「……アブノーマリティの観測? ですか?」
「うん」
「はぁ」
という事で、私は福祉チームの第四収容室に来ていた。本来、観測業務は情報チームや安全チーム、そして福祉チームの仕事な
『最初に観測を試みたアスカだけ、そのツール型アブノーマリティを使用できなかったから。ガリナちゃんや私は使用できたんだけどね』とのこと。
つまり、アスカだけ使えなかった理由を探る為に、色んな職員に片っ端から観測データを
それか、アスカのようにアブノーマリティに感応しやすい人ほど使えないツールって可能性もあるのかな。だから私に観測させた……いや、考えにくいな。
私の……メイベルさん曰く『感応度』は、そこまで高くないらしいし。
そういえば、メイベルさんが気になる事を言っていた。
『もしかしたらこのツールも、私達の実験に役立つかもね?』との事。
どういう事か聞いても『行けば分かる』としか言われなかった。何が何だか。
「で……これが」
そこには一冊の本があった。手帳というにはもうちょっと正式っぽく見えるけど、何かの台帳だろうか。
開いてみる。最初じゃなくて途中のページを開いてしまった。
仕方ないからそのページから読もうとして……これは。
『クロエ』『あんた』『ちび』『我が娘』『泣き虫』『お姉ちゃん』『クロエ姉』『クロエちゃん』『カストルプ』『クロエさん』『姉さん』『頭でっかち』『クソ姉貴』『お姉様』『姉貴』『あなた』『のっぽ』『デカ女』『クロイー』『お前』『テメエ』『クーちゃん』『キミ』……まだ続くのこれ。
なんというか……私が今まで呼ばれたことのある呼ばれ方が書かれてる……のかな。それにしては知らないのもあるけど……『我が娘』とか『デカ女』とか。
でもそんなのはどうでも良くて……私は大量の呼称の羅列の最後に、見た事のない言語……よく分からない記号で、あまりにも文字数の多い何かが書かれている事に気付いていた。だけど。
「……『ふあかいじぐゆうとびらんゆじょうたつどとりせん』……? 発音合ってる? それに、まだ続くんだ。長いな」
おかしな事だ。知らない文字なのに、それをどう読むべきなのか、分かった。
今までもそうだったんだ。自然過ぎて気付かなかった。読み返してみると、この冊子の記号は、全て私の知らない文字だった。今まで読んでいた私の呼び名さえ。
私は最初から、何故か、未知の文字の意味が分かって、読む事が出来ていた……みたいだ。
でも、それは後から考えた事。今の私に気にする余裕は無かった。
頭に『意味』が流れ込んでくる。最後の名前……それだけじゃない、私という人間そのものの『意味』……。
咄嗟に、私はページを閉じた。多分……私が勇気ある人間だって、そう書いてあったんだと思う。もっとその名前を読み込めば、自分の未来の運命すら理解できそうだった。
あの最後の名前は、私という人間がどんな人なのかを示していた……って事なんだろうか。
メイベルさんが『実験に役立つかも』って言ってたのは……アブノーマリティとの感応に、そういう自己理解が必須だって事なんだろうか。
それともこれで得た情報から、相性の良いアブノーマリティを選定したりするのかも知れない。
どちらにせよ、私達の実験にはもってこいのアブノーマリティだ。こんな都合の良いタイミングで抽出されるなんて、運が良い……それか、意図的に都合の良いアブノーマリティを抽出する事が出来るのか。
とりあえず私は勇気が高い人らしい。本能作業でもしてくるか。
良い感じに生き急ぐセンチコガネの作業を成功させてきた私は、観測ログの提出の為、福祉チームの管理領域に戻って来ていた。
アスカに渡せれば楽なんだけど。メインルームをきょろきょろしてると。
「いたいた。アスカぁ」
「うん? パトロールか? クロイー」
「いや、今は巡視業務じゃなくて……メイベルさんに頼まれた観測ログを渡しに。頼める?」
「クロイーが観測業務? 何で俺じゃなくて……ああ、アレか」
「そ。アスカが使えなかった奴。ツール型を使えないってどんな感じだった?」
「……なかったんだよ」
