そして試合後、絵心からの異例の指名放送——
「チームZ、覇黒千歳。第二次選考、選手集合前に、俺の部屋に来い」
昨日の「本物」評価とは、声の温度が違う。
ラスボスの居城へ、覇黒は半目のまま、向かいます
# 第9話 ラスボスの部屋
廊下は、長かった。
施設の上階、絵心の部屋までの距離は、たぶん、五十メートルもない。
五十メートルもないのに、長く感じるのは、体の中の借金が、まだ、利息ぶん残っていたからだった。
(——ラスボス前のイベントシーン、移動マラソン仕様かよ)
俺は、胸の奥でだけ、短く呟いた。
(——ラスボスは、エレベーターの最上階で待ってるもんだろ、普通)
普通、なんてものは、ラスボスにはなかった。
今日のラスボスは、一階分、歩かせる仕様だった。
足は、動く。
動くが、軽くない。
昨日の試合終了から、半日と少ししか経っていない体は、二割の借金に、利息を一回加算した状態だ。
◇ ◇ ◇
廊下のガラス越しに、誰かが、立っていた。
頭の上のほうから、見覚えのある巻き毛が、はみ出ていた。
(——蜂楽?)
俺は、半目のまま、近づいた。
蜂楽は、廊下の端で、スケッチブックを抱えたまま、ガラスの外を見ていた。
ガラスの外は、雨上がりの中庭で、芝が、ほんの少しだけ、光っていた。
俺の足音で、蜂楽が、振り返った。
「おっ、千歳」
蜂楽は、にこにこしていた。
「一緒に呼ばれた」
「マジか」
「マジ」
短かった。
蜂楽の「マジ」は、いつも短かった。
短いくせに、なんとなく、ちゃんと意味が通る。
「蜂楽、お前、何で呼ばれたんだ」
「分かんない」
「分からんのかよ」
「絵心、何にも言わなかった」
蜂楽は、スケッチブックを、軽く抱え直した。
抱え直したスケッチブックの厚みが、昨日より、ほんの少しだけ、増えている気がした。
(——お前、昨日のうちに、また何枚か、描いたな)
俺は、半目のまま、蜂楽を見た。
蜂楽も、にこにこしたまま、俺を見た。
それから、ふと、視線を、俺の顔の、ほんの少し奥に、ずらした。
「今日の千歳は、一人だね」
蜂楽は、そう、言った。
俺の足は、止まった。
止まったというより、止まらされた。
蜂楽の声は、声量はいつもどおり、抑揚もいつもどおり、内容だけが、いつもどおりじゃなかった。
(——こいつ)
(——昨日、ピッチで「奥の方は別の人が描いてた」って、言ってたな)
(——今日のは、その続きか)
(——今日は、奥の人が、いない、って、ことか)
俺は、半目のまま、蜂楽を、見た。
蜂楽は、にこにこしたまま、俺を、見た。
俺は、それ以上、何も、聞かなかった。
聞かないのが、たぶん、一番、安全だった。
「……行くか」
「うん」
俺と蜂楽は、廊下の奥へ、また歩き始めた。
◇ ◇ ◇
絵心の部屋は、扉が、重そうだった。
実際に重かったのか、見た目だけ重そうだったのかは、分からなかった。
俺が触る前に、扉は、内側から、勝手に、開いた。
「来たか。座れ」
絵心の声は、扉の奥から、低く、短く、降ってきた。
部屋の中は、書斎っぽかった。
本棚と、机と、革張りのソファ。
机の上には、書類とノートパソコンが、雑に積まれていた。
絵心は、自分の椅子に、座っていた。
ジャージ姿のまま、両足を組んでいた。
組まれた指が、机の縁を、一定のリズムで、叩いていた。
(——ラスボス、貧乏ゆすりするタイプだったか)
俺と蜂楽は、ソファに、並んで腰を下ろした。
ソファは、思ったより、深く沈んだ。
(——うわ、これ、立ち上がるとき、不利だ)
絵心は、前置きを、入れなかった。
「第二次選考、来週から」
低い声が、机の向こうから、降ってきた。
「これまでとは別物だ」
