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これを読んでいるあなたが都内近郊の鉄道利用者なら、通勤中に一度くらいは「ありがとうございます」と書かれた白いシールを目にしたことがあるのではないかと思う。自動販売機の横とか、改札口の支柱とか、ホームの壁面とか。白地に黒い明朝体で「ありがとうございます」。それだけ。何の説明もない。
たいていの人はあれを気にも留めない。駅構内には広告も注意書きも落書きもシールも山ほど貼ってあって、一枚一枚を気にしていたら電車に乗り遅れる。まあそうだろうと思う。
僕だって最初はそうだった。
自己紹介が遅れた。僕は都市探索系のブログを運営している三十一歳の会社員で、名前はここでは仮にTとしておく。都市探索系というのは廃墟や心霊スポットではなく、街中にひっそりと存在する違和感を収集するジャンルのことだ。マンホールの蓋の紋章が自治体ごとに違うとか、戦時中の痕跡が商店街の壁に残っているとか。正直に言えばニッチを通り越してほとんど誰にも読まれていないブログで、月間PVは三千がいいところである。
あのシールに気づいたのは去年の秋口、築地駅の日比谷線ホームだった。
自販機の横に一枚。妙に几帳面な貼り方で角が一ミリもずれていない。写真を撮ってブログに上げたが反応は芳しくない。
その後あちこちの駅で同じシールを見かけるようになったので、趣味と実益を兼ねてスプレッドシートに駅名と枚数を記録し始めた。半年ほどで百二十三駅分のデータが溜まったが、この時点ではただの収集癖である。怖い話ではなかった。まだ。
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二月の木曜日の朝の話をする。
僕は北区の西ヶ原四丁目に住んでいる。最寄りは都電荒川線の同名の停留場で、東京にまだ路面電車が走っていると言うとたいていの人に驚かれる。二両編成の小さな車両がのんびりと住宅街を縫っていく路線で、通勤ラッシュという概念がほとんど存在しない。
その朝、停留場に着くと警察車両が二台停まっていた。規制線のテープと制服の警官。都電が動いていない。近所の年配の女性が「人身事故らしいわよ」と教えてくれた。
人身事故。
この言葉を聞いたとき、あなたは何を思うだろうか。正直に言ってほしい。大半の人が最初に思うのは「電車が遅れる」だと思う。僕もそうだった。少なくともあの日の朝まではそうだった。人が一人死んだかもしれない現場のすぐそばで、僕が真っ先に考えたのは「王子駅まで歩いてJRに乗り換えれば間に合うか」だった。人身事故というのはそういう言葉になってしまっている。本心から、死んでしまった人を悼む者がどれだけいるだろうか。
ちなみに西ヶ原四丁目で最後に人身事故が起きたのは、大体十五年くらい前の話だ。
話が逸れた。
とにかくその日は迂回して出勤し、帰りも同じルートを使ったから、西ヶ原四丁目の停留場を通ったのは翌日の朝になる。テープも警官もいなくなった何事もなかったかのような停留場。いつもどおりホームに立ち、自販機の横を見た。
白いシール。黒い明朝体。そして──「ありがとうございます」。
なかったのだ。
昨日まで、ここにこんなものはなかった。
僕は本当に全然全く自慢じゃないが、百二十三駅分のデータを記録してきた人間だ。自分の最寄り停留場にシールがあったかどうかはイの一番に調べている。
その結果、なかったのだ。
でも人身事故の翌日にシールが出現した。
この二つを結びつけるのは馬鹿げている──自分でもそう思った。クリーピーパスタじゃあるまいし。
……ああ、クリーピーパスタっていうのはアレだ。ネットによくある真偽不明の与太話の事だ。スレンダーマンとか、赤い部屋とか……ほら、そういうやつ。
しかし。
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翌週末、僕は馬鹿げた仮説の検証を始めた。
シールの枚数と乗降客数の相関を最初に調べた。結果、相関はなかった。一日百万人が利用する新宿に大量のシールがあるのは分かる。だが椎名町はどうか。西武池袋線の各駅停車しか停まらない駅にシールが三十枚以上ある理由が乗降客数では説明できない。乗降客数なら椎名町の百倍以上ある東京駅のほうがシールは少ないのだ。
では何と相関するのか。
人身事故の翌日にシールが現れたこと。
この事実が頭から離れなかった。
「鉄道人身事故データベース」というサイトがある。二〇一〇年一月以降の人身事故を駅別に集計している個人運営のサイトで、事故の日時も被害状況も記録されている。僕は鉄道オタクでもオカルトマニアでもないが、こういうデータベースが個人の手で丹念に構築されていること自体はこの国の良いところだと思う。僕みたいな人種はこういうのがないと困って困って死んでしまうからね。
で、かの悪名高き新小岩を最初に調べた。JR総武線。人身事故の多発で全国的に知られ、二〇一八年末にホームドアが設置された駅だ。データベースの累計件数は五十五件。僕のスプレッドシートに戻る。新小岩のシール、五十五枚。
これだけなら偶然かもしれない。
椎名町。池袋からたった二駅の、各停しか停まらない地味な駅。データベースには三十八件の人身事故が記録されている。乗降客数の割に異様な件数だ。シールも三十八枚。
まだ偶然かもしれない。
