成り代わりチートたいき君。   作:あとば

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第十二話『うううと、ぐすぐす』

 棄権し、治療を受けた後、俺は病院に置いてけぼりにされた。

 

 ……いや、冗談ですか?

 骨折れてるし、どうやって帰ればいいんですか。松葉づえ突きながらですか?

 

 はい。冗談ではありませんでした。というか冗談かどうか聞く雰囲気ではなかった。

 

 普通は、病院まで送られて、治療して、親が来て帰るという流れだと思うが、親に迷惑をかけたくないので、監督に親は来れませんと嘘ついたら、まさか病院で置いてけぼりをくらうとは。

 

 しかし、怖かったあ。

 

 さすがに怪我とかは試合前にしてたことが先生にばれていて、車に乗せられている時に怒られてしまった。

 

 叱り手は湯浅先生なのだが、原作では監督の描写というのがほとんどないだろう。スポーツ要素のある漫画にしては珍しく監督の役割が徹底して裏方なのだ。

 

 そもそも原作で叱るシーンがなかったりするが……だからだろうか、非常に恐かった。説教中は膝が震えた。

 

 あと何よりも、嫌なこと言われたな。

 

『お前の怪我には気づいてた。お前が主体性をもって、試合に出ない選択をすることに期待したんだ』

 

 でも骨折とは思っておらず、捻挫程度だと思っていた、だから無理やり止めなかった……とか、そこら辺は謝られた。

 

 説教中はほぼ放心状態だったが、要するに、あれである。

 

 俺の主体性が無さ過ぎる→先生もう少し持ってほしい→猪股怪我してるな……いくら主体性が無くてもさすがに言うだろ→言わない→お前何考えてんの?

 

 という感じなんだろう。

 

 まあどうせ俺が悪いし、気にしなくていいや。ああ、なんかテンションがおかしなことになってる気がするな。

 

 そういう訳で、また期待を裏切った訳であった。

 

 で、病院を出て、だらだらと六月の嫌な日差しに焼かれながら歩いて、バス使えば良かったなとか後悔して、なんやかんや──

 

「……なんでだろ」

 

 学校まで、来ていた。

 

 松葉杖での移動は、意外といける。慣れた徒歩より動きやすいなんて話はないが、割と動きやすい。まあもう夕焼けが綺麗な時間だが。

 

 しかし本当に、何故だろう。

 

 特に来る理由はなかった。それに俺にとってこの場所は、好ましからざるもの。

 

 普段は余り来たくない。できれば一日中自室のベッドに入って、動きたくない。

 

 だがどこか夕方の学校は、安穏があった。自分の部屋のように。

 

(人がいないからだろうな)

 

 青春を生きる人達が余りに眩しいから、この場所はそんなに好きじゃないのだ。でも人がいないから、輝きが薄い。青春の残滓が少しある程度なのだ。

 

 それならば自室と変わらない。俺の部屋にも青春の残滓はあるし。大喜くんの私物だ。

 

 さて、行くか。体育館に。

 

 俺は移動してがらりと扉を開いて、体育館に侵入した。

 

 せっかく来たし、いいだろう、ちょっとくらい。普段は誰かしらがいるから、特別な誰もない体育館を味わいたいのだ。鍵は開いていたということにする。

 

 さあ何をしようか。

 

「……掃除でも、するか」

 

 突発的にそう思って、とりあえず器具庫からモップを取り出した。落ちた羽を押してかき集めるやつだ。後輩が先輩に代わりますというやつ。

 

 しかし松葉づえの奴が掃除できるか? まあ柄の部分を脇で抱えればなんとか……なりそうだ。

 

 そういう感じで、ゆっくりだが掃除を始めた。あらぬ方向に行かないように注意しないと難しい。

 

 そして、また考える。

 

 はあ本当に失敗した。まあ先輩を助けられたから良いけれど、でもまさか負けて、こんなことになるなんて。最悪の気づきをしてしまった。俺が、俺のこと嫌いという、最悪の気づきを。

 

 モップを押す。なめくじより遅い。

 

