蒼い悪魔の英雄譚   作:魚の目108

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前夜祭後:魔剣士と比翼

 

 

「驚いただろう。連盟所属の学園など相手にならない。これが連盟の犬である七星に代わり、日本の未来を担う『国立・暁学園』の強さだ!」

 

 理事長室のテレビで映し出された記者会見の映像の中の男は、昨日の暴挙について一切の謝罪など無く、むしろ清々しい笑顔でそんな事を言い放った。

 

 その映像を見つめていた黒乃は、明らかに憔悴し切った様子で、指に挟んだ煙草をゆっくりと口へ運ぶ。

 深く吸い込んだ煙を、肺の奥に溜まった澱まで吐き出すように、紫煙として長く吐き出した。

 同じ部屋にいるバージルが、その煙に露骨な不快感を示していることには気付いている。

 だが今の黒乃には、それを気遣うだけの余裕もなかった。

 ほんの少しでも、この胸の奥に渦巻く苛立ちと動揺を抑え込みたかったのだ。

 何しろ、今テレビの向こうで悠々と演説を繰り広げている男こそ、現職の内閣総理大臣――月影獏牙(つきかげばくが)

 かつての破軍学園理事長であり、黒乃にとっては学生時代の恩師でもある人物だったからだ。

 

 黒乃は理事長時代の月影が理知的で聡明な人物であったと記憶しているが、昨日の襲撃はそんな彼からは想像も出来ないような凶行だった。

 故に一体、何が彼をここまで駆り立てたのか、それともこれが彼の本性だったのか。

 尊敬していた人物の突然の変わりように黒乃の心はこの情報を知ってからというもの、数時間が経った今でも落ち着かないままだった。

 そんな黒乃の複雑な心境をよそに月影は演説を進めていく。

 

「我が暁学園の七星剣武祭制覇を以て、今の連盟によって支配されている伐刀者(ブレイザー)養育体制を終わらせ、日本の主権を取り戻すのだ!」

 

 その言葉を最後に、演説の映像は終わった。

 画面はそのまま政治討論番組へと切り替わり、出演者たちが今の会見について声高に議論を始める。

 だが、その声が理事長室に響いたのはほんの数秒だけだった。

 唐突にテレビの電源が落ち、画面が真っ黒に染まる。

 リモコンを握っていたのはバージルだった。

 彼は手にしていたリモコンをデスクの上へ無造作に置くと、眉を顰め、不機嫌さを隠そうともせず黒乃を睨むように見下ろした。

 

「いい加減、その煙草をやめろ。俺まで不愉快になる。それに、こんなくだらん番組を見せて、俺に何をさせたい」

 

 開口一番、そんな憎まれ口を叩くバージルに、黒乃も思わずむっとして口を尖らせた。

 何しろ、彼女がここまで疲弊している原因は、暁学園の件だけではない。

 目の前の男の存在もまた、その一因なのだから。

 

「今の状況をお前に説明するには、あの演説を見せるのが一番手っ取り早いと思っただけだ。それより、今の話はちゃんと聞いていたんだろうな?」

「無論、聞いていた。だが、あれが俺に何の関係がある」

「大ありだ。お前が元の世界へ戻るための調査は、今のところ日本の連盟支部が主導している。それは分かっているな?」

「あぁ、もちろんだ」

 

 バージルは、何を今さらと言わんばかりに頷く。

 

「だが仮に今回出てきた暁学園が優勝でもしてみろ。総理の話では『伐刀者(ブレイザー)の養育体制を連盟から取り戻す』とだけしか言っていなかったが、あれは恐らく第一段階に過ぎない」

 

 黒乃はそこで一度言葉を切り、苛立ちを押し殺すように煙草の灰を灰皿へ落とした。

 

「最終的な狙いは、世論を反連盟へ傾かせ、日本を連盟から離脱させることだろう。そうなれば、日本の魔導騎士として登録されているお前の立場も、当然不安定になる。ましてや、お前の帰還調査は連盟支部の管轄だ。影響が出ないはずがない」

 

 確証があるわけではない。

 だが、元より反連盟の世論を追い風にして現与党が台頭してきた現状を考えれば、月影の最終的な目的が連盟からの離脱である可能性は極めて高い。

 もちろん、暁学園が優勝し、世論が連盟離脱へ傾いたとしても、それが実現するまでにどれほどの時間が掛かるかは分からない。

 だが一度その流れが生まれてしまえば、連盟本部からの支援や情報提供は今まで通りにはいかなくなる。

 最悪の場合、バージルの元の世界へ帰るための調査そのものが、政治の駆け引きの道具にされる可能性すらあった。

 

