八奈見を追いかけて、エスカレーターに乗る。
華恋さんたちと合流するまでになんとか頭を切り替えようとしたのだが、まだ八奈見の言葉が胸の奥で燻っていた。色々なことを知って、気が付いたうえで、俺は紗由の前に平然と立っていられるのだろうか。
そう考えている間にも、エスカレーターはずんずんと進む。
上がり切ってフードコートに進路を向けようとすると、八奈見が引き留めてきた。
「あれ。北見君、LINEみてないの?」
スマホを取り出してみると、画面にはメッセージ通知が届いていた。
華恋さんからで『移動したよ~! モーリーファンタジーにいるね!』という内容。
よくよく見るとグループLINEに送られたものだった。いつの間にか、俺たち五人のグループが作られたらしい。
こういうノリって、アニメではちょくちょく見たことあるけど、まさか実在してたとは……。
「みんなあっちにいるみたいだし、合流しよ」
「そうだな」
モリファンに入り、コインが擦れ合う音やポップなBGMの中を少し歩いていくと、俺が苦汁をなめたクレーンゲームコーナーに差し掛かる。
三人の姿は、二段式の小型クレーンゲームの前にあった。横並びで遊んでいるようだ。
──って、なんだあの破壊力は!?
真っ先に目が行ったのは華恋さんの姿勢だった。
随分とクレーンゲームに夢中になっているようで、筐体のガラス面に張り付く勢いで思いきり前かがみの姿勢になっている。
当然、その背中側からは、淡いパステルカラーのフレアスカートに包まれた、ひと際目を引く見事な曲線を描く腰回りが、無防備にこちらへと突き出されている。
……だめだ、だめだ! 何を考えてるんだ俺は!
ただでさえ今は、紗由に対する罪悪感で死にそうなのに、ここで華恋さんのそんな無防備な姿で邪念なんて抱いたら、俺は本当に救いようのないクズ男になってしまう。
華恋さんの無防備すぎる姿勢を前にして、葛藤の末になんとか視線を逸らすことに成功する。
「北見君……いくら好きだからってそこまで真剣にお尻を見つめるのはどうかとおもうよ……」
逸らした視線の先にいた八奈見からは、冷ややかな声が飛んできた。
「みてないぞ!?」
「いやいや、めちゃめちゃ凝視してたじゃん。私、不審者として通報したほうがいいかな」
「ち、違うんだ八奈見! あれは不可抗力というやつで──」
そんな俺たちの小競り合いに気づく様子もなく、前方では賑やかな会話が続いていた。
「袴田、そこちょっと右。あ、行きすぎ、ほら戻して」
「こ、こうか? このレバーって判定がシビアだな」
「華恋ちゃんも見ててね。こうやって、アームの角度が……」
どうやら、紗由は二人にクレーンゲームのコツを教えているらしい。
「へえ、そこを狙うのか。有針、こういうの詳しいんだな」
「まあね。こういうのには、ちゃんと攻略方法があるの。あ、ほら、ここに引っ掛ければ取れそうじゃない?」
「了解。よし、任せろ」
紗由は袴田のプレイしている筐体側に身を乗り出し、アームの動きに夢中になっているのか、今にも肩が触れ合いそうな距離にまで顔を近づけていた。
俺の視線は、袴田に褒められて、嬉しそうに──そして少しだけ照れくさそうに笑みを浮かべる紗由の横顔から離れなくなる。いつも俺に向けてくる、あの容赦ないジト目や不機嫌そうなオカン顔とは違う、同年代の男子に対する真っ当に女の子らしい、柔らかい笑顔。
……なんだよ。あいつ、袴田の前だとあんな風に笑うのかよ。
それを見た瞬間、胸の奥で得体の知れない何かで疼いた。
何故かわからないけど、その様子を見ているのは面白くなかった。
「……よし、狙いを定めて。えいっ!」
華恋さんの軽快な声が響く。すぐに彼女の体はぴょんと飛び上がった。
「やった! 取れた! 取れたよ紗由ちゃん!」
華恋さんはしゃがんで筐体の取り出し口からピンクの丸い塊を取り出し、嬉しそうに隣の紗由へと声をかけている。取れたのはカービィの小さなぬいぐるみキーホルダーらしい。
「あっ、杏菜! 祐一君!」
ふと華恋さんがこちらに気が付く。
その声を合図にするように、三人を見守っていた八奈見が「私にもコツ教えてよ!」と、クレーンゲームの方に向かっていった。
袴田は「いいぜ」と八奈見を迎え入れ、紗由も交えて三人で次の獲物を品定めし始める。
八奈見と入れ替わるように、華恋さんがパタパタと軽い足取りで俺の方へと歩いてくるのが見えた。その手元では、さっき取ったばかりのカービィのキーホルダーが揺れている。
「祐一君!」
