いきてきたるIF   作:かに3

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 焦凍からの緊急通報が入った瞬間、部屋でゴロゴロしていた俺は文字通り飛び上がった。

 え、本当に使われると思ってなかった! どんな変質者だ!? 俺で勝てるやつか!? 学校で配られている通信機は、最近の治安の悪化を受けて“何か”があった時にすぐ家族へ繋がるよう設計されている代物で、首から下げた紐を引っ張るだけで即通話が入る。防犯ベルレベル100みたいなものだ。こういうのが必要になるくらいの治安って最悪過ぎないか?

 慌てて返事をした瞬間、耳をつんざく勢いで焦凍の声が飛び込んできた。

 

『燈矢にい居た!』

 

 思考が全部吹き飛んだ。「でかした焦凍!! 逃がすな捕まえてろ! 火には気をつけろよ、今行くからな!!」叫びながらアプリを見る。場所も自動で表示されている。ちらっと見ただけでわかる。家の裏だ。……家の裏!? な~~んだこの無駄にクソでけえ家はよ!!! 裏でも遠いんだよ!! 馬鹿みたいに無駄に高い塀で囲みやがって、要塞か!? なんでこの規模で裏門がないんですかねえ!?! 全力疾走で庭を突っ切りながら叫ぶ。

 

「焦凍ー! いるかー!」

 

 塀の向こうから返ってきたのは、切羽詰まった悲鳴でも泣き声でもなく、いつも通りの妙に落ち着いた声だった。

「いる」

 焦凍くん、頼む。お兄ちゃんのテンションに合わせてくれ。突然落ち着くなビックリしちゃうだろ。焦凍の標準動作にテンションが引っ張られないように、塀に向かって声を張り上げた。

 

「兄ちゃん今行くからな! ちょっと離れてろよ!」

「陽火にい、怪我するから落ち着け。表の門通ってこいよ」

「いやだ!! 俺は最短距離で燈矢に会いたい! うおおおお! まってひっかかった痛いヤバいふざけんなトラップあった有刺鉄線張ってるとか知らない」

 

 塀に向かって飛んだ時に気づいたけど、有刺鉄線が上にはられてる!? なにこれアメリカの刑務所か? 地獄の轟くんちじゃないか。全部父さんのせい。

 普通に怪我しながら塀から降りた。飛び乗った瞬間手が滑って変な切り方をしたらしく、血が思ったより多めにアスファルトに落ちる。じわっと広がる赤がやけに目につく。痛い痛い。防犯効果は確かだな、住人がやらかしたけど。

 

「陽火くん、どんくせえのに、無茶するから」

 

 聞いたことのない声だった。でも同時に、思い出したような、たどたどしい声でもあった。俺の名前を呼ぶ、その呼び方だけが、妙に昔のままだ。顔を上げて声の先を見る。火傷の跡が残る顔、記憶より高くなった背丈、伸びた手足。それでも、絶対に見間違えない。

 

「燈矢!」

 

 名前を呼ぶより早く、身体が動いた。抱きしめる。頭に手をやって、反射みたいに撫でる。この体温、この熱。覚えてる。上がりきった体温を、ちゃんと覚えている。

 最初は遠慮がちに、所在なさそうに背中に回されていた手が、しばらくするとぎゅっと服を掴む。力がこもる。逃がさないみたいに、確かめるみたいに。

 抱え込んだ塊の奥から、ひい、ひっ、と引き攣った空気が喉を擦る音が漏れる。息がうまく通らないまま、途切れ途切れに絞り出されたそれは、すぐに泣き声へと変わった。

 

「陽火くん、こ、こわいい! たす、たすけて、陽火くん……いたい、痛いよ……たすけて……怖い……! 助けてよ、お兄ちゃんだろ、たすけてよお!」

 

 壊れたみたいに、同じ言葉を繰り返す。痛い、怖い、たすけて。声が裏返って、喉が引きつって、それでも止まらない。

 

「ごめんな、ごめん……助けてやるからな! もう大丈夫だから」

 

 言い聞かせるみたいに、何度も同じ言葉を返す。背中に回した腕に力を込めて、逃げ場を全部塞ぐ。二度と離れないように、失くさないように、泣きじゃくる燈矢を胸ごと抱え込んだ。しばらく泣かせたまま、腕に力を入れてそのまま抱き上げる。人ひとりを抱えたまま歩くなんて、普段なら息が上がって当然なのに、今は不思議と重さを感じない。

 「帰ろうな」と声を落とすと、燈矢は泣き声のまま、言葉にならない音を喉で潰しながら何度も頷いた。

 

 無駄に広い家は相変わらず玄関までが遠い。先導している焦凍は歩きながらずっとスマホで誰かと喋っていて、たぶん母さんたちだ。

 「燈矢にいが帰ってきた! 本当! 陽火にいが抱っこしてる! 早く帰って!」感情がそのまま外に溢れ出たみたいに、声を弾ませて同じ言葉を何度も繰り返す。走って玄関まで先回りすると、今度は表札の前でぴたりと止まり、「燈矢にい、みろ!」と勢いよく叩いた。

