FPSのUIが現実に見える俺が、いつの間にか殺し屋になるまで 作:鳥獣跋扈
車を降りた瞬間、何かあったことだけはすぐに分かった。
黒崎邸の門は片側が何かに激突されたように折れ飛び、庭先に木片が転がっている。敷石の脇には割れた植木鉢、そして立派な石灯籠が粉々に砕けている。以前来た時にはきちんと手入れされていた庭も、何人もの靴で踏み荒らされた跡が残り、玄関前には片方だけの革靴が寂しげに落ちていた。
まるで、車が突っ込んできたような有様だったが、タイヤの跡などは見受けられない。
「……遅かったですかな」
隣で柳が小さく呟く。
「かもしれませんね」
家の周囲には、何事かと様子を窺っている近所の人間らしい姿もちらほら見えた。
ただ、ここはやくざの家だ。
堂々と門の前まで寄ってくる者はいない。少し離れた塀の陰や向かいの家の前から、こちらの様子を遠巻きに見ているだけだった。
そんな好奇と警戒の混じった視線を背中に感じながら門を抜けると、玄関脇の壁際に人が座り込んでいるのが見えた。
「杉原さん?」
「……二階堂さん?」
駆け寄って声を掛けると、杉原がゆっくり顔を上げた。
俺たちを認めた途端、驚いたように目を見開く。
左腕を右手で押さえ、頬には赤黒い擦り傷。シャツも肩口から大きく裂けていたが、受け答えははっきりしている。
「大丈夫ですか」
傍まで寄って膝をつき、ざっと様子を見る。
見た目はかなり派手にやられているようだが、少なくとも今すぐ命に関わるような怪我ではなさそうだった。
俺が杉原を見ている間、柳は玄関先で周囲へ目を配っている。
「お恥ずかしいところを……」
杉原はそう答えながら立ち上がろうとしたが、左腕へ力が掛かった瞬間、顔を大きく歪めた。
「うぐっ……!」
「無理しない方がいいですよ」
倒れ込みそうになった身体を抱え、そのまま肩を貸して玄関へ座らせる。
中を覗けば、家の中もかなり荒れていた。
靴箱の扉は外れ、廊下には割れた花瓶の破片が散らばっている。壁にも何かがぶつかったような跡が残っている。
かなり派手にやられたらしい。
「静香さんは?」
周囲を見ても姿がない。
そう尋ねた途端、杉原の表情がさらに硬くなった。
「……それは……」
言葉が続かない。
その反応だけで、あまり良い状況ではないのが分かった。
――間に合わなかったか。
ちらりと柳へ視線を送ると、向こうも小さく頷く。
「杉原さん。詳しい話を伺えますか」
俺がそう切り出すと、彼は辛そうに眉を寄せた。
当然だろう。
多少関わったとはいえ、本来なら組の事情を部外者へ話すようなものではない。
ただ、こちらももう完全な部外者とは言えないからな。
「すみません、こちらも――」
「少々、よろしいですかな」
続きを口にしようとしたところで、いつの間にか近くへと寄ってきていた柳が横から穏やかに言葉を挟んだ。
「……そちらは?」
杉原が初めて柳へしっかりと目を向ける。
今まで存在に気づいていなかったわけではないだろうが、しかたない、それどころではなかったのだろうし。
「柳、と申します」
柔らかく頭を下げると、荒れた玄関の向こうへ一度だけ目をやった。
「こちらの二階堂氏とは、まあ……“同僚”のようなものでしてね。どうやら、今しがたこちらで起きたことも、私どもの案件と無関係ではないようでして」
「案件?」
当然、意味が分からないのだろう。
杉原が怪訝そうに聞き返す。
「それに――」
柳は、まるで散歩にでも行くような気軽さで続けた。
「お嬢様とやらも、ついでに取り戻して参りましょう」
「……は?」
杉原が呆けた顔で柳さんを見上げた。
まあ、そうなりますよね。