彼女が目の前まで来ると、ふわりと花のような甘い香りが広がった。
「手のひら、出してくれないかな?」
そう言って、華恋さんはにっこりと俺を見つめてくる。
ひらを出してみると、ぽんとカービィのキーホルダーが乗せられた。
「これね、さっき紗由ちゃんに教えてもらいながら、初めて自分で取れたの。だから、祐一君にあげたくて」
「え、俺に? 華恋さんがせっかく取ったんじゃないの?」
「うん。だから祐一君に。お昼にわたしの為に頑張ってくれたし。それにほら、今日こうしてみんなを南ジャスに誘ってくれたの、祐一君でしょ? そのお礼も」
華恋さんはほんの少しだけ上目遣いになりながら、透き通るような大きな瞳で俺を真っ直ぐに見つめてくる。心臓はすっかり跳ね上がっていた。
「今日こうして休日に集まって、みんなで笑い合えて、本当に楽しいんだ。ぜんぶ、祐一君が誘ってくれたおかげだよ」
「そ、そう? ならよかった。俺も……みんなと来れて良かったって思ってるよ。華恋さんも楽しんでくれたなら、誘った甲斐があったっていうか……」
目の前のの圧倒的な可愛さに押しつぶされそうになりながら、照れくさくなって頭をかく。
華恋さんは更にとん、と一歩、距離を詰めてきた。
一歩間違えれば体が触れ合いそうなほどに近づてきて、白いノースリーブから覗く滑らかな肩がすぐ近くに見える。華恋さんはその場で少しだけ背伸びをすると、周囲の喧騒に紛れ込ませるように耳元に唇を寄せた。
「……本当は二人きりが良かったんだよね」
「ん!?」
「ふふっ。分かってたよ。教室で祐一君が、私のことを一生懸命私を誘おうとしてくれてたこと」
顔を離した華恋さんは、自分の大胆な行動に少し照れたように頬を染めながら、いたずらっぽく微笑んでいた。
「みんなでのイオンもすっごく楽しいけど……今度はちゃんと、私だけを誘ってね。二人きりのラーメン屋さん、楽しみにしてるから」
俺はそっぽを向いて、意味もなく自分のセンターパートの前髪をめちゃくちゃにかき回して、なんとか平然を装おうとする。しかし、もはやここまで赤くなった顔は隠せそうもなかった。
華恋さんは「ふふっ」と満足そうに笑うと、いつもの清楚な顔つきに戻る。やっぱり華恋さんはどこまでも真っ直ぐで、眩しくて、俺が憧れた通りの最高のヒロインだった。
……だけど。
俺の視線は無意識のうちに、目の前の華恋さんから、その奥にいる紗由の方へと向いていた。
袴田や八奈見と笑い合いながらも、どこか一歩引いているようなその横顔。
「……祐一君?」
不意に、華恋さんがすっと体を傾けてきた。
ふわりと甘い香りが舞って、視界が華恋さんの綺麗な髪と華奢な肩によって遮られる。
「あ、ごめん、どうかした?」
「ううん。ただ……」
華恋さんは俺の手の上に乗せたままのカービィを指先でちょんとつつく。
「カービィって可愛いよね。真ん丸で、ピンク色で、食いしん坊で」
「そうだね」
「ちょっと、杏菜みたいかも」
華恋さんはくすりと笑った。
その悪戯っぽい笑顔は反則級に可愛くて、本来なら見とれてしまうはずなのに。
今は、そうでは無かった。
言葉に出来るほど明確なものではない『何か』が俺の中にある。そのせいで、目の前にいる華恋さんに上手く集中できない。
これはやっぱり罪悪感なのだろうか。
華恋さんがこんなに近くで笑いかけてくれる瞬間すら、脳裏に紗由のことがちらつく。
紗由は俺の恋を支援してくれているのだから、普通に考えて今は華恋さんのことを優先するのが正しいはずなのに──。
「おーい! そこのお二人さん! プリクラ撮るからこっち来てー!」
モーリーファンタジーの奥、薄暗いカーテンで仕切られた一角から、ひょっこりと八奈見が顔を出している。
「プリクラだって! 行こう、祐一君!」
華恋さんは楽しそうに声を上げると、返事も待たずに俺の体をプリクラへと押していく。俺は頭の中のモヤモヤを振り払うように、そんな彼女の力に身を預けた。
押されながらカーテンを潜り抜けると、プリクラの中には既に三人が収まっていた。
プリクラって勝手に古臭いイメージを持っていたが、どうやら違うらしい。
八奈見や華恋さんの反応を見る限りでは、陽キャの世界ではまだ現役のようだ。
まったく、陽キャ高校生の世界は、どこまでも広がってる……。
キャッキャとはしゃぐ女子を前に呆然と立ち尽くしていると、袴田が「北見、そう緊張すんなって」と爽やかな笑みを向けてきた。
コイツ、さては慣れてるな。この陽キャモンスターめ!
