FPSのUIが現実に見える俺が、いつの間にか殺し屋になるまで 作:鳥獣跋扈
《東堂恭二》の名前が巨大モニターへ映し出された瞬間、客席の空気が変わった。
それまでの試合でも十分な歓声は上がっていたが、熱量がまるで違う。酒を飲んでいた客まで立ち上がり、金網の向こうへ向かって次々と声を張り上げ、唾を飛ばす。
「狂犬だ! 狂犬キョウジ!」
「今日も派手にやれ!」
「三分切れよ!」
どうやら、この場所では本名より《狂犬キョウジ》の方が通りがいいらしい。
彼はそんな声を浴びながら金網の内側へ入り、気にした様子もなく軽く肩を回した。
年齢は四十前後だろうか。
短く刈った黒髪に、日に焼けた肌。かなり大柄ではあるが、見せるために膨らませた身体ではない。肩から背中にかけて厚みがあり、腕も長く、全体に実戦向きという印象が強かった。
何より気になるのは、立ち方だ。
リング中央へ出ても、それらしい構えは取らず、両腕を自然に下ろしているだけ。それなのに隙が見えず、どの方向から仕掛けても反応されそうな、妙な嫌らしさがある。
「対戦形式、出ました」
アルフが客席備え付けの端末へ目を落とした。
どうやら、今回の相手は一人ではないらしい。
表示されたのは、《三対一・武器選択可》。
三人側には、それぞれ警棒、短刀、素手と並び、その下では試合開始前から賭けの項目が次々に更新されていた。
勝敗。
決着までの時間。
最初に倒れる人間。
死亡者の有無。
最後の項目だけ、妙に倍率が高い。
「死ぬ、何て賭けられるのか」
「ここまで来ると、何でもありなのでしょう」
アルフの声音は平坦だったが、気分が良くないのは分かった。
俺も同じだ。
やがて別の入口から、対戦相手の三人が姿を現した。
警棒を持った男は三十代くらいで、身体つきもそれなりにいい。短刀を渡された男はもっと若く、武器を握っているわりに顔色が悪かった。
そして最後の一人。
素手の男はそれなりに歳を食っているように見えるが、歩いている時点で身体の軸がほとんどぶれない。
他の二人へ目を向けることもなく、ただ東堂だけをじっと見ている。
「……素手の人、武術家ですね」
アルフがぼそりと漏らした、その直後。
試合開始を告げる鋭い音が、闘技場に響いた。
三人の方が先に動いた。
当然だろう。待っていて状況が良くなるようには見えない。
警棒を持った男が正面から入り、短刀の男がわずかに遅れて右へ回る。素手の男だけは一拍遅れたものの、慌てた様子もなく東堂の背後へ回ろうとしていた。
年齢のわりに素早い。他の二人とは明らかに空気が違っていて、動作に怯えがない。
次の瞬間、東堂も動いた。
警棒が振り下ろされる直前に半歩だけ踏み込み、体を相手の側面に入れながら、振り下ろされた手首を押さえる。そのまま流れるように肘を横から突き上げると、鈍い音とともに男の腕がありえない方向へ曲がり、警棒が床へ落ちた。
客席が一斉に沸く。
東堂はそのまま止まらず、さらに背後から迫った短刀を、まるで見えているように身体一つ分だけずらして避けると、相手の脇へ潜り込みざまに腹へ肘を入れた。息を吐く間も与えず足を払って転がし、落ちた短刀を蹴って金網の外周へ飛ばす。
「速いな」
「ですね」
一見すると荒っぽい。力任せにも見える。
けれど、よく見れば一つ一つがかなり洗練されている。
隙をついて素手の男が組みつこうとした時も、東堂は振り向くより先に腰を落とし、相手の勢いをそのまま利用して前へ投げた。
男の背中が床へ叩きつけられる。
「ぐっ……!」
さすがに苦しそうな声は上がったが、素手の男はすぐに転がるように距離を取り、そのまま立ち上がった。
その顔に浮かぶのは、笑み。野生の獣を想像させるような獰猛なものだ。
「やるな! 流石は噂に聞くだけの事はある」
東堂本人へ向けて笑う。なるほど。
ただ強いヤツと戦いに来ただけらしい。ああいう手合いも居るのか。
そんな男へ、東堂も口の端を上げた。
「そっちこそ、まだ動けんじゃねぇか!」
そのやり取りに客席がさらに沸く。
一見すれば、ただの戦闘狂同士だ。
相手を痛めつけることそのものを楽しんでいるようにも見える。
けれど。
「……変だな」
「何か?」
アルフがこちらを見る。
俺は答えず、リングへ視線を戻した。アルフもそれに倣う。
短刀を失った若い男が立ち上がり、そのまま東堂へ殴り掛かる。
あっさり腕を取られ、関節を極められた。
このまま力を掛ければ、肘が壊れる。
客席から「折れ!」と声が飛び、東堂もそちらへ顔を向けて楽しそうに笑う。
直後、乾いた音がした。
ただし、壊れたのは肘ではない。
手首だった。
痛いのは間違いないし、しばらくまともには使えないだろう。
それでも、致命的な壊し方じゃない、関節を外しただけだ。
違和感を感じたところを思い返すと、さっきからずっとそうだった。
喉を打てる場面で胸を殴る。
後頭部を狙える位置でも肩へ落とす。
首を極められる状態から、わざわざ腕へ移る。
相手は確実に壊している。
手加減と呼べるほど優しいものでもない。
ただ、死ぬ、というところからは外している。
「……殺さないのか」
「え?」
「いや、なんでもない」
そう答えながら、今度は別のことに気づいた。
東堂が相手と向き合いながら、ときどきリングの外へ視線を送っている。
ほんの一瞬。
普通なら気づかない程度だ。
リング脇の警備員。
客席へいる多種多様な人間達。
出入口の動き。監視カメラの向き。
試合中の人間が確認するような場所ではない。できるような事でもない。
だが、戦闘という極限動作を行いながら、東堂はソレを行っている。何のために?
