光輝の都の頂へ〜元社畜、欲望渦巻く魔都にて傭兵生活を始める 作:ズブ左衛門
フライングカー。旧世紀風に言えば『空飛ぶ車』というべきそれは今世紀になってからも長らく人々を惹きつける夢の乗り物であったが、そんな空想の形にどうにか現実が追いついたのは四半世紀ほど前の話だ。
上はメガコーポから下は下町の小さな工場までが躍起になって試作していた自動車にヘリコプターのローターや翼を付けた不格好なものではなく、輝かしい未来の想像図に登場する。故に正確な分類は自動車ではなく超小型
「アノウ様、あと一〇〇キロでアシハラ上空に到達します。本日のパーティー主催お見事でした、あれこそ伝統と格式を体現した当社の精神そのものです」
「ムッハハハハハハ! よう言うわ、お主も体感したであろうよマルコ。ワシが主催した船上パーティーの賑わい様をな! 日本を、いやこの人類社会を支配する資格があるのはLJCの愚か者でもタカマガハラの成り上がり共でもない。伝統と格式、そして揺るがぬ人脈を兼ね備えた我々財閥連合だということも!」
そんなフライングカーの絢爛豪華な客室にて二〇〇年物のワインを開けている中年男性、人類社会を支配する七大メガコーポが一つ、財閥連合の常任専務であるジョン・ロビンソン・アノウはすこぶる上機嫌であった。伊豆諸島沖を航行する豪華客船で開いた彼主催のパーティーは大成功であり、世界各地からご機嫌取りに集まった資産家や系列企業の重役たちから新たなプロジェクト開始に伴う資金調達に成功し、計画段階ながら既に五兆クレジット以上もの投資を確約させたのだから。
「愚かな他のメガコーポどもが小惑星帯やら木星圏やらの手近な宇宙利権で争っている間に、我々はアルファ・ケンタウリを目指すとは……一年前に戻ってきた無人探査艦によって発見された惑星を我らが領土とするなんて……」
「そこにワシらは入植するのだ。死に体の国家も獣じみた敵対者もいない。あるのは忠誠と規律に満ちた入植地と、無限の可能性に満ちた異星の豊かな大地のみ。素晴らしいとは思わんかね?」
そんな大言壮語を平然と口にする財閥連合の権力中枢に最も近い男が愛用する特注品の威容は
「我々はここ二〇年ほどあ奴らに宇宙開発競争で後塵を拝していた事は認めねばならん。だが、このプロジェクトはその遅れを取り戻すばかりか、我々が何歩も先を行くことができる……! 星系丸ごと我らの領土と化すのだ!」
「流石アノウ様! やはり次期総帥とも噂されるお方は凡百の輩どもとは次元が違いまする! 太陽系どころかそのはるか先を見据えているなんて!」
「ハハハ、そうだろうそうだろう! このプロジェクトを以て我らは時世に取り残された遺物ではなく時代の先駆者となるのだ!」
遠慮なくおべっかを使う側近の言葉にアノウはすっかり気分を良くしていた。いつの日かあの忌々しい成り上がり者のタカマガハラも、裏切り者の
しかし、そんな彼の描く輝かしい未来を自身が見ることも成否を知ることも決してない。なぜなら、その身を焼きかねないほどの殺意を宿す存在によって栄光から一転し、恐怖と絶望、そして耐え難い苦痛に苛まれながら人生の終わりを迎えることになるのだから。
「……ん? 何だ、誤作動か……」
その前触れとなる飛翔物接近警報。ほんの一瞬だけ鳴ったため何かの誤作動だと勘違いしたアノウらだが、ただ一人パイロットだけは事の重大性を理解している。何故なら、後下方より放たれたロケット弾が時限信管に従って炸裂する寸前の姿を目の当たりにしてしまった。
『前方に飛翔物、回避できません……!』
「「なっ……!?」」
それは炸裂しても機体そのものに何らダメージを与えることはなかったが、炸薬の代わりに内部に溜め込まれた膨大な電気が解き放たれて強烈な電磁パルスを放つ。その瞬間、全ての電気系統が修復不可能なダメージを受けてしまい、旧世紀の人々が夢見た輝かしい未来の象徴は一瞬にして鋼鉄製の棺桶へと早変わりしてしまったのだ。
「……完璧だ。これなら中の電子機器もばっちりウェルダンで焼けただろうよ」
数秒前に上空を通過したフライングカーを取り囲むような形で爆発した九つの小さい爆風を見ながらタチバナは獰猛な笑みを浮かべると、夜闇と潮風の音に紛れ潜むのをやめて再びエンジンを起動した。