俺は、半目のまま、絵心を見た。
「二次選考は——既存のチーム枠に、他チームの"挑戦者"が殴り込んでくる」
絵心は、机の指を、止めずに、続けた。
「殴り込みは、一対一とは限らない。複数の挑戦者が連合で来ることもある」
「迎え撃つ既存チーム側は、その日のうちに、自分たちの陣形で受ける」
「勝てば、挑戦者側が加入。敗者側は脱落orワイルドカード行きだ」
(——なるほど)
俺は、胸の奥でだけ、短く呟いた。
(——第二ステージ、攻めじゃなく、籠城戦か)
(——ボスラッシュじゃねぇか、これ)
絵心は、机の指を、止めた。
「お前ら二人——」
絵心は、俺と蜂楽を、順に見た。
「——ある既存チームに、振り分ける。詳細は明日、放送で出す」
蜂楽が、にこにこしたまま、口を、開いた。
「絵心、おいらと千歳、同じチーム?」
「……察しが、いいな」
絵心の口の端が、少しだけ、動いた。
「同じチームだ。もう一人、潔も入る」
(——潔も、か)
俺は、半目のまま、短く息を吐いた。
(——ラスボスの差配、エグいな)
(——昨日まで一緒に走ったやつを、また一緒に置いてくる)
◇ ◇ ◇
絵心は、立ち上がって、ソファの俺たちを、上から、見下ろした。
俺の視線は、絵心を、下から見上げる角度になった。
(——ラスボス、視線の高低差、計算してんな)
絵心は、机に、軽く、寄りかかった。
「覇黒」
「ん」
「お前——」
絵心は、そこで、一拍、置いた。
「——覚醒中の自分を、嫌っているな」
部屋の空気が、止まった。
正確には、止まったように、感じた。
本当に止まっていたのは、たぶん、俺の呼吸のほうだった。
俺は、半目のまま、絵心を、見た。
見たまま、何も、言わなかった。
言わなかったというより、言葉が、出なかった。
蜂楽が、横で、小さく、呟いた。
「やっぱり」
蜂楽の「やっぱり」は、相槌じゃなかった。
答え合わせをした人の、「やっぱり」だった。
スケッチブックに描かれた絵を、答えと突き合わせて、合っていたときの「やっぱり」。
(——お前ら、二人がかりかよ)
俺は、胸の奥でだけ、短く呟いた。
(——ラスボスと、絵描き)
(——タッグマッチ、想定してなかった)
◇ ◇ ◇
絵心は、俺の沈黙を、待たなかった。
「言葉が出ないなら、聞け」
絵心は、続けた。
「覚醒——お前のあの、十五分限定の出力モード」
「お前のあれは、才能じゃない」
絵心の声は、低かった。
低かったが、迷いがなかった。
「お前自身が、無意識に、張った"安全装置"だ」
(——安全装置)
俺は、半目のまま、絵心の言葉を、胸の奥で、繰り返した。
(——安全装置)
(——なんだ、それ)
絵心は、俺が反論しないのを見て、もう一段、踏み込んだ。
「本気を出すことを、お前は、本能で、恐れている」
(——)
俺の半目が、ほんの少しだけ、開いた。
開いたのを、絵心は、見逃さなかった。
「お前は、自分の体の出力上限を、自分でも、まだ、見ていない」
「見ないために、"覚醒"という形に、自分の本気を、閉じ込めた」
絵心は、机から、ほんの少しだけ、体重を浮かせた。
「条件が揃わないと、出ない。十五分しか、続かない。終わったら、何もできない」
「全部、お前が、お前自身に、課したリミッターだ」
(——リミッター)
俺は、胸の奥でだけ、絵心の言葉を、もう一度、繰り返した。
(——リミッター)
(——絵心、お前、それ、どこから——)
俺の内心の問いを、絵心は、机の縁から、一拍だけ早く、拾った。
「昨日のお前を、見れば、分かる」
絵心は、そう、言った。
「昨日、お前は、覚醒、出てなかった」
「だが、走った」
「シュートを、決めた」
「覚醒なしで、三割の場所に、到達した」
