「だからね、シリウス・ブラックは絶対花の咲く灌木に変身できるのよ」
「アーなんで?」
ハッフルパフのハンナ・アボットは鼻息荒く主張する。普段の彼女とは勢いが違ったのでアリスはややのけぞりながらもその理由を問う。
「木を隠すなら森の中っていうでしょう? ホグワーツにいくつ灌木があると思う?」
ホラ見て、とアリスを薬草学の教室の窓辺まで連れていく。
「あのブナの木の近くの灌木、怪しいわ」
「でもあれには花が咲いていないよ」
「そりゃそうよ!」ハンナは声をあげる。「もし花が咲いていたらそれはシリウス・ブラックだから授業を抜け出してダンブルドア先生にお伝えする必要あるもの!」
アリスは窓枠に背中を預けて足を放り出してもう少し聞いてみた。
「この季節の灌木は花をつけないよ」
「えぇそうよ、その通り。だからシリウス・ブラックの変身には綻びがあるわけよ」
納得したようなしていないような曖昧な笑顔でアリスはやり過ごした。それくらい今のホグワーツは不確かな情報と噂でいっぱいだった。
「きっと私たちの警戒心を解くような何かに変身しているのよ」
「それは一理あるね」
ハンナは「灌木に気を付けて!」としつこく忠告して次はネビルに声かけた。ネビルはあれから常にシリウス・ブラックの存在に怯えているので、ネビルの恐怖リストに灌木も追加されてしまうだろう。
グリフィンドールの入り口は太った婦人の代わりにカドカン卿の肖像画が守ることになった。このカドカン卿は誰にでも決闘を挑む変わったヤツだと祖母の描いた音楽団の肖像画、ヴァイオリン弾きのオジーが教えてくれた。
「ヤツの考える合言葉が妙ちくりんですって? それはそうだろう 彼が正気じゃなかったことなんか、ただの一度もなかったんですからね」
そんなことを思い出しながら、アリスは目の前の、大きな剣をぶん回しながら太った仔馬からヒラリと飛び降りたカドカン卿を困り果てた顔で見つめる。
「えぇ? 合言葉もう変わっちゃったの?」
「合言葉を言えぬと申すなら不届き者とす!」
アリスは首元のネクタイをカドカン卿に見せつけた。
「立派な三年目のグリフィンドール生!」
「“カドカンの馬に乗ってみよう”」
振り向くと数占い学終わりのライアンが立っていた。カドカン卿は「向かい入れよう、同胞よ」と高らかに唄い、グリフィンドール塔の中に二人を招き入れる。
「今のが新しい合言葉か、えぇとカドカン卿の……?」
「“カドカンの馬に乗ってみよう”──どういう意味か尋ねてみたら悪くないメッセージだった。聞く?」
アリスは早く太った婦人が戻ってきてくれればいいと願った。
グリフィンドールを襲った想定外はこれだけではない。
「おい、アリス! 明日の試合、対戦相手はハッフルパフに変更だ。ディーンにも伝えといてくれよ!」
双子──恐らくフレッド──に移動教室中、声をかけられた。
「どうして? スリザリンだったじゃない」
「シーカーの腕の調子がまだ悪いんだと」フレッドが呆れたように白目をむく。瞬間、バリバリ!と窓の向こうで激しい雷鳴。試合に向けて天気のコンディションがますます悪化している。
「スリザリンはこの環境下でグリフィンドール戦は分が悪いと踏んでいるに違いないな」
その旨をクィディッチ応援隊のディーンに伝えると、不満気に吐き捨てた。闇の魔術に対する防衛術の教室は天気が影響しているのかいつもよりどんよりと暗く、蝋燭の光は心もとない。ルーピン先生がいらしたらもっと手元を照らしてくれるだろうがまだ授業前なので教室にはいないみたいだ。
「同じ条件のもとで全力を尽くすのがスポーツマンシップだろ。条件を選んで戦う時点で公平性がない」
「私たちもスリザリン戦の準備をしていたのにね」
「今朝、マルフォイが上機嫌に腕の怪我についてチンタラ語ってた理由がよく分かった」
ディーンはお冠だ。アリスはため息をつく。
「仕方がない。”カドカンの馬に乗ってみよう”、だよ」
「四つ前の合言葉がどうした」
「意味をライアンから聞いたの。苦境の中でベストを尽くすこと、だって。今の私たちの状況にピッタリ」
彼は顎に手を当てて、共感したように深く頷く。応援旗の新しいスローガンが決まった。
教室で軽いざわめきが生まれたので教壇に視線を向けると、ルーピン先生ではなくスネイプ先生が宙をヌラリと滑るように現れた。重苦しいいつもの口調でこう語った。
「ルーピン先生は今日は気分が悪く、教えられないとのことだ」
ディーンと顔を見合わせる。今日の授業は代理でスネイプ先生が教鞭を執るらしい……。スネイプ先生の口角が愉快そうに歪んでも見えた。