彼が乗っているのはPTボートと呼ばれる旧世紀に開発された魚雷艇であり、前は迂闊な密輸業者が大幅にカスタムした上で密輸船として使っていたという曰く付きのシロモノだ。今は敵主力艦に肉薄して魚雷を撃つなんて時代ではないが、五〇ノット以上という最大速度と小型兵器を複数運用できる能力は魅力的である。
本来なら大口径機関砲が取り付けられている艇首の動力銃座には、ジャンク品の航空機搭載型ロケットランチャーが無理やり搭載されており、そこから微かに立ち昇る煙が今し方それが使われたことをありありと示していた。
「お、いいね。ほぼ理想の位置で炸裂してる」
そこから放たれたのは、超高出力EMP弾頭を搭載した九発の一〇五ミリロケット弾。キロトン級核弾頭並みの電磁パルスを半径数百メートルに放つ危険物であり、その範囲内にある電子機器はよほど厳重に防護されていない限り回路を焼き切られて不可逆的な機能不全を引き起こすだろう。
テクノロジーの粋を集めたフライングカーとて例外ではなく、動力系統の制御が全てやられたことで黒煙を吐きながら徐々に速度と高度を下げつつあった。それに追いつくべく、エンジン出力を最大まで上げて追跡を再開している。
違法改造された三基の小型ガスタービンエンジンによって、真っ暗な海上を六〇ノットという高速で疾駆する様は闇夜を飛び回る暗殺者そのものであり、タチバナがこれから為そうとすることを暗示しているようでもあった。
そう、彼の狙いはフライングカーそのものではなく中に乗っている財閥連合の重役、ジョン・ロビンソン・アノウである。婚約者が人の死に方とは思えぬ最期を迎えさせられた主因であり、特に責め苦を与えてやりたいと思っている標的だ。
普段は厳重なセキュリティの張り巡らされた拠点にこもり、滅多に勢力の領域から顔を出すことはないのだが、標的が好む船上パーティーに出席する時だけはフライングカーという脆弱な乗り物で少数の護衛だけを伴に動くことを知った彼は好機を逃すことなく待ち伏せしていたのだ。
「へーえ、これは財閥連合製の『センチュリオンMk.3』、その特注カスタム品か。本社の常任専務ってぐらいだし、中々立派なモノ持ってるじゃん……うちの実家にはもっといいのが何台もあるけどな」
時速換算で一一〇キロを出したまま数分も走ると、不時着水現場に辿り着いた。機体中の電子機器が破壊されたことで鋼鉄製の棺桶と化しているフライングカーであったが、電子機器に依存しない原始的な救命システムのみは作動し、車体を浮かせるための浮き袋を展開している。
尤も、同時に救難信号を発するビーコンはEMPを食らってきっちり焼け焦げているため使い物にならず、他よりすぐ助けが来ることはない。予定時刻を大幅に過ぎても連絡の一つもないことで何かあったかと、それとて何か急用がない限り十数分程度の遅れでは心配すらされないだろう。メガコーポの重役という生き物は大抵が気分屋であり、特に誰も告げずに寄り道をすることが珍しくないからだ。
「電子機器はほぼ死んだろうし……俺は俺の目的を果たすだけだ」
フライングカーとは言うが、この『センチュリオン』シリーズはどちらかといえば車というより
「……ちゃんと籍を入れたら六花と火星の入植地を見てみたかったな……もう叶わぬ夢だけど」
もう会えない婚約者と一瞬だけ思い、復讐の決意を新たにしている。彼女から夢も希望も奪った外道に相応しい末路を辿らせ、最愛の人の報われぬ魂を慰めるためにも彼は絶対に止まらないし止まれないのだ。
「よっこら……しょ、っと。VIP用とは言っても、まあこんなものか。さっさと片付けよう」
閉じたままのドアをバールで無理やりこじ開け、暗闇と喧騒、そして混乱が支配する車内へと乗り込んだタチバナは手始めに真後ろを向いていた護衛を後ろから思い切り殴りつけてから車外へと投げ捨てる。意識不明の状態で海に捨てられた護衛はボチャンという音を最後にこの世から存在を抹消されたが、それは一方的な殺戮の始まりを告げる号砲のようなものであった。
彼の手にした大口径の自動式拳銃とコンバットナイフによって一ダースほどの護衛は次々とその任を解かれ、次なる任地であるあの世へと送り出されていく。監視カメラや防衛システムなどはあったが強烈なEMPで軒並みガラクタと化しており、何とも原始的な近接戦闘、しかも真っ暗闇の中という無茶苦茶な条件下であったが、タチバナにとってはちょっと変わったシチュエーションでの実弾訓練でしかない。
