正義の味方と悪い魔法使い   作:ヒフミくろねこ

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別荘の中で夜を明かし外へと出て暫くした頃、エヴァたちは外の雷雨も気にせずに家の中でまったりと過ごしていた。

 

「やれやれ、やっと煩いのが居なくなったな」

 

エヴァは疲れたとばかりにベッドへと寝転がり、煩いというエヴァの言葉に士郎は苦笑いをしつつもウッドテーブルに腰掛け、直ぐ隣にチャチャゼロを抱えた月詠がぐてーっと脱力したようにテーブルに顔を付いた。

 

「疲れているみたいだけど、月詠は帰らなくて良かったのか?」

 

「はい~ウチは雨が上がるまで居させてもらいます~。それにちょ~っと眠いですし~」

 

はふぅと欠伸をする月詠に、腕の中のチャチャゼロがケケケと笑った。

 

「確かに雨風が酷いからな……。遅くならない内には帰った方がいいぞ」

 

「その時は士郎はんに送ってもらいますから~。もしくはもう一泊~」

 

激しい雨の中帰らせるよりも、泊まらせる方がいいか? と考えつつとりあえず保留とばかりに士郎は溜息を吐いた。

 

「お茶をお持ちしました。……どうかしましたか士郎さん?」

 

階下から銀のお盆にポットとカップを載せて上がってきた茶々丸は、肩を落とす士郎に小首を傾げながらも人数分のカップに琥珀色の紅茶を注ぐ。

 

「砂糖もミルクも多目でよろしく~」

 

「はい。……どうぞ月詠さん」

 

「ありがとな~茶々丸はん」

 

士郎は満面の笑みを浮かべる月詠に苦笑いしながらも、茶々丸から何も入れないストレートの紅茶を受け取る。

 

「どうぞマスター」

 

「ふむ」

 

エヴァは茶々丸に促されるようにベッドから体を起こし、ベッドの片隅に腰掛けたまま茶々丸からミルクのたっぷり入った紅茶を受け取る。

 

「…………」

 

エヴァはカップを軽く回してミルクと紅茶の匂いを楽しみながら視線を落とす。一晩経ち自分の感情に折り合いをつけたが、ぼうっとすると浮かんでくるのは別荘で覗いた士郎の記憶。エヴァ自身も安穏とした人生を過ごしてきた訳ではないが、自分の記憶を見せたら士郎はなんと言うだろう。エヴァの方が辛かった、もしくは生きてきた辛さに上下なんて無いとあっさりと言ってしまいそうで……。

 

「どうしたエヴァ、俺の顔をじっと見て」

 

エヴァは士郎に指摘されて無意識の内に士郎の顔を見ていた事に初めて気づいたが、そのまま士郎を見つめる。

 

「貴様はなんとも……」

 

「?」

 

「いや、気にするな」

 

「そうか?」

 

エヴァの言葉の通りに気にした風も無く、茶々丸が淹れた紅茶を楽しむ士郎。そんな士郎を見ながらエヴァは気づかれないように静かに息を吐いた。まったく変わらんなこいつは、いや違うか。士郎にとっては当たり前、ただ今に続く昔話をしただけ。変わったのは私か……しかし何故私だけがこんなに悩まんといかんのだ。士郎のバカはガキと楽しそうに話しているというのに。エヴァは忌々しそうにカップを口に運ぼうとしたが、ふと途中で止めた為紅茶が激しく波打った。

 

「どうかしましたか、マスター?」

 

「エヴァ?」

 

カップを途中で静止させたままのエヴァに茶々丸と士郎は不審そうに声をかけるが、エヴァからの返答は無く、いつの間にか纏う空気の色を変えたエヴァへ不審から、緊張感を持った色へと視線が変わる。

 

「さっきは気のせいだと思ったのだがな」

 

鬱憤を向けられる先が見つかったのか、エヴァは禍々しい笑みを浮かべながら一口だけ紅茶を口に含み、カップをソーサーに置いた。

 

「……何かあったのか?」

 

「何者かが麻帆良に侵入したようだ」

 

士郎はエヴァの聞き逃せない言葉に強張った表情でその場に立ち上がる。

 

「巧妙に隠れているようでな、もうすでに深く入られていると見ていい」

 

何時ものようにどこか楽しそうに不敵に笑うエヴァ。だが士郎は楽観なんてしていられなかった。

 

「私は出る」

 

「俺も行くぞ」

 

素早く赤い聖骸布の外套を羽織る士郎を見つつエヴァは呼び止める。

 

「士郎」

 

「何だ?」

 

「使い方は覚えているな?」

 

エヴァはそう言って懐から一枚のカードを取り出す。それは士郎の絵柄が描かれている契約のカード。

 

「これで連絡をつけろ。何かあったら私の方で喚ぶからそのつもりでな」

 

「ああ、分かった。その時は頼む」

 

「はい、はい~。ウチも行きま~す」

 

緊張感増すエヴァと士郎の間をぶち壊すかのようにぴょんぴょんと跳ねながら手を振る月詠。

 

「月詠、疲れているみたいだから無理しなくてもいいぞ」

 

「いえいえ~、そういうことなら幾らでも行きますよ~。それに一応ウチも西から派遣されて来た身なので、手伝わないと~」

 

「…………」

 

確かに月詠の力量的には問題は無いだろうが、どうするべきかと士郎は逡巡する。

 

「チャチャゼロをつけてやる。それで心配はないだろう士郎」

 

「ああ」

 

問答の時間が惜しいとばかりに結論付けるエヴァに、それならと士郎も即決して頷く。話は纏まったとばかりにエヴァは飲みかけの紅茶を一気に飲み干し宣言する。

 