「しかも昨日、お前はとんでもないことを仕出かしてくれたな」

「何のことだ?」

「《比翼》だよ。お前は世界最強と呼ばれる《比翼》のエーデルワイスを倒した。これを知った連盟の反応は、阿鼻叫喚と呼ぶに相応しいものだっただろうな。何しろ彼女は、《連盟》と《同盟》の軍隊を同時に相手取り、それでもなお勝利した怪物だ。その誰の手にも負えない存在を上回る者が現れたとなれば、連中が平静でいられるはずもない」

 

 《魔剣士(ダークスレイヤー)》の噂が流れ始めた当初、連盟が想定していたバージルの戦力は、《砂漠の死神(ハブーブ)》以上、《比翼》未満というものだった。

 もちろん、それでも十分すぎるほどの脅威である。

 たとえ《比翼》には及ばないとしても、《砂漠の死神》を上回る実力者と敵対すれば、こちら側にも甚大な被害が出る可能性は高い。

 

 だからこそ日本支部は、彼を排除するのではなく、望みを聞き入れてこちら側へ取り込む方が得策だと判断した。

 そして彼が日本へ来ることを予測し、待ち構えていたのである。

 

 さらに監視役として、元KOK世界三位である黒乃と、《魔人(デスペラード)》である寧々の二人が付けられることとなった。

 この二人であれば、仮に万が一の事態が起きても対処できる。

 日本支部の長である厳は、そう踏んでいたのだろう。

 

 だが、その判断は完全に誤りだった。

 実際のバージルは《比翼》未満どころか、世界最強と呼ばれる彼女すら打ち倒す存在だったのだから。

 もしこれが事前に分かっていたなら、黒乃と寧々を監視役に付ける程度で済ませるはずがない。

 いや、そもそも監視などという発想自体が、あまりにも甘すぎたと言うべきだろう。

 

 そして当然、その余波は黒乃にも降りかかった。

 この件を上へ報告してからというもの、彼女はバージルと《比翼》の戦闘経緯、使用された能力、魔力量の異常性、そして彼がどの程度の脅威であるかについて、各方面へ詳細な報告を求められる羽目になっていた。

 

「ハッキリ言おう、バージル。お前を止められる者は、もはやこの世界のどこにもいない」

 

 黒乃の声は低かった。

 冗談でも誇張でもない。

 昨日の一件を目の当たりにした今、それは疑いようのない事実だった。

 

「そんなイレギュラーな存在を、連盟としてどう扱うべきか。今、上層部では様々な意見が飛び交っているらしい。現在は日本の魔導騎士として登録されているお前の所属先を、別の国へ移すべきだという意見もある。あるいは――」

 

 そこで黒乃は言葉を切った。

 指に挟んでいた煙草を灰皿へ押し付け、火を揉み消す。

 短い沈黙。

 言うべきか、言わざるべきか。

 その僅かな逡巡の末、黒乃は腹を括ったように告げた。

 

「お前を捕らえるべきだ、という意見も出ている」

 

 その言葉を聞いたバージルの反応は、怒りでも警戒でもなかった。

 ただ、理解できないと言わんばかりの困惑。

 自分が強いというだけで、なぜ捕縛の対象となるのか。

 その理屈がまるで腑に落ちていないように、彼はわずかに首を傾げる。

 

「……何故だ?」

「お前が連盟に所属する契約は、一年で切れることになっている。上の連中は、その後にお前が《同盟》へ鞍替えするんじゃないかと恐れているのさ」

 

 仮に一年が過ぎても、バージルがこの世界に留まり続けていた場合。

 そして日本が連盟から離脱しなかったとしても、彼個人は連盟という組織から離れることになる。

 

 そうなれば、彼の力を求めて《同盟》が即座に接触してくることは想像に難くない。

 何しろバージルは、単なる強者ではない。

 《比翼》をも上回る、国家間の軍事均衡そのものを揺るがしかねない存在だ。

 そんな男が連盟の管理下を離れ、敵対組織へ渡る可能性がある。

 連盟上層部が恐慌に近い反応を示すのも、ある意味では当然だった。

 

「だがお前は言ったな。この世界に俺よりも強い存在はいないと。《比翼》ですら捕らえられない者達に、俺をどうこう出来ると思っているのか?」

「出来る訳ないだろう。魔導騎士上位陣の全員で掛かってもな。全く、ふざけているにも程がある」

 

 昨日の馬鹿げた魔力量を思い出しながら、黒乃は思わず悪態をついた。

 一体どうすれば、あれほどの力を一つの肉体に収めていられるのか。

 可能であれば、今すぐにでもその仕組みを問い質したいくらいだった。

 