複数波長による暗視機能付きのサイバーアイと可聴域を自在に変化させる聴覚センサーにかかれば暗闇など逆に好都合な狩り場と化し、無防備で見当違いの方ばかり警戒する敵を確実に仕留めていく。そんな悲鳴と断末魔は生き残りの恐怖を煽り、助けが来ないという絶望もあって士気は瞬く間に崩壊し、生き残りは皆無となった。
「ちわーっす、不届き者でーす。ジョン・ロビンソン・アノウ様に死を届けにきましたー」
「な、なんじゃお主は!?」
そうして何の苦もなく護衛を全員片付けたタチバナは、そんな気さくな挨拶と共に標的がいる客室へと乗り込んだ。非常用電源が生きていたのか、潜水艦の艦内のように赤く照らし出された室内には顔を真っ青にした二人の男がおり、不埒な侵入者に対して恐怖の眼差しを向けている。
「この下郎め、アノウ様に何用だ!」
「お前みたいな小物に用はねえ、退け」
お世辞やおべんちゃらばかり使う腰巾着の側近はどうにも空気が読めず、なけなしの勇気を振り絞って誰何と共に拳銃を向けたが、常人離れした速度で反応したタチバナはそれを敵対的行動と捉え、眉間と心臓を撃ち抜いて始末している。
「ひ、ヒィッ! な、なな、なっ、何が目的じゃ、金品なら持ってるだけやる! 機密情報が欲しいならそこのトランクに詰まっとるから好きに持っていけ! 一年かそこらは遊んでいける額にはなるじゃろ!」
自らの目の前で凄惨な殺人が起こったことで、サトウは数分前の威勢が嘘のように震え上がり、その下手人たる漆黒の装いを纏った正体不明の不審者に命乞いを始めている。当たり前だ、同乗していた護衛を一方的に全滅させた上に目の前で側近を撃ち殺した相手に対抗できない、そして頼みの綱である増援を呼ぶことができないのだから。
「ほうほう、それはそれは殊勝な心掛けで。今ちょうど欲しかったものがあってな……」
「そ、そこに金と白金のインゴットが一〇〇本ずつある! こっちには旧ボルドー産の二〇〇年物ワインもある、あと向こうの部屋にはさっき貰ったばかりの上物の総天然ペルシャ絨毯も! だからワシを殺さないでくれ……お、お主も見逃してやるから!」
だから生き延びるために大して賢くもない頭をフル回転させ、必死に財宝の在り処を伝えている。せっかく苦心して掻き集めた貢ぎ物や宝物を盗人に奪い取られるのは許しがたかったが、ここで生き延びねば再び集めるチャンスすら失われるため、この恐ろしい侵入者の慈悲を引き出すべく差し出すことにしたのだ。
「……お前が惨めに泣き喚いて無意味な命乞いをしながら死ぬ様を見たいと思ってたところなんだ」
だが常人ならば一も二もなく飛びつく条件を提示されてもタチバナは揺るぎはしない。彼の目的は強盗ではなく復讐であり、目の前で喚き散らかす男を散々苦しめてから惨たらしい最期を迎えさせることが目的なのだから。
無論、それらの品々は貰っていく。敵を拝んでまで恵んでもらうことはないが、わざわざ丁寧に教えてもらったのなら回収することに躊躇いはない。資金繰りには全く困っていないのだが、お金というのは人には言えない下準備や物資調達にはとにかく必要であるため、いかに資産家レベルの蓄えを持つ彼とてあればあるだけ嬉しいものなのだ。
目の前の人物は強盗ではなく、狂った殺人鬼である。そんな事実に気付いたアノウは絶望した。助けも呼べない上に味方は誰一人としていない状態で、それと対峙せねばならない。非主流派故にコーポの下級幹部から常任専務へと出世する四半世紀と少しのキャリアで幾多の修羅場をくぐり抜けてきた歴戦のビジネスマンだが、ハナから交渉もへったくれもない相手に関してはどうしようもなかった。
「ジョン・ロビンソン・アノウ、お前の罪を清算する時間が来たぞ。六花が受けた痛みや苦しみに比べれば微々たるものだが、死ぬ前にタップリ苦しんでもらうからな」
「い、嫌だぁ、助けてくれぇーっ! そもそも六花なんて女は知らん!! あれはワシじゃなくてアズラエルのバカモノが悪いんじゃ! あんなチンピラ呼ぶんじゃないとワシは言ったのに!」
タチバナは狼狽するアノウの首根っこを掴み、有無を言わせぬ目力と圧力と共に下した判決を無慈悲に告げる。非常灯めいた赤い明かりの中で憤怒と憎悪を隠さぬ様は裁判官というより鬼と呼ぶ方が相応しいもので、余計に震え上がらせた。
