ウール孤児院に新顔がやってきた。両親は自動車事故で死に、親戚を盥回しにされたあげく、最終的に厄介払いされたらしい。トムとおなじぐらいにはありふれた名前の子ども。
……そして、へんな力が使える。

□成分表示□
独自解釈と捏造設定と原作改変とご都合主義。
メイン要素は家族愛未満。
原語と翻訳のすきなところつまみぐい。

別題で他サイトにも掲載。

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ありふれた名前の子どもたち

 ロンドンの片隅にあるウール孤児院。起床すぐになにかを察知した少年はカーテンを開けた。雪降る窓を眺めて彼は暗鬱のため息をついた。

「……最悪だ……」

 声にも出した。

 寒さというものは人を疲弊させ、ついでに変温動物たるヘビも疲弊させるので彼らは絶対に冬眠の穴蔵から姿を現さなくなる。暖房としてストーブを焚くにも燃料は金がかかる。

 第二次世界大戦を控えた頃合いのロンドンにおいて、数多の燃料は節約されてしかるべきだった。たとえばみずぼらしく貧相な孤児院に回すぶんはほとんどなく、あっても職員たちか病人に回された。

「あ、起きてる。おはよう」

「……」

「おはよう」

「……」

「おはようトム」

「……。おはようジョン」

 やかましい、とばかりに顔をしかめた少年——トムの横に無造作に近寄った少年(こちらの方が頭ふたつぶん背が高い)が、がら、と窓を開ける。途端に雪混じりの風が室内に吹き付けてきた。

「なに考えてるんだバカじゃないのか」

   ぴしゃん!

 手(﹅)を(﹅)使(﹅)わ(﹅)ず(﹅)トムは窓を閉めて、犯人を睨んだ。「ごめんごめん。うん、雪かきの人手が必要だな……」ジョンと呼ばれた少年は、嘯きながら窓枠やベッドについた雪を払った。

「おいで。一緒に雪かきをしよう」

「嫌だよ。お前ひとりでやってこい」

 誘いをトムは冷たくあしらった。

 少なくとも昨年も一昨年もジョンはひとりで雪かきを行っていた。ウール孤児院では、トムも、ジョンも、彼らの周囲ではありとあらゆる不思議な現象が起きうるために、遠巻きにされていた。しかし冬じゅうつきまとう重労働を一挙に解決する労働力としては、孤児院ではむしろ重宝されていた。

「どうも学外で使うと法律違反らしいんだ」

「……ハァ? そんなの、聞いたことがない!」

「私もそう思う。実際、今まで怒られたことないし……」

 少年は真面目くさった顔で頷いた。

「となると、個人を識別する方法があるのか、発動を感知する手段があるのか。検証してみる価値はある。というわけでおまえを連れて行くわけだ、ご理解?」

「……外は寒い……」

「……一瞬騙されかけたけど、おまえ、自分の身の回りぐらいあったかくできるだろ」

「そんなのきみも一緒じゃないか!」

「そう私も一緒。だから一緒に雪かきしようなという話をしている」

「クソッ離せ」

「行こうか〜」

 首根っこを押さえられたトムはいかにも「不満です!」の顔を隠そうともしなかった。

 

「……きみ、力(﹅)を使ってる? 全く逃げられないんだけど」

「うん? そういえばそうだ。……。そういえばそうだな? あれ? もしかして魔法省ってば、検知してないのか? 使った瞬間退学処分とまで脅されたのに」

「ちょ、っと待て退学処分は初耳だ! そんな綱渡りしてたのか!?」

「あは」

「僕が入るまで絶対退学なんて事態になるなよ!? 万が一にでも同じ孤児院出身というだけで変な目で見られたら、たまったものじゃない!」

「確かにね、ならおまえが入った瞬間退学しようかな」

「ヤメロ!!!!」

 

   ➤

 

 ジョンなんてありきたりな名前ですごくダサい。僕だったらきっと恥ずかしくて耐えられない——トムも、ありきたりだけれど。それでもファーストネームだけで、リドルと、とくにマールヴォロは珍しい名前だ。

 それにひきかえジョンは、ファミリーネームすら、ありきたりにありきたりを重ねたようなものだった。

 全く特別ではない名前。どこにでもあるような、聞いたとしてもあまり印象には残らず、すぐに忘れ去られてしまうような、価値のない名前。

「ん? でも世界一有名な探偵の助手もジョンだよ。ジョン・ワトソン。……知らないか?」

「……知ってる。けど、シャーロック・ホームズシリーズは架空の物語だ。存在しない人間でしかない」

「でもとても有名だ。あと、綴りが簡単だから、サインがとても楽」

 真正面からの侮蔑に、飄々と言ったそいつ——ありきたりなファーストネームで、ありきたりなファミリーネーム——は、堪えた様子もなかった。

 僕が六歳のときに、ジョンは孤児院の一員となった。ひどい自動車事故でひとりだけ助かって、それから孤児院に送られたのだと言った。自動車なんて高価なもの(それも、一家丸々乗せられるほどの)を買えるぐらい、豊かな家だったんだろう。もっとも事故ののちは、親戚にたらい回しにされたあげく遺産はちゃっかり搾り取られ、最終的に孤児院に放り込まれたと、本人は述べている。その主張が、正真正銘の事実かどうかは、知らない。案外相違ないのかもしれないし。……あるいは、もしかしたら、力(﹅)のせいなのかもしれない。

 僕が遠巻きにされる力(﹅)。ちょっと不思議なことを起こせる能力。ヘビと話せたりとか、嫌がらせに些細な仕返しをしたりとか、ほんのちょこっと言(﹅)う(﹅)こ(﹅)と(﹅)を(﹅)聞(﹅)か(﹅)せ(﹅)る(﹅)、とか。——ヘビと話すことはできないみたいだけど。

 あぶれもの同士同室に押し込められた。僕は低能と話すことなんてなにもないので、ちょうどよかった。

「大きなものを動かせるから模様替えがしやすい。暑い日も涼しいし、寒い日も暖かい」

「そんなくだらないことのために使うだなんて」

「そう? なら、おまえの蒐集品はくだらなくないの?」

「ッ僕のコレクションは当然の権利だ! 軽んじられて、蔑まれて、その対価にちょっともらっただけだろ!?」

「はーん……」

 誰がどう聞いても心底どうでもよさそうだと思うだろう相槌だった。

「だいたい、使う目的がなんであれ、変わらない。あいつらはきみのことを化け物のように見る。……僕のことを見るように」

「そうだね。それで、それが?」

「それが——」

「それはあいつらと同レベルに成り下がる理由になるの?」

 僕は黙った。ジョンの言葉は、無感情で、無関心で、つめたく突き放すものだった。ジョンは、たまに、そういう口調で、言葉を述べることがあった。

 ジョンは僕を上から下まで眺めて、傍らの洗濯物をひょいと指だけで持ち上げると、鼻歌を歌いながら洗濯板の方へと足を向けた。

 ジョンは、あの素晴らしい力をしかしくだらないことばかりに使うから、雑用係のごとく、様々な作業を押し付けられていた。そして料理にはなにを入れるかもわからないと厨房から遠ざけられていた。化物の子だから——孤児院のごはんが美味しかったことなんて一度もないくせに、笑ってしまう。

 ジョンに話しかける人間なんて、ジョンに雑用を押し付けてばかりの怠け者のウィルソンか、僕ぐらいのものだった。そして、僕にわざわざ話しかける変人もジョンぐらいのものだった。新参にして変わり者。臆病でのろま。

 

 たまに、ひとでなしの、目をする。

 

 ある日、ジョンには手紙が届いた。

 そして、ジョンは学校で寮生活を送ることになった。ホリデーには顔を見せると言っていたが、僕は嘘だと思っていた。ジョンはさっさと学校へと向かった。孤児院の誰にも——僕にも、挨拶の一言もなく。

 不思議な力を使う化け物は孤児院にまたひとりとなった。僕だけがたったひとり。……三年前まではもともとそうだった。妙なやつが一瞬いて、いなくなった、それだけのことだ。預けられた子どもがどこかに引き取られたり、いなくなったり、孤児院ではよくある話だ。

 よくある話だった。

 

「ようやく見つけた、本当に毎回変なところにいるね……見てよ、これ学校でもらった菓子。いる?」

「……。は?」

「なんだその顔」

「……学校に行ったんだろ」

「そうだね。それで、今はホリデーだ。学校は休み」

「……二度と戻ってこないと思ってた」

「……私、ホリデーは帰ると言わなかったっけか?」

 言っていた覚えはあった。けれど、いつも、そんなものは方便だった。いつも。悪魔で化け物なこどもに気休め以外のことを言うやつは誰もいなかった。

 三年と三ヶ月前までは。

「まァいいや。要らないなら返してくれ。自分で食べるから」

「やらない。もう僕のだ」

「ああうん。だからもともとあげるつもりだったよ」

 

 蛙のかたちをしたチョコレートは、パッケージから解き放った瞬間、部屋中を縦横無尽に跳ね回った。僕らは泡を食って、誰かに見咎められる前に捕まえる羽目になった。おかげで真冬に汗だくだ。

 ジョンの手元に自由にできるお金はほとんどないから、貰ったもの以外に魔(﹅)法(﹅)のお菓子にお目にかかったことはなくて、蛙チョコレートがこんなに暴れ回るものだとは知らなかったらしい。

「……魔法?」

「あれこれも言わなかったっけ? 私が夏に受け取った手紙があっただろう、あれ魔法学校からの入学案内の手紙。たまにそういうひとがいる」

 今度は本気で初耳だ。そういうことは早く言え。

「たぶんトムも再来年には貰うよ」

 そういうことは本当に早く言え。

 蛙チョコレートは四肢をもいで食べた。死に際の痙攣まで再現されたチョコレートはなんだか微妙な感触がした。まずくはなかった。

 

   ➤

 

 夏休みにもまたジョンは戻ってきた。本当に。言っていた通りに。

「成績はまずまず。残当だね」

「それよりこれなに!?」

「魔法界が本気出したロシアンルーレット」

 今度寄越してきたお菓子は、百味ビーンズとかいう、名前通りの代物だった。こればかりは名前通りであってほしくなかった。美味しいものは本当に美味しいけれどハズレは死ぬほど不味い。ゲロ味とは。耳くそ味とは。何故こんなものを現実に存在させてしまったんだ。

「力(﹅)って万能じゃないのか? それとも魔法使いはみんな気が狂ってるのか?」

「魔法が万能だったらおまえそもそも怯えられてないんじゃないの」

「……」

「怖い顔……」

「きみこそあれだけ雑にこき使われてないだろ。……なんで大人しくこき使われてるんだ?」

「可哀想だろ。私やおまえが指を鳴らすだけでできることをあんなに時間がかかってて」

「きみちょっと捻くれてるよな」

「そうだね、おまえに比べれば〝ちょっと〟だ。まァさておき、それはそれとしてたぶん魔法使いはみんな気が狂ってるのも事実かな」

 ジョンは気のない声でそんなことを言った。僕はいかにも疑わしいとばかりの顔でジョンを見つめた。言い出したのは僕だけれど、ウール孤児院では力(﹅)を使えないやつら全員が気が狂っているっていうのに、使えるやつも気が狂っていたらいよいよおしまいだ。

「安心しなさい、おまえもまあまあ気が狂っているよ。お揃いだね。……噛むな噛むな噛むなおまえは噛み噛み白菜か口は食べるか喋るために使えわかったひとつ妥協してやる。魔法使いの町に連れてってあげるから。痛い! 本当に痛い!」

 

 そういうわけでダイアゴン横丁に出向くことになった。

 

 薄汚れたパブ——店主はトムと名乗った、僕は無言でジョンを見上げた。ジョンは意味ありげにこちらを一瞥するので、その脛を本気で蹴ろうとしたら避けられた——を通り過ぎ、壁を棒切れで叩く。

「なにそれ」

「杖」

「……ドルイドとかの? 本当にまほうつか、」

 壁がひとりでに動いてアーチを作る。ひらけた視界には珍妙なローブと帽子を被った人々が行き交っていた。右手の店から本が飛び立ち(本当に〝飛び立ち〟としか表現できなかった。羽ばたいて宙に浮いていた)すぐに追いかけてきた女が本を捕らえた。その隣の店の煙突からはドキツい紫色の煙がもくもくと上がっている。左手すぐのショーウィンドウにはチョコレートの蛙が貼り付いていた——見覚えがある。

