「15分の怪物」   作:熊々

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前話、覇黒は覚醒なしで一次選考を突破しました。
そして試合後、絵心からの異例の指名放送——
「チームZ、覇黒千歳。第二次選考、選手集合前に、俺の部屋に来い」

昨日の「本物」評価とは、声の温度が違う。
ラスボスの居城へ、覇黒は半目のまま、向かいます


ラスボスの部屋

# 第9話 ラスボスの部屋

 

廊下は、長かった。

 

施設の上階、絵心の部屋までの距離は、たぶん、五十メートルもない。

五十メートルもないのに、長く感じるのは、体の中の借金が、まだ、利息ぶん残っていたからだった。

 

(——ラスボス前のイベントシーン、移動マラソン仕様かよ)

 

俺は、胸の奥でだけ、短く呟いた。

 

(——ラスボスは、エレベーターの最上階で待ってるもんだろ、普通)

 

普通、なんてものは、ラスボスにはなかった。

今日のラスボスは、一階分、歩かせる仕様だった。

 

足は、動く。

動くが、軽くない。

昨日の試合終了から、半日と少ししか経っていない体は、二割の借金に、利息を一回加算した状態だ。

 

◇ ◇ ◇

 

廊下のガラス越しに、誰かが、立っていた。

 

頭の上のほうから、見覚えのある巻き毛が、はみ出ていた。

 

(——蜂楽?)

 

俺は、半目のまま、近づいた。

 

蜂楽は、廊下の端で、スケッチブックを抱えたまま、ガラスの外を見ていた。

ガラスの外は、雨上がりの中庭で、芝が、ほんの少しだけ、光っていた。

 

俺の足音で、蜂楽が、振り返った。

 

「おっ、千歳」

 

蜂楽は、にこにこしていた。

 

「一緒に呼ばれた」

「マジか」

「マジ」

 

短かった。

蜂楽の「マジ」は、いつも短かった。

短いくせに、なんとなく、ちゃんと意味が通る。

 

「蜂楽、お前、何で呼ばれたんだ」

「分かんない」

「分からんのかよ」

「絵心、何にも言わなかった」

 

蜂楽は、スケッチブックを、軽く抱え直した。

抱え直したスケッチブックの厚みが、昨日より、ほんの少しだけ、増えている気がした。

(——お前、昨日のうちに、また何枚か、描いたな)

 

俺は、半目のまま、蜂楽を見た。

蜂楽も、にこにこしたまま、俺を見た。

それから、ふと、視線を、俺の顔の、ほんの少し奥に、ずらした。

 

「今日の千歳は、一人だね」

 

蜂楽は、そう、言った。

 

俺の足は、止まった。

 

止まったというより、止まらされた。

蜂楽の声は、声量はいつもどおり、抑揚もいつもどおり、内容だけが、いつもどおりじゃなかった。

 

(——こいつ)

(——昨日、ピッチで「奥の方は別の人が描いてた」って、言ってたな)

(——今日のは、その続きか)

(——今日は、奥の人が、いない、って、ことか)

 

俺は、半目のまま、蜂楽を、見た。

蜂楽は、にこにこしたまま、俺を、見た。

俺は、それ以上、何も、聞かなかった。

聞かないのが、たぶん、一番、安全だった。

 

「……行くか」

「うん」

 

俺と蜂楽は、廊下の奥へ、また歩き始めた。

 

◇ ◇ ◇

 

絵心の部屋は、扉が、重そうだった。

 

実際に重かったのか、見た目だけ重そうだったのかは、分からなかった。

俺が触る前に、扉は、内側から、勝手に、開いた。

 

「来たか。座れ」

 

絵心の声は、扉の奥から、低く、短く、降ってきた。

 

部屋の中は、書斎っぽかった。

本棚と、机と、革張りのソファ。

机の上には、書類とノートパソコンが、雑に積まれていた。

 

絵心は、自分の椅子に、座っていた。

ジャージ姿のまま、両足を組んでいた。

組まれた指が、机の縁を、一定のリズムで、叩いていた。

(——ラスボス、貧乏ゆすりするタイプだったか)

 

俺と蜂楽は、ソファに、並んで腰を下ろした。

ソファは、思ったより、深く沈んだ。

(——うわ、これ、立ち上がるとき、不利だ)

 

絵心は、前置きを、入れなかった。

 

「第二次選考、来週から」

 

低い声が、机の向こうから、降ってきた。

 

「これまでとは別物だ」

 

俺は、半目のまま、絵心を見た。

 

「二次選考は——既存のチーム枠に、他チームの"挑戦者"が殴り込んでくる」

 

絵心は、机の指を、止めずに、続けた。

 