 でもそれはまだ良い。それよりも、一応チート野郎なのに、負けたことが重い。

 

 モップが体育館の端まで行った。ターンする。しかし中々難しい。チートの癖に足が一つ駄目になると大変だ。

 

 これまで散々踏みにじって来たのに、いざ負けてみると、こんなに苦しいなんて。今まで倒して来た、負かして来た人たちに、申し訳ない。

 

 あ、モップが倒れた。脇からずり落ちた。松葉づえ突きながらじゃまあ仕方ないか。チートの癖にな。

 

 ああ失敗だ。ほんとうに。期待を散々裏切ってしまった。

 

 モップを拾う気にならない。

 

 終わりだな俺は。

 

 モップを拾う気にならない。

 

 どうしようもないね。

 

 ああ、モップを拾う気にならない。

 

「死ねばいいのに」

 

 ほんとうに。

 

 こんな、どうしようもない、ごみは。

 

 モップについた、集められた(ごみ)たちを見て、でもお前たちは俺より価値あるぜと笑って、尻もちをついた。

 

 

 ああ、立ちたくないな。

 

 非常に立ちたくないし、前に進む気が起こらない。歩けない。

 

 帰りたくもない。この冷たい体育館の床の上で、永遠に眠ってしまいたい。

 

 汗の匂いもない。制汗剤の匂いもない。新品シャトルのボンドみたいな匂いもない。

 

 ただふんわりとした、木の匂いだけ。心地いい。

 

(そういえば……試合途中、馬鹿みたいなこと、思ったな)

 

 負けたくない──勝ちたい。

 

 チートが意味を為さなくなって、初めて俺は勝ちたいと思った。みんなの事を思うと、自分の勝利に価値があるんじゃないかと思えた気がした。

 

 でもそんなの全部、負けそうになったからだ。

 

 今思うと馬鹿だな。みんなに期待されてるから価値があるなんて、そんな訳ないのに。

 

 チートは、チートだ。俺は他の、青春野郎たちとは違う。チート野郎なのだ。

 

 彼らの勝利と、俺の勝利。俺がたとえ全国優勝したって、青春野郎が地区大会一回戦を突破することに比べたら、ごみ同然だ。

 

 そしてそう、俺の敗北と、彼らの敗北。これも意味合いがまるで違う。

 

 彼らの敗北は、どんなにひどくても美しいよ。でも俺のは、笑えないほどにださい。ゲームでチート使って負けるとか、冗談抜きで恥ずかしいだろう。

 

 ああ、そんなこんなで、ほんとうに、どうするかな、これから。

 

(とりあえず帰ったら、何ていおう)

 

 扉を開けたらギプス姿だ。さすがにみんな驚くだろう。

 まあ試合中足を踏み外したとか、階段から落ちたとか、そんな感じの嘘をつけばいいか。

 

 家族や千夏先輩は、まあ悲しむかもしれないが、多分騙せるだろう。試合には出ているのだ。証人もできたはず。嘘だとわかる証拠はないはずだ。

 

(まさか先輩が会場に来ることはないだろうし、匡とかに話を聞いて、俺が試合前から怪我してたなんて情報を得るはずもない)

 

 それに先輩はいま頃、猪股家でインターハイ出場を祝われているはずだ。俺を気にする余裕もないだろうし、気にして欲しくはない。

 

 ああでも、そういえば、先輩から連絡来たな。

 負けましたと送り返してから、スマホを確認してないが。まあ返信があっても、見たくないし、確認はしないけど。

 

 そんなことを考えていると、何分か経って、いい加減に立ち上がらないと、と思っていた。

 

 こんな醜態を人に見られるのはさすがに嫌だし、あと誰か来たらまずい。無駄なチートの一つ『なんか針金使って鍵開けができる』を用いてここに侵入しているのだ。見られたら言い訳が面倒くさい。

 

 そう思った瞬間に、扉が開く音がした。

 

 まずいな。警備の人か。なんて言い訳をするかと考えながら、振り向く。

 

 そこにいた人物は、予想外で、いるはずのない人で、警備の人や先生とかよりも、絶対に来て欲しくない人、だった。

 