「ほう、ならなぜアズラエルの名前がここで出てくるんだ? それに何故六花が女だと知っている体で話せるんだ?」
「そ、それは……しまった!」
しかし命の危機で頭が回らなくなっているサトウはアズラエルの名前を出してしまう。本来なら関わりなどないはずの人物であり、知らぬ存ぜぬを決め込まねばならないのだが、地獄の閻魔大王を彷彿とさせる形相の圧力によってつい口を滑らせてしまったのだ。
「ほらやっぱり。冥土の土産に教えてやるが、アイツは死んだ。闘技場で使うバケモノが腹を空かしてたから生き餌にしてやったんだ。折角だしその時の映像でも見せてやろうか? 絶対に助からないのに助けてと泣き叫ぶ様は中々に見ものだぞ」
それでも名前を覚えているだけアズラエルよりマシだとタチバナは思ったが、この男さえいなければ六花があんな惨たらしい死に方をしなかったのは事実であるため、情状酌量の余地はもとよりない。許されるならば三日三晩惨たらしい拷問にかけてやりたいが、露呈するリスクを考えればこれくらいが限界であった。
「しかし、あのような綺麗な女子が人気のない夜の路地を一人で歩いてる方が不用心というではないか! あれでは襲ってくれと言うてるようなものじゃ!!」
しかしサトウは余りの恐怖で狂ったのか唐突に開き直り、自分は悪くない、一人で歩いていた六花の方が悪いなどと言ってしまったのが一番の失態である。確かにアシハラの大部分においてそれは概ね正論に近い発言なのだが、今のタチバナの前で決して口にしてはならない言葉であった。
「あんな体つきをして欲情しないのは無作法さん……べぶっ!! だ、誰か来てたもれぇー!」
無言で放たれた迅速で強烈な、しかし肋骨を折る程度に手加減されたボディブローを食らったアノウは十数年ぶりに感じる激しい痛みと息苦しさで床に倒れ悶絶しているが、余計な一言で怒り狂ったタチバナはその胸ぐらを掴んで無理やり引き起こし、腰のホルダーから強化プラスチール製のコンバットナイフを引き抜くと最愛の人を愚弄した痴れ者の首に押し当てた。
「次ふざけたことを言ってみろ、生きたまま昔の人体模型みたいにしてやるからな」
剥き出しの暴力と殺意に晒され、首の表皮が切れて微かに血が流れたたことで改めて自らの立場を理解させられたアノウはただ恐怖に震えることしかできない。逃げることも抗うことも、助けを呼ぶことも不可能な上に肩書も通用しない彼は恐ろしくちっぽけでどこにでもいる一人の人間でしかないのだ。
「では、これからお前の悪行に相応しい罰を与える。逃げられると思うなよ」
そうして後ろ手に縛り付けたアノウを乱暴に移乗させたタチバナであったが、闇に沈んだ東の海面に浮かぶ僅かな光からこちらへと向かってくる複数の船影を発見している。
「チッ、海賊か……! 薄汚いゴミ漁りのくせに海賊の真似事してるバカ共め、本ッ当に間が悪い」
彼らの正体はフライングカー、しかも超高級機種の不時着水を見ていた近隣の海賊──大半は本業が密輸業者や武装したスカベンジャーであり、専業の海賊は二〇八七年でもカリブ海やマラッカ海峡周辺くらいしか見かけない──が一攫千金のチャンスとばかりに押し寄せてきたのだ。
普段は日本国やアシハラの間で禁制品をやりとりしたり東京湾近辺の沈船や各種スクラップをサルベージしている連中だが、こんなものが墜落した上に比較的綺麗な状態で浮いているとなれば寄ってこない理由はない。超高級品であるフライングカーともなれば部品だけでそこらのゴミ捨て場や海底に転がるものの数十倍から百倍を超える価値がつくのだから。
「ああクソ、どいつもこいつも余計なマネをしやがって……」
想定外の事態にタチバナは一瞬だけ嫌そうな顔をしたが、復讐を妨げない限り無視することを決めている。彼が憎悪の炎を燃やすのは婚約者を惨殺した連中だけであり、その他の人間に関しては利害関係が生まれない限りほぼ無関心であるからだ。
しかし海賊船の何隻かは目ざとくタチバナの乗るPTボートへと狙いを定め、違法改造された大出力エンジンを限界まで吹かして加速し、なけなしの武装を振りかざす。フライングカーから離れていく彼の艇を見て、先客に車内のお宝を奪われたと思ったからだ。
