被告は人間の頭上に、その人が生涯で殺す人数が見えると言う。
被告は未来で2人以上を殺す人間だけを殺してきたと証言する。
当然、逮捕されるが裁判で自身の能力を証明する機会を与えられた。
そして、主人公である刑事の田中の監視の下で次の殺人者を探すことになる。
その中で被告は田中も未来で人を殺すと告げる。
苦悩の末に田中が下した決断とは……。
ちょっとした息抜きに書いたことのないジャンルに挑戦。
後味悪いので注意。
「私は人を見ると、その頭の上にその人が人生で殺す人間の数が分かるんです」
被告は裁判官に向かって、堂々とそう言った。
「それがあなたの犯した数々の殺人と何の関係があるのですか?」
裁判官は問うた。被告はこの国でも前例に見ない大量殺人者。
きっと、精神がおかしくなっているのだろうと、傍聴人達の瞳は冷たかった。
「大いにあります、裁判官殿。私が殺してきた人は皆、2人以上人を殺すはずの人間でした」
「……つまり、あなたは殺した人に殺人を犯させないように、自分の手で始末したと……そう言いたいのですか?」
「その通りです、裁判官殿」
被告は静かに頷いた。
「何と馬鹿げたことを……!」
検事が立ち上がった。
彼の声は、信じられないという侮辱と、このような戯言を法廷で述べた者への怒りに震えている。
「これは、己の罪悪感を正当化するための、救いを求める最後の悪足掻きに過ぎない! 彼はただの人殺しだ! 彼は死刑にするべきだ!」
その言葉に、何人かの傍聴人が同意するように頷く。
法廷にいる人間が一様に被告を見下した。
彼らの目は、彼を理解しようとするより、むしろ彼を社会から排除するかのように見えた。
その視線の向こうには、彼が起こした事件で命を落とした数多の人の顔が浮かんでいる。
殺された被害者達の、痛ましい死のニュースが連日テレビを賑わせている。
その時、被告人の弁護人が立ち上がった。
彼は常に落ち着き払っており、どんな状況でも冷静な判断を下すことで知られていた。
弁護人は静かに、しかし力強い声で法廷に語りかけた。
「裁判官殿、検事殿、そしてこの場におられる皆様。私の依頼人が話していることは、一見すると狂気の沙汰。あるいは自己保身の言い訳に聞こえるかもしれません。しかし、彼の能力が本物である可能性を、一度、冷静に考えてみてはいかがでしょうか?」
弁護人の言葉が、法廷の緊張した空気に少しでも変化をもたらすのを待つように、彼は少し間を置いた。
「もし彼が本当に人間の内面、その未来でさえも見抜くことができるのであれば? 彼の行動は、もしかしたら、我々が知らない正義の形なのかもしれません。その可能性を探ることは法ではないかもしれません。ですが、正義の真髄ではないでしょうか。彼が本当に殺すべき人間を見抜く能力があるなら、彼の罪はどれほどの意味ものでしょうか? そして、彼の行動がなかったら、どれほどの多くの人が死んでいたでしょうか?」
彼の言葉は、法廷に静かな波紋を広げた。
人々の表情が変わる。
憎悪と軽蔑から、困惑と思案へと。
弁護人はさらに続けた。
「彼の能力を試す。それが、我々に今できることです。彼の能力を検証し、真実を見極める。それが不可能であれば、その時に彼の罪を裁けばいい。可能であれば……その時は、我々は人類の歴史における最も困難な道徳的問いに直面することになるでしょう。しかし、それでも我々は真実を見つめなければならないのです」
法廷は深い沈黙に包まれた。
検事は反論しようとしたが、あまりの狂気に当てられて言葉が見つからなかった。
傍聴人達は、互いに顔を見合わせる。
彼らの目は憎悪から一歩踏み出し、未知の恐怖と好奇心が入り混じっていた。
もし、もし彼の言うことが本当なら……?
