折れた剣と時に置き去りにされた化生   作:ヒフミくろねこ

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終章

 

 

4月25日 関西呪術協会一室

 

 意識の浮上、それはゆっくりと覚醒していくのではなく、まるで引き摺り上げられるような目覚め。

 視界が開けた時、上手く焦点が合わなくて、目に入る景色に違和感を感じた。

 世界が変わったかの様な違和感。今視界に映る全てが死後の世界なのかと思わせるほどに。

 

「……俺は、どうした?」

 

 気を失うのとは違う。確かに深く意識が消えていったはずだ。

 それはもう戻れないと、戻る事の出来る領域よりも確かに深く死線を踏み越えていたはずなのに、何故?

 

 考えれば考えるほどに際限なく疑問が浮かび上がってくる。それなのに欲しい答えは手に入らなくて、ただ結論だけがそこにあった。

 

「……生きている?」

 

 自分は生きている。それを認めた瞬間に浮かんだ感情は、少しの寂しさと少しの嬉しさ。

 

「そうか、生きているのか」

 

 一度だけ瞳を閉じて、もう一度開く。その顔には微かな笑み。

 生きているという実感、生き残ってしまったとは違う実感。

 

「俺は――」

 

 やっぱり少しだけの寂しさはある。でも確かに喜びが士郎の心にあった。

 士郎はゆっくりと瞳を閉じる。

 

 まぶたの裏に見えたのは少しだけ胸をそらせて、偉そうにしながらも満面の笑みのイリヤ。

 それでいいんだよって言っている様な、そんな幻想。

 

 士郎は瞳を開けて、現実へと戻る。

 そこに広がる天井。士郎は今更ながらに視界を移そうとし、視界の端に見えたのは若々しい緑の髪。

 

「士郎さん!」

 

「茶々、丸?」

 

 声に反応して視線を向けた先にいたのは茶々丸。泣きそうで、嬉しそうで、士郎が見た中で一番感情に溢れた表情の茶々丸がそこにいた。

 

「マスター、マスター! 士郎さんが目を覚ましました!」

 

「…………ッ」

 

 返答は無かった。士郎に分かったのは揺れた感情の波だけ。

 

 士郎はこの瞬間思い出した。真っ先に思い出さなければならなかった絵、意識が途切れる瞬間に焼き付いた絵を。

 それは迷子の子供の様に、今にも泣き出しそうなエヴァの幼い顔。

 

「マスター?」

 

 怪訝そうな茶々丸の言葉。

 士郎は茶々丸が向ける方向へゆっくりと首を傾け、エヴァを探した。

 

 無くしたく無かった人。ただその人の顔を見る為に。

 

 士郎は見た。

 

 和装の室内、その部屋の片隅で、子供姿のエヴァが膝を抱えながら怯える様に自分を覗き見ているその様を。

 

 士郎の顔が歪む。

 

 笑わせなければならない。何を置いてもその憂いを除かなければならない。

 それもまたイリヤとの約束の一つ。

 

 だから動かない体に鞭を打つ。許せなかったから。そんな顔にさせてしまった自分に。

 

「くっ!」

 

「士郎、無理するな!」

 

 無理やり体を起こそうとする士郎に、エヴァは慌てて近寄り体を支え、そっと布団に押し戻した。

 

「貴様、まだ体が馴染んでないんだぞ! だから、今は、頼む、そのままでいてくれ……」

 

 士郎はエヴァの意味する言葉が今一理解できなかったが、それでもエヴァの懇願に体から力を抜いて再び布団に横になった。

 

「…………」

 

「…………」

 

 言葉を交わさずにただ見つめ合うが、視線を先に外したのはエヴァ。

 俯いたまま、唸る様に声を吐き出す。

 

「士郎、貴様どうして私なんかを庇った」

 

「どうしてって……俺は守りたかった。ただそれだ」

 

「馬鹿を言うな! 貴様は死に掛けたのだぞ!?」

 

「俺は何度だって同じ事をする。守れるというなら同じ事を何度でも」

 

