霊夢が心配して家を訪ねると魔理沙は寝る間も惜しんで研究を続けていた。
どうやらその原因は一週間前に倒れた自分のせいのようで・・・?
霊夢のために奔走する魔理沙と、魔理沙の前ではしっかり者でいたい霊夢の日常の物語です。
※こちらは2025年5月5日に開催された第二十二回例大祭にて頒布した、テーマワード「鍋」合同誌『寄席鍋』に寄稿した短編小説です。
表戸に『霧雨魔法店 しばらくお休み』という看板のかかった小屋からは、閉め切られているにも関わらず薬品の香りと蒸気が漏れだしている。
いつにも増して雑然とした部屋の中には材質の異なる様々な鍋が大小所狭しと並んでいた。
鉄、真鍮、錫、洋銀、珍しい青銅のものまで。
「うーん、この材質とこの薬草の組み合わせなら理論上もっと反応が出ているはずなんだがなあ。また失敗かー」
長匙の柄でガリガリと後頭部を搔き、緑色の煙が立ち上る液体を銅の大鍋からため息と共に廃液入れへ流していく。
「何が悪いんだろう」
魅魔様だったらこんなことないんだろうな、と小声で呟きながら錫の鍋に次々と材料を放り込んでいく。
彼女の顔には色濃い疲労が浮かんでいたが、その手は止まることなく動き続けていた。
刻む、抽出、確認、記録、廃棄。刻む、抽出、確認、記録、廃棄。
「もう一週間も籠りっきりじゃない、あの馬鹿……」
霊夢はその光景を窓の外から見つめていた。
☆☆☆☆☆
一週間前のこと。霊夢はいつものように朝餉を済ませると境内の掃除を始めたが、その動きはどこか鈍く、重そうだった。
「ふぅ、なんだか今日は暑いわね……」
箒を鳥居に立てかけ、額の汗を拭った。頭がぼんやりとしていて、体にも怠さがある。数日前から感じていた違和感が、今日は特に強くなっているようだ。それでも彼女は自分の体調に構うことなく掃除を続ける。
「霊夢さん、大丈夫ですか? ずいぶんと体調が悪いようですけど」
頭上から声を掛けられる。神社の規模にしてはずいぶんと立派な台座の上を見上げると、博麗神社の守護神獣を自称する狛犬、高麗野あうんが座っていた。
「あー……うん、大丈夫よ。ただちょっと疲れてるだけ。……ととっ」
気丈に振る舞う霊夢だったが、心配いらないと振った手が箒に当たり倒れそうになる。慌てて掴もうとするもその手は空を切った。
「やっぱりちょっとまずいかも。ふらふらしてきたわ」
「大丈夫じゃないじゃないですかー! ど、どうしよう……」
あうんはおろおろしながら慌てて台座から飛び降りるものの、身長差のある霊夢のことを支えるには膂力が足りなかった。
「おい、朝から何してんだお前ら! そういうのはもっと夜が更けてからだな……いや夜が更けてもダメだ! 私の目が金色のうちはそんなこと許さないぜ」
聞き慣れた声が響く。
黒い三角帽子から流れる絹のような金髪は陽光を浴びて鮮やかに輝きを放っていたが、当の本人はその髪を振り乱しながら少し焦ったように急いで箒から飛び降りるとこちらへ駆けてくる。
「ま、魔理沙さん! 良かった、助けてくださいー!」
「んん? っておい霊夢、大丈夫か?」
魔理沙は霊夢の顔を見るなり眉をひそめた。その表情にはいつもの軽口とは違う真剣さが滲んでいる。
今にも潰れそうにしているあうんを救うべく霊夢へ肩を貸してやり、額に手を当てるとその瞬間、熱がじんわりと掌に伝わってきた。
「おいおい、こんな状態で出歩いてたのかよ! 私は霊夢を中に運ぶから、あうんは氷とか手拭いを用意してもらえるか?」
「わかりました!」
跳ねるように駆けだすあうんの後を追って、えっちらおっちらと居室へ向かう。
