真実の愛は国益と比較してどうか。
ざまぁする事は国益と比較してどうなのか。
考えれば考えるほど、国王は二人とも殺しちゃったほうがいいよね、と思ったのであった。


なろう、カクヨム等々マルチ

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国王陛下「王太子も公爵令嬢も男爵令嬢も処刑な」

 ◆

 

 ナーロウ王国王立学園の卒業パーティのさなかに()()は起きた。

 

 そう、例のやつである。

 

 本日の主役である王太子レオンが壇上で声を張り上げている。

 

「セリカ・ヨクアル公爵令嬢! 今日この場をもって、余と貴様の婚約を破棄する!」

 

 宣言は広間に響き渡り、シャンデリアのクリスタルをわずかに震わせた。

 

 セリカはワイングラスを傾けたまま、その言葉を聞いていた。彼女の瞳には怒りも悲しみも浮かんでいない。

 

 この茶番に心底うんざりしています、とでもいう様な疲れだけが滲んでいた。

 

 ヨクアル公爵家は王国の穀倉地帯を押さえ、港湾利権の三割を握り、中央銀行への融資残高は王室債務の四倍に達する。

 

 婚約破棄なぞしてどうなるのか。

 

 首が締まるのは王家ではないか。

 

 セリカの脳内では既に逆撃の段取りが組み上がっていた。まず穀物の出荷を三割絞る。次に港湾労働者への賃上げを発表して物流コストを跳ね上げる。王室への融資は当然ながら即時回収を要求する。半年もすればレオンは泣きながら復縁を懇願してくるだろう。そのときは慈悲深く許してやってもいいし、許さなくてもいい。

 

 どちらにせよ負けはない。

 

 その辺の計算を一秒と経たずにやってのけたセリカは、レオンに冷たい視線を送り続けた。これは屠殺前の豚畜生に養豚農家が向ける目に似ている。

 

「余はこの者、モモ・ベルリッツ男爵令嬢を新たな婚約者とする!」

 

 レオンの隣で男爵令嬢がはにかんでいた。

 

 桃色の髪に桃色のドレス、桃色のリボン──如何にも頭と股が緩そうな女であった。

 

 セリカはグラスのワインを一口飲んだ。

 

 モモ・ベルリッツ。特筆すべき才能も財力も政治力もない辺境男爵家の令嬢である。ただ容姿だけは愛らしく、そしてその愛らしさでもって王太子を誘惑することに成功した。

 

 セリカはモモがレオンに粉をかけていることを一年前から把握していた。把握していながら何も手を打たなかった。打つ気がなかったのである。

 

 なぜか──面倒くさかったからだ。

 

 王太子妃としての教育は十二分に受けた。外交儀礼、財政管理、軍事知識、社交術。すべてにおいて及第点以上の成績を修めた。しかしセリカにはどうしても理解できないことがあった。なぜ自分が、あの愚かな王太子の心を繋ぎ止めるために努力せねばならないのか。自分の頭脳は国家繁栄のために使われるものであって、頭が悪い男の為に頭の悪い女と張り合う為のものではない──そんな想いがある。

 

 セリカの見立てでは、レオンは馬鹿である。

 

 これは悪口ではなく客観的事実である。机上の勉強ができる出来ないの話ではない、もっと根本的な部分で愚かなのだ。そんな男のために心を砕く気にはなれなかった。冤罪を押し付けられても反論する気力が湧かなかった。

 

 どうせ言葉は届かない。

 

 馬の耳に念仏、豚に真珠、レオンに論理といった所か。

 

「セリカ・ヨクアル! 貴様は学園において数々の悪事を働いた!」

 

 レオンが指を突きつけてきた。

 

「モモをいじめ、孤立させ、毒を盛ろうとした! その罪は万死に値する!」

 

 セリカは瞬きをした。毒など盛った覚えはない。いじめた覚えもない。そもそもモモという人間に興味がなかったので、孤立させる動機すら存在しなかった。

 