「殴り込みは、一対一とは限らない。複数の挑戦者が連合で来ることもある」

「迎え撃つ既存チーム側は、その日のうちに、自分たちの陣形で受ける」

「勝てば、挑戦者側が加入。敗者側は脱落orワイルドカード行きだ」

 

(——なるほど)

俺は、胸の奥でだけ、短く呟いた。

(——第二ステージ、攻めじゃなく、籠城戦か)

(——ボスラッシュじゃねぇか、これ)

 

絵心は、机の指を、止めた。

 

「お前ら二人——」

 

絵心は、俺と蜂楽を、順に見た。

 

「——ある既存チームに、振り分ける。詳細は明日、放送で出す」

 

蜂楽が、にこにこしたまま、口を、開いた。

 

「絵心、おいらと千歳、同じチーム?」

「……察しが、いいな」

 

絵心の口の端が、少しだけ、動いた。

 

「同じチームだ。もう一人、潔も入る」

 

(——潔も、か)

 

俺は、半目のまま、短く息を吐いた。

(——ラスボスの差配、エグいな)

(——昨日まで一緒に走ったやつを、また一緒に置いてくる)

 

◇ ◇ ◇

 

絵心は、立ち上がって、ソファの俺たちを、上から、見下ろした。

俺の視線は、絵心を、下から見上げる角度になった。

(——ラスボス、視線の高低差、計算してんな)

 

絵心は、机に、軽く、寄りかかった。

 

「覇黒」

「ん」

「お前——」

 

絵心は、そこで、一拍、置いた。

 

「——覚醒中の自分を、嫌っているな」

 

部屋の空気が、止まった。

 

正確には、止まったように、感じた。

本当に止まっていたのは、たぶん、俺の呼吸のほうだった。

 

俺は、半目のまま、絵心を、見た。

見たまま、何も、言わなかった。

言わなかったというより、言葉が、出なかった。

 

蜂楽が、横で、小さく、呟いた。

 

「やっぱり」

 

蜂楽の「やっぱり」は、相槌じゃなかった。

答え合わせをした人の、「やっぱり」だった。

スケッチブックに描かれた絵を、答えと突き合わせて、合っていたときの「やっぱり」。

 

(——お前ら、二人がかりかよ)

 

俺は、胸の奥でだけ、短く呟いた。

 

(——ラスボスと、絵描き)

(——タッグマッチ、想定してなかった)

 

◇ ◇ ◇

 

絵心は、俺の沈黙を、待たなかった。

 

「言葉が出ないなら、聞け」

 

絵心は、続けた。

 

「覚醒——お前のあの、十五分限定の出力モード」

「お前のあれは、才能じゃない」

 

絵心の声は、低かった。

低かったが、迷いがなかった。

 

「お前自身が、無意識に、張った"安全装置"だ」

 

(——安全装置)

 

俺は、半目のまま、絵心の言葉を、胸の奥で、繰り返した。

 

(——安全装置)

(——なんだ、それ)

 

絵心は、俺が反論しないのを見て、もう一段、踏み込んだ。

 

「本気を出すことを、お前は、本能で、恐れている」

 

(——)

 

俺の半目が、ほんの少しだけ、開いた。

開いたのを、絵心は、見逃さなかった。

 

「お前は、自分の体の出力上限を、自分でも、まだ、見ていない」

「見ないために、"覚醒"という形に、自分の本気を、閉じ込めた」

 

絵心は、机から、ほんの少しだけ、体重を浮かせた。

 

「条件が揃わないと、出ない。十五分しか、続かない。終わったら、何もできない」

「全部、お前が、お前自身に、課したリミッターだ」

 

(——リミッター)

 

俺は、胸の奥でだけ、絵心の言葉を、もう一度、繰り返した。

 

(——リミッター)

(——絵心、お前、それ、どこから——)

 

俺の内心の問いを、絵心は、机の縁から、一拍だけ早く、拾った。

 

「昨日のお前を、見れば、分かる」

 

絵心は、そう、言った。

 

「昨日、お前は、覚醒、出てなかった」

「だが、走った」

「シュートを、決めた」

「覚醒なしで、三割の場所に、到達した」

 

絵心の指が、机の縁を、もう一度、軽く、叩いた。

 

「お前が、自分の手で、扉を、開けた」

「あれが——」

 

絵心は、そこで、一拍、置いた。

 

「——お前の、本物の入口だ」

 

◇ ◇ ◇

 

俺は、ソファの背もたれに、後頭部を、預けた。

 

預けたまま、天井を、見上げた。

絵心の部屋の天井は、白かった。

白い天井は、何も、答えを、書いてくれなかった。

 