「だから馬鹿だというのだ! 不死の化け物である私なんかを庇う必要など、何処にある!」

 

「そんなのは知らない。俺が守りたいから守る。ただそれだけだ」

 

「貴様はっ! 貴様というやつは――」

 

 拳を握り締め、激昂に顔を染めた。

 でもそれも数秒だけ。

 

 視線を落として俯く、そして前髪で隠れる顔。

 士郎にはその小さい体がさらに小さく見えた。

 

「エヴァ」

 

 そっと布団から手を、震えたままエヴァへと伸ばす。

 士郎にはエヴァの感情が分からなかった。でも手を伸ばさずにはいられなかった。

 

 エヴァがその小さな両手で士郎の手を掴む。

 エヴァは頭を振った。

 

「……違う、違うのだ。私が言いたいのはこんな事ではない。……すまん、貴様をこんなにしたのは全て私のエゴなのに」

 

 士郎にはエヴァの謝罪の意味が分からなかった。それでも士郎には言わなければならない。

 

「別に謝られる事なんて何一つ無い。エヴァを庇って傷を負ったのは俺の所為で、エヴァの所為なんかじゃない。それに今俺がこうしていられるのはエヴァのお陰なんだろ?」

 

 士郎は分かっている。もしあのままでいたら助からなかったと。

 鞘の加護をもってしても生還できるはず無かったのに、それでも今こうして生きている。それはきっとエヴァが何かをしてくれたから。

 

 エヴァも士郎の言いたい事は分かる。分かるからこそ怯えて、縋る様に耐えるように士郎の手を強く握るしかなかった。

 

「私は感謝される事など……これは私の罪なのだから」

 

「罪?」

 

「貴様には言わなければならない事がある」

 

 前髪を揺らし、エヴァは顔を上げた。

 

「衛宮士郎、貴様は死んだ。私によって殺されたのだ」

 

「え?」

 

 士郎には今エヴァの口から出た言葉の意味が理解できなかった。

 

 今、自分はこうしてエヴァと言葉を交している。

 心臓の鼓動、流れる血脈、温もりを感じる体温。

 それは生をもたらす物のはず、なのに。

 

 だから士郎は当たり前の様に反論した。

 

「エヴァが、俺を? だけど俺は今こうして――」

 

 士郎は口を塞ぐ。

 悲痛がそこにあった。

 

「……いや貴様は死んだのだ、士郎。貴様は、もう人間ではない。私と同じ、真祖の吸血鬼という最上級の化け物さ」

 

「……俺が、吸血鬼に?」

 

「そうだ。私が貴様を化け物に変えた。それは虚偽でもなんでもなく、純然たる事実だ」

 

「…………」

 

 ただ、淡々としたエヴァの肯定。

 だからなのか、その事実が胸にストンと入り込んで、士郎はそれが真実であるのだと認識した。

 

「……吸血鬼、か」

 

 士郎の知る吸血鬼――死徒は自己保存の為に他者の遺伝情報を得なければならない。吸血を行ったり、他者を捕食。それに何より享楽的に生きる存在だ。

 衛宮士郎という存在は、他者を食い物にして生きる者とは正しく対極に生きる存在。だからこそ、自身の身を死徒という存在に堕とす事は何よりも許せない。

 

 でも――。

 

「士郎、貴様は私に何を望む?」

 

「望、み?」

 

「私は貴様に何をされようと許容しなければならない。私が、過去そうしたように」

 

 そのエヴァの言葉を聞いて、士郎は唐突に理解した。

 自分の存在を事も無く化け物と言い切ったエヴァの言葉。それは断罪を待つ罪人の様だと。

 

「さぁ言え、士郎」

 

 悲痛なまでのエヴァの覚悟。

 

 けれど、士郎にはそれを受け入れようという意志は浮かび上がる事は無く、その代わりに浮かんだのは一つの疑問。

 

「……なぁエヴァ、どうして俺にそこまでしてくれるんだ?」

 

