FPSのUIが現実に見える俺が、いつの間にか殺し屋になるまで 作:鳥獣跋扈
アルフはしばらく俺の顔を見つめていたが、やがて何かを諦めたように小さく息を吐いた。
「……分かりました。少々お待ちください」
そう言って机へ向き直ると、奪ったスマートフォンを繋いだままの端末を操作し始める。
そこからは早かった。画面上でいくつものウインドウが開いては消え、見慣れない文字列が次々と流れていく。何をしているのか俺にはほとんど分からなかったが、数分もしないうちに、アルフは《龍宮》へ入るための電子招待枠を一つ見つけ出していた。
「今夜分で、まだ使われていないものがありますね。同行者も一名まで登録できますので、こちらを書き換えれば問題ありません」
流石だな。
目の前を流れていくコードを眺めていると、不意に視線を感じた。
「……どうした?」
顔を上げると、こちらを見ていたアルフと目が合う。
いつも通り感情の出にくい整った顔だが、今はわずかに困惑が混じっているように見えた。
「ところで、侵入してどうするおつもりですか?」
そう尋ねながらも、手は止まっていない。認証情報を書き換えつつ、こちらの返事を待っている。
どうする、ねぇ。
こないだの倉庫では、世話になったところの人間が攫われていたから、とりあえず連中をまとめて叩きのめした。
ただ、今回はまだ何も起きていない。
怪しいのは間違いないが、だからといって最初から暴れる理由もないし、一人で出来ることにも限度はある。
ひとまず、何をやっている場所なのかくらいは見ておきたい。
「そうだな。まずは下見、ってところで」
「……分かりました」
どうにも釈然とはしていないらしい。
それでもアルフはそれ以上何も言わず、最後の操作を終えると、認証済みと表示された画面をこちらへ向けてきた。
* * *
ホテルを出ると、駅前には黒塗りの大型セダンが待っていた。
艶のある車体に濃いスモークガラス。運転席から降りてきた五十代ほどの男は、濃紺のスーツに白手袋という、いかにもらしい格好をしている。どうやら、この男も組織の協力者らしい。いつの間に連絡したのやら。
俺とアルフも、ホテルのクロークから持ってきてもらった服へ着替えていた。
俺はスーツ、アルフはドレス。ただし、どちらも必要以上に仰々しいものではない。一見すると少し洒落た格好程度だが、よく見ればそれなりに値が張る――そういう類いの代物だった。
「お待ちしておりました」
運転手は余計なことを訊かず、静かに後部座席の扉を開ける。
アルフと並んで乗り込むと、車はほとんど揺れもなく駅前を離れていった。
中心街を抜けて海沿いへ向かう頃には、夏の長い日もようやく傾き始めていた。窓の向こうでは海面が西日を反射し、古い温泉街の軒先にも少しずつ灯りが点き始めている。
かつてはかなり栄えた土地なのだろう。俺が知らない時代だが、それこそバブルの時は凄かったと聞いたことはある。
通りには旅館や土産物屋のほか、射的場らしい建物が残っている。ただ、シャッターを下ろした店も少なくなく、色褪せた昔ながらの看板と、真新しい観光案内板が並ぶ光景には、妙なちぐはぐさがあった。
目的地は、そこからさらに少し離れた高台にある。
十階を優に超える、白い大型ホテル。
遠目には営業を終え、そのまま取り残された昭和末期の観光ホテルにしか見えなかったが、車が近づくにつれて印象が変わってきた。
外壁には確かに古さが残っている。一方で、正面玄関や車寄せは明らかに新しく改装されており、植え込みも隅々まで手入れが行き届いていた。
そして何より、停まっている車がおかしい。
国産の大型セダンだけではなく、海外製のSUVやスポーツカー、中々お目にかかれないような高級車まで並んでいる。玄関前には運転手付きの車が次々と滑り込み、どこから湧いてきたのか、着飾った客を降ろしていた。
さらに高台の下へ目をやれば、簡易的な船着き場らしき施設があり、そこには何艘ものクルーザーが停泊している。
市街地側からは高台に遮られて見えないが、ひとたびこちらへ回り込めば、そこだけ別の場所のように煌びやかだった。
「怪しさが凄いな」
「ええ。客もかなりいるようです」
アルフも少しばかり警戒を強めているようだった。
俺たちの車が車寄せへ入ると、待機していた黒服の男がすぐに後部座席の扉を開ける。運転手とはそこで別れ、アルフと並んで正面玄関へ向かった。
自動ドアが開いた瞬間、それまでまとわりついていた夏の湿気が途切れた。
