その男、ギルド戦力につき~当方、ギルド職員。世界支配のために本日も残業中~ 作:onakatarumi
「報告! 敵、都市外壁に火力特化点を形成!」
「『探魔の銀盤』による推定総戦力出ました! 最大値で——」
「配置予想図書き上がっております!」
伝令と報告の声が行き交うのは、敵である帝国軍の最大射程武装——『境界の鉄弓』による射撃がギリギリで届かない場所に設置された王国軍前線司令部の天幕内であった。
幕僚たちとともに報告を聞いたダーエ・エルマールは頷く。『戦争』——王国による
周囲の幕僚たちの意見もほとんど必要としない。特に、今回の場合は。
「お願いできますか? スパルダ近衛団長」
「命令してくれや。アンタはマルグリテから指揮権を預かってる」
丁寧な口調で尋ねるダーエ・エルマールに対して、命令しろと言いつつもぞんざいに答えるムクロ——加えて女王であるマルグリテ・セヴェリナを呼び捨てにしている——の態度に、眉をひそめる司令部幕僚たちもいたが。口に出して抗議するものはいない。
ムクロ・スパルダが王国女王マルグリテ・セヴェリナの寵愛を一身に受ける愛人であることは公然の事実であったし、そして
当人、王国総軍司令部司令長官、ダーエ・エルマールがムクロに悪感情を抱いていないことも大きい。
「では発令します。敵陣
「承ったぜ、司令長官」
そのまま、ムクロは天幕を出る。兵を呼び集めることも、率いることもしない。
この場にいる近衛騎士団の人間はムクロ・スパルダただ一人である。
更に後方の安全な陣地には、近衛騎士団次席騎士ルナ・リングハートがいるが。彼女は王女マルグリテ・セヴェリナの護衛として離れることができない。
(いまのマルグリテに護衛が必要かって言えば、疑問ではあるが。前線に飛び込まないように抑える役目、頼んだぜ、ルナ)
そも。今回の帝国都市攻略作戦は、ダーエ・エルマールの様な階級の高いものが前線指揮をとるほどのものではない。それが前線にいるのはマルグリテ・セヴェリナに原因があった。
「わたくしも直接、敵を切り裂きたいの」
簡易に仕立て直した、女性用王冠をあみだにかぶり、黒紫の気品ある衣装、
現在の王国において、完全独裁といえる体制を敷いているマルグリテ・セヴェリナであったが。そうであるがゆえにこればかりは周囲が許さなかった。万が一にでもマルグリテが戦場で斃れるようなことがあれば。王国はおしまいである。
かつて『肉の王冠』とも称されていたマルグリテは、いまや『王冠をかぶった頭脳』『王冠をかぶった心臓』『肉の形になった王国そのもの』なのである。
周囲は、戦争をする上での格の劣らぬ、名代たるダーエ・エルマールが前線指揮をとるから、どうか陛下直々の前線活動はお控えくださいと必死になって懇願した。
それでも、マルグリテは戦いたがる——ムクロ・スパルダの手ほどきで。『
「近衛出陣! 近衛出陣!」
「最大戦力でるぞ! 騎士団長出撃!」
「勝ったぞ! おい! 占領準備だ!」
ムクロ・スパルダが、出撃する。それを聞いた兵たちの士気が一気に上る。同時に、やや弛緩すらする。なぜならば。彼が出れば、勝つからだ。
ムクロ・スパルダ。黒に銀糸があしらわれた近衛装束を着用し、防具のひとつすら、まとうことなく。腰に帯びるは一振りの片刃剣。そして『ステータス隠匿』のドロップアイテムを所持している。
◆ ◆ ◆
ムクロ・スパルダが衆目の前で戦う上で冒険者ギルドが発見報告を捏造した『ステータス隠匿』のアイテム。
その保有者に対して『鑑定』を行っても「レベル0のステータスなし」と判定される新発見ドロップアアイテム。奇しくも帝国振鈴隊の隊長がハスターやムクロが持っていると誤解したアイテムである。それが、実在すると捏造された。
そのドロップアイテムは現在世界に四つしか確認されておらず。それぞれ、ムクロ・スパルダ、マルグリテ・セヴェリナ、ルナ・リングハートが保有し、最後の四つ目は冒険者ギルドが管理していることなっている。レイテ・レノが戦闘行動を行った際の言い訳のために。
