2052年1月27日 EU シチリア島南部
「ふー ふー ふふふ ふー ふーふふ ふー ふふ ふふふ ふー」
もう夜だというのに、少女がブランコを漕いでいた。重厚な雲から雪が降り続いている。雲の隙間から満月が小さく覗き、月光が積もった雪に反射をして、少女を照らす。
ピコン
「うん?」
少女の腕時計の端末に通知音が鳴る。ブランコの揺れが小さくなり、少女は端末を見る。
[パオ・ボーグ様 食事の準備が完了しました。ご帰宅ください]
少女は、パオはブランコから降りて、街灯一つない道を歩き出した。瓦礫を雪化粧が覆い隠している。
「今日は何だろう。グラタンかな?シチューもありかな?」
雲の切れ目が閉ざされ、全てが闇に包まれた。パオ・ボーグを監視する14の衛星も彼女を捉えることはできない。
バチチチチィ
微かな光が瞬き、また雲の隙間から月光が差し込んだとき、端末を残してパオ・ボーグは消えていた。
141秒後。衛星の監視網がパオ・ボーグ消失を確認、第一級特別警報発令。
パオ・ボーグは目を覚ます。断続的な振動が体に響く、周囲を見ると工具が吊り下げられている。扉は後ろの一つだけだ。
「ここはどこ。車?」
立ち上がり、扉を開けると、猛吹雪がパオの体に打ち付けられる。そして前方に列車の車体が見えた。
「寒っ、ここは列車?列車かパオは7年ぶりくらいに乗ったな。いや、なんでパオが電車に乗ってるの?隔離されてたんじゃないの?」
前の車体に近づくと鍵がかかっていた。パオが口を開くとまるで神隠しに会ったように鍵は消える。そして吐き出すふりのようなことをすると鍵が現れ、床で何度か跳ねて列車から落ちて消えた。扉を開け中に入ると食堂車のようだ。ラックにあったパンフレットを手に取る。
ユーラシア横断鉄道:4か月で巡る大陸
「横断鉄道?えっと、今日の予定とか書いてない?……………ないか。回送中っぽいな」
『ご注文はありますか』
食堂車のカウンターにいる人型料理ロボットから音声が流れた、エプロンをつけ、帽子まで装着されている。こんなとこでも人の温かみを求める需要はあるらしい。
「おっ………そういえば夕食まだだった……グラタンとハンバーグとピザ」
『グラタンとピザは少しお時間がかかりますがよろしいでしょうか。アレルギーや食べられない食べ物はありますか』
「わかった待つよ。コーラも。アレルギーとかはない」
パオはカウンターの丸椅子に乗り、足をぶらつかせた。ロボットがスライドをしながら移動する、下半身はレールにつながっているようだ、冷蔵庫が自動的に開きパック詰めされた材料を取り出した。カウンターの丸い部分に穴が開きコーラが入ったグラスがせりあがっていく。ロボットがパオにグラスを差し出した。
『コーラです』
「ありがと。ここってどこなの?パオ起きたらここにいて、あと今いつ?」
『今日は2052年1月28日です。この横断列車はイタリア北部ミラノを出発してフランスのモンペリエに向かっています。モンペリエまで4時間、トリノを通過したところです。現在この列車は貸し切りとなっておりますので自由にご注文ください』
「ほん。あむ」
グラスの中のコーラが消滅した。グラスに触れてすらいないパオは喉を鳴らしてなにかを飲み込んだ。ロボットは背面についているアームで調理をしながら、飾り切りの演出をしている。ハンバーグの焼ける音が響きいい匂いが漂う。天井に埋め込まれた空調が稼働を始め、パオのみにハンバーグの匂いを送る。グラタンをオーブンに入れたようだった。
『ハンバーグのソースはなににしますか。デミグラス、赤ワイン、トマト、チーズ、日本風があります。グラタン、ピザをご注文されていますので、おすすめは日本風です。さっぱりとした風味が特徴です』
「日本風、あと温かいお茶」
『かしこまりました。温かいお飲み物でしたら、ノンカフェインのロイヤルミルクティーがおすすめです。本日の外気温はマイナス4℃ですので、お身体も温まります』
「うん」
パオはそう答えるとパンフレットを開く。
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本列車はマスマフ首長国連合大統領ザヒール・アルザードの特別協賛により運行されています。あなたの才能を、世界は必要としています。マスマフ首長国連合への移住・就労はこちら。興味のある方はこのコードをスキャンしてください
「たいした情報はないか」
ロボットがハンバーグとその付け合わせが乗った皿を差し出す。そしてミルクティーも。
『こちらハンバーグでございます。ソースは日本風。わさびを少なめにしてあるので、ご安心してご賞味ください』
