どうなる演習回
ついに10話まで来ましたね
皆さんのおかげです!ありがとうございます!
演習まで、あと5日
………4日
……3日
…2日
そして、1日目の夜──
5日という時間はあっという間に過ぎていった。
朝は三人で「おはよう」と笑って、
昼は鎮守府を歩き回り、いろんな艦娘と出会って、
夜は同じ食卓を囲んで、同じ部屋で眠って。
(楽しいな……)
心から、そう思える日々だった。
その夜、私は布団に入りながら静かに深呼吸した。
部屋の中は暗いのに、妙に温かい。
隣からは、すうすうと規則的な寝息が二つ。
夕立の寝息は柔らかくて子犬みたいで、
時雨の寝息は静かで、呼吸するたびにそっと胸の奥に沁みた。
(幸せって……こういうことを言うんだろうな)
ふと、胸の奥がきゅっとなる。
この時間がずっと続けばいい。
いや、続けなきゃいけない。
この幸せを守りたい。絶対に。
そんな想いが、眠気に溶けていく。
まぶたがゆっくりと落ちる。
──意識がふわりと沈んでいく。
かっ、かっ、かっ、
静まり返った部屋に、時計の秒針だけが乾いた音を刻み続ける。
その律動が、まるで耳の奥を針で突かれるように響いて、眠っていたはずの意識がじわりと浮上してきた。
ポットの中身が沸騰しているみたいに、皮膚の内側から熱がぶくぶくと湧き上がる。
汗が滲むほどの熱さなのに、寒気が背筋を這いあがる。
そして──
──コロセ……
頭の内側で、誰かの声がした。
冷たい、濁った声。
耳元ではなく、脳そのものに直接染み込むような……そんな声。
──コロセ……艦娘ヲ、コロセ……
(………やめて……あなた誰?……誰なの……?)
震える声で問いかける。
返ってきた答えは――
──オマエダ……
その瞬間、心臓が跳ねるように痛んだ。
はっと目が覚める。
なんだ。今のは、夢……なのだろうか。
息が荒い。
喉はカラカラで、心臓は狂ったように暴れている。
頭を冷やすため、そっと布団を抜けて洗面所へ向かう。
真夜中の廊下は冷えきっていて、足音が吸い込まれる。
水道の蛇口を回し、手に冷たい水を受けて顔に当てる。
深呼吸して、顔を上げると、鏡に映ったものが目に入った。
「……ヒッ」
声にならない悲鳴が漏れ、反射的に尻もちをついた。
あの鏡に映ったのは、私。私のはずだった。
顔は同じ、それ以外が大きく変わっていた。
肌は青白く、血を失った死体のように冷たそうで、その上を這うように黒い紋様が広がっている。
ただの模様じゃない。
それは脈打つたびに微かに揺れて、まるで生き物のように蠢いていた。
手のひらも、指先まで黒い影が滲んでいる。
まるで、自分を反転させたかのような。
押し殺した、憎悪──
誰にも言えなかった、孤独──
水圧の底で擦り切れた、恐怖──
名前もない黒い感情。
全部が、ひしめき合っている。
渦を巻いて、噛み合って、ちぎれ合って、
それでも一つの“塊”になって、私の形を作っている。
息を吸うだけで喉が痛い。
胸が押しつぶされる。
逃げたくても膝が震えて動かない。
鏡越しの私は、沈んだ湖の底から這い出てきた誰かみたいに、目だけがかろうじて人間の光を残している。
だが、光も……
自分ではない“何か”に押しつぶされそうだった。
こんな姿になるなんて、思ってもいなかった。
(私は……一体……何なのだろう)
深海棲艦なのか。
艦娘なのか。
それとも――そのどちらでもない“異物”なのか。
自分で自分がわからない。
答えを考える前に、鏡の中の自分が、にちゃりと笑ったように見えた。
鏡の中の黒い自分は──
気づいた瞬間、波紋が広がるように揺れ、
次のまばたきで元の天照の姿に戻っていた。
ただし。
左鎖骨から胸元にかけて、黒い痣が“本物”として残っていた。
触れると、じんわりと冷たい。
(……何これ……本当に、私の身体?)
照明の白い光に晒していると、
痣は薄く、ほとんど見えないほどに収束していく。
けれど──
洗面所の照明が一瞬ちらついた、その一瞬で。
痣が脈打って大きくなるのがはっきり見えた。
「……っ!」
電気が戻ると、また薄くなる。
(光の下だと弱る……?逆に暗いところでは、あの自分になっちゃう?)
怖い。
でも、もっと怖いのは──
これを時雨や夕立に見せてしまうこと。
(絶対に心配かけたくない……ふたりは、私の大事な居場所なんだから)
深呼吸をして、冷たい胸を押さえながら部屋に戻る。
暗い部屋に入った瞬間、胸の奥で痣がドクンと跳ねた。
慌ててカーテンを開ける。
時雨と夕立はまだ眠っている。
静かな寝息。
変わらない日常。
でも私だけ、あの日常から少しずつ外れていくのだと、嫌でも理解させられる。
──それが、たまらなく怖かった。
布団に入り、横で眠る二人の温もりを感じると
痣はまた少しだけ薄らぐ。
(……大丈夫。きっとこれは、疲れで見た変な夢……そう、大丈夫……)
震えるまぶたを閉じ、無理に眠りへ身を委ねる。
──眩しい朝日。
起きて手や腕を確認した時、痣はほとんど跡形もなく消えていた。
(あれ……夜のことは夢だった?)