(——図星か)

 

俺は、胸の奥でだけ、短く、呟いた。

 

呟いた呟きは、絵心には、聞こえなかった。

だが、たぶん、絵心は、聞こえなくても、分かっていた。

ラスボスは、そういう生き物だった。

 

(——昨日、走ったとき)

(——あれ、覚醒の入口じゃなかった)

(——もっと手前の、地味な扉だった)

(——その扉を、自分で、開けた感覚は、確かに、あった)

 

(——あの感覚を、絵心、お前は、見て、こう言ってんのか)

 

(——「本物の入口」、って)

 

胸の奥は、答えを、出さなかった。

出さなかったというより、出したい答えが、まだ、自分の中で、形になっていなかった。

 

ただ、絵心の言葉が、胸の奥に、ひとつ、置かれた感覚だけが、残った。

置かれた重さは、軽くも、重くもなかった。

ちょうど、二割の体に、ぎりぎり載せられる重さだった。

 

◇ ◇ ◇

 

蜂楽が、横で、にこにこしていた。

 

にこにこしながら、スケッチブックを、ぱらぱらと、めくった。

めくったページの中に、覇黒千歳の絵が、何枚かあった気がした。

俺は、見ようとしなかったから、確認はしなかった。

 

「絵心」

 

蜂楽が、口を、開いた。

 

「ん」

「おいら、ね」

「——」

「奥にいるもう一人の千歳とも、遊びたいけど」

「——」

「手前の千歳のほうが、好きだな」

 

蜂楽は、にこにこしたまま、そう言った。

 

部屋が、また、一秒、静かになった。

 

絵心は、何も言わなかった。

机の縁を叩く指を、止めて、蜂楽を、見ていた。

見ていた絵心の目の奥が、ほんの少しだけ、光った気がした。

(——ラスボス、こういう発言は、お気に召すらしいな)

 

俺は、ソファの背もたれに後頭部を預けたまま、半目で、蜂楽を、見ていた。

 

(——蜂楽)

(——お前、ピッチで言うのは、まだ分かる)

(——ラスボスの部屋でも、それ、言っちまうのか)

(——お前、空気、読まないのが、たぶん、お前の武器だな)

 

胸の奥は、ざわつかなかった。

ざわつかなかったのが、自分でも、ちょっと意外だった。

 

蜂楽の「手前の千歳」のほうを、好きだ、と言われて——

普段の俺なら、内心で、五個くらいツッコミを並べていたはずだった。

今日は、ツッコミが、出てこなかった。

出てこなかった代わりに、胸の奥が、ほんの少しだけ、温かかった。

 

(——あ)

(——これ、あれだな)

(——蜂楽の「友愛」、ってやつ、たぶん、こういうやつだ)

(——敵意で来られるより、めんどくさい)

 

俺は、半目のまま、目を、閉じた。

閉じたまま、胸の奥でだけ、短く、呟いた。

 

(——めんどくさいけど、悪く、ねぇ)

 

◇ ◇ ◇

 

絵心が、机から、体重を、外した。

 

外して、俺と蜂楽の前に、もう一歩、近づいた。

近づいて、俺たちを、上から、見下ろした。

 

「——覇黒」

 

絵心は、低い声で、俺の名前を、呼んだ。

 

俺は、半目を、開いた。

開いて、絵心を、見上げた。

 

「お前は——」

 

絵心は、そこで、一拍、置いた。

 

「——既存チームで、向こうから来る化け物を、凌げ」

 

部屋の空気が、また、一秒、止まった。

 

俺は、半目のまま、絵心を、見ていた。

 

(——は?)

 

俺の胸の奥は、短く、呟いた。

 

(——挑戦者じゃ、ねぇのか、俺)

(——ラスボスの部屋に呼ばれて、俺、攻撃側じゃなくて、防衛側か)

(——迎え撃つ側、だと?)

 

絵心は、俺の沈黙を、待たずに、続けた。

 

「お前の三割が、本物かどうか」

「覚醒なしで、来る奴ら全部、捌ききれるか」

「——見せてもらう」

 

絵心は、それだけ、言った。

 

俺は、半目のまま、ソファの背もたれに、もう一度、後頭部を、預けた。

預けた背もたれは、さっきより、ちょっとだけ、深く沈んだ気がした。

(——ラスボス、籠城戦、押し付けてきやがった)

(——ボス、向こうから、殴り込みに来るって、お前さっき、言ってたよな)

(——その全員、俺が、迎え撃つ)

(——三割で)

(——覚醒、なしで)

 

(——マジか)

 

胸の奥で、短く、呟いた。

 

(——マジだ、これ)

(——ラスボス、設計、エグいな、相変わらず)