「揃った!」

 

 轟炎司、冷、陽火、“燈矢”、冬美、夏雄、焦凍。

 

 燈矢の知らないはずの表札の中に、確かに燈矢の名前がある。腕の中で、燈矢がじっとそれを見つめていたから、抱き上げたまま少し近づく。指先がそっと伸びる。

 

「おれの、なまえ……」

「うん。ちゃんとあるだろ」

 

 自然に、当たり前みたいに言葉が出た。

「帰ってきた時に入りやすいようにさ。目印があった方がいいなって思って」

表札の文字を指先でなぞっていた燈矢が、ふと顔を上げて俺を見る。じっと見つめて、何かを確かめるみたいに間を置いてから、ふにゃりと表情が幼くほどけた。

 

「ただいま」

「おかえり」

 

 俺、本当に帰りたかった。怖かった。いっぱい嫌な気持ちになった。寂しかった。辛かった。

 燈矢の中から零れ落ちる小さな弱音を、ひとつひとつ拾い上げて、よく頑張ったな、俺たちも会いたかった、ずっと待ってた、と言葉を返す。

 もっとチビだった時のように、甘えるように頭を押し付けてくるのをそのまま受け入れた。消毒液の匂い、知らない洗剤の匂い、焦げた臭い。ずっと、どこにいたんだろう。俺には知らないことが、本当に多すぎる。

 

「……ねむい」

 

 それだけ言って、燈矢は体重を俺に預けたまま目を閉じる。限界だったんだろう。そのまま起こさないように抱え直して部屋へ運ぶ。すぐに夏雄が部活のジャージのまま駆け込んできて、焦凍に「しぃっ。寝てる!」と制され、それでも勢いのまま焦凍を担ぎ上げて布団の前で座り込んだ。丸くなった燈矢の白い髪を見ると、夏雄は俺に視線を移して、「……ほんとう?」と恐る恐る聞く。

 返事の代わりに、顔まで被っていた布団を少しだけ下げる。火傷まみれの顔。前々から「燃えた範囲として、火傷は広範囲だろう」と言っていたから、覚悟はしていたはずだ。息を詰めるみたいに見つめて、傷跡そのものより、造作をじっと確かめる。次の瞬間、夏雄は焦凍の腹に顔を押し当てて、「うわああ……」と、できる限り音を殺した泣き声をあげた。

 くすぐったくてケタケタ笑う焦凍を転がしながら、夏雄はその腹を消音装置みたいに使って泣いている。焦凍の笑い声の裏で、夏雄の嗚咽は潰れていった。

 

 すぐに母さんと冬美も駆けつけてきて、燈矢の顔を一目見るなり、その場で泣き崩れた。あれだけ騒がしく人に囲まれたら、さすがに眠り続けることもできなかったんだろう。燈矢はまだ夢の縁に足を引っかけたみたいな、ぼんやりとした顔のまま、ふにゃふにゃと力の抜けた表情で「まだねたいのに」と、愚痴とも甘えともつかないことを零し、母さんにぎゅっと抱きしめられていた。抱きしめられるのを拒むこともなく、されるがままに体重を預けている。俺がずっと見たかったものがここにある。

 

 俺はその場をそっと抜け出して、廊下に出た。胸の奥に溜め込んでいたものが一気にせり上がり、スマホを取り出して、ためらいなく発信する。

 

「てんめええクッソジジイ飛んで来いやぁNo.2!!! てめえんとこの株全部売っぱらってやろうか!!?」

 

 声を潜める気なんて、最初からなかった。な~~んで来ねえんだ物理発火親父。俺の電話に出た父さんは、案の定というか、『突然叫ぶんじゃない! クソジジイと言うな!』と、的外れなところで怒っている。

ハァ……? 何様だ貴様……。

 

「焦凍から連絡来てんだろうが!」

『────ああ、さっきのか。仕事中だから後で聞く。お前の話も帰ってから、』

「燈矢が帰ってきたんだよ!!」

 

 語尾が割れる。呼吸が荒くなる。

「なんだァ!? あんたの人生でこれ以上に優先すべき項目あります!!? 立派なお仕事ですねっ! No.2事務所ってお仕事の分配下手っぴさんですか? 業務分担が困難なほど事務所所属のヒーローの実力に不安がおありですか? 説明してください」

 

 果たせよ、説明責任を。頭の中では、本気でエンデヴァー事務所の株を全部売っぱらって、めちゃくちゃにしてやる光景まで浮かんでいた。その瞬間、スマホの向こうから大きな音が響いた。何かを叩きつけたみたいな、鈍くて重い音。

 あ”!? やんのか!!?

