狩人のテイワット観光記   作:教頭

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章分けすぎた……。
作り直そうかな……。


第三話:第5章「月下の邂逅と、悪夢の種」

星拾いの崖からモンド城へと続く、緩やかな街道の脇。シードル湖のさざ波が、銀色に輝く月光を細かく砕いて岸辺に打ち寄せていた。

 

狩人は、街道から少し離れた水辺に佇んでいた。周囲には湿った土と、夜露に濡れた草の香りが満ちている。彼は無造作に右手の仕込み杖を傍らの岩に立て掛け、左手の短銃を狩装束の内側に収めた。カチリ、という金属の噛み合う音が、静まり返った夜の帳に鋭く響く。

 

彼は、自分の掌を月光にかざした。

 

そこには、先ほどまで「蛇」であった男を解体した際の、生々しい血がこびりついている。時間は経過しているはずだが、血は乾くことを拒むかのように、不気味な粘り気を保ったまま狩人の肌にへばりついていた。彼は湖の冷たい水に手を浸した。

 

指先を刺すような水の冷徹さが、熱を持った皮膚を冷やしていく。水面をなぞるたびに、赤い絵の具を溶かしたような筋が銀の湖面に広がり、瞬く間に暗い深淵へと消えていく。

 

(……温いな。この世界の血は、どこまでも軽やかで、生命の重みが足りない)

 

狩人は内心で自問する。かつてヤーナムで浴び続けた、呪いそのもののような重厚な血。それに比べれば、この地の命が流すものは、まるでおままごとの葡萄酒のようだ。それでも、皮膚に触れる微風が、湿った指先を撫でて冷やしていく感触は、彼に微かな「生」の自覚をもたらしていた。

 

不意に、背後の森から、乾いた小枝を踏みしめる音が届いた。

 

パキリ。

 

その音は極めて小さかったが、狩人の耳には、教会の大鐘が鳴らされたかのような鮮明さで届いた。彼は手を水から引き上げることなく、ただ背筋を僅かに伸ばした。肺の奥深くまで冷たい夜気を吸い込む。呼吸は深く、吐き出される息は白く、そして静かだ。

 

「……随分と熱心な掃除だね。だが、血というものは、水で洗えば洗うほど、その本質が肌に染み込んでいくものだとは思わないかい?」

 

聞こえてきたのは、軽薄さと傲慢さが、絶妙なバランスで調和した男の声だった。

 

狩人は、濡れた掌をゆっくりと振り、水滴を払った。一滴、二滴。水面を叩く音が、規則正しいリズムを刻む。彼は立ち上がることなく、視線だけを音のした方へと向けた。

 

そこには、月の光を背に負うようにして、一人の男が立っていた。

 

白い外套に、異質な意匠を凝らした仮面。男の周囲には、この世界の元素の理とは異なる、冷徹で計算し尽くされた殺意が、霧のように漂っている。男が歩を一つ進めるたびに、周囲の空気が彼の意志に従うように歪み、草花がその存在を恐れるように萎れていく。

 

「……ファデュイの執行官か」

 

狩人は立ち上がり、腰の仕込み杖を手に取った。指先が冷たい革のグリップに触れ、馴染んだ感触を確かめる。心拍は、驚くほど平坦なままだ。

 

「失礼。君の部下を一人、少々無作法に扱わせてもらった。……掃除の手間を増やしてしまったのなら、謝罪しよう」

 

狩人の言葉は、鏡のように滑らかで、一切の感情を剥ぎ取られていた。彼は、目の前の男の瞳――仮面の奥に隠された、知性の深淵を覗き込もうとした。

 

「謝罪? 冗談はやめてくれ」

 

男――「博士」ドットーレは、肩を揺らして低く笑った。その笑い声は、鳥の羽ばたきのように不吉で、周囲の静寂を侵食していく。

 

「あのような出来損ないの実験体、君のような『未知の変数』によって処理されたことこそが、彼に与えられた最大の功績だ。むしろ感謝しているよ。おかげで、素晴らしいデータが取れた」

 

ドットーレは、狩人の周囲を値踏みするように、ゆっくりと弧を描いて歩き始めた。一歩、二歩。彼が踏みしめる草の音が、狩人の耳元で不快な旋律を奏でる。ドットーレの視線は、狩人の瞳、その仕込み杖、そして血で汚れた狩装束の一つひとつを、解剖医が臓器を観察するかのような執拗さで舐め回していた。

 

「素晴らしい……実に素晴らしい。君からは元素の波動が一切感じられない。神の目の恩寵も、アビスの汚染も、この世界の理とは何一つ合致しない。だというのに、君の存在そのものが、空間の強度を歪めている。君は、いったい何者だ? どの深淵から這い出し、どのような『進化』を経て、その形に辿り着いた?」

