ダンジョンに正義の味方がいるのは間違っているだろうか   作:ラブコメは正義マン

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え?タイトル違うって?
いや、階層主と書いてゴライアスと読みますので.....


階層主

暗がりの中で、ふと目を覚ました。

 

「──っ、あ、......」

 

肺に飛び込んできたのは酷く冷たく、重い空気。

跳ね上がる心臓を落ち着かせながら、僕は弾かれたように身を起こし、慌てて周囲を確認する。

 

「みんな......っ!」

 

暗闇に目が慣れていく中、視界に映ったのは見知った仲間たちの姿だった。

ヴェルフ、リリ、士郎。

息はある。

目立った大怪我もない。

 

「......痛ってて、生きてるか?」

 

「うぅ、リリは.....なんとか、無事です......」

 

衣服についた砂埃を払いながら、リリとヴェルフが起き上がる。

衣服の破れや汚れはあるものの、血を流している様子も、骨を折っている様子もなかった。

 

視線を移すと、同じように横たわっていた士郎も上体を起こしてこちらを見ていた。

煤けた顔に安堵の笑みを浮かべて、彼は小さく息を吐く。

 

「何とか、全員無事みたいだな」

 

「.....うん、本当に。みんな無事で、本当によかった......」

 

最後の記憶を思い返す。

初めての中層。

順調だった探索。

タケミカヅチ・ファミリアの救助。

そこから殿を引き受け、そして──突如として僕たちを襲った、あの恐るべき大崩落。

 

あの規模の崩落に直撃したはずなのに、信じられないことに全員の五体が満足に揃っていた。

奇跡としか言いようがない。

けれど、今は何よりも、みんなが生きていたことに越したことはなかった。

 

全員がゆっくりと立ち上がり、改めて自分たちの足元、そして周囲の景色を見渡す。

 

「ここは──?」

 

「.....分かりません。ですが、かなりの距離を落下したかと」

 

リリが周囲を鋭く見つめる。

どこかも分からない暗がりの通路。

しかし、この場に留まることが一番危険なことくらいは、今の僕たちでも分かった。

 

「.....とにかく、上を目指そう。ここにいてもモンスターに囲まれるだけだ」

 

「そうだな。何階まで落ちたかは分からねぇが、地道に階段を探すしかねぇ」

 

ヴェルフが同意し、僕たちは移動を開始しようとする。

──が、その中で一人。

まだ動かずにじっと背後の闇を見つめている影があった。

 

「士郎?」

 

「──.....あぁ、どうした、ベル」

 

声をかけると、士郎さんは一瞬だけハッとしたように肩を揺らし、いつも通りの穏やかな笑みを浮かべて振り返った。

 

「......ううん、なんでもないよ。行こう」

 

一瞬、ほんの少しだけぼーっとしているように見えた。

どこか意識が遠くにあるような......そんな、微かな違和感。

 

(中層での連戦に加えて、あの大崩落だ。士郎だって一瞬、気が緩むことくらいはあるよね)

 

深くは追及せず、僕は自分の気のせいだと言い聞かせるようにして歩き出した。

この時の僕は、まだ何も知らなかったんだ──。

 

静かにそう告げた士郎のその身体の奥底に。

目に見えないほどの凄惨な疲労がどれほど深く蓄積していたのかを。

 

***

 

「……おかしいですね」

 

どれほど歩いただろうか。

通路を進むリリの口から、困惑と焦りの混じった声が漏れた。

道中、大崩落の凄まじさを物語るように、至る所の天井がひび割れ、巨大な岩が通路を塞いでいた。

僕たちはそれらを迂回しながら進んでいたのだが、リリの指摘通り、周囲の光景には明らかな異変があった。

 

「何がだ、リリスケ」

 

「十四階層にしては、いくら何でも通路が広すぎます。それに、先ほどから通路のあちこちにある、あの縦穴......」

 

リリが指差した先には、底の見えない真っ暗な大穴が、口を開けて僕たちを見下ろしていた。

 

「十四階層はもっと平坦な構造のはずです。こんな縦移動を促すような構造は......」

 

そこまで言って、リリは息を呑んだ。

僕とヴェルフも、その言葉の先を理解して冷や汗が背中を伝う。

 