 

◇ ◇ ◇

 

蜂楽が、ソファから、立ち上がった。

 

立ち上がるのが、ソファの深さに対して、軽すぎた。

(——その身体能力、ピッチでも、ちゃんと、出せ)

 

蜂楽は、スケッチブックを、抱え直して、俺の方を、見下ろした。

 

「千歳」

「ん」

「また、絵を描かせてね」

「……お前、許可、要らないだろ」

「うん、聞いたほうが、楽しいから」

 

蜂楽は、扉のほうに、半歩、歩いて、振り返った。

 

振り返った蜂楽の、にこにこの奥に、何か、別の色が、混じっていた。

楽しみ、というより、もうちょっと、本気の、楽しみ。

 

「次の千歳は、どっち側か——」

 

蜂楽は、そう、口を、開いた。

 

「——おいら、楽しみ」

 

蜂楽は、それだけ、言って、扉のほうに、歩き出した。

 

◇ ◇ ◇

 

蜂楽の背中が、扉の向こうに、消えた。

 

部屋には、俺と、絵心だけが、残った。

 

絵心は、机に戻って、書類を、もう一度、見始めた。

俺のことは、もう、見ていなかった。

(——ラスボス、用事終わったら、ドライだな)

 

俺は、ソファから、立ち上がった。

立ち上がるのに、蜂楽の三倍くらいの、時間がかかった。

(——ソファの罠、ちゃんと、踏んだ)

 

立ち上がった俺の背中に、絵心の声が、もう一度、降ってきた。

 

「覇黒」

「……ん」

「『どっち側』——」

 

絵心は、書類から、目を、上げなかった。

 

「——お前自身が、決めろ」

 

低い声だった。

 

俺は、半目のまま、振り返らなかった。

振り返らずに、扉のほうに、歩き出した。

 

歩きながら、胸の奥でだけ、短く、呟いた。

 

(——どっち側か)

(——蜂楽の、絵の話か)

(——絵心の、覚醒の話か)

(——両方、なんだろうな、たぶん)

 

俺は、扉に、手をかけた。

かけた手は、二割の体には、ちょっと重かった。

 

(——次の千歳は、どっち側か)

 

胸の奥で、もう一度、呟いた。

 

呟きは、答えを、持っていなかった。

答えは、たぶん、ピッチに出ないと、出ない。

ピッチに出るのは、来週だった。

来週、向こうから、殴り込みに、誰かが、来る。

 

(——殴り込み、誰だよ)

(——せめて、雑魚から、来てくれよ、頼むから)

 

俺は、扉を、押し開けた。

 

押し開けた廊下の先に、蜂楽の背中が、まだ、ぎりぎり、見えた。

見えた蜂楽の背中は、にこにこしているのが、後ろからでも、分かる背中だった。

 

俺は、半目のまま、その背中を、追った。

 

クソゲー、第二ステージ。

 

向こうから、殴り込みに、誰かが、来る。

 

俺の三割が、それを、捌けるか。

 

(——ラスボス、設計、本当に、エグいな)

 

胸の奥で、もう一度、短く、呟いた。

 

呟いて、廊下を、歩いた。

廊下は、来たときより、ちょっとだけ、短く、感じた。

 

たぶん、気のせいだった。

たぶん、そうじゃ、なかった。

 

どっちでも、よかった。

 




お読みいただきありがとうございました。

絵心の部屋には、覇黒だけでなく蜂楽も呼ばれていました。
第二次選考のルールが、二人の前で告げられます。
——既存チームに、他チームのエースが挑戦者として殴り込む。

そして、絵心の言葉が、覇黒の本心を撃ち抜きます。

絵心「お前、覚醒中の自分を、嫌っているな」
絵心「覚醒は才能ではない。お前自身が無意識に張った"安全装置"だ」
絵心「三割の扉こそが、お前の本物の入口だ」

覇黒「(——図星か)」

蜂楽「おいらは、奥にいるもう一人の千歳とも遊びたいけど、手前の千歳のほうが好きだな」

二人格を看破していた蜂楽の宣言は、敵意ではなく、友愛として返ってきました。

そして部屋を出る覇黒の背中に、絵心の最後の一言。

絵心「『どっち側』——お前自身が、決めろ」

覇黒「(——どっち側か)」
「(——両方、なんだろうな、たぶん)」

クソゲー、第二ステージ。
向こうから、殴り込みに、誰かが、来る。
覇黒の三割が、それを、捌けるか。

次話、チームZ解散セレモニーから、第二次選考の開門まで。
そして、覇黒の知らないところで——
ブルーロックの中に、もう一人、別格の気配が、立ち上がります。

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