「……たいき、くん」

 

 千夏先輩。

 

 俺は、最悪なことになる気がする予感をひしひしと感じながら、怪我の言い訳の口上を考え始めた。

 

 

「あの時のせい?」

 

 その怪我。

 

 先輩はまず、開口一番、俺にそう問いかけた。

 

「まさか」

 

 初めの一言が何故それなんだ、というか何でここに来ているのだと驚嘆しながら、やんわりと否定する。

 

「あの時、変な音、してたよね」

 

「違いますよ。これは試合中、スマッシュの着地の時に……」

 

 考えていた嘘を並べていく。だが先輩は、俺の嘘など耳に届いていないようだった。

 

「骨、折れてたんだよね」

 

 なんでそれ知って──見ればわかるか。松葉づえ突いてたら骨折してるというイメージがあるし。

 

「私さ、君の邪魔しかしてないね」

 

”わたしさ、きみのじゃましかしてないね”

 

 何を、いってるんだこの人は。思わずひらがなで反芻してしまった。意味がわからない。

 

「その怪我だって、私が一緒に走ろうなんていわなければ、なかった」

 

 千夏先輩の目には、涙が浮かんでいる。

 

「な、何、変な顔してるんですか、あはは、はははは」

 

 何だかとても、気まずい雰囲気になりそうで、せめて場でも賑やかさなければと思って、笑ってみたが棒読みだった。

 

「だって、頑張ってたよ、大喜くん」

 

 逆効果だった。先輩は、ぽろぽろと泣き出した。

 

「私が、じゃましちゃった……いっしょに頑張ろうっていったのに……」

 

 先輩の様子は、三年時の、大喜くんが川に連れて行ったときの姿に、似ていた。

 

 考えていた言い訳は通用しないと悟った。切り替える。すぐに、先輩のせいじゃないを強調するようにする。

 

「そんな訳、ないでしょ。あんなのはただの運ですよ。運が悪いのが重なって、偶々……」

 

 精一杯のフォローは、先輩に届かない。言葉をいった瞬間に、何となく無駄だと悟った。

 

「同居も、本当はじゃまだったよね」

 

 水族館で聞いてごめんね。邪魔だって言えない空気の場所で聞いてごめんね。

 

「湯舟、浸かってないもんね」

 

 ご飯とか早く食べさせてごめんね。私いるからだよね。

 

「リレーも転んでごめんね」

 

 頑張らせてごめんね。睨んでたよね。あの言葉気にしたの? あんなの、私、気にしてなかったのに。

 

「一緒に走ろうなんていってごめん」

 

 君の強さを少しでも分けてもらおうって思った。つらいのに頑張れる強さが私にもあったらいいなって思ったから。私のことしか考えてなかった。

 

「水族館いやだった?」

 

 あれはね、ほんとはね、聞きたいことは確かにあったけど、私のためだった。君と仲良くなれたら、居候を続けやすくできるかなって、打算だった。

 

「新体操の子に、一緒のとこ見られてごめんね」

「違う」

 

 ああ、そんなの言わせたくないのに、何か、なにか、俺も言わないと──ほとんど呆然自失ながら、そう思ってやっと出たのが、たった二文字だった。

 

「邪魔してんの、俺です」

 

 先輩のメンタルに悪影響与えてるし、こんな展開、原作でなかった。先輩はインターハイ行きを決めたのに、大事な時期に、邪魔をしてしまった。

 

 それに、怪我なんて俺の問題だ。

 

「俺が、俺が、無駄にチート野郎なのに、全然、何にもできないから」

 

 チートのくせに自分が嫌いだから、嫌われているから自分を治すチートがないなんて、ふざけてる。

 

「ヘタレで、コミュ力ないからっ、根暗だからっ」

 

 これらさえなければ、もっとずっと、楽だった。欲しいチートが一切ないんだ。あるのはくだらない、要らないものばっかり。先輩だって今不安にさせてしまった。気づけなかった。

 

「俺の方が、このアオのハコ(体育館)にとって、要らない、邪魔してるんだ」

 