「ルーピン先生は新学期から前回までのカリキュラムを残していないようだが──」
スネイプ先生の言葉を止めるようにハリーが教室に入ってくる。遅刻なので十五点減点された。ルーピン先生の授業なのにスネイプ先生がいる状況に混乱しているハリーを手招く。これ以上授業を中断させると五十点は減点されそうだ。
「アリス、ルーピン先生は?」ハリーが教科書を机の上に並べながらコソコソ尋ねる。「体調不良」小さく、簡潔に答えて顔を正面に向けさせた。
「ポッターが邪魔をする前に話していたことであるが、ルーピン先生はこれまでどのような内容を教えたのか、まったく記録を残していないからして──」
「先生、これまでやったのは、まね妖怪、赤帽鬼、河童、水魔です」 ハーマイオニーが答える。 「これからやる予定だったのは──」
「黙れ。教えてくれと言ったわけではない。我輩はただ、ルーピン先生のだらしなさを指摘しただけである」
「ルーピン先生はこれまでの『闇の魔術に対する防衛術』の先生の中で一番よい先生です」
隣のディーンが凛とした声音でそう言った。アリスは彼の勇敢さに目を見張り、「そうです。カリキュラムも始業時に教えてくれました」と続く。皆もそうだそうだ、と支持したがスネイプ先生の顔は虫けらを見るような目つきで「点の甘いこルーピンは諸君に対して著しく厳しさに欠ける」と、生徒を睨んだ。
スネイプ先生は教科書の一番後ろのページを開くように指示する。範囲は”人狼”だ。人間が奇怪に狼に変容している挿絵で、理性のない目つきは不気味だ。
「でも、先生。まだ狼人間までやる予定ではありません。これからやる予定なのは、ヒンキーパンクで──」
「ミス・グレンジャー」ハーマイオニーの発言を、スネイプ先生は恐ろしい声音で冷たく制した。
「この授業は我輩が教えているのであり、君ではないはずだが。その我輩が、諸君に三九四ページをめくるようにと言っているのだ」
横柄な授業の進め方に、ハリーやディーンは不服そうに目配せしていたが皆は教科書を開いた。何故わざわざ全部をすっ飛ばして人狼をやりたがるのかてんでわからなかった。ルーピン先生のカリキュラムを滅茶苦茶にしたいのだろうか?
「人狼と真の狼とをどうやって見分けるか、わかる者はいるか?」
ハーマイオニーだけがサッと真っ直ぐ挙手をする。
「誰かいるか?」
スネイプ先生はハーマイオニーを無視し続けた。
「すると、何かね。ルーピン先生は諸君に、基本的な両者の区別さえまだ教えていないと」
「お話ししたはずです」斜め前に座るパーバティが口を利いた。「わたしたち、まだ狼人間までいってません。いまはまだ──」
「黙れ!」スネイプの唇がめくれ上がった。嘲るようにグリフィンドール生を悪態をつく。 「さて、さて、さて、三年生にもなって、人狼に出会っても見分けもつかない生徒にお目にかかろうとは、我輩は考えてもみなかった。諸君の学習がどんなに遅れているか、ダンブルドア校長にしっかりお伝えしておこう」
理不尽に否定されてアリスは気分が落ち込んだ。もうスネイプ先生に人狼を教わりたくない……。
「先生」ハーマイオニーは、まだしっかり手を挙げたままだった。 「狼人間はいくつか細かいところで本当の狼と違っています。狼人間の鼻面は──」
「勝手にしゃしゃり出てきたのはこれで二度目だ。ミス・グレンジャー。鼻持ちならない知ったかぶりで、グリフィンドールからさらに五点減点する」
ハーマイオニーは顔を赤らめ、泣くのを堪えるように固まってしまった。アリスは信じられない気持ちでスネイプ先生を見る。教師として、大人としてこんなの間違っている。授業の進行を制するだけに留まらず……これは人格否定だ。
「先生はクラスに質問を出したじゃないですか。ハーマイオニーが答えを知ってたんだ! 答えてほしくないんなら、なんで質問したんですか?」
ロンのこの発言は些か言い過ぎだった。罰則を言い与えられ、生徒は萎縮してしまい誰も発言しなくなった。スネイプ先生は授業中ずっとルーピン先生とグリフィンドール生を罵倒し続けた。皆この授業が好きだったので意欲や自信が地に落ちていく気分を味わったうえに、月曜日までに羊皮紙二巻分もの人狼のレポートを作成する課題を貰った。実質休日は返上だ。息が詰まる教室から解放されたグリフィンドール生は声が届かなくなる廊下まで移動すると愚痴を言いまくった。落ち込むハーマイオニーに隣にいたライアンが声をかけている。
