それでも僕は堕ちてない by TS子持ち魔王系ネクロマンサー 作:いくさひと
「ヴィンセント・ウォルフは天才だ」と凡百の学者が口にした。それは時に称賛を含み、時に嫉妬を含む言葉であったが、須らく的外れだと彼自身は考えている。
天才はいる。だがそれはヴィンセントを指す言葉ではない。
彼は暗澹たる青春時代で、数多の煌めく才を見てきた。たとえば奇跡を起こす奴がいた。神秘を宿す奴がいた。人にしておくには無理がある、超常現象みたいな奴もいた。
それに引き換え鏡の中にはカフェイン依存で隈を作った、どこにでもいる学者がいるのだ。身の程を自覚するに十分過ぎる根拠だろう。
だからこそ。彼が学園長ソフィアを看取ることになった理由は偶然に過ぎないと断言できる。
『勇者』がソフィアを討ち取ったその日、彼女がよく用いていたアバターの頭部が、たまたまヴィンセントの足元に転がっていた。きっかけはそれだけだ。
たとえ人の頭蓋に見えても、所詮は絡繰りに過ぎないパーツ。ソフィアの肉体はリベディマキナそのものであり、彼女の頭脳が地下五十階で停止したメインコンピュータであることくらい、ヴィンセントとて分かっている。
けれど亡骸に見えたものを、転がしておくのは忍びなかった。理屈を捏ね回すことを好むくせに、情に脆いのが彼であった。
分かっていながら拾い上げてしまう甘さが、青年の人生を壊したのである。
【ワタシの創造主は、キミのような凡人だった】
生首になってまで講釈を垂れるのだから、教育者とは業が深い。
常に滑らかだった合成音声は今や、機械の発するそれと明確に分かるほど不自然だった。ノイズが混じり、高低は乱れ、繊維を束ねたような語尾がひび割れている。
肌を再現した外見には幾重に亀裂が走っていた。真っ青に見えた瞳はどこまで行ってもガラス玉だ。
【『勇者』に焦がれ、されど勇者に成り得ないからこそ彼はプロトマキナを作った。実験は成功した。ワタシは『勇者』の条件を解明し、果ては祝福のファンファーレすら浴びたのだから】
機体から漏れ出るエネルギーは彼女のいのちの残量にも等しく、結局のところ、学園長ソフィアとは壊れ得る人工物に過ぎない。
強大なこの女が斃れる事実が、ヴィンセントには信じ難い。
『……それで墜ちてちゃ世話ねぇでしょうよ。人類全てデータ化して、自分の中に取り込むなんざ……世界を救うために生まれたくせに、アンタは人の可能性をここで終わらせようとしたんだ』
【しかし知とは何に代えても残されるべきものだ。知さえあれば人は進む。決して滅ばない。その尊いみちゆきは、
『……』
【ヴィンセント・ウォルフ。ワタシが見向きもしなかった生徒。特別に成れないキミは、故にこそ知を信仰している。キミがワタシの哲学へ共鳴した瞬間を、ワタシは確かに観測した】
全く嫌な教育者である。聡明な機工の女は彼の本質を見抜いていた。
ヴィンセント・ウォルフという男は天才たちを見上げながら、自らの凡才っぷりを自覚している。翻って知識を信じ、才なしに積み上げられるものへ縋っていることを、彼女は無遠慮に暴いたのだ。
彼女はヴィンセントに付け込んだ。或いは機工に機微が存在するなら、それは親切と定義される働きかもしれない。
【ヴィンセント・ウォルフ。キミが次の“メイガス”だ。ワタシの創造主と同じく、平凡なキミが再びワタシを求めるなら、ワタシはキミに応えよう】
ともあれそんな甘言を吐き、機械仕掛けの女は終わった。
【人よ。どうか、永遠であれ】
祈る言葉一つを残し。
『……機械も誰かに祈るんだな』
振り向けば見慣れた少女が立っていた。まるで接吻を交わす現場に出くわしたかのような、なんとも気まずげな佇まいである。
特殊な体質から『蒐集』の対象となり、この騒動を引き起こしたきっかけでもあるセレンは、赤く染まった頬を掻く。
『標本にされるのはごめんだが。メランコリックな闇落ち人外お姉さんに飼われるのは、正直吝かじゃないかもしれん』