「行くぞ貴様ら」

 

雨の中、エヴァと茶々丸は言葉は要らないとばかりに飛び立つ、ただ茶々丸の軽く会釈をする気配だけを感じて士郎も走りだす。

 

「ほなウチらはあっち行きます~」

 

「ケケケ楽シイ夜二ナリソウダナ」

 

チャチャゼロを頭に乗せた月詠が納刀したままの刀を軽く掲げ、士郎も軽く頷き三人は分かれた。

 

士郎が一人向かうのは、最優先事項の生徒の安全を確認する為の女子寮。

寮にはネギを始めとした戦える者も居るには居るが、それら自身が標的になるとも限らない。

 

むしろその他の無関係な一般の生徒が関わるのを危惧する為に。

 

雨に濡れて外套が張り付くのも気にせずに、足を強化して女子寮へと駆けていた士郎の視界に危うく見逃しそうになった飛影を捉えた。

 

「あれは……」

 

目を凝らしてよく視ると、それは暴風雨の中空を駆けるネギと何処かで見た事があるような黒髪の少年。

 

二人は必死の形相で杖を駆っていた。

 

飛んできた方向にあるのはこれから士郎が向かおうとしていた女子寮。

 

そこで士郎は思い至る、寮で何かあったと、そして少年達が向かう先にしなければならない何かあると。

 

士郎は一瞬の逡巡も無しにネギ達が飛んでいった方へと方向転換し、再び駆け出した。エヴァがここまで深く入られるまで気づかなかった事から、秘密裏に潜入。

 

そうなると考えられる選択肢は絞られる、破壊工作、暗殺、誘拐、窃盗、情報収集。空を駆けるネギたちの表情に壊滅的な暗さは感じられなかった。

 

なら確率的に高いのは誰かが攫われ、それを奪取、もしくは返して欲しければ誰にも言わず二人で来い、と言ったところか。

 

『士郎、聞こえるか』

 

唐突なエヴァからの念話に士郎は素早くパクティオーカードを取り出して額に当てる。

 

「何か進展が? こっちは女子寮から杖を駆って飛んでいくネギ君と黒髪の少年の姿が見えた」

 

『ああ、あれか。今しがた坊やどもがついたぞ』

 

エヴァの言葉に士郎は更に意識を研ぎ澄ませていく。

 

「状況は?」

 

『敵は4、あのガキども8人が囚われている。と言っても盾にされているとかじゃないんだがな』

 

「…………ッ」

 

囚われているという言葉で士郎は自分の推測が当たっていた事に歯を噛み締め、8人というエヴァの言葉に疑問を感じた。明日菜たち、魔法を知る生徒は7人、あとの一人は誰だと。

 

『詳しい状況は自分で確認しろ。……召喚するぞ』

 

「ああ、分かった。頼む、エヴァ」

 

『まかせろ。“――召喚 エヴァンジェリンの従者 衛宮士郎”』

 

念話越しに力有る言葉が紡がれる。地に魔方陣が走り、士郎の体に浮遊感が走った。

 

「来たな」

 

エヴァの言葉に士郎は軽く頷き、素早く状況を確認する。足元の大樹、眼下にはステージ、粘性のある結界に無力化された刹那、意識の無い千鶴、囚われているだけの夕映、このか、のどか、朝倉、古菲の五名、触手に捉えられている明日菜。敵は結界前にいる小さな三体の生物と大柄な人ではない何かを感じる老紳士のみ――。

 

「――待て、士郎」

 

足に力を込め、今にも飛び出そうとしていた士郎にエヴァからの静止の声が掛かった。

 

「何故止めるエヴァ」

 

何時もと纏う空気の違う士郎。それは士郎の記憶の中で何度と無く見た戦う士郎の空気。

 

「…………」

 

「…………」

 

見詰め合うエヴァと士郎。張り詰めていく空気の中、眼下では未だに囚われた少女たちと老紳士の力の篭った拳を何とか避け続ける二人の少年。

 

「……理由は?」

 

臨戦態勢のまま士郎は短くエヴァに問いかける、なぜと。

 

「あいつらの目的はどうやら神楽坂明日菜と坊やの調査らしくてな。まぁあやつらの意に沿わせるのは癪だが、今の無力な坊やなど今後の参考にもならん」

 

「…………」

 

「それにだ、坊やが指名されたのだ坊やに任せろ。それにやつはもっと強くならなくてはならんのだ。あの悪魔ぐらい倒してもらわんとこの先やっていけんぞ。ずっと坊やを守っていくつもりか?」

 

「…………」

 

「……少しは坊やを信じてみろ。確かに今はただのガキだが、貴様が見極め私の弟子となった者だぞ」

 

だから少しは落ち着けとエヴァは息を吐いて肩を撫で下ろす。

 

「ヤツの目的は調査だと言ったろう、殺す事が目的ではない。だが、坊やの素質から今後の成長如何で化ける事は確定されている、なら布石として後遺症を残す負傷を……例えば部分的な石化、とかな。どちらにせよそれは勝負が確定してから、見極めが終わってからがもっとも高い。ならその時、本当に危ないと思った時にここから助ければいいだろう。士郎、ここは貴様の射程範囲内ではないのか?」

 

「……そうだな」

 

エヴァの言葉に頷きながら士郎は肩から力を抜いた。そんな士郎の様子を見てエヴァは深く溜息を吐いた。なんで私が士郎を諌めなければならんのかと呟きながら。

 

「ん?」

 

溜息をついていたエヴァは視界の端にふと人影が走ったのを認識した。

 

「どうも神鳴流です~」

 