 それは士郎が常々思っていた事。

 エヴァからの好意、それは士郎にとってとても得難い感情だった。

 

 世界全てから拒絶されたかのような今までの周囲。

 この世界でエヴァとは屈託無く言葉を、感情を交しあった。

 エヴァという存在を何よりも大切な存在と思えるほどに。

 

 だからこそ士郎は知りたかった。

 

「――どうしてだと、そんなのは決まっている」

 

 気弱だったエヴァの瞳に、強い感情の色が浮かび上がった。

 

「士郎、貴様は私と共に居てくれると言ってくれた。その一言が私にとってどれだけ嬉しかったか貴様には分からないだろう」

 

「…………」

 

 士郎の手を握る力が強まる。それはエヴァが溜め込んでいた物の大きさを示すかのように。

 

「異端異端異端、どこへ行っても私には居場所なぞ無かった。貴様の一言で、貴様の心で、私の居場所、それが出来た気がしたのだ。

 私という化生を受け入れる事のできる者は、居なくは無いかもしれん。だが、だがな、その者の周囲の者まで私を受け入れるとは限らないのだ。

 だが貴様は違う。この世界に投げ出され、誰との繋がりを得ぬまま、私に拾われた。貴様の記憶を覗き、私を殊更拒絶しようとする思想を持つ者ではない事は分かっていた。だから私は打算を持って、貴様を受け入れた。……もし、貴様が私の呪いを解く術を持たなかったとしても、私は貴様を引き止めていただろう。

 そして貴様は私という存在を肯定してくれた。それだけではない、一緒に、共に居てくれると――」

 

 歩んできた過去を思い出す様にエヴァは眉を顰めながら、吐き出すように言葉を語る。

 

「そんな馬鹿者は、この長い時を生きてきて貴様ただ一人だ! 貴様が、私を通して別の者を見ていようとかまわない。私はいまさら貴様を手放す事はできんっ! いまさら一人で生きなければならんと言うなら、それならいっそ――」

 

「俺は……」

 

「何も言うな! 何も言ってくれるな、士郎……」

 

「…………」

 

 士郎の手を抱いて俯くエヴァ。士郎はどうすればいいか分からなかった。

 士郎がエヴァを通して確かに他の人間を、今ではもう居ない一番大切だった人、イリヤを見た事は確かだ。それでも、出会った時からエヴァを通してイリヤの事を見続けていた訳ではない。

 

 ――幸せになっていいんだよ?

 

 それはイリヤが亡くなる前に漏らした言葉。

 イリヤの死に士郎は耐える事が出来なかった。

 その願いに報いる事すら忘れて、走り続けて、結局折れた剣にしかならなかった。

 

 そんな士郎だったのに、その先が見えるような気がした。

 倒れる前に思ったのは、もしエヴァと一緒なら、という想い。

 ……なら答えなんて決まっているだろう。

 

「貴様には、私を殺す権利がある。貴様には私を殺せる術があるだろう? 貴様が望むというのなら、私は――」

 

「しないよ」

 

「っ!」

 

 ありえない物を見るかのようなエヴァの呆然とした表情。そんな表情に士郎は苦笑いを浮かべた。

 

 士郎には確かに不死者を殺す術を持っている。

 それは自然治癒以外を否定する概念武装。不死と呼ばれる者に対する最大の鬼札。

 それをエヴァに向ける? そんな事はありえない。

 

「だが私は貴様を化け物に変えた! 私はなっ! 私を化け物に変えたヤツを、憎しみを持って殺したのだぞ! だからっ、だからっ――」

 

 声にならない嗚咽、慟哭を漏らし、エヴァは士郎の手を抱きしめ感情に任せるままに涙を流した。

 けれど、そんなエヴァを見上げている士郎の心はどこか穏やかだった。

 

 士郎は空いている片腕をゆっくりと上げて、エヴァの頬から目元を撫でる。そしてそのまま中指を突き立てて、エヴァの額を軽く小突いた。

 

「!?」

 