「おい、まさか......ここは十四階層でもねぇのか?」

 

「......一度、状況を整理しましょう」

 

リリは深く息を吐き出し、全員を落ち着かせるように声を絞り出した。

 

「私たちは大崩落の衝撃で、想定よりも遥か深くへ落とされた可能性が高いです。これは私の主観ですが、この広さと縦穴の多さ.....ここは十五階層の可能性があります」

 

「十五、階層......っ」

 

一気に二階層もすっ飛ばして奈落の底へ落とされていた。

その事実に、僕の心臓が嫌な音を立てて跳ね上がる。

最前線で戦う上級冒険者ならまだしも、中層に足を踏み入れたばかりの僕たちにとっては、文字通りの絶望。

 

「リリ、残りの物資は......」

 

「......最悪、と言っていいでしょう。千草様たちに分けた分もあり、回復薬(ポーション)は、もう残り二個しかありません」

 

リリがバックパックから取り出した小さな瓶を見て、全員の間に重苦しい沈黙が流れる。

怪我を治せるのはあと二回だけ。

 

「──なら、話は早い。一刻も早く上に戻る階段を探すぞ。こんな場所に長居はできねぇ!」

 

ヴェルフが焦りを滲ませて声を荒らげるが、リリは首を横に振った。

 

「待ってください!あの規模の大崩落が起きたんです。その震源地である十三階層や十四階層が、今どうなっているか.....」

 

リリの言葉に、ハッと息を呑む。

 

「......通路が完全に潰れているか、今も崩落が続いている可能性が高い、か」

 

それまで静かに周囲を警戒していた士郎さんが、低く、冷静な声でリリの言葉を引き継いだ。

リリは小さく頷く。

 

「はい。今の私たちの消耗具合で上を目指し、もし行き止まりだった場合、退路を断たれて生き埋めになります。......それなら、あえてこのまま下を目指し、十八階層の安全階層(セーフティポイント)へ逃げ込む方が、生存確率は遥かに高いはずです」

 

「下に降りるったって......」

 

「縦穴を利用します。下へ降りるだけなら、遥かに効率よく移動できるでしょう」

 

狂気の沙汰とも言えるリリの提案。

だが、その鋭い眼光は至って真剣だった。

サポーターとしての彼女が、この絶望的な状況から全員が生還する確率を計算し、僕たちへ告げる。

 

「......階層主はどうする?」

 

「階層主なら、遠征に行ったロキ・ファミリアが倒しているはずです。復活のインターバルを考えても、恐らくまだ間に合うでしょう」

 

手持ちのポーションはあと二つ。

上に戻れば生き埋めのリスク。

ならば、インターバルの隙を突いて安全階層へ駆け込む。

それが、リリの導き出した生き残るための方程式だった。

 

「もちろん、上を目指すのも選択肢の一つです。

最終的な決断は、リーダーであるベル様にお任せします」

 

そう言って、リリは真っ直ぐに僕を見つめた。

ヴェルフも、そして士郎も、静かに僕へ視線を注ぐ。

すべての責任が音もなくのしかかる。

 

「.....分かった。下へ行こう、みんな」

 

僕は全員の顔を見回し、覚悟を決めて頷いた。

方針は決まった。

一刻も早くここを離れるべく、僕とヴェルフが武器を握り直し、通路の先へと足を踏み出す。

 

 

 

その僕たちの背中を見送りながら、後衛を歩くリリは、すっと歩調を緩めて士郎の隣へと並んだ。

ベルたちの耳に届かない程度の、低く、張り詰めた声。

 

「──士郎様。出発する前に、サポーターとして一つ確認させてください」

 

「ん? どうした、リリ」

 

士郎はいつもと変わらない、どこか飄々とした様子で首を傾げる。

 

「とぼけないでください。ベル様たちは必死でしたから気づかなかったでしょうが、リリの目は誤魔化せません。あの大崩落です。天井が丸ごと崩れ落ちてくるような状況で、私たちがかすり傷一つなく生き残っている......そんな都合の良い『奇跡』が起きるはずがありません。士郎様、あなたが何かをしたんですよね?」