それは、この世界の根幹を揺るがす出来事である。
裁判官は、しばらく被告を凝視した。
彼の目には長年の法務経験からくる厳しさと、この未曾有の事態への驚きが交錯していた。
そして、彼は静かに口を開いた。
「弁護人。あなたの提案は極めて異例であり、現代社会における倫理を犯すリスクを伴います。しかし……この被告の主張がもたらす影響を考えると、これを無視するわけにはいかないでしょう」
彼は一息ついて、判決を言い渡すように、はっきりとした声で告げる。
「被告を一時的に釈放します。しかし、厳重な監視下に置きます。そして……被告の能力を証明を試みます。被告が本当に見抜くことができるなら、この国が次に失うべき人間を見つけ出しなさい。被告の言う『2人以上殺すはずの人間』を。被告がそれを成し遂げたなら、我々は被告の主張を再審議します。もし虚偽の発言であると分かったのであれば、あるいは新たな殺人を犯せば、その時は……この国における最も厳しい罰が下されるでしょう」
法廷はどよめきに包まれた。
誰もが、このような決定が下されるとは思っていなかったのだ。
被告は静かに立ち上がり、裁判官に一礼する。
彼の表情は、この決定を予期していたかのように、変わることなかった。
その目には、これから始まる試練に対する、確固たる自信と諦観だけがあった。
「感謝します、裁判官殿」
彼は法廷から去りはじめる。
監視の目が彼の背中に追いかける中、彼は何も言わず、ただ静かに歩みを進めた。
法廷を出ると、無数の閃光が彼を襲う。
レポーターたちが怒涛のように押し寄せ、我先にとマイクを彼の顎に突きつける。
「あなたは本当に人が人を殺す前にそれが分かるのですか!?」
「次のターゲットは誰ですか!?」
被告はそれらの質問を全て無視をした。
彼の顔は、何度もカメラのフラッシュに焼かれたが、その表情に微動だにしない。
ただ、警官たちが作り出した人垣の隙間を、幾何学的な正確さで歩いていく。
彼の足音は、叫び声やシャッター音の中で、奇妙に静かに響いていた。
「神様ですか!? それとも悪魔ですか!?」
警察の護送車に乗り込むと、騒がしい音がシャッターが閉まるように途絶えた。
車内は、エアコンの匂いと、拭き取りきれない緊張感で満ちている。
向かいの座席には、刑事課の古参の刑事、田中が座っていた。
彼の顔には、深いシワが刻まれており、その目は、何十年も悪を見続けた者特有の、虚ろな色合いが覗いている。
田中は、被告を正面から見つめていた。それは憎悪でも軽蔑でもなかった。
それは……確認に近い、探究の眼差しだった。
「お前、本当にそれが見えるのか?」
田中の声は、車のエンジン音の中でかすかに響いた。
被告は窓の外の景色を見ていた。都市の喧騒が、まるで別世界の出来事のように流れていく。
「見えます」
彼は答えた。
「じゃあ、俺は?」
田中は問いかけた。
その声は、些かの緊張と、おそらく彼自身でも気づいていない恐怖を帯びていた。
被告はゆっくりと田中の方を向く。
その目が、田中の魂の奥底までを覗き込むように、鈍く彼を舐め上げる。
「あなたは、1人殺します」
被告は言った。
「十年後、あなたは拳銃自殺を遂げます。妻に先立たれた寂しさと、仕事での失敗からくる罪悪感に苛まれて。しかし、その数字はあなたが自分を殺すからではありません。あなたは、人を殺した罪悪感から、逃げるように自分を殺すのです」
田中の顔から血の気が引く。
彼の口が、ぽかんと開く。
自分が人を殺す……? そんなことを考えたこともなかった。
しかし、彼の胸の奥底で、何か冷たいものが静かに蠢き始める。
それは、どこか予感にも似た恐怖だった。
「……嘘だ」
田中はかろうじて声を絞り出した。
「お前は、俺を操ろうとしているんだ」
被告は静かに首を横に振った。
「私は操りません。ただ、見えるだけです」
彼は再び窓の外に視線を移した。
「あなたの頭の上には、1つの数字がある。そしてあなたの未来は、悲しいものです。でも、それはまだ変えられます。私の能力は、数字と辿るかもしれない未来を教えてくれます。その数字をどう捉えるかは、その人次第です。あなたの悲しみも、あなたの死も、あなた自身で変えられるのです」
田中は何も言えなかった。
彼の胸の中で、信じたくない現実と、断ち切りたくない希望が激しくぶつかり合う。
彼はこの男の前で、初めて自分の無力さを感じた。
この男は、彼の心を容易く深淵に落としてみせた。
「嘘だ……」
車は、とある地域の地下にある特別室に到着した。
