タイトルの通りです。

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英雄とは祈りであり呪い

 

 

 

 世界は、『英雄』を欲している。

 

 それは祈りであり、呪いだ。人が人である限り手放せない希求であり、同時に、この世界が抱え続けてきた現実でもある。

 

 かつてこの世界には、『英雄』と呼ばれた者たちが確かに存在した。

 剣を取り、魔を討ち、名を残した者たちだ。

 

 歌となり、噂となり、子供の寝物語となった。人は勝利を欲し、勝利の形を誰かの名に預けた。

 

 

 だが、彼らは敗れた。

 『絶望』の前で、例外なく。

 

 

 人の尺度で測れる敵ではなかった。『勝つための物語』そのものが、ひねり潰された。

 

 それから暗黒期と呼ばれる時代が訪れた。秩序は崩れ、災厄は連なり、人は抗う術を持たないまま、ただ耐えることを強いられた。

 

 やがて、その時代は終わった。

 人々は折れず、抗い、どうにか日常を取り戻した。都市は再建され、秩序は再び形を持った。

 

 

 だが――『英雄』は、生まれていない。

 

 

 『英雄』のいない世界が、今も続いている。

 必要とされ、祈られ、望まれながら、欠けたまま。

 

 それでも、『絶望』は待ってはくれない。

 祈りも願望も、人の都合も関係なく、災厄はある日当然のようにやってくる。

 

 そして今、その『ある日』は訪れた。

 

 

 

 

 

 

 空に、『絶望(ソレ)』が現れていた。

 

 その体躯は、ただ黒い。鱗は光を拒み、翼は影を引きずるように広がり、装飾も色彩もない巨体が、空の大半を占有していた。

 

 激しく羽ばたくことはないにもかかわらず、その一振りごとに気流は乱れ、雲海は裂かれ、引き延ばされていく。視界の端から端までが、巨大な『存在』によって塗り替えられる。

 

 神々が下界に降臨するより遥か以前。

 ダンジョンより放たれた、漆黒の竜。

 

 陸の王者、海の覇王と並び称される存在。

 

 竜の王。

 黒き終末。

 生ける厄災。

 

 

 数多の名で呼ばれてきた存在――『隻眼の黒龍』。

 

 

 伝承によれば、古代の英雄アルバートはこの竜と戦い、ただ一つ、片目だけを潰した。だが殺せなかった。残ったのは『終わらなかった』という事実だけ。

 

 以来この竜は、都市の誰もが口にしながら、誰もが実感することなく生きてきた恐怖だった。噂の中の絶望。物語の中の破滅。

 

 

 それが今、()()()()()()()

 

 

 かつて大陸北端に位置する竜の谷にて、大精霊の精霊によって封じられていたはずのそれは、今、何の迷いもなくオラリオへ向かっている。

 

 理由は分からない。

 帰巣本能かのように、母なるダンジョンへ戻ろうとしているのかもしれない。

 

 理由など、どうでもいい。

 

 あれが進めば、人の営みは等しく踏み潰される。

 『英雄』のいない世界で、『英雄』を欲し続ける人々の都もまた、例外ではない。

 

 確かなのは――止めなければならない、という一点だけだった。

 

 

 

 

 

 

 

 そのはるか上空に、二つの影があった。

 

 黒龍よりも、さらに高い空。

 雲海を越えた場所で、俺は同僚に抱えられたまま飛んでいた。

 

 強い風が身体を叩いているはずなのに、揺れはほとんど感じない。彼女の足元で、金色の翼を持つ靴が淡く光り、一定の高度を保ち続けている。

 

 癖のある水色のショートヘアに、銀縁の眼鏡。

 普段なら、どんな状況でも冷静さを崩さない理知的な横顔だ。

 

 だが、今は違う。

 

 視線が何度もこちらへ向けられ、すぐに前方へ戻る。その仕草に、言葉にしない迷いが滲んでいる。口元がかすかに結ばれ、ほどけ、また結ばれる。

 

 俺は、その迷いが『合理』ではなく『情』から来ていることを知っていた。

 

 そしてやがて、意を決したかのようにゆっくりと彼女の口が開かれる。

 

「本当に、お一人で行かれるつもりなんですか?」

 

 問いの形をしているのに、内容は懇願だ。

 止めたい。だが止められない。そんな矛盾が、眼鏡の奥に薄く滲んでいた。

 