 努力を否定する奴が、こんな場所にいるなんて、邪魔者以外の何者でもない。原作だってもう壊れた。

 

「だから謝らないでください。先輩が怪我しなくて、本当に良かったんです」

 

 俺が怪我したおかげで、先輩が傷つかずに済むなら、それで万々歳だ。最上の結末じゃないか。

 

 ああしかし本当に、俺のような邪魔者が先輩を泣かせたなんて──本当に。

 

「ごめんなさい、ごめんなさい……」

 

 俯きながら、謝罪をぼたぼたとこぼす。謝罪というのは血液をろ過して作られる液体だった。

 

「ほんとうに、ごめ」

「なんで君が泣くのっ」

 

 ──顔を、上げさせられた。

 

 轟いた声は、ほぼ無音の体育館によく反響する。間近の叫びだったからか、何の障害もなく直接届いた。

 

 だから先輩の顔を、見るしかなかった。

 

「君が何いってるか、全っ然わからない」

 

 先輩の顔は、誰が見ても、どう考えても、確実に、絶対に、間違いなどあるはずもなく──

 

「どう考えても悪いのは私だからっ」

 

 怒って、いた。

 

 ぼろぼろと泣く訳でなく、顎先に涙をぶらさげて、自分を落ち着かせるように呼吸しながら、先輩は続ける。

 

「無駄に、なったんだよ。君が努力してたことも、期待されたてたことも、ぜんぶ」

 

 私のせいで。私が一緒に走ろうなんてお願いしたから。反論を許さぬように様に先輩はそうまくし立てた。

 

「なのになんで、怒らないの。私が先輩だから? お客様、だから?」

 

 胸に手を当て、自嘲するような笑みを浮かべた先輩が、冷たく言う。

 

「私、それ大きらいだよ」

 

「……っ!」

 

 そこで一つ思い返した。

 先輩は原作初期、急な環境の変化に疎外感を抱いていなかったか。だから大喜くんがフレンドリーなことに、安堵していなかったか。

 

 なら、俺が先輩のためを思って作った三箇条。できる限り距離を置こうとしたこと。全部──やるべきではなかったのではないか。

 

 衝撃に脳を貫かれて、何の言葉も出せないでいると、先輩は言葉を続けた。

 

「素直に、思ってることいってよ」

 

 君が嘘つくの、わかりやすいから、やめてよ。そんな言葉が隠されている気がした。

 

「君が自分を悪くいうの、やめてよ」

「……っ」

 

 それを聞いて、待て、となる。これだけは駄目だ。いくら先輩だからって、やめる訳にはいかない。

 だから反論の言葉を口にする。

 

「だって、あなたが悪いなんて、そんな訳が──」

 

「君の強さを壊した私がもっとつらいから、やめてよっ」

 

 反論は無理やりかき消された。

 

「わたしが、もっと最低になるからっ……」

 

 そう言って、先輩はまた、泣いた。

 

「……!」

 

 俺の反論は反論になる以前に終わる。でもどうせ続く言葉も、何も考えていなかった。

 

 俺は、口が閉じて、開いてを繰り返すことしかできない。

 

 先輩にこんな、自分勝手なことを言わせてしまった、そんな事実に打ち震えて頭蓋が決壊して脳が吹きこぼれそうで、何も、言えない。

 

 そして何よりも。

 

(俺は、千夏先輩を傷つけたくないから、自分を卑下した。のに、それが先輩をさらに傷つける結果になる)

 

 じゃあもうどうしたって無理じゃないか。

 

 先輩が望むのは多分、俺が先輩のせいで負けたんだって言って、無遠慮に責め立てること。先輩は俺に罪悪感を感じてくれているのだ。

 

 罪悪感を持つ人の心理なら俺に一日の長がある。どうにか罪の意識を減らしたいから、罰を受けたい。俺も同じだ。

 それなのに、俺が自分を悪くいう。先輩の望みと全く逆の行動をしている。

 

 でも、俺が先輩にそんなこと言える訳ない。そもそも先輩のせいじゃない。あの事故は本当にただの偶然。

 

