岡崎いるかの生存戦略   作:戎韜

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二日目(上)

「もしかして、告白されたのか、岡崎……?」

「なんですって?」

 

 鯨哉(きょうや)は部屋に戻ってくるなりワケノワカラン質問をされた。質問者は中学男子の高峰(たかみね)蓮太郎(れんたろう)である。クールな表情で窓の外を見つめており、同じ部屋の面々に背を向けている。

 

「告白されたのかって聞いたんだ。どうなんだよ」

「されてません。なんでそうなるんですか」

「いや……だってさ、考えてもみろよ」

「なにをですか高峰せんぱい」

 

 クソ真面目な声で問うてくる中学男子に、鯨哉(きょうや)は戸惑いの視線を向ける。この人は本気で言っているんだろうか。もしかして意外と恋愛脳だったりするのだろうか。そんなものに興味はない勉強の邪魔だ、とか言いそうな顔してるのに。  

 高峰蓮太郎はスマートな眼鏡が似合う綺麗な顔立ちのクール系男子である。あくまで見た目は。鯨哉はこれまで接点があまりなかったので、中身についてはあまり知らない。

 

「だってお前、いきなり二人きりで話をしたいってことは、そういうことだろ……クソ、彼女ってどうやったらできるんだよ。世の中は不公平だ」

「あのですね……そういうことじゃなかったんで元気だして下さい。睨むのやめてください怖いから」

 

 鯨哉はしっかりと説明した。本当に単なる世間話だったから心配しないで欲しいと。そして、そこまで話したのだから、どうせならこちらも質問してみる。

 

「……そうなのか?」

「そうですよ。本当に。まあ世間話って言ってもよくわからないことばっかり言われて、正直(しょうじき)反応に困ってます。どんな人なんですか? 刀根山さんって」

 

 ひとまず軽く。刀根山という女子がどういう人間なのか、それくらいなら長くはならないだろうと。ダラダラ喋っていて夜更かしは良くない。

 

「どんなって言われても……特徴はさっき話しただろ」

「顔と胸の話しか聞いてませんよ……」

「そういえば、そうだったな……」

 

 すると、なんかしらんが蓮太郎は沈黙した。まさかとは思うが、顔が綺麗なのと巨乳なことしか情報がないのだろうか。ただし『性格はともかく』と言っていたはずだから、やっぱり中身はアレなのかもしれない。会話の内容だけで判断すると、どう考えても綺麗な性格をしているようには思えない。ピュアピュアな人ならもっと親切な話し方を──あんな思わせぶりなことを連発したりはしないだろう。ピュアピュアってなんだ?

 

「……うーん、なんて言ったらいいんだろ。説明しづらいっていうか、うーん」

「あー、いいですよ別に。無理しなくて」

 

 言い淀んでいる蓮太郎に向かって、鯨哉(きょうや)は軽く右手をあげた。疲れている中で困らせるのは悪い。この合宿中、聞く機会はまだあるわけだし。

 

「他のふたりはもう寝たんですね。僕達も寝ましょう」

「……」

「高峰さん?」

 

 蓮太郎は難しい顔で振り向いた。両手で眼鏡を外し、布を取り出して拭き拭きする。フキフキフキフキフキフキフキ、汚れひとつなかったような気がするのだが、その行動には何の意味が?

 

「なんだろ、やたら精神年齢が高いのと、真面目……いや違うな。そうじゃなくて、変に律儀で……妹大好きで、なんだかんだいい奴?」

 

 ややあって、彼はゆっくりと声を漏らした。途中で適切な言葉に言い直しながら、「いい奴だと思うよ」と繰り返して結論する。

 

「あの人がですか?」

「うん。あれで面倒見もいいしな。妹がかなり問題児でさ。お前の足を踏みつけたっていうひななちゃん。血が繋がってないのもあって、かなり反抗されてるみたいだけどめげずに面倒見てるし……言っとくけど、俺だったらキレてるレベルの問題児だからな」

