『ゴブリンスレイヤー』外伝SS【拒絶の死神編】   作:いっかず

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第93話:王の断末魔

廃邸の広間は、もはや瓦礫と化した石材が浮遊する重力異常の空間と化していた。ヴァンパイアロードは、自らの命のストックが凄まじい速度で削り取られていく恐怖に、ついに余裕をかなぐり捨てた。

 

「……認めん、認めんぞッ! この私が、このような名もなき小娘に!!」

 

吸血鬼の赤い瞳が、怪しく、不気味に発光する。金等級の英雄さえも一瞥で跪かせ、自害に追い込んできた真祖の権能――【深淵の催眠】。

 

「跪け、死神! 貴様のその壊れた精神を、永遠の悪夢で塗り潰してや――」

 

だが、彼の言葉が完成するよりも早く、死神の瞳に宿る曼荼羅が猛烈な勢いで逆回転を始めた。

 

『――不浄なる干渉。……座標、確定』

 

脳内の【不浄の指針】が、吸血鬼が精神に手を伸ばそうとする「予兆」をミリ秒単位で先読みする。

 

「……邪魔」

 

女武闘家が、ただ無造作に右掌を突き出した。

 

―――――――ドォォォォォォォォォォンッ!!!

 

「が、はっ…………!?」

 

爆音と共に、吸血鬼の頭部が、熟れすぎた果実のように内側から破裂した。催眠の魔力は発動する瞬間に「指向性の拒絶」に押し潰され、術者自身の脳を焼き切る結果となった。

 

血の霧が舞う中、吸血鬼の首から上が瞬時に再生を開始する。だが、その瞳にはもはや傲慢さはなく、剥き出しの戦慄だけが宿っていた。

 

(……馬鹿な、あり得ん! 私の精神干渉を『見てから』ではなく『放とうとする意志』そのものを叩き潰したというのか!?)

 

「……あと、九千」

 

フードの奥から響く、数えるだけの機械的な声。吸血鬼は、自らの不滅を誇っていた二万の命が、もはや半分以下にまで減らされている現実に絶叫した。

 

「狂っている……貴様こそが真の化物だッ!!」

 

吸血鬼は形振構わず、自らの肉体を『霧』へと変じさせた。物理的な実体を捨て、大気そのものに溶け込むことで、一時的に死神の視界から消え、館の闇へと逃げ出そうとする。

 

「逃がさないと言ったところで無駄だ! 霧となった私を、貴様のその拳でどうやって――」

 

しかし。

 

女武闘家は、消えた吸血鬼を探そうともしなかった。

彼女は静かに両掌を広げ、館の「空間そのもの」を認識の対象とした。

 

『依代よ。不浄はこの空間の全てに薄く、卑怯に染み付いているぞ。』

 

指針の囁きに応じ、彼女の全身から漆黒の衝撃が、全方位へと解き放たれた。

 

「――『拒絶掌・大円』」

 

――――――――ドドドドドドドドドォォォォォォォォッッ!!!

 

逃げ場など、最初からなかった。

霧となって拡散していた吸血鬼の構成分子一つ一つが、空間から「排斥」されるべき不純物として叩き潰される。

 

「ぎ、ぎゃああああああああああああああああッ!!!」

 

空間が震え、霧が血の雨となって実体化を強制される。

再生。消滅。再生。消滅。

ヴァンパイアロードが逃げようと足掻くたびに、命のストックが百単位で一気に蒸発していく。

 

「…………あと、五千」

 

無機質な、死の宣告。

その背後で、彼女の脳を侵食する【不浄の指針】が、嘲笑うように不気味な鳴動を響かせる。

 

『――くくく。貴様はただ、無駄にしぶといだけだな、……連携に長け、三つの命で一つの完成を見せていた「ケルベロス」の方が、掃除のし甲斐があったというものだ。貴様の死には、美しさが欠片も無い』

 

「が、はっ…………!!」

 

ヴァンパイアロードは、膝をつき、自らの胸を抑えて喘いだ。

肉体は再生する。しかし、死の瞬間に味わう苦痛と、魂が削られる感覚までは消せない。何より、目の前の少女が「当たり前のように」自分の不滅性を磨り潰し続けているという事実が、彼の正気を奪っていた。

 

「馬鹿な……有り得んッ!! これだけ大規模な衝撃波を乱発して、何故……何故、貴様の術は尽きないのだ!?」

 

吸血鬼の絶叫が、崩落する天井に木霊する。

 

「如何なる高位の冒険者であっても、一日に許された呪文や奇跡の回数は数回、多くても十回には届かんはずだ! それがこの世界の、神々が定めた不変の『理』ではないのか! 貴様は既に、数千回もその衝撃を放っているのだぞ!!」

 

ヴァンパイアロードの赤い瞳が、恐怖に激しく揺れる。

 

「奇跡を、呪文を、無尽蔵に使い続けられる者など……この四方世界広しといえど、神に愛された白金等級――『勇者』だけのはずだ!! 貴様のような、どこの馬の骨とも知れぬ白磁の小娘が、何故その領域に立っているッ!!」

 