 唐突な士郎の行動。エヴァは目を白黒させて驚くが、視線を落とした先、薄く目を細めて優しげな士郎の感情がそこにあった。

 

「なぁ、エヴァ」

 

「…………」

 

 シュンと落ち込むエヴァに士郎は囁く様に言葉を紡ぐ。

 

「俺の知っているエヴァはそんなんじゃない」

 

 士郎はこの世界に落ちて、ずっとエヴァを見てきた。

 

「俺の知っているエヴァは、さ。傍若無人で、唯我独尊で、歳長く生きる韜晦さを持っているのに、見た目相応の無邪気さも持ち合わせている、そんな女の子。だからさ、そんなしおらしいと俺はどうすればいいか分からなくなる」

 

 士郎は言葉とは裏腹に困った様子を見せず、詠う様に言葉を続けた。

 

「それにさ、俺が吸血鬼になったって言うけど、こっちの吸血鬼は他者を食い物にしないと生きていけない訳じゃないだろ? だったら俺の言う事は一つだけだよ」

 

「…………」

 

 エヴァは士郎の言葉を聞く為に俯いていた顔を上げて、士郎の瞳を覗き込もうとする。

 恐る恐る視線を向けた先には優しさがあった。

 

「助けてくれてありがとう、だ」

 

「――――ッ」

 

 瞬間、エヴァの心に極彩色の感情が溢れた。

 どんな酷い言葉でも受け入れる気で居たのに、投げかけられたのは万感の想いが篭った優しい、優しい、救いの言葉。

 

「あ、ああ、私は、私はっ!」

 

 エヴァは自分の止めど無く溢れ出る感情に翻弄されて、戸惑い、困惑して、それでも何か言わなくてはならないと口を開くが、形にはなって出てはくれなかった。

 

 士郎はそんなエヴァの手を握り、優しく受け止める。

 

「俺はさ、エヴァの言ったような人間じゃないよ。……理想に敗れて、ただ磨耗して、折れてしまった剣でしかない。それでもさ、こんな俺が必要だっていうなら、俺はずっとエヴァと一緒に居るよ」

 

 エヴァの事を好きか嫌いかと問われれば、士郎は好きと答える。愛だの恋だのなんて分からない。それでもエヴァはとても大切な人である事は確か。

 

「親父に捨てられたと思い込んで、ずっと寂しい思いをさせてきたイリヤ。俺は聖杯戦争でイリヤを受け入れたのに、結局俺は自分の理想の為にイリヤを切り捨てて、イリヤを救う事が出来なかった。もしかしたらエヴァを受け入れる事は、その代償行為なのかもしれない。……でも、でもさ俺はエヴァをちゃんと見ているから」

 

 イリヤとの約束の一つ。それは何を置いても大切な人を笑わせるっていう事。

 ならここで約束を果たさなければならない。

 例え、その約束が無くても、エヴァには笑っていて欲しい。

 それは今の士郎の願いでもあるから。

 

「それに……そこまでエヴァが俺を必要としてくれるって事が、さ。俺には嬉しいよ」

 

 人は繋がり無くしては生きられない。一人では生きられない。

 たった一人で生きる生物、それはもう人とは呼べない。それはもう違う何かなのだろう。

 

 常に戦場に一人だった理想を掲げた折れた剣。自他とも認めた最上級の化け物が人となり、人として心を重ねた瞬間だった。

 

「今日のエヴァは、泣いてばかりだな」

 

「……うるさい、貴様の所為だ」

 

 拗ねた様に口を尖らせるエヴァに士郎は笑みを漏らす。少しだけエヴァがいつもの調子を取り戻した様で士郎は嬉しかった。

 

「私は、ずっとずっと寂しかった……」

 

「そっか」

 

「ああ、そうだったのだ」

 

 エヴァは今だからこそ、素直に認められて、素直に言葉に出来る。

 それも今となってはもう過去の事。

 だから、今はもう、寂しくは無いと胸を張れる。

 

「士郎」

 

「ん?」

 

