元はPixivにあった「人」さんの小説なのですが、人気になってほしいのでここに投稿します。

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第1話

僕の家はいつも静かだった。両親は二人とも有名な研究者で、家の中でもずっと仕事の話をしていた。そして、三歳年上の姉、ヘルタもまた、両親たちと同じか、それ以上に頭が良かった。

 

 

 

「またテストの点がこれか。本当に、誰に似たんだろうな」

 

 

 

 リビングで父さんが僕の答案用紙を放り出した。そこには、平均点にも届かない数字が並んでいる。母さんも、僕の顔を見ることはせずに、手元の書類に目を落としたまま言った。

 

 

 

「恥ずかしいわね。外ではあまり私たちの名前を出さないでちょうだい」

 

 

 

 僕は何も言い返さずに、床に落ちた紙を拾った。それがこの家の日常だった。二人は僕を「失敗作」だと思っていて、まともに目も合わせてくれない。

 

 

 

 そんな時、姉さんはいつも近くのソファに座って、タブレットで難しい論文を読んでいた。彼女は「天才クラブ」というすごい組織のメンバーらしく、両親からも一目置かれていた。でも、姉さんが僕をかばったり、両親に口出しをしたりすることはなかった。ただ、そこに誰もいないかのように、自分の作業に没頭していた。

 

 

 

 姉さんが「これが欲しい」と言えば、両親たちは喜んで、どんなに高価な機材でもすぐに買い与えた。けれど、僕には何もなかった。それどころか、食事の準備や掃除、洗濯といった家事は全部僕の仕事になっていた。

 

 

 

 ある日の夜、両親が寝静まったあとのこと。僕がキッチンで明日の朝食の下ごしらえをしていると、姉さんがリビングに降りてきた。彼女は僕がそこにいることに気づくと、一瞬だけ足を止めた。でもすぐにいつもの無表情に戻って、冷蔵庫の方へ歩き出した。

 

 

 

 姉さんは冷蔵庫から飲み物を取り出すと、一口だけ飲んでグラスを置いた。そのまま自分の部屋に戻ろうとしたけれど、僕が両親のために用意しておいた二つのコップの前で足を止めた。

 

 

 

「……これ、あの人たちの?」

 

 

 

 姉さんはコップをじっと見つめたまま、短く聞いた。僕が「そうだよ」と答えると、彼女は少しだけ黙り込んだ。

 

 

 

「ふーん。……わざわざあなたが用意してあげてるんだ。それすらわからないなんて、あの人たちも可哀想だよね」

 

 

 

 姉さんはそれだけ言うと、僕の横を通り過ぎて階段を上がっていった。背後でパタン、とドアが閉まる音が響く。

 

 

 

 静まり返ったキッチンで僕は一人、残された二つのコップを見つめた。姉さんの言葉の意味が僕にはうまく掴めなかった。  

 

 

 

 ……どうして自分は姉さんみたいになれなかったんだろう。あんな風に自信を持って、自分の好きなことに没頭できたら、どんなに楽だっただろう。

 

 

 

 次の日。両親は朝から機嫌良さそうに身支度を整えていた。どこかで表彰式があるらしく、二人とも高級そうなスーツやドレスに身を包んでいた。

 

 

 

「帰るまでに庭の掃除と書斎の整理を終わらせておきなさい。いいわね?」

 

 

 

 母さんは鏡で自分の姿を確認しながら、僕の顔を見ずにそう言った。僕はただ小さく頷くだけだった。父さんは玄関で靴を履きながら、「まったく、手間ばかりかかる」と吐き捨てるように呟いて、母さんと一緒に家を出ていった。

 

 

 

 姉さんは自分の部屋に閉じこもったままだった。静かになった家の中で、僕は言われた通りに掃除を始めた。いつものことだった。両親がいなくなると、家の中の空気が少しだけ軽くなるような気がする。僕は淡々と手を動かしていた。

 

 

 

 両親が出ていってから一時間くらい経った頃だった。リビングの電話が鳴った。こんな時間に電話が来るのは珍しかった。僕は手を止めて受話器を取った。

 

 

 

「もしもし。……はい、そうです。……えっ?」

 

 

 