突然現れた老人に、攫われた人間を取り戻してくると言われても、普通は反応に困る。
しかし柳は気にした様子もなく、いつもの穏やかな笑みを浮かべたまま玄関の奥へ目を向けた。
「さて。まずは久方ぶりに、組長へもご挨拶させていただきましょうか」
今度は俺が柳を見上げる。
「……知ってるんですか?」
返事はなかった。
ただ、にこりと笑うだけ。
杉原も同じ疑問を持ったらしく、怪訝そうな顔で柳を見ている。
「……分かりました。どうぞ、こちらへ」
だが、自分だけでは判断できないと思ったのか、そう言って杉原はゆっくり立ち上がった。
俺が片側から身体を支えながら、荒れた屋敷の奥へと進んでいく。
* * *
案内されたのは、屋敷の一番奥にある和室だった。
障子の向こうには庭が広がり、蝉の声が遠く聞こえてくる。けれど室内には、その景色には似つかわしくない小型の医療機器や点滴台が置かれ、畳の中央には介護用の低いベッドが据えられていた。
そこへ上体を起こすようにして、一人の男が座っている。
年は六十代くらいだろうか。
病気のせいなのか、頬は大きく削げ、首も細い。寝間着の上から薄手の羽織を掛けた姿だけを見れば、昔ながらのやくざの組長らしい威圧感はあまり感じられなかった。
ただ、目だけは違う。
落ち窪んだ眼窩の奥から覗く視線は刃物のように鋭く、部屋へ入ってきた俺たちを、一人ずつ確かめるように見据えている。
……この男が、黒崎組の組長。
そして、静香の父親か。
「組長。以前お話しやした、二階堂さんです。それと……こちらが柳さん。どうやら組長ともお知り合いのようで」
杉原がそう言って半歩身体をずらし、俺たちが見えるようにする。
「初めまして。二階堂恒一です」
「お久しぶりですな、玄蔵殿」
普通に頭を下げた俺とは対照的に、柳は旧知の友人へ声を掛けるような調子で、にこやかに言った。
組長──玄蔵は一瞬目を細めたあと、すぐに口元を吊り上げる。
「黒崎玄蔵だ。随分懐かしい顔じゃねぇか。まさか柳が来てるとはな。んで、そっちの兄ちゃんがアレか。こないだ静香が世話になったっていう」
途中でごほごほと咳き込みながらも、声には張りが残っていた。
俺は軽く頷いてから、柳へ視線を向ける。
向こうも同じように頷いた。
「まだ生きてやがったか、柳」
「そちらこそ」
短いやり取りだったが、二人の間には俺たちには分からない時間があるらしい。
今の姿を確かめながら、それでもどこか昔を懐かしんでいるような空気があった。
「俺はこの有様だがな」
玄蔵が痩せた身体を軽く示す。
「口がお元気なら何よりです」
「相変わらず言いやがる」
二人とも楽しそうに笑っている。
その様子を横で見ていた杉原が、さすがに気になったのか、おずおずと口を挟んだ。
「組長と柳さんは……どういったお知り合いで?」
「ん?」
玄蔵は少しだけ考えるように目を細め、それから俺たちにも聞かせるつもりなのか、ゆっくり話し始めた。
「先代の頃だ。この辺の港を、国外から入ってきた連中に食われかけたことがあってな。最初はこっちも自前で抵抗してたんだが、向こうは数も多けりゃ、持ってる物も違った」
当時の黒崎組は、今よりずっと大きな組だったらしい。
それでも手に負えなかったというのだから、相手も相当だったんだろう。
「それで、助けを頼んだ」
なるほど。
三十四年前に黒崎組から正式な依頼が一度だけあったという、あの記録か。
玄蔵は顎で柳さんを示す。
「んで、寄越されてきたのが、こいつだ」
「ほっほ。あの頃は玄蔵殿もお若かったですな」
「お前さんこそ、あの頃は鬼かと思うくらいだったのにな。今じゃすっかり爺さんだ」
