不幸の温度はちょうどいい   作:ペンシルガン

7 / 7
L'épilogue - 春

 ダンボールの山。ベッドなし、机なし、家具と呼べるものはエアコンとカーテンと証明くらい。

 ここはどこ? 答え、岡崎いるかの部屋。

 いるかお姉さまは来週には家を出ていく。最後くらいはお姉さまって敬った方がいいだろうか。気持ち悪いからやめておこう。

 

「いるかちゃん、なにこれ。家具は?」

「お母さんが捨てた。来週は忙しいからって、昨日の昼間に業者に来てもらったみたいよ」

 

 つまり昨日の夜はこの状態だったってことね。そんな急いで捨てなくてもいいだろ、とか真っ当な指摘はもういいや。おかしなのはいつものことだ。

 日中は練習行ってたから気付かなかった。これさあ……いるかちゃん、どこで寝たん?

 

「なんで夜のうちに言わなかったの」

「別に……タオルとかあるし。枕も寮に持ってく用のは確保してるから」

「何も大丈夫じゃないよね」

「昔はよく床で寝てたじゃん。懐かしかったわ。初心に帰れた気がする」

「あのさぁ」

「お母さんにはお前の部屋で寝ろって言われてたんだけど、なんかほら、悪いじゃん? 私がいるとやりづらいこともあるかもしれないし」

 

 いるかちゃんはウンウンと頷いている。気持ち悪いから気を遣わないで欲しい。

 後味はクソ悪いから、こういうことを隠したりしないで欲しい。それとやりづらいことってなんだよ。別にないよ。見られて困るようなことは何も。

 

「ダリアさんに言ってないよね。家具全部捨てられてたわー(笑)、とか」

「言ってないよ。笑いに変えるのは無理そうだったから。無駄に悲しませる未来しか見えない」

「だよねー……。はぁ……今日からは僕の部屋のベッド使って。僕は床で寝る」

 

 うちの母さんはほんとに……。寝る場所は弟のベッドがあるからいいじゃん、ってことみたいだけど、そもそも急いで捨てる必要ゼロだろ。

 引越し当日に間に合わせなきゃいけないのは荷造りだけだ。後はどうにでもなるし、なんだったら残しとけよって話。まさか家に戻ってくるときのこと想定してないのか? 引越しって言っても高校の寮だし、長期休暇とか年末年始もあるんだよ?

 

「休みの時とかどうすんの……こんなことされて。感じが悪すぎるんだけど」

「とりあえずバイトして金は貯めるつもりなのよ。それで誰かの家にでも行こっかな。ダリアは来ていいって言ってたし、寧々子と麒乃んとこも優しいお父さんお母さんだしね。単に遊びに行くって体にすれば心配もされないし、いいかなって」

 

 できれば帰ってきたくないってことね。

 そりゃそうだろうな。わざわざ心の安定をぶっ壊しに来る必要はないよ。

 両親と完全に縁を切りたいわけじゃないけど、しばらくは距離を置いた方がいい。僕といるかちゃんはそう思ってる。京都に住んでる友達にはハッキリと「完全に毒親だから縁を切るべき」って言われたけどね。これが中々(なかなか)難しいんだよ。当事者になると。

 

「そっか。それでいいんじゃない? 僕はどうにか上手くやってくつもり。なんとかご機嫌取ってさ。もし帰ってきたくなった時のために、できるだけマシな環境にできるよう頑張っとくよ」

「いいよ別に。私はいなくなるんだから。自分が生活しやすいようにだけ振る舞えばいいよ」

「さすが。世界女王は余裕あるね」

「今の私は無敵だかんね。世界ジュニアの時はマジで変なパワー出てたし、まだ続いてる気がする」

 

 そう、今のいるかちゃんは世界女王です。

 今月の頭にあった世界ジュニアスケート選手権でキレッキレの演技を披露。明らかに実力以上のものを出した結果、見事に優勝して帰ってきました。

 実力通りにいっても上位争いに絡むとは思ってたけど、まさか優勝してくるとは。ビビった。

 

「まさか茉莉花(まりか)さんを抑えて、全米女王も倒してくるとは……」

 

 名城クラウンFSCの女子ナンバーワン選手、栗尾根(くりおね)茉莉花(まりか)さん。 

 包容力の塊みたいな人で、絵に書いたようなお嬢さま気質の高2女子。ジュニア最終年で今回は優勝狙えるって言われてたけど、結果は表彰台落ちだった。二回の転倒がなければ違ってたと思うけど、それを言い出したらキリがない。

 