ハンバーグにグラッセされたニンジン、ポテトにコーンといった至ってオーソドックスなものだ。パオは野菜を一口で平らげて、ハンバーグをチビチビ切り取って食べ始めた。
『ピザはあと5分、グラタンはあと9分で完成します』
「ふぉう」
前方の長椅子に転がっていた寝袋が、もぞりと動きうめき声をあげた。
「頭いてぇ。飲みすぎたか。ロボットちゃんの言うこと聞きゃあよかった」
『はい。飲酒量は常人の致死量の97.87%でしたので、正常な反応です。これ以上の提供はできませんのでご理解ください。水分の接種を推奨します』
「あー、水、氷はなし」
『かしこまりました』
寝袋から出てきた男が、パオの隣に座った。酸っぱい臭いがパオの鼻に刺さる。
「おう、嬢ちゃんも仕事か?この列車に乗ってるってことは同じ仕事か。シチリア島でなにやったんだろうな。いや言わなくていい。俺も言えないしな。あーいてて」
「────うん。ちょっとしたことだけど」
「おお、そうか。嬢ちゃん知ってるかシチリア島にはな、パオ・ボーグつーそりゃあもう、デンジャーな奴がいんだよ」
「そうなんだ」
男はロボットから渡された水を一気に飲み干すとパオの方を見た。その顔はどこか体調が悪そうだ。
「あれは今から7年前のことだが、月が消えたんだ。十秒くらいな。で、その犯人がパオ・ボーグつーわけ。俺みたいな影でコソコソするしか能がない奴じゃない。本当の怪物さ、そんでその次の日に最高位の異能者として発表があったの。『月消失の実行者はパオ・ボーグであり、新たな最高位の異能者である』ってな。そん時は表も裏も下から上まで大騒ぎでな、まあ嬢ちゃんは5歳くらいで覚えてないだろうけどな」
「へえ」
(あれ、そんなことになってたんだ。ちょっと舐めてみただけなんだけど)
二日酔いに苦しむ男の隣に座る少女は、そのときの事を内心でそう振り返った。粉っぽくて、かみ砕いてしまいそうになった気がする。
『ピザが焼けました、食べやすいように12等分にしますか』
「うん」
「よく食うねぇ。まあガキが腹いっぱい食べれるのはいいことだ。俺がガキの頃は戦争でネズミを……………悪い、飯の前で言うことじゃねえな。水同じの」
『かしこまりました』
パオはハンバーグを食べ終え、ピザをカットする様子を見ていた。男は煙草を取り出そうとして、隣の少女を見て、止めた。
『喫煙所は6号車にあります。この車両の2つ前です』
「おお、そうか。じゃあな嬢ちゃん、Good night」
「ぐっない」
水を飲み干した男は前の車両に歩いて行った。パオはピザに齧り付いた。
「あむ」
(あの人同じ仕事って言ってた。シチリア島にはパオと無人ミサイル基地くらいしかないし、他にあるとしたら瓦礫の山になんか用があるから来たのか?いやパオがここにいるってことは、パオに用があるのか。だとしたらなんだ?殺すなら連れてくる理由なんてないし、なんか協力して欲しいから?じゃあ眠らす必要はない)
パオがピザを二枚重ねて頬張った、口の周りにトマトソースがついた。ロボットが紙ナプキンを差し出す。
(2つ前が6号車、じゃあここは8号車?パンフレットにも8号車って書いてあったし、あってるか。パオが目が覚めた場所は9号車?だけど、パンフレットにあったように寝るための場所じゃなかった、工具がいっぱいあったし。整備のため?じゃあなんで食堂の近くに?普通お客さんがいるところに、クレーム来そうなもの置く?お客さん用の空間って繋げるのが普通だよね)
パオは紙ナプキンで口を拭い、コーラを流し込んだ。
(そうしたら最後尾か、職員さん用の車両に置くよね?いや、貸し切りっていってたし、パンフレットはあてにならない。改造というか、列車だから車体を交換できる。この食堂車とお風呂がある車両、寝るところ以外は交換されてもおかしくない、あと洗濯ができるとこもか。聞いた限り結構な人数がいるらしいし)
最後のピザを食べ終えたパオは、残っていたコーラを飲み干した。グラタンはあと少しでできそうだ。窓の外の吹雪は一層勢いを増している。
「この列車は何人くらいいるの」
『その情報には権限がないためお答えできません。このユーラシア横断鉄道は20両編成で最大1000人が乗車可能です。ですが今回は貸し切りということで食料は普段の五分の一しか積んでいませんが、満足のゆく食事が可能です』
「貸し切りは何時から何時までなの?」
『貸し切り期間はウィーン出発からマドリード到着までの1日です。現在の予定では終了まであと11時間ですが、天候や運行状況により前後する場合があります。グラタンが焼きあがりました。大変お熱いのでお気を付けてください』