 何も言えない。葛藤だ。先輩を助けるために、先輩を傷つけるか。先輩を傷つけぬために、先輩を助けないか。どっちもくその選択肢だ。

 

 そういう訳で第三の選択肢。沈黙だ。

 

 もうダメだ。何を言っても、どんな言葉を用いても、先輩をたぶん傷つけるし、怒らせてしまう気がする。

 

 だから黙る。というか、選んだ訳じゃないな。それしかないのだ。

 

 言葉が、何も出せない。

 

 でも声なら、音なら、出せた。

 

 ──ううう。

 

 唸り声のようなひどい泣き方だ。途切れ途切れに、うううと声を漏らすだけ。本当に感情が抑えきれない時は、人間はこうなるんだなんて、冷めたことを思った。

 

 そして先輩も、似たようなものだった。

 

 ──ぐすぐす。

 

 目を擦って、鼻をひっきりなしに啜っている。子供みたいな泣き方だ。これもきっと人間の本能的なものだ。だって子どもの泣き方だろう。

 

 そんな、二人の泣き声だけが、体育館に響いてる。

 互いが発露した感情の結果は、馬鹿みたいに泣くという、冗談じみたものだった。

 

(もう、おわったな)

 

 千夏先輩にあんな台詞を吐かせてしまった自分が嫌だ。

 

 先輩のせいじゃないのに、心のどこかで先輩が、私が悪いと思ってくれていることに、安心している自分が嫌だ。

 

 先輩が、俺の自己嫌悪を嫌ってくれたことを、嬉しく思う自分が嫌だ。

 

 もう、だからもう、何もできない。

 

 本当に、泣くしかないよ。二人して、子どもみたいに、泣くしかないよ。

 

 悔しさと、悲しさと、怒りと、情けなさと。

 

 一握の嬉しさで、泣くしかない。

 

「……何やってんの君たち」

 

 そして、数秒、数分、数十分か後。

 

 通りがかりの、どこぞの部活顧問か警備の人の一声で、俺と先輩は我に返った。

 

 

 帰り道。もうすっかり暗い。ほとんど夜、だった。

 

 でも太陽が地平線に隠れる──その手前。夜になりかけの世界。

 俺と千夏先輩は、朱黒い光を浴びながら、ただその世界を歩いていた。

 

 あの後、警備の人には、鍵が開いてたとかなんとか言った。向こうも俺たちに気を遣ってくれて、特に追及することなく帰してくれた。

 

 そして今、一目を気にする余裕はなく、二人ともボロボロで、歩いている。

 

 歩みは俺のせいで、至極遅い。先輩は松葉づえの速度に合わせてくれているのだ。

 

 先輩も、そして俺も、普通の速度で歩くことができるが、どちらもそれをしようとしなかった。

 

 互いに、きっとひどい顔をしているのだろう。見ることはできないが、わかる。

 

「ごめんね」

 

 重い重い沈黙を先に割ったのは、千夏先輩だった。

 

「……謝らないで、ください」

 

 謝って欲しくないことが多すぎてわからないが、とにかくそれだけは言えるから、口が開いた。

 

「謝らせてよ。最後、だから」

 

 え、と言う前に、先輩は続けた。

 

「なんかね、格安のアパート、あるから。お父さんに頼んで、そこに、引っ越したいって、いうつもり」

 

 そんな──驚嘆は、言葉にはならない。

 

「もう君の邪魔をしたくないから」

 

 俺が沈黙している隙に、先輩は言葉を続けていく。

 

「私ね、大喜くんに憧れてた。君は強くて、最強だから。部活とか、色んな所で、君は強かった」

 

 そんなことないのに、言葉が出ない。何とか言葉を探すが、うまく見つけられない。

 

「でも今日、大喜くんの弱いところ見て、思った。私が邪魔をして、君の強さを汚すのが……絶対に嫌だ、って」

「違う」

 

 ──また、それだ。お前は違うしか言えないのか。

 

「違わないよ」

 

 先輩は、悲しく笑った。

 

