狐人と物狂いの帝 ~二人で一人の安倍晴明、仇を探す旅路にて空海と出会い、暴悪無双の上皇と相対する事~   作:木下望太郎

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五十四話  貞明は嬉しかった

 

 ――我々の知る歴史において。

 元慶四年、西暦にして880年、十二月四日。清和上皇崩御。

この直後に陽成天皇より、右大臣たる摂政・藤原基経(もとつね)太政大臣(だじょうだいじん)に昇格するとの(みことのり)が発せられている。

 

 が。基経(もとつね)はこれを辞退。改めて(ちょく)が下されたがなおも辞退。都合四度辞退、翌年も含めれば五度辞退していることが『三代実録』に記されている。

 異常である。一度であれば謙遜を示す儀礼的態度として理解されるものであるが、これほど辞退が繰り返されることは考えられない。

そればかりか。基経(もとつね)は翌年二月までの間、私邸に引きこもり続け、参内すらしていない。

 我々の知る歴史において、その原因を記した史料は現在のところ発見されていない。――

 

 

 あの夜、やり過ぎてしまったか。貞明は――後に陽成天皇と送り名される今上の帝は――そう思っていた。

 摂政・藤原基経(もとつね)への鬱憤(うっぷん)が溜まっていたのは確かだ――今は自身が幼少ゆえ当然とはいえ、さも我が物であるかのような顔で(まつりごと)を行ない、ろくな説明もない形だけの報告しかしない、そのくせ教養を身につけさせることだけは熱心な堅物――。

 が、だからといって。

 

「ね。あれは、やり過ぎだったよね」

 基経(もとつね)のいない大内裏の片隅で、建物の陰に隠れて貞明は言った。

 

 賀茂忠行はわずかに身をかがめ、貞明の言に、じっと耳を傾けていた。どこか困ったような、穏やかな笑みを浮かべて口を開く。錆びたような低い声が、しかし淀みなく流れた。

「お優しいことです。ですが、(わたくし)はそう思いませぬ」

 筋金を入れたように背筋を伸ばす。貞明と違ってすでに元服を済ませ、かちり、と糊の利いた直衣(のうし)と背の高い烏帽子(えぼし)を身につけている。

「自身の氏族の繁栄のみを考え、いえ、氏族内ですら蹴落とし合う様すら見受けられる……藤原氏の専横にはいささか目に余るものがあるかと。あれぐらいの目に遭わせて丁度良いのでは、と」

 真っ直ぐに腰を折り、深く頭を下げてくる。

「貴方様こそが、日の本の主なのですから」

 

 物々しい口調に貞明は苦笑したが。口を開く前に、別の男が口を挟んだ。調子を取るように、自らの掌に扇を打ちつけながら。

「いやっ、正にそう! そのとおりで御座いますとも、私めもあのお方は少々やり過ぎかと! 思っておった次第に御座います!」

 細い目をさらに細めて笑うのは貞明の乳母子(めのとご)――幼少時の貞明を養育した乳母(うば)全子(ぜんし)の息子――、源益(みなもとのまさる)

 またも扇を手に打ちつける。

「あれだけ威張りくさっておいて、いざ帝の御力を目の当たりにしては怯えて慌てて引きこもって! なんとも噴飯(ふんぱん)、片腹痛いとはこのことかと!」

 

 (まさる)はあの夜のやり取りを目にしたわけではない。貞明の言から知っているのみだ。加えれば、忠行のように(モノ)が見えるわけではない。

 それでも、年上の幼馴染(おさななじみ)のような乳母子(めのとご)として、貞明を信頼してくれていた。「また目に見えぬ虫やら獣とやらの話などなされて」と怒ることはあっても、その後で必ずこう言ってくれた。「貴方様がそうおっしゃるなら、きっとそれらは在るので御座いましょう」「ですが、この源益(みなもとのまさる)と、誰かそれが見える者の前の他では、その話はなさいますな」と。

 

 (まさる)の物言いには同意する部分もあったが、それでも苦笑せざるを得なかった。

 何のかのと言って、基経(もとつね)はそれなりに()く世を治めているようだった。地方での反乱もあったが、それを首尾よく収めもしている。

 