「私は無敵だから。ふふ、茉莉花(まりか)さんに勝てたのは嬉しかったなー。ちっとも応えてなさそうだったのは悔しかったけど」

「どうだろうね。茉莉花(まりか)さんって凄い大人だから。負けて悔しいからって、それを後輩には出さなそう」

「それはさ、まだ余裕あるってことだよ。次はなりふり構わない感じでやりたいな。普通におめでとうって言われてモヤッたから」

「そこは素直に受け取りなよ……先輩のご厚意を」

 

 僕は出場できなかったので悲しかった。世界ジュニアに派遣されるのは男女3人ずつだ。全日本ジュニア4位と全日本選手権8位じゃダメだったってこと。全く同じ戦績のダリアさんも落選したから、電話しながらテレビ観戦してた。

 

「てか布団は? 持ってかないの?」

「お母さんが適当に注文してくれて、入寮日に寮に届くことになってる。古いのはみっともないからって」

「そこまで古くはなかったと思うけどなぁ……お金お金って言うわりには使い方が雑。お母さんの物差しはわかんないわ」

「コロコロ変わるからね。でも間違いないのは、他人からよく見られるためにならガンガンお金使うってこと。友達とかいらないって言ってるくせに、変な人だよね」

 

 友達いなくてもどこにでも一人で行けるし。ってのがお母さんの自慢のひとつ。昔はよく自慢されたもんだよ。おかげで洗脳されるところだった。

 

「さーて、練習いくか」

「行きますか」

 

 今日は快晴。

 でも、外は寒そうだ。突風が窓にぶちあたって、乾いた音を室内に響かせている。ダンボールだけになった部屋を見ていると悲しくなるから、少し早いけど練習いこう。

 

「寒そうだなー……この部屋も寒い。いるかちゃんの部屋じゃないみたいだ」

「ってことは多分、ここはもう私の部屋じゃないんだよ」

 

 いつ来ても過ごしやすい温度だったはずなのに、今はただただ寒い。暖房をつけても意味ないな。この部屋で感じていたちょうどいい温度は、多分もう戻ってくることはない。それでいいんだと思う。

 

 「夜はベッド使わせてよね。床で寝てると惨めな気持ちになるからさ」

「それはつまり、弟は惨めな気持ちになってもいいと」

 

 とんでもない姉だ。

 いい機会だからこれで実家とはバイバイしてもらって、二度と帰ってきて欲しくない。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。

評価する
一言
0文字 一言(任意:500文字まで)
※評価値0,10は一言の入力が必須です。参考:評価数の上限
評価する前に 評価する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。


  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

読者層が似ている作品 総合 二次 オリ

岡崎いるかの生存戦略(作者:戎韜)(原作:メダリスト)

スケートに命をかけすぎて本当に命削ってそうな姉と、壊れた空気清浄機と化してしまった弟が奮闘する物語。▼


総合評価:2136/評価:8.7/連載:25話/更新日時:2026年05月16日(土) 03:10 小説情報

岡崎いるかに選ばれたい(作者:姉小路)(原作:メダリスト)

いるかちゃんの近くで重い感情を向けていたいよね


総合評価:544/評価:7.3/連載:28話/更新日時:2026年02月10日(火) 19:00 小説情報

氷焔の獣ってなんですか?(作者:荒島)(原作:メダリスト)

全日本ノービス選手権4連覇。▼あまりにも眩い才能の輝きでスケートリンクを照らした天才は12歳で姿を消した。▼6年後、明浦路 司は深夜のスケートリンクで滑る1人の青年を見つける


総合評価:4991/評価:8.73/連載:32話/更新日時:2026年04月05日(日) 11:00 小説情報

偽理凰君の奮闘記 (作者:空門 志弦)(原作:メダリスト)

ある日、突然に理凰君に憑依転生してしまった人物が、胡乱なことを脳内で垂れ流しながらも周囲の人達を幸せにしようと奮闘する物語。▼なお、頑張りすぎて周囲の脳を焼いたり、うっかり曇らせたりするものとする。


総合評価:16233/評価:8.96/完結:91話/更新日時:2025年04月13日(日) 17:00 小説情報

松下千秋にセ〇ハラしたい(作者:マメち)(原作:ようこそ実力至上主義の教室へ)

一年の隠れ有能女子筆頭、松下千秋。彼女の有能さは綾小路でさえ、気づくのが遅れたほどその牙は隠れた親知らずのように深く潜んでいた。▼二次創作でしかよう実の世界を知らない主人公が彼女に目をつけ、綾小路とは別の道をたどりながら学園生活を楽しむ物語ーーーー▼


総合評価:802/評価:6.81/連載:8話/更新日時:2026年03月31日(火) 21:23 小説情報


小説検索で他の候補を表示>>