 それだけは、絶対にさせたくないと、今思った。

 悲しい笑顔。だってそんなのは、矛盾してるだろう。笑顔は楽しいもののはずだ。だからそんな悲しみを隠すような笑顔を、しないで欲しいと強く思った。

 

 だからその顔を見て、俺はやっと覚悟が決まった。

 

「私、君の邪魔しかしてないよ」

「──そんな訳ないっ」

 

 だからだ。

 

 俺はきっと初めて、自信をもって、強固な意志で、先輩の言葉を否定した。

 

 荒げた語勢に、先輩は驚いたのか黙っている。だから他でもない、俺が言葉を続ける。

 

「それは、それだけは、断固否定します」

 

 口下手野郎が口を走らせた結果なんて、見るも無残なものに決まっているが、それでもやってやる。そんな覚悟を口にしていく。

 

「そもそも俺は、風が吹けば死ぬような、弱い人間です」

 

 強いなんて、最強なんて、全然、全くの逆だ。

 

「でも今日まで頑張ってこれた。それは、先輩がいたからだ」

 

 体育祭で先輩が応援してくれたから、頑張れた。一位だって取れた。いつだって、先輩を悲しませたくなかったから、頑張れた。

 

「先輩がいなきゃ、俺はとうの昔に折れてるんだ」

 

 成り代わってすぐの、絶望してる時に──逃げ出しているんだ。

 

「でも……なんで、じゃあ避けたの」

「避けた訳じゃ、ないんです」

 

 感情を少し抑える。理性を持ち出す。つまりは嘘だ。

 

「ご飯早く食べるのは、高校に入って、勉強が難しくなったから、予習するためだった」

 

 真っ当な嘘だ。

 

「湯舟つからないのは、いつものことです。俺は入らない派なんだ。先輩が入った後も、入る前も、つかってないでしょ」

 

 嘘と真実だ。先輩に俺が浸かった後の風呂に入らせる訳にもいかない。だからここ数か月シャワーだけだ。でも先輩が来る前は普通に湯舟に入ってた。

 

「でも……私、自分勝手で、君の役に立つことなんて、何も、してない」

「水族館も、一緒に走るのも、俺は楽しかった」

 

 それで十分だと、念押しする。理性じゃなくて、今度はただの勢いで。

 

 そしてまた、勢いの言葉を紡ぐ。

 

「でも、それでも、納得できないなら」

 

 先輩は納得できない様子だった。邪魔な訳ないのに、その意志が伝わらないのはもどかしい。

 

「なら、約束をしませんか」

 

 だから、約束をする。

 

「来年、一緒にインターハイに出る──そんな、約束」

 

”一緒にインターハイに”

 

 そんな単語を聞いたからか、千夏先輩の目に輝きが灯るが、でもすぐに消えた。そして疑問が投げかけられる。

 

「それがなんで、邪魔しないになるの」

 

「誰かの邪魔しないなんて不可能だからです。人間は生きてるだけで、迷惑かける生き物だ」

 

 人間とはそういうものだ。いるだけで迷惑をかけてしまう。命を奪わねば、自分の命も保てない。部活だってそう。勝つことで、誰かを負けにする。勝ちを奪ってる。

 

 だから、邪魔しないなんて最初から諦めるべきだ。

 

「邪魔は、迷惑は、かけあうかもしれない。でも互いにつらくなったとき、思い出して頑張ろうってなるような、約束をしたい」

 

 互いに迷惑をかけても、その分支え合えたら、きっとプラマイゼロだろう? たったそれだけの話だ。

 

「俺はあなたと一緒に頑張りたい。一緒に頑張れたら、二人だったら、独りよりもきっと強くなれるから」

 

 そして、何よりも。

 

「先輩が出てくれたら、嬉しいから、です。自分のことみたいに」

 

 つくづく思うんだ。いつだって思っていたはずだ。

 

「先輩の幸せが、俺の強さになるから、だから」

 

 ──悲しい笑顔だけは、しないで欲しい。

 

「一緒に、いて欲しい」

 

 ……いや、それは違うだろ。

 

 なんか違う。口に任せた結果迸った言葉だった。本音? そんな訳ない、そんなことあっていいはずない。

 