 だいたい、摂政が(まつりごと)を行なうことに不満があったとしても、今の貞明がどうにかできるわけではない。上皇崩御から明けて十四歳、何の経験も人脈もない貞明では。

 母、高子(たかいこ)は兄たる基経(もとつね)に反抗するかのように、いずれは親政――天皇自身による(まつりごと)――を、という志向があるらしかったが。貞明自身に明確な意志があるわけではない。

 それゆえ貞明は、他の臣が要請する基経(もとつね)の復帰を促す書状を、反対もせず何度も出している。

 

 

 その後いくらか語らった後、それぞれの役目へと戻り。

 行事へ形ばかり臨席しながら、貞明は二人との会話を噛みしめるように思い返し、一人微笑んでいた。

 

 基経(もとつね)の件、親政への母の意志、そうした懸案事項はあったものの。貞明は幸福であった。皇位を継ぐ前、何の憂いも知らない幼子の頃を別にすれば、今が最も幸福な時であった。

 何しろ、友がいる。自分と同じモノを見てくれる友が。

乳母子(めのとご)(まさる)も友人ではあったが、見ている世界が違う。理解者とは言えなかった。だが、忠行がいてくれたおかげで(まさる)との距離も縮まったように思う。貞明が見ているモノが真実だと、証してくれる者がいたおかげで。

 

 忠行には何度か、陰陽の術を手ほどきしてくれるよう頼んだが。そのたびに腰より深く頭を下げられ、丁重に断わられていた。

「そのようなことは我ら陰陽師の技、天皇(すめらみこと)の為すものでは御座いません」

「何より。過ぎたるは及ばざるが如し、大き過ぎる力というものはとかく忌まれるもの。摂政殿が、主上の御力を目の当たりにされたときのように」

 

 もっともな意見ではあった。

 貞明も、以降人前で力を使うことはなかった。もっとも陰陽師の術と違い、神器や霊剣の類がなければ何ができるわけでもなかったが。

 ただ、忠行が時折送ってくる式神――折紙細工を依代(よりしろ)とする式神術が忠行の得意手であったが。それとは違った。目に見えぬ(モノ)をより集めて一体の(モノ)と成したもの。人の目には見えぬ、掌に載るほどの小鬼や人の顔をした鳥――、これの相手は欠かさずした。

 忠行の言をこれらが伝え――それらが指や尾で、宙や床に光る(モノ)の軌跡として文字を描き――、貞明も忠行への言をこれらに伝え、返す。もっとも、(モノ)を操ることができるわけではない貞明は、密やかな声としてそれらへ言伝(ことづて)をしていた。

 

 今も、儀式に連なる公卿らが、帝の独り言――と見えるだろう――と忍び笑いに、密かに怪訝(けげん)な顔をしているのが見えた。

 

 

 

 一度だけ、人前で力を使ってみせたことがある。

 元慶五年――上皇崩御の翌年。引きこもっていた基経(もとつね)が参内し政務に復帰した二月から、二ヶ月後の四月七日。貴族らの人事に関する奏上があるこの日、紫宸殿へ向かう貞明の下へ忠行の式神が訪れた。

 

 蜻蛉(とんぼ)のような羽を震わす蜥蜴(とかげ)は、光をこぼす尾を以て宙に軌跡で文字を描く。

 いわく。いつぞや内裏に家鳴りや地震(ない)を起こした木性の蛙の(モノ)。あれが紫宸殿にて騒いでいる、式神がそう忠行に知らせてきた、と。百官が集った建物で地震(ない)が起こり倒壊でもすれば、どれほどの被害が出るか分からない。忠行は他の儀式の最中で離れることができず、畏れながら主上の御力を振るっていただくことをお願い奉る、と。

 

 宙に浮かんだ光る(ふみ)を見るや、貞明は笑みをこぼしていた。

「ほほう!」

 供の者らを置き去りにして駆け出し、清涼殿へと戻る。昼御座(ひるのおまし)の剣を納めた袋を引っつかんだ。

 笑みが止まらなかった。忠行から、友から頼られていると思うと。

 

 ばたばたと音を立てて廊下を駆け、紫宸殿へと至る。足音のせいではなく、かすかに建物が震えていることに気づいた。あのときと同じ、家鳴り。

 