 

 なるほど。彼女にも色々あるらしい。もしかしなくても家庭に問題ありだろうか。それなら納得だ。あの野生児は心が荒んでいるとしか思えなかったから。

 だとしても、言いすぎたことは反省している。

 お前にだけは優勝して欲しくないだなんて、低学年の子に言うべきではなかった。自分でもびっくりするくらい攻撃的な言葉だ。姉の方には『怒るだけの理由はない』と言ったし、今はそう思っている。でも、あの瞬間は違ったのだ。自分でもビビるくらい攻撃的な言葉が出てきた。

 

「まあ、まとめると良い奴だよ。俺から見ればな」

「そうですか……うーん」

「ん、お前にはそうは見えなかった?」

 

 鯨哉は視線を合わせたまま押し黙った。

 ここではどう答えるのが正解なのか、それを考えた。良い人には見えなかった。それが率直な感想なのだが、正直に言っていいか判断に迷った。

 

「ああ、別に俺はどっちでもいいと思うよ。なんだっていいんじゃないの。人間だから合う合わないはあるし、俺の感じ方とお前の感じ方は違うんだし。それに、接し方だって違うんだから」

 

 その迷いが伝わったのかそうでないのか、蓮太郎は軽い口調でそう言った。ただし足取りは重い。ヨロヨロと布団の上にダイブして、「あー」と情けない声を漏らした。疲労困憊。彼だけではない。既に爆睡している二人もそうだし、鯨哉も流石に体が重い。

 

「すみません、なんか気を遣ってもらいました?」

「別に……そんな大袈裟なことじゃない。後輩が困ってるのに余計に困らせることとか言わないよ。ぶっちゃけお前には()()()()()あるけど、それでも俺はあいつらみたいにはなりたくない。いたんだよね、先輩だからって自分達は偉いと思ってる、そういうクソみてーな奴ら」

 

 最後の方は消え入りそうな声で、彼は話した。鯨哉も布団に体を沈める。すると、右側で熟睡しているはずの京都男子が「おっぱい!」と叫んだ。どうやら寝言だったようだ。

 

「チュロスネコクワガタのおっぱいだ! むにゃあ……」

 

 声の主は鷗田(かもめだ)隼翔(はやと)

 なにやら幸せそうな寝顔を浮かべているが、一体どんな夢を見ているのだろうか。チュロスネコクワガタってなんだ。

 

「そういや鷗田は言ってたぞ」

「高峰さん? なにを?」

「おっぱいは最高だって」

「……」

 

 鯨哉は固まった笑みを浮かべた。

 自分達は合宿に来て何の話をしているのか。

 もっとスケート談義とかで盛り上がるのかと期待していたのに、思ってたのと違う。

 

「ザ・小学生って感じだよな。大きさが正義だと思ってるとことか」

 

 蓮太郎は天井に向かって低い声を発した。

 顔はクソ真面目だ。そういや福岡の金弓さんは小さかったなと鯨哉(きょうや)は思った。

 

(好きなんですかって、聞いてみるのはやめとこう。流石にデリカシーがなさすぎる)

 

 それはそうと、デリカシーというのは大切なものである。とある一件で自分のデリカシーに自信がなくなっている鯨哉は、余計なことを言わないよう最近は特に気をつけているのだ。

 

「おっぱいロケットどっかんファー!」

「岡崎、そいつの口を塞いでくれる? そろそろガチでうるさい」

 

 鯨哉は静かに目を閉じた。

 こんなこともあろうかと耳栓を持ってきているので、とりあえず装備してみることにした。

 鷗田隼翔は寝言が卑猥でうるさい。

 どーでもいい情報が増えた。

 

 

──────────────────

 

 

「じゃあアラームはセットしたし寝よっか〜。もう話したけど明日はリンクに入れるから、安心して寝よー」

 