絵心の指が、机の縁を、もう一度、軽く、叩いた。
「お前が、自分の手で、扉を、開けた」
「あれが——」
絵心は、そこで、一拍、置いた。
「——お前の、本物の入口だ」
◇ ◇ ◇
俺は、ソファの背もたれに、後頭部を、預けた。
預けたまま、天井を、見上げた。
絵心の部屋の天井は、白かった。
白い天井は、何も、答えを、書いてくれなかった。
(——図星か)
俺は、胸の奥でだけ、短く、呟いた。
呟いた呟きは、絵心には、聞こえなかった。
だが、たぶん、絵心は、聞こえなくても、分かっていた。
ラスボスは、そういう生き物だった。
(——昨日、走ったとき)
(——あれ、覚醒の入口じゃなかった)
(——もっと手前の、地味な扉だった)
(——その扉を、自分で、開けた感覚は、確かに、あった)
(——あの感覚を、絵心、お前は、見て、こう言ってんのか)
(——「本物の入口」、って)
胸の奥は、答えを、出さなかった。
出さなかったというより、出したい答えが、まだ、自分の中で、形になっていなかった。
ただ、絵心の言葉が、胸の奥に、ひとつ、置かれた感覚だけが、残った。
置かれた重さは、軽くも、重くもなかった。
ちょうど、二割の体に、ぎりぎり載せられる重さだった。
◇ ◇ ◇
蜂楽が、横で、にこにこしていた。
にこにこしながら、スケッチブックを、ぱらぱらと、めくった。
めくったページの中に、覇黒千歳の絵が、何枚かあった気がした。
俺は、見ようとしなかったから、確認はしなかった。
「絵心」
蜂楽が、口を、開いた。
「ん」
「おいら、ね」
「——」
「奥にいるもう一人の千歳とも、遊びたいけど」
「——」
「手前の千歳のほうが、好きだな」
蜂楽は、にこにこしたまま、そう言った。
部屋が、また、一秒、静かになった。
絵心は、何も言わなかった。
机の縁を叩く指を、止めて、蜂楽を、見ていた。
見ていた絵心の目の奥が、ほんの少しだけ、光った気がした。
(——ラスボス、こういう発言は、お気に召すらしいな)
俺は、ソファの背もたれに後頭部を預けたまま、半目で、蜂楽を、見ていた。
(——蜂楽)
(——お前、ピッチで言うのは、まだ分かる)
(——ラスボスの部屋でも、それ、言っちまうのか)
(——お前、空気、読まないのが、たぶん、お前の武器だな)
胸の奥は、ざわつかなかった。
ざわつかなかったのが、自分でも、ちょっと意外だった。
蜂楽の「手前の千歳」のほうを、好きだ、と言われて——
普段の俺なら、内心で、五個くらいツッコミを並べていたはずだった。
今日は、ツッコミが、出てこなかった。
出てこなかった代わりに、胸の奥が、ほんの少しだけ、温かかった。
(——あ)
(——これ、あれだな)
(——蜂楽の「友愛」、ってやつ、たぶん、こういうやつだ)
(——敵意で来られるより、めんどくさい)
俺は、半目のまま、目を、閉じた。
閉じたまま、胸の奥でだけ、短く、呟いた。
(——めんどくさいけど、悪く、ねぇ)
◇ ◇ ◇
絵心が、机から、体重を、外した。
外して、俺と蜂楽の前に、もう一歩、近づいた。
近づいて、俺たちを、上から、見下ろした。
「——覇黒」
絵心は、低い声で、俺の名前を、呼んだ。
俺は、半目を、開いた。
開いて、絵心を、見上げた。
「お前は——」
絵心は、そこで、一拍、置いた。
「——既存チームで、向こうから来る化け物を、凌げ」
部屋の空気が、また、一秒、止まった。
俺は、半目のまま、絵心を、見ていた。
(——は?)
俺の胸の奥は、短く、呟いた。
(——挑戦者じゃ、ねぇのか、俺)
(——ラスボスの部屋に呼ばれて、俺、攻撃側じゃなくて、防衛側か)
(——迎え撃つ側、だと?)
