———スターフォックスリンク
スターフォックスのクラブ主力は世界ジュニアに行ってしまった。指導者で残っている蕨だけでなんとかクラブを回している。
とは言え、ペアもシングルも経験豊富で、日本のシンクロ第一人者である鯨臥の下でシンクロ指導もしてきたとあり、多人数の指導も手慣れたものであった。今も数名の女子をまとめてシンクロ形式の練習で指導をしている。
「はいはい、莉子ちゃん。肩がばたついているよ。カウンターの出口で踵に乗ったかな?」
「は、はい」
「無理に急な修正をかけようとしないで。シンクロの基本は『正しさよりシンクロ』だよ」
クラブナンバーワンの光がチーム立ち上げにあたって勧誘しまくるので、このシンクロ練習にはクラブに残っているほとんどの女子ジュニア選手が参加していた。
選手も、ナンバーワンの光と一緒に練習できるのと、やってみると意外にエッジコントロールが磨かれるというのがあり、進んで参加している。
当の光は結構シンクロへの適応にわりと苦しんでいるのだが。
「はい。じゃあ、今日はここまで。お疲れ様」
「「お疲れ様でした」」
リンク練習が終わって、皆クールダウンのためにトレーニングルームに向かう。シンクロで皆一緒に練習する機会が増えてからおしゃべりも増えた。1番の話題はやはり今行われている世界ジュニアだ。各自ストレッチを始めてもその口は止まらない。
「ねえねえ。いのりちゃんたちは……」
「ライリー先生は……」
SNS等で送られる情報をネタに、皆口々に世界ジュニアの憶測にふける。
しかし、怪我で出場を逃した狼嵜光には、流石に遠慮して世界ジュニアの事を聞こうとする者はいなかった。
「ねえねえ。ぴかるん。いのりちゃんどこまで行くと思う?」
ノンデリな小学6年生、ノービスAの潤羽りんを除いて。
「ふむ……」
光は少し考えたフリをした後、ニヤリと笑って大袈裟にしなを作って言った。
「私はこの世界ジュニア戦、『結束いのりのシングルサルコウが見られる』と予想する」
「……シングルサルコウ? 4回転じゃなくて1回転? 失敗するってコト?」
不思議そうに聞き返すりんに、光はしたり顔のまま首を振る。
「違う。世界も驚くビックリなシングルサルコウ」
「シングルサルコウって……私だって誰だって跳べるでしょ?」
「違う。りんちゃんも無理だし。私もできないね」
「???」
目を回すりんをよそに、萌栄が話に加わってきた。
「ああー。りんちゃん、いのりちゃんのシングルサルコウ知らないんだ。まあ、いのりちゃんも隠してはいないけど黙ってやってるもんな。ウチも司先生がハーネス取り出してるの見ないと気づかんかったかも知れんわ」
「でも、けっこう前から練習してたよね」
「え? え?」
わかってないりんを、2人でからかう形になった。
「いのりちゃんのシングルサルコウって何?」
横から、わかっていない側にアダルティ莉子が加わってきた。2人をからかうように光と萌栄が悪ノリをする。
「まあ、光ちゃんはムズいよね」
「何をおっしゃいます。萌栄ちゃんだって無理でしょ」
教えてくれない2人に業を煮やしたりんが質問を浴びせる。
「エキジビジョン用の技?」
「はい」
「いのりちゃんがエキジビジョンまでは行くって予想なんだ……手品しながら跳ぶとか?」
「いいえ」
「……目隠しして跳ぶ」
「いいえ」
「司先生持ち上げながら跳ぶとか?」
「いいえ」
「司先生が手伝ってする技?」
「たぶん、部分的にそう」
光と萌栄が腕組みをする中、どこかの魔人のような問答が続いた。
莉子も何とか言い当てようとする。
「スローの1Sとか?」
「ちがうよー」
「……司先生を投げて1S」
「いいえ」
「司先生と同時に1S?」
「たぶん、部分的にそうやでー」
「1人でもできますか?」
「はい」
「バックフリップ?」
「ちがうよー」
「あーもう……わかんない……」
そこで蕨が来てタイムアップとなった。
「はい。トレーニングルームでだべらないでね」
「「はーい」」
いのりのシングルサルコウ?の謎は次回持ち越しとなった。
———カルガリー、世界ジュニア。女子SP
女子SPは50名で争われ、うち、FS進出は24名。新興国の目標はまずFS進出となる。タイのプロイ・セパーバン選手選手もその1人だった。
しかし、最初の3Lz+2T……
……シュタッ、
『! 着氷詰まった! でも、2Tは付けないと……』
……シュタッ
『……危ない、回転ギリギリだった……
でも、最初のLzで減点取られた。……切り替えて!次はフリップ。練習では跳べていた……』
……シュタッッタ
『ああっ! 回転足りなかった……ステップアウトまで……』
『……もう、無理かな……』
……シュタッ
『……この2AではGOE稼ぎたかったのに、ギリギリ跳べただけ……でも、最後までちゃんと滑らないと……』
その後持ち直し、ステップ、スピンと全てレベル3を取ったものの、点数は50点に届かなかった。ショート落ちは確実だろう。
