1.無に帰す計算機
轟音と閃光が収まったスタジアム。
観客席を埋め尽くす数万人が、息を呑んでクレーターと化したリングを見つめていた。
そこには、無残な光景が広がっていた。
剣心が展開していた十六枚の鏡は、王馬の放った《天龍旋風破》の理不尽な圧力の前に、文字通り粉々に粉砕されていた。
剣心自身も、制服は裂け、全身から鮮血が滴っている。右腕はあらぬ方向に曲がり、立っているのが不思議なほどの重傷だ。
「……ハッ、やはりその程度か。壊れた鏡に、もはや価値などない」
王馬は悠然と、煙を上げる大太刀を肩に担ぎ直した。
彼もまた、無傷ではない。剣心の死に物狂いのカウンターで全身に切り傷を負っているが、その覇気は微塵も衰えていない。
「終わりだ、剣心。貴様という『道具』の限界、ここで見届けさせてもらった。……貴様の計算には、俺を倒すための『命の輝き』が足りなかったな」
王馬が最後の一撃を放とうと、再び大太刀を上段に構える。
だが。
「……ふ、ふふ……。……道具の限界、ですか」
うつむいていた剣心の肩が、小さく震えた。
それは、絶望による震えではない。
抑えきれない「歓喜」と、自身の核にある「野性」が目覚める音だった。
「……王馬殿。貴方は先ほど、私の鏡は『空っぽ』だと言いましたね。……ええ、その通りです。だからこそ、私は……貴方の嵐を、完璧に『
2.零式・
剣心は、折れた右腕を無視し、地面に散らばった「鏡の破片」を素手で握りしめた。
鋭い破片が手のひらを切り裂き、血が溢れる。だが、その血は破片に吸い込まれ、鈍い赤色に発光し始めた。
「
剣心の瞳から、知的な光が消える。
代わりに宿ったのは、飢えた獣のような、あるいは無機質な鏡面そのもののような、底知れない「無」。
王馬の放つ《天龍》の圧力が、再び剣心に襲いかかる。
だが、剣心は《八咫鏡》も《草薙》も展開しない。
彼は、握りしめた破片を自身の心臓に押し当て、全身の魔力回路を強引に「
「──零式──《
それは、洗練された技ではない。
自身の肉体を「鏡」そのものに変え、受けた衝撃を増幅も減衰もさせず、骨が砕ける痛みをそのまま推進力へと変えて肉薄する、自爆同然の特攻。
「何っ……!? 風に……逆らわずに、流れているのか!?」
王馬の驚愕をよそに、剣心は「風」の一部となって加速した。
計算で軌道を導き出すのではない。王馬の魔力の「波」に、自身の波長を極限まで合わせることで、王馬の支配下にある風の合間を、まるで魚が水を泳ぐように通り抜ける。
3.泥臭き王の証明
「──舐めるな、小僧ォォォッ!!」
王馬の渾身の大太刀が、剣心の脳天へと振り下ろされる。
剣心はそれを避けない。
彼は、血に染まった左手で、王馬の刀身を直接掴み取った。
「あ、がぁぁぁぁぁッ!!!」
肉が裂け、骨が断たれる音が響く。
だが、剣心は笑っていた。
王馬の刀から伝わる絶大な「風」の魔力が、剣心の腕を伝い、全身を駆け巡る。
剣心の体は限界を超え、皮膚から血が噴き出すが、彼はその「王馬の力」を、そのまま己の右拳に収束させた。
「貴方の力は……貴方自身で、受け止めなさい!!」
「……ぐっ、はぁぁぁっ!?」
剣心の右拳が、王馬の腹部へとめり込んだ。
そこには光の剣も、神の盾もない。
ただ、王馬自身の《天龍》の衝撃と、剣心の「生きたい」という原始的な執念が混ざり合った、泥臭いまでの「ただの一撃」。
ドォォォォォォォォンッ!!!
大気が爆ぜた。
洗練された神域の技ではなく、互いの魂をぶつけ合う、原始的な力の衝突。
王馬の巨躯が、自身の風に飲み込まれるようにして、スタジアムの端まで吹き飛んだ。
防壁に激突し、王馬の大太刀がカラン、と乾いた音を立ててリングに落ちる。
最強の王が、その場に崩れ落ちた。
4.鏡の向こう側の夜明け
静寂。
スタジアムは、あまりにも唐突で、あまりにも「人間臭い」幕切れに、声を失っていた。
リングの中央で、剣心は立っていた。
右腕はぶらりと垂れ下がり、左手は王馬の刀を掴んだ傷でボロボロだ。
十六枚の鏡も、光の剣も、もうどこにもない。
ただ、一人の傷だらけの少年が、荒い息を吐きながらそこにいた。
「……はぁ、……はぁ、……計算、外……。……痛い、ですね……。……王馬、殿……」
剣心の口から、気取った敬語ではなく、年相応の弱音が漏れる。
その姿を見て、倒れていた王馬は、血を吐きながらも愉快そうに笑った。
「……ハ、ハハ……。……計算、外、だと……? ……よく言う。……最後に、……ただのクソガキに戻った奴に、……俺が、負ける、とはな……」
王馬は、満足げに目を閉じた。
最強という孤独を背負った男が、初めて「一人の騎士」として対等に戦い、敗れた。そこには、血統も本家も分家もない、ただの清々しい敗北があった。
「勝者、黒鉄剣心ッッッ!!!」
審判の絶叫が、静寂を切り裂く。
その瞬間、スタジアムは狂気のような歓声に包まれた。
三種の神器という「完璧」を捨て、泥にまみれて勝利を掴み取った「分家の怪物」。その姿は、観客たちの心を、これまでのどの試合よりも熱く震わせた。
「……剣心君!!」
駆け寄る一輝の胸に、剣心は崩れ落ちるように体重を預けた。
「……一輝殿。……格好、悪い……ですよね。……あんなに大口を、叩いておいて……最後は、……ただの、……殴り合いだなんて……」
「そんなことないよ! 最高に格好良かったよ、剣心君!」
一輝は、涙を流しながら剣心の身体を支えた。
剣心は、ぼやける視界の中で、一輝の温もりを感じていた。
計算機としてではなく、一人の人間として、親友と、そして自分自身と向き合えた実感。
「……次は、……貴方の、番です。……決勝で、……会いましょう」
剣心はそう言い残すと、心地よい闇の中に、ゆっくりと意識を沈めていった。
(続く)