 

「......」

 

「それに、この数時間の戦闘......あえて遠距離戦を避けていましたね? これまでならリリたちの視界に入る前に片付けていたはずです。なのに、今はその双剣だけで立ち回っている。......まるで、一回分の魔力すら徹底的に惜しんでいるかのように」

 

リリの冷徹な指摘に、士郎は小さく苦笑いを浮かべ、ポリポリと頬を掻いた。

 

「本当にサポーターの観察眼ってのは恐ろしいな。......あぁ、その通りだ。隠すつもりはなかったんだが......」

 

「責めてはいません。下へ降りると決めた以上、リリは正確な戦力を把握しておきたいだけです。......本当のところ、あと何回確実に持たせられますか?」

 

士郎は歩みを止めず、前方を歩くベルたちの背中を見つめたまま、

いつも通りの、けれどどこか見透かしたような笑みをリリに向けた。

 

「──さっきみたいなのは、もってあと一回だ。

それ以外なら、まだなんとかなる」

 

「分かりました。ただ.....ここから先、あのレベルの精神力の消費は絶対に厳禁です。本当の本当に、全滅を避けるための最終手段として節約してください」

 

「わかった。大丈夫、その一回はここぞって時に必ず機能させてみせるさ」

 

深刻さを微塵も感じさせないトーンで、士郎は自分の残弾をリリに預けた。

リリは悔しそうに奥歯を噛み締め、それから前を行くベルたちの背中を強く見据える。

 

「確かにリリの計算に組み込みました。ここから先は、絶対にその一回を使わせないつもりで、リリが全員をコントロールしてみせます」

 

「ああ、頼りにしてる」

 

前線を行くベルたちは、後ろでそんな命懸けのやり取りが交わされていることなんて露知らず、暗闇の先へと進んでいく──。

 

***

 

──ダンジョン、十六階層。

 

十八階層を目指して歩き出して、およそ十時間程が経っただろうか。

 

いつの間にか、全員の口からは会話が消えていた。

暗がりの中で耳に届くのは、前を行くベルやヴェルフの荒くなった息遣いと、一歩進むごとに擦れ合う防具の軋み。

そして砂礫を踏み締める重い足音だけだ。

気の遠くなるような連続戦闘と移動は、確実に俺たちの体力を削り取っていた。

 

『──ヴォゥッ!!』

 

「──ッ!」

 

不意に、暗闇の奥から凶悪な咆哮が響く。

反射的に体が動いていた。

 

(.....っ、遠い!)

 

いつもより、余分に二歩。

そのわずかなラグが、生死の境を分ける。

 

黒い影──ヘルハウンドがその顎を開き、体内で圧縮された赤黒い炎を吐き出す方が、俺が踏み込むよりも一瞬だけ早かった。

 

視界が爆炎に染まる。

直撃を避ける猶予はなく、俺は腕を交差してその熱量を正面から受け止めるしかなかった。

 

「士郎──!?」

 

ベルの焦燥の混じった叫びが聞こえる。

巻き起こる爆煙と熱風の中、俺は奥歯を噛み締め、爆発の衝撃を殺しながら前へと突き抜けた。

 

「──、っ!」

 

『──ォ』

 

煙を切り裂き、一対の双剣を逆手に握り直してヘルハウンドの懐へと滑り込み、一閃。

魔石を砕かれたヘルハウンドが灰へと還っていく。

 

(......助かったな、本当に)

 

肌を焼く熱に顔を顰めながらも、俺は心底、この衣服の頑丈さに感謝していた。

ヘスティア・ファミリアが用意してくれたこの『サラマンダーウール』。

その高い耐火性能がなければ、今の一撃で俺の左腕は炭化していただろう。

この装備の有り難みが、文字通り骨身に染みる。

 

「士郎っ!平気っ!?」

 

「ああ、大丈夫だ」

 

駆け寄ってきたベルに短く返し、手のひらの煤を払った。

幸い、装備のお陰で大きなダメージはない。

踵を返し、歩みを進めようとした。

 

──その時だった。

俺たちが次のステップを踏み出すより早く、ダンジョンの硬い床が不気味に震え始めた。

 