 

ドットーレの呼吸が、興奮によって僅かに速まるのを、狩人は逃さなかった。

 

(……この眼差し。この、狂気と好奇心が混濁した、吐き気を催すほどの純粋な探究心)

 

狩人の脳裏に、かつての記憶がフラッシュバックする。ビルゲンワースの学び舎で、蜘蛛の瞳を見つめながら正気を失っていった学長ウィレーム。あるいは、狂った神の知恵を求めて、幼子の脳を弄んでいたローレンス。

 

目の前の男は、彼らと同じ臭いがした。

 

真理という名の劇薬に冒され、人間であることを捨て去った、高貴な怪物たちの臭いだ。

 

「君をスネージナヤへ招待したい。……いや、これは『誘い』ではない。学術的な『提案』だ。君という究極の検体を、私の研究室に並べたい。君なら、私が長年解き明かせなかった『世界の偽り』を、その肉体をもって証明してくれるのではないか?」

 

ドットーレの手が、狩人に向けて差し伸べられた。その指先は、期待に小さく震えている。

 

狩人は、自らの唇に浮かんだ笑みが、どこか自嘲的なものであることを自覚していた。彼は、差し伸べられた手を見ることもせず、ただ静かに首を振った。

 

「……断らせてもらおう。私は、誰かの檻の中で飼われるような趣味はない」

 

「だろうね。君のような個体が、容易く首輪を受け入れるとは思っていないよ」

 

ドットーレは残念そうに肩をすくめたが、その瞳の奥の狂喜は、一向に衰える気配を見せなかった。

 

狩人は、狩装束の内側、胸元に隠し持っていた「あるもの」を指先で探り当てた。それは、小さな硝子瓶に収められた、脈打つような不浄な塊。先ほどコレイと伝教師から引き抜いた、魔神の残滓と「深淵」の澱を凝縮し、自分の血液を媒介にして固定化したものだ。

 

「……だが、君のその傲慢なまでの知的好奇心は、嫌いではない。かつての知人たちを思い出させる」

 

狩人は、その瓶をドクン、とドットーレの足元へ投げた。

 

硝子が割れる、澄んだ音が響く。

 

中から溢れ出したのは、月光すらも拒絶するような、漆黒の粘液だった。それは地面に触れた瞬間に意志を持ったようにうごめき、周囲の草を瞬時に腐敗させ、大気を腐った果実のような異臭で満たした。

 

ドットーレは、その漆黒の塊を見つめ、驚きに目を見開いた。

 

「これは……!?」

 

「贈り物だ。私がかつて見てきた、世界の裏側……『悪夢』の欠片だ。君のような探究者なら、これを解析することに、幾許かの愉しみを見出せるだろう」

 

ドットーレは、跪くようにしてその不浄な塊を凝視した。彼の仮面の奥で、瞳孔が異様に拡大しているのが分かる。彼は、その黒い泥に手を伸ばそうとし、そのあまりの「不可能性」に、声を上げて笑い出した。

 

「ハハ……ハハハハハ! 素晴らしい! 素晴らしいぞ! これこそが、私の求めていた『未知』だ! まさか、このテイワットの地で、これほどまでに純粋な虚無を手にできるとは!」

 

ドットーレの笑い声が、夜の森にこだまする。

 

狩人は、その狂態を冷めた目で見つめたまま、再び杖を手に取った。

 

「……精々、その種に呑まれないよう、気をつけることだ。深淵を覗くとき、深淵もまた君を覗いている」

 

「忠告痛み入るよ、友人! だが、これが私を滅ぼすというのなら、それもまた一つの解答だ!」

 

ドットーレは歓喜に震える手で、その不浄な塊を回収した。彼の周囲の空気は、もはや正常な呼吸すら拒むほどに歪んでいる。

 

「次に出会う時が楽しみだ。君を解剖台に乗せるその日が、私の人生の最良の瞬間になるだろう!」

 

ドットーレはそう言い残すと、闇の中へと消え去った。彼の去った後には、枯れ果てた草と、微かに残る不吉な笑い声の残滓だけが漂っていた。

 

狩人は、再び一人になった街道の脇で、シードル湖を眺めた。

 

月は依然として高く、何事もなかったかのようにモンドの街を照らしている。だが、狩人の体内には、ドットーレに渡した「悪夢」の感触が、未だに冷たい熱を持って残っていた。

 

(……狂気こそが、真理への唯一の鍵か。やれやれ、どこの世界も変わらんな)

 

彼は大きく一つ溜息をつき、濡れた帽子を直すと、夜の静寂へと歩き出した。彼の足音が、再び一定のリズムで街道に響き始める。カツ、カツと、孤独な狩人の行進が、モンドの夜に溶け込んでいった。

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