メダリストはエゴイスト   作:モリブデン42

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新米アシスタントコーチ夜鷹純

 唯といのりはジュニアグランプリシリーズの選考会に訪れていた。

 主催者側の招待によって、選手が決まるシニアと違い、ジュニアGPでは各国に派遣選手の選択が委ねられる。

 今までの実績や結果を鑑みて、さらにこの選考会による最終決定がなされる。

 つまり、ジュニアGPへの出場権がこの選考会に懸かってると言ってもいい。

 

「ちょっと痛むなぁ」

「温めておきなよ」

「うん、お母さんが湿布貼ってくれたんだ。カイロも持たせてくれた」

 

 いのりは成長痛を嘆きながら、準備を進める。その様子にさすがの唯も気の毒そうにアドバイスをするのだった。

 

「唯ちゃんも詳しいよね?」

「詳しくはないけど……シンスプリントやオズクットは経験あるから」

 

 テキパキと準備を終えると、控室を出た。

 リンクでの準備時間に備えようと向かう中、見覚えのある顔と出会う。

 

「え?」

 

 知り合いと会う、それ自体は珍しくない。ただでさえフィギュアスケートは狭い業界だ。加えて、選考会ともなれば世代のトップ層が集まる。大会で顔を合わせた相手と出会うことは当然と言えば当然。今邂逅した相手もその1人だ。

 しかし、相手を知っていたからこそ2人は驚いた。

 

「美玖?」

「2人とも久しぶりだね」

 

 亜昼美玖、全日本ノービスでスケートを辞めたはずの少女だった。

 驚いた、驚きはしたが、特に不思議とは思わなかった。どんな理由にせよ、ここにいるということはスケートを続けるということだ。唯もいのりも、まずはそれを喜んだ。

 

「美玖ちゃん、スケート続けられるんだ!」

 

 無邪気に喜ぶいのりを見て、美玖は苦笑しながら、少しだけ表情に陰を差した。

 

「うん、そうだね。続ける……いや、スケートと生きていく覚悟をしたと言うべきかもね」

 

 どこか強い意志の籠った言葉に2人は一瞬気圧された。しかし、ライバルたちと切磋琢磨してきた2人はそれを跳ね除け、笑みを浮かべる。

 

「そういえば、今どこでやってるの?前いたリンクはないんでしょ?洸平さんの元でやってるの?」

 

 聞きづらいことを唯は敢えて踏み込んだ。それが、美玖の変化の根幹であると思ったからだ。

 

「今は……東京でやってるの。コーチは」

「僕だよ」

 

 低い声が会話に割り込んできて唯もいのりもぎょっとした。そして、その声の主を確かめてもう一度驚く。

 

「夜鷹純……」

「なんで!?」

 

 2人の驚きはもっともだった。夜鷹がコーチをしているという事実も衝撃ではあるが、それ以上に夜鷹がこの場にいると言う事だ。この場は関係者以外は入ることは出来ない。

 光を指導していた時のように、非公式の陰のコーチではいかに金メダリストとはいえ、入ることを許されないのだ。

 そんな夜鷹が今ここにいる。それはつまり、正式に美玖のコーチであることを意味する。

 

 後ろから合流してきた瞳、司も驚愕に口を開いていた。

 そして、そんなコーチ陣の後ろからひょっこりとライリーが顔を出した。

 身を翻し、ステップを舞うように夜鷹の隣へと移動する。

 

「紹介します」

 

 ライリーは、面白可笑しそうに語った。

 

「この度、スターフォックスFSCのアシスタントコーチして正(・)式(・)に(・)就任した夜鷹純さんです」

 

「……光がブチ切れそうだな」

 

 

――――――

 

 

「今日から仲間になる亜昼美玖ちゃんと、コーチになる夜鷹純さんです。みんな仲良くしてくださいねー!」

 

 スターフォックスにて、ライリーが2人を紹介したとき、ざわめきが広がった。

 

「マジで来た!?」

「生夜鷹純ぱねぇ」

「長野のダークホースも一緒だ」

「ていうか、アシスタントコーチの夜鷹純って字面だけ見たら贅沢すぎでしょ」

 

 美玖自身疑問ではあった。

 スターフォックスに来たこと自体は納得できる。名門であり、選手専用のリンクを持っており、これ以上ない設備が整っている。夜にリンクを貸切りたいという無茶な要望すらライリーは了承した。

 しかし、それは夜鷹が正式に美玖のコーチになった理由の説明にはならない。

 聞くところによると、狼嵜光の指導をしていた時は、表立っては慎一郎にやらせて、陰でコーチをしていたという。その話を聞いたとき、美玖もそういう形をとるのかと思った。それなら、オリンピック金メダリストであるライリーの元に来た理由もわかる。

 しかし、この男は自分もコーチとして、スターフォックスFSCに所属するという選択をした。

 