「……」
警棒の男が、落としていた武器を拾い直す。
今度は横薙ぎ。
東堂は避けなかった。
腕で受ける。
硬い音が響き、客席が喜ぶ。
けれど、その受け方もおかしい。
まともに食らったように見せながら、衝撃が逃げる位置へ腕を滑らせている。
見せるために当たっている。
そんな感じだ。
東堂は警棒ごと相手を引き寄せると、その腹へ拳を叩き込んだ。
一発、二発。
三発目へ移る前に、男の膝が崩れる。
そのまま前のめりに倒れかけた瞬間、口元から吐瀉物が零れた。
――まずい。
気道を塞ぎかけている。
東堂もすぐに気づいたらしい。
倒れきるより先に男の髪を掴み、その身体を無理やり引き起こした。
「まだおネンネには早いぞ!」
客席へ向けて吠えると、それを追撃だと思った観客たちから大歓声が返ってくる。
だが実際には、その間に男は咳き込みながら吐瀉物を吐き出し、どうにか呼吸を取り戻していた。
やっぱり。
この人は。
「狂犬なんかじゃない」
試合は、そこから二分も掛からなかった。
最後まで立っていたのは、素手の男だった。
年齢を感じさせない足運びで間合いを詰め、何度も東堂へ拳を伸ばす。何発かは綺麗に避けられたが、そのうち一発が東堂の頬を捉えた。
「おおっ!」
客席が沸く。
もっとも、俺にはわざと受けたように見えた。
殴った本人まで一瞬驚いた顔をしている。
それでも次の瞬間には、東堂の拳が男の顔へ伸びた。
そのままなら、意識を刈れる。
けれど拳は途中でわずかに角度を変え、頬骨の横を叩いた。
男の身体が大きく揺れ、そのまま膝から崩れる。
東堂は追撃しなかった。
倒れた男も、悔しそうではあったが、どこか満足そうに笑っている。
そこでレフェリー役の黒服が二人の間へ入り、試合終了を告げた。
《東堂恭二 WIN》
客席が揺れた。
東堂は倒れた三人を一度だけ確認してから、両腕を広げて歓声を浴びる。
結果だけ見れば、完璧だった。
狂犬。
血を見るのが好きな地下王者。
そう見せたいのだろう。
ただ。
リングを出る直前、東堂がまた視線を動かした。
グルリ、と視線を巡らす。
人の流れ、感情を読み取るように、手を振りアピールしながら、ゆっくりと。
そして最後に。
こちら。
目が合った。
「……」
数百人はいる客席だ。
リングには強い照明も当たっている。
それでも東堂の視線は明らかに俺を捉えていた。
数秒。
口元が少し上がる。笑った。
* * *
「見られていましたね」
試合が終わり、客の半分ほどがカジノ側へ戻り始めた頃、アルフが言った。
「だな」
俺たちは人の流れから少し外れ、闘技場に併設されたラウンジへ入った。
暗めの照明に、革張りのソファ。
ガラス越しに先ほどのリングが見下ろせる。
リング上では血を拭き、次の試合の準備が始まっていた。
もうさっきの四人はいない。
「東堂恭二について、何か出たか?」
「ほとんどありません」
アルフが端末を確認する。
気になったので、アルフに東堂について調べてもらっていたのだ。
「この施設でのプロフィールしか確認できませんね。《龍宮》に出始めたのは半年ほど前。そこから無敗で現在十二勝。ウチのデータリンクにも情報はありません。顔認証までは出来ませんでしたが、少なくとも名前ではヒット無し」
「ふむ。地下の選手で、ただただ格闘で稼いでいただけ、とか?」
「その可能性もあります。ただ……」
「ただ?」
「ここまで強い人間の過去が何も出ないというのは、少し不自然ですね」
そう言いながら、なぜかこちらをジト目で見てくる。
……なんだなんだ。
「……いえ、もしかしたらあるかもしれませんね、ええ」
何かを諦めたかのように言われたのだが、そんなこともあるだろうさ。
そんなやり取りをしながら、テーブルへ置かれた水を飲む。
程よく冷やされたソレが、熱気を孕んだ空間の中で清涼感を喉にサラリと届けてくれる。
思い出すのは、東堂の戦い方。
強い。
それは間違いない。
けれど、それ以上に別のところが気になる。
あの視線。