 百官が居並ぶ広間には――まるで見世物のように中央に、しかし誰一人として気づいた様子もなく――あのときの大蛙がいた。背を草と苔に青々と彩られた、平たい尾のある蛙。

 その尾が床から飛び出た金釘に引っかかり、逃れられずにもがいている。その周りから鉄の鱗を(そな)えた蛇どもが、牙を剥いて蛙を取り巻いていた。

 尾を釘に絡めたまま、血相変えて蛙は暴れ。家鳴りが紫宸殿の床を震わせ、柱を揺らした。

 

 貴族らが辺りを見回し、あるいは駆け込んできた帝へ目を向ける中。

 鎌首もたげた蛇どもが次々に蛙へと飛びかかり、草の伸びる皮膚に牙を立てた。

 蛙がいっそう身をよじり、居並ぶ人々には聞こえぬ声でげこげことわめき。尾をひどく引くも釘は食い込んで外れず、跳び上がっては何度も体を床に叩きつけた。そのたびに床が軋み、壁が震える。

 

 貞明は声を上げていた。

「やめろ! よせ、お前たち!」

 

 一際大きく跳びはねた蛙が体を床に叩きつけたとき。その震動は床はおろか、柱から伝わって天井を揺らし。床下へと向かって床束(ゆかづか)――床を支える基礎柱――を震わせ。その下、基礎石を通して、地をも揺るがせたらしかった。

 ご、という揺れを前触れのように発した後。地の底をつかんで揺さぶるような地震(ない)が、紫宸殿を震わせた。

 

「くそっ!」

 

 貴族らが突然の揺れに床へ手をつき、あるいは立ち上がろうとして転び、顔から床へ倒れるのを横目に、貞明は霊剣の袋を解いた。

 半ばほどまで引き抜いた刃から無数の(モノ)どもが立ち昇る。赤く火の気をまとったそれらは群がる蛇へと向かい、たちまちのうちに追い散らした。

 

 地震(ない)が収まってすぐに貞明は蛙の元に向かう。金釘から解き放ってやろうとしたが釘は床から抜けず、尾の方を外そうとするも、ぬるぬるとつかみどころなく手から滑り落ちるのみ。

 やむを得ず剣を取り直し、刀身の全てを抜く。切先を蛙へと向けて狙いを定めた。

 剣を振るうと同時、放たれた金気の(モノ)が刃と化して飛び、蛙の尾を斬り裂いた。釘に絡まった部分だけ、小さく。

 大蛙は身を震わせ、虫食いのように欠けた尾を打ち振るいながら広間を跳び出し、紫宸殿の外へと逃げていった。

 

 ――大事がなくて良かった。

 息を深く深くつき、額の汗を拭って貞明は笑い。

 駆け去った帝を追ってきた源益(みなもとのまさる)は、あんぐりと口を開け。

 床へ転んだままの貴族らは、目を円く開いて貞明を見上げ。

 摂政・基経(もとつね)は床へ手をついたまま固まっていた。上皇崩御の夜、貞明の力を目の当たりにしたときと同じに。

 

 辺りを見回した後、どう説明したものか貞明が考え始めたとき。

 貴族らは我先に、何事か叫びながら広間を駆け出ていった。押し合って倒れる者、落とした烏帽子(えぼし)を拾おうとして体ごと踏まれる者、床に手をついたまま半ば四つ足で行く者もいた。

 

 がらんどうの紫宸殿で貞明は、はたと気づく。昼御座(ひるのおまし)の剣を抜いたままだった。

 貴族らには逆にこう見えてしまったのかも知れない。帝が叫んだ後、突如として地震(ない)が起こり。帝が剣を抜いた後、収まったと。

 苦笑しながら剣を納める。

 皆にも知れてしまったかな。私の力、というか霊剣の力が。まあ、いいか。

 

 

 

 ――我々の知る歴史において。

 元慶五年、西暦にして881年、四月七日。成選短册(たんざく)の儀に公卿全員が病を称して列席せず、儀式が成立しなかったとの記録が『三代実録』に見られる。

 原因についてそれ以上の記述はない。なお、儀式は二日後に改めて執り行なわれ、一応は事なきを得ている。

 

 一方、その後に摂政・藤原基経(もとつね)がまたも辞表を提出。天皇がこれを慰留する、といった騒動が記録されている。――

 

 

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