 電話の相手は警察の人だった。さっき家を出たばかりの両親が、移動中の車の中で急死したという連絡だった。事故ではなく、走行中に二人が同時に意識を失い、そのまま息を引き取ったらしい。原因は今のところ全くわからないと言われた。

 

 

 

 受話器を持ったまま僕は立ち尽くしていた。頭の中が真っ白になったけれど、心のどこかで「ああ、そうなんだ」と冷静に受け止めている自分もいた。

 

 

 

「……何、その顔」

 

 

 

 階段の方から声がした。見上げると、姉さんが二階の手すりに寄りかかって僕を見下ろしていた。姉さんはゆっくりと階段を降りてくると、僕の手から受話器を取って耳に当てた。相手の話を数秒だけ聞くと、姉さんは「わかった。すぐに行く」とだけ短く答えて電話を切った。

 

 

 

「死んだんだ。あの人たち」

 

 

 

 姉さんは僕の顔をじっと見て、まるで明日の献立でも伝えるようなトーンで言った。僕は何も言い返さなかった。姉さんの目は、悲しんでいるようには全く見えなかった。

 

 

 

 数日後、葬式が行われた。両親が有名な研究者だったこともあって、会場には驚くほどたくさんの人が集まっていた。黒い服を着た大人たちが次々に僕たちの前で足を止めては、涙を流しながらお悔やみの言葉を述べていく。

 

 

 

「本当にお気の毒に……」

「あんなに素晴らしい方たちが、まさかこんなに早く……」

 

 

 

 みんな悲しそうに泣いていた。でも、僕は一滴の涙も出なかった。むしろ、会場に流れる悲しげな音楽や、見え透いた同情の言葉が、どこか遠い世界の出来事のように感じられた。

 

 

 

 ふと、隣に座っている姉さんの横顔を見た。姉さんはヴェールもつけず、ただ無表情に前を見つめていた。けれど、その唇の端がほんのわずかに上がっているのが見えた気がした。

 

 

 

(姉さん……笑ってる……?)

 

 

 

 見間違いかと思った。僕がじっと見つめていることに気づいたのか、姉さんはゆっくりと僕の方を向いた。

 

 

 

「……何? 私の顔に何か付いてる?」

 

 

 

 姉さんはいつもの淡々とした声で聞いた。僕は首を振って視線を落とした。姉さんは僕とは違って、親から酷い仕打ちを受けていたわけじゃない。むしろ期待され、愛されていたはずだ。それなのに、どうしてあんな顔をしていたんだろう。

 

 

 

 姉さんは僕の視線を気にする様子もなく、また前を向いた。葬儀の会場には、両親の仕事仲間が次々とやってきた。みんな遺影の前で大げさに泣いたり、肩を落としたりしている。でも、僕の隣に座る姉さんだけは、まるで他人の家の行事にでも出ているような、冷めた空気を纏っていた。

 

 

 

 しばらくすると、参列者たちが僕たちの周りに集まり始めた。

 

 

 

「……あれが、あの有名なヘルタさん?」

「すごい、本物だわ。なんて美しいのかしら……」

 

 

 

 彼らは姉さんを見て感嘆の声を漏らしていた。一方で、僕に向ける視線は全く別なものだった。

 

 

 

「それに引き換え、あっちの弟さんは……」

「可哀想にね。ご両親の才能をお姉さんが全部持っていっちゃったのかしら」

 

 

 

 同情しているような、それでいてどこか見下しているような視線。僕は下を向いて早くこの時間が終わることだけを願っていた。僕はきっと、みんなから「落ちこぼれの可哀想な人」だと思われているんだろうな。そんな考えが頭をよぎった。

 

 

 

 葬儀がひと段落ついた頃、姉さんがようやく立ち上がった。彼女は僕の腕を掴むと、参列者たちに挨拶一つせず出口に向かって歩き出した。

 

 

 

「……姉さん、いいの? まだみんな残ってるよ」

 

 

 

 僕が小さく声をかけると、姉さんは歩きながら僕にだけ聞こえるような声で言った。

 

 

 

「いいに決まってるでしょ。これ以上ここに残るのは時間の無駄」

 

 

 