「私も貴様に心からの言葉を送ろう」

 

 一言の言葉、たったそれだけのことなのに全てを吹き飛ばしてくれた。

 だからエヴァも万感の想いを込めて言おう。

 

「士郎、生きていてくれて、ありがとう」

 

「――――」

 

 生命賛美。

 それは純粋で、無垢なる願い。

 

 士郎の原点、あの黒い太陽の下でただ一人生き残ってしまった■■士郎の原罪。

 

 過去に同じようなことを言われたかもしれない。でもあの頃はまだ子供だった。

 理想を掲げながら、現実というものを知った。それがどれだけ大変な事かも。

 

 現実は辛くて、きつくて、でも嘆く暇なんて無かった。嘆く暇があるならと行動を優先する。

 その原罪があるからこそ、士郎にとって自身の命は無為に無くす事が出来ない。だが誰かの為にならば平気で対価とする程度の価値でしかなくて。

 

 それなのに幾多の戦場を駆けて、ただ一人生き残ってしまうのが常だった。

 それなのに救う為に死地に飛び込み、一人生き残ってしまう結末。

 

 死んでしまった人間の身内は口を揃えて言う。

 

 どうしてあなただけ生き残った、と。

 

 そう、自分だけ生き残ってしまう。

 止む事無く突きつけられる現実が、どれだけ士郎を蝕んだのか。

 

 ――だがエヴァの言葉は確実に士郎の全てを、根底を揺さぶった。

 

 100年もすれば知っている人間なんて全て居なくなる。それを当たり前の様に甘受しなければならないエヴァだからこそ。

 今まで士郎が囚われてきた原罪を許す。それが士郎にとってどれだけの意味を含むものか。

 

 自身の救いなんて求めなかった士郎にとって、それは正しく差し伸ばされた救いの手。

 

「俺は……」

 

 士郎は逡巡する。

 例え今受け入れたとしても、これから先も変わる事無くずっと同じかもしれないと。

 

 でも――。

 

「士郎、迷うな。ここがきっと分かれ道だ」

 

 エヴァが微笑む。

 全てを受け入れろ、まるでそう言っているかの様で。

 

「…………」

 

 エヴァだったら、自分を殴り倒してでも自分を正してくれるのだろうか?

 たとえどんな困難でも、どんな強敵でも高笑いを浮かべたまま全てをぶち壊していくエヴァ。

 自分はきっとその側で、すこし困った顔をしながらも付き従っているんだろうなと。

 

 それは容易く思い浮かぶ事が出来て――。

 

「士郎、貴様は私と一緒に居るのだろう?」

 

「ああ、無論」

 

 それは間髪要れずに頷けた。

 

 そこで気づけた。

 ようやく気づけた。

 

「俺は――」

 

 なんて間抜け。答えなんて最初から決まっていたんだ。

 

 エヴァはそんな士郎を見て嬉しそうに、不敵に鼻を鳴らして笑った。

 それが意味する事はたった一つなのだから。

 

 単純な答え。

 きっとそれが一番大事で、大切だからこそ一番上になった。

 

 ずっとずっと難しく考えてきて、目の前のものも見えなくて、でも漸く見えた。

 

 ――ばいばいシロウ。

 

「あ……」

 

 はらりと、士郎の頬を涙が伝って落ちた。

 それはきっと決別。

 

 イリヤが命を賭した意味が分かった。理解出来た。出来てしまった。

 ずっと守っていてくれたんだ。

 切欠を与えてくれたんだ。

 

「……イリヤ、俺は」

 

 止まる事無く、涙が溢れ出てきた。

 いくら感謝をしても、し足りない。

 

 今まで溜めてきた物を吐き出すように。

 それは溶けて、きっと別な物になって心を包み込んで行く。

 

 今の士郎は衛宮士郎であって、きっと別な一歩を踏み出した衛宮士郎だ。

 

「――――ッ」

 

 士郎は声を殺して泣いた。

 それをエヴァはただ在るがままに受け止めて、静かに寄り添っていた。

 