代わりに流れてきたのは、よく冷えた館内の空気と、どこか甘い香りだった。
ロビーは、外から想像していた以上に豪華だった。
吹き抜けの高い天井から大きなシャンデリアが下がり、その光が磨き込まれた大理石の床へ柔らかく映っている。中央には人の背丈ほどもある生花が飾られ、壁際には革張りのソファと重厚な木製テーブルが並んでいる。
元々、相当格式のあるホテルだったのだろう。
古い造りや意匠はそのまま残しながら、照明や調度品だけを新しく入れ替えているらしく、全体として妙に金の掛かった空間になっている。
正面には、かつてフロントだったと思われる長いカウンターが残されていたが、宿泊手続きをしている客は一人もいない。代わりに黒服の男やドレス姿の女性たちが客を迎え、シャンパンや冷たいタオルを手渡していた。
それと、思っていた以上に外国人が多い。
中国語と英語はもとより、それ以外にも聞き覚えのない言葉があちこちから飛んでくる。アジア系だけでなく欧米系の客も混じり、通訳らしい人間を連れた男や、派手な腕時計を見せつけるように談笑している一団。
とても地方都市の閉館ホテルとは思えない光景だ。
「随分、国際色豊かだな」
「ええ。地元の客を相手にしている場所、というわけではなさそうですね」
アルフが周囲を眺めながら、小さな声で返す。
俺も何となくロビーを見回したが、目に入るのは客だけではなかった。
天井の装飾や柱の上、植木の陰に絵画の額。意識して視線を向けると、視線上に小型カメラが次々とハイライト表示される。
黒服の何人かには、拳銃や警棒らしい膨らみも見えた。
フロント裏の扉やエレベーター付近にも、客からは目につきにくい位置へ人員が配置されている。
かなり厳重だな。
受付では係の人間に促され、アルフがスマートフォンを差し出した。
画面へ読み取り端末がかざされ、短い電子音が鳴る。その後は簡易的ながらボディチェックまで受けたが、特に引っかかることもなく通された。
「失礼いたしました。ご来館ありがとうございます。どうぞ、ごゆっくりお楽しみください」
案内されたのは、上階へ向かうものとは別のエレベーターだった。
促されるまま乗り込んで操作盤を見るが、地下階の表示そのものがない。
代わりに、エレベーターの中で待っていた係の人間が専用カードをセンサーらしき場所に押し付けると、最下部にある何も書かれていないボタンへ小さな明かりが灯った。
扉が閉まり、身体がゆっくりと地下へ沈んでいく。
「楽しみですねぇ」
隣から聞こえたアルフの声は、いつの間にか偽装用の明るいものへ変わっていた。
表情も仕草も、さっきまでとはまるで違う。
相変わらず、変わり身が早い。
しばらくしてエレベーターが止まり、扉が開く。
最初に聞こえてきたのは、低く流れるクラシックだった。
そこへ大勢の話し声やグラスの触れ合う音、チップが転がる乾いた響きが重なり、一気に耳へ押し寄せてくる。
その先に広がっていたのは――。
見たこともない巨大なカジノだった。
金色と深い赤を基調にしたフロアには、ルーレットやバカラ、ポーカーの卓が並び、その間をバニー姿の女性たちが酒を載せたトレーを持って行き交っている。奥にはスロットマシンまで並び、電子音と歓声が絶え間なく響いていた。
一見すれば、ただ豪華なだけのカジノだ。
だが、少し目を凝らせば、そこに混じっているものが見えてくる。
中央のバカラ卓では、普通のサラリーマンなら月収どころか年収に届きそうな額のチップが、一度の勝負で平然と動いていた。
勝った男は大声で笑いながら隣の若い女性の腰を抱き、その向こうでは、大きく負けたらしい男が無言のままグラスを空けている。
「もう一千万だ。今度はバンカーへ全部」
「社長、そろそろお止めになった方が」
「うるさい。次で戻る」
近くの卓からそんな会話が聞こえたかと思えば、ほどなくして積まれていたチップがまとめてディーラー側へ回収された。
男の顔から笑みが消える。
すると、それを待っていたようにスーツ姿の男が近づき、何枚かの書類を差し出した。
「本日分でしたら、こちらで追加をご用意できます」
「……幾らまでだ」
「お客様でしたら、三千万まで即時で」
男は差し出されたペンを前に数秒だけ迷ったが、結局は書類へ署名した。
それを見届けたスーツ姿の男は、何事もなかったように薄く笑う。
「借用書、ですねー。このフロアだけでも、相当な額が動いてるみたいですよー」