 しかし反論はしない。

 

 反論したところでレオンには届かない。レオンの中では既に「セリカは悪女、モモは被害者」という物語が完成している。その物語を覆すには証拠と論理が必要だが、証拠と論理はレオンの辞書に載っていない単語である。

 

「何か言うことはないのか!」

 

 レオンが怒鳴った。

 

 セリカはワインを飲み干し、グラスを給仕に渡した。

 

「特にございません」

 

 その一言だけを返した。

 

 会場がざわめいた。まあこういう場では一般的には泣き叫んで許しを乞うか、逆上して暴れるか、あるいは高笑いで呪詛を吐くものである。そのいずれでもない反応に、観客たちは戸惑いを隠せなかった。

 

 モモが勝ち誇った笑みを浮かべた。

 

「セリカ様、認めるのですね? ご自分の罪を」

 

「認めも否定もいたしません。殿下がそうお決めになったのなら、それがこの場の真実でしょう」

 

 セリカの声は平坦だった。

 

 モモの笑みがわずかに引きつった。この反応は想定外だったのだろう。

 

 セリカはまるで、凪いだ湖面のように静かだった。

 

「で、では」

 

 モモが言葉を探した。

 

「これで、レオン様とわたくしの婚約は……」

 

『認められぬ』

 

 その声は壇上からでも会場からでもなく、大広間の入口から響いた。

 

 全員が振り返った。

 

 そこには王が立っていた。

 

 ナーロウ国王アパルトヘイト三世。齢六十を超えてなお背筋は伸び、眼光は鋭く、その存在感だけで広間の空気が凍りついた。背後には近衛騎士隊が整列している。

 

「父上」

 

 レオンが狼狽えた。

 

「なぜこちらに」

 

「愚か者」

 

 アパルトヘイト三世は息子を一瞥しただけで切り捨てた。

 

「この茶番劇を放置できるほど余は老いてはおらぬ」

 

 王の手が上がった。

 

「捕らえよ」

 

 近衛騎士たちが動いた。

 

 レオンが、モモが、そしてセリカが、瞬く間に拘束された。

 

「父上! これは一体」

 

「きゃっ! な、なんなのよう!」

 

「な、なぜわたくしまで──」

 

「黙れ」

 

 アパルトヘイト三世の声は三者三様の声を一言で切り捨てる。

 

「お前たちには後で話す。まずはこの場を収めねばならぬ」

 

 王は観客たちを見渡した。

 

「本日の宴は終了である。諸君らは速やかに帰宅せよ。ここで見聞きしたことは一切口外してはならぬ。口外した者は国家反逆罪で処断する」

 

 貴族たちは蜘蛛の子を散らすように逃げ出した。

 

 

 ◆

 

 

「余はうぬらを二人とも処断してしまおうかどうか悩んでいる」

 

 ナーロウ国王、アパルトヘイト三世は眼前に額づく二人──王太子レオンと、その婚約者であるヨクアル公爵家の長女セリカにそう告げた。

 

「処断、とは──」

 

 レオンの言に、アパルトヘイト三世は事も無げに「処刑じゃよ、ほら、この様に」と手振りで合図を送る。

 

 すると騎士が銀盆を運んでくるではないか。料理の皿だとかを乗せるアレである。ご丁寧に丸い蓋までついていた。

 

「見せてやれ」

 

 アパルトヘイト三世の言葉と同時に、蓋が開かれるとそこには──。

 

「ひっ……!?」

 

 冷静沈着が常のセリカが悲鳴をあげた。無理もない、銀盆にはレオンに粉をかけた男爵令嬢モモの生首が乗せてあったからだ。

 

「お主らを処断する理由はそこの首のそれと同じじゃな。この国にとって有害だからじゃ。が、そこの首は元凶という事もあって即日処刑した。そもそもあの首の女がいなければ、王太子とその婚約者がかくもごとき愚行を為す事はなかったのじゃから。で、お主らの話じゃが、何がどう有害なのか分かるか?」