「ん? 何が?」
「俺のページ。他の人の名前をいくら知ったところで、それはアブノーマリティの本質じゃないし、効果もないだろ。だから使えなかった、だ」
そんなことを言うアスカの表情は、わざとらしいくらいブスッとしていた。アスカがそんな生き生きとした表情だと違和感あるな。
「ツール型が使えない事がそんなに嫌だったの? それとも、何かあった? 朝の事も……」
「…………」
アスカは周りを見回す。メインルームは流石に慌ただしく、いろいろ
「人の目があるな」
「うん……て、えっ、待って……」
早足で廊下へ去っていくアスカを、私は追いかけた。普段と違うアスカの態度に動悸を激しくさせながら。
着いたのはいつもの実験室……それか、アスカ専用収容室だ。ここに用がある人は少ないし、メイベルさんも今は実験をしていない。密談には適した場所だろう。
「最近はガリナやパーカーさんと宴会してるんだよ。メイベルさんは実験で忙しいとかで全然見ない」
「……ふーん」
それは多分私達の実験の話だろうけど……メイベルさんも別に私達がやってる実験についてアスカに伝えてないのか。
しかしアスカの言葉は驚くべき物だった。
「俺への実験はけっこう終わってるみたいだし、応用実験でもしてるんだろ」
「……アスカへの実験が? それって、アスカの体質の理由が分かったって事?」
「あぁ。再現可能なものかは怪しいし、一応仮説らしいけど」
仮説でも、アスカへの手がかりが見つかるのは意外だ。アスカってもっと意味の分からない物だと思ってた。必然、興味の出た私は質問する。
「その仮説って……」
「──人間じゃない、がらんどうなんだとさ」
「え」
「
「精神がないって……心がないみたいな?」
「ああ」
アスカは頷くけど、正直ピンと来ない。
「別にアスカ、普通に感情あるでしょ? 感情があるなら心も……」
「ただの『反応』だ。他人の影響を受けてるだけで……自分のものじゃない」
「何それ、本気で言ってる?」
私は少し呆れた。メイベルさんも、よくそんな考えが正しいと思ったな。そんな事を言うんだったら……。しかし、直後その声に、私は思考を途切れさせた。
「でも、だって、変わったんだ! それだけは……間違いないんだ。こんなのは……俺の心じゃない!」
叫ぶような声に、気圧される。それで、アスカは落ち込んでたのか。それすらもアスカやメイベルさんに言わせれば『ただの反応』なんだろうか。
「あの帳簿に俺のページはなかった。人間じゃないからか!? それとも全く中身のないがらんどうだからか!? 俺は……」
半狂乱になったようなアスカに、私はあの夜を思い出した。久し振りに泣いた夜。
あの時アスカがしてくれたように、私がアスカを慰められたら良いけど……。
でも正直、アスカのそんな姿が見れた事が、私は嬉しかった。誰より強くて、誰より利他的なアスカが、自分の弱さを見せてくれた事が。
見上げるしかなかったアスカと対等になれた気がした……実際、私達は同じだから。
クスッと笑う。それに……。
「……なにが面白いんだ」
「だってアスカ、子供みたい」
「なんだって……」
「馬鹿にした訳じゃないよ?」
私は部屋に勝手に置いてるソファに座った。アスカも座るようポンポンと隣を叩く。
不承不承みたいな表情を作ってだけど、アスカは従ってくれた。
「変わったって言うのは、外郭の実験場の時?」
「ああ……って、何で知ってるんだ」
「『書く機械』で書いてたでしょ。あれが手紙みたいに届いてさ」
「そっか、書く機械……必ず誰かに届くんだったな。クロイーに届いてたのか」
「それはともかく、外郭で改造されて、感情がなくなったって……」
ロボトミー手術みたいだ。
「でもやっぱり、アスカに心がないとは思わないよ。人間かどうかは……正直分からないけど」
「それは、それっぽく振る舞ってるから……それに」
「他の人やEGOの影響を受けてるから、でしょ? でも、人間って皆そうだと思うんだ。私だってたくさん両親の影響を受けて、今の性格になったんだろうし」
覚えてないけど。
