ケンイチは本編後の大学生設定です。
「はぁ……はぁ……」
雨の中を小さな少女が歩いていた。
どう見てもサイズの合ってない白衣で体を隠し、なにかから逃げるように足を進める。
しかし、靴も履いてない足の裏は既に色々な物を踏んで血が出ており、子供の体力では遠くに行くのは難しい。
(行か、ないと……組織にこのことがバレたら、大変なことになる……!)
目指すのは、おそらくは自分が作った薬を飲まされても生存している可能性のある少年の家。
その家に着いて、助けてくれる打算があった訳ではない。
ただ同じ境遇の者に縋りたかっただけ。
しかし、現実は残酷だった。
小さな身体。それも、ここ数日死ぬ筈だった為にろくに食事も摂らなかったのが災いし、体力が底を尽きかけている。
目的の家まで辿り着く体力すら残されていなかった。
着慣れている白衣すら、雨の水を吸った事でただの重石に感じる程だ。
そしてとうとう、少女は諦めて狭い路地裏で膝を負った。
「私みたいな人間には、お似合いな末路かもね……」
そう自嘲して自分を慰める。
雨に打たれた事と、飲んだ薬の影響か頭が痛い。
もしかしなくても熱がある。
「ごめんね……おねえちゃ……ん……」
最期まで自分を思って行動してくれた姉を想い、目蓋を閉じてその場に倒れた。
「アパ?」
「ん……」
少女が目を覚ましたのは知らない部屋の布団の上だった。
寝起きであまり回ってない頭に触れ、状況を確認しようとする。
そこで、誰かが少女の顔を覗き込んできた。
「やぁ。アパチャイだよ」
「………………あぁああああああああぁああっ!?」
突然視界に現れた筋骨隆々の褐色肌の男に少女は驚いて布団から飛び起きて部屋の隅っこに移動する。
「アパ?どうしたよ?」
「なななななななっ!?」
なんで?と言おうとするが、驚き過ぎて上手く口が回らなかった。
状況が分からず、その場に座り込んでいると、その部屋に二人の男女が入って来た。
「あぁ。目を覚ましたんですね」
「良かった〜。熱が中々下がらなくて心配したんだよ」
一人は水を張った桶を持った金髪美人。
もう一人は如何にも普通の青年という見た目だった。
青年の方が、溜息を吐いて褐色肌の男を見る。
「アパチャイさん。驚かせたらダメじゃないですか」
「アパチャイ、あの子の汗拭いてあげようとしたよ。そしたら起きたよ。驚かせてゴメンよ〜」
どうやら男は汗だくだった少女を拭こうとしていたらしい。
それに苦笑して金髪美人が少女に話しかける。
「驚かせてごめんなさい。でも恐がらないであげてくださいね?倒れていたあなたをここまで運んでくれたのはアパチャイさんなんです」
そう説明されて、少女は自分の置かれている状況を大まかに理解する。
「わたくし、風林寺美羽ともうしますわ。あなたは?」
名を訊かれて少女はどう答えるべきか決めかねる。
本名とコードネーム。どちらを名乗っても厄介事になるのが目に見えているからだ。
自分だけならともかく、善意で助けてくれたのだろう目の前の人達を巻き込むのは流石に躊躇われた。
「私……わたしは……」
名前すら名乗れない現状に歯痒い思いをしていると、青年が少女に目線を合わせる。
「僕は白浜兼一。お父さんとお母さんの連絡先、分かるかな?」
少女が怯えないように優しい声音で話しかける兼一。
だがやはり少女は答えられずに俯くだけ。
「お〜い!秋雨、連れてきたよ!」
いつの間にか部屋から居なくなっていたアパチャイが和服をきた男性を連れてきた。
彼は少女の前で腰を下ろす。
「これでも私は医者でね。失礼だが、君が眠っている間に色々と診させてもらったよ。顔色も良くなったようで安心だ。もう少ししたら食事を持ってくるが、食欲はありそうかな?」