横を通り過ぎながら、アルフがにこやかな表情を崩さずに小さく呟いた。
改めて周囲を見れば、華やかな光景の中に妙なものが混じっている。
余裕のある金持ちに紛れて、目を血走らせ、祈るようにカードを睨んでいる者。震える手で最後のチップを押し出す者。勝つためというより、負けた分を取り返さなければ終われない――そんな顔をしている客が少なくない。
手持ちを失ったのか、肩を落として椅子に沈み込んでいる男もいた。
しばらくすると、どこからともなく黒服が現れ、耳元で何かを囁く。
男は一度だけ首を振った。
だが、黒服が肩へ手を置くと、それ以上は何も言わずに立ち上がり、そのまま奥の通路へ連れていかれた。
「……」
改めて見ると、監視の数も尋常ではない。
カメラはゲーム卓だけでなく、客同士が話すソファ席や酒を飲むカウンター、出入口、VIP区画へ続く通路まで、いくつもの方向から押さえている。
しかも、明らかに死角を潰すような配置だ。
博打場の監視にしては随分と異様だ。
まあ、違法なカジノなのだから当然と言えば当然なのかもしれないが――それにしても、客の不正を防ぐためだけとは思えなかった。
「通信量もかなり多いですね」
アルフがスマートフォンを確認するふりをしながら、声を落とす。
「この施設内だけではなく、国外へ継続的にかなり大きなデータが送られています」
「監視映像とか?」
「可能性はありますね。目的までは分かりませんが」
誰がここへ来たのか。
誰と話し、どこで何をして、いくら勝ち、いくら負けたのか。
そして、いくら借りたのか。
金持ち、もしも政治家、企業の人間が出入りする場所なら、その記録だけでも使い道はいくらでもある。
脅し。
取引。
弱み。
そういう言葉が自然と頭に浮かんだ。
フロアの奥へ進むにつれて、扱われる金額はさらに跳ね上がっていく。
半透明の壁で仕切られたVIP席では、もはやチップすら使わず、電子端末の上で桁の多い数字が動いていた。客の隣には若い女性や男性が付き、酒を注ぎながら笑っている。
ただ、その笑顔は貼り付けられたように感じる。
客を楽しませるためというより、逃がさないために置かれているような。
そして、そのさらに先。
通常のカジノとは明らかに違う案内が、いくつも並んでいるのが見えた。
「色々、あるみたいですね」
アルフの声から、先ほどまで作っていた明るさが少しだけ消えている。
笑顔そのものは崩れていないが、その奥にはわずかに嫌悪感のようなものが滲んでいるように見えた。
最初に覗いた先にあったのは、それほど広くない舞台を、半円状の客席が取り囲む空間だった。
完全に中へ入らなくても、開かれた扉の隙間から舞台の一部が見える。
その中央には、若い女性がほとんど裸同然の姿で立たされていた。両手両足には金属の輪が嵌められ、細い鎖が舞台の床へと繋がっている。
背後の大型画面には、年齢、国籍、使用言語、健康状態。
さらには、人間に対するものとは思えない項目が、商品情報のように整然と並んでいた。
そして、その横で金額が上がっていく。
百五十万。
二百万。
二百八十万。
客席から番号札が上がるたび、司会役の男が慣れた口調で金額を読み上げる。画面の下にはさらに小さく、《同伴権・一晩》《長期契約応相談》と表示されていた。
「……人のオークション、か」
思わず声が漏れる。
舞台の女性は笑っていた。
いや。笑わされている、と言った方が正しいんだろう。
口元には形だけの笑みが貼りついていて、目には光がない。
入口近くの席では、年配の外国人客が通訳を挟みながら、まるで高級品でも選ぶように楽しそうに話していた。
「一晩なら安いな」
「気に入れば延長も可能です。債務についても、こちらで引き取れますので」
「なら、次の子も見よう」
何をどう取り繕ったところで、人身売買と大差はない。
さっきカジノで借用書へ署名していた連中を思い出す。
あそこで作った借金の先に、ここがある場合もあるのだろうか。本人だけで済むのか、それとも家族まで巻き込まれるのかは分からないが、少なくとも真っ当じゃないのは確かだ。
いっそ、このままぶち壊してやろうか。
そんな考えが頭を過ったところで、袖口をくい、と引かれた。
横を見ると、アルフが笑顔を崩さないまま、ほんの僅かに首を振っている。
……まあ、そうだな。
“今はまだ”だ。
俺はひとまず足を進め、その場で暴れるのだけは思い留まった。
その先にあったものは、もっと分かりやすかった。