とはいえ海賊船の武装など大半は市販の軽機関銃やそれを何挺か束ねたものでしかなく、よほど当たりどころが悪くなければ致命傷になり得ないが、時たま船首か船尾に一五ミリ重機関銃を据え付けているため排除した方が安全である。いかに主要部には小火器の攻撃を防げる複合材料製の装甲を張ってあるとはいえ、そんな大口径の銃弾までは防げないからだ。
「ったく、砲弾や燃料だってタダじゃねえんだぞ……横流し品とかって元の価格の十倍とかザラなのに」
しかし彼の駆るPTボートの艇尾には無人式の二五ミリ機関砲が搭載されており、艇のネットワークを通じて遠隔操作できる。さらに体内のサイバネ機器とも無線リンクを確立しているため、まるで超能力かのように彼が念じるだけで砲塔が旋回し発砲することすら出来るのだ。
「大人しくこの汚え残骸でも剥ぎ剥ぎしてれば死ぬこともなかっただろうにな……」
一旦待機状態にしたガスタービンを再び最大出力にまで上げていくも、いかに加速に優れたエンジンとはいえ元から最大速度を出している敵の方がしばらく優速であることに変わりはない。だからこそ二五ミリ機関砲による攻撃で牽制し、最高速度に達するまで時間を稼がねばならなかった。
「命が惜しけりゃとっとと失せろ! 俺の邪魔するなら同罪だぞ!!」
彼が動けと念じれば、無線リンクによってPTボートの艇内ネットワークにコマンドが送信され、それを受けて艇尾の砲塔は旋回する。流石にレーダーや連動した照準システムは付けていなかったが、穏やかな海面も相まって高々二〇〇〇メートルと少しの距離なら単純な光学照準だけでも命中させられる自信があったのだ。
「やはり退かんか……ならさっさとくたばれ!」
都市での戦闘では頼もしい相棒である軽機関銃の発砲音が玩具であるかのような轟音と共に五発の二五ミリ弾が放たれ、夜の海を揺らす。初回と二回目こそ惜しくも外したものの、三回目のバースト射撃で先頭を疾走する漁船上がりの海賊船に命中。
音の四倍ほどの速さで蒸し暑い西太平洋の空気中を疾駆した二五ミリ徹甲榴弾は、装甲など皆無な船体を容易く貫通すると船体のほぼど真ん中で炸裂した。そこにはエンジンがあり、燃料や弾薬に引火して大爆発こそしなかったものの、船底まで引き裂かれたその船は徐々に浸水して沈み始め、戦闘どころではなくなってしまった。
そんな有様を見て後続が及び腰になったところで速度が乗ってきたため、優速を活かして一気に離脱を図った。いかに恐れ知らずな海賊船が四〇ノット以上出せるとしても、タチバナが駆るカスタム済PTボートはそれより二〇ノットも速いためぐんぐんと引き離されていく。
それでもなお追いすがろうとした一隻に二発の直撃弾を与えて文字通り真っ二つにしたことで、形勢不利を悟った烏合の衆はようやく三々五々に散っていった。海賊は儲けを得ることが最も大切であり、誰だって深追いしすぎて仕事道具の船を破壊されたり命を失いたくないないのだ。
「欲をかかなきゃ残骸のサルベージに参加できたのにな、あーあ勿体ない」
そんな他人事のよう呟きながらやってきたのは、アシハラから数十キロ西の海域に突き出るハイパーコンクリート製の頑丈な基礎。かつて日本政府が進めた現在のアシハラに続く人工島造成計画の名残であり、中止されて半世紀近くが経った今では相応に朽ちてこそいるものの、そこがかつて一大プロジェクトの舞台となったことの証明であるかのように厳然と存在している。
拠点としても無価値に等しいため余程の物好きであってもまず訪れないのだが、それ故に人知れず処刑ショーを開催するには好都合な場所であった。とはいえ使うのは一〇〇平方メートルにも満たない上端部ではなく、一〇〇〇メートルを超える深海にまで突き刺さる柱そのものだが。
「さて、お前には今からダイビングをしてもらうことにした。さあこれを着ろ、すぐ着なきゃ今すぐ殺す」
艇を基礎に横付けさせると、そこでタチバナは持ち込んだダイビング装備をアノウへと渡して着るように命じている。もう片手には護衛と側近を始末した拳銃が握られており、拒否すればその時点で命の灯を消しにかかるだろう。
「こ、これを着ればいいんだな!?」
「物分かりのいい奴は嫌いじゃない。それだけ長生きできる」
そうして半泣きの状態でダイビング装備を整えたアノウを、侮蔑を隠そうともしない視線で見据えたタチバナは面頬で隠した口に嗜虐的な笑みを浮かべて命令している。その様はデスゲームを観戦する支配者そのもので、