それは通常の拘留所とは異なり、より快適で監視カメラが隅々にまで設置された、まるで高級ホテルの一室のようである。
彼はそこで、監視下に置かれる。
彼が部屋に入ると、田中がぶっきらぼうに告げた。
「監視は24時間態勢だ。お前の言動はすべて記録される。だから、何かに手出しをするんじゃないぞ」
田中は、必死に普段の強さを取り戻そうとしていたが、その声はまだ震えていた。
被告は、部屋の中央に立ち、静かに頷いた。
「わかっています」
「お前の能力……本当に信じていいのか?」
田中は、もはや自分でもなぜそう聞いたのか分からない。
彼の心は、この男に惹きつけられてしまっていた。
それは魅力と、恐怖の入り混じった、純粋な好奇心。
被告は、田中の目を真っ直ぐに見つめて答える。
「あなたは、信じるか信じないか、どちらかを選ばなければならないと考えています。でも、それは間違いです。あなたは、すでに信じています。ただ、認めたくないだけです」
彼は無慈悲に言った。
「あなたの頭の上には、確かに数字があります。そして、私の能力は本物です。これからあなたは、そのことを知ることになるでしょう」
田中は、言葉を失う。彼はただ、この不思議な男を見つめていた。
その時、部屋のドアが開き、別の刑事が入ってきた。
「田中さん、管理室で部長がお呼びです」
田中は一瞬ためらったが、静かに部屋を出た。
廊下を歩きながら、彼の心は今まで経験したことのないような激しい混乱に陥っていた。
管理室に入ると、部長は深い思索にふけっていた。彼の顔は、どこまでも厳しい。
「田中……お前はあの男の言うことをどう思う?」
部長は、田中に直接尋ねる。
彼の目にはこの事件の異常性への戸惑いと、警官としての責任感が複雑に絡み合っていた。
田中は、しばらく黙っていた。しかし、彼はやがて決意したように口を開く。
「部長……彼の言うことは、本当かもしれません」
部長の眉が吊り上がる。
怒りの表情だ。
「馬鹿を言うな! そんなものを信じられるか!」
「いえ、信じているわけではありません。ですが……可能性として、考えるべきです。もし、彼が本当に今後殺人を犯す危険な人間を見抜けるのなら……それは、我々警察にとって非常に強力な武器になります。もし彼の言うことが嘘でも、それが証明されれば、彼はただの大量殺人犯。司法の裁きを行うだけです」
田中の言葉に、部長は黙り込む。
彼は机の上のファイルを、苛立ちか焦りからか指先でトントンと叩く。
その音が、部屋の緊張をさらに高めた。
「……いいだろう。お前の言いたいことは分かった。だが、俺には奴への決定権はない。上層部に相談する必要がある。だが、田中。お前に言っておく。これは非常事態だ。お前のキャリアも、この国の未来も、この一件にかかっている。慎重に動け」
「承知しました」
田中は一礼して、部屋を後にした。
彼の心は、決して穏やかなものではない。
彼は、この事件の中心にいる男に、完全に惹きつけられていた。
それは、警官としての好奇心以上のものが、能力と恐ろしさを魅惑に感じていたからだ。
彼は一度、被告に遭うために特別室に戻る。
部屋に入ると、被告はベッドに座り静かに彼を待っていた。
「何かありましたか?」
被告は、何も知らないかのように、穏やかに尋ねた。
田中は、彼の透き通るような目を避けた。
「……ただの雑談だ」
田中はそう言って、部屋の隅の椅子に座る。
田中は、この男から目を離すことができなかった。
それは監視という名目ではなく、彼の心の中で被告の存在が大きく育っていたからだ。
その夜、田中は眠れなかった。
彼は、監視カメラのモニターの前で、被告の寝姿を見ている。
被告は穏やかに眠っていた。まるで、罪のない子供のように。
田中は、自分の胸の中を覗き込んだ。妻に先立たれる未来への不安。
仕事での失敗への不安。そして……自分が、誰かを殺す未来。
それは、まったくもって彼自身が望む未来ではなかった。
しかし、被告の言葉は、彼の心に深い釘を打ち込んでいた。
彼は、自分の人生を見つめなおす。
警官としての人生、家族としての人生、人間としての人生。
「この目で確かめるしかない……」
彼は、被告の能力を試す決意を改めて固める。
彼は、この男の言う“未来”を、自分の目で確かめなければらない。
たとえ、それが彼自身を破滅させるのだとしても。
彼は、モニターの前で、静かに息を潜めた。
そして、彼は被告に問いかける。
「お前は……一体、何者なんだ……」
その問いかけは、静かな夜の闇に溶けていく。
しかし、答えは、すぐそこまで迫っているのだった。
翌朝、田中は部長に呼び出された。