「にんにん」

 

士郎もエヴァと同様に視線を向けるとチャチャゼロを頭に乗せた月詠と、どこで嗅ぎ付けて来たのか楓が揃ってやってきた。

 

「どうした、貴様らはやつらを助けに行かんのか?」

 

「ネギ坊主にはいい試練でござるよ」

 

「個人的には斬ってみたいですけど~ウチはお呼びじゃないみたいですから~」

 

「だとさ、士郎」

 

くっと喉を殺して揶揄するように笑うエヴァ。士郎は肩を落として力を抜くように息を吐き出した。

 

「……分かったよ、エヴァ。だけど俺はいつでも援護が出来るようにしておくからな」

 

「貴様の好きにすればいい。私的には坊やが片をつけると踏むがな」

 

士郎もエヴァの言葉が分からなくは無かったが、僅かでもその可能性があると言うのなら士郎は躊躇なく踏み出す。取り越し苦労なら望む物だとばかりに。

 

士郎は力を溜める様に大きく息を吸い込み、慣れ親しんできた黒い艶消しの洋弓を投影する。そこに番えるべきはこの状況に相応しい宝具。

 

赤原猟犬の名を冠するフルンディング。

 

一度士郎の手からフルンディングが放たれれば、赤光を伴って刹那の時を置かずヘルマンを射抜き、主人に仕える猟犬の如く翻って三匹のスライムを喰らうだろう。

 

それはこの状況から得られた情報と士郎の戦闘経験が導き出した確定された未来。

 

込められるだけの魔力をフルンディングに注ぎながら士郎は俯瞰的に全体を捉え、状況の推移を見極め、その上で士郎の眼光が悪魔――ヘルマンを射抜く。

 

「……士郎先生は剣呑でござるな」

 

深い歴史を重ねた宝具という破格の武器、そこに込められていく魔力、そして温かさの欠片も無い、普段を知る『士郎先生』から乖離した戦闘体勢の衛宮士郎という冷徹の存在に。

 

楓は今まで見たことも無い様子の士郎にただ息を飲み、同時にどこか息苦しさも感じていた。

 

そして不意にエヴァへと視線を向けていた、きっと士郎の事を一番詳しく知っているであろう人に。

 

「これが放たれたら衝撃波を伴って一秒と経たず奴を貫き消滅させるだろうな、ヤツにこれを防げる手立ては存在せん」

 

剣呑なエヴァの言葉に楓は今一度確認するように士郎へと視線を送り、月詠は楽しそうにくすっと笑った。

 

「……長瀬、頼みごとしていいか?」

 

「なんでござろう?」

 

視線を離さずに声だけをかけてきた士郎に楓は一瞬震えるように体を揺らしたが、素直に次の言葉を待つ。

 

「あいつらの服と何か体を拭く物を頼んでいいか?」

 

「あいあい、お安い御用でござるよ」

 

「私も行きます」

 

来た時のように楓は消えるように樹木の枝から跳んで行き、茶々丸もそれに続く。ただ楓は士郎から離れて行く時、口から安堵の溜息が漏らした事は誰も知る由は無かった。

 

「あの人とも戦ってみたいわ~。……おろ?」

 

楓が跳んでいった先を見つめながら月詠は頬を抑えながら少し紅潮するが、空気を伝って膨れ上がった魔力に不思議そうな声を漏らして戦場へと視線を戻した。

 

「ふん、魔力の暴走か。あいつタガが外れやすくなっているんじゃないのか?」

 

ヘルマンの挑発に乗ってオーヴァードライブを起こすネギに、エヴァは冷ややかな視線を送る。一瞬にしてヘルマンの懐へ潜り込み、空中へと吹き飛ばすネギ。連打の追撃を打ち込み再び大きく吹き飛ばした。だがネギの再度の追撃が入る前にヘルマンの迎撃体制が整い口から一条の光が――。エヴァは柳眉をピクリと動かすが、士郎は何も反応せずただ視線で追うのみ。

 

「危ないところでしたなあ~。小太郎はんがおらんかったら勝負は決まってましたやわ~」

 

「視野狭窄な坊やが悪い。あんな安易な挑発に引っかかりおって……」

 

不機嫌そうにネギを見下ろすエヴァだったが、水牢へと視線を移すとニヤリと笑う。

 

「――状況が動くぞ」

 

エヴァの言葉に同意するようにチャチャゼロがケケケと笑う。眼下のステージ上では水牢の中で円陣を組むように皆が固まり、必死になって呪文を唱えていた。誰が切欠となったかは分からないが、出現した火種が木乃香の魔力を糧に燃え上がり炎となった火炎が水牢を内から食い破っていた。木乃香と古菲がそれぞれ刹那と千鶴を囚われた水牢から助ける為に動き、朝倉が放出魔法を無効化してる明日菜のペンダントを奪う為に動く。だが誰よりも早く動いていたのは夕映だった。夕映は一目散に封魔の瓶を拾うと、一瞬逡巡して自分へと襲い来るスライムたちを睨む。どこか悔しそうにしながらも小太郎が唱えていたように、封魔の瓶をスライムたちに向けて魔具の始動キーを唱え封印した。その頃には刹那も千鶴も助け出されて、ネックとなっていた放出魔法無効化のペンダントを明日菜から引きちぎっていた。小太郎を先行させ、隙が出来た所にネギが魔法の射手を篭った一撃を入れ、止めとばかりに小さな唸りと共にネギが雷の斧をヘルマンへと撃ち付けていた。

 

「勝負はついたか」

 