「だがな、仮にお前が《同盟》に与しようとしている動きを察知した場合、連盟は何としてでもそれを阻止しようとするだろう。たとえ勝ち目がないと分かっていてもだ」

 

 黒乃は重々しく続ける。

 

「もし止められず、そのまま黙って見過ごせば、それは敵に核兵器が渡るのを指を咥えて眺めているのと同じだからな」

 

 仮にバージルが《同盟》側へ渡り、その後に戦争でも起きればどうなるか。

 連盟は《同盟》の戦力と同時に、バージルとも相対しなければならなくなる。

 そんな最悪の事態を迎えるくらいなら、まだ彼が単独でいるうちに対処しようと考える者が出るのは当然だった。

 もっとも、それがどれほど困難なことかは、連盟も理解している。

 だからこそ、今は下手に手を出すこともできず、こうして様子を見るしかないのだ。

 

「それに、極端な話だ。もし《同盟》がお前に、元の世界へ帰る条件として『連盟加盟国のどこか一つを滅ぼしてこい』と持ちかけたとする。お前がやりたいかやりたくないかは別にしてだ。……お前の力なら()()()()()()?」

 

 彼の今までの戦闘を見る限り、寧々のように隕石そのものを落とすという戦略級の範囲の技は持っていないにしても、国家中枢拠点を何の苦も無く制圧出来てしまうのは以前の日本支部の襲撃で証明されてしまっている。

 時間こそ掛かるだろうが、彼なら国一つを滅ぼすのに大した労力は必要ないだろう。

 

「……あぁ。だが仮に同盟に鞍替えするとしても、気に入らん依頼ならばやるつもりはない」

 

 バージルは直接的には否定しなかったが、それでもやるつもりはないという意思表示を受けて黒乃は安堵する。

 同時に黒乃は彼がそう答えるだろうと予想していた。

 何故なら彼はここに来るまでに不必要な殺しはやっていない。

 それは昨日の話を聞く限り、黒鉄王馬に関してもそうだ。かつてバージルに挑んだはずの彼は、今なお生きているのだから。

 

「まぁ、そうだろうな。お前はそういう奴だ。だが、お前がどう考えていようと、上の人間からすれば関係ない。《比翼》以上の存在が敵方に渡るかもしれない――その可能性だけで、肝が冷えるんだろうさ」

「下らんな……」

 

 バージルは心底くだらないとでも言うように、低く息を吐いた。

 自分の意志とは無関係に、政治的な謀略や組織間の駆け引きへ組み込まれていく。

 その事実が、不愉快でならないのだろう。

 

 無理もない。

 バージルは元来、こうした面倒な駆け引きとは相性が悪い。

 敵がいるなら斬る。

 邪魔者がいるなら退ける。

 これまで彼は、そうやって己の力で道を切り開いてきた。

 

 だからこそ、目に見えぬ思惑や利害に絡め取られ、まるで駒のように扱われることに、強い嫌悪を覚えているのだ。

 

「だからこそ聞かせてくれ。他に何か隠し事はないかをな。これ以上厄介な問題が出てきて、その度にこうして騒ぎ立てされるのも面倒だろ?」

「《比翼》よりも強いということは別に隠していた訳ではない。あれは偶然それを証明する場に立ち会ったというだけだ」

「まあ、それはその通りだ。だが、昨日見せたあの魔力量は何だ? 魔導騎士として登録する際に測定した数値とは、あまりにもかけ離れていたぞ。……虚偽申告をしたな、バージル」

「…………」

 

 咎めるように言い放った言葉に、バージルは口を(つぐ)んだ。

 恐らく、彼自身も自らの魔力量がこの世界において異常であるという事は気付いていたのだろう。だからこそ、今の今まで誰にも気付かれないように抑えていたのかもしれない。

 彼はしばらく考え込むように沈黙していたが、おもむろに口を開いた。

 

「前に俺に弟がいるという話をしただろう。奴もこの世界に来ている」

「特徴は?」

「名はダンテという。俺と同じ銀髪で同じ顔。それと、基本的にいつも赤いコートを着ている」

「……ッ!」

 

 黒乃は赤い悪魔に変身した男の特徴と、彼の発言が一致したことで確信する。

 やはり、バージルも同様にその悪魔に変身した男の身内なのだと。

 

「分かった。それ以外は?」

 

 黒乃は暗に『他にもあるだろう?』という確信の元に問いかける。

 だが、バージルの返答は黒乃の望んだ答えではなかった。

 

「……それ以外はない」

「……そうか」

「あぁ、話はこれで終わりだろう。用がないなら俺は行くぞ」

 

 そう言うと、バージルは背を向けて理事長室の扉へと歩き出す。

 だが、黒乃はどうしても彼に言わなければならない事があった。

 