現実には、そんなドロップアイテムは存在しない。だが冒険者ギルドがあると言ったのだ。あるのだろう。世間はそう思った。それだけの信頼を冒険者ギルドは築いていた。
そして更に、同時に。
一定以上の知性を持つ者でれば。保有国が偏っていることにギルドの中立のゆらぎと、「王国を贔屓しても、結果的に中立となる」という未来を見て取っていた。
王国は、帝国を下し。それまで固有名詞として扱われていた「帝国」という言葉は、一般名詞としての立場を取り戻すことになると予想した者は多い。
大陸世界において、長らく埃を被っていた帝国を名乗る要件は「広範領土を治め、複数勢力・国家をその配下に置く」ことである。自らの知見に確信を持つ者たちは考えていた。女王マルグリテ・セヴェリナが、女帝マルグリテ・セヴェリナを名乗る日は近いと。
マルグリテ・セヴェリナは「帝国皇太子ギルゼリオ・リーグルとその侍従長が命じた監査騎士殺害」という、半ば言いがかりじみた理由をもって開戦を宣言した。
王国民の多くは、それを熱狂的に支持した。そうなるように世論は醸成されていた。マルグリテ・セヴェリナによる情報毒。
そしてマルグリテは、帝国が行ったような斬首作戦——首都直撃を選ばなかった。
国境に面した都市への一斉侵攻。そして帝都を包囲するように、ひとつずつ都市を王国領に組み込んでいく。そんな全面攻勢に出た。
それは帝国側の頭脳である、ギルゼリオの侍従長にとって予想の範疇であり、同時に予想を超えたものでもあった。
帝国から見ても、王国内に残置された間者によりマルグリテが戦争準備を進めていることは明白だった。
ゆえに帝国側も、国境線上への兵力集中は進めていたし、補給面では防戦側が有利。
帝国は王国王都侵攻で多くの兵を損なっていたが。それは王国も同じこと。すくなくとも兵同士のぶつかり合いでは拮抗を生み出せると侍従長は踏んでいた。それに、それこそマルグリテの側も動員のための物資集積に時間をかけるだろうとも。彼と彼の幕僚たちによる開戦予想時期は、マルグリテ戴冠から半年後と見積もられた。
最大の問題は、ギルド戦力——『不明異端戦力』と侍従長が命名し直した槍使いハスターに匹敵する強者、ムクロ・スパルダのみであった。
ムクロを排除するために。侍従長は王国内の諜報網を最大限に活用した。
例えば、蜜の罠。
ムクロ・スパルダは放蕩者として知られていた。かつて彼と関係をもった女を探し出し、金銭や脅迫によって手駒とする。寝所ではムクロと言えど無防備であろう。そこを暗殺させる計画。——失敗した。
手駒は揃えることはできた。しかし、放蕩者として知られていたムクロはマルグリテ・セヴェリナへの一穴主義へとなってしまった様だった。あるいは、マルグリテの側が決して離さないとばかりに咥えこんでいるのか。
マルグリテの『姉妹』たちはムクロに近づくことすら出来ずに。そして、消えていった。消息不明となるのだ。——これまで重視されていなかった王国側の防諜体制の予想外に強固な様に、侍従長は戦慄した。その実際が一人の偽銀色の髪の女による嫉妬にあると気づくこともなく。
だが侍従長の本命の謀略は別にあった。毒殺。彼が生涯において最も活用した手段である。飲むことで徐々に身体が弱る毒、急速に反応し速やかに生命を奪う毒。ドロップアイテムに依らない「古き良き方法」で秘伝として残された様々な毒が侍従長の元にはあり。——それも失敗した。
ムクロ・スパルダは、一切と言って良いほどに外部で飲食をとらなかった。唯一、行動を確認できないのは彼がマルグリテに伴われて冒険者ギルドが保有する施設を訪れる際であり。恐らくはそこで食事をしていると目された。ギルド施設への間者侵入は強固に阻まれた。
実際、ムクロはギルド施設にて、ファラキア・エルフの用意した飲食物以外を口にすることはなかった。「