「お互い様でしょう」
二人して声を上げて笑う。
その隣では、杉原が目を丸くしたまま固まっていた。
……鬼、ねぇ。
今でも十分怖い気がするんだが。
とはいえ、昔話を聞きに来たわけではない。
オタクの娘さんが攫われてるんだぞ。いい加減話を進めよう。
しかし、俺、というか柳の姿を認めてから、どうにも玄蔵の様子が上向いた気がするが、よほど信頼しているのだろうか。
「すみません。そろそろ今回の話を」
「ああ、そうだったな。悪ぃ悪ぃ」
俺が声を掛けると、玄蔵は頭を掻きながら笑みを収め、ベッドの上で少しだけ居住まいを正した。
「昼前に、土地の件で客が来てな」
杉原を傍に置いたまま、低い声で話し始めた。
「前から何度も買収を持ち掛けてきてる連中だ。今日は向こうも、これが最後だって言ってきやがった」
「土地というと、港側の?」
「知ってんのか? なら話は早え」
玄蔵は少し意外そうに俺を見たあと、枕元へ背を預ける。
「そうだ。あの辺りは代々ウチが持ってた土地でな。幾らかは街の方へ返したが、まだ残ってる分は黒崎のもんだ」
「先代も、あの辺りだけは手放しませんでしたからね」
杉原が横から補足してくる。
今朝、海浜都市開発で見つけた地図を思い出す。
周囲の土地がほとんど取得済みになっている中、黒崎組の所有地だけがぽっかりと残されていた。
「それで、揉めたと」
「最初は口だけだったんだがな」
玄蔵の顔から、それまで柳と昔話をしていた時の笑みが消えた。
「金額を上げて、それでも駄目なら取引先やらウチの若いのにもに手ぇ回して……段々やることが露骨になってきやがった。俺がこんな身体になって入院してからは、もう隠す気もなかったぜ」
なるほど。
以前俺が関わった誘拐や脅しだけではなく、その前からずっと締め上げられてきたらしい。
そして今日、最後通告に来たというわけか。
「来たのは何人くらいです?」
「表にいたのも合わせりゃ、それなりだ。中心にいたのが御厨蓮司。あと――一人、明らかに毛並みの違う奴が混じってたな」
玄蔵が記憶を探るように目を細める。
「ほとんど喋らなかったが、多分、大陸の人間だ。五十くらいで、ガタイの良い……身体の出来が普通じゃねぇ。立ってるだけで威圧感が分かるような奴だったぜ」
その言葉に、柳の目が僅かに細くなる。
たぶん、梁偉峰だな。
「俺たちがいつも通り突っぱねたら、あとは見ての通りだ。玄関先、酷かったろ」
「……恐ろしい男でした」
杉原が、押さえていた左腕へ視線を落とす。
「こっちも黙ってお嬢を連れていかせるわけにはいかないんで、止めましたが……まるで台風ですよ。何人で掛かっても、触ることすらできやせんでした」
悔しさを押し殺すような声だった。
あれだけ派手にやられて死人が出ていないところを見ると、梁の方は明らかに加減していたのだろう。
もちろん、それを杉原へ言ったところで何の慰めにもならないのだが。
「静香さんを連れていった理由は?」
「……さあな。ま、大方俺たちに対する人質ってところだろうさ」
玄蔵が吐き捨てるように答えたところで、杉原が躊躇いながら口を開いた。
「ただ……御厨の野郎が、お嬢に執心してたのは確かです」
そこで一度、言葉が止まる。
膝の上に置かれた右手が強く握り込まれていた。
「あの野郎、何人か女を囲ってるって話なんですが、その……まともな趣味じゃねぇらしくて」
「まともじゃない?」
「サディストっていうんですかね。綺麗な女ほど傷を付けたくなるとか……そういう噂があって。特に、顔に傷を残すのが好きだって」
ぎり、と歯の鳴る音がした。
先ほど見たものが頭を過る。
