FPSのUIが現実に見える俺が、いつの間にか殺し屋になるまで   作:鳥獣跋扈

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第62話 狂犬キョウジ

 《東堂恭二》の名前が巨大モニターへ映し出された瞬間、客席の空気が変わった。

 それまでの試合でも十分な歓声は上がっていたが、熱量がまるで違う。酒を飲んでいた客まで立ち上がり、金網の向こうへ向かって次々と声を張り上げ、唾を飛ばす。

 

「狂犬だ! 狂犬キョウジ!」

 

「今日も派手にやれ!」

 

「三分切れよ!」

 

 どうやら、この場所では本名より《狂犬キョウジ》の方が通りがいいらしい。

 彼はそんな声を浴びながら金網の内側へ入り、気にした様子もなく軽く肩を回した。

 

 年齢は四十前後だろうか。

 短く刈った黒髪に、日に焼けた肌。かなり大柄ではあるが、見せるために膨らませた身体ではない。肩から背中にかけて厚みがあり、腕も長く、全体に実戦向きという印象が強かった。

 何より気になるのは、立ち方だ。

 リング中央へ出ても、それらしい構えは取らず、両腕を自然に下ろしているだけ。それなのに隙が見えず、どの方向から仕掛けても反応されそうな、妙な嫌らしさがある。

 

「対戦形式、出ました」

 

 アルフが客席備え付けの端末へ目を落とした。

 どうやら、今回の相手は一人ではないらしい。

 

 表示されたのは、《三対一・武器選択可》。

 三人側には、それぞれ警棒、短刀、素手と並び、その下では試合開始前から賭けの項目が次々に更新されていた。

 

 勝敗。

 決着までの時間。

 最初に倒れる人間。

 死亡者の有無。

 

 最後の項目だけ、妙に倍率が高い。

 

「死ぬ、何て賭けられるのか」

 

「ここまで来ると、何でもありなのでしょう」

 

 アルフの声音は平坦だったが、気分が良くないのは分かった。

 俺も同じだ。

 

 やがて別の入口から、対戦相手の三人が姿を現した。

 警棒を持った男は三十代くらいで、身体つきもそれなりにいい。短刀を渡された男はもっと若く、武器を握っているわりに顔色が悪かった。

 そして最後の一人。

 素手の男はそれなりに歳を食っているように見えるが、歩いている時点で身体の軸がほとんどぶれない。

 

 他の二人へ目を向けることもなく、ただ東堂だけをじっと見ている。

 

「……素手の人、武術家ですね」

 

 アルフがぼそりと漏らした、その直後。

 試合開始を告げる鋭い音が、闘技場に響いた。

 

 三人の方が先に動いた。

 当然だろう。待っていて状況が良くなるようには見えない。

 

 警棒を持った男が正面から入り、短刀の男がわずかに遅れて右へ回る。素手の男だけは一拍遅れたものの、慌てた様子もなく東堂の背後へ回ろうとしていた。

 年齢のわりに素早い。他の二人とは明らかに空気が違っていて、動作に怯えがない。

 

 次の瞬間、東堂も動いた。

 警棒が振り下ろされる直前に半歩だけ踏み込み、体を相手の側面に入れながら、振り下ろされた手首を押さえる。そのまま流れるように肘を横から突き上げると、鈍い音とともに男の腕がありえない方向へ曲がり、警棒が床へ落ちた。

 

 客席が一斉に沸く。

 東堂はそのまま止まらず、さらに背後から迫った短刀を、まるで見えているように身体一つ分だけずらして避けると、相手の脇へ潜り込みざまに腹へ肘を入れた。息を吐く間も与えず足を払って転がし、落ちた短刀を蹴って金網の外周へ飛ばす。

 

「速いな」

 

「ですね」

 

 一見すると荒っぽい。力任せにも見える。

 けれど、よく見れば一つ一つがかなり洗練されている。

 

 隙をついて素手の男が組みつこうとした時も、東堂は振り向くより先に腰を落とし、相手の勢いをそのまま利用して前へ投げた。

 男の背中が床へ叩きつけられる。

 