部長の顔は、昨日よりさらに険しくなっていた。
「田中、上層部の指示が出た」
その声は、決定した者特有の重みを持っていた。
「彼の能力を試すことになる。ただし、条件がある」
部長は、一枚の書類を田中に渡した。
それは、極秘裏に進められるプロジェクトの概要を記したものである。
「第一に、被告の行動は常に監視下に置く。被告が独断で動くことは許されない。第二に、被告がターゲットとした人物について、我々が独自に調査を進め、被告の言うことが正しいかを検証する。第三に……もし被告の言うことが正しく、ターゲットが本当に危険な人物であった場合、我々がどうするか……その判断は、国家レベルで下される。我々は、あくまで情報を提供する役割に徹する」
田中は書類を読みながら、心の中で冷たいものが流れていくのを感じた。
これは、もはや単なる警察の事件ではない。
国家が、この男の能力を利用しようとしている。
国民の命を犠牲にしてまで。
それは、国家レベルの賭けだ。
「……分かりました」
田中は、重く静かに頷いた。
「被告との接触は、お前が一手に引き受けてくれ。だが、田中、気をつけろ。お前自身が、あいつに飲み込まれないようにな」
部長の言葉は警告であり、同時に予感でもあった。
田中は、特別室へと赴く。
部屋の中では、被告が静かに本を読んでいた。
彼の姿は、まるで何十年もここに住んでいるかのように、自然だった。
田中は、彼の前に立った。
「……お前に、やってもらいたい仕事がある」
被告は、本から目を上げる。
彼の目は昨日と同じように、静かだった。
だが、その奥には何かを知っている者特有の、深い光が宿っていた。
「どんな仕事ですか?」
「お前の能力を試す。我々と協力しろ」
被告は、静かに微笑んだ。
「喜んで」
彼は言った。
「私は、ただ私に出来ることをしていただけです。誰かがそれを正しいと判断してくれるなら、それ以上のことはありません」
田中は被告の言葉に、改めて恐ろしさを感じた。
一体、どこから見ているのか? いったい誰としての目線なのだろうか?
神か悪魔か。そんなことすら、思い浮かぶ。
「じゃあ、ついて来い。お前の能力なら、一度人を見ないといけないはずだ」
「ええ、その通りです」
そんな思いを抱えながら、田中は被告と共に街に繰り出していくのだった。
「……それで、居たのか?」
特別室に戻り、田中は問いかけた。
被告は、静かにベッドに座り、深く頷いた。
「いますよ。この街に、1人」
明日の天気を告げるように告げられる。
「……誰だ?」
「夜、コンビニでバイトをしていた女子高生です。彼女は、来月、家族三人を殺します。毒を使って」
田中の息が詰まった。女子高生が、家族を殺す? 毒を使って?
非現実的だ。
犯罪者やチンピラだと思っていたかったのに。
「……理由は?」
「理由は、彼女が感じる孤独です。彼女は、誰にも愛されていないと感じています。家族は彼女をただの道具としてしか見ていません。彼女は、その虚しさから逃れるために、家族を消すことを選びます。しかし、決してそれは彼女自身を救うことにはなりません。彼女はその後も、深い孤独の中で生き続けるのです。そうして、数年後、彼女は自分自身も消します」
被告の言葉はすでに起きてしまった出来事を語るかのように、淡々としている。
しかし、その言葉の中には少女の悲しい未来が、色鮮やかに描かれていた。
「……嘘だ」
田中は、反射的にそう告げる。
しかし、彼の心は、どこかで被告の言葉を信じていた。
彼は、この男が嘘をついていないことを、何となく知っていた。
「あなたは、そう言いたいでしょう。しかし、彼女の頭の上には、はっきりと『3』という数字が浮かび上がっていました」
田中は、何も言えなかった。
だが、彼の心は大きく揺れ動いていた。
彼はこの男の能力の恐ろしさと、魅惑をふつふつ感じていた。
「……分かった。その女子高生のことを、調べてみよう」
田中は、そう言って部屋を出た。
彼の背後で、被告は静かに言った。
「彼女の名前は、佐々木明日香です。住所は──」
「分かるのか……!?」
驚く田中をよそに被告は、正確な住所を言った。
彼の能力は、ただの数字だけを教えてくれるものではない。
彼は、その人物の全てを、見抜けるものであったのだ。
「悪魔め……」
田中は言葉を吐き捨て、部屋を後にした。
廊下を歩きながら、彼の心は今まで経験したことのないような激しい混乱に陥っていたが、そこから逃げるように佐々木明日香の情報を、すぐに調べ始める。
彼は、彼女の経歴、家庭環境、交友関係、全てを洗いざらい調べ上げた。