「練習ではできてたのに……」
キスクラで涙を浮かべるクンをコーチが諭す。
「リンクの上での『練習どおり』は難しいよ。……修正したはずのジャンプが、修正前に戻ってたかもね」
「……そんな気がします」
「まだまだクンはこれからだよ。大きな大会で経験を積んでいけばきっと安定するさ」
「……」
クンは黙ってしまった。代表として国の威信をかけて出てきたこの世界ジュニア。少しでも次に繋げられるよう、先達が積み上げてきたものの上に積み上げができるよう、頑張って来たつもりだったのだが、今年一番の大会で満足のいく成績を残せなかった。
クンは、まだまだ後のグループのいのりの方を見た。
「遠いなぁ」
去年、JGPタイ戦で仲良くなった少女の背中は、ずっと遠いところに感じられた。
そして、いよいよ後半グループ。
各国の選手とも、国の威信をかけて送り込まれた選手ばかりである。JGPファイナルに出られなかった選手もリベンジをかけて挑んでくる。
ここの各国選手についての情報収集はライリーが強い。司の情報力、分析力もさることながら、金メダリスト人脈で入ってくる情報がある。
「アメリカはロビン選手が伸びている。まだ、ジャンプに不安は残るものの、国内戦ではミーアに競り勝っている」
「ブラジルのロジータ選手も要チェックですね。国内戦ではいのりさんのシーズンベストを抜いている」
「確かに彼女も要注意だけど、ブラジルの国内戦の点数は割引いて考えた方がいいわよ。フランスのアルエットちゃんの方が注意が必要ね。最終グループのメンバーはいつものベリンダ、ミーア、ロビンと来てるけど、一番警戒すべきは……」
「韓国のホラン選手ですね」
「そうよ。既にシニアのグランプリファイナルに出た選手をジュニアに投入せざるを得ない事情には同情するけど」
「国内事情ですか」
「まあ、日本みたいに国内で鎬を削りすぎるのも考えものだけどね。……消耗して出られなかった選手も出たし」
司は無言でうなづく。日本は狼嵜光と鹿本すずという全ジュニ表彰台選手を欠いて世界ジュニアに挑む。それでも国内の壁がジュニアもシニアも分厚すぎて、ジュニシニを世界ジュニアに入れてられない。
これは贅沢な悩みである。
一方で、スター選手がいても選手層が薄い国は……
「すみません、ホランオンニ。駄目でした」
自国のスペースに戻った韓国選手がホランに深々と頭を下げた。残念ながら、彼女はショート落ちだった。
「しょうがないわよ。次頑張りなさい」
ホランは視線をリンクに向けたまま、静かに答えた。
「はい……」
韓国選手は振り返りもしないホランに唇を噛み締め、悔しさを堪えた。今の自分では先輩に振り返ってもらうことすらできない。
最終グループ、グランプリファイナリストにしてユース五輪金メダリスト、韓国のホラン選手の視線の先にあったのは、結束いのりだった。
「この子だけには負けるわけにはいかない……」
ホランはこの試合のターゲットをいのりに絞っていた。
ジュニシニ1年目とはいえ、シニアのグランプリファイナルにまで進出し、実績十分な彼女があえて世界ジュニアに出るには訳がある。
韓国にはホランの後を任せられるような女子ジュニア選手が、たまたまここ数年いない。そして、世界ジュニアの成績は、翌年の世界ジュニア、JGPの出場枠に影響する。
昨年はジュニアラストイヤーのホランが活躍して今年の世界ジュニアの出場枠を2枠もぎとり、JGPで日本と同数の7大会各2枠の出場枠を獲ってきた。しかし、後輩のジュニア選手達はまだ発展途上である。世界ジュニアという大舞台ではSP突破も厳しい。
ここで今年の世界ジュニアを後輩に任せて、例えばその後輩2人がショート落ち、国別成績26位ということになればどうなるか?
その次のシーズン、世界ジュニアの出場枠は1つになり、JGPの出場枠は2大会各1枠のみ、7分の1に減る。これでは後輩ジュニア達に十分な国際戦経験が与えられない。
要するに、ホランは来年以降の後輩ジュニア達のために敢えて世界ジュニアに出る。本来は月末の世界選手権、岡崎いるかとの再戦に集中したいところだが……
試合数もきつい。グランプリファイナルに出られる快挙は当然出る。ユース五輪はポイントはないが一生に一度だし当然出る。世界選手権は当然出る。コレだけでもキツいのに、世界ジュニアは一番集中したい世界選手権の直前、わずか2週間前だ。
だが、そこそこの成績で手を抜いて、というわけにもいかない。この世界ジュニアに出て来た日本選手は皆いるかが全日本で負かした選手。そんな選手に負けてから世界選手権でいるかに挑むのは避けたい。まして、結束いのりは去年のJGPファイナルで不覚を取った相手である。
グランプリファイナル出場やユース金メダルをまぐれや幸運と言わせないためにも、日本の狼嵜世代の尖兵、結束いのりだけはここで仕留めておいて世界選手権に臨みたい。
ホランは静かに気炎を上げつつリンクへと入った。