あうん程ではないが魔理沙も霊夢より背丈が小さいので、肩を支えながら歩くのは思っていたより難しかった。
「ごめんなさい、面倒掛けるわね……」
「なんだ急にしおらしくなりやがって。気持ち悪いぜ」
普段とはまるで逆だと思いながら背負いなおす。背負ってしまえば存外軽いものだ。
「博麗の巫女でも風邪をひいたりするもんなんだな。そういうのは怠惰な魔女の専売特許だと思ってたよ」
揺らさないよう丁寧に布団へ降ろし、軽く帯を緩めて薄手の毛布を掛ける。
目を閉じて荒く呼吸している霊夢を尻目に、茶箪笥から手際よく吊り下げ式の氷嚢を取り出す。以前魔理沙が風邪をひいて博麗神社に転がり込んだ時に霊夢が揃えてくれたものだ。
昔は何もない空き家のような状態だったのに今となっては中に入りきらなくなったのか、棚上にまでミニ陰陽玉や新聞、花束、瓢箪、要石、宝塔、お面、包帯、人形、ナイフなどがぎっしりと並んでいる。
「この幸せ者め」
何となく気に入らないので、今度こっそり自分も何かを置いていこうと決めた。
「魔理沙さん、お水持ってきました!」
あうんが氷水で満たされた金ダライを持ってくる。濡らした手拭いを額に乗せ、その上に氷嚢を吊ってやると霊夢は気持ちよさそうに目を細めた。
「あうん、いっちょとんぼ返りして薬を取ってくるから看病頼んだぜ。魔理沙サマ特製の滋養強壮薬を飲めばこんな風邪なんて一発さ」
布団の方へ向き直り、またあとでな、と黒髪を一撫でして魔法の森に向かった。もしかしたら文よりも早かったんじゃないかと思うほどの勢いで我が家へと舞い戻り、薬棚の
「たしか一番の自信作がここに……あった! へへ、私だっていっぱしの魔女だってことを見せつけてやるぜ」
『Inferior』というラベルが貼られた小さい薬瓶を取り出し、割れないよう布でくるみ懐へ入れる。
来たときよりも気持ち慎重に神社へ戻ると、ちょうど霊夢は寝付いたところらしく、あうんがこちらを向いて人差し指を口に当てていた。
「魔理沙さん、ずいぶん早かったですね」
「ま、まあな。私は元々早いからいつものことだぜ。じゃあ霊夢が起きたらこれを飲ませてやってくれ。きっと明日には全快してるだろ。また明日来るから、それじゃ」
あうんに小瓶を渡すと魔理沙は逃げるように神社を後にする。全身全霊で急いだことを知られるのがなんだかとても照れ臭かったから。
「さーて、あいつがどんな顔してるか楽しみだぜ。昨日は珍しく神妙だったからな」
☆☆☆☆☆
次の日、太陽が高く昇り切った頃に魔理沙は再び博麗神社へと降り立ったが、そこに期待していた姿はなかった。社務所側に回ってもやはり彼女はおらず、一抹の不安を覚えながら縁側から中へ入れば、昨日と変わらず布団の中で静かに寝息を立てている霊夢の姿が目に入った。
「なあ霊夢、起きてるか?」
布団のそばにしゃがみ込み、小さな声で呼びかける。しかし霊夢から返事はなく、眠りが浅いのか微かに唸るのみだった。
「全然駄目じゃないか、私……」
元気な顔を見せてくれるはずだと確信していた魔理沙にとって、一晩経っても霊夢が回復していないという事実は強い衝撃だった。
自分が作った薬には絶対的な自信があった。材料は吟味に吟味を重ねた最上の物。調合から瓶詰めに至るまでの全工程に細心の注意を払って作成したそれは、彼女の最高傑作であるはずだった。
「あっ、魔理沙さん。来ていたんですね」
金ダライを持ったあうんが襖を開けて現れた。どうやら彼女はあの後ずっと霊夢についてくれていたらしい。
「霊夢、まだ治ってないみたいだな……薬は飲んだんだよな?」