「なぁバージル」

「……何だ」

 

 呼び止められたバージルは足を止めてこちらへ振り返る。

 自分の声に少しの緊張が乗っていたためか、その場の空気が少しだけ重く感じた。

 彼もそれを察したのだろう。その目にはこちらへの警戒が浮かんでいた。

 

「私は、お前がどんな存在であろうと受け入れる覚悟がある」

 

 黒乃は誤魔化さず、真っ直ぐに言葉を続ける。

 

「日本支部の件も、《比翼》から黒鉄を救ってくれたこともある。少なくとも、お前が悪意を持ってこの世界にいるわけではないことは分かっているつもりだ」

 

 だからこそ、と黒乃は一度息を吐いた。

 

「もう一度だけ聞かせてくれ。本当に、それ以外に隠していることはないのか?」

 

 

*********************

 

 

 明らかに含みを持たせた言葉に、流石のバージルも黒乃の言いたいことが理解できた。

 昨日、《比翼》から普通の人間であれば致命傷となる傷を受けてもなお平然と立ち上がったこと。

 そして、《真魔人》となったことで放たれた、あまりにも桁外れな魔力。

 恐らく、その二つによって彼女は辿り着いたのだろう。

 自分が、ただの人間ではないという結論に。

 

「随分と回りくどい言い方をする。お前は疑っているのだろう? 俺が悪魔なのではないかと」

「……あぁ」

 

 バージルはやはり軽率な行動だったかと昨日の行動を反省する。

 しかし、もう気付かれているのであれば隠す必要はないか、と思い至ったバージルは黒乃に真実を伝える事にした。

 

「お前の懸念通り俺は悪魔だ。……『半分』は、という但し書きが付くがな」

「『半分』……?」

 

 黒乃は一瞬だけ目を見開き、すぐに訝しげな眼差しを向けてきた。

 悪魔である可能性は想定していたのだろう。

 だが、『半分』という言葉までは理解の外だったらしい。

 

「俺は悪魔であると同時に人間でもある。父が悪魔で母親は人間。その二人から生まれた半人半魔だ」

「半人……半魔……」

 

 黒乃はぽかんと口を開け、呆然とこちらを見つめていた。

 

 その反応に、バージルはやはりそうなるかと内心で小さく息を吐く。

 異世界人というだけでも十分に常軌を逸しているというのに、そのうえ悪魔の血を引いているなどと言われれば、普通の人間ならば受け入れられなくて当然だ。

 恐怖するか、嫌悪するか。

 あるいは、目の前にいる自分を今までと同じ存在として見られなくなるか。

 

 どちらにせよ、向けられる反応は好意的なものではないだろう。

 そう考えていた。

 

 だが――

 

 しばらく沈黙していた黒乃は、やがて堪えきれなくなったように小さく噴き出した。

 

「フッ、フフ……本当にファンタジーだな」

「む?」

「お前は本当に予想の斜め上ばかりを行くな。異世界の人間だと思ったら今度は悪魔と人間のハーフだと? 普通の人間なら、まず信じないぞ」

「信じないのであれば、別にそれで構わんが」

「信じるさ。お前の言う事だからな」

 

 一切の迷いなくそう言い切った黒乃に、今度はバージルの方が言葉を失った。

 てっきり嫌悪の視線を向けられるものと思っていた。

 あるいは、少なくとも警戒の色くらいは浮かべるだろうと考えていた。

 だが黒乃の反応は、そのどちらでもなかった。

 まるで少し呆れながらも、それでも受け入れると決めているかのような態度だった。

 

「……何故だ?」

「ん?」

「俺が悪魔だと知って恐怖はないのか?」

 

 悪魔とは、悪を為す存在。

 実際に悪魔を見たことがない黒乃であっても、伝承や空想の物語の中で、そのようなものとして語られていることくらいは知っているはずだ。

 最初は、彼女が自分の話を本当の意味では信じていないのではないかとも思った。

 だが黒乃は、はっきりと信じると言った。

 にもかかわらず、この世界において比類なき力を持つ“悪魔”である自分に、彼女は恐怖らしい恐怖を見せない。

 その反応が、バージルにはどうにも理解できなかった。

 

「言ったはずだ。お前がどんな存在であっても受け入れるとな。それに元々、お前がそうなのではないかという可能性は指摘されていた。主にお前の弟のせいで」

「何?」

「どうもアメリカで派手に暴れたらしくてな。その時、お前の弟が悪魔の姿へ変貌したところを目撃した者がいたらしい」

 

 そこで黒乃は、少しだけ表情を引き締める。

 

「……お前は、《魔人(デスペラード)》や《覚醒超過》というものを知っているか?」

 