同意するように士郎はフルンディングと洋弓を消して枝から飛び降り、月詠も士郎を追いかけるように続き、エヴァも風に乗るように枝を蹴っていた。士郎たちが戦闘のあったステージへと舞い降りた頃にはタオル等を取りに言っていた楓と茶々丸も到着していた。

 

「士郎先生! それとエヴァちゃんたちも!」

 

エヴァは明日菜の驚きの言葉を聞こえなかったかのように歩を進ませる。

 

「まあせいぜい及第点と言ったところだな」

 

スライムが封印された小瓶を拾いながらネギへと近づきながらそう漏らした。

 

「……師匠」

 

振り向いてどこか弱々しそうに呼ぶネギにエヴァは鼻を鳴らし、倒れ臥すヘルマンを冷たく見下ろす。

 

「ハイデイライトウォーカーに気付かれていたとはな」

 

「フン、お前らはこいつらにとっていい教材になった礼を言ってやる」

 

エヴァの慇懃無礼な様子にヘルマンはふふっと笑い、他の皆を介抱している士郎へと視線を向けた。

 

「エミヤシロウの調査もしたかったのだがね」

 

「笑わせるな、坊やにすら勝てぬ貴様が士郎を測るだと」

 

エヴァの冷ややかな言葉にヘルマンも同意するように低く笑う。

 

「遠く離れていても彼の殺気には肝を冷やしたよ」

 

「あたりまえだ。貴様が喧嘩を売ったときからこうなることは決まっていたんだよ」

 

傲慢なエヴァの言葉にもヘルマンはただただハハハとどこか乾いた笑い声を上げるのみだった。

 

「君たちの勝ちだ。……止めを刺さなくていいのかね?」

 

何度とネギにそう問うたヘルマンだったが、ついぞネギは首を縦に振ることは無かった。ヘルマンはふっと笑い、遠巻きに見ていた士郎へと視線を向けて問う、君も我々を殺す術を持っているはずだ殺しはしないのか、と。

 

「……ヤツは殺さんさ、無駄口叩かずにとっとと消えてしまえ」

 

「ハハハハ、禍音の死徒からそんな言葉が聞けるとは」

 

面白い物が見れたと笑い声を上げるヘルマンに、エヴァは不機嫌そうに鼻を鳴らしもう興味ないとばかりに背を向ける。

 

「君達はとんだお人よしだな」

 

最後にヘルマンは木乃香に君なら石化したネギの村の住人を治せるかもしれないねと示唆して消えていく。その姿は煙のように空へと昇り、完全に消えてしまった。

 

「あーっ!」

 

「アスナさん?」

 

いきなり叫び声を上げた明日菜に皆の視線が一斉に集まるが、声を掛けたネギすらも無視して当の明日菜はづかづかとエヴァの下へと近づいていった。

 

「エヴァちゃん達ってさ、いつから気がついていたのよ?」

 

「ん? お前らが捕らえられた後ぐらいだが?」

 

それがどうかしたかといったエヴァの口ぶりに明日菜の髪が一瞬にして逆立った。

 

「ちょっと! どうして気付いていたなら助けてくれなかったのよ!」

 

「バカか貴様、教材だよ教材。坊やの実力を試す為のな」

 

「教材って! ネギのやつこんなに怪我したのよ! ほらっ!」

 

「あ、アスナさん……」

 

明日菜はネギを抱えてエヴァの目の前へと突き出すが、エヴァは冷ややかに鼻で笑って口を開く。

 

「せいぜい打ち身や擦り傷だろ。別に手足がもげたわけでも後遺症の残るような致命傷を負ったわけでもない。一体貴様は何を言っているんだ?」

 

エヴァは当たり前の事を何故聞くとばかりに明日菜に向かって吐き捨てる。その様子を見て明日菜はエヴァにこれ以上何かを言っても無駄と諦めて士郎へと詰め寄った。

 

「士郎さんもどうして! 士郎さんが居ればもっと簡単に勝ててたはずでしょ! みんなを助けられてたんでしょ!」

 

明日菜の言葉に士郎は一切反論することなく、ああと全肯定する。

 

「それならなんで!」

 

「それ以上士郎さんを責めないでくださいっ、明日菜さん!」

 

尚も士郎を責めようとする明日菜に、夕映が悲鳴じみた静止の声を上げていた。

 

「……夕映、ちゃん?」

 

「それ以上はやめておけ、神楽坂明日菜」

 

唐突な夕映の悲痛な叫びに、明日菜は冷静さを取り戻し、エヴァは夕映の様子を一目見て、溜息を吐くように言葉を漏らした。

 

「私が言ったのだ手を出すなとな」

 

「え?」

 

「明日菜さんいいんですよ」

 

「ネギ?」

 

「これは僕たちの戦いでした」

 

まだ納得いってない明日菜にネギは笑顔を向ける。

 

「それに士郎さんは僕たちを守っていてくれたんですよ。そうですよね?」

 

「……いや、どうであれ俺は皆を助けられる位置に居て助けなかった事は本当の事だからさ」

 

士郎の言っている事は確かに真実の一面であるが、士郎の言葉を聞いた茶々丸は皆の介抱を止めて微かに眉を顰めた。

 

「ネギ先生、明日菜さん、私の方から一つだけ言わせて貰います。士郎さんはいつでも助けられるようにネギ先生たちが戦っている間中ずっと狙撃体勢でした。一度弦を放せばその瞬間決着が突くほどの状態で」

 

何も弁明しない士郎に代わって茶々丸が感情を乗せずに淡々と答える。茶々丸の言葉にエヴァも同意するように頷き、更に補足するように口を開く。

 