(そりゃ、夜鷹コーチがクラブ設立なんて出来るようには思えないけど……)

 

 わざわざ、そんな方法を取ったのは、正式なコーチになる必要があったからに他ならないだろう。

 クラブの子供たちに群がられながら、無言を貫いている夜鷹を見て、美玖は首を傾げた。

 

 

――――――

 

 

「一応美玖ちゃんの担当コーチとして入ってもらいましたが、みんなの指導もしてくれるそうなので、ドンドン聞きにいきましょう!」

 

 今は各々が、ライリーから課題を受けて、練習している時間だ。選手たちの練習をライリーが目ざとく目をつけて、アドバイスをしていく。

 そんな中、夜鷹はじっと見つめるだけで何も話そうとはしなかった。

 誰かが聞きに行かなければ、きっとこのまま何も話さず終わるだろう。さりとて、金メダリストにして、この寡黙な男にいきなり指導を仰げる人間はそう多くない。

 様子を見ていた美玖が、まずは自分が指導されているところを見せようと気を回す。

 東京に来るまでに指導は受けているので、その辺は手慣れたものだ。

 

 だが、そんな美玖よりも先に夜鷹に突貫した勇者がいた。

 

「はい!夜鷹コーチ!アドバイスお願いしたいです」

 

 平新谷萌栄、前髪を結んだ額をさらしている少女だ。暗い雰囲気の夜鷹にも物おじせずに真っ直ぐに向かって行く。

 

「……」

「あ……えっと、4回転サルコウ練習してて、見てもらってもいいですか!」

「いいよ」

 

 何も言わない夜鷹に美玖がフォローしようかと、ハラハラしていたところ、萌栄が続けたことで遂に夜鷹も了承した。

 パアッと表情を綻ばせて、萌栄はジャンプを見せる。

 

 大きく助走をつけて、左足のインサイドエッジに体重を預ける。そのまま踏み切る、その時に腕を大きく速く振り勢いをつけることを意識する。

 その勢いのまま、空中に螺旋を描き、そして着氷のタイミングがずれて転倒した。

 

「あ……えっと」

 

 夜鷹の様子を伺いながら、スッと寄って来る。

 周囲の誰もが、夜鷹の言葉を待っていた。固唾を呑んで見守る。

 

「君は……頭が悪いんだね」

「へあ?」

「コーチ!?」

 

 あまりの罵倒に萌栄の目の先まで涙が昇ってきたところだった。

 美玖が悲鳴のような叫びをあげて、ズンと駆け寄ってくる。

 顔を青くしながら、こめかみに皺を寄せて、夜鷹に迫る。

 

「どういう意味か、ちゃんと説明してください」

 

 少ない付き合いではあるが、美玖は順応していた。この男は言葉が足りなすぎる。

 結論を言うだけならまだしも、その結論をさらに意訳して出力してくるのだ。いっそ、悪意でもあるのではないかと思うほどに。

 

「まず、平新谷さんの演技をどう分析したのか、そして何が足りていないのかを順番に」

 

 順番、そう順番が大事なのだ。洸平も順番には常に気を遣って教えてくれていた。

 自分に何が足りていなのか、だからどうするべきなのか。そのどちらかが欠けていても指導は成立しない。

 光、そして美玖も夜鷹と同系統の能力を持っている。

 夜鷹が見本を見せて、やって、と言えば勝手に学ぶのだ。加えて、真面目で聡い美玖は夜鷹の言葉の裏までくみ取ってくれる。こんなに教えやすい生徒はそういない。

 当然、他の生徒にまでそんなことを要求する方が間違っている訳である。

 

「ジャンプを一目見て分かった。君は結束いのりのジャンプをトレースしたね」

 

 自分の言葉に反省する素振りすら見せずに、夜鷹は淡々と語りだした。

 

「目の付け所は間違ってないと思うよ。腕の上げ方を意識していることがすぐにわかった。良い眼……着眼点は持ってる」

 

 夜鷹の口から誉め言葉が出たことに誰もが驚いた。

 

「でも、なんでだろうね。腕の振り方を変えたら、ジャンプ全体が変わるなんて当たり前なのに、君は頑なに腕だけを変えようとしている。ジャンプは全身運動だよ。腕の振りが速くなったら、着氷のタイミングだって変わる。バランスのとり方も、踏切りの感覚も」

 

 夜鷹はいつぞやの光のレッスンを思い出していた。突如現れた、唯にアドバイスしたときだって、腕を指摘しただけで、言わずともフォーム全体を修正してきた。光も自分で考えて勝手に直す。

 

「だから、思考が悪いんじゃないかな。眼は良いのに」

 

(ここまでの説明を、頭が悪いでまとめたの……)

 

 きちんと説明すれば誰もが納得できる理路整然としたものだった。それがあんな暴言にまとまってしまうのは、もはやわざとではないだろうか。

 もしかしら夜鷹がコーチとして認められないのではないか、そんな美玖の不安とは裏腹に、クラブの雰囲気は一変した。誰もが、夜鷹を狙うように獰猛な目を向ける。

 