 僕はしばらく黙ったあと、ジョンをもう一度見上げた。

「魔法使いの町。ダイアゴン横丁」

 ジョンは端的に述べた。事前情報と全く差異がなく、新しく具体的な情報はつまりゼロだった。

 ジョンが僕を連れてきた理由は、僕に魔法使いの町を見せるためでもあったようだが、それはそれとしてジョンの目的は買い物だった。空飛ぶ本が行き交う本屋で二年生の教科書を入手し、妙な煙がただよう薬品店ではいくつかの器具と図鑑を購入していた。

「ねえ、箒が展示されている」

「スポーツ用品なんだ。魔法使いはクィディッチというスポーツで箒を使う」

「……掃き掃除に?」

「飛ぶ」

「飛ぶ!? 本当に魔女じゃないか!」

「買えないよ。高いから」

 しっかり釘を刺された。べつに買いたいとも飛びたいとも言ってないのに。ましてや羨ましいなんて一言も言ってないのに。

「……一年生の授業で箒も習う。場合によっては学校から貸し出してもらえるらしい」

「僕はなにもいってない」

「おまえ感情が昂ると目が赤く光り始めるの、自覚ある?」

 目元をこすろうとしたら「痛くなるからやめなさい」手を掴まれた。こういうところはまるで説教くさい教師のようだといつも思う。

 目をこするのをやめたのに、手は掴まれたままだった。人混みでの迷子防止だそうだ。どう考えても僕を馬鹿にしている。今年の大晦日で十一歳なのに。孤児院では誰よりも僕が一番頭が良いのに。子供扱いするのはジョンぐらいのものだった。僕はだいたい化け物扱いだ。手を繋がれたこともない。

「……ちなみにローブはなに? 流行り?」

「魔法界ではスタンダードな服装なんだよ、学校の制服もローブ。……露骨に嫌そうな顔するね」

 ジョンは珍しく愉快げに笑った。たいてい愛想の良さそうなニコニコ笑顔を浮かべているので、滅多に見ない、意地悪い笑みだった。

「ジョンもローブなの?」

「基調は黒、差し色は青とブロンズの洒落たデザインをしているよ」

「緑の方がずっとセンスがいい」

「おまえはスリザリンかもな。蛇好きだし」

「それ関係あるの。……スリザリンってなに?」

「さて、ネタばらしはこのあたりにしておこう」

「ねえ!」

 夏のロンドンは魔法界でも暑く、掴まれた手が汗で滑るから、つよく握り直した。ジョンはなにも言わなかった。振り払われることもなかった。

 

「フクロウ郵便だって」

「ああ、魔法使いはフクロウを使って手紙を送るんだよ」

「……きみは手紙は一度もくれなかった」

「孤児院にフクロウが来たら死ぬほど目立つけれど?」

「どうせ僕がやったんだって思われるだけだろ。おかしなことなんて全部」

「なあに〜トミーちゃんは手紙がなくって寂しかったんでちゅか〜」

「ブッッッ殺すよホント」

 

「どうせ来年には入学だ。そのころにはなにもかもわかるよ、おまえだって」

 僕を一頻り揶揄ったあと(本当に殺そうかな)ジョンはご機嫌取りの如く付け加えた。これで僕だけ入学できなかったらまず真っ先に惨たらしく死にたくなるほど苦しめてから殺す。

 呪い殺す候補リストの第一位に、眼前のニヤニヤ笑みが燦然と躍り出た瞬間だった。

 

   ➤

 

 なるほど、確かに、入学の手紙は僕にも届いた。ホグワーツ魔法魔術学校——ジョンが述べる学校名とそっくりそのまま一緒。呪い殺すリスト候補一位の名前は二重線で消去された。

 そして、僕に届いたものは手紙だけではなかった。

 アルバス・ダンブルドアとかいう男。僕を見つめてブルーの目が瞬いた。心底気味の悪い、輝くようなあお。なにもかも見透かすが如く。

 

 そしてキャビネットが燃えた。

 

 キャビネットの中でガタガタと震えて主張していた品々。取り出されたことで静かになった蒐集品の数々は今は机に並べられていた。

 頬が紅潮している自覚がある。恥と、苛立ちと、頭に血が昇って——手足の末端がつめたくなる。賢しらな説教は思考の表面を上滑りした。

 なにが悪い、なにが悪い、なにが悪い、なにが悪いっていうんだ! あいつらは僕を叩いた、馬鹿にした、自分だって親なしの分際で、なんなら捨てられたくせに! なんにも特別でないからこんなところで群れをなすことしかできないくせに! 特別でもなんでもないくせに、僕を、僕をひどく貶めた! 特別なはずの僕を、

 ……曇りなき正論だ、鋭い正しさだ、そんなものはわかっている、そんなことはわかっている。今更、訳知り顔で諭されなくたって、そんなことはずっとわかっている。

 それで?

 世間の正常が僕をどのぐらい救ってくれるというんだ? 蔑ろにされて薄気味悪く見られるのが当然の場所で、薄っぺらい普通に倣ったとして、そんなもの、いったいなんの役に立つ?

「それで……おや、それは……」

 なにかを続けようとしたダンブルドアがそこで言葉を切った。青い瞳は箱の中を注意深く見つめていた。僕は瞬きをして——咄嗟に箱の蓋を閉めた。なにを見つけられたのか思い当たった。

 箱の底。とくにぴくりとも震えなかったもの。ここから出せとばかりに暴れる品々の中で唯一おとなしくしていたもの。……盗んだわけではなかったもの。

 ひとつだけだ。たったひとつ。

「……ニコラス・フラメルの蛙チョコレートのカード、いいセンスをしている」

「さわるな」

「そうだな」

 僕のはねつける言葉に、ダンブルドアはどこか神妙に述べた。

「ニコラスは、私の友人でもある。彼を知りたいなら、私にも話せることがあるやもしれない——」

 火柱に燃料を焚べてきた。やはりコイツはここで殺す、

「——それと、やはり、先程まとめて燃やしてしまったように見せかけたのはよくなかった。……すまなかった」

 ……焚べた燃料ごと鎮火された。行きどころのない憤りがぐるぐると腹の中で回っている。

 操ろうとしてもうまくいかない。心の中を覗くのも難しい。魔法の技術は悔しいことにかなわない。口車だけで言いくるめるにも、認めよう、僕はまだそこまで成熟していなかった。

「待ちなさい、トムには今お客さんが来ていて——」

「トム? なにかあったか?」

 ミセス・コールの制止も構わず、音を立てて扉を開けたのはジョンだった。今もっとも来てほしくなかったし、今もっとも来てほしかった、かもしれなかった。矛盾した感情は千々となり、声帯を感情の塊が塞ぐ。

「確かに君もこの施設の出身だったな」

 最ッ悪だ。この口ぶり、僕に蛙チョコレートを寄越すような人間に見当がついている。どころか、特定までできている。

 ジョンは僕を見て、ダンブルドアを見て、それから半眼になった。

「先生、トムをいじめましたか?」

「ほんのちょっとな。ちょっとだけ。……申し訳ない」

「あっそう。……まあテーブルを見る限りなにをしたのかはなんとなくわかるんでそこはいいです。ていうかおまえそれまだ持ってたの? いじめの証拠品を残すのは悪趣味だと私は思う」

「黙れ」

「必要な言伝は今しがた終えたよ。学用品を買いに行く同伴は、私たち大人の手伝いは不要だそうだ」

 余計な一言二言が多すぎる。ダンブルドアを睨むが、やはりこの壮年の男は平静だった。元通りミセス・コールをちょっと混乱させて、それからようやく帰った。

 ジョンは(僕が睨んでいるっていうのに)部屋に残って、テーブルに並べられた僕のコレクションを眺めていた。

「ハーモニカはまあだいたい見当がつくとして……他誰だ? というかよくもまあここまで溜め込むね。リスかな」

「うるさい」

「ずいぶん大人しいね。その調子じゃダンブルドアにこってり叱られたかな? あの先生、こういう行いは好まないから。普段はむしろ寛容だけどね」

「……アイツなに」

「変身術の先生だよ。一年からの必修だ、よく会うことになるだろう」

 僕の表情を見とめて、ジョンは堪えきれないとばかりに短く笑い声を上げた。あまりに不快だった。

「……もうあんなじいさんのことなんかいいから。ダイアゴン横丁に行って学用品を揃えたい。明日にでも」

「じいさんかなあ。ともあれ、なら今日中にその品々を返して回らなきゃな」

「……」

「意地を張るじゃないか。大人しく返しなよ、どうせダンブルドアは絶対見過ごさない」

「あんなやつのことなんかいいって!」

「やだよ。同じ孤児院出身ってバレてるんだから、放っておいたら私まで怒られる」

 あまりに苛立ったので久しぶりに力(﹅)で部屋をぐちゃぐちゃにした。ジョンはどうでもよさそうな顔で僕の癇癪をひとしきり眺めていたが、やがて、指をちょいと振って全部元に戻した。

 学校が休みのあいだ魔法使っちゃダメって言ってたの、幻覚かなにかか。

 

「ふくろう、猫、ヒキガエル。……蛇は?」

「蛇飼ってるやつとか、学校にいないよ」

「正気!?」

「そこまで? ……学校近くの森にはいくらでもいるから何匹か捕まえてくれば。懐いたんだと言い張れば先生方も強く言えない」

「……アイディアの有用性は認める」

「でも連れ歩いたらふくろうに食われるのがオチな気はする」

「なんでそういうこと言うの!?」

「おまえほんと蛇好きね」

 

   ➤

 

 赤地に金のライオンが咆哮を上げるグリフィンドール、青の背景に銅の鷲が降り立つレイブンクロー、黄に黒で縁取られた穴熊がにらむハッフルパフ、緑の内側で銀の蛇がとぐろを巻いたスリザリン。

〝ジョンもローブなのか?〟

〝基調は黒、差し色は青とブロンズの洒落たデザインをしているよ〟

〝緑の方がずっとセンスがいい〟

〝おまえはスリザリンかもな。蛇好きだし〟

 僕はジョンの言葉を一年越しに理解した。ヒントをもとに探してみれば、ジョンはやはり、レイブンクローの席に腰掛けていた。すました顔をしていたが、死ぬほどつまらないときの取り繕った表情であることぐらいは一目瞭然だった。

 言い当てられたとおりに組み分けはスリザリンで、ジョンはあくびをこぼしながら拍手していた。やる気がなさすぎる。他の子のときは拍手すらしていなかった。眠そうだ。取り繕うふりぐらいしろよ。

 リドルの家名は魔法界では全く聞き慣れないものらしく、純血を尊ぶスリザリンの中では、おおよそ困惑と探り合いの眼差しを向けられた——初日だけ。談話室で蛇語を披露すると、皆の顔つきが変わった。ダンブルドアは嘘をついてはいなかった。蛇語話者(Parselmouth)は魔法界の中でも珍しい。

 そして、サラザール・スリザリンは蛇語を話せたらしい。

「僕の父親はスリザリンの末裔?」

「……母親かもね」

「それこそまさか。魔法使いだったなら死ぬはずがない。ジョンも昔、同意したじゃないか」

「おおよその心当たりはあるけれど、確かあのときは、一理ある、と言っただけかな……」

 入学式ぶりの遭遇は、三日後、図書館でのことだった。

 きわめて明晰で賢い見解を述べる僕に対し、ジョンは意味ありげに混ぜっ返して(ちょっと苛つく。ジョンはいつもそうだ)一冊の本を渡した。栞が挟んである。

「昨年には見つけていたんだけれど。悪かったね、さすがに文字が踊って絵が動く本なんて、孤児院に持ち込めなかった」

【聖28一族(Sacred Twenty-Eight)総覧】

「……〝間違いなく純血〟の?」

「入学して間もないのによく知って……まァスリザリンならそうもなるか。私が言いたいのは、この、ゴーントの部分」

 栞が挟まれたページを上から開く。何度か開いたような癖がついていて、すんなりとテーブルに広げられた。指先で押さえて示された名前には【マールヴォロ(Marvolo)・ゴーント(Gaunt)】と記されている。