ズ、ズズ......と、地響きのような重い足音が暗闇の奥から這い寄ってくる。

 

『──オォォォォォォォォォォッ!!』

 

通路を震わせたのは、先ほどのヘルハウンドとは比較にならない、圧倒的な質量を持った咆哮。

それも、一つや二つではない。

 

暗闇の奥から幾重にも重なって響くその猛りの声に、ベルたちの身体が目に見えて強張った。

巨躯に、牛の頭。

この階層における最悪の猛進──

 

「──っ、ミノタウロス!?」

 

迫り来る巨躯の群れを前に、俺は息を吐き、内に眠る魔術回路へと意識を向けた。

 

(──やるしかない、か)

 

残された切り札は、あと一回。

ここでそれを使えば、この先で本当に身動きが取れなくなる。

だが、ここで全滅しては元も子もない。

俺が双剣を強く握り直し、その引き金を引こうとした、まさにその時だった。

 

「──、──っ!」

 

白銀の髪が俺の視界を追い抜いていった。

躊躇いなく、ミノタウロスの群れへと真っ直ぐに突っ込んでいく小さな背中。

ベルだ。

 

「──────!!」

 

突撃の瞬間に放たれた雄叫びと共に、その身体が爆発的な加速を見せた。

一瞬。文字通り、一瞬だった。

先頭を走っていたミノタウロスがその巨躯を振り下ろすよりも早く、白銀の閃光がその懐へと潜り込む。

 

目にも留まらぬ速度で放たれた一閃。

ミノタウロスは何が起きたのかすら理解せぬまま、一瞬にして灰へと霧散した。

だが、ベルの動きはそこでは止まらない。

 

灰の霧が晴れるのと同時。

主を失って地面に落ちる寸前だった大斧へベルは迷わず手を伸ばした。

それを強引に掴み取ると同時、十六階層の闇の中に、鐘の音が響きだす。

 

──リン、リンと。

 

小さな鐘の音が、やがて大きく、そして強く響き出す。

その輝きが刃へと急速に収束していく。

たかが数秒。

されど、大斧は爆発的な熱量を帯び、怪物を討ち滅ぼす『一撃』へと昇華する──!

 

「──おおおおおおおおッ!!」

 

ベルは掴んだ大斧を大きく振りかぶり──残されたミノタウロスの群れに向かって、横一線に薙ぎ払った。

光が炸裂する。

閃光を纏った大斧の一撃。

それは、迫り来ていたミノタウロスの巨躯をまとめて一刀の下に切り伏せた。

 

──十秒足らずの圧倒的な蹂躙。

通路から光が消えていく。

そこには、ただ激しく肩を上下させているベルの背中だけが残されていた。

 

「はぁ、はぁ、はぁ......っ!」

 

ナイフを握る細い指先がかすかに震えている。

俺の限界を知ってか知らずか、ベルは飛び出した。

あいつだって、体力に余裕がある訳では無い。

けれど、俺が炎を浴びた姿を見て、直感で何かを察したのかもしれない。

あるいは、ただの意地か。

どちらにせよ、結果としてあいつのその一歩が、パーティの窮地を救った。

 

(助かったな.....本当に)

 

開きかけていた魔術回路をそっと閉じる。

まだ気を抜けるような状況ではない。

だが、ベルのおかげで確かに余力は残せた。

俺に残された投影は残り一度。

そして、その使い道は──

 

 

***

 

──ダンジョン、十七階層。

 

感覚が麻痺し始めた足を引きずるようにして、暗い通路を進む。

握り締めた双剣の柄は、滲んだ己の血と汗でべたついている。

 

前を歩くベルの背中は、もういつ倒れてもおかしくないほどに小さく揺れている。

ヴェルフの甲冑は返り血と傷で汚れ果て、リリの呼吸は掠れた喘鳴に変わっていた。

 

「──ここ、です」

 

リリが壁に手をつき、声を絞り出す。

 

「ここを降りれば、嘆きの大壁に着く.....はずです」

 

それは、十八階層へと繋がる最後の難所。

目的地はもう目前。だが、

 

「問題、は──」

 

嘆きの大壁──階層主が君臨する、呪われた大広間。

 