少女が別に、と言おうとすると、先に腹の虫がなった。
それを恥ずかしそうにしていると、秋雨という名の医者がうんうんと頷く。
「空腹を判るのは身体に栄養を求めている証拠だよ。それにしても、不思議だね。君の身体を診た時に、まるで成人近い女性が無理やり子供の身体戻ったような違和感があったのだが……」
その言葉に少女は驚きと怯えの眼で秋雨見る。
「これくらいの患者の異変に気付かないようなら藪だよ。まぁ、君にも色々と事情があるだろう。無理に話す必要はないが、名前くらいは教えてくれると助かるな。呼び方に困るからね」
すると秋雨は兼一の方を向く。
「兼一君。そろそろ逆鬼くんとの修業の時間じゃないかね?遅れると後が大変だぞ」
「げぇっ!?そうだった!早く行かないと!」
慌てた様子で部屋を出ようとする兼一。
出る直前に少女の方を見る。
「とりあえず、元気になって良かった。身体には気を付けてね」
「オラァ、兼一ぃ!!いつまで待たせるつもりだぁ!」
「はいぃ!!今いきまーす!!」
慌てて部屋から去って行く兼一。
それを見送った後に美羽が少女に話しかける。
「卵粥を作りますから、出来たら呼ぶので、それまでまだ寝ててくださいですわ」
一礼して美羽も部屋を出る。
「じゃあアパチャイ、兼一の修業見てるよ!」
「それじゃあ。なにかあったら呼んでくれたまえ」
アパチャイと秋雨も部屋を出る。
まだ襲いかかる倦怠感に勝てず、少女は布団に戻った。
「こんなことしてる場合じゃないのに……」
組織の連中は今の所在を掴んでいるのか。
そうなったら、少女だけでなく関わってしまった先程の人達も証拠隠滅として消されてしまうだろう。
事情は話せない。
「体力を戻して、ここから出て行かないと……」
不義理を働くわね、と考えつつも、少女は重くなる目蓋に逆らわずに眠ろうとした。
すると。
「ぎゃあああっ!?お助けーっ!!」
「オラオラァッ!!出来ねーなら死ねー!」
「ジェロニモー!?」
兼一の声と、さっき聴こえた誰かの声が頭に響く程に届く。
主に兼一の悲鳴が。
結局、兼一の悲鳴で少女は食事に呼ばれるまで眠れなかった。
「ホッホ。わしは風林寺隼人。そこの美羽の祖父でここでは長老で通っておる」
「馬剣星ネ。この近くで鍼灸院をやってるネ」
「香坂しぐれ……だ」
筋骨隆々の老人に小柄な中年男性。
そして刀を背負った女性がそれぞれ自己紹介する。
ちなみに先程兼一を呼んでいたのは、さっきそこで顔合わせした顔に傷がある強面の男性。逆鬼という名前らしい。
顔に傷がある強面の男性。逆鬼という名前らしい。
「灰原哀、です……」
たどたどしく名乗る哀。
この名前自体、本名を名乗る訳にもいかず、さっき眠れなかったので適当に考えた名前である。
少女――――哀から見ても異様な人達だった。
それよりも気になるのは。
「あの……いいんですか、彼」
哀が指差したのは、たった1時間足らずで何があったのか、先程とは悪い意味で見違えてボロボロのボコボコにされて意識が朦朧としているように見える兼一だった。
「気にしないでください。いつものことですわ」
(余計に気になるんだけど……)
おそらくはその兼一をボロボロにしたであろう逆鬼が呆れた様子で呟く。
「まったく。兼一の奴、いつまで経ってもこのザマだぜ」
「仕方ないネ。ケンちゃんの成長に合わせておいちゃん達も厳しく指導してるからネ」
「でも兼一、やっぱり見違えたよ!ここにきたころは毎日ぶっ殺されてたよ!」
「ぶっ殺してたのはオメーだけだアパチャイ!」
「アパ?」
「しかし、兼一君もそろそろ達人級の殻を破っても良い頃合いだと思うのだが。その兆候がまったく見られないとなると、少しばかり、賭けに出る必要があるとは思わないかね?」