 消灯。

 同室の中学女子の話に頷くと、いるかはモゾモゾと布団の中に潜り込んだ。

 そして暗闇の中で考える。

 あの先輩はまとも枠。既に爆睡している4年生女子もまとも枠。どちらも性格は違っていて、前者は明るく後者は陰鬱としているが、害はない。とりあえず敵にはならなさそうなので、警戒レベルは下げても良さそう。

 

「岡崎いるか、一緒に寝ましょう」

「うぉあ!‍?」

 

 ただし、烏羽ダリアこいつはダメだ。

 隙あらば距離を詰めてくる。気を抜いた瞬間に迫ってくるこの勢い。パーソナルスペースがバグっているとかしか思えない。

 

「び、びっくりした……布団に入ってこないでよ……」

「すみません。大丈夫だと弟さんが話していたので」

「あのやろう……」

 

 だが、わりとあっさり引き下がる。嫌だと言えばケロッとした顔で諦めることが多く、何を考えているのかよくわからん。読みにくいタイプ。表情の変化があまりないのがそれに拍車をかけていた。

 

「仲いいねー。いいなー。私も友達と同じ部屋が良かったなー」

 

 と、目を瞑ったまま話すのは中学女子。鯨哉の足を踏みつけたという野生児の姉だ。どんな凶悪な女なのかと構えていたのだが、これがわからないもので攻撃性のかけらも感じられない。

 普通に明るくて優しい。普通に喋るし普通に笑う。

 全くと言って良いほど尖ったところがない。それが彼女に対する正直な印象であった。

 

「友人といいますと、同じクラブの蟒蛇(うわばみ)さんですか‍?」

 

 声に反応したのはダリア。

 いるかは黙って聞き耳を立てた。滋賀の蟒蛇(うわばみ)清花(きよか)。学年は中学1年。去年の全日本ノービスAの優勝者で、誕生日の関係で今年までノービスA。つまり秋には戦わなきゃいけない相手だ。まあ、それは刀根山に関しても同じなわけだか。

 

「あー、あの子は一匹狼だからねぇ。最近は話しかけても無視されるから同じ部屋は嫌かなー」

「それはまた……嫌な感じですね」

「あはは、まあ、最近は特に殺気立ってるからねー。君達の世代がノービスAに上がってきたから、優勝はおろか表彰台も危うくなって焦ってるのさ」

 

 それは他人を無視するのとは関係なくね?

 ダリアと刀根山(とねやま)姉の会話を聞きながら、いるかはコッソリ両者の上半身を見比べた。断崖絶壁と丘だ。そして自分もダリアも来年あんな風になるかというと、絶対に無理だ。

 もちろん、スケート選手としてはその方がいいし、スケートで生きていく自分は喜ばしいことだ。しかし、実際に見て比べると思うところはある。理由なき(むな)しさというのが、この世にはあるのだ。

 

「あの子はクラブのエースで、去年の女王でもあるからね。プライドが高いのも仕方ないよ」

「そういうものですか。私にはよくわからないです。自分の都合で友達を攻撃するなんて、そういう発想はないものでして」

「いやいや攻撃って、そんな大層なことじゃなくない?」

「無視も立派な攻撃ですよ。相手の気持ちを無視した立派な攻撃行為です。大層なことだと思うのですが」

 

 なんか真面目な話してるなー、と思った。

 ダリアはおっとりしているように見えて結構ハッキリ言う方だ。年上に対しても変わらないらしい。相手が相手ならヒヤヒヤさせられるところだが、険悪な感じではないから落ち着いて聞いていられる。

 刀根山は「うんうん」と呑気な声で頷いていた。

 

「まあ、そのとおりなんだけどね。ダリアちゃんはハッキリ言うねー」

「すみません。失礼だと思われたなら謝ります」

「そんなひん曲がった体育会系みたいなこと思わないよ。そうだね。たしかに大層なことだ。クラブメイトを無視するっていうのは、大層なことなんだよねー」

 