「私はさっき言ったはずだ、この戦いは教材でもあったのだと。それは坊やにだけでなく貴様らにもそれは当てはまったのだぞ?」

 

エヴァの言葉に耳を傾けていた皆は驚きに声を漏らす。ここまで言って趣旨に到っていない者達にエヴァは冷ややかな視線を向けた。

 

「スライムが言ってなかったか? 一般人が興味本位で首を突っ込んだ結果がこれだ」

 

敵対する物に碌に抵抗する事すらなく囚われて、まったく関係のない人間を巻き込み、人質となって無様な姿を晒す。

 

「一般人に魔法をばらすなとも仮契約するなとも言わん、貴様らの好きにすればいい。だがな自分の蒔いた種が元で自身が苦しみに落ちたとしてもぎゃーぎゃー喚き散らすな、見ていて不愉快だ」

 

「うっ」

 

確かにエヴァの言った事はもっともな事で、喚き散らしていた明日菜は思い至る事もあって怯み、エヴァの言葉を遠巻きに聞いていた皆もうな垂れてしまう。

 

「…………」

 

沈んだ空気が辺りを包もうとしていたが、誰よりも早く復活した明日菜は自分で自分の頬を叩き士郎へ向き直る。

 

「ごめんなさい!」

 

「明日菜?」

 

明日菜のツインテールが空を切り思いっきり頭を下げていた。清々しいほどの明日菜の行動に士郎は苦笑いを浮かべて、目の前に下げられている明日菜の頭をそっと撫でた。

 

「怒るのは当然のことだ。直ぐに助けられる位置にいて助けようとはしなかったからな」

 

「でも……」

 

士郎の言葉に納得のいかない明日菜だったが士郎は微かに笑い、静かに首を振ってその先を言わせなかった。

 

「士郎先生……」

 

「ありがとうな夕映、俺を庇ってくれてさ。……でもごめんな怖い思いさせてしまって」

 

士郎は夕映に手を伸ばそうとしたが、怯えるように震えたのを見てどこか悲しそうに、自嘲的に笑って静かに手を引いた。

 

「士郎、私はじじいの所へ報告に行く、貴様はどうする?」

 

「俺は……千鶴を寮まで送っていくさ」

 

エヴァは士郎の答えにこの場で唯一魔法の存在の知らない千鶴を見て、何も言わず背を向けた。

 

「はいはい小太郎はんもエヴァちゃんと一緒に行きましょうね~」

 

「あ? 一緒にって、なんでお前がおんねん!」

 

気配を消して、ぬっと小太郎の背後からぽんぽんと肩を叩く月詠。

 

小太郎は今初めて月詠が居る事に気がついたようで思わず叫んでいた。声を上げられた方の月詠は刀を持ったまま気にした風も無くくすくすと笑う、だがその瞳にはどこか性質の悪い物が浮かんでいたが。

 

「いややわ~、ウチの事に気づかなかったなんて~。一緒にお嬢様を攫おうとした仲やのに~」

 

「なっ!」

 

「それと長の方からも連絡来てましたよ~。本山の反省室から脱走したんやってね~」

 

「くっ!」

 

「あ、ちなみにウチは千草はんに力を貸してたんはお仕事でしたので特にお咎めは無かったんですよ~」

 

「――! ――!」

 

ぐーの音も出ないほどに言いくるめられた小太郎は地団太を踏んでやり場の無い怒りをぶつける。だがそんな小太郎に向けられるのは話を聞いていたネギのジト目。

 

「……小太郎君」

 

「なんやねん! ネギッ!」

 

我慢しきれずに小太郎は絶叫していた。

 

「はいはい早く行きましょうね~。早くしないと怖い怖いエヴァちゃんに食べられちゃいますよ~?」

 

冗談まみれの月詠の言葉を聞いていたのか、エヴァは感情の込められていない瞳で一瞬小太郎を見るが、震える小太郎を他所にもう興味ないと視線を外して学園長がいる学園長室へと歩き始めていた。

 

「では先輩方、楽しい見世物おおきにでした~」

 

月詠の揶揄でも何でもなく、思ったまま口に出した言葉にネギたちは絶句してしまう。ネギたちが何か口にするより早く月詠は小太郎の肩を押して、すでに歩き出しているエヴァと茶々丸の所へと。月詠に無理やり押される小太郎だったが、士郎に寄り添うように立っている千鶴を一瞬見つめて渋々と自分の足で歩き始めた。

 

「じゃあネギ君、俺は先に千鶴を寮まで送って行くから。……ここの事は頼んだ」

 

「……? あっ、はい。分かりました」

 

ネギは一瞬士郎が何の事を言っているか分からなかったが、士郎の視線が戦闘で壊れた器物などに向けられていた事に気づいて遅まきながら頷く。それに唯一魔法の存在の事を知らない千鶴の事も。

 

「士郎先生、寮までお願いしますね」

 

少し後ろで士郎がネギとの会話を終わるのを待っていた千鶴だったが、終わったのと同時にひょこんと士郎の隣に寄り添う。

 

「待たせてしまったか?」

 

「いえいえ~。……あ、でもどうしましょ、私靴がありません」

 

あらあらと全然困ってない様に呟く千鶴だったが、そこにふらりと楓が割って入った。

 

「スマンでござる。那波殿の靴には気がつかなかったでござるよ。……もしよければ一っ走りして取ってくるでござるが?」

 

千鶴をあまりこの場に居させたくなかった士郎は楓の言葉に即頷く事は出来なかった。

 

「……千鶴、俺の背中に乗って寮まで行くか?」

 

さてどうするかと悩む士郎だったが、悩んでいる時間も勿体無く、そんな苦し紛れの言葉を漏らした。だが、千鶴は――

 