絵心は、俺の沈黙を、待たずに、続けた。
「お前の三割が、本物かどうか」
「覚醒なしで、来る奴ら全部、捌ききれるか」
「——見せてもらう」
絵心は、それだけ、言った。
俺は、半目のまま、ソファの背もたれに、もう一度、後頭部を、預けた。
預けた背もたれは、さっきより、ちょっとだけ、深く沈んだ気がした。
(——ラスボス、籠城戦、押し付けてきやがった)
(——ボス、向こうから、殴り込みに来るって、お前さっき、言ってたよな)
(——その全員、俺が、迎え撃つ)
(——三割で)
(——覚醒、なしで)
(——マジか)
胸の奥で、短く、呟いた。
(——マジだ、これ)
(——ラスボス、設計、エグいな、相変わらず)
◇ ◇ ◇
蜂楽が、ソファから、立ち上がった。
立ち上がるのが、ソファの深さに対して、軽すぎた。
(——その身体能力、ピッチでも、ちゃんと、出せ)
蜂楽は、スケッチブックを、抱え直して、俺の方を、見下ろした。
「千歳」
「ん」
「また、絵を描かせてね」
「……お前、許可、要らないだろ」
「うん、聞いたほうが、楽しいから」
蜂楽は、扉のほうに、半歩、歩いて、振り返った。
振り返った蜂楽の、にこにこの奥に、何か、別の色が、混じっていた。
楽しみ、というより、もうちょっと、本気の、楽しみ。
「次の千歳は、どっち側か——」
蜂楽は、そう、口を、開いた。
「——おいら、楽しみ」
蜂楽は、それだけ、言って、扉のほうに、歩き出した。
◇ ◇ ◇
蜂楽の背中が、扉の向こうに、消えた。
部屋には、俺と、絵心だけが、残った。
絵心は、机に戻って、書類を、もう一度、見始めた。
俺のことは、もう、見ていなかった。
(——ラスボス、用事終わったら、ドライだな)
俺は、ソファから、立ち上がった。
立ち上がるのに、蜂楽の三倍くらいの、時間がかかった。
(——ソファの罠、ちゃんと、踏んだ)
立ち上がった俺の背中に、絵心の声が、もう一度、降ってきた。
「覇黒」
「……ん」
「『どっち側』——」
絵心は、書類から、目を、上げなかった。
「——お前自身が、決めろ」
低い声だった。
俺は、半目のまま、振り返らなかった。
振り返らずに、扉のほうに、歩き出した。
歩きながら、胸の奥でだけ、短く、呟いた。
(——どっち側か)
(——蜂楽の、絵の話か)
(——絵心の、覚醒の話か)
(——両方、なんだろうな、たぶん)
俺は、扉に、手をかけた。
かけた手は、二割の体には、ちょっと重かった。
(——次の千歳は、どっち側か)
胸の奥で、もう一度、呟いた。
呟きは、答えを、持っていなかった。
答えは、たぶん、ピッチに出ないと、出ない。
ピッチに出るのは、来週だった。
来週、向こうから、殴り込みに、誰かが、来る。
(——殴り込み、誰だよ)
(——せめて、雑魚から、来てくれよ、頼むから)
俺は、扉を、押し開けた。
押し開けた廊下の先に、蜂楽の背中が、まだ、ぎりぎり、見えた。
見えた蜂楽の背中は、にこにこしているのが、後ろからでも、分かる背中だった。
俺は、半目のまま、その背中を、追った。
クソゲー、第二ステージ。
向こうから、殴り込みに、誰かが、来る。
俺の三割が、それを、捌けるか。
(——ラスボス、設計、本当に、エグいな)
胸の奥で、もう一度、短く、呟いた。
呟いて、廊下を、歩いた。
廊下は、来たときより、ちょっとだけ、短く、感じた。
たぶん、気のせいだった。
たぶん、そうじゃ、なかった。
どっちでも、よかった。
お読みいただきありがとうございました。
絵心の部屋には、覇黒だけでなく蜂楽も呼ばれていました。
第二次選考のルールが、二人の前で告げられます。
——既存チームに、他チームのエースが挑戦者として殴り込む。
そして、絵心の言葉が、覇黒の本心を撃ち抜きます。
絵心「お前、覚醒中の自分を、嫌っているな」
絵心「覚醒は才能ではない。お前自身が無意識に張った"安全装置"だ」
絵心「三割の扉こそが、お前の本物の入口だ」
覇黒「(——図星か)」
蜂楽「おいらは、奥にいるもう一人の千歳とも遊びたいけど、手前の千歳のほうが好きだな」
二人格を看破していた蜂楽の宣言は、敵意ではなく、友愛として返ってきました。
そして部屋を出る覇黒の背中に、絵心の最後の一言。
絵心「『どっち側』——お前自身が、決めろ」
覇黒「(——どっち側か)」
「(——両方、なんだろうな、たぶん)」
クソゲー、第二ステージ。
向こうから、殴り込みに、誰かが、来る。
覇黒の三割が、それを、捌けるか。
次話、チームZ解散セレモニーから、第二次選考の開門まで。
そして、覇黒の知らないところで——
ブルーロックの中に、もう一人、別格の気配が、立ち上がります。
ブクマ・評価・感想いただけると、更新の励みになります。
気が向いたら、また覗きに来てください。