入口近くの巨大モニターに映し出されているのはリング――格闘技なんかでよく見る、あの四角い舞台だ。
ただし、周囲は金網で完全に覆われており、一般的な格闘技よりもずっと物騒だ。雰囲気だけなら、海外の過激なプロレス興行に近いかもしれない。
リング映像の横には、その日の対戦予定と賭け率がずらりと表示されていた。
ただ、内容は普通の格闘技とはかなり違う。
《武器選択戦》
《三対一》
《対ケモノ戦》
文字だけでも十分嫌な予感はするが、その下では過去試合の短い映像が流れていた。
金網の中で男が大型犬二頭に襲われ、腕を食い千切られている映像。別の映像では、素手の男がナイフを持った相手から必死に逃げ回っている。
趣味が悪い。
しかも、賭けの対象は単純な勝敗だけではなかった。
第一ラウンド決着、KO、失神、骨折、大量出血。といった項目まであり、それぞれに細かな倍率が設定されている。
客たちは酒を飲みながら手元の端末を操作し、競馬でも見るような気軽さで金を賭けていた。
「今日は三試合目がいいぞ。素手対ナイフだ」
「前回、開始三十秒で終わっただろ」
「だから今回は素手側に賭ける。逃げ切れば五倍だ」
楽しそうな笑い声が上がる。
別の客は《対ケモノ戦》の欄を指差しながら、
「犬二頭じゃ物足りんな。先月の猪は面白かった」
などと話している。
どうやら、誰が勝つか負けるか以上に、人がどんなふうに壊れていくかを楽しんでいるらしい。
「……本当、趣味が悪い」
「ですね」
アルフも笑顔こそ保っているが、声には明らかに怒りの感情が乗っているのが分かった。
もちろん、ここへ出ている全員が無理やりというわけではないのだろう。高額な賞金目当てで、自分からリングへ上がる人間もいるはずだ。
ただ、それだけではないらしい。
入口脇の通路では、顔を腫らした男が黒服へ必死に食い下がっていた。
「聞いてた話と違う! 俺は一回出れば借金を減らすって――」
「減りますよ。勝てば」
「相手が武器持ってるなんて聞いてねぇよ!」
「その分、報酬も高く設定されています。お客様の債務額でしたら、妥当かと」
「無理だ! 働いて返すから!」
「では、まず今夜のお仕事を済ませてください」
男はなおも何か叫んでいたが、両側から腕を取られ、そのまま奥へ連れていかれた。
近くにいる客は誰も気に留めない。
というより、こういう光景そのものが珍しくないんだろう。
カジノで金を失った人間へ、さらに金を貸す。
返せなくなれば身体を使わせ、その様子を見世物にして、今度は別の客から金を取る。
よくできている。
悪い意味で。
その時、不意に周囲の照明が落ち、館内へ大きな歓声が響いた。
正面モニターへ《メインイベント》の文字が浮かび上がると、カジノ側からも大勢の客が闘技場へ流れ始める。
俺たちもその人波に混じり、さらに地下へ続く階段を下りていった。
階を一つ下がるごとに、空気が変わっていく。
酒や香水の甘い匂いに、汗と消毒薬、それから微かに鉄臭いものが混じり始めた。
重い扉の先に広がっていたのは、ホテルの大宴会場を丸ごと作り替えたような空間だった。
数百人は入りそうな客席がすり鉢状に中央へ向かって落ち込み、その底には、先ほどモニターで見た大きな金網のリングが据えられている。
照明は中央だけを昼間のように白く照らし、周囲の客席は薄暗い。
各座席の前には小型端末まで備え付けられており、試合を見ながら、その場で追加の賭けを入れられる仕組みらしい。
巨大モニターへ次の対戦カードが映ると、客席のあちこちで数字が動き始め、まだ選手も出ていないうちから歓声が飛んだ。
やがて画面が切り替わり、一人の男の姿が大きく映し出される。
短く刈った髪に、太い首。
身体はかなり大きいが、余計な肉はほとんど付いていない。
リングへ向かって歩いているだけなのに、これまで映像で見た連中とは明らかに雰囲気が違った。
十一戦十一勝。九KO。
地下王者――《東堂恭二》。
名前が表示された瞬間、それまでとは比べものにならない歓声が客席を揺らした。
どうやら、相当な人気者らしい。
俺は金網の向こうから現れた男を、何となく目で追う。
肩には余計な力が入っていない。
視線も落ち着いているし、これだけの歓声を浴びても周囲へ意識を取られている様子がなかった。
「……あの人」
「はい?」
「強そうだな」
横にいたアルフが俺の顔を見て、それからリング上の男へ視線を移す。
すると、今日ここへ入ってから一番と言っていいほど、はっきりと警戒した顔になった。