 

 レオンは蒼白になったまま言葉を発することができなかった。セリカもまた、あれほど精緻に回転していた頭脳が完全に凍りついていた。

 

 銀盆の上のモモは、死してなお桃色の髪を血に濡らしながら、かつての愛らしい笑顔の痕跡を残していた。しかしその笑顔は、今や永遠に動くことのない蝋人形のそれであった。

 

「答えられぬか」

 

 アパルトヘイト三世は溜息をついた。

 

「ならば余が教えてやろう」

 

 王は立ち上がり、二人の前を歩き始めた。

 

「レオン。お前は王太子として十分な教育を受けた。財政、外交、軍事、法律。すべてを学んだはずじゃ。にもかかわらず、お前は何をした? 辺境男爵家の小娘の色香に迷い、国策として定められた婚姻を公衆の面前で破棄しようとした」

 

 レオンが震えた。

 

「あ、あれは……モモが……」

 

「黙れ」

 

 王の声が鞭のように飛んだ。

 

「モモがどうした? 誘惑されたと言いたいのか? 誘惑されて転ぶ程度の意志しか持たぬ者が、この国を治められると思うか? 外交の場で敵国の美女が近づいてきたらどうする。商談で相手が賄賂を積んできたらどうする。お前は誘惑されるたびに国益を売り渡すのか? 儂はお前の存在を有害だと考える」

 

 レオンは答えられなかった。

 

 アパルトヘイト三世はセリカの前に立った。

 

「セリカ。お前もまた十分な教育を受けた。王太子妃としての責務を理解しているはずじゃ。にもかかわらず、お前は何をした? 婚約者が他の女に誘惑されているのを知りながら、何の手も打たなかった」

 

 セリカは顔を上げた。

 

「陛下、わたくしは……」

 

「面倒くさかったのじゃろう」

 

 王の言葉にセリカは息を呑んだ。

 

「お前の考えは読める。レオンは馬鹿だから何を言っても無駄。だから放置した。冤罪を押し付けられても反論する気力がなかった。そして婚約が破棄されれば、ヨクアル公爵家の経済力で逆撃できると計算しておった」

 

 セリカの計算は完全に見透かされていた。

 

「その計算は一部正しい」

 

 アパルトヘイト三世は認めた。

 

「ヨクアル公爵家が本気で動き、他の要素がお前にとって都合よく動けば、王室財政は半年で破綻する。お前の逆撃は確実に成功しただろう。しかしセリカよ、お前はそこで何を得る?」

 

 セリカは答えられなかった。

 

「お前が得るのは復讐の快楽だけじゃ。そしてお前が王室財政を破綻させた結果、何が起こる? 民は飢え、国は乱れ、周辺国が侵略してくる。お前の復讐のために、何万という民が死ぬのじゃ。儂はお主もまた有害だと考える」

 

 セリカの顔から血の気が引いた。

 

「お前たち三人に共通する欠陥がある」

 

 アパルトヘイト三世は銀盆を指差した。

 

「そこの首も同じ欠陥を持っておった。自分の欲望のために、国全体を巻き込むことを厭わぬ。レオンは色欲、モモは権力欲、セリカは怠惰と復讐心。いずれも私的な感情じゃ。そしてその私的な感情を、国政という公的な場に持ち込んだ」

 

 王は玉座に戻った。

 

「尊き者には大いなる権利がある。平民たちより豪奢な生活といえば分かりやすかろうな。お主らが纏うその服の一片ですら、平民たちが何年も働かねばまかなう事は出来ぬじゃろう。しかし、尊き者には義務もある。私情を殺す義務がある。国のために己を律する義務がある。お前たちはその義務を果たせなかった。果たす気すらなかった。ゆえに──」

 

 アパルトヘイト三世は判決を下した。

 

「王太子レオン、およびヨクアル公爵令嬢セリカ。両名を国家反逆罪により処断する。刑は斬首。執行は三日後の正午」

 