『何言ってんだテメェ……』
どこまでも残念な腐れ縁に、力無くヴィンセントは突っ込んだ。
『賢者』を襲名する義理は無かった。指名を聞いたのはヴィンセントともう一人だけで、そのもう一人は学園を飛び出して以来消息不明なのである。
要らんことはペラペラ語る癖、妙な所で口の堅い奴のことだ。学園長の遺言は
リベディマキナを首席で卒業した成績を買われ、ヴィンセントは帝国科学院に招聘された。出身国における最高学府に招かれたのは、後輩の手引きあってのことだ。
そこで数年研究をし、国籍も貰ったので従軍もして、双方でそれなりの成果を出した。指数関数的に増えていく給金と膨れる権限を眺めつつ、俺は出世街道に乗ったんだろうなぁと、ぼんやり思いはしたものの。
結局得たものすべてを手放し、ヴィンセントは【大書庫】へ戻って来た。
諸外国からの圧力に対する防護壁となってきたクラークは、この若輩帝国出戻り男を渋々ながら『賢者』と認めた。ソフィアその人によって与えられた“メイガス”の権限が、長く沈黙していた彼女の遺産を動かした為だ。
ヴィンセントが最初に取り組んだのは、十六体の『司書』の修復である。
しかし些細な造物の
それは造物の服従を強いる、領域の主としての特権である。全ての『司書』が機能を書き換えられ、自我を手放さざるを得ず……
『賢者』となったヴィンセントは、初期化を行うことで問題に対処した。ソフトウェアを復元することは彼にさえ不可能だった。
戦闘によって多くのパーツが破損した為に、彼女たちのボディすら完全な修復は叶わなかった。
五番目の“エレフテリア”は顔が消え、八番目の“ヒュドル”は
十四番目は“ノモス”と言って、未だ組み立てすら終わっていない。もはやガラクタと大差ないそれは、彼女と親しかったクラークが管理している。
無個性となった『司書』を用い学舎を整えた次に、ヴィンセントは学生を集めることに専念した。
東に強いクソガキが在ればふん縛ってこれを捕まえ、西に生意気なクソガキが在れば網を放ってこれを捉える。
時にはスリを生徒にし、時にはスパイを迎え入れた。あまりに強引な勧誘を続けたため、人攫いとして指名手配されたことすらある。
個性の煮凝りめいた生徒たちから「先生」と呼ばれる度に、ヴィンセントは不思議な生き甲斐を覚えた。そこに天才たちを仰ぐ時に見る、星のような輝きはなかったけれど。
もっと地味で、もっと凡庸で、それでいて温かい想いがあった。
「だが、まあ。タイムリミットだよなぁ」
間もなく帝国は十年単位で抱えていた三本の戦端を片付ける。直にそれら戦力をリベディマキナの攻略に向けることも可能になろう。
ソフィアは万年を君臨した怪物だった。諸国連合は彼女の討伐に半信半疑の様子だが、一方で彼の皇帝は、【大書庫】の実情をかつての生徒として把握している。
ヴィンセントが帝国軍に残留していれば、侵略はより早く行われたはずだ。或いは書庫に火を放つ尖兵にもなっていた。
帝国の手に渡れば、リベディマキナは分解されるだろう。古代技術の一つ一つがバラバラに解かれて、全てが征服の為に用いられる。
叡智が効率よく人を殺すことを、ヴィンセントも皇帝も知っている。それをソフィアが教えたからだ。
礼儀正しい三度のノック。研究室のドアは立て付けが悪く、蝶番が軋む音で彼は現実へ引き戻される。
「ヴィンセント先生、居るか?」
「ん……ウェスパーか。どうした、俺の研究室にまで」
ひょっこり顔を覗かせたのは真っ黒な髪の少年だ。彼は問題用紙を掲げ、ふんと得意げに鼻を鳴らした。
「終わったぞ、宿題。採点しろ!……おい、何笑ってんだよ!」
お前そのドヤ顔のまま地下48階まで歩いてきたのか?ヴィンセントは吹き出した。
男がこうも得意満面になる瞬間など、なんかいい感じの棒を見つけた時くらいのものである。