 姉さんの足取りには少しの迷いもなかった。会場を出て車に乗り込むまで、彼女は一度も後ろを振り返らなかった。窓の外を流れる景色を眺めながら、姉さんは心底つまらなそうに呟いた。

 

 

 

「『またあなた? 』って言いたくなるような顔をした人たちが、代わり映えのしないお悔やみを言いに来るだけ。そんなの私にとっては時間の無駄でしかないの」

 

 

 

 僕は黙って隣に座っていた。姉さんは僕が何も言わないのを確かめると、少しだけ表情を緩めた気がした。

 

 

 

 家に帰ると、そこにはもう、僕を怒鳴りつける両親の声はなかった。姉さんはリビングのソファに深く腰掛け、退屈そうに指先を眺めていた。

 

 

 

「ああ、やっと静かになった。……ねえ、あなた。まだあんな連中の視線を気にしてるの? 『落ちこぼれの可哀想な弟』なんて思われてるかも、とか」

 

 

 

 姉さんは顔を上げ、僕を試すような目で見つめた。

 

 

 

「見ればわかるでしょ。あいつらは自分の知識の限界をさらけ出しているだけ。私であるか、そうでないか。価値があるのはそれだけなんだから、あの人たちにどう思われようが、あなたの価値には何の関係もないの」

 

 

 

 姉さんはそう言って、小さく鼻で笑った。

 

 

 

「……それにしても、あなたって本当に私の目を引くようなことをするよね。さっきの葬式でも、あんなに悲しくなさそうな顔をして。それってわざとやってるの? ……だとしたら、なかなかわかってるじゃない」

 

 

 

 姉さんの声はいつもより少しだけ、本当に少しだけ優しく聞こえた。僕は、姉さんが僕の心の中を見抜いていることに驚いた。

 

 

 

「……姉さんは、悲しくないの?」

 

 

 

 僕が勇気を出して聞くと、姉さんは少しだけ黙り込んだ。そしてゆっくりと立ち上がり、僕の目の前までやってきた。

 

 

 

「悲しい? ……生活のことなんて気にしてる暇、私にあると思う? 宇宙の神秘に比べたらあの人たちの死なんて、取るに足らない小さな出来事でしかないの。……でも」 

 

 

 

 姉さんは僕の頬に手を触れた。その指先は相変わらず冷たかったけれど、不思議と嫌な感じはしなかった。

 

 

 

「……あなたがこれ以上、あの人たちのせいで嫌な思いをしなくて済むようになった。それに関しては、少しだけテンションが上がってるかな」

 

 

 

 そう言って笑う姉さんの瞳の奥に、僕は今まで見たこともないような、暗くて深い光を見た気がした。

 

 

 

 両親はもういない。僕を罵倒し、ゴミのように扱っていたあの二人はもう二度とこの家に帰ってくることはない。でもそれは、目の前にいる姉さんが僕のために用意してくれた「結末」のように思えてならなかった。

 

 

 

「……姉さんが、やったの?」

 

 

 

 震えた声で僕は問いかけた。姉さんは僕の問いに驚くわけでもなく、ただ小首を傾げて僕を見つめた。

 

 

 

「……さあ、どうだと思う? 別に私が手を下さなくたって、人間なんていつかは死んじゃうものだし。それがたまたまあの日だった、それだけのことじゃない?」

 

 

 

 姉さんの声は淡々としていた。それが恐ろしかった。この人は僕の知らないところで二人の命を操作したのかもしれない。けれど、それ以上に——自分だけが姉さんの「特別」になれたような、甘い毒のような喜びが僕の心を支配していった。誰からも愛されなかった僕を、この天才の姉だけが彼女なりの方法で「守って」くれたのだ。

 

 

 

「さて。これからは私の助手として働きなさい。別に家事なんて適当な機械にでもやらせればいい。そんなことに時間を溶かす暇があるなら、私の側で私の手伝いをしてたほうがよっぽど有意義でしょ」

 

 

 

 姉さんは僕の返事を待たず、僕の手を取った。拒絶する選択肢なんて最初からなかった。

 

 

 

「……わかったよ、姉さん」

 

 

 

 僕がそう答えると姉さんは満足そうに一つ頷き、僕の手を引いて階段を上がっていった。      

「じゃあね、これまでの生活。これからは私があなたの主なんだから。よく覚えておいてね」

 

