1人はエリクシエル剤の乱用で担ぎ込まれたハーマン。
そしてもう1人、コボルド族の彼に会うため、カールは足を運んだ。
これはある傷の物語である。
▼本小説は樽見京一郎先生の著作『オルクセン王国史 ~野蛮なオークの国は、如何にして平和なエルフの国を焼き払うに至ったか~』の二次創作作品です。
▼原作は3巻、漫画は6巻まで読了を推奨。また、戦後の話なので戦争の結末が分かってしまいます。気になる方はweb版を読みましょう。物語の主要メンバーは出ませんのでweb版未読でも大丈夫です。
ハーマンの一件の翌々日、仕事を終えたカールは村に二軒しかない酒屋のうちの一軒に来ていた。どの村人がどの酒場を使っているかというのは公然のことだった。
カールは店主に麦酒とブルストを頼みながら世間話を振った。すぐに店主のドワーフは「で、何の用ですか」と答えた。酒をほとんど飲まないカールが店に来るのは、何らかの用事があってだと思ったからだ。
懐から布に包まれた注射器とアンプルを取り出して見せた。店主はむむ、と額を寄せた。その反応から彼がこの一件に無関係であることが伺い知れた。
「どうも数日前、この酒場でこいつを売っていた輩がいるそうだ。恐らく地下で出回っているエリクシエル剤の売人だ。患者から教えてもらったんだが、どうも村の者ではないらしい」
「ほう、きな臭いね」
酒場というのは宿屋も兼ねており、この店も例に漏れない。流れ者は多いけれど、そんな客をこの店主は嫌う性格のはずだ。カールの推測通り、店主は豊かな髭を撫でまわしながら「ふてえ野郎だ」と呟いた。そのままハーマンの名前を伏せて売人の容貌を店主に伝えた。すでに警官にもこの情報は教えてあるので、またこの店に売人が来ればお縄にかかることだろう。
一仕事を終えたカールはブルストに噛り付きながら店内を見まわす。この店のブルストは肉汁もさることながら店主秘伝のスパイスで心地よい香りをまとっていた。だから麦酒が進むしあっという間に平らげてしまう。
ブルストをほおばりながら、店の一角でちびちび酒をやっているコボルト族が目に入った。それは数日前に愚痴を聞かされたマリーの夫であるローターだった。
店主にブルストと麦酒のお代わりを頼んで、皿とグラスを引っ掴んで彼の席に向かった。
「お向かい、失礼します」
声をかけるとローターはびくりと文字通り飛び跳ねるように驚いた。そして見上げて、正体がわかると表情を緩めた。
「な、なんだ、先生でしたか」
「お久しぶりです。最近は受診されていませんでしたからね」
ローターの前に座る。彼の机には火酒とナッツしか置かれていない。
「まあ最近は体調も悪くありませんから」
にこりと彼は笑った。けれどカールにはその言葉は到底信じられなかった。ジャックラッセル種の短めの硬い毛はごわごわとちぢれ、毛色も悪い。特に顔周りの毛はだいぶ薄くなり、頬がこけたような面持ちになっていた。終戦時、あの海軍の中で魔術通信士として活躍した精悍な姿は見る影もない。
「そうですか。ああ、これもどうぞ」
カールがブルストを差し出すと、ローターはいえいえと手を振った。
「最近はそういうものを胃が受け付けないんです。年ですかね」
「ローターさん、最近ちゃんとご飯を取っていますか」
きょとんとするローター。しかしすぐに人懐っこい笑みを浮かべた。これだけは、今も昔も変わらない。
「ええ。もちろん」
そう言ってナッツをひょいと放り込んだ。
「ナッツだけでは栄養が偏ります。パンや野菜も取らないと、アルコールに栄養を吸われてしまいますよ」
「そうですね、気を付けます」
ローターがそう答え、次の瞬間に「あ」と気づいた。
「やっぱり、お酒は多いのですね」
「お医者さんのくせに、誘導尋問ですか。悪い人です」
ぐびり、と火酒を呷る。ドワーフ種ならまだしも、コボルト種の中でも体躯の小さな方の彼にその酒はいささか強すぎるように思われた。
「結構飲んでいるのですか」
「……眠れないんですよ」
視線を流しながら、ローターは言った。
「眠剤ならお出ししますよ」
「それは悲鳴を止めてくれるんですか」
「悲鳴?」
妙な言葉にカールは眉をひそめた。
そんなカールの様子に、ローターは自嘲気味な笑みを浮かべ、まるでどうせ分からないといったように続けた。