「聞いてくれよ!! あの野郎……!僕に何をさせると思う?」罰則内容を言い与えられたロンが怒りに満ちた様子で叫ぶ。
「医務室のおまるを磨かせられるんだ。魔法なしだぜ!」
ロンの罰則に皆はご愁傷様だと顔を曇らせた。
「教員免許って誰でもとれんのか? アイツダサすぎんだろ」
ライアンが口悪くなるのは珍しかった。アリスもウンザリ返す。
「早くルーピン先生が戻ってきてほしいよね……」
暗い天気も相まって落ち込む。土砂降りの雨が渡り廊下の屋根を激しく打ち付ける。返答が返ってこなくってアリスは不思議に思い、振り返った。
「ライアン?」
渡り廊下の途中で彼は何かを見つけたように裏庭を見入っている。
「どうしたの?」
「犬だ」
「え?」
指差す方向に目を凝らすと、暗い木々の間で何か黒い塊がユラリと揺れているように見える。不気味なそれに何とも言えずアリスは黙っていると、
「インパービアス! 防水せよ」
ライアンは自分のローブに防水呪文をかけて裏庭へ駆け出す。
「えぇ? ちょ、ちょっとまってよ」アリスも見よう見まねで防水呪文をかけてついていく。森の中でフードを目深に被り直したライアンの背中にやっと追いつく。防水呪文は完璧とは言えず、足元が不快に濡れた。
「あそこだ。黒い犬」
雷鳴が轟き、一瞬、森が白く照らされた。骨ばった、巨大な黒い影。アリスは息を呑んだ。それは、犬だった。しかし、彼女が知っている、どの犬とも違っていた。痩せ細り、肋骨が浮き彫りになった大きな体。泥と雨にまみれ、ボロボロになった黒い毛皮。そして、暗闇の中で、不気味に光る、飢えた目。
「グ、グリム……?」震える唇で小さく呟かれたアリスの声はライアンには聞こえていないようだ。彼は身を屈めたままゆっくり犬に近づいていく。犬は警戒したように低い獰猛な唸り声をあげる。
「ライアン……あ、危ないよ」
アリスは、ライアンのローブを引っ張り、彼を連れ戻そうとしたが失敗した。ライアンはじりじりと犬の目を見つめながら少しずつ近づき、声をかける。
「お前の寝床はここ?」
ライアンはローブを脱いで犬の足元に放る。アリスは慌てて自分のローブも脱いで濡れないように彼と自分の頭にかけた。
「風邪ひいちまうぞ」
犬はギラギラ光る眼でライアンを食い入るように見つめる。アリスは頭の中で、もしライアンがこのグリムに襲われたらどのように助けて逃げだすべきか必死になって考えていた。しかし犬はライアンのローブを暫く嗅ぎまわると、雨から身を守るようにその中に体を埋めた。ライアンは魔法で、枝や灌木で簡易的な屋根も作った。犬はローブを咥えておとなしくその下に潜り込む。
「コイツ賢いな。警戒してローブを嗅いでた」
「そりゃただの犬じゃなくってグリムだから……」
アリスは恐々ライアンの背中から覗き込む。この犬、アリス達の会話を理解しているような顔している。
「腹減ったよな、何か持ってくる」
「私、チョコレートバーあるよ」
「犬にチョコはダメだろ」
「でもこの子はグリムだから……まぁグリムの好物はきっとニンゲンの命、か……」
アリスの真剣な顔で語られる内容はライアンの耳には入っておらず、使命感に駆られたように、次は大広間に食料を取りにいくようでアリスも「ライアンに何かあったら私が守らないと……」とぼやきながら、後をついて行くことにした……。
数分後、チキンやらソーセージやら詰め込んだバッグと毛布を一緒に裏庭に戻ってきた。犬は逃げずにまだライアンのローブの中にいた。
「ホラ、好きなだけ食えよ」
犬の前に肉をやるとすごい勢いでガツガツ貪り食う。
「そうだよね、こんなに痩せちゃって……おなかペコペコだったよね」
その様子に心打たれたアリスもどんどん肉を目の前に並べる。どこからやってきた犬かわからないがここまで痩せてしまうなんて、きっと満足に餌が手に入らない旅だったのだろう。
「学校の森にいるなんて……迷い込んじゃったのかな」
「元気になるまでここにいろよ」
もっといい寝床のために防水呪文と保温呪文のかけられた毛布を敷き詰める。犬は気に入ったようで冷えた身体を暖めるように身を寄せた。ライアンはそっと犬に手を伸ばしたが躊躇って引っ込める。
「触らないの?」
「コイツに許してもらったらな──もう行こう。また明日くるから」
ライアンは腰を上げて立ち上がると、犬も身を起こしてライアンのローブを彼の足元に落とした。
「あぁ、ありがとう。アリス、コイツすげぇ賢くね?」
「ウン、」
若干興奮した口調の彼にアリスは乗り切れず相槌をする。この日からアリスはライアンの(グリム疑惑の)犬のお世話を手伝うことになった──。