 そうなんだろうか。

 いるかは考えた。良くないことだとは思うが、そこまで大袈裟なことではないのではないか。もしそうだったとしたら、その大層なことをする奴らはいるかの周りに結構いる。それに、他人で大層だと言うのなら、親が子供を無視するのは? 機嫌が悪いからってシカトしたら犯罪()み? わからない。無視にしても悪口にしても物心ついた時には近くにあって、今じゃすっかり慣れてしまったから。

 

 

「まあ、私は友達じゃないから別にいいのよ。ていうかなんの話しだっけ。あー、友達と同じ部屋なら良かったって話か」

「そうですそうです」

「って言っても、私の友達は大体辞めちゃったからなー。最近は金弓さんもガンギマリ気味で怖いし、男の子と寝るわけにもいかないし、どうしようね?」

「いや、どうしようと言われましても……」

 

 真面目な声で尋ねられて、ダリアがあからさまに困っている。それはそうだろう。誰と寝ればいいかとか聞かれたところで、いるかなら『がんばってください』としか言えない。まるでトンチンカンな回答だが、いるかには他人の相談を解決する能力など無い。

 

「さーて寝ますか。二人ともおやすみー」 

「そうですね。おやすみなさい」

 

 いるかは布団の中で丸まった。

 何も言わなかったが、これは無視ではない。おやすみはさっき言ったから別にいいのだ。わざわざ布団から顔を出すほどのことじゃない。ていうか出したくない。目が合ったらまたダリアが迫ってきそうだから、このまま寝るのが最善だ。

 

 

────────────────────

 

 

 

 

「弟がいるってどういう感じ? 可愛い? 守ってあげなきゃって思う? 愛玩動物的な感情とかあったりするもの?」

 

 朝。

 飯食いながら、刀根山(あね)に質問された。  

 いるかは反応に困った。どういう感じかと聞かれても、面白い答えなど出てこない。

 

「いや、普通です。普通。毎日顔見てるわけですし、別に何も感じないですよ」

「えー、そういうもんかぁ」

「はい。そういうもんです」

 

 まあ、単なる雑談だろう。

 いるかはあまり自分から喋らないから、話題を振ってくれているだけだと思う。ちなみに男子共はさっさと食べ終わって鬼ごっこに出かけてしまった。これから練習なのになんでそんなに元気なんだか。

 

「先輩はちがうんですか。妹にたいして」

「私は溺愛してるよ? まあ向こうは反抗的だけどねー」

「私は溺愛はしてません」

「へー、そっかー。まあ普通はそういうものなのかなー、きょうだいって」

 

 いるかは改めて真面目に考えてみたが、溺愛はしていないとの結論に至った。多分していないはずなので、後で本人に聞いてみるか……いややめておこう。

 私ってお前のこと溺愛してると思う? とか聞いたら失笑されるか、はたまた気味悪がられるか。結果的にぶちのめす未来が見えるので、誰も幸せにならない。不毛だ。

 

「ふふふ、面白いものだよねー」

「えっと、なにがですか」

「だってさー、私のところもいるかちゃんのところもほとんど同じだし、こうやって一緒にご飯食べてるとか面白い偶然だなーって」

「……? あの、よくわかりません」

 

 ほとんど一緒って何がだ。

 姉であるということ以外の共通点は見当たらない。

 いるかには愛嬌はないし可愛い顔もない。他人を思いやる気持ちは欠如(けつじょ)しているし、今みたいに会話を回す能力もない。目の前の女子は自分と一緒どころか、対極にいる人種のように思えた。

 

「えー、姉仲間じゃん。一緒だよ一緒!」

「そんな大層なことじゃないでしょ……」

 

 いるかはうなだれた。

 単に姉というだけなら、この合宿中にも同じような奴は何人もいる。こうやって主張するようなことじゃないし、一緒とか言われても反応に困るだけだ。

 

「この合宿で他にもいるでしょ、姉な人……」

「姉な人って言い方ウケるな……いや、いないから。そんなホイホイいるわけないでしょ、私たちみたいなのが」

「いや、ホイホイいますって……」

 