 俺は返事の代わりに、下を見る。

 黒龍は変わらず進んでいる。止まる気配も、逸れる様子もない。雲海が黒い影に裂かれ、都市の方角へ向けて一直線に引きちぎられていく。

 

「俺を落としたら、すぐ離れろ。巻き込まれる」

 

 言葉にすると、空気がわずかに張り詰めた。

 抱える腕に、ほんの一瞬だけ力がこもる。

 

 視線がこちらに向く。

 眼鏡越しに、俺の顔をまっすぐ見て短く息を吸う。

 

「……分かりました」

 

 次の瞬間、彼女の表情から揺れが消えた。

 迷いも、ためらいも、眼鏡の奥に押し戻される。

 

 いつもの、理知的な同僚の顔だ。

 

 そして。

 

 支えが、切れた。

 

 足先から真っ直ぐ、引きずり落とされるように、俺は落下を始める。

 風が唸りを上げ、衣服を叩く。身体の表面を削るような気流が、速度が増していることをはっきりと告げていた。肺が空になり、喉が冷える。

 

 一瞬、視界の端で金色の光が遠ざかるのが見えた。

 どうやら、無事に離脱できたみたいだ。

 

 下を見る。

 

 雲の層を突き抜けた向こうに、黒龍がいる。

 雲海を裂き、影を引きずりながら、一定の進路を保って進む巨体。その輪郭は、落下とともに急速に大きくなり、やがて巨大という言葉では足りなくなる。空が狭い。世界が小さい。自分が、ただの塵に見えてくる。

 

 あれが進めば、都市は潰える。

 英雄のいない世界で、英雄を欲し続けてきた場所が、等しく踏み潰される。

 

 今からやろうとしていることは、かつての『英雄』と同じなのかもしれない。

 

 

 だが、俺は『英雄』じゃない。

 『英雄』にはなれない。

 

 

 名を残す覚悟も、称えられる器もない。誰かの祈りを背負うには、俺はあまりに都合のいい人間だ。目の前の誰かが泣いているのが嫌で、手を伸ばすだけ。正義でも使命でもなく、ただの性分。

 

 

 それでも、剣を取る理由はある。

 自分が『善人』だと思える人間を、一人でも多く救うために。

 だから――やる。

 

 

 落下を続ける中で、距離が合ってくる。

 高度が揃い、隻眼の怪物と視線が重なったその時。

 

 

 両の拳を握り、右腕を前へ突き出した。

 喉の奥で、言葉が熱になる。恐怖と同じ形をした、覚悟。

 

 

 

 そして、詠う。

 

 

 

 

 

 

 

 

「――布瑠部由良由良」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 黒龍が、かすかに反応したように見えた。

 俺という存在を認識した。

 だが――

 

 

「悪ぃな。お前の相手は()()()()()

 

 

 トプリ、と小さな音を残して、

 俺は影の中へと沈んだ。

 

 落下の感覚が消える。

 風が途切れる。

 世界の音が、布で包まれたみたいに遠のく。

 

 

 影の底で、俺は儀式の『開始』を叩きつけた。

 

 

 

 

 直後。

 

 影のあった地点で、大地が低く唸る。

 振動は遅れて音となり、岩盤が軋み、次いで押し上げられるように盛り上がった。

 

 砕けた岩と土砂が宙を舞い、その中心から、巨大な人型がせり上がってくる。繭が裂けるような鈍い音とともに、その存在は迷いなく形を取った。

 

 筋骨隆々の巨体。

 猫背気味の姿勢でありながら、常人の倍を優に超える身長。顔に相当する位置には、目の代わりに左右二対の翼が生え、羽ばたくたびに空気を不快に震わせる。見られているのかどうかさえ分からないのに、視線だけは確かに刺さる。

 

 頭上には、八握剣を象った方陣が浮かんでいた。

 

 そして、右手には剣が。

 構えたわけでも、引き抜いたわけでもない。ただ、最初からそこにあるかのように備わっている。

 

 

 俺の持つ魔法の名は【十種影法術】。

 その効力は、十種類存在する式神の顕現。

 

 

 魔法が発現してすぐは二匹の『玉犬』のみ与えられ、それ以外の式神を扱うには、まず魔法使用者と玉犬で調伏を済ませなければならない。

 