何かを探っているように見えた。
「どうしましたか、チャンピオン」
俺が急に声を上げたので、隣に座っていたアルフが驚き、そして、背後の気配を感じ取ったのか後ろを振り向いた。
後ろで気配が膨らむ。
振り返ると、東堂恭二が少しばかり驚いた顔で立っていた。
シャワーでも浴びたのか、さっきまで裸だった上半身には黒いシャツを羽織っている。頬には試合中にもらった一発の跡が薄く残っているが、それ以外はほとんど無傷だった。
「……悪いな、デート中に」
そう言いながら、勝手に向かいのソファへ腰を下ろす。
どかりと腰かけると、スプリングが悲鳴を上げる声が聞こえた。
「兄ちゃん、俺のことずっと見てただろ」
すい、と目線をこちらに向けてくる。瞳の奥には何の意図も見えない。
「そりゃ、試合ですからね。あ、お疲れ様でした」
「あんがとよ。まあ、そりゃそうだがよ。お前さん、他の客とは見方が違う」
アルフが俺の隣で少し姿勢を変えた。
東堂はそれに気づいた様子もなく、テーブルの水を一本取る。
「普通の客はさ、誰が勝つとか、何分で終わるとか、そんなのしか気にしねぇんだよ」
「そうですね」
「兄ちゃんは、俺が“何を見てるか”を見てた」
キャップを開けながら、こちらを見る。
刃物のように視線が細くなる。
「……気になったので」
「何が?」
「殺せるのに殺さないんだな、と」
東堂の手が止まった。
一秒にも満たない。
だが、すぐに笑う。
「俺、結構酷いことしてたと思うけどな?」
「“そう見えるように”ですね」
「……へえ」
ペットボトルへ口をつける。
視線は笑っていない。
「それだけ?」
「あと、人の流れと観客をよく見てましたね」
今度は完全に黙った。
隣でアルフの気配が少し変わる。
東堂はしばらく俺を見たあと、小さく笑った。
「兄ちゃん、名前は?」
「二階堂です。二階堂恒一」
「二階堂、ね」
東堂が少しだけ身を乗り出す。
「お前、何しに来た?」
声がさらに低くなる。ぐん、と圧力がかかったように気配が重くなる。
一瞬、アルフの腰が上がり掛け、止まる。東堂が視線をアルフに向けたからだ。
視線を向けられたアルフは、少しばかり浮いた腰をゆっくりと下ろす。
小さい尻が席に戻ったのを確認すると、東堂の視線がこちらに戻る。
顔には笑み。
だが、さっきまでの地下王者の笑い方ではなかった。
それよりももっと深い。嗤い。
まるで、誰かを尋問しているような、そんな顔。
ごくり、と小さくアルフの喉が鳴った。
「観光です」
「……は?」
一瞬、時が止まったように押し付けるような気配が霧散した。
アルフも、ぽかん、とまでは行かないが、少しばかり呆けた顔でこちらを見上げている。
……いやだって、墓参りのついでに観光に来ただけだし……
固まった東堂が、数秒して噴き出す。
「ははっ……観光って、お前!」
声が少し大きかったのか、近くの客がこちらを見る。
東堂は口元を押さえ、しばらく肩を揺らしていた。
「悪い。悪いけど、それは無理あるわ」
「そうですか?」
ひとしきり笑った後、東堂は立ち上がった。
そこで、ふと俺の肩へ手を置く。
軽い。
けれど距離の詰め方が妙に自然だった。
「一個だけ忠告しといてやるよ」
「はい」
「ここはロクでもない場所だからよ、お前さんみたいなのはさっさと帰んな」
声は小さい。
笑顔もない。
「観光客なら、なおさらな」
それだけ言うと、すぐに手を離した。
東堂はまた地下王者らしい笑みを浮かべ、客のいる方へ歩いていく。
途中。
天井のカメラへ、ほんの一瞬だけ視線を上げた。
「……アルフ」
「はい」
「あの人、やっぱり変だな」
「そうですね」
アルフは遠ざかっていく東堂を見ながら、少しだけ声を落とす。
「東堂恭二という人物について、もう少し調べた方がよさそうです」
確かに、こんな場所に居るような人間にも思えない。
何か目的でもあるのか、少なくとも、あの人は、ただの《狂犬》ではない。
立ち去っていく彼の頭上に現れた緑色のマーカーを見ながら、この後の予定を考えていた。