そう思いたかった。
けれど、胸元に黒い模様が脈打っているのに気づく。
「……天照、起きてる?」
ふと、時雨が顔を覗き込んでいた。
胸元を隠すためにシャツを押さえる。
「う、うん。おはよう……」
「なんか……元気ない? 大丈夫?ちゃんと寝れた?」
(やばい……気づかれる……)
必死に笑顔を作る。
「全然大丈夫!ちょっと寝ぼけてるだけ!」
「……そっか。ならいいけど……」
時雨はほんの少しだけ目を細めた。
疑っているというより、
“何か悩んでいるのではないか”と心配している目だ。
(そんな優しい目、向けないでよ……隠しきれなくなる……)
夕立も布団から跳ね起きてくる。
「おはよっぽい!!天照、なんかへんな顔してるっぽい?」
「へ!?は、変じゃないし!」
「ぽい〜?ならいいっぽい!」
夕立が無邪気に笑うのを見て、ふふっと自然に笑みが出る。
(……二人には秘密にしなきゃね………)
今日から、何も知らない二人の前で笑顔を演じる日が始まる。
そして──
演習が始まる。
12時30分
「天照、今日の演習は君の艤装の性能を見るものだ。最初は的当てのようなもの。その後速力等を図り、最後に艦娘との戦闘演習だ」
「了解です!提督」
「では、君の力、見せてくれ」
「はい!」
ブーっとブザーがなる
『只今より、演習を始めます。』
観測所のスピーカー越しに響くアナウンスに、胸が少しだけ震える。
私の艤装は、工廠から運び出されたばかりの新品のようだった。
「痛っ……」
艤装に触れた時、普段なら感じない微かな痛みが、神経を伝って胸の黒い痣へ“直接触れた”みたいに広がった。
(……やだ、ここで大きくならないで……お願い……)
胸内部で、痣がドクンと跳ねた感覚があった。
まだ今は光がある。暴れはしない……と信じたい。
「天照、準備はできたか?」
イヤホンから提督の声が、張り詰めた鼓膜に届く。
「……大丈夫です。いつでもいけます!」
そう返事をすると、時雨と夕立がこちらへ駆け寄ってくる。
「天照、がんばってね。僕は観測所から見てるよ」
「ぽい!夕立も応援してるっぽい!」
二人の声を聞くと、痣の鼓動をほんの少しだけ落ち着いた気がした。
海上に浮かぶ複数の標的。
距離は近いものから、霧の奥に沈むような遠距離のものまで。
「こちら発令所。ソナー室、目標の位置を。FCO、魚雷発射の用意を。お願いします」
『こちらソナー室。目標の位置を送ります。』
『こちらFCO。目標、ロック完了。魚雷発射管圧、正常』
空気が一瞬、凍りついたように張り詰める。
耳鳴りのように響くブザー音の合間に、心臓の鼓動が早鐘を打つ。
「魚雷、発射!」
魚雷が発射管から水流を蹴って飛び出す。
海中に伸びる泡の軌跡が、標的へとまっすぐ伸びていく。
『魚雷発射完了』
『目標方向、魚雷追尾確認』
『到着まで、5、4、3、2…今!』
爆発音が空気を裂き、水中に振動として伝わる。
衝撃とともに、水しぶきが舞い上がり、標的は崩れ落ちていく。
「損害は?」
『こちらTAO、目標、全て破壊確認』
『こちらソナー室。爆破後、目標が沈んでいくのを確認。浮力反応無し』
観測所からどよめきが起きた。
「……すごい命中精度だ……」
「SEA-BAT……いや、天照の能力値は噂以上か……」
そんな声が上がる。
本当なら誇らしいはずなのに。
胸の奥で黒い痣が、まるで笑うように膨らんだ。
速力。
海上に設置された目標地点まで、指定された距離を全速力で航行するだけの試験。
「……でました!55ノットです!」
観測所から叫び声が上がる。
「55だと?!」
「速すぎる!潜水艦だろう?!」
歓声と驚きが入り混じる。
戦闘演習。
相手は駆逐艦の子達ばかりだ。
対潜戦を想定しているのだろう。
ならばこちらは、深度を取りつつ、ソナー網の外側から魚雷とハープーンで牽制すればいい。
それだけのはずだった。
──ドクン。
胸の奥で、黒い痣が脈動する。
嫌な熱が体中を走り抜け、視界が一瞬、黒い染みで覆われる。
雲が、太陽を覆い隠した。
光が消える
その瞬間──
“何か”が、目を覚ました。
「……っ、動け……っ」
腕が、足が、まるで他人のもののように反応しない。
艤装が勝手に振動し、内部で何かが装填される音が響く。
『──ジ……ジッ……核弾頭。装填……完了』
息が止まった。
だめ。
それだけは、絶対に撃ってはいけない。
止まらない。うちから溢れ出す破壊の本能。
(とまれ……とまれ……止まって!!)
心の中で叫ぶ。
喉が震えるのに声は出ない。
ただ、必死に制止の念だけを胸の奥へと叩きつける。
とまれ。
とまれ。
とまれ。
撃つな。絶対に。
なのに──
──艦娘ヲ、コロセ
その声は、深海の底。
圧壊した鉄と骨のきしむ音。
人の言語ではない冷たい衝動。
耳ではなく、頭蓋の内側に直接響く。
「や……め……!」
視界の端が暗く染まり始める。
黒い靄が広がる。
意識が“何か”に押しのけられる。
勝手に動く指。
勝手に動く艤装。
勝手に狙われる──彼女たち。
「だめ……だめ……だめっ……!」
抵抗するほど、黒が濃くなる。
重く、深く、冷たい海底へ引きずり込まれるように──
意識が、ゆっくり、ゆっくりと、闇に吞まれていった。
最後に聞こえたのは、機械の電子音でも、艤装の警告でもなかった。
私自身の声だった。
「──コロ……す……」
ハッピーコーンです。
第10話、いかがでしたでしょうか?
なんだか不穏な雰囲気
[次回]
【曇天】