 手持ちの式神を増やしながらそれらを駆使し、調伏を進めることで十種の式神を手にすることができる。

 

 そんな調伏は、複数人でもできる。

 だが、複数人での調伏はその後無効になる。

 

 つまり、当の使用者にとってはなんの意味のない儀式になる。

 しかし、意味はないなりに使い方が存在する。抜け道と言ってもいい。

 

 要は、式神は調伏しないと使えないが……

 調()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 今呼び出したコイツは、十種存在する式神の中で最強最後の式神。

 当然調伏は済んでいない。俺の言うことは聞かないし、敵として認識される。今の俺が逆立ちしたって、到底敵わない正真正銘の切り札だ。

 

 『調伏の儀』を始めた時点で、周囲に存在する者は問答無用で儀式の道連れとなる。

 

 それは、()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 つまり、俺と黒龍の死。

 または式神が破壊されるまで、儀式を終えることができない。

 

 確かなのは――逃げ道は、もう無い。

 

 

 

 

 【十種影法術】の切り札。

 

 八握剣異戒神将魔虚羅(やつかのつるぎいかいしんしょうまこら)の顕現が完了する。

 

 

 

 

 

 と同時、黒龍の口腔が開いた。

 内部で凝縮された熱が一気に解き放たれ、一直線の轟炎となって吐き出される。

 

 炎は、燃焼という過程を踏まない。

 光と圧と破壊だけで構成された奔流が、魔虚羅を正面から呑み込んだ。

 

 爆発が起きる。

 

 衝撃波が地表を削り、空を揺らし、一帯は一瞬で原形を失った。土砂と煙が巻き上がり、視界は完全に閉ざされる。

 

 やがて、それが晴れたとき。

 

 そこに立っていたのは、

 腰から上を失った異形だった。

 

 上半身が、抉り取られたかのように消えている。

 剣も、頭部も、方陣すら見当たらない。

 

 だが、終わりではない。

 

 ()()()()()()

 骨が伸び、筋が絡み、肉が盛り上がる。

 

 無かったものが、組み上がっていく。

 

 ほどなく、上半身は完全に再生された。

 

 その背で、八握剣の法陣が鳴る。

 

 

 

 

 

 

 ガコン。

 

 

 

 

 

 

 

 布留の言と、あの法陣。

 あれが示しているのは完全な循環と調和。

 

 【十種影法術】の秘蔵、八握剣異戒神将魔虚羅。

 最強の式神が有するその能力は、

 

 

 

 あらゆる事象への適応。

 最強の後手。

 

 

 

 黒龍は、間を置かずに二度目の炎を吐いた。

 

 先ほどの轟炎とは、質が違う。熱はより深く凝縮され、吐き出される前から周囲の空気が粘つき、雲が焦げ、視界の縁が歪んでいく。

 

 単なる焼却ではなく、存在そのものを削り取るための炎だ。

 

 それが、魔虚羅を正面から捉えた。

 

 灼熱が巨体を包み込み、皮膚を剥がし、肉を焼き、骨格を露わにする。誰が見ても致命傷だった。

 

 だが、魔虚羅は崩れない。上半身は保たれ、存在はその場に踏みとどまっている。

 

 背部で、再び法陣が鳴った。

 

 

 

 

 

 ガコン。

 

 

 

 

 

 

 低く、重い音とともに回転が刻まれる。

 

 適応は一段階で終わらない。法陣が回るたび、同じ事象の通り道が塞がれ、損傷の仕方そのものが組み替えられていく。

 再生は元から備わった力だが、適応が進むにつれて無駄が削がれ、速度と精度が増していく。

 

 炎の中で、魔虚羅が踏み出した。

 

 一歩で大地が割れ、二歩目で距離が削れる。質量と速度が重なり、突撃そのものが破壊になる。黒龍が高度を保ったまま迎え撃つように翼を構えるのが見えた。

 

 次の瞬間、右翼が振るわれる。

 

 ただそれだけの動作で、空気が押し潰された。圧が壁となり、刃となり、魔虚羅の巨体を正面から叩きつける。衝撃は遅れて音となり、周囲の雲をまとめて吹き散らした。

 

 魔虚羅は弾丸のように吹き飛ばされ、地面を砕き、岩を跳ね、はるか彼方へと消える。

 