 昨日エーデルワイスが《真魔人》となった自分を見て《覚醒超過》と勘違いをしていた事を思い出す。

 その際に出てきた《魔人(デスペラード)》の話も併せて聞いていたバージルは黒乃の問いに短く頷く。

 

「あぁ、昨日《比翼》からその話を聞いた。俺が変身した姿を見てな」

「なるほどな……なら話が早い。連盟の中には、悪魔の存在に懐疑的な者も当然いた。だが、お前の弟の姿が確認されたことで、お前の話には一気に信憑性が出たらしい」

 

 黒乃は苦々しげに続ける。

 

「中には、あれは《覚醒超過》ではないかと疑っている者もいる。だが、悪魔であろうと《覚醒超過》であろうと、連中にとってはどちらでもいい。危険な存在であることに変わりはないからな」

 

 そして黒乃は、改めてバージルを見据えた。

 

「そのせいもあって、お前も同じことができるはずだと見なされていた。お前を捕らえようという意見が出ているのも、その影響が大きいんだろう」

「チッ……奴め……」

 

 子供の頃から、あの弟は何かにつけて自分の邪魔をしてきた。

 そして今、世界を越えた先でさえ、その余波が自分へ降りかかっている。

 込み上げる苛立ちに、バージルは思わず舌打ちを漏らした。

 ダンテとはいつ会えるかは分からないが、もし顔を合わせることがあれば、その時はまず一発殴ってやる。

 そう、心の中で固く決めた。

 

「それにお前の今までの素行から見るに、こちらへ害を為そうなんて気はさらさら無いという事は分かり切っている。まぁ、それが演技だったとしたら大した役者だが、お前がそんな芝居を続けられるほど器用な奴には見えんしな」

「ふん……」

 

 黒乃は、一切の疑いを感じさせない眼差しでこちらを見ていた。

 バージルとしては、自分がそこまで上手く教師という役割を果たせているとは思っていない。

 だが、これまでの行動によって、少なくとも黒乃から一定の信頼を得ることはできていたのだろう。

 

「この事は上には黙っておくとしよう。今の時点でもお前を捕らえようという意見が挙がっているというのに、本当に悪魔だという事が確定したら本格的にその動きが加速しかねん」

「いいのか?」

「構わんさ。まぁ、今後は無闇にその力は使わん方が良いだろう。黒鉄達にも大分怪しまれていたみたいだしな」

「……そうだな。留意しておこう」

 

 昨日の帰り道、一輝たちに質問攻めにされたことを思い出し、バージルは辟易したように溜息を吐いた。

 当然、悪魔の存在を知らない彼らにはバージルの正体が何であるかは見当も付かないだろうが、世界一の魔力量を持つとされていたステラを軽く上回る魔力を持っていたなど普通であれば大ニュースだ。

 あまり口外しないように言い含めはしたが、暁学園の者たちにも知れ渡ってしまった以上、せめていらない注目を浴びないように願うほかないだろう。

 

「とはいえ、黒鉄達にもいずれ真実を話すべきだとは思うがな。……いつになるかは分からないが、お前はいずれ元の世界に帰るんだろう。なら、何も告げずに消えるのは酷というものだ。それに、お前が悪魔の血を引いていると知ったところで、あいつらなら態度を変えたりはしないさ」

「……そうだな。だが、それは七星剣武祭が終わってからだ。奴らにとって大事な時期に、余計な動揺を与えるつもりはない」

 

 その返答に、黒乃はわずかに目を丸くした。

 そしてすぐに、面白いものでも見つけたように口元を緩める。

 

「ふふ……ちゃんと生徒の心配までするようになったか。随分と教師らしくなったじゃないか、バージル?」

 

 茶化すようなその声音に、バージルはわずかに眉を顰めた。

 別に気遣っているつもりなどない。

 ただ、余計な情報で集中を乱されるのは無駄だと判断しただけだ。

 そう言い返しかけて、しかしそれを口にすること自体が黒乃の思うつぼのような気がして、バージルは短く吐き捨てるに留めた。

 

「……黙っていろ。それで、話はそれだけか?」

「あぁ、それだけだ。何なら、ついでに仕事を手伝ってくれてもいいんだぞ?」

「断る」

 

 即答だった。

 

 黒乃の憎々し気な視線を感じたが、バージルはそれを努めて無視して、そのまま扉を開けて廊下へ出た。

 

「……妙な女だ」

 

 小さく呟き、バージルは静かな足取りで歩き出すのだった。

 

*********************

 

「ぅッ……ん」

 

 ひどく気怠い。

 普段なら感じることのない身体の重みを覚えながら、エーデルワイスはゆっくりと瞼を開いた。

 

