半妖の青年は“五つの異能”で理不尽を覆す。神と悪魔の運命に挑む【SIN】 作:神野あさぎ
「此処を去れ、お前の守りたいものを守れ」
ティーは覚悟を決め、シロホンへと投げかける。
シンで形成されていた管が消失した以上、こいつの命運は既に尽きている。
シロホンは冷静に事態を分析していた。自壊を防ぐエネルギー供給源である管が竜神リューに捕食された事実が意味するのは、ティーの確実な死だ。
回避不可能な最期を突きつけられ、シロホンは屈辱に奥歯を強く噛み合わせた。
「う〜ん、悪魔は殺す」
竜神リューが口を開き、軽快に地を蹴る。
「そして闇神のシンは、回収する!!」
その足元へ向かって、ティーは口から強力な音波を放った。
地面が衝撃で爆ぜ、濃密な土煙が舞い上がる。
「!!」
目くらましね……。
リューの視界が土煙によって遮断される。
少しずつ粉塵が晴れていくと、そこには対峙するティーだけが残り、玄たちは既に大きく後退していた。
「あの頭変な奴は良いのか!?」
「あいつはもう助からない」
先行するシロホンが冷徹な事実だけを返す。
「なっ」
「『管』が喰われた時点で詰んでしまった。あれなしじゃ生きていけない」
翠が驚愕の声を上げた。
シロホンは焦燥を隠しきれない様子で状況を補足する。
自壊を防ぐためのシステムであった管、すなわちティーの絶対的な生命線が絶たれたのだ。
ティーを残して撤退を図る一行の傍らで、突如として空間が歪み、一枚の扉が出現した。
鍵神の鍵による、空間を接続する能力の発動である。
「ったく」
開かれた扉の奥から、一人の影が姿を現した。
「せっかくお風呂で綺麗にしたのにな〜」
間延びした声と共に現れたその影は、瞬時に氷の刃を生成し、
隣を走っていた玄がその光景を視認し、表情を強張らせる。
「!!」
「真白さん!!」
想定外の奇襲に、その場の全員が足を止めた。
翠の叫びが木霊する。
「別に良いけど」
姿を見せたのは、水神ウル。
真白は背に致命的な氷を刺されたまま、力なく前方へと倒れ伏した。
玄と翠が即座に駆け寄る。
「にしてもあの魔女同様便利だね。鍵神の能力も」
ウルは凄惨な光景を前にして、悪びれもせず微笑を浮かべていた。
魔女──モドキが有する召喚喚起の能力と同様に、鍵神の空間接続も移動手段として極めて有用だという、純粋な感嘆の言葉だった。
「どうも! 呼ばれて参上しました! ウル・クロノワールで〜すってか!?」
ウルは右手を額に当て、ふざけた様子で敬礼をして見せる。
神を送り届けた扉は、ウルの背後で静かに消滅した。
「お前!!」
シロホンが明確な殺意を込めてウルを睨みつける。
「そ……そんな……」
ヒユは膝から崩れ落ち、血溜まりの中に沈む真白を見つめて呆然と呟いた。
アナナスが急いでヒユの傍に駆け寄り、その肩に手を置く。
真白の身体からは、絶望的な量の鮮血が流出していた。
「命令、逃亡」
真白は残された僅かな生命力を振り絞り、声を紡ぐ。
そして、ゆっくりと顔を上げた。
「生き延びて。必ず、生還」
口の端から血を流し、頬を自らの血で汚しながら、彼女は最期の命令を下した。
これで姉のもとへ……。
真白は己の死を完全に悟っていた。
これでようやく、先んじて逝った姉あかねの元へ還ることができる。そう思考の片隅で安堵していた。
「ああ……一撃死させちゃったか。もう少し遊んでからにすれば良かった」
ウルは真白を見下ろし、右手の人差し指を頬に当てて無邪気に悔やんで見せた。
そのあからさまな嗜虐性に玄が激しい怒りを覚え、即座に能力を発動させる。
ウルの足元から影が急速に伸び、その身体を捕縛した。そのまま頭上高くへと吊り上げていく。
「やっと来たか水神〜」
空中に持ち上げられるウルを見上げ、リューが声をかけた。
……! もう一人増えたか。
ティーはウルの登場を確認し、思考を加速させる。
二人の神を同時に相手取り、いかにして足止めを成立させるか。
絶望的な状況下でも彼の計算は止まらない。
このまま水神を拘束する!!