 ああほら、先輩は目を丸くして、あたふたしている。すごく感情的な顔をしている。動揺が丸見えだ。こんな顔は原作でもなかったくらい。先輩もなんか違うと思ってる。

 

 失言! これだから口下手が調子に乗って勢いでしゃべると駄目なんだ。

 

 というか──俺は往来で、こんな通学路で、帰り道で、なんていう話をしているんだ。今になって後悔して来た。人は見当たらないが、非常に恥ずかしい。

 

 恐ろしく恥ずかしい。俺の中に太陽ができたくらい熱い。

 

 勢いが理性に殺されていく。残ったのは理性による、勢いの後処理だ。

 

「その、一緒に、目標を追いかける、仲間的な、意味で」

 

 ひどい後処理、勢いのフォローだ。

 でも先輩を落ち着かせることはできたのかもしれない。

 

「……わかった」

 

 怒られた後の子どものように、ぽつりと先輩は言った。

 

 そして、先輩がごそごそと、ポケットから何かを取り出す。

 

「……はい」

 

 先輩は取り出したものを俺に差し出した。

 

「……ミサンガ」

 

 原作初期、大喜くんに渡されたものだ。そういえば、俺は受け取ってなかった。

 

「インターハイ頑張ってねって、渡そうって思ってた」

 

 昨日の、朝の。渡したいものとはこれのことだったのだ。

 

「私も、一緒に頑張りたいって、思ったから」

 

 でも──俺はそれを裏切った。

 

 最低だなんて悪態をつきたくなる。こんな大事なものを、受け取る資格なんてあるのかと思う。

 

 でもだからこそ、受け取る意味があるとも思った。

 

「ありがとう、ございます」

 

 痛みとして、貰おう。

 今日のことを忘れないために、記憶にこのミサンガを紐づけよう。

 

 そう思って手を伸ばす。

 

「でも待って」

 

 だが俺の差し出した手を、先輩は抑えた。俺は手と手が触れて、びっくりを隠しながら、訝しむように先輩を見る。

 

 先輩は、いつものような表情だった。

 

「大事にしないで、普通に、使ってね」

 

 

【挿絵表示】

 

 

 そして両の手で、先輩は俺の右手を包み込んだ。

 先輩の手は、俺が今まで触れた何よりも、優しく感じた。

 

 目と目が合う。手と手が離れる。

 

 先輩の手が離れた後には、ミサンガが残されていた。

 

「……」

 

 それが、柔らかい手触りが、自分の手の平に乗せられた、それを認識した──その瞬間。

 

 胸に満ちた、熱湯のような熱い感情が。

 

「はい……!」

 

 どうしようもなかった自分を、たたき起こした。

 

 

 自室。

 

 俺は、壁に貼り付けた三箇条と向き合った。

 

 見ない、触れない、関わらない。たった今ボールペンで学校のプリントに書き、テープで貼り付けたもの。

 

「……」

 

 それを、引き裂く。

 

 紙が舞う。

 ばらまいたびりびりの紙吹雪が止んだころ、俺の中に芽生えていたものがやっと、息を始めた。

 

 覚悟を、決める。

 

 ──もう、弱音吐くのやめよう。

 

 自分をヘタレとか、最低とか、卑下するの、やめよう。

 

 そりゃ俺は、ヘタレだよ。大事なこと全然言えない。思ってることを誰かに伝えられない。

 

 加えて最低。ひどい奴だ。たいきくんから全部奪った同然。極悪非道だ。

 

 でももういい加減、そんなの自明の理だろ。

 

 一々言わなくてもわかってる。理解している。もう十分なんだ。ずっとわかってるんだ。わかってるんだよ。

 

 ──お前はどうしようもない奴だ。

 

 ──そうだそんなの知ってるんだ。

 

「俺がヘタレなのも、最低なのも、もう散々知ってるんだっ」

 

 だから、もう思わない。

 時間の無駄だ、自己嫌悪なんて。

 

 こんなことしても、俺のどうしようもなさはいっさい変わらなかった。自己嫌悪なんかに、自分を変える力はない。

 