 ミセス・コールの話を僕はほとんど暗唱できる。孤児院の院長を仰せつかる彼女、かったるそうな言葉。僕の母親を看取った女。僕の名前は、僕の父親の名前と、自分の父から取られた。らしい。

 マールヴォロ・ゴーント。生まれ年から逆算するなら、僕の祖父でもおかしくはない年齢だ。

「珍しい名前だ。おまえも言う通り」

 ジョンも知っている。ごくふつうの名前のジョンに対して、僕はたびたび、僕の特別なところを引き合いに出したから。

「……母さんも、魔女?」

「か、どうかはちょっとわからない」

 信じられないと言わんばかりの声色が出た自覚はあったが、信じていないわけでもなかった。ジョンも肩をすくめた。

「魔法使いと魔法使いの間にも、魔法が使えない子どもが生まれることは、ある」

 それでも重要な手がかりだ。何度も言うとおり、マールヴォロの名前は変わっていて、特別だ。そう何人もいないだろう。魔法界でも、きっと。

 死んだ母は、魔法が使えない人間、つまりマグルだと思っていたし、僕は混血かと思っていた。けれど案外、純血だったりするのかもしれない。——そうだとしたら、何故母は死んだのか、何故父は母を捨てたのか。という疑問は、なくもないとして。

 指先が本を閉じようとする——僕はふとその手を止めた。

「ちょっと待て」

「なに」

「ここ」

 ゴーントの端に連なっている名前を指す。正確には、ゴーントの苗字に結ばれたハイフンを指差す。ファミリーネームにつながれたハイフンはたいていの場合、婚姻で姓が変わった場合などに、旧姓を繋ぐものとして用いられる。

 ジョンはかすかに顔をしかめた。……単なる偶然でもなく、心当たりがあるらしい。

「ブラック」

「……」

「これは、どういうこと——ジョン・ブ(﹅)ラ(﹅)ッ(﹅)ク(﹅)」

 ありきたりなファーストネーム。ありきたりなファミリーネーム。ごく普遍的な組み合わせ。

 けれど、魔法が使えて、魔法界では〝間違いなく純血〟としてその苗字が挙げられるのであれば、話は違ってくる。

 ジョンには手紙が届いた。ホグワーツの入学許可証。教授は来なかった。僕にはダンブルドアから手紙が渡された。ダンブルドアは、マグル生まれだとか、魔法の存在を知らない子どもやその保護者には、当然説明が必要になるのだと言っていた。

 ジョンには手紙だけが届いた。教授は、誰も、来なかった——知っていたから?

「……おまえ、私に気を配る余裕があるの?」

「きみのご両親は自動車事故で死んだんじゃなかったのか」

 僕の嫌味を込めた詰問にジョンは目を細めて「事実としてそうだ」と、返した。

「魔法使いが自動車事故なんかで死ぬはずがない」

「それでも事実だ、間違いなく、変えようもない。……さっき言ったことを繰り返そうか」

 ジョンは僕の指を払い除けて、無理やりに本を畳んだ。

「魔法使いと魔法使いの間にも、魔法が使えない子どもが生まれることは、ある。そして、そういうこどもが生まれた場合……魔法使いであることを尊び、純血であることを尊ぶ、そういう名家はなにをすると思う? おまえの頭の出来なら想像くらいはつくだろう」

「きみは魔法が使える!」

「そうだね。私(﹅)は(﹅)魔法が使える」

 ジョンはつめたく繰り返した。

 突き放す言葉。無機質な目は、何度か、見たことがあった。

「……トム。私はおまえと喧嘩したいわけじゃない。わかるね?」

 言い聞かせるように柔らかくなる。しかし眼差しは未だ無機質だ。時折垣間見せるひとでなしの片鱗だった。僕はジョンを睨んで、それから、目を逸らした。

 僕もジョンと喧嘩したいわけではなかった。いろいろと都合の悪い話を握られているから。……そして、それだけでもない理由で。

 

 ホグワーツにはすでに〝ブラック〟の苗字を持つ生徒が何人も入学していた。しかしスリザリンではないブラックはジョンひとりで、今まで名前を知られていない〝ブラック〟もジョンひとりだった。

 つまるところ——スリザリン内では、ジョンにはきわめて懐疑的な視線が向けられていた。

 スリザリン寮全体の見解としては、ただのマグル生まれと断定したい——ところだが、ブラック家にありがちな黒髪、端正な顔立ち、そしてマグル生まれにしては魔法に慣れすぎている点が気にかかるらしい。聞いたところ(そして本人も証言するとおり)ジョンは入学してからこの二年、学年三位、そして二位の成績を取っていた。おそらく今年もそうだろうと囁かれていた。抜きん出た一位でこそないが、秀でた実力であることは間違いない。

 マグルの孤児院出身という出自をジョンはひけらかしていないが、隠してもいないので、その特徴も尚更真偽を曖昧にぼかす。

 純血の落胤であっても納得はできる特徴の数々。しかし【魔法界の王族】を自称する程度には血を厳格に管理するブラック家が、そのヘマをしでかすものか、と。

 ある意味噂の当事者たるブラック家の子息たちは、笑みと、有無を言わせぬ口調で、数々の追及を否定した。否定されてもなお噂話は面白半分に蔓延った。事実であっても肯定できない事情があれば、肯定の回答は齎されないだろう。

 純血の家系だというなら、それを正直に述べても全く問題はない。家柄からして十二分に胸を張れる立場のはずだ。

 ジョンは魔法使いである。ジョンは自動車事故でひとり生き残った。魔法使いであれば自動車事故で死ぬはずもない。僕の見解をジョンは否定しなかった。しかし自動車事故という点は事実だとジョンは強調した。

 事実だと言うなら事実だろう。事故であるという点も含めて。

 

 ——魔法使いと魔法使いの間にも、魔法が使えない子どもが生まれることは、ある。

 

 ジョンが置き去りにした【聖28一族総覧】を借りて、熟読した。ブラック家の家系図にはいくつかの消された枝葉があった。生きていればジョンの親ぐらいの年齢にあたるであろう世代も、同様に、抹消の痕跡が残っていた。

 ジョン・ブラック。自動車事故でひとりだけ死に損なった子ども。親戚をたらい回しにされて、遺産を搾り取られたあげく、孤児院に放り込まれた子ども。僕が聞いているすべて。

 

 ウール孤児院で僕を除いてただひとりの正気の生き物。たったひとりの同類。あるいは異端。

 ホグワーツでは、数多いる同類のうちひとり。おなじにんげん。

 

 あるいはそ(﹅)こ(﹅)にも区別がつくだろうか。

 

「トム」

 最初の変身術の授業では、マッチ棒を針に変化させ、スリザリンに五点が入った。他の授業でもいずれも僕は真っ先に成功させ、加点を手に入れていた——変身術だけ、授業終わりに呼び止められた。

 変身術の教授、ダンブルドアは、青い目で僕を見た。真っ直ぐに。

「いくつかのコレクションは返したかな」

 このクソ爺。

「はい、先生の仰るとおりに」

「それは重畳」

 ダンブルドアはほっとしたように微笑んだ。僕が本当に、言葉通り、すべて返却したことを正確に察しているようだった。僕はこちらも微笑んで踵を返した。心の中で思いつく限りの罵詈雑言を並べた。

 ホグワーツは魅力的な環境だが、あいつがいるという一点だけがどうにも好かない。どうにかして追い出せないかな。

「ジョン」

 差し出した針をハンカチにくるんでしげしげと眺めたのち「マッチを変える授業だっけ。上手いね」とジョンは純粋に褒めた。ささくれだった気分が少々良くなったので、僕は鷹揚に微笑んでやった。

「裁縫にどうぞ」

「使えと? 私に?」

「使えるほどの出来だろ?」

 尋ね返せば「……まァありがたく受け取っておくよ」ジョンは針をくるんだハンカチごとコツンと杖で叩いた。寮室に送ったようだ。

「ジョン、その子は? 見たところスリザリンだろ?」

 と、尋ねる知らない顔。ジョンの知り合いか。

「トム」

 ジョンの返答は端的だ。知り合いのようなので「初めまして、先輩」僕は愛想笑いを浮かべて無難な挨拶を述べた。

「……ああ、トム! いつもの弟くん(little brother)!」

 愛想笑いがうっかりそのまま固まりかけた。弟でもなんでもないんだけど。というか兄弟でもないんだけれど。僕はどういう紹介をされてるんだ。いつもってなんだ。

「兄弟ではないよ」

 ジョンもそこは平然と訂正するのか。そしてそこしか訂正しないのか。

「ン? でも今年の新入生にブラックっていたか?」

「だから兄弟ではないかな」

「まァよろしく弟くん」

「兄弟ではありません。トム・リドルです。よろしくお願いします」

 交友関係を広げておいて損はない。兄弟ではないけれど。断じて弟ではないけれど。

 

   ➤

 

 スリザリンの才児。つまり僕。彼がもとから親しい間柄のレイブンクロー生がいるらしい。これはジョン。

 僕が主語になった話は、今年度の学期末にジョンが学年一位になったことで、そのまま〝スリザリンの才児とレイブンクローの才児は同じ孤児院の出自で、仲も良いらしい〟で挿げ替えられた。

「一位になるのに三年もかかったの」

「一年前半のころにちょっと手を抜きすぎた」

 僕が少し揶揄うと、ジョンは気のない声で述べた。

「うっかり手を抜きすぎて最下位争いしかけて」

「本当になにを? ……というか、そこから逆転できるものなの? 悪魔に魂でも売った?」

「おまえもやってみる?」

「嫌」

「そうだね、おすすめはしない。……そんな顔するな、魂を売ったくだりは冗談だよ」

 僕は変な顔はしていないし、というか、魂を売ったくだり以外は冗談じゃないのか。

「ともあれ、そういえばおまえもホグワーツに来るはずだしなと思ったので。ちゃんと本腰入れて勉強した」

 ジョンは杖を振ってあかりをつける。夜闇に部屋がうすく照らし出される。レイブンクローの談話室だ。鷲を冠する寮は、愚かであれば自らの寮生でも容赦なく締め出す一方で、賢ければ他寮生をも受け入れる。

 ——成績をダシに、夏季休暇にもホグワーツに居残る権利を勝ち取った。

 加えて、同じく成績優秀で同じ孤児院の僕に関しても、捏ねまくって許可を出させたそうだ。ディペット校長ちょろいよなというのが本人の言。

 口実として、グリンデルワルトの影響の他、マグルの戦争も近いことも添えたらしく、そもそも口が上手いとは知っていたが。しかし。

 なお、僕は事後報告でそれらを知った。孤児院に戻りたいなら戻っていいよとも言われたので「絶対戻らない」と返して、ついでに、夏季休暇ぐらいスリザリンの寮に来るように要求した。ジョンは死ぬほど面倒そうな顔で(少しは隠せよ)僕をレイブンクローの談話室まで招き入れた。逆。僕はきみがスリザリンに来いと言ったんだ。全部逆。

 ……去年一昨年は一位ではなかったから勝ち取れなかったと嘯いた。ホリデーに帰ってきた理由は単に暇つぶし相手がいなかったからだとのたまった。

 本当かどうかは、知らない。心の中を覗くことはしなかった。ジョンは弾いてきそうな気もするけれど。

「優等生ってとても楽だ。なにかと便宜を図っていただける」

「性悪」

「おまえが言うの?」

 背中に寄りかかると「重い」と文句を言われた。

「三年生はなにを習うの?」

「選択科目が増えるから人による。おまえは数占いも好きそう……意外と魔法生物飼育学もありかな、グランプリー=プランク先生が蛇関連の魔法生物を取り扱ってくれるかは運次第だとして」

「蛇! サラマンダーとかでもいいよ、許そう」

「相変わらず爬虫類が好きだね」

「かわいくて賢い」

「それは確かに重要だ」

 どうでもよさそうにするな。耳を抓ると「痛い」ジョンは顔をしかめて、つねる手を振り払った。僕そのものを振り払うことはしなかった。

 僕はもっと体重をかけた。

「重い!」

 また文句を言われた。相変わらず振り払われない。しょうがないのでちょっとだけ加重を緩めてやった。

「夏休み、なにをしたい?」

「孤児院ならできないことがいい……そうだ、今度箒で競争しよう。僕箒も上手いんだ」

「私は箒あんまり得意じゃないから期待するなよ」

「元から期待してない」

「小癪」

 言いながら髪の毛を撫でられた。僕はその手を振り払わなかった。いつまで経っても撫でるのは下手くそだなとも思った。

 そしてジョンは箒も本当に下手だった。こんなひどいの、一年生でもそういない。

 