「ふむ」
パオは熱々のグラタンを食べながら思考する。ロボットが冷たいミルクティーを用意している。
(このグラタン、ママのよりおいしいな。あと11時間か、パオをそのくらい寝かせるつもり?いや途中で下すってこともある。少なくともこの列車はシチリア島に一番近いのはミラノ。そこで乗せたとしたら)
「今何時?」
『午前3時14分です。夜明けは午前7時42分です。残念ながら悪天候で見ることは難しいでしょう』
(パオに連絡が来たのは11時半くらいで、そこから4時間くらい。車じゃないな。異能で運んだか。さっきの人は影でコソコソ。隠密系かな、なら違うか。わからないな、最悪全部吹き飛ばして────いや、さっきの人は知らないらしいし駄目だ。待っていれば向こうから来るでしょ。一応出しとくか)
列車に並走するように地面から闇が噴出した。街灯のない夜よりも暗い、二十両編成の巨大な列車すら容易に飲み込むほどに巨大な、意思を持つ影のようだった。これこそがパオ・ボーグの異能でありそのものだ。
(出すぎ出すぎ。見えないように)
闇は地面の奥深くに潜った。その異能は頭が悪いことが玉に瑕であるとパオは思っている。言うことは聞くが、少し目を離すとすぐやり過ぎる。実際は食堂車にいるパオ・ボーグは脳のようなものであり、それは肉体であるのだが。
『デザートはなにになされますか。ジェラートは、リモーネ、レモン味のことです。イチゴ、ミルク、ピスタチオがございます。ケーキはチョコレート、フルーツの二種類。他にもお時間はいただきますが調理が可能です』
パオはなにもためらうことはなく注文をした。
「ジェラートはリモーネとピスタチオ。ケーキは二切れずつ」
『一日に推奨される、糖質量を超えていますがよろしいでしょうか』
「いい」
『かしこまりました。ご希望でしたら朝食は健康的な料理にしましょうか?』
「うん」
窓の外の景色は相変わらず雪景色だ。第三次世界大戦前はこの辺りは雪など考えられなかったらしい。パオは全く実感がないが。
『ジェラートのピスタチオとリモーネ。ケーキはフルーツとチョコレート二切れずつです。おかわりのミルクティーを入れましょうか?』
「ふぉん」
パオがピスタチオを載せたチョコレートケーキを食べる。温かいミルクティーを飲み干すと最高の気分だ。前の扉が開き、赤い髪の女が入ってきた。かなり酔っている。
「よ~し、パオ・ボーグの回収完了。今日は吐くまで飲むわよ~」
『多量の飲酒は避けるべきですが。大仕事が完了したようなので多少は融通はしますよ』
「あれー、こんな小さな子供いたっけ。まあいいや、ロボットさんお酒いっぱい」
赤髪の女はふらつきながらパオの二つ隣に座る。そしてパオの顔を見ると、数回、目を瞬かせると笑った。
「小さいのにお仕事お疲れ様~今日はお姉さん大変だったんだよ~。ほんとに。うん。シチリア島の監視網を数年かけてゆっくり穴を作ってさ~お金足りなくなってエッチな動画サイトつくって出たり。うふふふふ。でも報われたパオ・ボーグをさ、眠らせた時思わず泣いちゃったもん」
「もふぁ」
(この人がパオを連れてきた人か話はできなさそうだな。いや聞くか)
そうするとパオは女を見た、その体内を覗くように。そうして口を開いて、臓腑を舐めるように舌を伸ばした。
「あむ」
女の酔いが消えた。赤みを帯びた皮膚が一斉に正常に戻る。少し混乱しているようだ。
「えっ……………あっ……酔いが覚めた、なん────パオ・ボーグ」
「アルコールはおいしくない」
パオは顔をしかめて、さわやかなレモンのジェラートを口にねじ込んだ。
「パオに用があるの?」
「────……………そうだ。私は
パオはジェラートを飲み込んで、ミルクティーをチビチビ飲んでいる。
「パオはパオ・ボーグ。EUの二人目の最高位の異能者。マゼンタおじちゃんはどっか行ったからいまは一人しかいないけど」
「先ずは謝罪を無理に連れ出してしまった」
”女帝”がパオに頭をさげる。パオはそれをケーキを食べながら見下ろした。
「いいよ別に。おいしいもの食べさせてくれたし。私を連れだした目的は?連れ出したというより誘拐だけど」
「私たちに協力して欲しい」
「どんな」
”女帝”は少し驚いたような雰囲気を漂わせた。殺されることも視野に入れていたのに受け入れる態度をパオがとったからだ。”女帝”は誰かに資料を持ってくるよう指示を出してから、再びパオへ向き直る。