 

 

 

 

 振り返った姉さんの顔は、逆光でよく見えなかった。けれど、繋がれた手の冷たさだけが僕に「自由」と「永遠の束縛」を同時に教えてくれていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

─────

 

 

  

   

 

 

 

 

 あいつらの声はいつも私の思考を邪魔する不快なノイズだった。

 

 

 

「またテストの点がこれか。本当に、誰に似たんだろうな」

「恥ずかしい。外ではあまり私たちの名前を出さないでちょうだい」

 

 

 

 リビングから聞こえてくる、自称・高名な研究者である両親の言葉。彼らが口を開くたびに、その凡庸さと低俗さが露呈する。本当に、誰に似たんだろうね。少なくとも私じゃない。

 

 

 

 彼らが「天才クラブ」の私をどう見ているか、見ればわかる。ただのトロフィー、自分たちの見栄を張るための便利な道具。そして、目の前でうつむいている弟——彼を「失敗作」と呼ぶことで、自分たちの優位性を保とうとしている。

 

 

 あいつらが彼を「失敗作」と呼ぶたび、私はずっと不愉快で仕方がなかった。あんな低俗な連中のためにあの子がそんな顔をする必要なんてない。食卓を整え、掃除をして、洗濯をする。あいつらのために。どうしてそんな無駄なことに彼の時間を溶かすのか私には理解できない。

 

 

 ……いや、理解する必要なんてない。排除すればいい。それだけのこと。

 

 

 その日の夜。私は自分の部屋を出て、静かに階段を降りた。水を飲みたかったわけじゃない。あいつらの「明日」を奪うための準備をするために。

 

 

 でも、キッチンには先客がいた。彼が明日の朝食の下ごしらえをしていた。私は足を止め、無表情に彼を見つめた。彼は私がそこにいることに気づくと、一瞬だけ身体を強張らせた。でもすぐに、いつものように自分の作業に戻る。

 

 

 私はそのまま冷蔵庫の方へ歩き、中身を確認するふりをして時間を潰した。ふと横を見ると、彼が両親のために用意した二つのコップが並んでいる。

 

 

「……これ、あの人たちの?」

 

 

 私が短く聞くと、彼は「そうだよ」と答えた。あいつらなんかのために彼がこんなに丁寧に動いている。……本当に、バカみたい。

 

 

「ふーん。……わざわざあなたが用意してあげてるんだ。それすらわからないなんて、あの人たちも可哀想だよね」

 

 

 私はそれだけ言って二階へ戻った。彼の前で直接手を下すのは私の美学に反する。……別の方法なんていくらでも作り出せる。

 

 

 深夜。あの子もあいつらも寝静まった頃、私はガレージへ向かった。あいつらが自慢げに乗っている高級車。その制御システムに少しだけ「魔法」をかけてあげる。簡単に言えば、走行中に人の意識を無くすプログラム。私の計算が狂うことなんてあり得ない。だって、私は絶対に正しいんだから。

 

 

 そして次の日。表彰式だか何だか知らないけれど、あいつらは機嫌良さそうに出かけていった。一時間後。静かになった家の中で、リビングの電話が鳴った。

 

 

 階段から見下ろすと、彼が受話器を持ったまま固まっていた。ひどく間抜けな顔だ。私はゆっくりと階段を降り、彼の手から受話器を奪い取って耳に当てた。警察。あいつらが車の中で同時に意識を失い、そのまま死んだという報告。

 

 

「わかった。すぐに行く」

 

 

 短く答えて電話を切る。

 

 

「死んだんだ。あの人たち」

 

 

 私がそう言っても、彼は何も言えずに立ち尽くしていた。本当に、驚くようなことじゃない。ノイズが消えて世界が少しだけ正常になった。それだけのこと。

 

 

 数日後の葬式は本当に時間の無駄だった。「本当にお気の毒に」だの「あんなに素晴らしい方たちが」だの、見え透いた嘘と同情が飛び交う空間。私の顔を見て感嘆の声を漏らし、彼の顔を見て見下したようなヒソヒソ話をする。自分の知識の限界をさらけ出しているだけの可哀想な人たち。

 

 