魔理沙は俯いたまま尋ねる。任せろと豪語してしまった手前、正面からあうんの顔を見ることができない。
「えぇ、まあ……飲むには飲んだんですけどね。飲むときにちょっと……でもほら、ずいぶんと楽にはなったみたいですよ。熱も下がって来たみたいですし」
あうんは苦笑いをして少し言い淀んでいたが、下を向いている魔理沙にその表情は届いていなかった。薬は飲んだ。飲んだのに治らなかった。それだけが頭の中を廻っていた。
「少し楽になっただけじゃ意味がない。本当に薬が効いたなら、一晩で治すくらい簡単なはずなのに。ごめんな、私の力不足だ」
「いや実はね……って魔理沙さん!? ちょっと……」
魔理沙は拳を握りしめて立ち上がると、目線を下げたまま箒を手にして走り出す。
「もっと効く薬を作ってやる。絶対にだ」
振り返らず飛び出していく魔理沙の背中に、あうんの言葉は届いていなかった。
☆☆☆☆☆
「……よし」
霊夢は意を決して霧雨魔法店の扉を叩いた。もうすっかり体調は良くなったというのに一向に会いに来ない魔理沙に業を煮やして魔法の森まで来てみれば、あれからずっと家に引きこもって調薬を続けているらしい。
「悪いな、今は休業中だぜ……ってなんだ霊夢か。体調治ったんだな、良かった良かった。悪いけどちょっと今忙しいんだ」
そう言って扉を閉めようとする魔理沙の腕を掴む。
「馬鹿、そんな芳香みたいな顔色して何が忙しいよ!」
魔理沙を押しのけてずかずかと中に入り、すっかり淀んだ空気を入れ替えるために窓を大きく開ける。
そのついでにふらふらしている魔理沙を抱え上げてベッドに放り込むと、帽子とエプロンを外して上から布団をかける。やめろー、とか暴力巫女ー、とかなんとか言っているが本気で抵抗しないあたり満更でもないらしい。
「うー、横暴だぜ。私は薬を作らなきゃいけないんだ。わかるだろ? 飲んだのに効かない薬なんて何の意味も無い。やっと役に立てると思ったのに……」
弱弱しく口を尖らせる魔理沙。その眼には薄く涙が滲んでいるようにも見える。
いつもの明朗快活な姿からは想像できないほど、今の魔理沙は小さく見えた。
「……でないのよ」
ぼそりと呟く。魔理沙はよく聞こえていなかったのか、ぽかんとこちらを見つめたまま首を傾げている。
潤んだ金色の目がとても綺麗だと思う分だけ、伝えられなかった事実に罪悪感で圧し潰されそうな気がした。
「ほとんど飲んでないのよ、あの薬」
「……えぇ!? なんだよそれ、どういうことだ!?」
魔理沙は跳ね起きようとするが、布団の上から覆い被さるようにして身体を抑えつける。
自分の顔を布団に押しつけて、どんどん顔が熱くなっていくのを感じながら、そのままの勢いで口を開く。
「苦すぎて飲めなかったの!」
「……は? え? 苦すぎて……え?」
抑えつけていた魔理沙の身体からへなへなと力が抜けていくのを感じた。
「しょうがないじゃない、あんなに苦いと思わなかったんだもの! 口に含んだら苦すぎて全部あうんにぶちまけちゃったのよ!」
申し訳なさと恥ずかしさでどうにかなりそうだと思いながら、布団ごと強く強く魔理沙を抱きしめて叫んだ。
「だから……ごめんなさい。あなたの薬が効かなかった訳じゃないのよ」
怖くて顔を上げることができない。怒っていたらどうしよう。
愛想をつかされてしまうかも。もう神社に来てくれなくなったら……負の感情が綯い交ぜになって、身体を動かすことができなかった。
柔らかくて気持ちいいし、良い匂いがする。このまま布団に同化して布団の妖怪として生きていけないだろうか。