「お待ちください!」

 

 レオンが叫んだ。

 

「父上、わたくしは確かに愚かでした! しかし死刑とは」

 

 アパルトヘイト三世はまるで虫けらを見る様な目でレオンを見て言った。

 

「余が処断を決めたのは、お前が愚かだからではない。先ほども言ったが、有害だからじゃ。愚かなだけならば処断などするものか。お前は決して信じぬであろうが、儂はお前の事を親として愛しておるからな。が、儂は王。王にとって国とは何か──お主も教育を通じて学んだじゃろう?」

 

 レオンは崩れ落ちた。

 

 セリカは静かに頭を垂れ、思う。

 

 自分は確かに有能だった。

 

 しかしその有能さを国のためではなく自分のために使おうとした。レオンを見捨て、復讐の機会を窺い、民のことなど一度も考えなかった。

 

 それは確かに王太子妃として致命的な欠陥だった。

 

「陛下」

 

 セリカは顔を上げた。

 

「一つだけ、お聞かせください」

 

「申してみよ」

 

「わたくしたちが処断された後、この国はどうなるのでしょうか」

 

 アパルトヘイト三世は薄く笑った。

 

「余の弟の息子にゴウカクという若者がおる。あの者は愚かではない。そしてこの一件を教訓として学ぶじゃろう。国はそれなりに続いていく。ああ、そうじゃ。ヨクアル公爵家が離反したところでどうとでもなる、とも付け加えておこう。セリカよ。お主の計算はあくまでヨクアル公爵家に理があった場合じゃ。その場合、他家もまた公爵家に協力をするじゃろうな。そうなれば王家もたまったものではない──王家は力があるとはいえ、所詮一貴族家に過ぎぬのだから。しかし今回の場合は違う。非はお主にある。それでは他家は動かぬよ」

 

 それに、とアパルトヘイト三世は続ける。

 

「お主らの命を以て、他の貴族らへの見せしめとする事は十分に国益に適うと言える。昨今は下らぬ婚約破棄が流行っておるからな。やれ真実の愛だの、前世からの運命だの、挙句の果てには『ざまぁ』だとかいう低俗な文化も余には有害に思えて仕方がない。恋も愛も復讐も、なんでもよいがそういったものは全て国益に適うかどうかという観点で考え、そして実行できねば貴族とは言えぬ」

 

 セリカは目を閉じた。

 

 もはやこれまで、という観念の瞑目である。

 

「連れていけ」

 

 アパルトヘイト三世が手を振ると、近衛騎士たちがレオンとセリカを引き立てていった。

 

 二人を見送るアパルトヘイト三世は、銀盆の上のモモの首に目をやり──

 

「馬鹿め」

 

 と呟き、大きくため息をついた。

 

 ◆

 

 三日後の正午。

 

 王都中央広場には処刑台が設けられていた。

 

 レオンは最後まで泣き叫んでいた。命乞いをし、父を呪い、モモを恨み、セリカを罵った。その姿は、かつて学園で「完璧な王太子」と讃えられた青年の面影を微塵も残していなかった。

 

 セリカは静かだった。

 

 処刑台に上がる直前、彼女は空を見上げた。晴れ渡った青空に、白い雲がゆっくりと流れていた。

 

「美しい空ですね」

 

 誰に言うでもなく呟き──。

 

 次の瞬間、刃が落ちた。

 

 こうして、ナーロウ王国史上最も愚かな王太子と、最も有能で最も怠惰な婚約者は、歴史の闇に消えた。

 

 後世の歴史書には、こう記されている。

 

 ──アパルトヘイト三世の英断により国難は未然に防がれ、後継者となったゴウカク王は「名君」として語り継がれることとなった。なお、処刑された王太子と公爵令嬢の名は、意図的に削除されており、現在では知る者もいない。

 

 銀盆に載せられた愛の顛末は、かくのごとく幕を閉じた。

 