「ぐっ……!」

 

 さすがに苦しそうな声は上がったが、素手の男はすぐに転がるように距離を取り、そのまま立ち上がった。

 その顔に浮かぶのは、笑み。野生の獣を想像させるような獰猛なものだ。

 

「やるな! 流石は噂に聞くだけの事はある」

 

 東堂本人へ向けて笑う。なるほど。

 ただ強いヤツと戦いに来ただけらしい。ああいう手合いも居るのか。

 

 そんな男へ、東堂も口の端を上げた。

 

「そっちこそ、まだ動けんじゃねぇか!」

 

 そのやり取りに客席がさらに沸く。

 一見すれば、ただの戦闘狂同士だ。

 相手を痛めつけることそのものを楽しんでいるようにも見える。

 

 けれど。

 

「……変だな」

 

「何か?」

 

 アルフがこちらを見る。

 俺は答えず、リングへ視線を戻した。アルフもそれに倣う。

 

 短刀を失った若い男が立ち上がり、そのまま東堂へ殴り掛かる。

 あっさり腕を取られ、関節を極められた。

 このまま力を掛ければ、肘が壊れる。

 客席から「折れ!」と声が飛び、東堂もそちらへ顔を向けて楽しそうに笑う。

 

 直後、乾いた音がした。

 ただし、壊れたのは肘ではない。

 

 手首だった。

 痛いのは間違いないし、しばらくまともには使えないだろう。

 それでも、致命的な壊し方じゃない、関節を外しただけだ。

 

 違和感を感じたところを思い返すと、さっきからずっとそうだった。

 喉を打てる場面で胸を殴る。

 後頭部を狙える位置でも肩へ落とす。

 首を極められる状態から、わざわざ腕へ移る。

 

 相手は確実に壊している。

 手加減と呼べるほど優しいものでもない。

 ただ、死ぬ、というところからは外している。

 

「……殺さないのか」

 

「え?」

 

「いや、なんでもない」

 

 そう答えながら、今度は別のことに気づいた。

 東堂が相手と向き合いながら、ときどきリングの外へ視線を送っている。

 

 ほんの一瞬。

 普通なら気づかない程度だ。

 

 リング脇の警備員。

 客席へいる多種多様な人間達。

 出入口の動き。監視カメラの向き。

 

 試合中の人間が確認するような場所ではない。できるような事でもない。

 だが、戦闘という極限動作を行いながら、東堂はソレを行っている。何のために?

 

「……」

 

 警棒の男が、落としていた武器を拾い直す。

 今度は横薙ぎ。

 東堂は避けなかった。

 腕で受ける。

 

 硬い音が響き、客席が喜ぶ。

 

 けれど、その受け方もおかしい。

 まともに食らったように見せながら、衝撃が逃げる位置へ腕を滑らせている。

 

 見せるために当たっている。

 そんな感じだ。

 

 東堂は警棒ごと相手を引き寄せると、その腹へ拳を叩き込んだ。

 

 一発、二発。

 三発目へ移る前に、男の膝が崩れる。

 

 そのまま前のめりに倒れかけた瞬間、口元から吐瀉物が零れた。

 

 ――まずい。

 気道を塞ぎかけている。

 

 東堂もすぐに気づいたらしい。

 倒れきるより先に男の髪を掴み、その身体を無理やり引き起こした。

 

「まだおネンネには早いぞ!」

 

 客席へ向けて吠えると、それを追撃だと思った観客たちから大歓声が返ってくる。

 だが実際には、その間に男は咳き込みながら吐瀉物を吐き出し、どうにか呼吸を取り戻していた。

 

 やっぱり。

 この人は。

 

「狂犬なんかじゃない」

 

 試合は、そこから二分も掛からなかった。

 最後まで立っていたのは、素手の男だった。

 年齢を感じさせない足運びで間合いを詰め、何度も東堂へ拳を伸ばす。何発かは綺麗に避けられたが、そのうち一発が東堂の頬を捉えた。

 

「おおっ!」

 