「カウントダウン始まるよー!」
八奈見の合図と共に、狭い筐体の中でぎゅっと五人の距離が縮まった。
左肩には華恋さん、正面には紗由がいて、柔らかい感触と少しツンとした気配に挟まれる。
ところで、俺なんかがこんなキラキラ青春を送っていいんでしょうか。
一周回ってちょっと不安です。
カウントダウンと共にフラッシュが焚かれ、目の前が真っ白になった。
あっそうだ。
この陽キャ成分マシマシのプリクラ、後でパイセンに送り付けて悶絶させてやろっと。
康斗には……刺激が強すぎるな。やめておこう。
◇
夕暮れの茜色が、豊橋南イオンの広い駐車場を染め上げていた。
「北見、有針、今日はありがとな」
「二人ともバイバイ~」
「じゃあね、祐一君、紗由ちゃん。また学校でね!」
ワンピースの入ったアパレルの紙袋を大事そうに抱えた八奈見と華恋さんは、最後の最後まで爽やかな袴田に連れられてバス停の方に向かって歩き出した。
見送っていると、三人の姿はまもなく大きな夕日の向こう側へと小さく吸い込まれていく。
目まぐるしかった土曜日が、夕暮れの中でじんわりと終わっていくのが分かった。
余韻に浸りながら、華恋さんから貰ったカービィのキーホルダーを取り出す。
「アンタ、何気持ち悪いニヤケ面でそれ見つめてんのよ」
「華恋さんから貰ったんだ。なあ、お揃いのキーホルダーをカバンに付けるとか、マジでやばくないか? 俺と華恋さんの絆の結晶っていうか」
「……? 何言ってるの? 華恋ちゃんは自分の分をあげたから、お揃いにならないでしょ」
あっ。よくよく考えればそうだった。
「で、でも、華恋さんに貰った大切なものであることには変わりないし。学校用のカバンに付けてみんなに自慢しちゃうもんね……」
紗由は少し悩まし気に何かを考えたかと思うと、くすっと笑った。
「まあ、付けたいならいいんじゃない? ちなみに、同じカービィを持ってるのは袴田だけど」
「へぇっ!?」
「同じ筐体で取ったのよ。すごく気に入ってたから。彼も学校用のカバンに付けるんじゃない?」
ということは、同じものをカバンにぶら下げるのは袴田草介?
男二人で、お揃いの、カービィ……?