調査の結果は、被告の言葉を裏付けていた。
佐々木明日香は、本当に孤独だった。
彼女の家族は、彼女を道具としてしか見ていない。
彼女のSNSは、虚しさに満ちた投稿で埋め尽くされていた。
田中は、彼女の写真を見る。それは、どこにでもいる、普通の女子高生のもの。
しかし、その瞳の奥には、何かが壊れてしまったような深い闇が宿っている。
田中は、被告の言葉を思い出した。
『彼女は、その虚しさから逃れるために、家族を消すことを選びます。しかし、それは彼女自身を救うことにはなりません。彼女は、その後も、深い孤独の中で生き続けるのです』
彼の言葉は、まるで、明日香の未来そのものだった。
田中は、警察が故に何かをしなければならないと感じた。彼女を助けなければならないと感じた。
しかし、どうすればいいのか分からない。
彼は、再び特別室を訪れる。
「彼女のことを、調べた」
田中が被告に向かい吐き出した。
「お前の言うことは、本当かもしれない」
被告は、静かに微笑んだ。
「私は、ただ事実を言っただけです」
「だが、殺人が起きなければお前の正しさは証明されない」
「ごもっともで」
「そして私は警察だ。殺人が起きるのならば、それを止めなければならない。本来ならばな……」
これは被告の能力が真実かどうかを確かめるための実験。
ならば、その監視役である田中にはこれから起こることを止める権限などない。
それでも、田中の心には人としての感情が生まれてしまっていた。
田中は、深いため息をついた。
「……お前の言う通りにさせるしかないのか?」
被告は、静かに頷いた。
「そうです。ただ、見守るしかありません。彼女の孤独が、彼女を殺人者へと駆り立てるならば、それは止められないでしょう」
「殺人を止める術はないのか? 拘束をするなりして?」
「それが可能なら、私はここでこうしてあなたの監視を受けるはめにはなっていません」
殺人は絶対事項。ただ1つの例外を除いて。
「運命から逃れる術は1つ。先に彼女を殺すことです」
被告の言葉は、まるで、天の宣告のように、田中の心に突き刺さった。
彼は、この男の能力の、恐ろしさと、救いようのなさを改めて感じとる。
そうして、何も言わずに部屋を後にするのだった。
翌日、田中は佐々木明日香の自宅近くで張り込みをしていた。
彼は、彼女の行動を監視していた。
彼女の日常は、どこにでもある、普通のものだった。
しかし、その普通の中に、何か壊れかけたものを感じずにはいられない。
彼女は、学校から帰ると、家にはいたくないとばかりにすぐにコンビニに向かう。
彼女は、そこで黙々と働いていた。その姿は、まるで魂のない人形のようだった。
田中は、彼女を静かに見守っていた。彼は、彼女を助けたかった。
しかし、上からの命令を思えば何も出来ない。
そうして、その夜。とうとう明日香の家から、救急車のサイレンが聞こえてきた。
田中の心臓が、大きく跳ねた。彼は、急いで現場に駆けつける。
明日香の家は、当然のごとく混乱に包まれている。
彼女の両親と兄が床に倒れていた。彼らは、苦しそうにうめいていた。
「毒だ……!」
駆け付けた救急隊員が叫んだ。
田中は、彼らの様子を見て、背筋に悪寒が走った。
被告の言葉が、現実のものとなってしまったのだから。
「そうだ……彼女はどこに?」
田中は、必死に彼女を探した。
そうして彼は、彼女が事件の現場から離れた場所で、一人座っているのを見つけた。
彼女は、空を見上げている。
その瞳は、何も感じていないかのように、虚ろだった。
田中は、静かに彼女に近づいていく。
「……佐々木君。君を殺人未遂の現行犯で逮捕する」
田中が呼びかけると、明日香はゆっくりとこちらを振り返る。
その顔には、驚きも、後悔も、何もなかった。
ただただ、深い虚しさだけが映っている。
「……どうして、分かったんですか?」
彼女は、静かに尋ねた。
その言葉が、田中には責め苦になるとは露にも思わずに。
「……すまない。本当にすまない」
田中は、ただ謝りながら彼女に手錠をかける。
その手錠の冷たさが、せめて明日香の虚しさを、少しでも和らげることを願って。
彼女は抵抗しなかった。まるで、すべてを諦めたかのように、静かに身を任せた。
彼女が連行されていく後ろ姿を見ながら、田中は、被告の言葉を思い出していた。
『彼女は、その後も、深い孤独の中で生き続けるのです』
彼の言葉は、まるで、明日香の未来そのものだった。
彼は、特別室に戻った。
部屋の中で被告はお決まりのように、静かに本を読んでいる。