「いいですよ」

 

「え? いいのか?」

 

「どんと来てください」

 

「あ、ああ」

 

了承が取れると思わなかった士郎だったが、さぁさぁ早くと千鶴に促されてあれよと言う前に千鶴を背負ってしまった。背負ってしまってから士郎はこれはこれでいいかと思い直し、呆気に取られているみんなへと振り向く。

 

「それじゃ皆、また明日な」

 

「みなさん、さようなら~」

 

千鶴は士郎の背中から手を振ってもう行きましょうと士郎の肩を叩く。士郎も最後に皆に会釈をして寮へと向かって歩き始めた。

 

「士郎先生って、いや那波さんも……」

 

そんな明日菜の呟きだけが壊れかけたステージに響いた。

 

 

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 

 

「じじい来てやったぞ」

 

学園長室の扉をまるで蹴破るようにエヴァを筆頭に、茶々丸以下が続いて入ってくる。

 

「ふむ、ご苦労であったな」

 

学園長の言葉にエヴァは不機嫌そうに鼻を鳴らして、封魔の瓶を学園長のテーブルへと放り投げた。

 

「侵入したやつらは上位魔族一匹と三匹のスライム」

 

上位魔族と言う言葉に学園長は驚いた表情を浮かべるが、エヴァは気にした風も無く言葉を続ける。

 

「神楽坂明日菜、近衛木乃香、桜咲刹那、宮崎のどか、綾瀬夕映、古菲、朝倉和美、那波千鶴の八人が攫われた。……那波千鶴のヤツはその駄犬の巻き添えだったみたいだがな」

 

「なっ、駄犬て!」

 

「何か言い訳でもあるのか? 無いなら黙ってろ、駄犬」

 

冷ややかなエヴァの視線に小太郎は背筋に冷たい物を感じ、千鶴を自分の所為で巻き込んだのも事実で何も言う事は出来なかった。

 

「結果は坊やとその駄犬がヘルマンと名乗った魔族を倒し、ガキどもがスライムをその瓶に封印して終わりだ」

 

「ふむ、生徒たちは大丈夫だったかのう?」

 

「ふん、やつらにはいい薬になったんじゃないのか? 安易に魔法に首を突っ込むからこんな事になるんだ。……完全な一般人の那波千鶴は記憶は消さなかったが、まぁ士郎のヤツがどうにかするだろう」

 

エヴァの言葉は無責任とも取れる言葉であったが、学園長はとりあえずは問題らしき問題も無いようで安心したとばかりに椅子にその身を任せる。

 

「それで彼らの目的はなんじゃったんだろうかのう?」

 

「首謀者は分からんが、やつらの目的は学園の調査。その中でも特にネギ、神楽坂明日菜、士郎の三人を今後の脅威度を測ろうとしていたぞ」

 

「……ふむ」

 

エヴァの言葉に学園長は深く椅子に身を任せて虚空を見上げる。それは何処から見ても深く考えこもうとしている様子だったが、エヴァは躊躇無く言葉を向けた。

 

「おいじじい、坊やはアイツのガキだ、士郎もまぁいい。だがな、神楽坂明日菜、ヤツはなんだ? 稀少どころの話ではない魔法無効化能力の体現者、ただ運動神経がいいだけでは言い切れないその身体能力。もう一度聞く、ヤツは何物だ?」

 

「…………」

 

「…………」

 

二人はじっと視線を合わせるが、学園長は口を閉ざして結局エヴァの望む答えは出る事は無かった。

 

「……言う気は無いか。まぁいい、どうせ私には関係のない話だからな。何かあっても私の所へと持ってくるなよ、無論士郎のとこへもな」

 

それはちと困るんじゃがのー、と呟く学園長を黙殺してエヴァは踵を返す。

 

「私は私の仕事は果たした。帰るぞチャチャゼロ、茶々丸!」

 

「はい、マスター」

 

茶々丸は深く腰を折って一礼し、チャチャゼロは月詠の頭の上から飛び降りた。

 

「ゼロはん、ほなな~」

 

手をひらひらと振る月詠にチャチャゼロもケケケと笑って返し、もう既に歩き始めていたエヴァの下へと続いた。エヴァ達が完全に学園長室から居なくなると明らかに室内の空気が軽くなって、二人ばかり安堵の溜息を吐く人間が居た。

 

「……まったく怖いのう。もうちと優しくしてもいいじゃろう」

 

「……何もんやったんやあのねーちゃん」

 

この部屋に居た二人だけの男だったのに、その弱腰な様子に月詠はくすくすと笑い声をもらした。

 

「ほな、学園長せんせー、うちも帰らせてもらいます~。昨日は余り寝てなくて眠いんですぅ~」

 

「うむ、ご苦労であったな月詠君」

 

学園長の言葉に月詠は小さなあくびをしつつ軽く会釈をして、エヴァが出て行った扉へとゆっくりと歩き出した。

 

「……それで爺さん、俺はどうなるんだ?」

 

「悪いようにはせんから、安心してくれて大丈夫じゃよ」

 

学園長のその言葉に小太郎は肩から力を抜いてそっと息を吐いた。これでネギと普通に会えそうだし、何よりも世話になった千鶴と夏美に顔向けできそうだと。

 

 

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 

 

「士郎先生、重くないですか?」

 

「ああ、全然重くない。もっと重くても俺は大丈夫だぞ?」

 

「……士郎先生、それは私にもっと太れという遠まわしな意味ですか?」

 

「あ、いやそういう訳じゃないぞ?」

 

ごごごごごと妙な圧迫を背中から感じて士郎は慌てて弁明する。

 