ロキ・ファミリアが打倒したあとのインターバル。

まだ、次の個体は産み落とされていないはず。

そう、祈るしかない。

 

もしも、万が一にでも『それ』がそこに居座っていたなら──

 

「──急ごう」

 

ベルの掠れた声に弾かれるようにして、俺たちは大広間へと滑り込んだ。

広い。天井が見えないほどに巨大な大空洞。

そしてそこには──

 

「──ふざ、けろっ!!」

 

 

 

 

 

『ゴアァァァァァァァッ!!!』

 

死が、そこに立っていた。

その巨躯が咆哮をあげるだけで、満身創痍のパーティの心がへし折れる音がした。

 

「あ.....あ......」

 

リリがその場にへたり込む。

自分がこのルートを選んだから。

自分のせいで、みんなを死なせる。

声にならない悔恨が彼女の小さな身体を震わせる。

 

ヴェルフの顔から血の気が引き、大剣を握る手が微かに泳いだ。

ベルの足が止まる。

数々の死線を潜り抜けてきたあの少年の赤い瞳。

それすらも、眼前の死を前にして光を失いかけていた。

 

十八階層への下り口までは、残り百メートル。

俊敏に勝るベル単体ならまだしも、足の止まったリリを抱え、全員がこの絶望の射程圏内を駆け抜けるには──今のボロボロの足なら、どう見積もっても十秒はかかる。

 

だが、あの巨人が拳を振り下ろすまでに一秒とかからない。

たった十秒の距離が永遠のように遠い。

全員の心が、諦めへと傾きかけた。

 

──ただ一人、衛宮士郎を除いて。

 

「──ベル、十秒だ」

 

「......え?」

 

「俺が時間を稼ぐ、その隙に走り抜けろ」

 

全員が諦めようが、世界が絶望に染まろうが、そんなものは知ったことか。

何のために、ここまでこの痛みを、この双剣を、意地汚く維持し続けてきたと思っている。

その最悪を覆すための、最後の一度だ。

 

「でも、それじゃ、士郎は──」

 

「俺もすぐに行く。だから──信じろ」

 

振り返りはしない。

 

その背中はすぐ目の前にあるはずなのに。

なぜか、途方もなく遠い場所にあるように見えた。

だが、自分が必ずこの場を凌ぎきると。

その背中が、言葉以上に雄弁に物語っていた。

 

「──っ、分かった! ヴェルフ、走って!!」

 

ベルの迷いが消える。

士郎の背中を信じて。

リリを抱え上げ、ヴェルフを促して地を蹴った。

限界を超えた少年たちの、命を燃やすようなスプリントが始まる。

 

同時に、それを見下ろす巨躯が動き出す。

侵入者を圧殺せんと、丸太のような豪腕が凄まじい質量を伴って振り下ろされる。

 

──ガギィィィィィィィッ!!!

 

それを、士郎が両手に握る双剣が正面から受け止め、強引に切り落とした。

火花が散り、衝撃波が大広間を揺らす。

階層主の常軌を逸した怪力は、これまでびくともしなかった双剣の刃にびっしりと致命的な亀裂を走らせる。

 

それでも、担い手の意志を代弁するかのように。

その双剣が砕け去ることはなかった。

残るはあと──八秒。

 

『──ゴ、アァァァァァッ!!!』

 

咆哮。

片腕を失った巨躯が、その自重と狂乱のままに倒れ込んでくる。

逃げ場のない圧倒的な質量による圧殺。

亀裂の入った双剣を投げ捨てる。

 

──倒す必要はない。

ただ、ベルたちが離脱するまでの時間を稼ぐ。

ならば必要なのは、敵を切り裂く刃ではなく、この圧倒的な質量をせき止めるだけの、更なる「質量」だ。

 

──ガチ、と。

脳の奥で、自身の魂の輪郭がひび割れるような音が響いた。

視界が真っ赤に染まる。

全身の毛穴から血が吹き出しそうになるほどの激痛。

思わず意識が消し飛びかける。

 

「──────あ、が」

 

それでも倒れずにいられるのは、命を燃やして走り続ける、少年たちの足音が聞こえているからだ。

彼らが残してくれた、一度の猶予。

ここで俺が耐えきれなければ、あの必死の激走がすべて無に帰す。

──だから、まだ折れるな。

 

「──、ウォォォッ!!」

 

気合いと共に、片手をゴライアスへと振りかぶる。

 

──ズゥゥゥゥゥンッ!!!