玄は意志を乗せて影を操る。
だが次の瞬間、ウルは拘束する影をすり抜けるようにして、いとも容易く地上へと舞い降りた。
「!?」
絶対の捕縛から逃れたウルを前に、玄は信じられないものを見るかのように硬直した。
確かあいつは……。
シロホンの脳裏に、かつてアヴェルスから聞かされた情報が蘇る。
「俺の
翠が能力で呪いの札を生成し、ウルへと肉薄する。
媒介である札を利用した、強力な拘束の呪い。
「待て! 話によれば奴は……」
「!!」
シロホンが制止の声を張り上げる。
背後にいるヒユとアナナスも、異様な緊張感の中でその推移を見守っていた。
翠の手から無数の札が放たれ、ウルの身体へと殺到する。
「ふ〜ん」
だが、身体に張り付くはずの札は対象に触れることすらなく、力なく地面へと落ちていった。
ウルは舞い散る札を、何事もなかったかのように眺めている。
「なっ」
札が貼れない!?
呪いが上書きされた感覚すらない。いったいどうやって──……。
翠は顔を強張らせ、目の前の不可解な現象を分析しようとする。
ウルは足元に落ちた一枚の札を拾い上げ、「お札ね〜」と呟きながらひらひらと振って見せた。
「どういうことだよ兄貴!」
ヒユが、制止しようとしたシロホンに説明を求める。
「昔、アヴェルスに聞いた話によれば」
シロホンは重苦しい口調で語り始めた。
「枷や制限となるもの、そういう類のものは奴の意志一つで外せるらしい……これが地味に厄介だそうだ」
アヴェルスの口から出た「地味に厄介」という評価の真意を、彼らは今、嫌というほどに理解していた。
「『枷外し』っていう能力なんだ〜。昔はこれで遊んだもんだね、今も使ってるけどさ」
ウルは右手の人差し指を頬に当てて楽しげに語る。
かつて意図的に敵軍に捕縛され、頃合いを見て自ら枷を外し、脱走と共に形勢を逆転させるという悪趣味な遊戯に興じていた過去がある。
拘束という概念自体が成立しないということか。面倒な奴だ。
翠は瞬時に状況を判断する。
捕縛、捕捉、拘束、制限、枷。それら相手を阻害する一切の要素が、水神ウルには無効化される。
「とりあえず、キミらだけでも先に行って!」
「!!」
玄の切迫した指示に、シロホンとヒユの動きが止まる。
「おれも戦う!! あの子の仇を……」
ヒユは感情を爆発させ、真白の仇を討つと吠えた。
「このままじゃ全員やられる、それに……真白さんの望みは生還だ。なんとしてでも生き延びるべきだ」
翠がヒユたちを背に庇うように立ち塞がる。
玄と翠が横に並び、ウルへと相対した。
……また、守れなかった。
シロホンの脳裏に、かつて真白の姉であるあかねを守りきれず、彼女が鮮血に染まった記憶がフラッシュバックする。
「ってか仇を討つのは俺だ! 仲間の俺達がやる!!」
翠は振り返り、右手を上下に振りながらヒユに向けて言い放った。
「足手まといの悪魔は帰れ!!」
「なっ!」
翠の意図的な悪態。ヒユは怒りを見せるが、論理的な反論の言葉を見つけられない。
「無理をする気もないがな! 大丈夫!」
翠は再びウルのほうへ向き直り、力強く告げた。
「行け!!」
またオレに、弟をとらせるのか……。
シロホンは心中で毒づいた。
あかねの最期を看取り、そして今また弟であるヒユの手を引いて逃げようとしている。
過去の己の無力さが重なる。血を流し、生還を命じた真白の姿が網膜に焼き付き、シロホンは唇を噛みしめた。
「一度戻って、応援を呼んで来る」
シロホンは冷静さを装い、アナナスとヒユの首根っこを掴んだ。
「それまで死ぬなよ」
「ちょっ兄貴!」
シロホンは瞬時に地を蹴り、その場から離脱する。
ヒユの抗議の声も虚しく、彼らは強引に戦線から引き剥がされた。
残された翠と玄がウルを警戒する中、ウルは両手を横に広げ、大袈裟に顔を左右に振って見せた。
「一応簡単に行かせるわけには、いかないんですよ」
そう嘯きながら、ウルは足元に鋭利な氷を生成する。
玄が即座に影の刃を展開し、迫る氷を粉砕した。
ウルは「一応」攻撃の意思を見せたものの、撤退した三人を本気で追撃する様子はない。
だからこそ、玄と翠のやり取りも悠然と眺めていたのだ。
「此処から先には通さない」
玄が両手に影を具現化し、明確な防衛の意志を宣言する。
「ふ〜ん」
ウルは興味なさげに応じると、次の瞬間には翠の胸元へと跳躍していた。
そのまま滞空した状態で、隣にいた玄の胴体へ向けて強烈な右蹴りを放つ。
ウルが軽やかに着地するのと同時に、翠と玄はその場に力なく膝を突いた。
「速い……」
「な、何が……」
玄と翠の動体視力では、ウルの動作のプロセスすら知覚できていなかった。
「わざわざ残ってくれて……逃げたあいつらの代わりに、
ウルは顔に笑みを貼り付けたまま、その歪んだ嗜虐心を隠そうともせず、恭しく告げた。