 どれだけ二人はそうしていただろう。

 

 気を回したのか、いつの間にか茶々丸は居なくなっていて、部屋にはエヴァと士郎の二人っきりになっていた。

 

「士郎」

 

 エヴァは士郎の名を呼んで、そっと目元を拭った。

 どこか慈愛を含んだエヴァの笑みに士郎はバツが悪そうにそっぽを向いた。

 

「……ごめんエヴァ、みっともないところを見せちゃって」

 

「気にするな、それは私も一緒だ」

 

 視線を外しながらも頬を赤らめる士郎を見て、エヴァは優しく士郎の髪を撫でた。

 

「まったく……」

 

「ん?」

 

 苦笑いを浮かべたまま口を開いてやめたエヴァ。

 ふと気になったのか、士郎はエヴァが飲み込んだ言葉の先を促した。

 

「……神なんて信じない、運命なんて、宿命なんてクソくらえだ。だが、貴様と出会った“何か”に私は感謝しようと思ってな」

 

「“何か”か……」

 

「“何か”だ」

 

 お互いにふっと笑みを漏らし、くすくすと笑い合う。

 ひとしきり笑って、エヴァはもう一度だけ士郎の髪を撫でる。

 

「世界も、生き方も違ったのに私と貴様は似ている。きっとお似合いさ」

 

「そう、かもな」

 

「はっきりと断定しろ、この馬鹿者」

 

 不機嫌そうに頬を膨らませて不満がるエヴァに、士郎はごめんと苦笑いを浮かべてはっきりと頷いた。

 

 それでも不満げに士郎の頬やら、髪やらを弄っていたエヴァだったが、ふと口を開く。

 

「士郎、体は大丈夫か?」

 

「体が上手く動かないのと、若干だるい。外傷は分からないが、痛みとかは無い」

 

「そのダルさは今が日中だからだろう。まぁ、それも一月もすれば無くなるだろう。体が動かないのは、まだ完全に定着しきれてないのかもしれん。しかし、この状態は困ったな……」

 

 私の時と違って、無理やり変異させたからな、と。

 

 大丈夫だとか阿呆な事を言っている士郎を無視して、エヴァはふと思案にふける。

 もう一度促してやれば問題なく動けるはずだ。

 自己再生はこちらの魔法の使い方を知らない士郎に、それは酷か。

 なら、内側から干渉してやれば――。

 

 自分のエゴと、エヴァは思考を閉じようとしたが、自分だけでぐだぐだ言うより士郎に委ねようと。

 

「日本には守り刀というものがある」

 

「エヴァ?」

 

 唐突な話の転換に士郎は首を捻る。

 

「貴様、私の守り刀にならんか?」

 

 それは、従者にならないかと。

 

 エヴァはそう言って、この世界における魔法的な繋がりを持った主従の関係を説明する。

 詠唱中の主人を守る従者という存在。

 

 でもエヴァが求めるのはそんなものではない。

 心を守り、守り合う関係。

 そして、主と僕という関係ではなく、対等な存在として迎え入れようと。

 

 自分で提案して、守り刀という言葉は士郎にとっても深い意味であることに気づいた。

 なら思った事を言おうと、自身の願いを込めてエヴァは口を開く。

 

「折れたというなら、残った刃を研ぎ直せ。全てを救うという理想を掲げた剣が折れたというなら、その欠片を、残った刃で新しく意味を見出せ。貴様を私の守り刀にする。貴様が生きるというなら、果てのない時を過ごす事になる。私の元で無銘の剣に新しく名を刻め」

 

「エヴァの守り刀か」

 

「嫌か?」

 

「そんな事ない」

 

「なら決まりだな」

 

 エヴァは間髪入れずに、二人を中心に魔法陣を展開させる。

 

「ふふん、頷いたのだからな。もう私は貴様を逃がさないぞ。もし逃げ出したとして何処に居ようが、何をしていようが強制的に召喚してやる」

 

「逃げないさ」

 

「逃がさんがな」

 