 

 

 

 ――ガコン。

 

 

 

 

 遠方で空気が裂け、魔虚羅が空中で姿勢を立て直した。虚空に足を置き、踏みしめ、次の一歩を作っている。空中戦という、人類が到底届かない領域にまで、最強の式神はすでに適応していた。

 

 空を足場に、魔虚羅は駆け出す。

 

 足が置かれるたび、空気が弾け、見えない道が連なっていく。黒龍が距離を取ろうと翼を打つが、その分だけ踏み込みが速まる。

 

 間合いが、消えた。

 

 魔虚羅が剣を振るう。

 

 退魔の剣。

 モンスターに対し、攻撃力を超域まで引き上げ、同時に防御という概念を無視する刃だ。硬度も、質量も、積み重ねられた鱗も、障害にはならない。

 

 人類の刃が、『絶望』へと届いた。

 

 黒龍の鱗が砕け、その下の肉が裂け、濃い血が宙を舞う。巨体がわずかに揺れ、初めて、確かな傷が刻まれたことが分かる。

 

 魔虚羅が追撃に入ろうと踏み込む。

 だが、その瞬間。

 

 

 

 

 ()()()()()()

 

 空気が一気に揺さぶられる。

 爆音というより、巨大な壁が前から叩きつけられたような衝撃だった。声は低く、重く、雲海を内側から押し潰す。空が歪み、風向きが乱れ、周囲の雲がまとめて弾き飛ばされる。

 

 魔虚羅の巨体が、その正面から打たれた。

 

 踏み込もうとしていた動きが止まり、空中に置いていた足場が崩れる。見えない衝撃に押し戻されるように、巨体が浮き、次いで大きく後方へと吹き飛ばされた。

 

 影の内側で、俺の鼓膜が叩き割られそうになった。

 

(影の中まで届くのかよ……)

 

 音だけじゃない。

 空気そのものが「圧」で揺さぶられ、胸の奥まで震えが刺さる。影に潜っているせいか、外で喰らうよりは幾分か薄い。けれど薄いだけで、消えてはいない。

 

(これは……精神汚染か? しかもご丁寧に異常(デバフ)付きじゃねえか)

 

 感覚が一瞬ぐらつく。

 頭がジンジンと警笛を鳴らし、心拍が乱れ、呼吸困難を催す。外で直撃していたら、もっと酷かった筈だ。

 

(魔虎羅はどうなった……?)

 

 胸に手を置き乱れる呼吸を抑えながら、俺は弾丸のように吹き飛ばされた方向に目を向けた。

 

 その時。

 法陣の回る音が響いた。

 

 

 

 

 

 ガコン。

 

 

 

 

 

 

 咆哮による精神汚染と異常(デバフ)

 いかに第一級の冒険者であろうと、直撃すればただでは済まないであろう其れを、摩虎羅は適応してみせた。

 

 動きに一切の鈍りを見せず、再度距離を詰めようと足を踏み出そうとしている。

 

 炎も、咆哮も通じない。

 

 その事実を、黒龍は理解したのだろう。

 魔虚羅を、明確な敵として、警戒に値する存在として再認識する。

 

 空気が、変わる。

 

 それまで空を支配していた気流が止まり、雲の流れが乱れ、世界そのものが一瞬、息を詰めたように感じられた。

 

 黒龍の口が、ゆっくりと開く。

 

 それは炎を吐くための構えではなかった。

 先ほどのように熱が集まる様子もなく、咆哮の前触れにあった胸の張りもない。ただ、顎が静かに開き、喉の奥にある『何か』を外へ繋げようとしている。そんな動きだった。

 

 やがて、音が漏れ出す。

 

 

 

 

 

「【■■■■■■■■■】」

 

 

 

 

 

 それは声と呼べるものではない。

 言葉にならず、旋律もなく、ただ不揃いな振動が連なっていく。低く、濁り、耳に残る。意味は分からないのに、『止めなければまずい』と体が先に理解する。

 

 

 

 

 

「【■■■■■■■■】」

 

 

 

 

 

 空間が軋み、遠くの雲が波打つ。

 音が紡がれるにつれ、黒龍の魔力が膨れ上がっていく。空気が重くなり、肌が軋み、呼吸がしづらくなる。遠くにあるはずの雲が沈み、視界が歪む。

 