「ここが地獄か……」
俺がその場に崩れ落ちると、紗由は「ほんとバカね」といつも通りの呆れ顔で声を上げていた。
あまりの落差に頭を抱えつつ、俺はふと、八奈見に言われた言葉を思い出す。
そうだ。まだやるべきことが残っていた。
このまま、俺ばかりが満足した土曜日で終わらせてはいけない。
立ち上がって、紗由に向き直った。
「お前、帰るまでにまだ時間あるか?」
「家に誰もいないし暇よだけど。何か用事? まだ叫び足りない?」
「違うよ。帰る前にフードコート寄らないか? ミスドでもなんでも、俺が何でも好きなもん奢るから」
「どうしたのよ。アンタらしくもない」
「お礼だよ。最近いろいろ世話になってるし。この前だって、弁当作ってくれただろ?」
真面目なトーンで言うと、紗由は少しだけ目を丸くした後、ぷいっとそっぽを向いた。
「まあ、そういうことなら。奢るって言った以上は、好きな物を食べさせてもらうからね」
「へいへい、御意のままに」
俺たちはそのままイオンの館内へと戻った。
フードコートにある二人掛けの席。
向いに座る紗由は、その小さな口を使ってエンゼルクリームをちびちびと食べている。
机に並んでいるのは、ポンデリングとチョコリング。
幾つ買わされるのかと少し冷や汗をかいたが、紗由は三つにとどめていた。
いやまあ、一度に食う量としては十分に多いと思うけども。
八奈見だって、たい焼きは二つだったし。
そんな様子を眺めながら、コーヒーをすする。
立て続けに女子のあくなき食欲に晒されてきたので、見ているだけでお腹いっぱいだった。
見つめていると、紗由はむすっとした顔を向けてくる。
「私の顔になにかついてる?」
「別に……あっ、いや」
ふと、今朝のことを思いだす。あの時、紗由を褒めようとして止めたのだった。
蹴りを入れられるのは怖いが、まあドーナツで買収できてるし、脛が砕かれることはあるまい。
「そういえば、リップ……変えたのか? いつもより色が明るいっていうか」
静かに尋ねると、紗由は指先で唇を隠すように抑える。
「確かに変えたけど……」
「似合ってるよ」
「な、なによ突然。急にどうしたっていうの」
「いや、その、今朝は言えなかったから、いま言おうと思って」
「そう」
紗由は、喜ぶ訳でもなく短く淡泊に返してくる。
意図がちゃんと伝わってるのか不安だったので、もう少しだけ踏み込んでみることにした。
「えーっとな。だから、俺が言いたいのは、今日のお前はなんか、すごい可愛いなーって。そう褒めている訳でして……」
ぎこちなく言い切ると、紗由はその場で固まった。
そして突然、突っ伏すとでも言った方が適切なぐらいの勢いでうつむく。
「だ、大丈夫か?」
うつむいたままの紗由は、手に持つ食べかけのエンゼルクリームをぶるぶると震わせている。
少し待っていると、紗由はゆっくりと顔を上げる。
その顔は、一目で分かるぐらい赤く染まっていた。
「な、な、な、なによ、バカじゃないの!?」
まさかコイツ……照れてるのか?
「可愛いとか! アンタに褒められても一ミリも嬉しくないし! これは杏菜ちゃんとか、華恋ちゃんとか、ああいう可愛い女の子の隣にいても変に思われないようにしてるだけだし!」
「お、おう。そうか。女の子も大変だな」
そのまま紗由は容赦なく、俺の脛をげしげしと蹴っ飛ばしてきた。
照れ隠しとかいう可愛らしい威力ではなく、バスッと脛に重たい蹴りが炸裂している。
しっかし、顔を真っ赤にしながら照れるなんて、意外と可愛いとこあるんだな。
思わず頬を緩めると、紗由は睨みつけてきた。
「なに笑ってんのよ!!」
◇
何とか紗由をなだめてイオンから出る頃には、辺りはすっかり暗くなっていた。
ドーナツは持ち帰り用に更に三つ買わされた。おかげで財布は空っぽだ。
自転車は、まばらに立つ街灯の下をくぐりながら進んでゆく。
進むほどに静かな夜風が初夏の匂いを運んでいた。
そうして、いつもの分かれ道に着き、俺はブレーキをかけて足を地面についた。
「ちょっといいか」
「また蹴られたいの?」
少し身構えるような視線を向けてくる紗由に、俺は真っ直ぐに告げた。
「明日のテニスの試合、お前の晴れ舞台だし応援しに行くよ」
「別に晴れ舞台とかじゃないし。……でも、言った以上は来なかったら、その脚へし折るから」
紗由は物騒な言葉を残して、勢いよくペダルを漕ぎ出す。
小さな背中を見送っていると、胸の奥につかえていた何かが少しだけ軽くなる気がした。