彼の姿は、まるで何十年もここに住んでいるかのように、自然だった。
田中は、苛立ちと共に彼の前に立つ。
「……事件は、起きた」
被告は、本から目を上げた。
「ご愁傷様です。お力になれず申し訳ございませんでした」
その言葉には、一体どんな意味が込められているのだろうか。
田中は、それを問いただすことも出来ずに、ただ立ち尽くす。
「被害者の家族は、全員死亡。佐々木君は自白から、彼女が仕込んだ毒は高校生が用意できる程度のもの……だが、死んだ。まるで、初めからそう決まっていたかのように」
「そうです。そう決まっていたのです」
「……お前は、神なのか?」
田中は、思わずそう尋ねた。
被告は、笑いながら首を横に振った。
「私は、神ではありません。ただ、数字が見えるだけです」
「その数字は、絶対なんだな?」
「はい」
「…………じゃあ、俺は?」
田中は、再び問いかけた。
「あなたは、1人殺します」
被告は再び、同じように告げる。
「十年後、あなたは拳銃自殺を遂げます。妻に先立たれた寂しさと、仕事での失敗からくる罪悪感に苛まれて。しかし、その数字はあなたが自分を殺すからではありません。あなたは、人を殺した罪悪感から、逃げるように自分を殺すのです」
田中の顔は真っ青だった。荒い呼吸が口からこぼれる。
それは被告から告げられる田中への死刑宣告だった。
佐々木明日香の件で被告の能力は真実だと明らかになった。
つまり、田中は未来から逃れる術がない。
それなのに、田中は被告にこう言ってしまった。
「……お前に次の殺人者を教えてほしい」
「分かりますよ。信じたくないのですね?」
まだ偶然だと自分に言い聞かせるためだけに。
そうしてその翌日。街に出た被告から、田中は被告次の加害者を告げられた。
それは、介護職員だった。
「彼は、来週、勤務先の介護施設でナイフを振り回します。入居者を6人殺します。理由は、業務上のストレスと、同僚からのいじめです」
田中は、すぐに調査を開始する。
その男は、本当にストレスを溜めていた。
彼は、同僚からいじめられており、彼の掲示板への書き込みは、社会への憎悪で満ち溢れていた。
田中は、彼の写真を見つめる。その瞳の奥からは、何かが壊れかけているのをハッキリと感じとることが出来た。
田中は、何かをしなければならないと感じた。
彼は、彼を助けなければならないと感じた。しかし、どうすればいいのか分からない。
佐々木明日香の二の舞を避けるべく、田中は上からの命令を無視して、彼に接触を試みた。
「何かあれば、いつでも話を聞くよ」
かけられたのは、たったそれだけの言葉だった。
その男は、田中の言葉に少しの驚きを示した。
しかし、すぐに、彼の瞳は再び闇に包まれる。
「……ありがとうございます。でも、大丈夫です」
彼はそう言って、田中から離れていった。
その翌週、その男は予言通りに介護施設でナイフを振り回した。
もちろん田中は、現場に駆けつけた。
そこは、地獄絵図だった。血の匂いが、鼻をつく。
彼は、被告の言葉を思い出す。
『6人殺します』
現場の犠牲者の数は、6人だった。
田中は、何も言えなかった。
ただ、人殺しを見過ごした自分と、自分の未来に嘔吐した。
彼は、特別室に戻った。
部屋の中で、やはりと言うべきか被告は静かに本を読んでいた。
それは聖書。
「……また、お前の言う通りになった」
田中には被告が裁きを下す神のようにさえ見えた。
「そうですか」
被告は、静かに微笑んだ。
「俺は無力だな」
「では、何をするべきだったと?」
「お前みたいな殺人鬼を止めることだ」
「間違っておいでです。私が止めていますよ? あなた方が私を止めなければ、女子高生が3人殺し、市役所の男が6人を殺すことはなかった。
田中は何も反論できない。
被告の能力は真実だと証明された。
ならば被告の殺人を止めることは、未来の犠牲者を増やす行為に他ならない。
だとしても、田中は許しを請い神にすがる罪人のように。
もう一度、尋ねる。
「……次の殺人者を教えてほしい」
「分かりますよ。まだ、信じたくないのですね?」
その繰り返しが始まった。
被告がターゲットを告げ、田中がそれを調べ、そして、事件が起きる。
その数字は、5人、7人、4人と、増えたり減ったりしたが、止まることはなかった。
田中の心は、次第に麻痺していく。
彼は、もはや事件に動じなくなっていた。
いつか自分に訪れる審判の日の恐怖から目を逸らすように。
ある日、部長が田中を呼び出した。
「田中、お前は最近、おかしい」
部長は、田中の顔をじっと見つめている。