柳瀬川。東武東上線の、志木と鶴瀬に挟まれた埼玉県側の小さな駅。三十八件。三十八枚。花小金井。西武新宿線。急行が通過する住宅街の駅。三十四件。三十四枚。東長崎。西武池袋線。椎名町の隣。三十四件。三十四枚。
このあたりで偶然という言葉は使えなくなった。
荻窪、二十八件、二十八枚。国分寺、二十四件、二十四枚。高円寺、二十一件、二十一枚。高田馬場はJRと西武と東京メトロの三路線が乗り入れるターミナル駅だが件数は十四件、シールも十四枚。新大久保はたった三件の三枚。
百二十三駅。すべて照合した。一駅の例外もなかった。
念のため言っておくが、僕はこの手のオカルト話に明るい人間ではない。『リング』は映画版しか観ていないし、洒落怖もきさらぎ駅も名前を知っている程度だ。だから自分が発見したものの意味をうまく言語化できない。ただ事実だけを書く。
百二十三駅で、人身事故の累計件数と「ありがとうございます」シールの枚数が完全に一致した。そしてゼロ件だった西ヶ原四丁目で事故が起き、翌朝一枚目のシールが現れた。
何が「ありがとう」なのか。
誰が誰に礼を言っているのか。
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僕がまずやったのは警察に行くことだった。最寄りの交番でシールの写真とスプレッドシートのスクリーンショットを見せて説明した。対応した巡査は公共物へのシール貼付は軽犯罪法違反だが被害届は鉄道事業者が出すものだと言い、数字の一致については「偶然でしょう」で片付けた。あの巡査を責める気はない。
僕が逆の立場でも同じことを言うし、気分が良い日だったら心療内科とかを勧めていたかもしれない。
次にやったのはブログへの投稿だった。写真三十枚とスプレッドシートのキャプチャとデータソースへのリンクを添えた記事を四日かけて書いた。同時にXにもスレッドを立てた。都市探索系のアカウントにリプライを飛ばし、ハッシュタグもつけた。
一週間で反応はゼロに等しかった。Xのインプレッションは二百四十七。いいねが三つ。リプライはなし。ブログのアクセスはいつもの記事と変わらなかった。
考えてみれば当然のことだ。インターネットにはこの手の話が無限に転がっている。「この踏切の警報音を逆再生すると……」「この駅の壁のシミが人の顔に見える」「コインロッカーの番号がその日の死者数と一致する」。僕の投稿はそれらと区別がつかない。証拠の写真もスプレッドシートも、Photoshopと五分の作業で捏造できる。
信じてもらえないのは僕の信頼性の問題ではなく、メディアリテラシーが正常に機能した結果だ。
これは地味に堪えた。怖い話を信じてもらえない恐怖というのは、怖い体験そのものとはまた別種のものだ。
そして──。
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投稿から十一日目の夜だった。ブログの管理画面に通知が来ていた。コメント承認待ち。
投稿者の名前は空欄。本文は一行。
「ありがとうございます」
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僕が何を思ったかって? 怖かったに決まってる。
まあ十中八九スパムか、もしくは単なるいたずらだろう──理屈ではそう分かっている。僕も毛色は違うが、似たような事をやった事がある。
え?何をしたのかって?
例えば適当にライブ中のVtuberを探して、「ひさしぶり!」とか「この前の相談の事で話したいんだけど無視しないで」とかコメントしたりするのだ。それで相手の返答を待たずに配信を出る。
単なるいたずらだ──まあ、趣味がドブカスなのは認めよう。
今回の「ありがとう」もきっとそんな感じのやつなのだろう。
僕がビビってる事を見透かした趣味の悪い、僕みたいな読者が「ありがとう」とコメントしたに違いない。
でも──その夜、僕は眠れなかった。
何度も何度もコメント欄をリロードして、新しくコメントがつかないかどうかを確認していたと思う。
幸いにも、「ありがとう」はあの一コメントだけだった。
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で、朝。
いつもと同じ七時十二分の都電に乗るために、僕は西ヶ原四丁目の停留場に立った。イヤホンをつけた通勤客がスマホを見ながら僕の横を擦り抜けていく。
自販機の横を確認する。白いシールは一枚のまま。増えていない。それを確認して少し安心している自分がいて、安心しているという事実が怖かった。シールが増えていないことに安心するということは、増える可能性を僕が本気で信じているということだ。
頭がおかしくなりかけているのかもしれない。
いや、でもおかしいのは僕の頭か?
もしかしたら──。
そんな事を考えながら、ホームの黄色い線の内側に立つと──背後に人の気配がした。三十センチもないところに誰かがいる。吐息が首筋に届く。
そして──耳元で囁くような声がした。
『ありがとうございます』
と。
背中に手のひらの感触が、ぐっ──と。
僕の体を線路の側へ押し出した。
(了)
本作は、「ありがとうございます」というシールについて考察をしているNOTE記事(https://note.com/reloed/n/nde3f74d3108f)を読んでインスピレーションを得て書いたものです。