 

大広間全体が、これまでにない規模で激しく震動した。

士郎の目の前の床が爆裂し、そこから天をも衝くほどの巨大な剣が出現する。

 

それは、あまりにも巨大すぎた。

刃というよりは、もはやそびえ立つ神殿の柱。

 

倒れ込んできたゴライアスの巨躯を、その圧倒的な質量で下から強引に受け止め、完全にその場に縫い留める。

 

名を──虚・千山切り拓く翠の地平(イガリマ)。

神造兵装。

その中身をすべて削ぎ落とし、ただ敵を圧殺するためだけに顕現させた、文字通りハリボテの剣だった。

 

──残るはあと、七秒。

 

「──────っ、は」

 

ゴライアスを縫い留めたその一瞬の隙に、地面を蹴った。

脳が焼け付くような痛みに耐えながら、ベルたちの後を追って全力で駆け出す。

六秒。五秒。四秒。

 

必死に足を動かす。

背後からは、巨剣に押しつぶされそうになりながらも藻掻く階層主の地鳴りのような怨嗟の声が響いていた。

 

三秒。

あと少し。

出口の光が、ベルたちの背中がすぐそこに見える。

だが──五秒が経過したその瞬間、限界が訪れた。

 

『オ、オオオオオオオオオオオオアァァァァァァァッッッ!!!』

 

──残るはあと、二秒。

ハリボテの神剣が、ゴライアスの常軌を逸した怪力によって、力任せに押し退けられる。

完全に動きを止めていたはずの巨躯が、狂乱の咆哮とともに、再びその凶刃を振り上げ始めた。

 

限界など、とうに通り過ぎた。

二発目など、どこをひっくり返したって出てこない。

俺の魔術回路はすでに空っぽだ。

これ以上の投影など、机上の空論にすらなり得ない──。

 

──知ったことか。

脳が焼き切れようが、魂が擦り切れようが、あの少年たちの未来をここで閉ざさせるわけにはいかない。

 

「─────あ、──ァァァァア!」

 

振り返りざま、残るもう片方の手を限界を超えて引き絞り──振りかざす。

 

──ゴガァァァァァァァァンッッッ!!!

 

イガリマが地平を切り裂いたのならば、その剣は水平を灼き祓った。

ダンジョンの床をさらに爆裂させて突き上がったのは、燃え盛るような灼熱の質量。

 

名を──絶・万海灼き祓う暁の水平(シュルシャガナ)。

並び立つ二条の神造兵装。

その圧倒的な質量が、今度こそゴライアスの巨躯を左右から完全に挟み込み、その最後の追跡を完璧に、容赦なく押し留めた。

 

残るはあと──一秒。

コンマ数秒の隙に、残ったすべての力を両足に込めた。

魔術回路は完全に沈黙し、視界は白く霞み始めている。

自分が今、どんな体勢で走っているのかすら分からない。

それでもただ、前へ。

 

境界を越え、ただ前方へと身体を投げ出す。

視界が急激にスローモーションへと変わっていく。

迫り来る、奈落の底へと落ちていくような感覚。

その最中、伸ばした右手に確かな熱が触れた。

 

──ああ、間に合った。

落ちていく浮遊感の中で、胸に確かな安堵が落ちていく。

それと同時に、限界をとうに迎えていた意識の糸が、ぷつりと音を立てて途切れた。




ダンまち世界の単位を原作に合わせるか悩んでます。
士郎の描写ではm、その他ではM(メドル)など使い分けようかとも思いますが、かなりの手間なので。

作者は士郎の強さを大体Lv+2位で想定してます
ですが、それはあくまで技量で差を埋めているだけで身体的な能力はLv相応って感じです(多分精神だけなら誰にも負けないでしょうけど)

毎度のことながら、評価・感想・お気に入りありがとうございます
次回、「迷宮の楽園」です
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