 ふと、隣に座る彼の横顔を見た。彼は一滴の涙も流していなかった。その事実が少しだけ私のテンションを上げた。思わず口角が上がってしまったのを見られたのか、彼がこちらを見つめている。

 

 

「……何? 私の顔に何か付いてる?」

 

 

 私がそう聞くと、彼は首を振って視線を落とした。こんなくだらない儀式にこれ以上付き合う義理はない。私は立ち上がって、彼の腕を掴んで出口へ向かった。

 

 

「……姉さん、いいの? まだみんな残ってるよ」

 

「いいに決まってるでしょ。これ以上ここに残るのは時間の無駄」

 

 

 車に乗り込み、窓の外を流れる景色を見ながら吐き捨てる。

 

 

「『またあなた? 』って言いたくなるような顔をした人たちが、代わり映えのしないお悔やみを言いに来るだけ。そんなの私にとっては時間の無駄でしかないの」

 

 

 彼が何も言わずに隣に座っている。それでいい。

 

 

 家に帰り、リビングのソファに深く腰掛ける。あいつらの声がしない空間はとても快適だった。彼がまだ、さっきの連中の視線を気にしているのがわかる。 

 

 

「ああ、やっと静かになった。……ねえ、あなた。まだあんな連中の視線を気にしてるの? 『落ちこぼれの可哀想な弟』なんて思われてるかも、とか」

 

 

 顔を上げて、彼を試すように見つめる。  

 

 

「見ればわかるでしょ。あいつらは自分の知識の限界をさらけ出しているだけ。私であるか、そうでないか。価値があるのはそれだけなんだから、あの人たちにどう思われようが、あなたの価値には何の関係もないの」

 

 

 私が小さく鼻で笑うと、彼は驚いたような顔をした。

 

 

「……それにしても、あなたって本当に私の目を引くようなことをするよね。さっきの葬式でもあんなに悲しくなさそうな顔をして。それってわざとやってるの? ……だとしたら、なかなかわかってるじゃない」

 

「……姉さんは、悲しくないの?」

 

 

 彼が勇気を出して聞いてきた。私はゆっくりと立ち上がり、彼の目の前まで歩み寄る。

 

 

「悲しい? ……生活のことなんて気にしてる暇、私にあると思う? 宇宙の神秘に比べたら、あの人たちの死なんて、取るに足らない小さな出来事でしかないの。……でも」

 

 

 彼の頬に手を触れる。

 

 

「……あなたがこれ以上、あの人たちのせいで嫌な思いをしなくて済むようになった。それに関しては少しだけテンションが上がってるかな」

 

 

 そう言うと、彼は震えた声で、確信を持って問いかけてきた。

 

 

「……姉さんが、やったの?」

 

 

 そうだよ。でも、それを知る必要はないでしょ? 誰が手を下したのかなんてどうでもいいこと。完璧な計画。完璧な実行。結果として、彼を縛り付けていた鎖は断ち切られた。

 

 

 私は小首を傾げて、彼を見つめ返した。

 

 

「……さあ、どうだと思う? 別に私が手を下さなくたって、人間なんていつかは死んじゃうものだし。それがたまたまあの日だった、それだけのことじゃない?」

 

 

 彼の中に恐怖と、そして私に対する歪んだ依存が広がっていくのが手に取るようにわかった。誰からも愛されなかった彼を「特別」にしてあげられるのは、この天才である私だけ。あんな連中に使わせていた彼の時間を、これからは私が全部、私のために使わせてあげる。

 

 

「さて。これからは私の助手として働きなさい。別に家事なんて適当な機械にでもやらせればいい。そんなことに時間を溶かす暇があるなら、私の側で私の手伝いをしてたほうがよっぽど有意義でしょ」

 

 

 彼の手を取る。拒絶する選択肢なんて最初から与えるつもりはない。

 

 

「……わかったよ、姉さん」

 

 

 彼が頷いた。私は満足して一つ頷き、彼の手を引いて階段を上がった。

 

 

「じゃあね、これまでの生活。これからは私があなたの主なんだから。よく覚えておいてね」

 

 

 

 彼の手の冷たさが伝わってくる。凡人には理解できないかもしれないけど、これでいい。必要なのは、彼が私の隣にいるっていう事実だけ。

 


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