「多分きっと、アスカは子供みたいな状態なんだと思う」
「なんだそれ。俺が子供?」
「ほら、子供って生まれたばっかだから、何もないし、そんな感情豊かじゃないじゃんか。可愛いけど、段々不気味になってくる物だよ。赤ちゃんの時のレオもそんな感じだったなぁ。あ、レオはウチの弟」
「確かに、子供は周りの影響を受けやすいけど……」
そういう事なのか? とアスカは頭を悩ます。
きっとアスカは、胸の内を占める虚無感に苦しんでいるんだろう。何も目標が見つからない人間がそうなるのは、私も身を
それでも、私達は目的を作って生きる。忙しなく、焦って競争するように。
「『クロイー』ってさ、私の本名じゃないんだ」
「……えっ!? そ、そうなのか? なんで……」
「本名は『クロエ』。理由は……大した物じゃないんだけど、私の決意みたいな物かな」
血すら
「こんな残酷な都市で、世界で生きていく為に。生きていける自我を築く為に。『クロイー』は、今までの弱い自分を少し変えた、都市で生きる為の名前なんだ」
「そう……なのか」
「都市で生きる為の、第二の
そんな風に強固にしようと思った自我も、アスカに優しく溶かされちゃったんだけど……とは言わない。恥ずかしいから。
でも、私だってアスカへ、それだけの物を贈りたい。だから。
「……『ハンス』」
「えっ?」
「今思いついた名前」
目を丸くしたアスカは反応に困ってるみたいだった。私は気にせず続ける。
「ねえ、私は外郭で改造される前のアンタを知らない。もしかしたら今とは全然違うかも知れない」
「……ああ」
「でも今のアンタが好きなの。周りの影響を受けてるだけだったって、関係ない」
私は隣りに座るアスカへ身を乗り出す。たじろいだような表情をしていた。これも私の言葉に反応してるだけなんだろう。
心を動かしているだけなんだろう。
「だから、これから色んな物に触れて行くアンタに、別の名前を付けよう。ただの『影響』でも『反応』でも、きっとそれがアンタの中に留まって、やがてアンタ自身へと変わって行くんだろうから」
「それは……」
「大丈夫だよ、私はどんなアンタになっても受け入れる。それに……今すぐじゃなくて良い。だってアスカ、いつかここから出て行くつもりでしょ」
図星のような表情。気付かない訳がないだろうに。
バレルと訓練してフィクサーとして戦闘する心得を覚えようとするアスカは明らかに、ロボトミーから去ってからの、その準備をしていた。フィクサーとして生きるつもりなんだろう。
「
驚いて、悩んで、色んな顔をして……最後にアスカは、面白い表情をした。……下手くそな笑顔。
「『ハンス』か…………良い名前だな」
「でしょ」
「わかったよ。ここを出たらそう名乗ってやる」
きっと作り物じゃないアスカの笑顔に、私も笑顔を返す。
私とアスカは同じだ。それが嬉しかった。自分自身を偽って、失って、変わらざるを得なかった人間だから。
──でも、今は。少しだけ。焦燥と競争を忘れて。
アスカの手を握った。握り返される。今はそれで良い。いつか『ハンス』になったアンタが握ってくれれば良い。だって。
──二人なら、
──二人なら、きっと
俺はクロイーの手を握り返す。きっといつか『ハンス』として、こちらから握りたい。だから、この手の感触を覚えようと思った。
成長してやる。
誰かの影響を受けても、それが俺だと思えたから。
都市で生きるための名前を与えてくれたから。
戻りたい。ずっとそう思っていた。あの場所に帰れなくとも、俺自身が以前に戻れなきゃ、生きていけないんだって。
でも、今の俺を保ったまま、変わっていく道を示してもらえて……目の前がパッと開けたような気がしたんだ。
やっぱりクロイーはすごい。あんなどうしようもない俺の虚無感を晴らせるなんて。でもきっと、もっとすごくなるんだろう。俺もそれについていきたいと思った。だから。
自分自身を失ったがらんどうは、これから自我を作っていく。
ここすき機能、めちゃくちゃ好きな機能なんですが後で編集とかしたらここすき行がズレるためなかなか原型を留めてくれない……