今まで散々してきたことを己の身に刻み込んでやるという嗜虐心を滲ませていた。
「それで、お前には生存をかけたゲームをしてもらう。ここの標識の一〇〇メートル地点に宝箱を設置した。それを開けて中身を回収してから戻ってこい。しくじったらそのまま水底に沈め」
「……もし仮に嫌と言うたらどうなる?」
「そのまま後頭部に一発ぶち込んで終わり。後は魚の餌になってもらうだけだ」
「わ、分かった! 言われた通りダイビングをすればいいんじゃろう!?」
「そうだ、今のお前に選択する権利などない」
しかし口では生存をかけたゲームと言ったタチバナだが、当然ながら生かして返すつもりなど毛頭ない。そんな愚かなことをすれば財閥連合から確実に報復の追手がかかるし、何より愛する人を失わせた元凶をここまで追い詰めておいてみすみす逃がすなど彼自身が許さないのだ。
「よし、じゃあ行ってらっしゃい! さあ楽しんで」
基礎に設置された浅層のメンテナンス用に設けられたダイバー用の安全装置にアノウの装備をしっかり繋ぎ、半ば蹴り落とすように海へと追いやった。そこからはダイビング装備に取り付けたカメラから様子を窺い、自ら死出の旅へ赴く様を意地の悪い笑みを浮かべながら楽しんでいる。
早く沈降するためという名目で重りをつけさせており、説明では浮上時に取り外せることになっているのだが、もちろん外せないように細工してある。それだけではなく更にトラップが仕掛けられていて、足場型に整えた強力な永久磁石によって鋼鉄製の重りを磁力的に捕らえて離さないだろう。
『よし、見つけたぞ……これを開けて中身を回収すればいいんじゃな!?』
「そうだ、最期まで気を抜くなよー」
ダイビング自体は手慣れていたのかすんなりと目標の一〇〇メートル地点にまで降下していき、そこに置かれた箱を付属の鍵で開けようと奮闘し始めるが、そこで海中に異音が響く。
ガシャン。そんな音がダイビング装備に取り付けたカメラ付属のマイクから聞こえてきた瞬間、タチバナの精神はいつになく高揚した。それは憎みて余りある敵が死の罠に捉えられたことを知らせる葬送歌にして、悲劇的な最期を迎えた最愛の人に捧げる鎮魂歌。生きて帰れるという一縷の望みを容赦なく踏みにじり、絶望の淵へと叩き落とされる瞬間は彼に興奮をもたらしている。
『がっ!? は、外れぬ……! これはどうなっておる、まさか謀ったのか!?』
「正解。最初からお前を生かして帰すつもりなんてない、当たり前の話だ。お前みたいな奴が同じ街にいると思うだけで怖気が走るからな」
ここで奴は最初から自分を生きて返すつもりなどなかったのだと理解したアノウだが、時すでに遅し。太陽光ですら殆ど届かない水深一〇〇メートルの深海に繋がれ、身動きが取れなくなった彼に出来ることは装備されたカメラとマイクに意味もなく喚き散らかすことだけだ。
『嫌じゃ、助けてくれ! こんな光も届かない場所で死にとうない!!』
目鼻口から様々な液体を垂れ流しながら必死に懇願するも、カメラの向こうのタチバナは仇敵に対する怒りとそれを残虐に始末できる喜び、本来なら背反する二つの感情によって奇妙な表情をしたままである。
「逆に問うが、お前は今みたいに止めてと泣き叫んだだろう六花に何をした? 自分は無茶苦茶好き放題しておいて、いざ自分の番になったらどうか助けてくれと。そんなわがままが許されると思ってんのか!?」
『あの賤しい女と違ってワシは財閥連合の常任専務じゃぞ! 新しい事業計画の統括責任者で人類を高みに導く使命がある、当たり前のことじゃろうが!』
「……頭からつま先までカビ臭いお前らの事業計画なんてどうでもいいが、六花が賤しい女だと? 今すぐ酸素タンクとダイビングスーツに穴空けに行くから待ってろ」
しかしアノウは恐怖のあまり錯乱した挙げ句、タチバナの地雷を無自覚に踏み抜いたことで、人殺しに何の躊躇いもない奴に自らの命は握られているという現実を改めて認識させられた。
『ああ、すまぬ、すまぬ失言であった! それにお主が怒っているのは……その、そうじゃ『宴』のことじゃろう! 当日参加しておった他の奴らの情報をやろう、だからワシだけはどうか見逃してはくれんか!? ほら、あの女の綺麗な顔を滅茶苦茶にした愚か者のモートンの居所を……』