 ・

 ・

 ・

 

 と、いう夢をみたのだ。

 

 レオンも、セリカも。

 

 ◇

 

 

 レオンは跳ね起きた。

 

 寝台の上で荒い息を吐きながら、己の首筋に手を当てる。繋がっている。頭と胴体が繋がっている。当たり前のことを確認するのにこれほど安堵したことはない。

 

 窓の外では小鳥が鳴いていた。朝日が差し込み、豪奢な王子の私室を照らしている。処刑台も、銀盆も、父の冷たい眼差しも、どこにもない。

 

 夢だ。

 

 夢だったのだ。

 

 しかし──あまりにも生々しい夢であった。

 

 父の声が耳の奥に残っている。「誘惑されて転ぶ程度の意志しか持たぬ者が、この国を治められると思うか?」

 

 レオンは両手で顔を覆った。

 

 モモ・ベルリッツ男爵令嬢。桃色の髪の愛らしい少女。彼女に心を奪われていたのは事実である。セリカとの婚約を破棄して、モモを妃にしたいと考えていたのも事実である。

 

 しかしあの夢を見てしまった今、その考えは頭蓋骨の隅に追いやられていた。

 

 もしあれが現実になったら。

 

 レオンは震えた。

 

 

 ◇

 

 

 同じ朝、ヨクアル公爵邸でもセリカは目を覚ましていた。

 

 彼女は悲鳴をあげなかった。跳ね起きもしなかった。ただ天蓋を見上げながら、静かに瞬きをしていた。

 

 夢の内容を反芻する。

 

 銀盆に載せられたモモの生首。王の冷徹な論理。そして最後に見た青空。

 

 セリカは自分の首に手を当てた。繋がっている。当然である。

 

 しかし、と彼女は考えた。

 

 あの夢は単なる悪夢だろうか。それとも何かの警告だろうか。

 

 王太子レオンに対する態度を思い返す。確かに彼は愚かだと見做していた。手を打つ気力が湧かなかったのも事実だ。そして婚約破棄後の逆撃計画を、既に頭の中で組み立て始めていたのも事実である。

 

 あの夢の中の王は、その計算を完璧に見透かしていた。

 

 セリカは唇を噛んだ。

 

 もし王が本当にそこまで見通しているとしたら──自分の怠惰は、既に把握されているのかもしれない。

 

 

 ◆

 

 

 それから数日後のことである。

 

 レオンは学園の廊下を歩きながら奇妙な違和感を覚えていた。

 

 視線。

 

 どこからか、常に視線を感じるのだ。

 

 最初は気のせいだと思った。しかし意識して観察してみると、確かにこちらを見ている者がいる。教室の隅で何気なく立っている生徒。廊下ですれ違う際にちらりと目を向ける教師。庭園の植え込みの影から覗く使用人。

 

 いずれも一瞬で視線を外す。しかし確かに見ていた。

 

 レオンの背筋に冷たいものが走った。

 

 あれは──王家の影ではないか。

 

 父が各地に配置している密偵の存在は知っていた。しかしまさか自分が監視対象になっているとは思わなかった。

 

 いや、考えてみれば当然かもしれない。

 

 自分は愚かな行動を取ろうとしていた。国策としての婚姻を、辺境男爵家の令嬢のために破棄しようとしていたのだ。父がそれを把握していないはずがない。

 

 あの夢は──警告だったのかもしれない。

 

 このまま愚行を続ければ、本当に首を刎ねられる。

 

 レオンは決意した。態度を改めねばならない。

 

 

 ◇

 

 

 同じ頃、セリカもまた学園内で異変に気づいていた。

 

 彼女の場合、観察眼はレオンより遥かに鋭かった。

 

 庭園で読書をしていたとき、三つ離れたベンチに座っていた下級生が不自然な頻度でこちらを見ていた。図書室で調べ物をしていたとき、書架の向こうで司書が長時間こちらを窺っていた。食堂で昼食を取っていたとき、給仕の動きがやけにこちらの席に集中していた。