「自分はあのベラファラス湾海戦に参加していました。そのあと、海軍での仕事が減ったのでネニング平原の包囲戦で魔術通信の補助をやったりもしました。で、魔術通信ってどうやるかは知っていますよね。アンファングリアの方々が説明したように、大声を魔力にしているようなものです。冷静な時はその声を制御できます。でも、危険が迫ったりしているとそうもいかない。自分が大けがを負っていれば、なおさらだ」
また一口、火酒を呷った。それはまるで、これから思い出すことをアルコールによって薄めているようでもあった。
「エルフたちは、皆が魔術通信を使えます。だから、死ぬその瞬間に彼女たちの悲鳴がよく聞こえるんですよ。助けてくれ、痛いよう、お母さん、って」
「……」
カールとてそのことぐらい知っている。知っているが、それが真の意味で理解していることとは程遠いことをこの瞬間まで彼は知らなかった。
ローターがにやっと口角を上げた。黄ばんだ犬歯が覗いて、それは威嚇にように見えた。
「僕たち魔術通信士の多くは夜眠れないんですよ。悲鳴が聞こえてね。魔術通信は聴覚じゃない。魔力によって頭の中に直接響くんだ。五感のどれとも違う、もっと強力な感覚で頭の中に刻み込むんです。だからあの声たちが、よく聞こえるんです。ちょっとした物音、特に甲高い、人の声や悲鳴に近い音ほどよく、ね」
「もしかして、ローター、君が工場をやめたのは」
「そうです。金属の音も、怒鳴る声も、全部が僕には悲鳴に聞こえるんです」
幻聴を引き起こす病をカールは知っている。しかし、彼の症状はその病とは全く異なるものだ。カールには未知の症状であった。同時にそれはよく知っている症状でもあった。あの地獄の塹壕の中では誰も彼もがローターの訴えるのに近い症状を持ち合わせていた。
その時になって、彼の真っ黒な瞳を見た。深い闇夜の塹壕のように黒い瞳は、火酒の水面を一心不乱に見つめていた。
「おそらくは、精神が昂っているのかもしれないな」
カールは何とかその言葉だけをひねり出した。けれど、何も言っていないのと同じ言葉だったから、カールには苦々しい味わいが口いっぱいに広がるだけだった。
そんなカールを見て、ローターはふふ、と笑った。そして残った火酒を一気に飲み干した。
「で、その精神を抑えてくれるのはこれだけなんですよ」
ゴン、と空になったグラスが机を鈍く叩いた。その指はやせ細り、今にも折れてしまいそうだった。
あれから幾日かが経った。カールの診療所はいつもの通りで大きな問題などなく、恙ない日々を過ごしていた。
そんな日々の隙間を縫うように、カールはローターの症状を調べた。しかし、神経科の教科書を読んでみても納得する病気は載っておらず、仕方なく数冊の論文雑誌を買うことにした。田舎の診療所では、満足に調べ物もできやしない。首都で医学を学んでいたとき、ただ友人とだべるだけの図書館がなんと有難いものかと痛感した。
そんなことをして過ぎてゆく、大した病も怪我もない日々は、医者にとってこれほど嬉しいものはない日々でもあった。
けれど医者にとっての平穏はいつも破られる。
その日、太陽の上がり始めた頃合いにカールの家のドアが荒っぽく叩かれた。寝ぼけた頭をなんとか起こしながら、カールは扉を開けた。そこにいた農家のオークが息も絶え絶えに叫んだ。
「先生!溺れたやつがいるだ!早く来てくれ!」
「わかった」
瞬間に頭を覚醒させるのは、医者の持つ特殊技能の一つだ。
とにかく適当に服を着て診察鞄を持つと行ってくると妻に言った。行ってらっしゃいという声を背に家を出て、ここまで来たオークと一緒に現場に向かった。少し走るとすでに数名の人集りができており、そこが現場だと分かった。
「先生がついたぞ!」
誰かが言うとカールのために人混みが避けた。カールはそのまま駆け寄り、葦を掻き分けて進んだ。川辺に2人の人影があり、1人がもう1人を介抱していた。横になっているのが患者だろう。
「どいてくれ。私が診る」
そう言って介抱する男と変わった時、その人が誰かようやく分かった。
白と茶の硬い毛にだらりと垂れたピンクの舌。ずぶ濡れになったその面持ちを、ことさらカールは考えていた。
「ローター……」
思わず、医者にもあるまじく彼は立ち竦んでしまった。
誰の目にもローターは呼吸をしておらず、その体が冷たく変わり果ててしまったことは明らかであった。
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