どうにかして自らの失言が原因で怒り狂った殺人鬼の関心を惹くことで生き延びねばならない。そう悟ったアノウは、だいぶ薄れていた記憶を頼りに何のためらいもなく秘密を誓った共犯を売ることにした。大切なのは自分の命であり、いきずりの他人を売って未来を得られるのであれば躊躇いなくそうすべきであると知っていたのだ。
これは無駄な足掻きであったが、仮に彼が一人目の犠牲者であれば、ほんの少しだけ長生きできたのかもしれない。その脳みそと口から吐き出す情報に価値がある限り、その分だけ長生きさせてくれるのだから。
無論、銛を手に水深一〇〇メートルまで生身のまま潜ろうとしたタチバナも価値のある話なら吐き出させようと思い、理性を忘れて激昂しそうな感情を必死に抑え込んで耳を傾ける。
「……そいつは三番目に死んだ。四肢をベキベキにへし折った上で体中の穴という穴に糞と小便を詰め込んでやった」
『じ、じゃあイグラの奴は……』
「そいつは二番目だ。車裂きでバラバラにして魚のエサにした」
『あの卑しい目をしておったユアンは……』
「六番目、手足に重りを付けて王水プールへドボン」
しかしアノウは九番目の犠牲者であり、その情報はあまり役に立っていない。運の悪いことに彼がまだ刃を届かせていない三人に限って殆ど情報を持っておらず、名前と役職くらいしか提供できない。とはいえ悪逆の饗宴は匿名で行われるものであり、そこまで参加者の情報を持っているのは腐ってもメガコーポの重役であった。
有益な情報が出ないこともあって怒りが再燃し、凄惨な処刑の様を淡々と語る様にアノウは必死になって失禁を堪えていたが、彼を取り巻く事態は何一つ好転していない。背中に括り付けられた刻一刻と残量の減る酸素タンクだけが命綱である状況にて、水深一〇〇メートル地点で身動きが取れないことに変わりはないのだ。
「お前、本当に何も知らないし他人にも興味ないんだな。六花のことだけは覚えてたくせに」
『あんな綺麗な女を忘れることはないぞ! というかあれだけ愛していたならばお主は家族か婚約者じゃな!? 今すぐ逃がすならワシの権限で報復を止めてやれるし、中級幹部としてザイバツ・ホールディングス本社社員に推薦してやるぞ! どうじゃ、悪い話ではなかろう?』
「……勝手に推測でも推薦でもしてろ。お前はもう生きて帰れないし、どうせ財閥の役員会もお前のことなんてすぐ頭の中から忘れ去るんだからな」
何を言っても暖簾に腕押し、糠に釘。脅してもエサで釣っても全く反応を示さないタチバナに苛立ちと焦りを募らせるアノウ。犯行動機が財閥連合に対する攻撃ではなく、過去の怨恨であるとほぼ断定できたところで、ある一つの恐ろしい、しかしバカバカしいが否定しきれない仮説を呟いてしまう。
『……いや、思い出した。そうじゃ、あの女の恋人……お主は……ま、まさか、ユラギシの倅……!! 精神を病んで六年前に消えたはずでは!?』
「……穢らわしい口でその名を口にするな!」
だがその名を口にすることはタチバナの逆鱗に触れる行為であり、生殺与奪を握られている状態でなお人さまを挑発しようとした報いを受けている。具体的には、遠隔操作でタンクの空気を一割ほど放出させたのだ。
自らの不注意のせいで、ゴボゴボという無情な音と共に命のタイムリミットが減らされたことにアノウは叫んでしまう。逃げたり抗う術などなくただ死を待つだけの時間が減ったというのに、人間とはこんな絶望的な状況でさえ一分一秒でも長く生きていたいと願ってしまうのだ。
『く、空気がぁ!』
「ああ、そのタンクの容量はだいたい八時間分だったか。これで一時間分くらい減っただろう、精々今までの悪行を悔いながら出口の無い海で苦しんで死ぬといい」
『……こ、こ、この狂った外道め、お主は死んだら地獄に落ちるぞ!』
「こっちはもう一千人以上も手にかけてるんだ、今さら地獄行きと言われても何を当たり前のことを、としか思えん。それにここから何ダースか増えたところで判決は変わらんだろ」
それでもなおみっともなく叫び散らかす様に変な笑いすら浮かべそうになったタチバナは、これ以上話していても面白いリアクションは得られないだろうと悟って目を離した。今すぐダイバーと彼を排除できる戦力を含む救助部隊が来ない限り、この卑劣漢の死は確定している。そんな揺るがぬ自信があるからこそ、相手を舐め腐った行動がとれるのだ。