 

 王家の影。

 

 間違いない。

 

 セリカは冷静に状況を分析した。自分は監視されている。おそらく王の命令で。そして監視されているということは、自分の怠惰な態度が既に報告されているということだ。

 

 あの夢が脳裏に蘇る。

 

「面倒くさかったのじゃろう」

 

 王の声が耳の奥で響いた。

 

 セリカは本を閉じた。

 

 態度を改めねばならない。王太子妃としての責務を果たさねばならない。さもなければ──銀盆の上に載るのは、次は自分かもしれない。

 

 

 ◆

 

 

 その日の放課後、レオンはセリカの元を訪れた。

 

 セリカは少し驚いた様子を見せたが、すぐに表情を整えた。

 

「殿下。何かご用でしょうか」

 

「セリカ」

 

 レオンは居住まいを正した。

 

「余は、これまでの態度を改めたいと思う」

 

 セリカは瞬きをした。

 

「……改める、とは」

 

「その……余は、婚約者としての務めを疎かにしていた。モモ・ベルリッツ男爵令嬢に気を取られて、貴女との関係を蔑ろにしていた。それを謝罪したい」

 

 セリカの頭脳が高速で回転した。

 

 なぜ急に態度を改めたのかは知らないし興味もない。重要なのはこれが好都合だということだ。

 

 セリカは深々と頭を下げた。

 

「殿下、わたくしこそ謝罪せねばなりません。婚約者として、殿下を支えるべき立場にありながら、その努力を怠っておりました。これからは心を入れ替えて、殿下のお役に立ちたいと存じます」

 

 レオンは目を丸くした。

 

 セリカが謝罪している。あの冷淡なセリカが。

 

 何があったのかは知らないが、向こうから歩み寄ってくれるなら話が早い。理由を詮索する必要はないだろう。

 

「では」

 

 レオンが切り出した。

 

「これから、改めて関係を築いていこう」

 

「はい、殿下」

 

 セリカが微笑んだ。

 

 その微笑みは、以前の凍りついた表情とは明らかに異なっていた。もちろん愛情から生まれた笑顔ではない。生存本能から生まれた笑顔である。しかし見た目には区別がつかない。

 

 レオンも笑顔を返した。

 

 その笑顔もまた、愛情ではなく恐怖から生まれたものであった。しかし見た目には区別がつかない。

 

 

 ◇

 

 

 それからの二人の変化は劇的であった。

 

 レオンはモモ・ベルリッツ男爵令嬢への接触を完全に絶った。廊下ですれ違っても視線すら向けない。話しかけられても素っ気なく受け流す。モモは戸惑い、泣き、最終的には諦めた。

 

 セリカは王太子妃としての務めを完璧にこなし始めた。社交の場ではレオンの隣に立ち、笑顔で貴族たちに挨拶する。レオンの発言に問題があれば、さりげなくフォローを入れる。財政報告書の要点を分かりやすくまとめてレオンに渡す。

 

 学園中が驚いた。

 

 明らかに冷え切っていた二人が、急に仲睦まじく振る舞い始めたのだ。

 

 噂が飛び交った。

 

「何かあったのでは」

 

「急に愛が芽生えたのか」

 

「いや、政略的な理由があるに違いない」

 

 誰も正解にはたどり着かなかった。

 

 正解は「二人とも処刑される夢を見て、生存本能から態度を改めた」である。しかしそんな馬鹿げた理由を推測できる者はいなかった。

 

 

 ◆

 

 

 ある日の放課後、レオンとセリカは学園の庭園を並んで歩いていた。

 

 傍から見れば仲の良い婚約者同士の散歩である。しかし二人の内心は全く異なっていた。

 

 レオンは考えていた。王家の影はまだ見張っているだろうか。この態度改善は父に報告されただろうか。もう少し続ければ安全だろうか。

 