   ➤

 

 僕は二年生に上がった。ジョンは四年生になった。

 よく観察しているとジョンの時間割はきわめて不可解なものだった。単為生殖でもしなければ実現不可能な時間割だ。

 問い詰めると、ジョンは若干面倒そうな顔を取り繕うこともせず(もう少し取り繕えよ)砂時計を指先にぶら下げた。金属製のチェーンがついている。

「逆転時計(Time-Turner)?」

「時間をさかのぼるための道具だよ。同じ時間を用いて、別々の授業を受けられる。成績と、時間割の詰め方によっては、特例で支給される」

 指先で小さな砂時計を振る。僕が指を伸ばすとさっと避けられた。無言で見つめるとじっと見つめ返された。……。

「三年で選択科目が取れると言ったと思うけど。そのとき選択する科目次第では、おまえも、場合によっては手に入れられるだろう。成績基準はおそらく十二分に満たせるはずだ」

「お試しに」

「ヤだ」

「……」

「時間割以外にも、使い道はいくらでも思いつくものな?」

 よく御存知で。

「組分け帽子は節穴だ、ジョンはスリザリンの方が似合う」

 規則破りはスリザリン寮にありがちな傾向だ。グリフィンドールもだけれども、ジョンはグリフィンドールに配属されるには些か捻くれすぎている。

「組み分け中にスリザリンは嫌だと百回唱えていたせいかもね」

 僕の表情に気づいてか「……スリザリン寮そのものが嫌なわけじゃないよ」と、ジョンは付け加えた。

「けれど、私がスリザリン寮に所属するという行いは、それなりの意味を持つからね」

「〝由緒正しきブラック家は、必ずスリザリンに組み分けされる〟?」

 何度か聞いたことのある話だった。たとえば僕の一学年上には、ブラック家の御息女、ルクレティアとヴァルブルガが所属している。

「……そのとおり」

 ジョンは心底嫌そうな顔をした。そこまで嫌いらしい。純血貴族の実家なのに、と、言いつのるほど僕は馬鹿ではなかった。

 魔法使いと魔法使いの間に生まれた、魔法が使えない子ども——いわゆるスクイブ。

 スクイブの結婚相手に魔法使いが充てられたとは到底思えない。家系図から抹消されるほどの恥だ。そこらの普遍的な魔法界の家ならともかく、純血の家系であるならば。

 第一、片親だけでも魔法が使えたというなら、自動車事故で死ぬこともなかったはずだ。ジョンが孤児院に放り込まれることも。

 

 ジョンの背中と脇腹と、両の太腿には、広い痣がある。僕はそれを知っていた。孤児院では時間はきわめて貴重で、同室ならば、着替えに鉢合わせる瞬間はよくある。まだら色の内出血、色素が沈着した痕跡。

 服から露出する箇所を器用に避けて——日常的に殴打され、足蹴にされて、ろくに治療もされずに放置されたならば、このようになるだろう。

 ジョンが孤児院に入ったのは、僕が六歳の頃だった。つまり、僕が力(﹅)を自由に使えるようになって、孤児院をちょっと居心地が良いように作り替えて、そのあとだった。

 化け物で悪魔の子に対して、執拗な暴力を振るうことができる、そんな度胸のある人間は、既に孤児院にはいなかった。

 

 だから傷跡が刻まれたのはより〝前〟の話だ。

 

「話は変わるけど」

「変わるのかな?」

「……スリザリンはホグワーツを去る前に、この城の中に、秘密の部屋を作ったらしいんだ。怪物が封じられた秘密の部屋をね」

「へえ」

「僕はバジリスクだったらいいなと思う」

「ああ……蛇だものね」

「そう、それで、教師や用務員の目は誤魔化すにしても……探索にはきわめて重要な障害がある、つまり——授業のある昼間は探しに行けないけれど、夜間の探索時間は睡眠時間を削る」

「つまり話は変わったけれど戻ったわけだ?」

「その逆転時計」

「自分で獲得してからにしなさい。それか休日、ないしホリデー」

「*魔法界スラング*」

「お貴族様が集うスリザリン寮でもそんな言葉出るのか?」

「意味わかるってことはレイブンクロー寮でも出るの? 意外と治安悪いな」

「治安の悪い言葉の自覚があるなら堂々と吐かない。優等生の評判を損なうよ」

 

   ➤

 

 僕の容姿は優れているらしい。孤児院にいた頃はあまり自覚する機会も少なかったけれど、ホグワーツに入学して、化け物で悪魔ではなくなったことで、ようよう理解する機会があった。

 加えて僕には権威があった。まずは品行方正で成績優秀、文武両道。模範的な優等生の特徴だ。最近ではクィディッチの選手にも選ばれた。スリザリン寮の寮杯獲得は盤石だろう。

 そして、蛇語が操れる。サラザール・スリザリンの特徴。純血を尊ぶスリザリン、その子孫であるからして、僕は実のところ純血でないかと推察されていた——そのように、寮内の空気を操った。

 

 けれど当然、それだけで誰も彼もが黙ってくれるわけでもない。特に僕が及ぼした影響をまだ感じ切れていないようなおバカさんたちには。

 

 それで——おバカさんたちはちょっとしたことを言った。

 

「なるほどね」

 朗らかな声色とともにジョンは杖を振る。おバカさんが空中で左右に引きずり回される。無言呪文——果たしていつから身につけていたのやら。

 ジョンはニコニコと笑みを浮かべていたけれど、その瞳はつめたくまたたいた。ひとでなしの目だ。

「先生方の特別扱い。そうかもしれない。トムは賢くて良い子だからね。私がトムを贔屓しているのも、まァそうだろう。同郷のよしみというものがある。そのとおりだ。それで——なんだっけ? もう一度繰り返してくれる?」

 さらに杖を振る。おバカさんの足が地面をかすめて水溜まりの泥がはねた。もう少し速く、もう少し下に向けていれば、足の骨を折るだけで済んだかどうか。

「なに言ってるのか聞こえないな……ああ、そうだった、たしか。私が? ブラック家の威光を用いて? 教授陣がトムを特別扱いするように、仕向けた? 全く、自由な発想力だ。小説家にでもなるべきだよ」

 全地雷を満遍なく踏む発言だ。いっそ器用ですらある。

 さすがに僕も若干呆れて、優等生の仮面を剥がすかどうか(つまり、孤児院ぶりにち(﹅)ゃ(﹅)ん(﹅)と(﹅)思い知らせてやるべきか)一瞬検討したその隙に——ジョンはいつの間にか取り出した杖を振るった。

 あとはご覧の有様だ。

「私はね、暴力を用いる輩には言葉で反撃するたちなんだ。同じレベルと思われたくないから。そして……言葉を用いる輩には暴力で反撃するたちなんだ。同じレベルと思われたくないからね。……さて、罰といえば掃除かな。というわけで、ちょっとゴミ掃除でもしていただこう」

 落ち葉の山の上に落として、即座に横へと転がす。鼻歌とともにおバカさんたちの身体が左右に振れて、まるで人間を箒代わりにでもするがごとく、中庭の落ち葉を集めていく。息できてるのかアレ。というか気絶してないか?

「ジョン。やめてあげた方がいいよ」

「そうかな」

「今しがた先生も呼ばれたみたいだ」

 僕は言った。ジョンはちらりと僕を見下ろして「仕方ないね」かすかに嘆息した。

「というわけで、このあたりで一段落としよう。……ああひとつ忘れていた、そうだな、そこの愚か者。【蘇生せよ(Rennervate)】」

 本当に気絶していたらしい。蘇生呪文(死からの蘇りではなく、失神からの再起動を指す)で強制的に叩き起こされた生徒は、ジョン曰くの〝掃除〟の結果、泥を飲み込みかけて咳き込んでいる。

 杖をくるりとしまって、ジョンはつまらなそうに彼を見下ろした。

「魔法界にとってブラックは純血貴族のうち一族を指すかもしれない。けれどね、ブラックという苗字は、実のところそう珍しくないんだよ。我が英国はもちろん、たとえばアメリカでも、よくある姓のトップ二〇〇には入る」

 ジョン・ブラック。ありふれた名前だ。特別ではなく、探せばそのへんにある名前。

 いろいろと知っている僕としては、心底白々しいなと思うけれど、白々しいなと思う根拠を僕ではない彼らは持ち合わせていない。

「そして我が校に在籍する〝魔法界の王族たるブラック〟の方々は、私について、ブラック家の一員ではないと否定したはずだ。一様に。私もレイブンクロー生であってスリザリン生ではない。由緒正しきブラック家は例外なくスリザリン出身のはずだけれどね。意図は理解できるかな? 理解できる頭は持ち合わせているかな? それともじっくりとマンツーマンで授業をしてもらいたい?」

 どう考えても脅しの言葉をこんこんと説き終えたところに、ビーリー教授(薬草学の担当だ)が到着した。悲鳴を上げて駆け寄ってくる。

「なにかの呪文の暴発でしょうね。可哀想に。降ろしてあげようかと試行錯誤してみたものの、かけられた呪文もわからない状態では、止めてあげられませんでした」

 本当に白々しくそんなことを嘯いたジョンは「まさか、私をお疑いですか? 直前呪文でもしてみます? 構いませんよ」小首を傾げて、自らの杖を差し出した。直前呪文では、呪文学で行った【来たれ(Accio)】の練習ばかりが記録されていた。【来たれ(Accio)】だけではあのような奇天烈な動きは表現できない。【蘇生せよ(Rennervate)】はもってのほか。

 同席していた(そして、罵倒の主題だった)僕も同様に、直前呪文を唱えられたけれど、僕はなにもしていないので、当然なにも出てこなかった。

 普段朗らかなレイブンクロー生首席が引き起こしたとんでもない凶行に、さすがに周囲は静まり返って、加えて不可解な調査結果に得体のしれないものでも感じたのか、目撃者たる生徒たちは一様に口を閉ざした。

 僕は恐怖が齎す支配の効力に納得した。

「無杖呪文もできたの」

「そもそも、もともと誰もが無杖での魔法行使から始める」

 ジョンは飄々と述べて「それで、」と僕を見た。

「すっきりした?」

「……きみがだろ」

「そうだね。それで、おまえもだ。あのぐらいやっておけば、後日口実として仕返しを行うつもりも失せたろう」

 ……手持ち無沙汰に、教科書とノートを抱え直す。

 さて。まァ。心当たりは全くなにひとつありません、と、言ったとしても、ジョンのことだ、追及はされないだろうけれど。

「やけに派手で、そのくせ手ぬるいと思ったんだよ」

 僕はぼやいた。ジョンはうすく笑った。

「もう少し厳しく行ってやってもよかったけど……愚にもつかない馬鹿共だとしても、おまえに嵌められたことだけは、彼らが哀れまれるべき点かな。そのぶんの手加減はしてあげるよ」

「……どこから気づいてた?」

「さあねえ。おまえが公衆での主張の機会をくれたことはわかっているから、今回は許すけれど。私は怒るのは好きじゃないんだ、なるだけ、怒らせてくれるなよ」

 ゆったりとした口調とは裏腹に、歩幅は少し足早になった。転びそうになりながらジョンのローブをつかむと、少しだけ歩調が緩められた。

「次はもっとうまくやるさ」

「そうしなさい」

 片腕で教科書を持ち直すと、傍らから腕が伸びて、僕の教科書の一部を攫っていった。「次は魔法史か、いいね、私は魔法史が好きなんだ」ジョンは本当に嬉しそうに言うけれど、ビンズの授業はクラスのほとんどが毎回寝落ちているし、正直僕も眠たくなるところを気力と意地だけで堪えているので、あまり同意しがたい。

 

   ➤

 