 そもそも自己嫌悪は結局、現実逃避の一手段だった。

 

 大喜くんの体を奪った罪悪感を、自分を悪くいうことで、誤魔化していたのだ。自己嫌悪に苛まれれば、少しでも罪滅ぼしになると思ってた。

 

 でもそれは大喜くんのためじゃない。自分の負担を少しでも軽くするため。自分が、楽になりたかったがため。

 

 せめて自分が罪悪感を持っていると、どこぞの誰かに演出できれば、どこか”まし”に見られるんじゃないかって、思ってたからだ。

 

 だから、こんなものもうやめる。

 弱音吐くのも、やめる。

 

 これのせいで、俺は傷を治せなかったようなものだ。

 

 それに何より、先輩が嫌だと言った。

 

 止める理由はそれで十分だ。

 

 でもそれだけじゃない。もっと向き合うべきものはあるんだ。

 

 自分の罪に──大喜くんの体を奪ってしまったことに、ちゃんと向き合う。

 

 その上で俺ができること。やらねばと、思ったこと。

 

「俺はもう二度と、千夏先輩を泣かせたくない」

 

 だからこれからは、普通に、接しよう。

 

 骨董品に触れる時のように、ずっと緊張して接していた。先輩の邪魔なんて絶対にしたくないからだ。

 

 でもこれからは、匡や雛と接するときのように、平常心である努力をしよう。

 

「……大喜くん以上とはいえないが、少なくとも、次泣くときは、絶対に嬉し泣きにしてみせる」

 

 結末がどうなるかわからない。

 

 それでも、俺がやる。無駄なチートを、無駄に終わらせたくないと思える、俺がいる。

 

「大喜くんの次に、幸せにしてみせる」

 

 そんな決意を、言葉にした。その瞬間に、自分の中に妙な力が渦巻いたのを感じる。

 

 そこで俺は、一つの意気込みと、一つの希望を行動に移す。

 

 誰かに向けた訳じゃない。自分に向けた決意表明。いくらでも嘘はつける──でも本気で言った。

 

 だから、俺を嫌うことは止めなくていい。

 

 でも、先輩のために”これ”だけは頼むと、体に向けて問いかける。

 

「……!」

 

 俺はギプスを、拳で破壊した。

 ばらばらに砕け散った石膏が、床に散らばる。後先は一切考えなかった。

 

 今壊したのは、ギプスだけじゃない。

 

 弱い、俺自身。

 

 なんて儀式めいた、スピリチュアルなこと考えた自分にほんの少しの苦笑をして、息を吸う。

 

「ふう……」

 

 そして吐き、右足に力を込める。ほとんど素足になった、丸腰だ。骨折だし、立つだけでも非常に痛いだろう。

 

 ──だから何だと、床を踏みつける。

 

「……」

 

 俺は、両の足で立っていた。

 

 右足を見る。装飾はない右足だ。変色もない。違和感もない、ただの変哲もない右足だ。 

 

 そこに、ミサンガを。

 

「……!」

 

 それだけで唐突に叫び出したくなる感覚を覚える。後から思い返した時に、死にたくなるほど悶えそうな、でも確かにここにある”熱さ”を、感じていた。

 

 このミサンガの熱さを、決して忘れないと誓っていた。

 

 足の痛みは──もう一つも感じない。

 

「……約束は、必ず果たす」

 

 俺は、”俺”にそう言った。身震いする。初めてこの体と通じ合えた気がして、今すぐ走り出したくなった。

 

 が、俺は正気に戻って、ふと気づいた。

 

 わなわなと震える。武者震いではない。自分の愚かさに気づいたのだ。

 

 決定的なことを見落としていた。勢いに体を任せすぎた。冷静になってみると、俺の今の行動は余りもおかしい。

 

 だって──

 

「……骨折、一日で治るってなんだよ」

 

 そういう訳で、俺は徹夜でギプスをくっつけて、骨折した風に見せかけるのであった。

 

 やっぱり、俺は俺のことが嫌いだなどと、直しながら笑った。

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