月と樹と写輪眼 ─もう一人のうちは─ 作:琴葉つきね
サスケが香燐と共に歩みを進めていた頃、木ノ葉の里から僅かに離れたある小さな村で、一人の少年がうずくまり声を殺して泣いていた。
「……兄ちゃん……っ」
両親を亡くし、兄と祖父母と共に暮らす少年ハルタ。その少年の兄が体調を崩してすでに半月が経つ。しかし、村の小さな診療所の医者はもう手の施しようがないと首を振るばかりだった。
「そんなに泣いて……どうしたんだい?」
ふいに、頭上から声が降ってくる。ハルタが顔を上げると、黒い服に身を包んだ若い男が立っていた。
「……誰?」
「私の名前は柳(やなぎ)。各地で困っている人を助ける旅をしているんだ。何か困り事があるなら助けてあげられるかもしれない」
少年は俯き、鼻を啜りながら小さく呟く。
「俺の兄ちゃんが病気なんだ。ずっと熱が下がらないし、たくさん咳が出て苦しそうなのに、もう先生は何も出来ないって……」
柳と名乗る男は、ハルタの頭に優しく手を乗せた。
「それは……辛かったね。でも大丈夫、お兄さんの病気は治せるよ」
「本当!?」
ハルタは赤く腫れた目を見開く。
「この辺りに、白い花を咲かせる大きな樹があるのは知っているかい?その花はどんな病でも治すんだ。その花を煎じて飲めば必ず治るよ。ただ……どこにあるのか正確な場所が私には分からなくてね……」
「俺、その花のあるところ知ってるよ!!だけど、その樹の近くに住んでる木ノ葉の忍がその花を独り占めしてるんだ。だからみんな近づけないって……」
「そうか……君がその場所まで案内してくれたら、私がその忍と話をしてみよう。きっと話を聞けばわかってくれるさ」
藁にもすがる思いだったハルタには、優しく笑うその男が神様のように見えた。その笑みの奥に、何が渦巻いているのか──十にも満たない子供に見抜けるはずもない。
こうして純粋な願いを利用された少年は、男を大樹へと導いていくのだった。
──木ノ葉の里の外れ。
静かな庵の中、イタチは目を覚ます。身を起こすと寝床を整え、縁側から外へ出た。
白い息が、藍色の空へと漂っていく。
いつもと変わらぬ日々のはずが、ここ数日はどうにも落ち着かず、夜明け前に目が覚めてしまう。
この庵に住まい、彼女を見守り続けるようになってからすでに半年。里の中には、イタチのこの暮らしを罪から逃げているのだと後ろ指を指す者もいた。
しかし、何を言われようと彼がここにいる理由は一つしかない。
──守るために、護る。
白木蓮は、今も季節外れの純白の花を咲かせ続けていた。この変わらない姿こそが、彼女が命を削りながら生きている証。
イタチは縁側から白木蓮へと歩み寄り、白い花を見上げる。
その時──
こちらへ近づいてくる二つの足音。
(一人は子供。もう一人は……)
イタチは樹を見上げたまま、その気配を待ち受けた。
やがて、土に汚れた少年が姿を現す。
「これだよ!」
大樹を指差す少年の声が響く。
「これで、兄ちゃんが助かるんだよね……!」
少年が振り返ると、仮面のように張り付いた笑みを浮かべる柳と目が合う。
「ああ……案内ありがとう」
柳は横へと顔を背け、肩を小刻みに震わせる。やがて大きな笑い声をあげた。
「子供は、本当に扱いやすい……」
「え……?」
「お前はもう用済みだ」
状況を理解した少年の顔が、絶望で凍りついた。
「だ、騙したのか!!」
男はスッと笑みを閉じる。蔑むような瞳でハルタを見下ろすと腰元から短剣を抜き、刃先を向けた。
「!!」
ハルタは腰を抜かし、地面へとへたり込む。
「じゃあな」
振り下ろされる非情な刃。
少年が死を覚悟して目を瞑った刹那──
地を打つ、乾いた音が響く。
少年が恐る恐る目を開けると、男は白目を剥き地面へ崩れ落ちていた。ピクピクと痙攣し、立ち上がる気配はない。
ハルタは震える首を巡らせた。視線を白木蓮へと向けると、その傍らには長い黒髪の男が佇んでいた。赤い瞳でこちらを見つめている。
彼と目が合うと、ハルタは肩を跳ねさせた。
殺される──そう思っているのに、足が動かない。
少年はそのまま、白い花を見上げた。
(この花があれば、兄ちゃんが助かる……)
地に着いた手で、土を掴みながら叫ぶ。
「お願い!この花を一つちょうだい!兄ちゃんが病気なんだ!」
イタチは赤い瞳を閉じ、ゆっくりと口を開いた。
「……この花に、病を治す力はない」
静かな宣告にハルタの顔が歪む。
「だって、どんな病気も治せるって……!」
「それはただの噂だ。この花は薬にはならない」
「嘘だ!あんたもこの樹を自分だけのものにしたいから、俺に嘘ついてるんだ!……っ」
嗚咽が漏れる。
「こんなに……いっぱい咲いてるのに……! このままじゃ兄ちゃんが、死んじゃう……」
怒りが尽きた後に残ったのは、ただ兄を想う幼い子供の泣き声だった。
イタチは少年を見つめる。
かつて、自分に憧れの眼差しを向けていた、幼いサスケとミズノの顔が重なった。
彼らも──こんな風に泣いていたのだろうか。