 セリカは考えていた。あの夢は何だったのだろう。予知夢か、それとも単なる悪夢か。いずれにせよ、この態度を維持すれば安全だろう。レオンが愚かでも、支えればいいだけの話だ。

 

「セリカ」

 

 レオンが声をかけた。

 

「なんでしょう、殿下」

 

「その……最近、変わったな。貴女も、余も」

 

 セリカは微笑んだ。

 

「ええ。お互いに、大人になったのかもしれませんね」

 

 大人になった、というのは婉曲表現である。正確には「死にたくなくなった」である。

 

「そうだな」

 

 レオンも頷いた。

 

 二人は黙って歩き続けた。

 

 夕日が庭園を橙色に染めていた。美しい光景であった。あの夢の中でセリカが最後に見た青空ほどではないが、それでも美しかった。

 

「殿下」

 

 セリカが口を開いた。

 

「なんだ」

 

「わたくしたちは、きっとうまくやっていけると思います」

 

 レオンは少し驚いた顔をした。

 

「……そう思うか」

 

「はい。殿下がその気になってくださったのですから」

 

 セリカは微笑んだ。内心では「向こうから折れてくれて助かった」と思っていた。

 

 レオンも頷いた。内心では「向こうが協力的になってくれて助かった」と思っていた。

 

 二人は顔を見合わせ、そして笑った。

 

 愛のない笑顔。打算だけで成り立つ関係。しかし互いの打算が偶然にも噛み合ったため、二人の関係はこれまでより遥かに良好であった。

 

 

 ◇

 

 

 王城の一室で、アパルトヘイト三世は報告書に目を通していた。

 

 王家の影からの報告である。王太子レオンと婚約者セリカの動向が克明に記されていた。

 

「ほう」

 

 王は口元を緩めた。

 

「態度を改めおったか」

 

 レオンがモモ・ベルリッツ男爵令嬢との接触を絶ったこと。セリカが王太子妃としての務めを果たし始めたこと。二人の関係が急速に改善していること。すべてが報告されていた。モモ・ベルリッツ男爵令嬢に関しては、王太子直々に苦情が入って現在は蟄居中とのこと。

 

 アパルトヘイト三世は報告書を閉じた。

 

「まあ、良かろう」

 

 王は窓の外を見た。夕暮れの王都が見える。

 

「儂の息子は愚かじゃが、救いようがないほどではなかったようじゃな。ヨクアルの娘も、怠惰ではあるが有能ではある。二人が手を組めばそれなりに国は回るじゃろう」

 

 王は立ち上がり、窓辺に歩み寄った。

 

「しかし、何がきっかけで態度を改めたのやら」

 

 報告書にはその理由までは書かれていなかった。王家の影は行動を監視することはできても、心の中までは覗けない。

 

 アパルトヘイト三世は肩をすくめた。

 

「まあよい。結果が全てじゃ」

 

 理由など知らなくても、国が安定すればそれでいい。

 

 それが王という生き物の考え方であった。

 

 

 ◆

 

 

 ナーロウ王国は平和であった。

 

 王太子レオンは愚かなりに努力し、セリカの補佐を受けながら王太子としての務めを果たした。セリカは有能なりに怠惰を抑え込み、王太子妃として国政に貢献した。

 

 二人の間に愛が芽生えることは終ぞなかったが、それでも良好なパートナーシップは維持された。

 

 そう、お互いが上手くやって行こうと考え、それを実行に移したならば、相性自体がさほど良いものでなくともやってやれないことはないのだ。愛がない? ならば育てれば良い。どうしても育てられないなら、愛に似たものを愛の代わりにすればよい──そういう理屈である。

 

 そんなわけで、なんだかんだとあったが二人は案外幸せに後世を過ごした。

 

 後世の歴史書にはこう記されている。

 

 ──レオン王とセリカ王妃は、ナーロウ王国史上最も仲睦まじい王と王妃として知られた。二人の間には五人の子が生まれ、王国は繁栄した。

 

 と。

 

(完)


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