「君はよくわかっているだろうが。庇うことは彼のためにはならない。そしてもしも庇っていないとすれば、私は君の善悪の基準を憂うことになる」

「もちろん反省していますとも、ダンブルドア教授。それはそれとして、根拠のない風聞と偏見は糺されるべきでは?」

「……君はその手段と度合いの正誤と多寡を推し測れぬ人間だったかな?」

「ときとして過ちのように見える行いが、巡り巡って、そのときの最善として再評価されることもあるものです」

「そうだろうな。無論、その逆も十二分にありうる」

 

   ➤

 

 僕たちは在籍している学年でそれぞれ一位を取ったけれど、夏のホグワーツ滞在の権利は今年は得られなかった。原因はたぶんどころではなくわかっていた。ジョンは肩をすくめるにとどまった。

 二年ぶりの孤児院は相変わらず陰気臭く、部屋はまだ残されていた。勝手に一掃したら呪われるとでも思ったのかもしれない。当たらずといえども遠からず。

 それはそれとして、だ。

 魔法界はグリンデルワルトの対処で忙しいようだが、ロンドンには、マグルたちの戦火も迫っていた。WW2。第二次世界大戦。ドイツ軍の空襲が警戒される最中、ロンドンでは時折、警報が鳴った。

「いつまで鳴るんだこれ……」

 今日は夜中にも警報が鳴っていた。魔法使いにとってマグルの武器は玩具に等しいけれど、消音魔法を使うには魔法省の検知が邪魔だ。辟易混じりに起き上がる。

 僕よりも先に目が覚めていたのか、あるいはそもそも寝入っていなかったのか、ジョンは窓際で外を眺めていた。腰掛けられた椅子はわざわざ引っ張ってきたのだろうか。

「……なにか面白いものでも見える?」

 尋ねながらも僕はあくびをこぼす。

「いや? ただの街並みだね。二年で少しは店が入れ替わったくらいかな」

 僕の頬を撫でてジョンは柔らかく笑った。視線はすぐに、再び窓の外に投げられる。

「……おまえは、純血貴族に近づきたいの?」

 突拍子もない言葉だった。僕は同じように椅子を持ってきて、ジョンの肩にもたれた。

「それはもちろん。……みじめに地べたを這いずり回るのはもううんざりだ」

 何度か僕の頬を撫でたのち「きっとここにも爆弾が落ちるだろうね」ジョンはつぶやいた。窓の外を眺めている。今のジョンの目つきは、ひとでなしのそれではないにしろ、どこか空虚だった。

「マグルの武器なら、私たちは爆心地にあってもきっと生き残れるけれど、荷物はどうしようもならない」

「……それが?」

 全く話が繋がっていない。

「おまえは確か、一学年上のブラック家の御息女たちとも仲良くしていたよね。彼女らってどちらが本家だったっけ……まァどのみち行けばわかるか」

「……ブラック家に疎開するつもり?」

「魔法の守りは爆撃をも防ぐだろうね。お優しいお貴族様は、優秀な魔法使いが苦難に立たされている現状を知って、手を差し伸べてくれないわけもない」

 心底白々しいことはさておき。

「いいのか」

 主語のない僕の問いをしかしジョンは的確に汲み取って、首を傾げた。

「使えるものは使うべきじゃないかな。嫌悪と無価値は等号ではない。……ところでおまえって意外と私のこと好きだよね?」

 反射で出た拳は案の定受け止められた。なんでコイツこれで箒はあまりに下手くそなんだ?

 

 アポイントメントもなく訪れた僕たちを、ブラック家の屋敷しもべ妖精(House elf)は胡乱げに見つめた。

「ジョン・ブラック。おまえはきっと覚えているだろう、クリーチャー。諸事情によりアークタルスおじ上にお目通りを願いたくてね。取り次いでもらえるかな?」

「畏まりました」

 クリーチャーと呼ばれた屋敷しもべはうやうやしく頭を下げた。

「出来損ないのスクイブのこどもが戻ってきたとお伝えしましょう」

「どうぞそのように」

 仕えられるべき格下に不遜を通り越した態度を取られても、心底どうでもよさそうに笑顔で流すのは、つまりいつものことだった。

「殺そうか?」

「前から思っていたけれど、おまえは塵にかかずらうのが趣味なの?」

「うん、よくわかった、まずはきみから殺そう」

 さっさと切り替えた僕にジョンはかすかに笑った。今度はどうでもよさそうというわけではなく、ただ明らかに鼻で笑っていた。本当にコイツから殺そうか。

「二度と敷居を跨ぐつもりはない、と君は述べていたはずだったね。七年前のことだ」

「ええ。ホグワーツの新入生が卒業できるだけの年月ですね」

 アークタルス・ブラックはブラック家の現当主だ。魔法界の王族を称する家の家長。

 質の良い椅子に腰掛けた彼は、つめたく笑みを浮かべている。するどい灰色の目——ヴァルブルガの瞳も同じ色をしていた——僕らを順繰りに見た。

 僕を見止めたグレーが細められる。

「……ああ、君の要件の本題はそ(﹅)れ(﹅)か」

「……相変わらず察しの良い方でいらっしゃる」

 ジョンは肩をすくめた。

「補足すると、マグルの方も今は戦時でしてね。孤児院には魔法の守りなど存在しませんので」

「なるほど」

 アークタルスは鷹揚に頷く。

「であれば、たとえば——彼だけならば構わない、と言ったら?」

「……べつにそれはそれでよろしい。私ひとりならばどうとでもなりますので」

『ジョン』

 シュウシュウと唸るとジョンはこちらを見て、かすかに首を振った。

『なにかな』

『僕はそれを許可していない』

『わかっているよ』

『置き去りにするつもり?』

『落ち着いて』

「……彼はともかく、君は蛇語話者ではなかったはずだね?」

「ネイティヴと接していればいくらかは覚えるでしょう。それで、どうされます?」

 アークタルスはジョンをしばし見つめて、それから肩をすくめた。

「私としては心底、君がスクイブ同士の間に生まれたことだけが残念だ。血は争えない」

「私めには勿体ない御言葉です」

「……彼には客室をひとつ、君には元の部屋を融通しよう。それでかまわないね?」

「御意に」

 ジョンは再び顔につめたく笑みを貼って、頭を下げた。退室を促されて、クリーチャーの先導でブラック邸内を歩む。

「見透かされていたな」

 出し抜けの発言。僕は無言で(そして、眼差しは雄弁に)ジョンを見上げた。

「それでも慈悲をいただけるとはね。やはり底知れぬお人だ」

「僕に小っ恥ずかしい台詞まで言わせておいて……?」

「ああいうのは体裁が大事なんだよ。実際、おまえとの付き合いで蛇語(Parseltongue)をいくらか理解できるようになったのは事実だ」

 茶番を茶番として正確に受け止められて、上っ面の嘘ばかりのやりとりの果て、僕たちはブラック邸への滞在を許された。ルクレティアは僕たちへの警戒を隠しきれていなかったけれど、彼女の弟はちょっと接し方を工夫するとそれはよく懐いてくれた。

 オリオン・ブラック。いずれブラック家の当主を継ぐであろう、しかし今は九歳の本家長男。彼はもう少し扱いやすい人間に育つことを願おう。古狸を何匹も相手取るのは面倒だ。

 

   ➤

 

「夏季休暇はお楽しみいただけましたか?」

「そうだね、充実した日々を過ごせたよ」

 ヴァルブルガからの探りに笑みを返して僕はホグワーツへと戻った。コンパートメントを探す際に鉢合わせるなんて、偶然——と呼ぶよりは、おそらく、必然だ。質問を踏まえると。

 実際僕の回答も嘘ではない。ブラック邸で過ごした日々において、収穫はそれはもうい(﹅)ろ(﹅)い(﹅)ろ(﹅)と(﹅)あった。

 公衆の面前でも披露しやすいものをひとつ挙げるなら、無言呪文を習得できたことだろう。大人の魔法使いがいたために未成年の魔法行使は誤魔化せた。つまり絶好の魔法練習機会だったわけだ。

 無杖呪文はあまり興味をそそられない(ジョンが言うには、咄嗟に用いるには便利だとしても、威力はやはり明確に下がるらしい)が、無言呪文はカリキュラムを鑑みればいずれ必要になる技術だ。習得しておいて損はない。なにより、術をかける初動を察知されないという特徴は紛れもなく利点だ。

 その他の収穫?

 明かす手札は少なければ少ないほど有利に繋がる。

「おや、全科目。頑張るね」

 選択科目のチェックリストをひょいと勝手に取り上げて(そもそもここはスリザリンのテーブルだ)ジョンは愉快そうに笑った。逆転時計という、なかなか興味をそそるアイテムの存在を提示した張本人のくせして、よく言う。

「そういえばきみ、なんの職業につくつもりなんだい」

 僕は杖を振ってスプーンを動かし、スクランブルエッグを皿によそわせる。

「カリキュラムは、相変わらずすべての科目を取ってるんだろ」

「ン? 進路希望は魔法史の教授で出すつもりだけれど」

「……」

 スクランブルエッグが皿からこぼれかけた。しまったスプーンを止め忘れていた。

 咄嗟に杖を振り、こぼれかけたぶんを空中で差し止め、元の皿に戻した。

「……本当に魔法史が好きだね」

「面白いからね」

「……。そう」

 ビンズの授業を面白いと思うやつはそんなにいない。僕は、今までのすべての授業を寝ずに聞いた上で(それだけでも十二分に希少だ。同学年では間違いなく僕一人だ)面白いと思ったことがない。

「就任するなら早めにしてよ。できれば、卒業後すぐにでも」

「あっははおまえでもビンズ教授の授業にはそこまで言うの。まァせいぜい期待しといて」

 ひらひらと手を振ってジョンは踵を返した。方向からして次の授業は魔法薬学かな。

 僕はしばらくその背を見て、それからテーブルの料理に向き直った。盛りすぎたスクランブルエッグを片付けなければ。

「リドル」

「なんだい」

 同級生ではあるはずの男子——誰だっけな——の言葉に愛想よく返事をする。

「レイブンクローのブラックが卒業するのはいつ?」

 レイブンクローのブラックは過去に一人もいなかった。これはアークタルス・ブラックが太鼓判を押した事実で(この事(﹅)実(﹅)に過去抹消された血筋が含まれるかどうかは、不明だ)こと今ここで指し示される対象は唯一人を示すだろう。ブラック家の正真正銘のお嬢様たちであるルクレティアもヴァルブルガも、静かに聞き耳を立てている。

「……最短でも授業を受け持てるのは三年後だろうね」

「それじゃあ遅すぎる! 俺たちのO.W.L.は終わってるじゃないか! つまり魔法史は落第したあとだ!」

「それはとても残念だ」

 あいにくホグワーツに飛び級はない。しかし誰であれ、少なくともビンズの授業よりはマシだと思われている——僕も正直そう思う。

 

 ホグズミードの外出許可証も、アークタルス・ブラックが齎した恩恵のひとつだ。

 彼がかろうじて名義上保護者となりうる(かもしれない)対象は、ジョン・ブラックだけで、僕はあくまでも他人でしかなかった。そのはずだった。

「スリザリンの継承者候(﹅)補(﹅)くん、ひとつ確かな事実を教えよう。権力は得てして何にも勝る力だ」

 アークタルス・ブラックのサインは、少なくともホグワーツにおいて、教授たちと理事会のどちらをもねじ伏せる力を持つらしい。

「これは君への投資だよ。後ろの頑固者はあのように顔をしかめるがね」

 振り返った先のジョンの顔は、しかめられてはいなかった。けれども珍しく完璧な無の表情だった。

 アークタルスはやはりうっすらと微笑んでいる。

「相変わらず物事を押し通すことを好まないね。わかりやすい名目がほしいならルクレティアをやろうか。それともドレアぐらい歳上であってほしいかな? シグナスに話を通しておこうか?」

「……斬新な御冗談ですね」

 ようやく皮肉げに笑ったジョンは「サインだけはありがたく受け取りましょう」ホグズミード許可証を指先で振って、踵を返した。

 思うところがないでもない。けれどあえて僕は口をつぐんでやっている。ジョンはおそらく、僕が気づいていることに気づいているだろう。それでもなにも言わないならそういうことである。

 

 話を戻そう。アークタルスは正しいことを言った。権力は得てして何にも勝る力だ。

 ひとまず今の僕個人で目指せる範囲では、監督生を。権力を持ちうる、模範的な生徒を。人々により信用されるのは、数多の人々を味方につけられるのは——数の暴力をそれとわからぬかたちで羽織れる者は、果たしていかなる振る舞いこそが相応しいか、という話でもある。