 朧げな視界の中、最初に映ったのは白く清潔な天井だった。

 記憶が正しければ、ここは暁学園の医務室。

 IPS再生槽(カプセル)が設置されている部屋のはずだ。

 

 首をわずかに横へ動かす。

 透明な壁越しに見える装置の内側。

 どうやら予想通り、自分は再生槽(カプセル)の中で治療を受けていたらしい。

 

 あれから何があったのかまでは分からないが、誰かが瀕死の自分をここまで運び込み、処置を施してくれたのだろう。

 

「どうやら、生きているみたいですね……」

 

 あのまま意識を失った後、バージルが止めを刺していれば、自分はもうこの世にはいなかったはずだ。しかし、今もこうして生きているという事は彼から見逃されたということ。

 剣士として情けをかけられたということに一瞬だけ悔しさが沸き上がるが、それもすぐに霧散して消えた。

 

 代わりに湧き上がってきたのは、これまで一度も味わったことのない、奇妙なほど澄んだ喜びだった。

 『最強』という座に居続けたことでずっと感じていた人生の虚無感。

 それが敗北によって引きずり下ろされた瞬間、心のつかえが取り除かれ、むしろ解放されたような気持ちにすらなっていたほどだった。

 

「剣士としてはあまり褒められた心持ちではありませんが……」

 

 自嘲気味に呟きながら、エーデルワイスは再生槽(カプセル)の縁に手をかけ、ゆっくりと上体を起こした。

 病衣の胸元から覗く白い肌に、そっと指を添える。

 あの時の傷跡はもう消えて残っていないが、斬られた箇所は鮮明に記憶の中に残っていた。 

 刃が走った場所をなぞるように、エーデルワイスは指先を滑らせる。

 

 そして、愛おしむように目を細め、恍惚とした笑みを浮かべた。

 

(あぁ……本当に素敵なひと時だった……)

 

 自らの全力を受け止めきれる人間など、この世にいないと思っていた。

 いや、正確には――バージルの話を信じるなら、彼はそもそも人間ではなかったのだったか。

 

(バージル……)

 

 自然と自分を斬り伏せた男の名が思い浮かび、胸が高鳴る。

 これまでの人生で、エーデルワイスがこれほどまでに誰かを思い焦がれたことはない。

 

 しかし、それも無理からぬことだった。

 若くして《連盟》と《同盟》の双方から犯罪者として追われ、以後は故郷エストニアの霊峰エーデルベルクの頂で、ただ独り生きてきたのだから。

 もっとも、世捨て人同然の暮らしを送っていたとしても、彼女には『世界最強』という肩書きがついて回る。

 その名を討ち取り、自らこそが最強であると世に示そうと、多くの荒くれ者や実力者たちが彼女の前に現れたが、誰一人として彼女の心を動かすには至らなかった。

 剣を交えれば交えるほど、相手との隔絶した差を思い知らされるだけ。

 勝利の実感よりも先に胸を満たしたのは、己と並ぶ者などいないという、冷え切った孤独だけだった。

 

 だからこそ、彼との闘いはエーデルワイスにとって、あまりにも鮮烈に記憶に残った。

 初めて届かなかった。

 初めて敗北を知った。

 そして初めて、もう一度剣を交えたいと願った。

 

 そんな幾つもの『初めて』を奪っていった男に、特別な感情を抱くのは、ある意味では当然のことだったのかもしれない。

 だが、これがどういった感情なのかは当の本人もまだ分からない。

 何しろ、彼と出会ったのはつい先ほどのことだ。

 彼がどういう人物なのか。

 そういったことを、彼女はまだ何一つ知らない。

 

 仮に今胸に芽生えているこの感情が本当に“そう”なのだとしても、ただ自分より強かったからという理由だけで決めつけてしまうのは、あまりにも早計に思えた。

 それではまるで、強い相手に負けた途端に心を奪われた、浅はかな女のようではないか。

 

(で、でもこんな出会いは一生に一度あるかないかですし……)

 

 エーデルワイスは今でこそ、一般人とはかけ離れた日々を送っている。

 だが元を辿れば、平凡な家庭に生まれた、ごく普通の少女だった。

 剣を取り、戦いの世界に身を置き、幾度となく生き死にの世界を経験したことで、多少なりとも常人とは異なる価値観を持つようにはなった。

 それでも、何もかもを悟った仙人のように達観しているわけではない。

 

 戦い以外の感性においては、彼女もまた普通の人間と大きくは変わらない。

 嬉しいものは嬉しく、寂しいものは寂しい。

 甘い菓子を好み、自分で作ることも楽しむような、そんな一面を持つ女性でもあった。

 だからこそ、胸を高鳴らせる相手に出会えば、その相手のことを知りたくなる。

 どんな人物なのか。

 何を好み、何を嫌い、どんな風に生きてきたのか。

 そうしたことを思い浮かべてしまうのは、何も不思議なことではない。

 