「それじゃ俺は帰り支度をしてるから、死ぬならちゃんと『死ぬぅ!』って叫べよ。その瞬間はしっかり見てやるからな」
『ああぁぁぁぁぁぁ、待ってくれ、殺さないでたもれ! いやいっそ一思いに殺してたもれえぇぇぇ!』
「自らの地位や権力に胡座を書いた罰だ。来世では精々善良に生きるんだな。ま、来世なんてあるかは知らんが」
そうして迫り来る逃れようのない死に恐怖して喚き、泣き叫び、普段は微塵も信じていないであろう神仏にすら必死に祈る様をしばらくラジオ感覚で楽しんでいたが、途中からは単調な繰り返しにやや飽きてきたのか、ダイビング装備からの音声出力をオフにすると大欠伸をした後に仮眠を取ったり缶詰を開けて腹ごしらえをしたりと煽るような動作をしている。
余計に酸素を使わせることで一秒でも早く窒息させるつもりだが、その所業を考えれば一秒でも長くもがき苦しんでほしい。そんな二律背反を抱えたまま責め苦を与えて命を奪う恐ろしい猟奇殺人現場を作り出した男は、
『た……助け……だれか……』
「じゃあなゴミクズ野郎、運が良けりゃそのうち誰かが見つけてくれるだろうよ」
そうしてじわじわと酸素がなくなっていく恐怖で気が狂ったまま窒息するという人間の死に方でも上位の苦しさを存分味わわせたことで彼はとりあえず満足している。仮に死んでいなくてもこのまま沈めておけばそのうち死ぬため、放置しておくことにした。
人類社会の支配者階級として思うがままに振る舞った挙げ句最愛の人を奪った奴が、誰にも見つかることなく冷たい水底で恐怖と絶望に苛まれながら静かに朽ち果てていく。そんな因果応報というべき最期を強要できたことに、彼は心地よい疲労感と達成感を覚えていた。
「ああさっぱりした。やっぱり六花の敵を討つと少しだけ胸がすくような気持ちになる……さあ、一旦ずらかるか。ここ数カ月は今までの停滞が嘘みたいにスムーズだが、メガコーポの重役を殺ったんだ。しばらくは大人しくしてるのが賢明だろう」
あと二〇分ほどで夜明けとはいえ、メガコーポの重役が乗ったフライングカーが墜落し当の本人が行方不明となれば大事なのは理解している。だからこそ自分がこの件と関連があると思われてはならないのだ。
幸いにも海賊たちがフライングカーの残骸を漁っているため、罪をなすりつける容疑者候補には質・量ともに事欠かないのだが、七大メガコーポが一つの重役が襲撃されたとあっては
故に僅かな物証からも足が付かないように後始末をしてから身を潜めねばならないのだが、その前に一つの小さな厄介事が残っていた。
「しまったな、成り行きで持ってきたが……重いし嵩張るし一緒に捨ててきてもよかったかもしれん」
それはフライングカーから持ち出した戦利品であり、これだけでも平均的な中流階級の一世帯が一生遊んで暮らしてもなお使い切れないほどの価値を有している。この街で活動する傭兵の殆どは、これらの時価総額の一パーセント、その半分にさえ満たない『はした金』のために日々命をかけていると考えると、少しだけ彼に虚しさを与えた。
当然ながら通常ルートで売りさばけば高確率で足がつくシロモノであり、ヘタをすれば襲撃事件の下手人と露呈して報復部隊に追われかねない。彼の実力を以てすればいかに企業の精鋭たる保安部隊といえど、一〜二個分隊程度なら難なく返り討ちにできるのだが、二四時間眠れない日々を過ごすことになり復讐が潰えてしまうためおかしな真似はできないのだ。
「久しぶりにベイエンドの故買屋行くか……あそこの店主、本当に接客業やってんのかってくらい態度が酷いんだよなぁ。そのくせ手際とか
だからあまり気は進まないが、さっさと故買屋に持ち込んでまとまった額の小遣いにしてしまおう。犯行に用いたPTボートになるべくアシハラから離れるよう命じた自走コマンドと燃料枯渇時の自爆プロトコルを設定し、目立った証拠品を載せてヨットハーバーから放流した後は戦利品を車に積み替える。
「ほんと上手いこと生きてるよあのオッサン、ああいう類の人間はどこででもちゃっかり生活基盤を作れるんだろうな」
いつも絶妙な意地汚さを見せる店主の顔を思い出してげんなりしつつも、アクセルを軽く踏み込んで細い道路へと乗り出した。今は仇敵に血をもって過ちの代償を支払わせたことを喜ぼうと思い直し、東の水平線より顔を覗かせつつある太陽の光を少しだけ眩しく感じたためにサイバーアイの受光感度を僅かに落しながら。