 そして、僕個人ではない範囲では……僕が持たないものであっても、きっと別の誰かが持っている。人脈とは権力の代替品だ。

「ナメクジ・クラブ(Slug club)……」

 いつもの愛想笑いに若干の物臭が載っている。ジョンにしては少し長い沈黙を経て、封筒の裏表を見比べてから招待状は僕に返却された。

「……噂には聞いているよ。スリザリン寮だとしても、三年生にして既に招待されるのは稀だろうね。おそらくおまえにとっては良い糧が手に入るだろう」

「うん、それで、きみも招待されたらしいね」

 今度は完全に沈黙した。

 レイブンクローのブラック。鷲寮に棲まう鴉、象牙の塔の最上階で浮かべられる読めない笑み——馬鹿馬鹿しい、これのどこが? わかりやすいことこの上ない。

「本当に招待されていたんだ?」

「……どうせ教授から聞いたんだろう」

 とうとう口調までもが投げやりだ。僕は口元に笑みを浮かべて頷いた。

「〝トムから言えばきっと来てくれる〟とね。我が寮監はときとして皮算用がお得意だ——けれどね、ジョン。わかるかな? ホグワーツの教師になるつもりなら、専門分野の熟知は当然として、同僚づきあいも大切だよ」

「……本音は?」

「やりたいことがあるから手伝ってよ、時間は空けられるだろう」

「どうしてこんなに厄介になったんだかね……」

 間違いなくきみから学んだよと言ったとして、眼前の澄まし顔は、果たしてどのような表情に移り変わるだろう。

 スラグ・クラブ。スラグホーン先生がお気に入りを集めて愛でる社交場だ。人によってはここから得た伝手をもとにのし上がる。

 やはりジョンは、他者と深く関わることを好ましく思わないだけで、社交自体は苦でもないようだ。人々とそつなく会話し、僕も会話に入りやすいように話題をコントロールして、人によっては不適格と判断するが早いかさりげなく会話から締め出す。素直に上手い。

 とはいえジョンの貴(﹅)族(﹅)嫌(﹅)い(﹅)は筋金入りだ。僕の頼みだとしても、二、三度付き合ってくれたなら良い方だろう。学べる時間は限られている。

「楽しんでいるかな?」

「スラグホーン教授! はい、本日はお招きくださり、ありがとうございます」

 人脈は力だ。純血貴族の多いスリザリン寮での伝手は最重要だとして、スリザリン外にも手を伸ばす必要がある。ただ媚びへつらうだけではおこぼれに預かろうとする愚物しか釣れない。僕の価値を理解できる者、少なくとも、初手でなめられない程度に箔が付く場——スラグ・クラブはその点、最適だった。

 スラグホーン教授とにこやかに会話する僕を見て、ジョンはかすかに笑い声を立てていた。ジョンには狙いがバレている。それはそれで構わない。むしろバレていた方が、僕が望む手段を学びやすくしてくれる。僕が釣るのはジョンではなくて、そして、これは長期戦だ。

 卒業までに絞れるだけのすべてを絞り取る。それらは僕の糧となる。

 

「ところでなにを手伝ってほしいのかな。パーティの人付き合い以外に」

「スラグ・クラブのパーティの終了時間は夜遅くで、多少城内をうろついていても不審ではなくて、そして僕らの手元にはどちらにも逆転時計がある」

「……秘密の部屋探し、諦めてなかったのか」

「そういうきみは今の今まで忘れていた顔だ」

「うん」

 

   ➤

 

 目くらまし呪文をかければ姿は闇に溶ける。ソノーラスを解析して応用したならば消音も容易い。

「禁書の本もいくつかあたって、当時のホグワーツ城の構造にはおおよそ見当をつけたんだけど——」

「まただまくらかしてる」

「おとなしく良い子でいるぶんの正当な権利だろ、とにかく——結論として、サラザール・スリザリンが部屋を作るとしたら、そして未だに現存しているとすれば、それは地下深くだ。彼の性格と傾向からして」

「と、いうと?」

 目くらまし呪文をかけた同士なので、視覚に頼ると普通に見失う。ジョンは、先行する僕のローブの裾をつまんでいた。いつもとは逆だ。

「城の構造は移り変わる。階段然り、絵画然り、扉は消えたかと思えば現れる。壁は溶けて再構築される」

「そうだね」

「だから、不変に見つからない空間を隠せる場所は、地下しかない。魔法薬学の教室やスリザリン寮よりも下の、地下だ」

「……まァ筋は通っているね」

 たぶんその姿が見えていたら、ジョンは今肩をすくめていたはずだ。

「ところで、部屋自体がそうだとして、どうやって入るつもりかな」

「……キーは見当がつくんだ。スリザリン寮は合言葉で開く。そしてサラザール・スリザリンは蛇語話者だった」

「ああ、蛇語で合言葉を言えと。まァ開閉系か純血に類する言葉を並べたらいずれは当たりそうだね、後天性の蛇語話者でさえも希少な世界だ、そう難しいワードでもないだろう」

「そのとおり。……それで、問題は、入口なんだよ……」

 行き詰まった点はここだ。現状〝すべてのサラザール・スリザリンっぽい意匠を虱潰しにする〟以外の手段がない。あまりにスマートではない! なにか他に方法があるはずだ!

「スリザリンの肖像画があれば良いのにね」

 どうでも良さそうに(全くどうでもよくない、もう少し真剣になってくれ)つぶやいたジョンが、ついで少し唸った。

「八階に行ってみようか」

「……なにか心当たりでも?」

「心当たりではあるけれど、秘密の部屋の心当たりというよりは……そうだね、すべてのものが揃う部屋の心当たりかな」

 

 八階の廊下で三回往復する。欲しいものを念じながら。

 すると部屋が現れる。欲しいものを取り揃えた部屋が。

 

「……この城、本当に謎に満ちている」

「楽しそうだね」

 面白がられてもあまり気にならないくらい僕は高揚していた。これほど特別な城にそれでも秘された部屋を残せたのが僕の先祖だ。謎ばかりに満ちた世界。僕が化け物でも悪魔でもない世界で、やはり僕は特別だった。

「レイブンクロー生は伝統的に、寮の場所が場所なので見つけやすいらしい」

「八階が近いから?」

「よく通るぶん試行回数は上がるよね。ソースは私」

「要するにn=1のサンプルしかない自説ってこと?」

「あっは」

 ところでこの部屋、もしもどうあがいても存在できないものを願ったらどうなるだろうか——と、思うものの。ガンプの元素変容の法則を思えば、飲食物でさえも出せない、というのがオチかな。

 ともあれサラザール・スリザリンの肖像画は無事に見つけられた。スリザリンの絵画は、自らの継承者が正統の蛇語を話せて、秘密の部屋の本質に差し迫るほどの能力を持ち、必要の部屋(ここはそう呼ばれているようだ)に辿り着くだけの人脈があり、それらに驕らず謙虚で、しかもハンサムなことに、かなり気を良くした様子だ。

「ホグワーツ城は確かに頻繁に構造が変転する。しかし基本的な構造や配置が不変のものはいくつかある。たとえば魔法薬学教室の貯蔵庫と換気口だ。おそらくいまだ地下にあるだろう」

「ああ……確かに、魔法薬学の特徴を考えれば、せめて地上階にあった方が換気はやりやすそうだけれど、あれはつまり動かさないんじゃなくて動かせ(﹅)ないんだね。ひっきりなしに位置が変わる貯蔵庫は確かに困るし、薬品の保管にも不向きな環境だ」

「そこなレイブンクロー生の見解どおりだ。察しはいいがやや失礼だな」

 さすが僕の先祖、きわめて正しい人物評だ。

 ジョンはわかりやすく心外そうな顔をしてみせた。反論を試みることはなく「それに、」と言葉を続けた。

「他の授業の教室も、絶対位置が変わらない部屋が選ばれることが多い……まァ新入生が迷っても困るよね。のわりに数占いの教室は何故だか毎回位置が違うけれど」

「数占い。ふむ。千年後のあれは選択科目に切り替わったか?」

「……そうですね。ああーなるほど、新入生じゃなきゃ迷っていいってこと。新入生以外でもよくないよ。毎回【方角示せ(Point me)】を行う手間を考えてほしい」

「今代の教授に言え」

 絵画とジョンが、微妙に笑ってしまいそうなやり取りを交わす最中、僕は考えていた。すなわち、配置や構造が不変なもののうちひとつが魔法薬学の教室で、配置が不変なものが主に必修科目の教室に選ばれるわけだ。

 それで——構造が不変のものもあるだろう。秘密の部屋への入口になり得るもの。それでいて、城に存在していても誰も違和感を持たないもの。

 僕は、秘密の部屋に封された怪物は蛇だと確信している。そ(﹅)れ(﹅)は蛇が自由自在に城内を動き回れる構造であるべきだ。蛇にとって動きを阻害しないものであり、城内全域にあるもの。

「排水管?」

「え? 汚くないか?」

 ……たぶんジョンは純粋に疑問を口にしたのだろう。

 サラザール・スリザリンの絵画が心底微妙そうな顔をしたので、おそらく僕の推測は正解で決まりだ。かなり嫌な方法での確信だった。

 必要の部屋の情報と、余計な発言をぼろぼろこぼす口と、プラスマイナス相殺されてややマイナスな気もする。

 

   ➤

 

「O.W.L.満点パス」

 ジョンの表情に誇りや喜びはなく、当然と言わんばかりの顔つきだ。僕としても、授業を聞いてさえいればどうにでもなる点取りには、特別な意味を見出さない。成績は単なる前提だ。

 優(O)がずらりと並ぶ答案に「魔法史で優(O)を取る人間がいるとはね」アークタルスは珍しく素で驚いたような声色でつぶやいた。

 ビンズ教授はいったいいつからホグワーツの魔法史教授なんだ。幽霊以前からあのスタンスの授業でもあまり不思議はなく、そしてその可能性を踏まえると本当にいつから?

「トムもそうですよ、全科目満点以上」

「……とはいえ僕としても、魔法史の面白さはあまり理解できません」

 不可解を全面に出した表情を無視して、僕はアークタルスに向き直った。

「それで——ゴーント家の現在地について、調べはつきましたでしょうか」

「そうだね」

 ゴーント家は筋金入りの純血主義で、純血貴族たちの付き合いからも離れて長いらしい。たとえばブラック家であってもマグルと婚姻を結ぶ愚者などは時折いて、そのたびに家系図から抹消している。あるいは純血貴族いちの資産家といえばマルフォイ家だが、しかしながらその資産はマグルとの付き合いの中でも育まれた代物だという。

 それらは純血貴族の内部ではほとんど公然の秘密で、ゆえにこそゴーントはそれら俗なるものとの交わりを嫌った。実際、アークタルスもゴーント家の現況は把握していなかった——これは単純に、彼の無関心にも由来するだろうねとジョンが補足した。

 とはいえ魔法省をあたれば記録が見つかるだろうとは、昨年の夏季休暇中のアークタルスの言だった。公然と述べにくい収穫のうちひとつだ。

「ゴーントの家はリトル・ハングルトンの片隅に残っていたよ。君が気にしていたマールヴォロ・ゴーントは、十年以上前に亡くなっていた。ゴーント本家の血筋は息子のモーフィン・ゴーントで最後かな……おそらくね」

 息子——は子どもを自らの腹に孕むことはできない。魔法界ならば異なるのかもしれないが、そもそも、僕の母親は僕を産んで死んだ。

「……他に、マールヴォロ・ゴーントに子どもは?」

「他に? スクイブをカウントするなら、娘が……モーフィンの次にいたようだけれど。その他の記録はないね。スクイブの行方は特に誰も把握していない」

 ジョンがかすかに目を眇めた。スクイブを下に見る物言いを、ジョンはきわめて嫌っている。顔に出るぐらいに。アークタルスはわかっていて口に出す。

 さて、そうか、娘はスクイブ。なるほど。……なるほど。

 スクイブにろくな魔法使いの婚姻があてがわれたとは思えない、とは、かつてジョンの親について僕が内心で推し測った思考だった。これはどうにも、僕とて他人事でもなかったのかもしれない。やはり他人事のように思う。