「そ、それより千鶴の方は大丈夫か?」

 

「はい、大丈夫ですよ。むしろ安心できます」

 

「そうか?」

 

「はいっ」

 

元気に返事をする千鶴から、士郎はもうすっかり強制睡眠の後遺症は無くなっているなと感じて、千鶴に気づかれないようにそっと安堵の溜息を吐いた。

 

「士郎先生、何か考えています?」

 

「……いきなりどうした?」

 

「あ、いえ、ただそんな気がしただけですから」

 

「…………」

 

士郎は千鶴の言葉に眉間に皺を寄せる。事実士郎は迷っていた、今回の件の事を千鶴になんて説明すればいいのかと。魔法の事は一切知らない千鶴。魔法の事を一切合財説明するのは論外だ、だが何も知らないまま、知らせないままでは被害者である千鶴も納得はしないだろうと。修学旅行の時もなんだかんだで無理をさせてしまった、やはりある程度説明しなければいけないか……。士郎が結論を出して口を開こうとした時、士郎の鼓動を感じるようにその広い背に頬を触れさせていた千鶴が肩をぽんぽんと叩いた。

 

「士郎先生ちょっといいですか?」

 

「……千鶴?」

 

出鼻を挫かれる形となった士郎は少し戸惑いながらも千鶴に促されてその場に下ろす。体勢が窮屈だったのかと士郎はふと思い、再び声を掛けようとすると千鶴は逃げるように一歩、二歩と素足のまま歩き出した。

 

「ふふふ」

 

後ろで手を組んで水溜りにちゃぷちゃぷとゆっくり歩く千鶴。士郎はその背中に声を掛けようとして、掛けられなかった。

 

「ねぇ士郎先生、私今日日記を書こうと思うんです」

 

声を掛けられないまま千鶴の背を見ていた士郎だったが、まるで謳うように言葉を上げる千鶴に視線を上げた。

 

「日記?」

 

「はい、そうですよ」

 

少し大きめの水溜りで遊ぶようにちゃぷちゃぷと水を跳ねて頷く千鶴。

 

「今日はいつも通りの授業でしたけど、帰りに雨が降り出して少し憂鬱でした。このまま一日が何もなく終わるかなって思っていたら帰り道で小太郎を拾ったんですよ?」

 

「あの少年は……」

 

関西呪術協会の本山、そこの反省室から脱走した狗族と人間のハーフの少年、士郎は月詠からそう聞いた。でもその事を正確に伝える事は出来ない。そんな士郎の葛藤を知ってか知らずか千鶴はくすっと微笑んで更に言葉を続けた。

 

「小太郎くんは夏美ちゃんの弟なんですよ。夏美ちゃんの弟で村上小太郎くん。少しやんちゃですけど、とてもいい子なんです」

 

「…………」

 

「それで寮に連れて帰って、熱があったせいかしら少し暴れちゃったんですけど直ぐに倒れちゃって。でも起きた時には熱引いていたんですよ? ネギを小太郎くんのお尻に刺そうとしたら夏美ちゃんに止められちゃって」

 

千鶴はその場面を思い出しているのか士郎に背を向けたままくすくすと小さな笑い声を上げる。

 

「ご飯を出したら子供らしくいっぱい食べて、汚れていたからお風呂に入れて。あやかが丁度帰ってきたのですけど、小太郎君と出会い頭にぶつかっちゃって。その所為かしら、少年好きなあやかなのに、あんまり気にって無いみたいで……。夕ご飯をみんなで食べて居る時、紳士と名乗る方が部屋にやって来たんです」

 

「…………」

 

「それから間も置かずに小太郎君と取っ組み合いの喧嘩。どんな事情があるにせよ子供に暴力を振るうなんて許せなくて。だから私は割って入って、頬を引っ叩いてやりました」

 

ふふふと思い出すように笑う千鶴。

 

「それからの事は覚えていませんけど気がついたらあのステージで……。ネギ先生と小太郎君、それに士郎先生がちゃんと私を助けてくれたんですよね?」

 

「……俺は」

 

何もしていないと言葉を続けようとした士郎だったが、千鶴の深い笑みにそれ以上続けられなかった。

 

「それで、それで、私はずぶ濡れになっちゃいましたけど、こうして士郎先生と二人っきりで帰り道を歩いている。色々ありましたけど最後にこう書いて締めくくるんですよ」

 

「…………」

 

千鶴はスカートを靡かせながらくるんと振り向いて、心配そうな顔を浮かべる士郎に笑顔を向ける。

 

「――今日はとてもいい日だったって」

 

「ッ!」

 

泣き笑いのような表情を浮かべる士郎に千鶴は尚も言葉を続ける。

 

「あの紳士と名乗る方が私に願い事を叶えてあげようって言いましたの、でも私はきっぱりと断りました、間に合っていますって。――私は私の日々を過ごして、これからもずっとそうしていきますよ?」

 

「そう、か」

 

「はい」

 

千鶴の何でもないといった言葉に士郎は眩しい物でも見るように目を細める。士郎は思う。もし千鶴に魔法の事を話さなければならない時がやってきたとしても、千鶴なら大丈夫だと。千鶴ならたとえ魔法の事を正確に知ったとしてもきっといつも通りに、いつもの生活を当たり前のように普通に過ごすだろうって。ああ、本当に彼女には頭が上がらないな……。

 

「……千鶴には借りばかり作るな」

 

「何の話です?」

 

千鶴には聞こえていたはずなのに、私聞こえていませんよ? と暗に言っている事に、士郎は本当にどうしようもなくてただ苦笑いを浮かべるしかなかった。

 