吸血鬼の叫びに対し、死神はただゆっくりと右掌を持ち上げた。

彼女に「回数」という概念は存在しない。

司祭が刻んだ術式は、彼女の「触れられたくない」という悲鳴を、そのまま「存在を消す」という物理現象に直結させている。

世界が不浄である限り。彼女が恐怖を抱き続ける限り。

その燃料は、彼女の心が完全に砕け散るその瞬間まで、枯渇することはない。

 

『……理、だと? クハハハハッ!! 貴様、まだそんな「遊戯のルール」に縋っているのか』

 

不浄の指針が、吸血鬼の喉元に死の座標を固定する。

 

『依代よ、教えてやれ。……我らの「拒絶」は、神々の振るうダイスの目などではない。……これは、お前が泥の中で掴み取った、世界そのものを書き換える「真実」なのだとな』

 

「…………ゴブリン、掃除」

 

――――――――ドォォォォォォォォォォォォォォォォンッ!!!

 

黄金の勇者が光で救済するなら、黒い死神は絶望で消去する。

吸血鬼が誇った二万の命は、いまや風前の灯火となり、辺境の街の夜は、臨界点に向けて急加速していく。

 

「あ、ああああああああああああああああああッ!!!」

 

再生した吸血鬼の口から漏れたのは、王の咆哮ではなく、ただの獲物の悲鳴だった。

 

「…………残り、一千」

 

ヴァンパイアロードの心臓を象徴するストックが、ついに大台を割り込んだ。二万あったはずの命は、一日をかけた凄惨な「作業」によって、残り二十分の一へと削り取られている。

 

「……待て。ま、待てッ! 止まれッ死神!!」

 

再生したばかりの吸血鬼は、震える膝で立ち上がることすらできず、這いずりながら女武闘家に向けて手を伸ばした。その顔に張り付いていた夜の支配者の矜持は、いまや恐怖という名の泥に塗り潰されている。

 

「取り引きを……取り引きをしようではないか! 私をこれほどまでに追い詰めたのは、この百年でお前が初めてだ!」

 

「…………」

 

「私に従えとは言わない! 対等な、そう、盟友となろう! 私の血を分かち、お前に『永遠の命』を与えてやる! そうすれば、お前はその無敵の力で、永遠にこの世界のゴブリンを掃除し続けることができるのだぞ!」

 

死神の足が止まった。それを見た吸血鬼は、勝機を見出したとばかりに、涎を垂らしながら言葉を重ねる。

 

「それだけではない! 我らが組めば……あの忌々しい黄金の駒、勇者を倒すことも夢ではないッ!! あの白金等級さえいなくなれば、お前の『ゴブリン退治』を邪魔できる存在は、この世界に一人もいなくなるのだぞ!!」

 

吸血鬼は必死だった。死神の攻撃が止まらない理由が「執念」にあるなら、その執念を叶えるための「餌」を与えればいい。彼はそう信じて、自分たちが軽蔑し続けてきた「ゴブリン」という言葉さえも、彼女を操るための道具として投げ出した。

 

「永遠に殺し続けられる! 永遠にゴブリンを掃除し続けられる! 素晴らしい提案だとは思わんか!? さあ、その掌を降ろせ! 私の手を取れッ!!」

 

しかし、死神の返答は、吸血鬼の予想を遥かに超えた「虚無」であった。

 

「……永遠なんて、いらない」

 

曼荼羅の瞳が冷酷な光を放つ。

 

「私が……欲しいのは、静寂だけ。……掃除が終わったら。……私も、消える。……汚れと一緒に」

 

「な……ッ!?」

 

『――ククク。聞いたか、汚らわしい寄生虫よ』

 

脳内の【不浄の指針】が、吸血鬼の魂に直接届くほどの嘲笑を浴びせた。

 

『永遠? 支配? 笑わせるな。貴様が握りしめているのは、他者から奪った「生」のゴミ山に過ぎん。……依代が求めているのは、貴様が死んでも辿り着けぬ、至高の「静寂」なのだよ』

 

指針の紋章が、死の宣告を刻む。

 

『……それに、貴様と組んで勇者を殺すだと? 面白いことを言う。……我らにとっては貴様のような欲に塗れた化物も、空を汚す黄金の光を放つ勇者も……等しく「掃除すべきゴブリン」に過ぎぬのだよ!!』

 

女武闘家が、吸血鬼の喉元に向けて真っ直ぐに掌をかざした。

 

『光も、闇も、秩序も、混沌も……依代の心を揺さぶる全てが「汚れ」だ。……大人しく、その命を全て吐き出して消えるがいいッ!!』

 

「ま、待て! 待てぇぇぇぇぇぇッ!!!」

 

――――――――ドォォォォォォォォォォォォォォォォンッ!!!

 

 

吸血鬼の絶叫は、衝撃波の中に飲み込まれ、粒子となって霧散した。

もはや交渉も、欺瞞も届かない。

一人の少女を繋ぎ止めていた「救済」への未練は、いまやこの世の全てを消し去るための「臨界」へと、その色を変えようとしていた。

 

命の残機は、音を立てて削り続けられていく。

百、五十、十……。

そして、本当の「終わり」が訪れる、その数秒前。

閉ざされた館の扉が、外側からの衝撃で吹き飛んだ。

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