「はい!ありがとうございます!」

 

 スターフォックスFSCの目の色が変わった。夜鷹の存在を認めたのだ。

 今回のことでスターフォックスの面々は学んだ。しっかりと深堀すれば、夜鷹は答えを返してくれる。

 美玖のように遠慮なしとはいかないが、質問する形にすれば、彼の意思をくみ取れるのだ。オリンピック金メダリストの指導を、確かなものにできる。

 その実感がクラブのメンバーの心に灯った。

 

 ここは夜の森。幼い獣たちが、獰猛に肉を喰らう。

 それは夜鷹純ですら例外ではない。

 夜鷹純を糧にする。そんな不遜な決意を誰もが胸に秘めた。

 

 

――――――

 

 

「コーチは、なぜ正式にアシスタントコーチになったんですか?」

 

 夜、個人レッスンのためライリーにリンクを貸切ってもらっている。今ここには、美玖と夜鷹とライリーしかいなかった。

 美玖の質問はもっともだ。夜鷹の指導力自体は高いが、指導者として評価すると落第点もいいところだ。

 生徒のモチベーションを完全に相手に依存している。自立した人間しか指導できない。さらに指導には夜鷹の話を引き出し、解釈する理解力も求められる。

 スターフォックスという才人の庭でようやく成立しうる指導だ。

 

「私を指導したいのなら、光ちゃんのときみたいにも出来たでしょうに」

「……理由はいくつかあるよ」

「はーい♪私も聞きたい!夜鷹さんがアシスタントコーチになった理由」

 

 重々しい2人雰囲気を断ち切るように、ライリーが明るく割って入った。

 美玖がライリーに視線を向け、やがて頷くとともに夜鷹へ向き直した。

 

「一番の理由は正式に君のコーチになるためだよ」

「……どういう意味ですか?」

「前に僕が『不自由』を与えると言ったこと憶えてる?」

 

 美玖は『不自由』の中でこそ力を発揮できる。本来なら、それは負担をかけた他者の期待や想いであったが、その代わりとなるものを夜鷹が課す。そんな話だったはずだ。

 

「はい」

「君に課すのは、世間の期待。肩書の重み。そんな、他者からの目だ」

 

 美玖の思考に空白が生じた。それと同時に聡明な脳がその言葉の意味を理解する。

 

「僕は自分の残した結果を自覚しているし、それがどう見られるのかも分かっている。僕の一番の教え子。それがどういう意味を持つかもね」

 

 未来を想像すると、心が鎖で締め付けられるような感覚に陥る。

 

「苦難の道を歩むことになるだろうね。君はまず僕の弟子ではなく、亜昼美玖だというアイデンティティを証明しなきゃならない。世間に、世俗に、荒波に呑まれて、自我を失えば君はスケート選手として死ぬ」

 

 夜鷹純の直弟子。それが意味するところは大きい。

 誰もが勝手に想像する。夜鷹純の教え子はきっとこんな演技をする。こんな言動をするんだろう。

 誰もが勝手に期待する。全日本で、グランプリで、オリンピックで、こんな結果を残してくれる。

 

「理解した?正式に僕の教えを受けるという意味」

「私に重荷を背負わせる、ただそれだけのために……?」

「概ねはそうだね。加えるなら、僕の名前は何かと便利だ」

 

 この男はどこまで見据えているのだろう。

 

「スポンサーについてもらいやすい。話題性という意味ではね」

「そんなやり方」

「スポンサーが付けば、君は今度こそ自分の力でスケートを続けられる」

 

 美玖は何も言えなかった。師の威光を利用してでも、スポンサーを欲することが卑怯なことだと思ってしまう。しかし、それを言える立場でないことも分かっている。

 

「これは決して優遇ではないよ。僕の名前で寄ってきた大人は、僕を通して君を見る。はっきり言って地獄の道のりだ」

 

 夜鷹は美玖に枷をつける。それはルールや縛りではなく、心理的なデバフだ。しかし、そんな抑圧が彼女を強くすることを確信している。

 

「ジュニアGP選考会までに4回転トウループを完璧に仕上げる。それが叶ったら次の段階だよ」

「次の段階……?」

「そう、君自身を世界に知らしめる。破滅と隣り合わせの一手」

 

 どこまでも美玖を追い詰める。夜鷹が金メダルを獲得するに至る道のりで得た知見が、全て美玖への負荷のために使われる。

 尋常とは到底言えない。

 この男は一体自分に何をさせようとしているのか。

 

「大舞台で4回転ルッツを成功させる。それがまず一手目だよ」

 

 夜鷹は言外に、大舞台で4回転ルッツを降りた後を仄めかしていた。

 期待と落胆の渦巻く荒波に少女を突き落とす。そこに躊躇などまるでなかった。

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