「なぁ、千鶴」

 

「何ですか? 士郎先生」

 

「何か俺にして欲しい事ってあるか?」

 

「ふふふ、どうしたのですか急に」

 

「あ、いや、なんとなく、そうなんとなくだ。千鶴に何かしてあげないとってこう……。兎に角だ! 俺に出来る事だったら何でもいいぞ」

 

くすくすと分かっていて笑みを漏らす千鶴に、士郎は歯切れ悪くあたふたとしながらも無理やり言い切った。

 

「そうですねー」

 

千鶴は人差し指を顎に添えて少し首を傾けて考え込み、士郎は千鶴の顔を覗き込みながらただ待つ。

 

「でしたら今度買い物に付き合ってください」

 

「……そんなことでいいのか?」

 

ようやく出た千鶴の答えに肩透かしを喰らった様な士郎だったが、そんな士郎に千鶴は一瞬だけむっと顔を顰めるが、すぐに柔和な表情へと戻る。

 

「私にとってはそんなって訳でもないんですけど……。いいんです、士郎先生は頷いてくれるだけで」

 

「……ああ、分かったよ。買い物でも何でも千鶴に付き合うさ」

 

「よろしい」

 

まるで先生然とした、少しだけ偉そうな千鶴の言葉。一瞬の後、二人は揃って笑いあっていたが、くしゅんと可愛いくしゃみを上げた千鶴に士郎は顔を顰める。

 

「俺は大丈夫だが、このままじゃ本当に風邪を引いてしまうぞ。早く寮へと行かないとな」

 

五月の初め、まだ初夏にもなっていないこの時期にずぶ濡れのまま話している訳には行かないと。だが、千鶴は士郎の言葉に一瞬顔を顰めてしまう。

 

「……私も大丈夫です」

 

「駄目だ」

 

湿ってはいるが、無いよりはましだと士郎は聖骸布の外套を脱いで千鶴の肩へと掛ける。素早く背を向けてしゃがむ士郎だったが、いつまで経っても千鶴が乗ろうとしないのを不審に思って背中越しに振り向く。

 

「……嫌です」

 

「千鶴?」

 

まるで童女のように口を尖らせて不機嫌そうに否定の言葉を口にする千鶴。いつもの大人びた、物分りがいい千鶴は何処へ行ってしまったのかと士郎は頭を悩ませて溜息を吐いた。

 

「……どうすればいいか言ってくれ、俺の出来る事なら何でもするからさ」

 

早く寮へと帰らないと本当に風邪を引いてしまうと言う士郎に、千鶴は渋々と口を開いた。

 

「こう膝を抱えてください」

 

「膝、を?」

 

真っ直ぐに視線を向けて千鶴は言った。両手を前に突き出して抱えるような格好。それは所謂お姫様抱っこと言われる体勢。士郎は自分の背中が冷たかったからかなと場違いな事を思いつつ抵抗無く千鶴を横抱きに抱いた。

 

「きゃっ」

 

「千鶴? やっぱり背負った方が良かったか?」

 

小さな千鶴の悲鳴に士郎は千鶴を下ろそうとしたが、千鶴が慌ててそれを止める。

 

「あ、いえ、このままで大丈夫です! うん、大丈夫なんですよ!」

 

「? そうか」

 

千鶴から振ってきた事なのに、どこか焦ったような千鶴の物言いに士郎は小首を傾げるが、問答している間にも寮へと向かった方が懸命だと思い再び歩き始める。足早に寮へと向かっていた士郎だったが、俯き加減で腕の中に居た千鶴の頬が赤く染まっていた事に終ぞ気づく事は無かった。

 

「千鶴、寮についたぞ?」

 

「せんせ、私は裸足なんですから部屋までお願いしますねー」

 

「…………」

 

「……なんですか? 士郎せんせー」

 

さっき裸足で歩いて居なかったかと士郎は言いかけたが、なんだか何時の間にかテンションがおかしくなっている様な気がしたが声に出す事はなかった。幸か不幸か寮内では誰一人出くわす事無く無事に千鶴たちの部屋まで辿り付く事が出来た。

 

「夏美ちゃーん、今帰ったわよー」

 

まるで酔っ払いじゃないのかと心の中で千鶴に突っ込みをいれて、士郎は苦笑いを浮かべたまま部屋の扉を開けた。

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

ヘルマン卿の学園侵入から数日後。夜の時を刻むエヴァの別荘、エヴァが一人ランプを灯して本を読んでいる中、小さな人影がエヴァの私室の扉を叩いた。

 

「今は士郎もネギも居ないぞ」

 

「…………」

 

エヴァは読んでいる本から視線を外す事無くその人影に向かって言葉を向けるが、返されたものは沈黙という声なき返答。エヴァはまるで何も無かったかのように本を読み進めるが、小さく溜息を漏らして読んでいた本を閉じた。

 

「用があるならさっさと入れ」

 

エヴァに促される小柄な人影は一瞬躊躇ったが、それでもどこか怯えるようにして歩を進ませる。

薄暗い場所からランプの明かりの灯る場所へと来て、エヴァの視界にもはっきりと映った。光によって照らされた姿は余り健康的とは言いがたいもの。

血色が悪くやつれた肌、深く隈を刻んだ目元、それでもその瞳にはどこか力強さがあった。

 

「ただの小娘がよくここまで持ったなと言うべきか、私の元へと来たのは些か予想外だったがな」

 

くっくっくと一頻り皮肉気に笑ったエヴァは顔を上げ、真っ直ぐと目の前までやって来た者を見据える。

 

「――それで一体私に何の様だ、綾瀬夕映」

 

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