 刀根山姉は大袈裟に両手を広げて「いないからー」とか言っているが、いるから。同じクラスの女子だけで姉属性のやつは5人もいる。この合宿でも知ってるだけで4人。

 普通にいるじゃん、といるかはため息をついた。

 本当にどーでもいい雑談である。まあ、クソみたいにシリアスな話をされるよりは良かった。

 ダリアは寝起きでポンコツモード。もう一人の小学4年生は寝ながら飯食ってるし、変な雰囲気になったら誰も助けてはくれない。他のグループは別のテーブルだし、聞き流せるくらい下らない話をしていた方が気が楽だ。

 

 

 

────────────────

 

 

 

 二日目、早朝。

 Cグループ〜Eグループは氷上練習。

 滑走の基本となるエッジの乗り方から始まり、スケーティングレッグとフリーレッグの使い方、ターンステップの確認、基礎技術が怪しい選手はこの時点で()()()ダメ出しを受ける。

 もちろん頭ごなしに怒鳴りつけられたりはしないが、何がダメでどうすれば良いのかを淡々と聞かされ、普段の練習にも言及されたり、場合によっては引率コーチが呼び出しを受けたり。

 

「足を強く叩きつけすぎです。去年からあまり進歩していませんね。身体能力だけでジュニアの壁は越えられませんよ。大雑把とダイナミックは違います。技術のない選手だという印象を持たれるようなスケーティングは、確実に点数に響きます」

「はい。はい。しっかり指導します。すいません、はい」

 

 ヘコヘコペコと頭を下げているのは、仙台から来ている男性コーチだ。ダメ出しに次ぐダメ出しを受けて、思い切り顔が引きつっていた。当の選手は不満気な顔であまり反省していない様子だが、そんなことでは先はない。

 本人がいくら不本意であったとしても、指摘に対して改善できないのなら()()()()。できないのならはいそうですかという話で、結果が出なければ表舞台からはサヨウナラ。夢破れた選手の一員に仲間入りである。

 

 

「うーん、君ならもっと楽に飛べるんじゃない? ギリギリ攻めすぎてて少し怖いなー」

「変えましょうか?」

「いやー、どうかな。その感覚が大切なら不用意に弄らない方がいいね。そのままで行ってみよう。修正する場所はナシ!」

 

 指導しているのは日本でも指折りのコーチ陣。+ライリー・フォックス。選手としても凄い実績がある人間がほとんどで、そうでなかったとしてもコーチとしてはかなり有能な部類の人材ばかり。だからこそ各々の考え方は()()()()している場合が多く、それは必ずしも他と同じとは言えない。

 

「いいんですか? 指摘しないってことは現状維持ってことですよね」

 

 入念なスピンの指導を終えて、ジャンプの技術指導。先程から近くで見てくれているライリーに、鯨哉(きょうや)は探るような視線を送った。

 少しでも言及があったということは、変えた方がいいと思われているはず。だから合わせておいた方がいいと、自然にそう考えて実行しようとしたのだが、必要なしとハッキリ言われた。

 

「ちがうよー。いいところを伸ばしていくってこと。それにね、たとえ私が良いと思ったことも、実はそうじゃないのかもしれない。君は自分の考えを持っていそうだから、無理に大人に合わせる必要はないよー。損するよー、そういうことばっかりしてると」

 

 ただ、スケート以外のこと。性格面についてはしっかりとご指摘されてしまった。それにしても日本語が流暢すぎることに鯨哉(きょうや)はビビった。アメリカ生まれアメリカ生まれ育ちのはずなのに、完全にネイティブである。

 

「──私はそうは思いませんがね。あえて危ない橋を渡る意味がわからない」

 

 さて、コーチの方針はひとつではない。口を挟んできたのは理知的な相貌が印象的な男性、枳殻(からたち)であった。眼鏡の向こうで鋭利な瞳が鈍い光を放っている。

 

