』

『まだ…戻れるよ』

『あの時みたいな…いや、あの時とは違うだろうけど…』

『もう一度やり直せる。また、あの時二人で笑い合える関係に…戻れる』

 

『私は…戻りたいな』

『また、あの時みたいな…二人で一緒に笑いあっていられる関係に』

 

『…だから…教えて?』

『貴方の、本当の想いを…』

 

ヒガンは男にそう伝え。

男の手を握り、彼女は必死な目を男に向ける。

 

 

男は彼女の言葉を聞いて、葛藤していた。

自分はヒガンの気持ちを蔑ろにし、酷い事をしている。

その自覚は男にだってある。

出来ることなら、今すぐにでも彼女に謝罪するべきなのだろう。

 

しかし、それではダメなのだ。

もう、決めたことなのだ。

 

それに、今になってあれは嘘でしたなんて言えない。

それはあまりにも最低すぎる。

男は必死の思いで、彼女を拒絶する決意を固める。

 

ヒガンの視線をそらすように、男は目線を外した後。

彼女の手を振り払った。

 

そして、一言だけ言葉を返す。

 

すまない。もう、決めたことだ

 

 

『…そっか…』

『…ふ…ふふ』

 

男の言葉を聞いたヒガンは、俯いて笑い始める。

男はその光景に、なんだか不気味なものを感じて。

 

その場を後にしようとする。

そのまま彼女に傘を押し付けて、お別れの言葉を述べる。

 

そうして、土砂降りの中。

雨に濡れながら階段を降りかけた瞬間。

 

後ろから、雨の中を走ってくる音が聞こえる。

思わず、男は後ろを振り向いて。

 

そのまま、ぶつかってきたヒガンを受け止める。

彼女は男の胸に手を当てる。

男は目を丸くして、彼女を眺めている。

 

彼女はいったい何をするつもりなのだろうか、傘もささずに飛び出してきて。

そんな事を、思った直後。ヒガンがポツリと言葉を紡ぐ。

 

『…愛してる。今までも…これからも』

『私も、直ぐにいくから』

 

柔らかい、愛の籠った声が響いた後。

男は狂気に呑まれた、ヒガンの綺麗な瞳を見た。

 

 

ヒガンの手が、男の胸を強く押す。

 

男は階段に片足をかけた状態で、重心が後ろに傾く。

雨で滑りやすくなった石段では踏ん張ることなど出来やしない。

 

 

そのまま、彼は宙に浮いて。

男は、自分に起きたことを認識する前に全身を強打した。

 

 

鈍い音を立てながら男が階段を転がっていく。

血が流れ、痛みに呻く暇もない。

骨は折れ、雨の音すら聞こえない。

 

カツン。カツンと。

誰かが階段を降る音も聞こえない。

 

脳震盪を起こし、死を直面に控える男は最後に。

涙を流す友人の顔を見た。

唇に、柔らかい何かが触れた。

 

それ以降の事は、彼は知る由もない。

 

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 

 

 

階段から転がっていった人物を眺めながら、一人の犯罪者は階段を降りる。

特別うろたえる様子もなく、ゆっくりと降りていく。

ボソボソと、誰が聞くでもない言葉を呟きながら。

 

 

『…貴方が悪いんだよ…』

『…私は、貴方の事を愛していたのに…貴方は私の星だったのに』

『突き放して、嫌いだって言って…』

 

 

女優は、動かなくなった親友の前に立った。

男の目はすでに動かない。意識があるのかもわからない。

独白は続く。

 

 

『…私の気持ちに、気づいてなかったの?』

『それとも…気づいた上でこんなことをしたの?』

『貴方がいなきゃ、今の私はなくて…貴方が私を作り上げたのに…』

『それを…貴方が打ち壊して…拒絶して…』

 

 

雨に打たれながら、殺人犯はしゃがみ込む。

その目からは、涙が流れていた。

 

 

『…私、どうすればよかったのかな。成功しなければよかったのかな』

『成功しなければ、貴方と笑っていられたのかな』

『分からない…分からないな…』

 

『…どうして、こうなっちゃったのかな…』

 

土砂降りの雨が、死体を冷やして。

女優の涙を洗い流す。

 

大切な人から拒絶され、憎しみのまま、衝動のままに殺してしまった。

後悔してももう遅く、目の前の死体は動かない。

 

 

ヒガンは冷たくなった男を抱き締め、その唇に顔を近づける。

 

『何の味もしないや…』

『…私も、そっちに行かなきゃ…』

 

男の死体をそこに残し、彼女はふらふらと自宅のマンションに向かって歩き始める。

 

電車に乗り、自宅の最寄駅までたどり着く。

終電だったのも相まって、彼女を心配する人物は一人もいなかった。

 

そうして、一人の女優はマンションの中に入り、エレベーターを使って最上階に向かう。

全てに、お別れを告げるために。

 

 

 




こんな訳の分からない話を読んでくれてありがとうございます!
ちょっと性癖に寄りすぎたかもしれませんね…。


この作品を読んだあなたが、どうか不快な気持ちになっていないことを祈るばかりでございます。

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