「辛い思いをしているのは分かる。だが、常に心ここにあらずといった具合だ」
田中は、何も言えなかった。
いや、何の関心もないというべきか。
「入れ込み過ぎるな。信じすぎるな。田中、お前は危険な橋を渡っている。お前自身が、奴に飲み込まれてしまうぞ」
部長の言葉は、田中の鈍い衝撃を与えた。
田中は、特別室に戻る。
部屋の中で、被告は静かに聖書を読んでいた。
「……部長に、言われた」
田中は無意識に言った。
「俺は、お前に飲み込まれている、とな」
被告は、透き通った目を聖書から離す。
「では、そうではないと、言えますか?」
「…………」
田中は何も答えない。
それこそが、何よりも確かな返答だった。
「あなたは、もう戻れないのです。あなたは、未来を知ってしまった。そして、あなたは、その未来を変えられない。あなたは、この未来の十字架を背負い続けるしかないのです。それは、非常に孤独な道です」
被告は、聖人のように静かに微笑んだ。
「孤独は、殺人を生む。あなたは、そのことを一番よく知っているはずです」
田中は、言葉を失う。
今の彼は、この男の能力の、恐ろしさに、魅惑すらを感じていた。
「俺は……死ぬのか?」
「はい」
「妻に先立たれて」
「はい」
「人を1人殺して」
「はい」
「その罪に耐え切れずに、拳銃で自殺する」
「はい」
「変えられないのか?」
「私が先にあなたを殺す。それ以外の方法はありませんよ」
田中は、無言で帰宅する。
その夜、田中は、自身の拳銃を手に取った。
その冷たい重さが、彼の掌に、安堵と共にずしりと沈み込む。
彼は、銃口を、自分のこめかみに当てる。
彼は、引き金を引こうとした。
その時、彼の脳裏に、被告の言葉が蘇った。
『あなたの悲しみも、あなたの死も、あなた自身で変えられるのです』
田中は、拳銃を下ろす。
まだ、最後にやるべきことがあるのだと。
彼は、最後にもう一度、特別室を訪れた。
「……お前に、教えてほしい。俺が、これから殺すのは、誰だ?」
田中は言った。
被告は、静かに微笑む。
「分かります──それは、私です」
田中の呼吸が、止まった。
時が、止まった。
部屋の空気は、まるでガラスの破片のように鋭くなり、肌を突き刺す。
先程まで彼を支配していた麻痺が、一瞬で吹き飛び、全身を走る電撃のような衝撃に取って代わる。
彼の瞳は、信じられないものを見るかのように、見開き焦点を失う。
「……何を、言っている」
田中の声は、自分のものとは思えなかった。
それは、砂漠をさまよう旅人が、水を求めて出す、か細い枯れ声だった。
被告は、聖書をゆっくりと閉じる。
その動作の一つ一つが、荘厳な儀式のように見えた。
彼は、聖書を脇のテーブルに置くと、田中を正面から見つめた。
その目には、
「あなたが、これから殺すのは、私です。その頭の上にあるように、生涯でただ1つだけの殺人」
被告の声は、凪のように穏やかだった。
しかし、その穏やかさこそが、田中にとっては耐え難い拷問であった。
彼は被告が言うことを何とか否定しようとする。
叫びたかった、藻掻きたかった。しかし、彼の体は、鉛のように重く、動かない。
彼の精神は、彼の言葉という名の巨大な岩石の下で、粉々に砕け散っていた。
「……嘘だ……ッ。お前は、俺を……!」
「陥れる? いいえ、田中さん。私は知っているだけです。あなたの心の変化を。あなたが、私を殺すことを決心した瞬間を。それは、つい先程のことでした。拳銃をこめかみに当て、そして下ろした。その時です。あなたは、自分の死ではなく、私の死を選びました」
田中は、よろめく。彼の足元が、ふっと揺れる。
思わず、彼は壁に手をついた。
その冷たい感触が、彼がまだ現実にいることを、かろうじて教えてくれた。
「なぜ……俺が、お前を……」
「ご自分では、まだ気づいていないのですね。では、理由をお話ししましょうか。あなたは、未来から逃れようとしている。しかし、私が提示した『自分を殺す』という未来からは、逃れられないと悟りました。だから、あなたは、別の道を選びました。私を殺すことで、この呪いから解放されようと。私という『未来』を排除することで、このサイクルを断ち切ろうとしているのです。しかし、田中さん。それは間違いです。あなたは、ただ1人の殺人者になるだけです。そして、あなたは、私が予知した通りの未来へと、歩みを進めることになるのです」
被告の言葉は、悪魔のささやきのように、神の宣告のように田中の耳に深く染み渡る。
彼はもはや反論する力さえなかった。
被告の言うことが、すべて真実だと分かっていたから。