「マールヴォロとモーフィンについてはアズカバンへの収監記録も残っていたよ。とはいえ、マールヴォロは些か支離滅裂な老人で、モーフィンに至っては蛇語しか話そうとしないから、聴取記録はほとんど意味をなしていなかったね」

 銀の液体が入った小瓶が目の前に現れる。杖を振ったアークタルスはうすく笑みを浮かべていた。

「あるいは君ならば読み解けるのかもしれない。それとも、リトル・ハングルトンに出向いた方がいろいろと早いかな?」

「ブラック卿」

「怒るのかい、私は親切心から述べているんだよ」

 飄々としたアークタルスの言葉に、ジョンは一瞬つめたい目をしたのち「そちらの記憶は私の方で保管してもよろしいでしょうか」と尋ねた。

「甘やかすねえ」

「……貴君が常日頃より冷酷なのでは?」

「面白い冗談だ。君自身の身内(family)以外への態度を鑑みてからもう一度口にしてごらん。できるものならね……さて、オリオンはもうすぐ入学で、ホグワーツに強い関心を示している。今年の夏も少し相手をしてやってくれるね?」

 ジョンの愛想笑いには〝死ぬほど面倒くさい〟が露骨に透けていたので「もちろん」と答えたのは今度は僕の方だった。

 貴族を、特にブラック家を無条件で嫌う人間に息子を任せようとする心境は、だいぶ理解しがたい。あるいは——考えたくないことだが——本当にジョンが言うように〝魔法使いは皆気が狂っている〟のかもしれない。

 

   ➤

 

 【この記憶の閲覧権限がありません。】

 

   ➤

 

 昨年度のホグズミード行きは同寮の面々と示し合わせることが多かった。今年は——

「やァプレイボーイ」

「使えるものは使うべきだろ。刺されるヘマはしない」

 ——毎回違う女の子とデートする僕を見て、ジョンは鼻で笑った。こいつ本当に一瞬で殺意を抱かせるのが上手いな。

 僕へ齎す利益と不快感が均等で、ゆえにかろうじて殺されずに済んでいる、その自覚はあるんだろうか。あった上でなおこのように振る舞っている気もする。

「きみこそ、マイクを派手に振ったのは本当?」

「興味あるの? 今の私はアリアと付き合っているので……それに、マイクはけっこうな嫉妬しいのようだから、あれぐらいきっぱり振ってなかったらそれこそおまえが刺されていたよ」

「……付き合ってるのはアリアなんじゃないの」

「彼、恋人遍歴に女の子はカウントしないんだと」

 僕の表情を見て今度はジョンは声を立てて笑った。

「僕はきみの元カレとでも疑われたわけだ……? ……ちょっとそこのトイレで吐いてくるよ」

「【清めよ(Scourgify)】を忘れずに。それはそれとして、噂のプレイボーイ。愛の妙薬(Amortentia)でも盛られないように気をつけなさい」

「そっちがね」

 ホグワーツの四年生とはすなわち十四、五にさしかかり、同級生たちはどいつもこいつも恋愛に夢中だ。目に見えない感情にうつつを抜かす有様に共感はし難い(愛の定義:相手を自らより大切に慮る感情。おかしな話だ、自らより特別に思える人間がいったいどこに存在する?)とはいえ、過度な好意はときによって心酔を喚起し、それらは服従の呪文よりも強力で、自制心を欠落させる。心の中を覗くのはきわめて容易く、そうでなくとも、彼ら彼女らがとりこぼす情報はあまりに豊富だった。

 僕は幸いにして顔立ちが端正で、人々はそれだけでも僕に好感を抱く。去年は選択科目を全科目取りながらもすべての科目で学年一位、クィディッチの選手で、品行方正、優しくて謙虚な模範的生徒。スリザリン寮内では、サラザール・スリザリンの正統な血を引くと噂されている。わざわざ誑し込むまでもない。彼らの方から寄ってくる——なんて簡単なお遊びだ。

「にしても、純血貴族の淑女じゃなくていいの? あるいは紳士」

 火炙りにされる側の魔法使いたちが、マグルの宗教の戒律を気にするはずもない。それはそれとして、尋ねるジョンに僕は鼻を鳴らした。

「そうだね、アークタルスと顔を合わせていなかったらおそらくそうしていたけれど」

「ああ……ブラック卿はむしろ嬉々として縁談をセッティングするだろうね」

「そうしてあの狐に一生首根っこ掴まれるわけだ? 優位を取れる体制が整わない限り、無闇に手を出すつもりはないよ」

「きみが相変わらず賢くて安心したよ」

 ジョンは気のない声で言った。気分を逆撫でにされた、というほどでもないが、杖を振って吊り下げてみる。

 特に抵抗されることなく宙吊りのまま十分経過したため、いろいろ馬鹿馬鹿しくなって地上に降ろした。

 

「それで、ずいぶん上機嫌なトミーちゃん」

「実はきみは死にたがりだったりするの?」

「どうどう……そんなに上機嫌なあたり、秘密の部屋でも見つかったの?」

「……一応ね。地下の手洗い場に入口があった」

「……それつまり、魔法薬学教室の真隣!? 本当に目と鼻の先だな、蛇語のセキュリティはずいぶん強いね」

「鍋を洗う鼻歌代わりに『開け』と喋る人間はなかなかいない。蛇もね」

「言えてる」

「ただどうもあの部屋、やはりいくつものパイプが繫がっているみたいだ。バジリスクの経路確保はもちろん、他の場所にも出入口がありそう……」

「ふうん……クィディッチのシャワールーム、用務員室備え付けの手洗場、森番脇の水道、いろいろ思いつくけれど……継承者が男の子とは限らないし、案外、一本ぐらい女子トイレに繋がっていたりして」

「……。まさか」

 

 ジョンはクィディッチのプレーにもあまり興味を示さない。ゲーム性が不条理で高揚すべきポイントがわからないと本人はのたまう。

「いつまで経っても箒の操作が下手くそだから僻んでるんじゃなくて?」

「あっはは。私はあまり怒るのは好きじゃないんだけどなあ」

 思いの外露骨に激怒してきたので、僕たちの間でこの話題はタブーとして封じられた。

 ともあれ、だから盛り上がる試合だったとしても、顔を見せることはまれだ。僕のデビュー試合もその年の優勝を賭けた試合(当然スリザリンが優勝した)も、ついぞ顔を見せなかった。付き合いもずいぶんと長くなったのに、どうかと思う。薄情だ。

「……ジョン?」

 だから観客席に並ぶ顔に僕は目を瞬かせた。この距離から声が届くとも思えなかったが、ジョンは僕の方を見上げると、愛想笑いとともにひらっと一度だけ手を振った。振られた手がついと一瞬右隣を示す。

 黒髪に灰色の目。寒さで赤くなった頬を緑のマフラーで巻き上げて——オリオン・ブラックだ。アークタルスによく似た特徴。確かに、彼は今年からの入学だった。

「従兄弟の世話なら焼くのか?」

「……不満げにしないでよ。今シーズン初勝利おめでとう」

 我がスリザリンチームの今シーズン初勝利とは、すなわち、一回戦目にしてスリザリンは華々しくハッフルパフを完封したということだ。

 「当然だろう」と言いつつじとりと睨む僕からジョンは視線を逸らした。

「……今更ブラック卿のお願いに否といえるほど厚顔ではなくてね」

「……僕のせいか?」

「自意識過剰」

「そういえば最近覚えた呪文があってね、世間ではいわゆる死の呪文と呼ばれるのだけれども」

「許されざる呪文は脅し文句にするべきじゃないと思うよ」

 わりと本気で振りかけた杖が手元から吹き飛ぶ。【来たれ(Accio)】ひとつで【武装解除(Expelliarmus)】とほぼ同等の効力を発揮させたジョンが、明後日を見つめたままつぶやいた。吹き飛んだ杖は見もせずにあっさり片手で確保された。なんでこれで箒だけは下手くそなんだ。

「とはいえ、今年だけかな。私は何年もお守りするほど親切でもないし、来年はN.E.W.T.があるから、尚更ね。ブラック卿も、仮にもブラックの姓を持つ私が不可(P)を取る展開は本意ではないはずだ。ブラック家の者ではないとしても」

 最後の一言はあまりにとってつけたような発言だった。

 ホグワーツ内においてジョン・ブラックがブラック家の血を引いていることは秘密だ——ホグワーツにおける秘密とは、皆が知る公然の事実と等号で結ばれる。そしてかつてのジョンがその秘(﹅)密(﹅)を突かれた結果、どのような凶行を取ったのかも、やはり同様に皆の秘(﹅)密(﹅)だった。計算づくの行動のうち半分は僕を牽制するためで、もう半分はブラック家との関係を嗅ぎ回ろうとする外野への牽制だった。

「きみ、アークタルスにかなり気に入られてるよな」

「……今ここで吐いてもいいかな?」

「普通に帰ってから吐いてくれないか?」

 

   ➤

 

 ジョンのやつ、ホグズミードにやたらと足繁く通っているので、アリアとはずいぶん上手く行っているらしい——と思っていたら。

「別れていたとか聞いてないんだけども」

「確かに、言った覚えはないね」

 僕の表情を三秒ほど観察して「……それが?」ジョンは首を傾げてみせた。

「……なに企んでるんだ?」

「不審そうな顔をするね。特になにも、と言ったら信じるの?」

「全く」

 悪巧みなら僕を仲間外れにするべきではない、そう思うだろ?

「……アルバイトだよ。ホッグス・ヘッドは知ってるよね? 外観だけだと単なる閑古鳥のパブだと思いがちだけれど、ちょっと面白い業務が多いんだ」

「……あそこは酒も出すんじゃないか? 成績に響くと思うけど」

「私、この間成人」

 そういえば魔法界では十七歳で成人として見做されるのだったか。「さすがにそろそろまとまった金がほしくてね。ブラック卿を頼るのは以ての外、とアルバイトの希望を出したらダンブルドア教授のところで若干差し止められたものだから」気のない声で言うジョンに、僕は顔をしかめる。

「目をつけられているのか? これ以上余計に睨まれるのはうんざりなんだけど……」

「それはおまえの日頃の行い」

「品行方正な優等生を捕まえておきながら御冗談を」

「あっはっは! 今のは面白いジョークだった」

 無言呪文が飛び交う小休憩。

「話を戻すと」

 必要の部屋とはいえ大惨事になった内装を【直れ(Reparo)】で修復しつつ、ジョンはやはり気のない声だ。

「私としては探られて後ろ暗い話もないし……ホッグス・ヘッドを指定したら許可が下りるだろうと思ってね。案の定だ」

「……ホッグス・ヘッドににはなにかあるのか?」

「……知らないのか? あそこダンブルドア教授の弟が営業してるじゃないか」

 知らないしそういうことは早く言え。

 

「金を手に入れてなにをするつもり?」

「アパルトメントを借りる資金にするつもり。ブラック卿の手元に居候し続けるのもなんだしね」

「……」

「二人部屋の頭金ぐらいは貯まるだろ」

「そういうことは本当に早く言え」

「なに、嫌?」

「そうは言ってない」

 

 おや、と降ってきた声はあまりに聞き覚えがあった。しかめそうになる表情筋をなんとか取り繕って、眼差しを上げる。ダンブルドアだ。

 さっさと自室に帰れと思うが、興味深そうな表情は僕とジョンが広げた地図を捉えている。冬季休暇中の大広間はほとんど独り占め可能で、テーブルは大きな地図を広げるのに適している——そして本当にすぐ目をつけられる。

「ダイアゴン横丁かな?」

「……覗かないでくださいよ、先生」

「暖炉ネットワーク(Floo Network)を繋げることさえできれば、イギリス魔法界でもっとも利便な町はダイアゴン横丁で決まりですからね。もちろんそのぶん家賃も高いけれど……うん、トム、折半ね」