「すべてを理解するには少し難しい話になる。今、資料を持ってこさせているから。今は全体像を話す。私はある組織の東EU支部のトップをしている。ある組織といったのは組織自体には名前がなく本部と私たち支部長は呼んでいる。そしてその目的は千年後の人類の存続だ」
「名前は?あなたの」
「ああ、すまないフィリアだ姓は捨てた」
パオがケーキを食べ終えて、食器をロボットに差し出す。そして少し考えて言った。
「なんで嘘ついたの?千年後まではあってたけど人類じゃなくてもっと小さいでしょ」
「ああ、少し語弊がある。私たちが守ろうとしているのは人類全体ではなく自分たちの子孫の事だ」
「うん、それ以外には嘘じゃない。続けて、嘘ついたら帰ってた」
”女帝”の額に汗が浮かぶ。そして前方の車両から先ほどの男が入ってきた。
「スケベレッド。頼まれてた資料持ってきたぞ」
「”首無鴉”!!私をその名前で呼ぶな!!」
「インペラトリーツァのチャンネルの名前だろ。別にいいだろ」
資料をひったくった”女帝”が男を蹴る。男は軽い悲鳴を上げながら出て行った。パオはそれを見て少し微笑んだ。
「すまない、あの阿呆が……………続きの話だ。私たちは子孫の千年後の未来を生きてて欲しいんだ」
「だから、なんでパオに?葭江さんが適任でしょ、生命関係は」
「少し打算的だが、生活に不満を抱いていそうな。パオ・ボーグ、あなたをまず勧誘したかった。葭江躯との交渉の時に決裂をしたら、私たちはいともたやすく壊滅させられるからな」
パオは嫌そうな顔をしたが、すぐに切り替えて話を遮った。
「パオは今の生活には満足はしてない。でも十分だと思っている」
「そうか……………私たちは第三次世界大戦で家族を失ったものがほとんどだ。正直言ってトラウマになっている。それに、葭江躯は大戦に参加した最高位の異能者の一人だからな。反発も内部ではあるんだ。そしてパオ・ボーグ、あなた以外の最高位の異能者は、あの大戦の時には全員15歳以上だった。理屈では責めるべきじゃないと分かっていても、『なんで助けてくれなかった』と、自分勝手な怒りを向ける者が組織にはいる」
フィリアは手袋をした手を見つめている。パオは少し悲しそうな顔をした。
「だからパオに?たしかにパオは記憶は3秒くらいしかないけど。弱いんだねフィリアさんの仲間は」
「そうだ。弱いんだよ私たちは。あの時のまま進めない者がほとんどだ。でもそれでも前に進もうとしているんだ」
「時を止められるのはイヴォークさんくらいだよ……………でも時は待ってくれないよ。朝は寝ても起きててもくる」
ロボットが二人にミルクティーを差し出す。パオはそれを見ずに飲みこんだ。フィリアはうつむいている。パオは資料をめくり始める。コロコロと表情が変わる。
「ふむ。そうか……………いや────あー。うん、話すか。フィリアさん。タイムエンド3000って知ってる?」
「いや、知らない。どういう意味だ?」
「3000年1月1日午前0時0分に人類は存在の期限を過ぎる。イヴォーク・サラスが担当をしている滅び。ちなみにパオの担当はエントロピーゼロサム。ジェリーさんはタスクスタックオーバー。マゼンタおじちゃんがウェポンズインフレーション。ザヒールがハピネスインフィニティ……葭江さんはなんだっけ。ああ、そうだ、ヒューマニティメルトサブリメーション。イヴォークさんが見た15の滅び。パオたち最高位の異能者はみんな一つずつ受け持っている。そしてフィリアさんの仲間が見たのはタイムエンド3000」
パオがそう告げるとフィリアは一瞬、動きを止める。そして顔が青くなる。かろうじて声をだす。
「なにを────そうか、そういうことか」
「パオは前に似たようなものを見たことがある。イヴォークさんが見せてくれた。というよりイヴォークさんが対処不可能の滅びを対処可能な滅びに固定化した」
「ははは、なんだ只の道化じゃないか」
パオはフィリアの手をつかむ。抵抗はしなかった。
「道化じゃない。タイムエンド3000はまだ乗り越えられていない。イヴォークさんも2999年12月31日23時59分59秒99で止めているだけ。あと最後は決まっているけど途中は今、イヴォークさんが世界にいる時点で変わっている。あなたたちのお陰でタイムエンド3000を超えられるかもしれない。それに、あとどの滅びも最低でも300年は来ないよ」
「でも、私たちの努力はむだに」
「無駄でもない。パオたちは今のところ滅びは回避できるけど、人類は半分死ぬ。イヴォークさん、ジェリーさんと、葭江さん。あとザヒールくらいかな人類生存数増やそうとしているの」
そしてパオはある言葉を発した。
「まあ、パオの滅びが来るときには人類はいないんだけど」