 客席が沸く。

 もっとも、俺にはわざと受けたように見えた。

 

 殴った本人まで一瞬驚いた顔をしている。

 それでも次の瞬間には、東堂の拳が男の顔へ伸びた。

 

 そのままなら、意識を刈れる。

 けれど拳は途中でわずかに角度を変え、頬骨の横を叩いた。

 

 男の身体が大きく揺れ、そのまま膝から崩れる。

 東堂は追撃しなかった。

 倒れた男も、悔しそうではあったが、どこか満足そうに笑っている。

 

 そこでレフェリー役の黒服が二人の間へ入り、試合終了を告げた。

 

 《東堂恭二 WIN》

 

 客席が揺れた。

 

 東堂は倒れた三人を一度だけ確認してから、両腕を広げて歓声を浴びる。

 結果だけ見れば、完璧だった。

 

 狂犬。

 血を見るのが好きな地下王者。

 そう見せたいのだろう。

 

 ただ。

 

 リングを出る直前、東堂がまた視線を動かした。

 グルリ、と視線を巡らす。

 人の流れ、感情を読み取るように、手を振りアピールしながら、ゆっくりと。

 

 そして最後に。

 こちら。

 

 目が合った。

 

「……」

 

 数百人はいる客席だ。

 リングには強い照明も当たっている。

 それでも東堂の視線は明らかに俺を捉えていた。

 

 数秒。

 口元が少し上がる。笑った。

 

 

* * *

 

 

「見られていましたね」

 

 試合が終わり、客の半分ほどがカジノ側へ戻り始めた頃、アルフが言った。

 

「だな」

 

 俺たちは人の流れから少し外れ、闘技場に併設されたラウンジへ入った。

 

 暗めの照明に、革張りのソファ。

 ガラス越しに先ほどのリングが見下ろせる。

 リング上では血を拭き、次の試合の準備が始まっていた。

 もうさっきの四人はいない。

 

「東堂恭二について、何か出たか?」

 

「ほとんどありません」

 

 アルフが端末を確認する。

 気になったので、アルフに東堂について調べてもらっていたのだ。

 

「この施設でのプロフィールしか確認できませんね。《龍宮》に出始めたのは半年ほど前。そこから無敗で現在十二勝。ウチのデータリンクにも情報はありません。顔認証までは出来ませんでしたが、少なくとも名前ではヒット無し」

 

「ふむ。地下の選手で、ただただ格闘で稼いでいただけ、とか?」

 

「その可能性もあります。ただ……」

 

「ただ?」

 

「ここまで強い人間の過去が何も出ないというのは、少し不自然ですね」

 

 そう言いながら、なぜかこちらをジト目で見てくる。

 ……なんだなんだ。

 

「……いえ、もしかしたらあるかもしれませんね、ええ」

 

 何かを諦めたかのように言われたのだが、そんなこともあるだろうさ。

 

 そんなやり取りをしながら、テーブルへ置かれた水を飲む。

 程よく冷やされたソレが、熱気を孕んだ空間の中で清涼感を喉にサラリと届けてくれる。

 

 思い出すのは、東堂の戦い方。

 強い。

 それは間違いない。

 

 けれど、それ以上に別のところが気になる。

 あの視線。

 何かを探っているように見えた。

 

「どうしましたか、チャンピオン」

 

 俺が急に声を上げたので、隣に座っていたアルフが驚き、そして、背後の気配を感じ取ったのか後ろを振り向いた。

 後ろで気配が膨らむ。

 

 振り返ると、東堂恭二が少しばかり驚いた顔で立っていた。

 シャワーでも浴びたのか、さっきまで裸だった上半身には黒いシャツを羽織っている。頬には試合中にもらった一発の跡が薄く残っているが、それ以外はほとんど無傷だった。

 

「……悪いな、デート中に」

 

 そう言いながら、勝手に向かいのソファへ腰を下ろす。

 どかりと腰かけると、スプリングが悲鳴を上げる声が聞こえた。

 

「兄ちゃん、俺のことずっと見てただろ」

 