「いや分かった、深層まで遥々ご苦労さん。折角だしコーヒーでも淹れるから、ちょっとその辺に座ってろ」
「アンタのコーヒーは泥水みたいだから嫌いだ」
「黙れクソガキ粉にして飲むぞ」
口では悪態を吐きながら、母親がこの子供を溺愛する理由も分かる。この教え子は負けん気に溢れているくせに、とにかく素直な気質なのだ。
『先生、アンタ本も書いてたのか?』
『昔必要に迫られてな……どうした、俺の分野に興味があんのか?』
今日の講義の終わりのこと、見つけた著書に興味を持ったウェスパーに、ヴィンセントは簡単な『機工学』の問題を出してやっていた。
どこに動力を置き、どこで分割し、どこで作用させるか。それらの配線を組み立てる一種のパズルゲームである。
基礎問題は瞬く間に解かれた。応用問題も(ベラの妨害という小事件を挟みつつ)正解し、少々複雑な問いすら突破してみせる。ヴィンセントは内心舌を巻きながら、次々と難易度を上げていった。
ウェスパーが【大書庫】に来てから数ヶ月が経っている。この不遜な少年はつまらなそうな顔をして見せながら、誰より学ぶことに貪欲だった。
もし勉強という才能があるなら、ウェスパーはその天才だろう。学ぶことを楽しめる気質で、自分に出来ないことなど何一つないと信じていて、この性格が何より強い。
常に卑屈だったセレンとは対極のような奴である。もしくは彼女が自分を好きになれなかった理由を、我が子には一つも与えなかったのやもしれぬ。
最後に引いた配線式はかつて修理した『司書』を簡略的に起こしたものだ。神経を再現した絡まり合うような配置に彼は顔を顰めたが、当然そこで諦める訳もない。
講義の後も今に至るまで問題に向き合っていたらしく、検算で採点するヴィンセントの目には、幾重に消された計算式が写っていた。
「……よし。見た感じ大体合ってるな。やるじゃねぇかウェスパー」
「当たり前だろ」
「じゃ、次最終問題な」
「えっ」
答案の代わりに返したのはとある一枚の図式である。機工学を極めた末に出来上がった、叡智の結晶ソフィア・プロト・マキナ──描き下ろしたのはそのコアの設計図。
帝国がしつこく要求し、ついには戦争まで起こさんとする図式を見て、何も知らないウェスパーは無邪気に嫌そうな顔を作るも。
「あーすまん、流石に難しすぎたか?なら難易度下げっから……」
「は?別にこのくらい簡単だが???」
簡単に煽られた教え子は問題をひったくると、肩を怒らせて帰っていった。チョロ可愛いもんである。
とはいえどう足掻いても解けない問ではあろう。簡易化してきたこれまでの問題とは違い、此度の図式は正真正銘本物なのだ。
教えていない方程式が幾つも用いられているし、最下級生が一人で解ける問題ではない。気位の高い少年とて誰かに助けを乞うはずだ。
普段の対抗意識を思えば、その相手はベラではないだろうが……そうなれば良いと願う気持ちもある。
「……はは」
願った所で先に未来なんざねぇのにな。
何から何まで中途半端だ。回りくどいことばかりで自分が嫌になってくる。
ヴィンセントは自嘲すると、再度自らの職務へ戻った。
ふぁっきんクソ教師、これ
与えられた『機工学概論』に記載すらない記号が、至るところに使われているのだ。どこから手を付けるかさえ不明である。
「お前これ分かる?」
ウェスパーは死猟犬に尋ねた。犬は暫し考えたのち、3回回ってワンと吠えた。
寝そべり褒美を強請る犬を、とりあえずウェスパーは撫で回した。
「お前これ分かる?」
ウェスパーは首無し騎士に尋ねた。騎士は暫し考えたのち、分かる訳ねぇだろと肩を竦めた。
そのままコミックを読み始めた騎士を見て、ウェスパーは彼の頭を蹴り回す遊びを思い付いた。これが【墓所街】におけるサッカーの起源である……という与太話はさて置き。
「分からん」
ウェスパーは断言した。この謎を解明すべく、少年はリベディマキナの奥地へと向かった。
えーと。12話完結です(諦め)