「一理あるネ。ここは例の計画を実行に移すべきネ」
なにやら不穏な会話に発展していると、意識が朦朧としていた兼一の焦点が正常になる。
「ちょっ!?なにさせる気ですか!いや聞きたくない!どうせ碌なもんじゃない!」
耳を塞ぐ兼一。
そこで野菜が入った卵粥を美羽がよそって哀の前に差し出す。
「どうぞ。お口に合えば良いのですが」
言われて卵粥を一口食べた。
「おいしい……」
食事をしてこんなに満たされたのはいつ以来か。
美羽がホッとして様子で胸を撫で下ろす。
「良かったですわ。おかわりもありますから、遠慮なく仰ってくださいね」
「……ありがとう」
きっとこの人達は良い人達なのだろう。
会話の節々からそれが伝わってくる。
(長居するべきじゃないわね)
そう考えて卵粥をもう一口食べた。
「なぁ。あんなボロい道場を襲うのに、三十人も兵隊が居るのか?」
「仕方ないだろう!上が連れて行けと言うんだ!だからこそ失敗は許されん。理解しているだろう?」
今回は長い階段の上にあるオンボロ道場。そこに保護されている女を連れ去るのが目的だった。
住民を始末して。
「行くぞ。こんな後味の悪い仕事、とっとと終わらせんだよ!」
住民の始末と女の奪取。
幸い、今は夜でここなら多少暴れても近隣住民には気づかれない。
兵隊達に手で任務を遂行するように指示を出す。
だが、彼らは知らなかった。
自分達が連れ去ろうとしている女が今、世界一安全な場所で守られている事に。
複数に分かれて道場への侵入を試みる部隊。
目標の女を探すべく動く。
「やぁ。アパチャイだよ」
「たく。こっちは久し振りの酒だってのに、興醒めだぜ」
呑気に挨拶するアパチャイに、飲み干した麦酒の缶を握り潰す逆鬼。
「逆鬼逆鬼。アパチャイ判るよ。あいつら悪い奴よ」
「ま、こんな時間に
「なら、物理的に地獄に落とすよぉ!」
「やれやれ。人の家を訪ねるならアポくらい取ったらどうかね君達」
「それも男ばかり。女の子の一人も居ないなんて、おいちゃんガッカリネ」
別方向から侵入してきた刺客は既に無力化されていた。
手足の関節を外されていたり、地面に伏して悶えていたりする。
「何人か取り逃がしてしまったが……まぁ、兼一君なら問題あるまい」
この程度の相手に達人二人が取り逃すなどありえない。
彼らは弟子の修業相手としてわざと行かせたのだ。
「しぐれどんもこの間、ケンちゃんに銃器を持った相手に対する護身術を教えてたし、丁度いい実戦相手ネ」
なんにせよ、この程度の相手に負けるどころか手こずる事さえありえないのだ。
「美羽さんは哀ちゃんを!こいつらの相手は僕がします!って銃ぅっ!?うひゃっ!?」
銃器を向けられて兼一は反射的に銃口から外れる。
銃口を向けられて怯える兼一に哀は二人に訴えた。
「あいつらの狙いは私よ!私がついて行けば……!」
おそらく、そうならないと理解していながらその可能性に縋る。
そんな哀を美羽が抱きしめる。
「大丈夫ですわ。哀ちゃんはなにも心配しなくても」
「美羽さん?」
訝しむ哀に、怯えていた兼一が構えを取る。
それは、さっきまで怯えていた青年とは思えない堂々とした姿だった。
「美羽さんの言う通りだよ。事情は分からないけど、君は今、世界で一番安全な場所で守られてるんだ。そこで安心して待ってて」
そう言って兼一が一瞬だけ後ろを振り向いて哀に笑いかける。
「さぁ来い!!僕が相手だ!」
気迫と共に白浜兼一が前へと踏み出した。
この数ヶ月後。
世界中の警察組織を悩ませていたとある犯罪組織が数人の武術の達人と新白連合という学生組織に壊滅的な痛手を負わされる事になる。
それを小さくなった名探偵が知ったのは、全てが終わった後に送られてきた解毒薬に添えられていた手紙を読んでの事だったという。