 次に聞こえた声は、ひどく低く、擦れたものだった。

 

「燈矢は死んだ」

「死んでないから帰ってきたんだろうが」

「死んだ、はずだ……」

「残念でしたピッピロリ~~! いいから! こっち来い! 見ろ! 見たらわかるから!!」

 

 そのときだった。

 

「おとうさん」

 

 背後から、小さな声がした。俺と父さんが不毛な喧嘩を続けていたせいで、気づかせてしまったのだろう。振り返ると、いつの間にか燈矢がそこに立っていた。まだ足元が少しふらついていて、眠気の残る目で、俺の手にあるスマホを見ている。何も言えず、俺はそのままスマホを燈矢に差し出した。

 

「俺、声、変になっちゃった。分かる? お父さん……」

 

 震えてはいない。ただ、確かめるみたいな声音だった。父さんは無言なのだろう、しばらくしてから燈矢は小さく息を吸い、「おとうさん、むかえにきて」と言った。それから少し間があって、画面を見下ろしたまま、「電話、切られちゃった」と呟き、スマホを俺に返してくる。

 

「お父さん、俺のこと、わかんなかったかも」

「クソジジイが過ぎる……」

「陽火くん、口悪くなっちゃった?」

 

 口も悪くなるだろこんなもん。ひでえな。許せねえな。みんなで父さんの悪口言おうぜ。そう言って部屋に戻ろうとした、そのとき。

 

 ゴオォオオ、という重たい音が、空気を震わせた。近い。異様なほど近い。反射的に顔を上げる。まるで低空飛行の飛行機みたいな、耳の奥まで響く音が、どんどん大きくなっていく。

 

 爆音。粉砕。

 

 ちょうど俺が飛び乗って有刺鉄線で怪我をしたあたりの壁が、炎と一緒に吹き飛んだ。コンクリートの破片と溶岩のような火炎が散って、遅れて衝撃波が身体を叩く。

 有刺鉄線、意味ねえな……と、どうでもいい感想が頭をよぎる。呆然としている燈矢の横に立ったまま、俺はアメコミの悪役みたいに瓦礫の向こうから現れた巨漢を眺めていた。

 母さんたちも部屋から飛び出してきて、爆破四散しながら火炎を撒き散らす我が家の塀を、信じられないものを見る目で見ている。

 その中で、やけに冷静な焦凍の声だけが、すっと耳に残った。

「迷惑。玄関から帰ってこいよ」

 

 次の瞬間だった。

「とうやああぁあ!!!」

 咆哮みたいな叫び声と一緒に、巨体が突っ込んでくる。

「うわ」

「馬鹿野郎殺人タックルだぞそれは!!! 花びらのように丁寧に扱え!!!」

 

 反射で身体が動いた。長男俺、物理防御力我が家最低値のボディを総動員して前に出る。前に出ることにより突進の進路をずらし、どうにか衝突を殺す。成功。巨大筋肉ダルマの全体重ハグから、病み上がりの次男を死守することに成功した。危ねえな!! 潰す気か!!

 

 父さんは勢いを殺されたまま一歩下がり、「ぐぬぅ……!」と悔しそうに唸ったあと、その場に膝をついた。

 瓦礫と炎の匂いの中で、燈矢の前に跪き、震える手でその顔に触れる。火傷の跡を確かめるみたいに、恐る恐る撫でて、それから「ああ……」と、喉の奥から絞り出すような声を漏らした。それきり、父さんは何も言えなくなっていた。燈矢はそんな父さんをじっと見て、「ただいま」と言い、父さんは初めて聞いたような嗚咽の中で確かに「おかえり」を言っていたような気がする。

 

 

 これが、轟家全員が揃うまでの話だ。そして同時に、俺が完全に原作崩壊を起こした話でもある。

 “荼毘”は生まれなかった。燈矢がいた場所からは、“ドクター”や“先生”へときちんと線が引かれ、その先で何がどうなったのかは、俺たちの知らないところで処理されたらしい。オールマイトとエンデヴァーがなんやかんやして、巨悪は討たれた、と後から聞かされた。要するに、物語は勝手に畳まれた。

 

 俺たちは、その外側にいる。

 世界には相変わらずヒーローもヴィランもいて、ニュースは今日も忙しい。燈矢は治療を続けて、火傷の跡は少しだけ薄くなった。完全には消えないし、壊れた個性因子が元に戻ることもない。それでも母さんの方の個性因子は生きていたから、サポート器具を使いながら、自分なりのヒーローを目指すと言っている。焦らず、競わず、“燃え尽きないやり方”を選ぶというその言葉は、以前の燈矢からは想像できないほど穏やかだった。

 俺はというと、相変わらずだ。雑誌やテレビでろくろを回しながら、自分の立ち位置を少しずつ固めている。前に出たり、引いたり、顔を作ったり、名前を残したり。権力はね、あった方がいいんですよ。守りたいものがあるなら、なおさら。

 

 

 物語は終わった。

 でも生活は続く。

 その続きのほうを、俺たちは選んだだけだ。

 ─────そんな、ごく一般的な普通のご家庭の、話だ。

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