「ああ、技術的な話ですよ。横から口出しする趣味はありませんが、下手に(こだわ)りを尊重するより、確実に点数を上げることを考えるべきだと思いますが」

 

 思っきり口出ししてるじゃねえか──とライリーは思ったかもしれない。思わなかったかもしれない。鯨哉に彼女の心の内は見えないが、とりあえず枳殻(からたち)は別の考えなのはわかった。

 そういえばこの男性コーチ、朝の集合時にこんなことを言っていた。

 

 

 ──『最近は履き違えている選手が増えているように感じます。美学、拘り。そういったものを追求するのも結構ですが、それは点数ありきのことです。ここでハッキリ言っておきますが、何よりも大切なのはライバルよりも1点でも高い点数を得ること。それができていない選手はここにいるべきではないとさえ思いますが、残念ながら何名か見受けられる。各々、改めてよく考えるように』

 

 

 その時にジロリと視線を向けられたから、なーんかよく思われてない感じはしていた。

 そして今、不本意ながら確信させられてしまった。

 彼の言う大切なことができていない選手。その中に自分も含まれているのだと。まあ、たしかに1点に(かじ)りつくような構成にはしていない。まだそういう段階ではないとエイヴァは考えていて、鯨哉も同じ意見だからだ。まあ、もう少し天馬(トップ)と拮抗できていれば違ったはずだが、現段階では多少上積(うわづ)みしたところで意味がない。

 

 

「点数。上を目指すなら、課題は明白でしょう。エイヴァ・ロドリゲスも、君も、どうして」

「アハハ、色んな考えがあるのは当然ですよねー! こんな感じでトップレベルの合宿でも『これが正しい』ってやつはないから、選手は自分の頭で考えることが大切なんだよー!」

「なぜ私を指さすのですか、ライリーさん」

「あっ、すみませーん! 目上の人に向かって失礼でしたよねー、このとおりでーす!」

 

 なぜか『ハイッ』と指をさされた枳殻は、ヒクヒクと顔が痙攣(けいれん)していた。軽く睨みをきかせるもスマイル100%を返されてしまい、やりづらそうな様子で遠ざかっていく。

 それ以上は何を言うこともなく、別の選手の指導に向かった。

 

「ビバ! 点数至上主義! たしかに大切なことだけどねー、点数取らないと勝てないし、オリンピック行けないし。でも、行き過ぎると(ボツ)個性ってやつになりかねないし、やってて楽しくもなくなるからねー」

 

 そして、楽しくないなら一体なんのために頑張るのか。その理由があるならそれは()()だし、楽しくなくても勝てればオッケーと思うのも()()

 話の流れからすれば意外だが、ライリーはそんなことを述べた。ほんの少しの給水時間中、鯨哉はじめ数人の選手が聞いていた。

 

「やるのは選手(きみたち)だから。そして君達をよく知ってるのは担当コーチ。たった4日の短期合宿で()()()()()()なんて()()()()()()。逆にたった4日でメチャクチャ上手くなれるなんて()()()()()。気楽に気楽に、続き、いってみよーか!」

 

 身も蓋もない。

 ライリーが言ったのはそういう内容だったが、鯨哉は間違ってはいないと感じた。それにしても本当に日本語がお上手である。言葉の裏に意味を含ませているのは意図してやっているのだろうか。たしかに短期間でメチャクチャ上手くなるのは奇跡的なことだが、奇跡というのは不可能という意味ではない。はず。

 

 

「──岡崎。俺は今からアクセルを飛ぶよ」

「知ってるよ。今はアクセルの練習なんだから、そりゃ飛ぶでしょうよ」

 

 ルッツの技術指導からの、アクセル。

 天馬が近くてうるさかったので、鯨哉は塩対応で逃げた。今回はナンパはしていないようだが、それで苦手が好きになることなど有り得ないのだ。いやほんと、近くにいると何かと気持ちが焦るから、できれば近寄らないで欲しい。

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