 

 

 

 

「【■■■■■・■■■、■■・■■、■■■■■■】」

 

 

 

 

 

 量が違う。

 質も違う。

 

 人がどれだけ積み重ねても届かない。英雄が束になっても埋められない。そんな感覚が、理屈を飛び越えて突きつけられる。これは戦闘じゃない。挑戦ですらない。人類が踏み込んではいけない領域の力だと、理解させられる。

 

 

 

 

「【■■■■■■■■】」

 

 

 

 

 これは。

 これが。

 

 これこそが、『絶望』たる所以。

 

 

 『絶望』の、()()()()だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 異常を悟った魔虚羅が、間合いを詰める。

 

 空を蹴り、距離を潰し、詠唱が完成する前に斬り伏せる――ただそれだけを目的に、一直線に踏み込む。

 

 だが、その進路を塞ぐように。

 

 黒龍の周囲に、無数の神聖文字(ヒエログリフ)が浮かび上がった。

 闇に染まった文字群が空間に張り付き、円環を描き、次の瞬間、それらが噛み合うように連結される。

 

 『闇の正域』とでも表現すればいいだろうか。

 詠唱中の黒龍を中心に展開された、侵入そのものを拒む領域。魔虚羅の踏み込みは、見えない壁に阻まれたかのように止められる。

 

 

 

 

 

「【■■■■■■■■■■■】」

 

 

 

 

 

 それでも、魔虚羅は止まらない。

 

 魔虚羅の剣が振るわれる。

 

 退魔の剣が結界に叩きつけられ、衝撃が空間を歪める。闇の文字が軋み、波打ち、空気が悲鳴を上げる。

 

 しかし、破壊には至らない。

 

 

 

 

 

「【■■■■、■■■■】」

 

 

 

 

 

 背で、法陣が鳴る。

 

 

 ガコン。

 

 

 適応が進む。

 剣を振るう。

 だが、それでも壊れない。

 

 ガコン。

 

 まだだ。

 まだ壊れない。

 

 ――ガコン。

 

 魔虚羅はさらに踏み込み、膂力に任せた一撃が闇の正域へと叩き込まれる。

 

 結界を構成していた神聖文字が悲鳴を上げ、歪み、砕け、連結を失っていく。

 

 次の瞬間。

 闇の円環に亀裂が走り、内側から押し破られるように崩壊した。

 

 遮られていた距離が一気に縮まる。

 魔虚羅は迷わず踏み込み、剣を振り抜いた。

 

 その時だった。

 

 

 

 

 

「【■■■■、■■■■■■■】」

 

 

 

 

 

 黒龍の詠唱が完成した。

 

 最後の一節であろうそれを詠み終えたその時。

 

 解き放たれたのは、

 ()()()()()()()()()()()()()だった。

 

 魔虚羅の足元に浮かぶ魔法陣を起点に、

 漆黒の棺が現れる。

 

 天へと突き刺さるように形成されたそれは、重力そのものを壁として、魔虚羅を閉じ込めた。

 

 内部で、圧が加速する。

 

 圧縮ではない。破砕でもない。

 質量が意味を失い、形が保てなくなり、空間が内側へと折り畳まれる。

 

 適応は、追いつかない。

 

 背の法陣が鳴ることはなかった。

 再生も、進化も。

 次の段階へ進む猶予すら与えられない。

 

 次の瞬間、棺が内側へと潰れる。

 

 音はない。

 光もない。

 

 ただ、空間が一度、歪み切り――元に戻った。

 

 そこには、何も残らなかった。

 

 塵一つ。

 魔力の残滓すら。

 

 

 

 八握剣異戒神将魔虚羅は、()()()()()()()

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 俺は影から身体を出した。

 

 踏み出した瞬間、足裏に伝わる感触で悟る。

 大地は、もう地形として成立していない。岩は砕け、土は抉られ、巨大な亀裂が蜘蛛の巣のように走っている。隆起した地面は歪に盛り上がり、別の場所では押し潰されたように沈み込んでいた。

 

 あちこちで、まだ熱が燻っている。

 焦げた土の匂いと、焼けた金属の臭いが混じり合い、風に乗って鼻を刺す。爆発の名残か、粉塵が空中に漂い、視界の端でゆっくりと沈んでいく。

 