 ましてや、自分と同等以上の力を持つ男性と出会ったのは、これが初めてだった。

 誰かを見上げることも、追いかけたいと願うことも、その存在を思い浮かべるだけで胸がざわつくことも、彼女にとってはあまりにも未知の経験。

 

 言ってしまえば、エーデルワイスはそういった感情に慣れていなかった。

 慣れていないどころか、きっと心のどこかでずっと飢えていたのだ。

 

(せめて、せめてもう一度会ってお話を……確か今、彼は破軍学園の教師で……あっ)

 

 バージルの置かれている立場を思い返したエーデルワイスは、そこでふと気付いてしまった。

 

 彼が現在身を置いている破軍学園。

 その生徒である一輝を、真剣勝負とはいえ殺めかけたこと。

 加えて、自分は破軍を襲撃した暁学園に、間接的にではあるが協力していたこと。

 彼が何故自分を生かしたのかは分からない。

 だが、こちらに良い印象を抱いているはずがないことだけは、嫌でも分かった。

 

 つまり、だ。

 自分は彼と再び会って話したいなどと思っているが、相手からすれば自分は好意を向ける相手どころか、限りなく敵に近い立場なのだ。

 

 そう考えると、彼との最初の邂逅は、考え得る限り最悪の形だった。

 主に、というよりほぼ全面的に自分のせいで。

 

(あぁ……どうしましょう……何と説明すれば……)

 

 エーデルワイスは絶望するように両手で顔を覆い、深く俯いた。

 

 一輝との真剣勝負は、彼の心意気をもはや子供のものではなく、一人の戦士のそれとして認めたからだ。

 暁学園に手を貸したのも、一宿一飯の恩義を返すため。

 どちらも彼女なりの理屈があり、信念に従って選んだ行動だった。

 だからこそ今さら、あれは間違いでしたと手のひらを返すことはできない。

 それは道理に反する。

 何より、自分自身の在り方を否定することになる。

 

 だが、それによってバージルからの印象が最悪に近いものになっているとすれば、話は別だった。

 

 非常に、まずい。

 剣士としての筋は通した。

 だが、女としての望みは初手から詰んでいる。

 

(とりあえず彼に会いに行って……いえ、駄目です。今さらどんな顔で会えばいいのですか……)

 

 エーデルワイスは何とかこの状況を打開しようと思考を巡らせる。

 しかし、出てくるのは自分の不利な材料ばかりだった。

 一輝を殺しかけた。

 破軍を襲撃した暁学園に協力した。

 しかもその上で、もう一度バージルと会いたいと思っている。

 どう考えても印象が悪い。

 悪すぎる。

 剣士としての筋は通していたとしても、相手からどう見えるかはまた別問題だった。

 

(……これは、詰んでいるのでは?)

 

 そんな救いのない結論に辿り着きかけた、その時だった。

 

「起きていたか、《比翼》。起きて早々で悪いが、話がある」

 

 低い声と共に、部屋の扉が開かれる。

 そこに立っていたのは、黒鉄王馬だった。

 

「オ、オウマ!?」

 

 エーデルワイスは跳ねるように顔を上げ、慌てて王馬へ視線を向けた。

 本来の彼女であれば、壁越しであろうと人の気配を察することなど造作もない。

 だが、先ほどまで思考の迷路に沈み込んでいたせいで、彼が扉の前まで来ていたことにまるで気付けなかった。

 

「俺の接近にも気付けないほど、まだ具合が悪いのか? ならば、また改めて出直すが……」

 

 狼狽するエーデルワイスを見て、王馬にしては珍しく気遣うような言葉が返ってくる。

 それほどまでに、今の自分の反応は普段の《比翼》らしからぬものだったのだろう。

 

「い、いえ。問題ありませんよオウマ。何か私に話が?」

 

 エーデルワイスはひとまず先ほどまでの思考を振り払い、努めて平静を装う。

 王馬はなおも訝しげに彼女を見ていたが、やがて問題ないと判断したのか、静かに部屋の中へ足を踏み入れた。

 

「個人的な用件があって来た。だが、貴女はあれからずっと眠っていたからな。まずは現状の報告からしておこう」

「そうですね……お願いします」

 