彼の心は、すでにこの男に見透かされ、支配されていた。
「俺は……俺は……」
田中の腰のホルスターに、収められていた拳銃が、異様なほどの存在感を放っている。
それは、もはや守りのための道具ではなかった。それは、彼の運命そのものだ。
「……お前を殺せば、何か変わるのか?」
田中は、かろうじて、その言葉を絞り出した。
被告は、静かに首を横に振った。
「何も変わりません。ただ、私という未来を知る術がなくなるだけです。そして、殺人は起き続けるでしょう。女子高生や、市役所の男のような人々は、これからも生まれ続ける。だれも止められない。あなたは、ただ1人の殺人者として、罪悪感に苛まれ、十年後、自ら命を絶つのです。それが、あなたの選択するかもしれない道です」
「……」
「しかし、選択肢は、あなたにあります。今ここで私を殺し、未来で自殺するか。または、運命に抗いこの場で己だけで死ぬか。どちらも同じ結末ですが、少なくとも、あなたは『選んだ』ということになります。それは、何かの慰めになるかもしれません」
被告はそう言って、両手を広げる。
その姿はまるで、処刑を待つ聖人のようだった。
彼は、抵抗しない。彼は、受け入れる。
田中は、ゆっくりと、腰に手をかける。
彼の指先が、冷たい鉄に触れる。
その感触が彼の全身に、走馬灯のように流れ込んでくる過去を呼び起こす。
警官になった頃の希望。妻との出会い。そして、この男との出会い。
すべてが、幻のように去来する。
彼は拳銃を抜いた。その音が部屋の静寂を鋭く切り裂く。
そうして、ゆっくりと被告に銃口を向ける。
被告の目は、変わらなかった。
だが、その瞳の奥には、田中の未来がすでに映し出されていた。
「さあ、どうぞ」
被告は、静かに言った。
「あなたは、あなたのなすべきことをしなさい」
田中は引き金に、指をかける。
それはまるで永遠のように長い一瞬だった。
その時、部屋のドアが勢いよく開いた。
「田中! 早まるな!」
部長の叫び声が、部屋に響き渡った。
彼の後ろには、同僚である数人の警官達が銃を構えて立っていた。
彼らの目は、緊張と混乱で満ちているが、その動きに淀みはない。
「自分が何をしておるか分かっておるのか!?」
「部長……」
当然、田中は戸惑った。彼の集中は乱されてしまった。
そんな中、被告は静かに振り返り、部長を見つめた。
「遅かったのですよ、部長殿。彼は、すでに選んでしまいました」
「黙れ! お前こそが、何もするんじゃないぞ!」
部長は被告に向かって、叫ぶ。
田中は、その光景を見ていた。部長の、警官たちの、そして、被告の。
彼は、何をすればいいのか、分からなかった。
彼はただ、拳銃を手にして立ち尽くす。
その時、被告は再び田中に向き直って静かに微笑んだ。
「見てください、田中さん。これもまた、運命なのです。あなたは、私を殺せない。彼らが、それを邪魔をします。しかし、あなたは、それによって救われるわけではありません。あなたは、ただ、選択肢を奪われただけなのです」
田中の心臓が、鋭く痛みを放つ。
彼は、何かをしなければならなかった。
無意識に銃口を自分に向けた。
「田中! 何をしている、やめろ!」
部長の声が響いた。
しかし、もう何もかもが遅い。
最後に田中の瞳が被告を捉える。
「何人だろうと所詮は人殺しは人殺し……だ」
田中の指が、引き金を引いた。
轟音。
静寂。
部屋の空気が震えた。
血の匂いが広がる。
田中の体がよろめき、そして静かに倒れこむ。
彼の目は静かに天井を見上げていた。その瞳の奥には、どこか奇妙な穏やかさがあった。
部長は、呆然と、その光景を見ていた。警官達は、何もできなかった。
被告は、静かに田中の死を見つめ。
そして。
「──おめでとうございます」
祝辞を述べる。
「あなたは決して人殺しになることはなかった……」
部長の顔が、真っ青になる。警官達は、言葉を失う。
彼らが見ていた光景は、彼らの常識を根底から覆すものだった。
田中は、自ら命を絶った。それは事実だ。
しかし、被告の言葉には奇妙な真実味があった。
田中は、誰も殺さなかった。ただ1人己だけを殺した。
否、彼はただ、未来から逃れただけなのだから。
「あなたは本当に善き人です、田中さん」
被告の目が神が人を見るように、見つめる。
その瞳は──徐々にかすれて消えていく、1という殺人数を示す数字が映っているのだった。
一応言っておきますと、舞台は日本じゃないです。
よく似た別の国です。
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