「僕はきみと違ってアルバイトも許可されていないし、完全無一文だけど」

「ならツケね」

「なんて非道な」

 ふむふむとダンブルドアは楽しそうに頷いて(何様だ)地図をより覗き込んだ。

「Mr.プルウェットが提供するアパルトメントはチェックしたかね? あの御仁は気前が良く、なんと……学生の家賃は半額」

「ダンブルドア先生、あなたほど親切で素晴らしい先生は見たことがない!」

「おまえたまに調子いいよね」

 本気で蹴ったら珍しく当たったらしく、ジョンが呻き声を上げて蹲った。机の下でなにが起きたかおおよそ察したらしく、ダンブルドアはかすかに苦笑した。

「仲良いことはなによりだが、手加減はしてやりなさい」

「なんのことだか……」

 ——白銀の大犬が空を駆ける。

 大広間を横切って現れた守護霊(Patronus)に、ダンブルドアの顔から笑みが消えた。

〝トム・リドル〟

「その声は、ブラック卿?」

 脛をさすりながらもジョンが素早く起き上がる。確かに、守護霊が発した声は、夏季休暇中に何度も聞いた、アークタルス・ブラックのものだった。

〝リトル・ハングルトンがマグル:ドイツ空軍の焼夷弾に焼かれた。モーフィン・ゴーントの行方は不明。追って詳細を連絡する〟

 それだけを喋り、白銀の霊は掻き消えた。

「……モーフィン・ゴーント? ゴーントは蛇語話者を輩出する純血の一族——」

 ダンブルドアはそこで口をつぐんだ。思慮深いアイスブルーの奥底で、きっと試算が始まっている。

 傍らでは、ジョンが立ち上がり、広げていた地図を巻き取った。いつもより乱雑な仕草だった。

 僕は立ちすくんでいた。

「……マグルの武器に魔法使いがやられるとは思えないよ」

 僕を見たジョンが付け加える。

「ひとまず続報を待とう——悲観することはない。トム。おまえが最もよくわかっているだろう?」

「まだなにも確かめられていない」

「……そうだね。だからきっと見つかるさ。ダンブルドア教授、リトル・ハングルトンの被害続報について、教授の伝手でより早く手に入れられることはありえますか?」

「確約はできないが。当たれる限り当たってみよう」

 ダンブルドアはこの三人で唯一、ほとんどなにも知らない立場にあった。しかし彼はおそらく、このわずかな会話と持ち合わせていた情報だけで、僕とモーフィン・ゴーントを繋ぐ血縁関係を汲み取った。愛を尊ぶ男はなにもかも心得たように頷いた。

 

 しかしモーフィン・ゴーントの行方は知れず、また、リトル・ハングルトンの住民に生存者はひとりもいなかった。

 すべての家々が跡形もなく燃えて、そこに暮らした人々の痕跡は抹消された。

 

「魔法使いが、マグルの武器に殺されるはずがない……あれはきっと、魔法使いの仕業だった。モーフィン・ゴーントはマグルの戦争に乗じて誰かに、たぶん、殺された」

「……そうだとして、きっと誰も捜査はしない。誰とも関わらずに暮らしていた偏屈な男の行方を捜す奇特なやつはいない」

「いいや、ここに一人——僕は闇祓い(Auror)になろう」

「ホグワーツの防衛術教授は?」

「元闇祓い(Auror)ともなれば、箔が付くだろ?」

 

   ➤

 

 【この記憶の閲覧権限がありません。】

 

   ➤

 

「かつての言葉を繰り返そう。——君はよくわかっているのだろうが、庇うことは彼のためにはならない。そしてもしも庇っていないとすれば、私は君の善悪の基準を憂うことになる」

 

「そうですね。あなたのかつての言葉に、かつての私はこのように述べました——ときとして過ちのように見える行いが、巡り巡って、そのときの最善として再評価されることもあるものです。そしてこの言葉に、あなたは返した——」

「〝無論、その逆も十二分にありうる〟」

「記憶力の良い方だ。ですから今(﹅)の私はこのように回答しましょう」

 

 【この記憶の閲覧権限がありません。】

 

「なにも知りませんよ。なにひとつ。それとも、心を覗きますか?」

 

 【この記憶の閲覧権限がありません。】

 

「——きっとなにも出てこない」

 

 【この記憶の閲覧権限がありません。】

 

 

 【この記憶の閲覧権限が】

 

   ➤

 

 【視点変更:憂いの篩(Pensieve)】

 

 【閲覧対象:忘却呪文をかける前に取り出された記憶の塊】

 

 

 【Loading…】

 

   ➤

 

 【再演:夏季休暇】

 

 ブラック邸の一室。充てがわれた部屋はかつてアークタルス・ブラックの従兄弟が使用していたものらしい。ベッドに腰掛け、そろそろ見慣れてしまった内装に目を眇めて、ジョンはかすかに嘆息した。スクイブゆえに家系図から抹消された男だ——つくづくおじ上は趣味がよろしいことで、と、何度目かもわからない感想を今一度抱く。

 ジョン自身、アークタルス・ブラックに気に入られた理由には、察しが付いている。孤児院の同胞、トム・リドルを除けば、彼は唯一ジョンの真(﹅)実(﹅)に見当をつけている人物だ。過去にブラック邸に一時身を置いたときにも、ジョンを養子に誘ったのは今代ブラック家当主ただ一人で、そして彼の言葉は本気だった。ゆえにこそジョンは断った——純血貴族の傲慢が嫌いになったのはそのときだ。

 ノックの音、そして扉が開く。許可を待たない入室にジョンは入口を振り返った。

「——トム、」

 足早に踏み入った少年が肩を突き飛ばす。ベッドに仰向けに倒れ込む形になったジョンは、少年の濡れた目を見上げた。涙のあと。瞳の奥にひかる赤色は久々に——いつぶりだろう——見るものだった。

「……」

 両腕を背中に回す。トムは振り払うことはしなかった。手のひらで背骨をなぞる。トムは背を丸めた。

「おいで」

 薄皮一枚の虚勢を剥ぐのに華美な装飾は必要ない。

 耐えかねたようにトムの呼気が震えた。高いプライドを御しきれていない同胞がそれでも泣く様相を、間近で見つめるのは、本当に、ずいぶんと久しぶりだった。孤児院で身を寄せ合っていたのは過去の話になる。過ぎ去りし日々と書いて過去と読む。

 いろいろと溶(﹅)か(﹅)し(﹅)て(﹅)やった方が楽になるかな、と、ジョンはちらりと考えたが、しかし取りやめた。トムが今まさに望んでいるものは、子どもじみた接触だけのようだったので。

 どれだけ経ったか。

「魔法使いは……誰かを嬲るとき、服で隠れる場所を狙う必要は、ない」

 未だ涙混じりながら、呻き声ではなく、明確に言葉が綴られた。

「そうだね」

 トムの背中を撫でながら、ジョンは天井のシャンデリアを眺めていた。繊細な細工はブラック家の威光を知らしめる。くだらないとジョンは心底思っている。

「磔の呪文は傷跡を残さない。残ったとしても【癒えよ(Episkey)】の一言で事足りる」

「そうだ。だから——きみの身体に傷痕を残したのは、きみを嬲ったのは、きみの両親だ。スクイブの」

 魔法使いの虐待は傷痕を残さない。必要がなく、意味がない。ゆえに、未だジョン・ブラックの身体じゅうに——いずれの位置にも念入りに、しかし、必ず服で隠れるところに——残された虐待の痕跡は、すべてジョンの両親が残したものだ。スクイブ同士だった親。

 ジョンはシャンデリアを見上げたまま、ただ、少し長く目を瞑った。トムの背を撫でる手は止めない。

「だから、きみは、両親を殺した。自動車事故に見せかけて」

 アクセルをちょっとだけ効くようにして、ブレーキをちょっとだけ効かなくする。魔法を使える子どもにとってはなんてことない細工で、魔法を使えないスクイブにとっては致命的な細工だった。

 自動車事故程度で魔法使いが死ぬはずもない。しかしただのマグルは、その程(﹅)度(﹅)で簡単に命を落とす。スクイブもまた然り。

 ジョン・ブラックは純血貴族が大嫌いだ。純血の家に生まれたスクイブたる両親は、純血主義の果てにねじ曲がり、魔法力を持って生まれた我が子を虐げた。

 それでも、なによりも、まずはスクイブが嫌いだった。幼い己を傷つけた人々が嫌いだった。マグルも好きではなかった。同じレベルに落ちたくないから、取り繕って生きることにしたが、それだけでしかない。

「ねえ、ジョン」

「なあに」

「ジョン」

「なんだい、トム」

 

「僕が人を殺したいって言ったら——手伝ってくれる?」

 

 背中を撫でる手を止める。その手をふっと上へ滑らせて、トムの頬をとらえる。両頬をてのひらで押さえて目を合わせる。

 トムの瞳は未だに濡れていた。赤くちらつくひかりの奥でかつてのこどもが泣いている。

 生きてくれなかった母親を恨み、どこにいるとも知れぬ父親を恨み、化物悪魔と罵り謗るマグルたちを恨み、上っ面に簡単に騙される愚者を恨み、己を見透かす賢人を恨み、世界のすべてを恨んだこども。恨むことで嘆く己から必死に目を逸らそうとしたこども。

 ジョンは微笑んだ。

 

「いいよ」

 

 ロンドンの片隅、ウール孤児院で彼らは出会った。かわいくて賢い少年が灯す赤色にジョンは目を奪われた。

 たったそれだけだ。

 ジョン・ブラック、ありふれた名前の子どもが、ありふれた名前のトム・リドルに肩入れする理由なんて、たったそれだけ。

 

「おまえが本当に望むなら——私はなんでもしてあげる」

 

 たったそれだけのために地獄に落ちることこそが本望だ。

 

 アリバイは逆転時計の前では無力で、開心術は忘却呪文の果てには用を成さない。

 未成年者の周囲で行われた呪文は検知されるが、しかし呪文ですらなかったとして——たとえばバジリスクが飲み込んだとして、魔法省が感知できるはずもなかった。

 リドルの館は皆殺しの上から焼夷弾が注いだ。モーフィン・ゴーントが暮らしていたボロ屋もやはり焦土と化した。マグルの無線をちょっとだけ弄って方角を狂わせたせいで、ロンドンを焼くはずだった空軍の爆弾は、ちっぽけな片田舎を更地にした。証拠はなにもかも焼き尽くされた。

 

   ➤

 

「ダンブルドア。それでもあなたがなにかに気づいてしまったとして——それをつつくことこそが賢い選択だと断言できますか?」

 

「私としては、なにもかも見て見ぬふりを決め込んで、平和を維持する方がずっと世のため人のためになるかと存じますがね」

 

   ➤

 

「ブラック先生!」

 リリー・エヴァンスは弾むように声をかけた。ジョン・ブラックはグリフィンドールの才女の姿に首を傾げる。ちょうど授業を終えたところだった。

「なにか?」

「ブラック先生にお客様——そう、こちらが〝眠くならない方の魔法史の先生〟です、ジョン・ブラック教授!」

 ビンズ教授の授業評判は未だ悪く、半分ずつの受け持ちに生徒は〝眠くならない方に割り当てられますように〟と祈るのが通例だ。ジョンは口端だけで苦笑して、それからリリーが連れてきた男に視線を移した。

「しかし闇祓い(Auror)局の局長が何の御用かな……」

「元、ね。先だって辞めてきたんだ」

「おやまあつまり無職」

「うるさいな」

 ぽんぽんと飛び交う軽妙な会話に「先生もしかして元から知り合いですか?」リリーが尋ねた。「実はね」と客人がウィンクをしてみせた。

「今の防衛術教授はそろそろ引退だろ? 後任に元闇祓い(Auror)局の局長とかどうかな、と、まずは旧知に根回しをしてもらいたくて」

「なるほどね。とりあえずまずはダンブルドアに頼んでくれる?」

「絶対嫌だ」

 

   ➤

 

 【再演:かつての進路希望】

 

「自らが下手人の事件を捜査するとは、また大胆だね?」

「つまり最も証拠を消しやすい立場だ」

「あっはは最低」

「共犯がなにを言う。……それに、きちんと良いことをしていればダンブルドアも沈黙するさ。しばらくは防衛術教授は我慢しよう」

「しばらく、ね、果たしていつまでかかるやら……」

「最悪はきみが紹介してくれるだろう?」

「その言い方、もしかして決定事項かな?」




これを書いたあとに18世紀に行われた配管工事とコルヴィヌス・ゴーントの奮闘を知り、一頻り笑ってそれから諦めました。そういうこともある。

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