 すい、と目線をこちらに向けてくる。瞳の奥には何の意図も見えない。

 

「そりゃ、試合ですからね。あ、お疲れ様でした」

 

「あんがとよ。まあ、そりゃそうだがよ。お前さん、他の客とは見方が違う」

 

 アルフが俺の隣で少し姿勢を変えた。

 東堂はそれに気づいた様子もなく、テーブルの水を一本取る。

 

「普通の客はさ、誰が勝つとか、何分で終わるとか、そんなのしか気にしねぇんだよ」

 

「そうですね」

 

「兄ちゃんは、俺が“何を見てるか”を見てた」

 

 キャップを開けながら、こちらを見る。

 刃物のように視線が細くなる。

 

「……気になったので」

 

「何が?」

 

「殺せるのに殺さないんだな、と」

 

 東堂の手が止まった。

 一秒にも満たない。

 だが、すぐに笑う。

 

「俺、結構酷いことしてたと思うけどな?」

 

「“そう見えるように”ですね」

 

「……へえ」

 

 ペットボトルへ口をつける。

 視線は笑っていない。

 

「それだけ?」

 

「あと、人の流れと観客をよく見てましたね」

 

 今度は完全に黙った。

 隣でアルフの気配が少し変わる。

 

 東堂はしばらく俺を見たあと、小さく笑った。

 

「兄ちゃん、名前は?」

 

「二階堂です。二階堂恒一」

 

「二階堂、ね」

 

 東堂が少しだけ身を乗り出す。

 

「お前、何しに来た?」

 

 声がさらに低くなる。ぐん、と圧力がかかったように気配が重くなる。

 一瞬、アルフの腰が上がり掛け、止まる。東堂が視線をアルフに向けたからだ。

 

 視線を向けられたアルフは、少しばかり浮いた腰をゆっくりと下ろす。

 小さい尻が席に戻ったのを確認すると、東堂の視線がこちらに戻る。 

 

 顔には笑み。

 だが、さっきまでの地下王者の笑い方ではなかった。

 それよりももっと深い。嗤い。

 

 まるで、誰かを尋問しているような、そんな顔。

 ごくり、と小さくアルフの喉が鳴った。

 

「観光です」

 

「……は?」

 

 一瞬、時が止まったように押し付けるような気配が霧散した。

 アルフも、ぽかん、とまでは行かないが、少しばかり呆けた顔でこちらを見上げている。

 

 ……いやだって、墓参りのついでに観光に来ただけだし……

 

 固まった東堂が、数秒して噴き出す。

 

「ははっ……観光って、お前!」

 

 声が少し大きかったのか、近くの客がこちらを見る。

 東堂は口元を押さえ、しばらく肩を揺らしていた。

 

「悪い。悪いけど、それは無理あるわ」

 

「そうですか?」

 

 ひとしきり笑った後、東堂は立ち上がった。

 そこで、ふと俺の肩へ手を置く。

 

 軽い。

 けれど距離の詰め方が妙に自然だった。

 

「一個だけ忠告しといてやるよ」

 

「はい」

 

「ここはロクでもない場所だからよ、お前さんみたいなのはさっさと帰んな」

 

 声は小さい。

 笑顔もない。

 

「観光客なら、なおさらな」

 

 それだけ言うと、すぐに手を離した。

 東堂はまた地下王者らしい笑みを浮かべ、客のいる方へ歩いていく。

 

 途中。

 天井のカメラへ、ほんの一瞬だけ視線を上げた。

 

「……アルフ」

 

「はい」

 

「あの人、やっぱり変だな」

 

「そうですね」

 

 アルフは遠ざかっていく東堂を見ながら、少しだけ声を落とす。

 

「東堂恭二という人物について、もう少し調べた方がよさそうです」

 

 確かに、こんな場所に居るような人間にも思えない。

 何か目的でもあるのか、少なくとも、あの人は、ただの《狂犬》ではない。

 

 立ち去っていく彼の頭上に現れた緑色のマーカーを見ながら、この後の予定を考えていた。

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