あの鎖。
なるほど。そういうことか。
「連れていかれた場所は?」
今度は柳が尋ねた。
だが、杉原は辛そうに首を振る。
「分かりません。お嬢の携帯もここへ置いていかれたままで……車も追わせようとしたんですが、こっちはこの有様でしたんで……」
その声には、どうにもならなかった悔しさが滲んでいた。
「分かりました」
「何がだ?」
玄蔵が怪訝そうに眉を寄せる。
もちろん、決まっている。
「助けに行くんですよ」
その一言で、部屋が少しだけ静かになった。
「……二階堂さん。お気持ちは有難いんですが、やはりその……」
最初に声を上げたのは杉原だった。困ったように言葉を濁す横で、玄蔵も小さく息を吐く。
「ああ、俺としてもだ。柳がいる以上、お前さんたちの力を疑ってるわけじゃねぇ。だがよ、場所が分からねぇことにゃどうしようもねぇだろ。奴さんたちの事務所が、まあ一番怪しいんだが……」
そこまで話したところで、手元の端末が鳴った。
俺のものだ。
「すみません」
一言断って通話を繋ぐと、相手はアルフだった。
「もしもし」
『もしもし。こちらは、ほとんどのデータを取得できました。そちらはいかがですか?』
ちょうどいいタイミングだ。
「ああ、こっちも少し厄介なことになってる。そっちに御厨たちは戻ってきてるか?」
『いえ。お二人が出てから、特に動きはありませんね。ただ――』
そこで一度言葉が切れ、通話口の向こうから小さくキーボードを叩く音が聞こえてきた。
『先ほど一度、外部からビル内の監視カメラへアクセスがありました。もしかして……』
さらに何度かキーを叩く音が続く。
『やはり、外部から御厨の端末でアクセスされています。恐らく、ビルが襲撃されたことには気づいていますね。戻らず、どこか別の場所へ移動した可能性が高いかと』
やっぱりか。
「分かった。こっちも一旦そっちへ戻る。また後で」
『承知しました』
通話を切り、端末をしまう。
「御厨たちは、事務所には戻っていないようです」
そう伝えると、玄蔵は難しい顔で視線を落とし、柳も顎へ手を添えた。
これで、連中の行先はハッキリとは分からなくなった。
……もっとも。
俺自身は、そこまで困っていない。
視界の端へ意識を向ける。
ミニマップには今も、見慣れた緑色のマーカーと《黒崎静香》の名前が表示されていた。
場所なら分かる。
問題は、どう説明するかだ。
まさか「俺にしか見えないマーカーが出ているので」と言うわけにもいかない。
さて、どうしたものか。
いや、もしかしたらこの人がどうにかしてくれる、か?
すぐ近くにまで来ていた“別のマーカー”を見ながら。
「場所なら分かるぞ」
急に現れた声に、一同が驚きながら廊下を見る。
俺は、先ほど邸内に入ってきていたマーカーを認識しながら、ゆっくりと振り返った。
開いた襖の向こうから、一人の男がゆっくり歩いてくる。
短く刈った黒髪に、日に焼けた肌。
昨日とは違い、今日は地味なシャツとスラックス姿だったが、見間違えるはずもない。
昨夜、《龍宮》の地下闘技場で会った男。
地下王者――東堂恭二。
東堂は和室へ入るなり、そこにいる面々をざっと見渡した。
玄蔵と杉原は、突然現れた男に呆気に取られている。
その一方で。
東堂の視線が、ほんの一瞬だけ柳で止まった。
二人の視線が重なる。
本当に、一瞬だけ。
それでも、どちらも何も言わない。
東堂はすぐに視線を外すと、何事もなかったように俺へ顔を向け、昨夜と同じように口元を吊り上げた。
「よう、観光客」
やはり、ただの地下王者というわけではないらしい。
「嬢ちゃんの居場所なら、俺が案内してやるぜ」