「なんだ、そうだったのか……まったくお前なぁ、倒れて寝込んでたやつが薬の味に文句言うなよ! でも治ったんなら良かった、それが一番だぜ。それにしても……博麗の巫女にも苦手なものがあったなんてな。れいむちゃんはにがいおくすりがきらいでちゅかー? ブン屋が好きそうな良いネタだぜ、あっはっはっは」
魔理沙は笑い転げていたが、その笑いにはどこか安堵の色が混ざっていた。
「うるさい馬鹿魔理沙! 他の人に言ったら許さないからね、そんなことしたら私だってあんたが自分の薬が効かないことにショックを受けて引き籠ってたって記事を書いてもらうから。私が博麗の巫女を助けるんだーって薬を作ってたってね」
「わかったわかった、悪かったよ。ふぁーあ……なんだかほっとしたら急に眠くなってきたぜ。ちょっと寝かせてもらおうかな」
ぽんぽんと霊夢の頭を叩くと、魔理沙は大きく欠伸をした。
☆☆☆☆☆
「うーん……よく寝たな、頭がすっきりしたぜ」
ひと眠りして目を覚ました時、霊夢は既に帰ってしまったようで家の中は静まり返っており、いつもと変わらないはずの静寂になぜだかひどく物足りなさを感じた。
天井に向けて伸ばした腕を下ろすと、手にカサリと何かが触れる。
「なんだこれ、紙?」
折りたたむこともなく無造作に置かれた紙を目の前に持ってくると、何やら文字が書いてあることが分かった。目を擦りながら見ると、
魔理沙へ
お夕飯を用意しておくので、起きたら神社に来なさい。
霊夢
「……へへ。そっか」
一行だけのそっけない手紙ではあったが、それで十分だった。ベッドから立ち上がると、ずいぶん身体が軽くなったように感じる。
「何も食べてなかったからぺこぺこだぜ。しょうがないから行ってやるとするかなー」
神社に着くと境内には美味しそうな匂いが漂っていた。
「遅いじゃない、お寝坊さんね」
腰に当てた両手には鍋掴みが嵌まっており、不機嫌そうな言葉に反して顔には柔らかな表情が浮かんでいる。魔理沙を炬燵へ座らせると、台所から大きな鍋を持ってきた。
「おいおい、私への当てつけか? もしかしてまだ怒ってるんじゃないよな……?」
薄く笑みを浮かべて訊ねる。しばらく鍋は見たくないな、と思っていたところだったし、土製の鍋は研究の考慮に入れていない素材だった。
「え、お鍋食べたかったんじゃないの? あんたが寝言で鍋があーだこーだ言ってたんじゃない。今日はちょっと奮発して良いお肉入りよ」
あっけらかんと答える霊夢にすっかり毒気を抜かれた。どうやら鍋になったのは自分のせいだったらしい。
「あー、まあそうだな。好きだよ、鍋。知ってるか? 鍋はその材質によって煮込む素材へ与える影響が違うんだ。土鍋ならそうだな、きっと野菜が美味しく食べられるぜ」
魔理沙さんは物知りですねえ、なんて感心しているあうんと対照的に土鍋で煮込んだら大体の食べ物は美味しいわよ、と身も蓋もないことを言い出す霊夢。
笑い合いながら食べたその日の夕飯は、今まで食べたどんなものより美味しくて、どんなものより温かった。
開け放した扉から吹き込んだ風が手紙を裏返す。
表面の文字とは違い、小さく書き殴ったような文字がそこにあった。
ありがとね
今年も例大祭に参加します!
新刊は咲夜さん合同、十六夜咲夜合同「いざなわれて、十六夜」です!
★★★イベント参加情報★★★
2026/5/4(月・祝)
第二十三回博麗神社例大祭
東3ホール【は13a】後の祭り
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