 軽口を言い合う間に、契約の為の魔法陣が完全に展開された。

 魔法陣から漏れ出た光がエヴァと士郎を包む。

 

「エヴァ、幸せってなんだろうな」

 

「……わからん。だが貴様といれるなら、それがわかるのかもしれん」

 

「俺も、エヴァとならって思う」

 

 エヴァはそっと瞳を閉じて唇を落とす。

 

 ここに契約を。

 形骸化してしまった“契約”とは違う。己の従者という“契約”ともまた違う。

 他人を己に近づける原初の契約。

 

 光の収束と共に契約は成った。

 

 エヴァはすぐさま魔力を送るように内側から干渉し、士郎の不活性だった真祖の吸血鬼としての能力を全開に。

 

 士郎は確かに把握した。

 自身が完全に人間をやめてしまったという事に。

 

 でもそこに後悔なんて無かった。

 それは最上の化け物ではなく、エヴァと同じ存在になったという事。

 永劫に共に居られるようになったという事。

 

 だから願う事は一つだけ。

 それは――――。

 

「士郎、私の腕を取れ。そんな千鳥足では逆に心配になるぞ」

 

「あ、ああ、すまん」

 

「何、気にするな。さすがにまだ、日差しはきついか?」

 

「だな」

 

 大人姿のエヴァはゆっくりと差し出した士郎の腕を抱え、その体を支えるように体を密着させる。無言で歩くエヴァは、どこか上機嫌だった。

 

 ナギ・スプリングフィールドの別荘の鍵を近衛詠春に渡し、全快した士郎と顔を覗かせる程度のつもりで出向いていた。

 ネギたちは一足先にナギの別荘に足を踏み入れていたが、二人はゆったりと近づくだけ。一時その場で生活をしていたのだ。今更中に入っても特に何も思うものは無い。

 

 ふと、くっくっくと喉を殺して笑い出したエヴァに、士郎はきょとんとして小首を傾げる。

 

「エヴァ?」

 

「いや、何。大人の姿になれた利点は美人に見られるだけでは無かったなと思ってな」

 

「他に何かあるのか?」

 

「こうして貴様の体を支える事ができる。私はそれが何よりも嬉しい」

 

「…………」

 

 後ろに付いてきているチャチャゼロが、これ見よがしに肩を落として溜息をついたが、無論黙殺する。

 

 建物の中に入る気は無いエヴァは、士郎と木陰になっているベンチに腰を下ろし、遠めにナギの別荘を眺める。

 茶々丸は少し離れた場所に腰掛け、チャチャゼロはふらりと何処かへ。

 

「しかし、何だな」

 

「ん?」

 

「貴様が来てから、二週間、三週間経ってないのか……」

 

「色々あったなぁ」

 

「そんな簡単な言葉で片付けるな。私なぞ無駄に長く生きているからな、ここ数日の濃さは異常だったぞ?」

 

「俺も似たようなものだった、さ」

 

 なんとなく、会話が止まるが、それでも重い空気になるはずも無く、二人はまったりと景色を眺める。

 風が草木を揺らし、スズメの鳴き声。

 

 どれだけそうしていただろうか。

 ふと、影が近づいて来たのに気づいて視線を上げると、そこにはネギが立っていた。

 

「エヴァンジェリンさん、今回は助けていただいて本当にありがとうございました」

 

「礼を言われることなど無い、これが私の仕事だ」

 

 話は終わった。とっとと居なくなれと雰囲気で示すが、ネギはエヴァの反応に戸惑いつつ口を開いた。

 

「長さんから聞いたのですけど……」

 

「ん? なんだ詠春から何か聞いたのか?」

 

「あ、はい、エヴァンジェリンさんは父さんの事を調べようとしていたんですよね?」

 

「まぁ、そうだな」

 

 エヴァはネギの言葉にあまり興味なさそうに言葉を返す。今更だと。

 だけど、次の瞬間ネギからの一言で固まった。

 

「父さんは生きてるんです」

 

「は?」

 