「……」
イタチは思考を止めた。これは己の心の痛みを和らげる為の身勝手な思いに過ぎない。今、自分がやるべきは目の前の少年を導くこと。
「木ノ葉の里には──」
イタチが口を開いたその時だった。ふと、背後から枯れ葉を踏む音が近づいてくる。
「イタチさん! 今月分の薬、持ってきましたよ!あとお団子も……」
肩に鞄を掛け、いつもの調子で現れたサクラ。しかし、地面に倒れ伏す男とへたり込んで泣きじゃくる少年に気がつくと、歩みがピタリと止まった。
「これは……イタチさん、何があったんですか!?」
「花を狙った侵入者と、道案内をさせられていた子供だ……この子の兄が病気らしい」
イタチが告げると、サクラの表情が切り替わる。サクラは少年の前へ静かにしゃがみ込んだ。
「お兄さんはどんな病気なの?症状は?」
「え……あ、熱がずっと下がらなくて、咳がひどいんだ。夜になると特にひどくて……」
「……わかった。大丈夫。私は医者なの。私が見てあげる」
力強い言葉に、少年の目がすがるように大きく見開かれた。けれど、すぐに伏せられる。
「でも……お金が……」
「お金なんて気にしなくていいから」
サクラは微笑みながら立ち上がり、イタチに向けて頷く。そして少年の背を優しく導いた。
「さ、お兄さんのところへ案内して。急ぎましょう」
ハルタは振り向き、イタチをしばらく見つめる。やがて何かを確かめるように口を開く。
「……お兄ちゃんはこの樹を守ってるの?」
風が止む。
イタチはしばらく答えられなかった。サクラも口を結び、二人のやり取りを静かに見守っている。
そして──
「……ああ、そうだ」
イタチは小さく答えた。
「わかった。村のみんなにも伝えとく。お兄ちゃんはこの樹を守ってるんだって」
少年はそう言って駆け出し、サクラの隣へ並んだ。
白木蓮の枝葉の隙間から、夕暮れの光が細く降りてくる。遠ざかっていく二人の気配が完全に消えるまで、イタチはその場から動かなかった。
夕陽に染まる純白の花が風に揺れる中、イタチは地に伏せたままの男へ視線を落とす。きっと手だれの者だったのだろう。里へ引き渡し、どこからこの樹の情報を得たのか探る必要がある。
この半年の間この樹の噂を聞き、訪ねてくる者は何人もいた。
病の子を想う母親。足を引きずる旅の男。金の匂いを嗅ぎつけた商人。その全ての人々に同じ言葉を告げてきた。
──この花に、そのような力はないと。
多くは肩を落として去っていった。食い下がる者もいたが刃を抜いた者は初めてだった。
(変わってきている……)
噂は時を経るごとに都合よく姿を変え、輪郭を失っていく。そして誰かの望むようにより大きく、より甘く膨れ上がりながら人の欲を煮詰めていく。
子供一人の言葉で、この噂が止むとは思えなかった。
(誰かが意図的に、噂を広め続けているのかもしれない)
それがどれほど遠くまで根を伸ばしているのか──イタチには見当もつかなかった。心の内に沈んだ小さな石が、次第に重みを増していく。
「……」
イタチがふと視線を動かすと、白い花弁が一枚落ちていた。彼はそれをゆっくりと拾い上げ、掌の上で見つめる。
──必ず、守り抜く。
幾度となく胸の内で繰り返してきた誓いを、改めてその身に刻む。
冷たい冬の風が吹き抜ける中、イタチはそっと指を閉じた。
──その頃。
潮の匂いに包まれた海沿いの道を、二つの影が進み続けていた。
「サスケ、そっちじゃねーよ。渦潮の跡地はもっと北だろ」
半歩後ろを歩く香燐が、怪訝そうに声を上げる。
しかしサスケは足を止めず、海岸沿いの細い道へと逸れていった。
「先に寄る場所がある」
「寄る場所ぉ?寄り道してる暇なんて──」
探るように意識を集中させていた香燐が、ハッと息を呑んだ。
少し先、そこに一つの気配。
(このチャクラ……まさか)
身体が勝手に震え出した。
呼吸が乱れ、喉の奥が締め付けられるように苦しくなっていく。
潮騒──
皺のある大きな手。
焦げた匂いと、人々の叫び声。
母と手を繋ぎ、必死に走る自分。
次々と浮かんでは消えていく脈絡のない記憶。どれも一瞬で、掴もうとすると散らばり、形にならない。
「……っ」
「香燐」
サスケに名を呼ばれ、香燐は我に返った。額にはいつのまにか大粒の汗が滲んでいる。
「サスケ……お前、知ってたのかよ……」
「……今、確信した」
サスケは再び歩き出す。冬枯れの草を踏みしめながら、サスケは前だけを見据えていた。
彼の脳裏に浮かんでいるのは、あの日出会った老人のすべてを見透かすような瞳。
『かつて、渦潮の国にいくつもの強力な封印術を作り上げた忍がいたそうだ』
あの時は、ただの噂話として聞いていた。けれど、今なら分かる。
──なぜ、あの老人は“知っていた”のか。
歩みを進めるサスケの胸奥には、長い旅の果てにようやく掴んだ光が灯っていた。
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