 王馬は昨夜の出来事を簡潔に説明した。

 破軍学園への襲撃は、ひとまず成功したこと。

 その後、自分たちの拠点である暁学園へ戻った際、バージルたちと邂逅したこと。

 そして連盟へ引き渡されるはずだったエーデルワイスの身柄を、王馬がバージルと交渉し、こちら側へ引き取ったこと。

 その話をする間、王馬はどこか苦々しげに顔を歪めていた。

 しかし、その理由については触れられたくないのだろう。

 そう察したエーデルワイスは、深く問いただすことはしなかった。

 

 一通りの説明を聞き終えると、エーデルワイスは静かに王馬へ頭を下げる。

 

「ありがとうございます、オウマ。貴方のおかげで、連盟に捕らえられずに済んだようですね」

 

 エーデルワイスとしては、たとえ身柄を拘束され、刑務所へ送られたとしても、そこから脱獄すること自体は容易だっただろう。

 だが、それはそれとして、助けようと動いてくれた王馬に礼を尽くすべきだと考えていた。

 しかし、その礼を受けた王馬は、どこか居心地悪そうに顔を背ける。

 そして、苦虫を噛み潰したような表情で口を開いた。

 

「……やめてくれ。貴女を助けようとしたのは《魔剣士(ダークスレイヤー)》と闘う口実作りに過ぎなかった。だというのに俺は、彼を前に震え上がることしか出来なかった……"あの時"と同じようにな」

 

 『あの時』。

 その一言だけで、エーデルワイスは王馬が何を指しているのか理解した。

 数年前、王馬は単身で《解放軍(リベリオン)》へ襲撃を掛けたことがある。

 だがそこで彼は、《暴君》の圧倒的な力を前に、剣を振るうどころか、ただ震えながら命乞いをすることしか出来なかった。

 その場に偶然居合わせたエーデルワイスが彼を助けたことで、王馬は命を拾った。

 そして彼女は、その一部始終を目の当たりにしている。

 だからこそ、その出来事が王馬の中に深い傷として残っていることも知っていたのだ。

 

「それは、仕方のないことではないですか? 私ですら彼に勝てなかったのです。確実に《暴君》よりも格上の相手を前に、挑もうとしただけでも称賛されるべきだと思いますが」

「『仕方のないこと』……それで俺が納得すると、本気で思っているのか」

 

 王馬は、射抜くような眼差しでエーデルワイスを睨む。

 その表情には怒りだけではない。

 己への失望と、拭いきれぬ屈辱が滲んでいた。

 彼ほどの実力者であれば、彼我の戦力差など一目で理解できる。

 ましてや王馬は、一度バージルと出会い、完膚なきまでに敗れている。

 あの男の強さがどれほど理不尽なものかなど、骨身に染みて分かっているはずだ。

 

 それでもなお、彼は挑もうとした。

 

 無謀だと分かっていても、逃げ出したい本能を押し殺して、再びあの恐怖へ向き合おうとしたのだ。

 それはきっと、勝算があったからではない。

 ただ、自分の中に刻み込まれた敗北と恐怖を、どうしても乗り越えたかったからだ。

 その心情を思えば、先ほどの言葉がどれほど軽率だったか、エーデルワイスにもすぐに分かった。

 

「……そうでしたね。失言でした。謝罪します」

「……いや、すまない。貴女に当たっても、それこそ仕方のないことだった。これも全て己の弱さが招いたことだというのに」

 

 王馬は震える右手を反対の手で押さえつけながら、悔しげに歯を食いしばる。

 エーデルワイスから見ても、今の王馬が相当に追い詰められていることは明らかだった。

 力を求め、誰よりも強さに執着してきた男。

 その彼が、自らの恐怖を認め、それでもなお前へ進もうとしている。

 

 その姿に、エーデルワイスは余計な慰めを口にするべきではないと悟る。

 彼に必要なのは同情ではない。

 己の弱さを認めた上で、それでも立ち上がるための何かだ。

 だからこそ、彼女は沈みかけた空気を切り替えるように、先ほど王馬が口にしていた用件へ話を戻した。

 

「そういえば、個人的な用件というのは?」

「……あぁ、そうだったな」

 

 王馬は一度目を伏せ、乱れた呼吸を整えるように小さく息を吐いた。

 そして再び顔を上げた時、その眼差しには先ほどまでとは違う、決意の色が宿っていた。

 

「貴女に、折り入って頼みがある」

「何でしょう?」

 

 エーデルワイスは静かに続きを促す。

 王馬のことを多少なりとも知っている彼女にとって、それは珍しい光景だった。

 彼は基本的に、他者へ何かを求めるような男ではない。

 ましてや、自ら頭を下げるような真似など、彼の誇りが許さないはずだった。

 

 だが今、王馬はその誇りすら飲み込もうとしていた。

 

 

 

「七星剣武祭が始まるまでの一週間――俺を鍛えてくれ」

 

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