 見渡せば、戦場は円形に抉られていた。

 中心を失った穴。引き裂かれた地層。

 

 

 静かだ。

 

 

 あれほどの力がぶつかり合ったあとだというのに、耳に入るのは風の音だけ。鳥の声も、虫の気配もない。生き物が近づくことすら拒む場所になってしまったかのようだった。

 

 

 俺はゆっくりと視線を上げる。

 

 

 荒れ果てた地表の向こう、雲を裂いて、まだ空を飛び続ける『絶望』がいる。

 

 黒龍は、落ちていない。墜ちる気配もない。翼を広げ、巨体を支えたまま、当然のように空に在り続けている。

 

 確かに傷はある。

 砕けた鱗。抉られた肉。乾ききらない血の痕。摩虎羅が刻んだ、紛れもない爪痕だ。

 

 『英雄』アルバートは、片目を奪い、撃退に成功してみせた。

 そして摩虎羅は、致命傷とまではいかずとも、明確な一撃を入れてみせた。

 

 ならば――。

 

 

 黒龍の撤退。

 

 

 一縷の希望が、胸の奥に灯る。

 俺は黒龍から目を離さず、翼の動き、進路、ほんの僅かな変化を探す。

 

 だが。

 

 

 黒龍は、俺を見た。

 

 

 空を進む進路の先、戦場の中心に立つ俺という『異物』を、遅れてではなく、はっきりと捉えた。

 

 巨大な首が、わずかにこちらへ傾く。

 隻眼が細まり、焦点が合う。そこに感情はない。怒りも、驚きもない。ただ、障害物を確認するための、機械的な注視だった。

 

 

 来る。

 

 

 逃げ場はない。

 摩虎羅を失った今、正面から抗える術はないと、嫌でも理解している。それでも、身体は動いた。

 

 俺は掌印を組む。

 

 指先が震える。

 せめて一瞬でも、足を止められればいい。傷一つでも、時間を稼げればいい。

 

 黒龍が、翼を大きく振り下ろそうとした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その時、鐘の音が鳴り響いた。

 

 澄んだ音色が、空を震わせる。

 低く、遠く、それでいて確かに届く音。雲を越え、風を裂き、世界の端まで伝わっていくような響きだった。

 

 戦場に不釣り合いなほど、静かで、厳かな音。

 

 黒龍の動きが、止まる。

 

 翼が空を切る直前で静止し、巨体がわずかに軋む。隻眼が俺から外れ、音の来た方へと向けられる。

 

 それと同時に、掌印を結んでいた俺の指から、震えが消えた。

 

 

 

 ――世界は、『英雄』を欲している。

 

 

 

 それは祈りであり、呪いだ。

 誰かが立ち上がることを願いながら、その誰かを待ち続けてきた。

 

 

 

 だが、世界に『英雄』は――まだ、いない。

 

 

 

 そう、()()()()()()()()()()()なのだ。

 

 

 

 『英雄』の芽は、確かに芽生えている。

 

 

 

 『彼』の中で、静かに。

 

 

 

 この戦いは、その始まりに過ぎない。

 

 

 

 『彼』の英雄譚の、一頁目が――

 まさに、今この時なのだ。

 

 

 

 鐘の音は、もう一度鳴った。

 

 

 

 

 

 

 『英雄願望』の鐘の音が。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 





まずは(最後まで読んで頂き)ありがとう。

ノリと勢いだけで執筆致しました。
正直、設定全く練っていません。【十種影法術】を魔法かスキルかで迷った末、魔法でいっか(鼻ほじ)くらいには適当です。

あと、黒龍盛り過ぎたかもしらん。でもまこーらが負けるにはこうするしかなかったんや……。筆者は本筋とネット情報しか持ち得ないので、もしかしたら矛盾等発生しているかも。していたら済まぬ。

えーと、つまり続きません。
正直これやりたかっただけなので。

過去編とか真っ白です。
主人公の【ステイタス】とか、2つ名とかセンスのある方考えて欲しいとか思ってるくらいに真っ白です。(ネタくれ)

好評であれば、私のやる気に火がつくかもしれません。といっても本筋以外(ソードオラトリアとかゲームとか)で学んでからになるから、続いても遅くなります。

年末年始であるにも後書きの最後まで読んでくれた貴方!本当に感謝です。それでは、良いお年を。


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