「僕、父さんと会ったことがあるんです」

 

「おい、貴様! それはどういう事だ!」

 

 跳ぶ様に立ち上がると、エヴァは勢い任せにネギの襟首を掴みあげてそのまま宙へと。

 

「エ、エヴァンジェリンさん。は、放して下さい」

 

「私が聞いているんだ! とっとと言えッ!」

 

「で、ですから、父さんは生きてるんです!」

 

「なん、だと……」

 

 ネギから手を放して呆然とするエヴァ。

 

「良かったじゃないか、エヴァ」

 

「あーあー。士郎、貴様ちょっと黙ってろ」

 

 何で貴様がそんな事言うかなと、エヴァは振り返って不機嫌に言い放った。

 

 エヴァがネギを締め上げて聞き出した事によると。

 六年前、当時ネギが住んでいた村が魔族に襲われて壊滅した時、ナギ・スプリングフィールドによって助けられたと。

 

 その証拠にと、その時受け取った自身の杖をエヴァへと見せた。それは確かに見覚えのある、ナギの杖。

 

「そう、か……」

 

 ネギの言葉を聞き終えたエヴァは、自身が思ったより平常心を保てていた。

 ナギ・スプリングフィールドの生存の可能性を聞いて、確かにエヴァの心は波打った。

 でもそれだけだった。

 

 死んだ者には届かない、それがどんなものであれ。

 

 だが、ネギの言葉を聞いてエヴァは自分の心情をはっきりと確かめる事が出来た。

 衛宮士郎とナギ・スプリングフィールド、その天秤。

 

「エヴァンジェリンさん?」

 

 今まで喚いていたのが嘘の様に止まり、ネギは心配そうにエヴァの顔を覗き込もうとする。

 

「……フ、フフ、フフフフフ」

 

 地の底から響く様な不気味な笑い。

 前髪に隠れて表情の見えないのがまた不気味。

 

「エ、エヴァンジェリンさん?」

 

 ネギは怖気づいて一歩二歩と後退する。

 にゅっと二本の白い腕が伸びて、再び襟首を掴んで引き寄せる。

 

「もし見つけたら首に縄をつけて私の前に持って来い! ボコボコにしてから簀巻きにして川に流してやるっ!」

 

 あわわわわと、泡を食って半泣きのネギ。

 エヴァは不敵に笑って手を放すと、もう話は終わりだとネギを放り出した。

 

「良かったのか?」

 

「今更さ。まぁ、見つけたら確実に一発は殴るがな」

 

「ほどほどに、な」

 

「嫌だ」

 

 苦笑いを浮かべる士郎と、どこか拗ねた感じのエヴァ。

 

 士郎は腰掛けながら空を見上げる。雲一つ無い晴天を。

 エヴァも同じように空を見上げていた。

 

「士郎、帰ろうか」

 

 ポツリと漏れた、エヴァの一言。

 視線を下げるとそこには笑みを浮かべたエヴァがいる。

 無言で一礼する茶々丸も、ケケケと笑うチャチャゼロも。

 

「麻帆良の、私たちの家へとな」

 

 吸血鬼となった二人には不釣合いな天気だったが。

 日の光の下を歩く吸血鬼ならそれもまた一興かと。

 

 理想を掲げ折れてしまった剣は新たな意味と、新たな銘を刻み。

 時という誰も抗えない絶対なるものの埒外に置かれた化生はここに伴侶を得た。

 

 暴虐も、理想も関係ない。

 ただ、世界を楽しもうと。

 幸せという、誰もが望むものの為。

 世界が終わる、その時まで。

 

 何人たりともその行く先を妨げる事は出来ない。

 

 士郎はそっと立ち上がり、

 

「ずっと一緒だな」

 

「無論だ」

 

 待っていたエヴァの手を握った。

 




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読んでくださった方、声を残してくださった方に感謝します。
最後までお付き合いいただき、本当にありがとうございました。
それでは、『正義の味方と悪い魔法使い』でまたお会いしましょう。
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