そして。ムクロ排除に失敗し続けている間に。マルグリテによる帝国侵攻は開始されてしまった。侍従長の予測よりも3ヶ月もはやく。
早期侵攻開始が実現できた理由の一つは、無論ムクロ・スパルダ。彼の担当する前線は速やかに勝利が約束される。極論、彼と占領兵員しかいらない。
だが何よりも侍従長にとって誤算であったのが、中立を謳うはずの冒険者ギルドの王国への全面協力姿勢であった。
帝国からの防衛に益するクエスト発注はことごとく却下され、逆に、王国が侵攻を済ませたのちには「冒険者による治安維持クエスト」や「駐留兵員のための食料ドロップアイテム獲得クエスト」などがほぼ無制限に受理され、王国は旧帝国領の占領政策において人的・物的な負担をひどく軽いもので済ませていた。
そのうえで、ムクロ・スパルダを切っ先として。攻撃用兵力は維持され。ある程度、王国側も損害を出した国境同時全面侵攻の後は、ムクロ・スパルダの尋常ならざる移動速度と彼を支援する部隊による機動侵略戦が展開される運びとなった。
◆ ◆ ◆
ムクロにとって今回も『いつもの仕事』であった。
ムクロは、帝国兵の籠もった都市を見る。高い城壁に覆われた都市。名前は何だったろうと考える。記憶になかった。ということは聞いてないのだろう。彼はただ——斬れば良い。
すぅ、と息を吸う。常人を超越した肺活量(肺胞機能も強化さているので、多くの空気を彼は取り込めた)でもって。ムクロは叫んだ。
「ムクロ・スパルダが出るぞ! 死にたくないなら、武器を捨てな!」
叫びとともに、ムクロは駆け出した。一切の抵抗が無いことを願いながら。
だがムクロの無望な願いは打ち砕かれる。
いくつもの『鉄弓』による射撃。そして長文詠唱を済ませていたのだろう。追尾機能をもった魔法が幾条も、ムクロ一人に殺到する。
だがムクロの身体は打ち砕かれない。
『本当の魔法』使いにとって基本である殺気感知ですべてを回避し、あるいは見せつけるかのように、抜き放った片刃剣で飛び交う鉄針を切り払う。
防御と回避の間も、ムクロの速度は緩まない。ほぼ数息のうちに彼は帝国都市の城壁の前にたどり着き。そして跳躍する。
ムクロは城壁上に配置された帝国兵たちを見回す。その顔を。恐怖と驚愕、あるいはあっけにとられた間抜け顔。そして当然、敵意もまた。
『情報領域』から感知した殺気の強さと、帝国兵の表情から。総合して戦意の高さのムラをムクロは判別する。
(——戦闘継続を望むヤツから、順番にだ)
城壁上をムクロは駆けた。銀閃が煌めく。煌めくたびに赤い柱が立ち上がる。
「撃て! 止めろ! やつを殺せば戦争は!」
忠誠心が高いのか。責任感が強いのか。あるいは現実が見えていないのか。督戦する指揮官を選び——ムクロは斬る。三度。
脇の後ろに隠すようにした構えから、斬り上げ。指揮官の右腕が斬り飛ばされて、宙を舞う。血流が迸る。それだけでも、彼はそのうち死ぬだろう。出血多量か、あるいは一度に大量に血液を失った衝撃で心臓が止まるか。
だが、ムクロは攻撃を止めない。
敵陣
それでは、あまりに人が死にすぎる。ムクロは戦術の解釈を変えた。
斬り飛ばさた指揮官の腕は高く飛んで。多くの兵がそれを目にした。
指揮官は絶叫し、その声を多くの兵が聞いた。
(この男の死を、まだ、使う)
一応は指揮官に選ばれるだけはあるということか。右腕を斬り飛ばされ、絶叫しつつも。その男は倒れ伏してはいなかった。ムクロは斬り上げの姿勢から頭の横、水平に片刃剣を構え直す。今度はそのまま、突く。狙うのは指揮官の左胸。その時点で指揮官は絶命していた。衝撃死である。ムクロの動きは止まらない。
貫いたのは胸の、厚い筋肉と肋骨をはじめとした骨がある場所。絶命した指揮官が崩れ落ちないように片刃剣で
城壁上の兵士たちは見る。筋肉をぶら下げて、骨の白さを露わにして、人の腕が自分の横を通り過ぎ去る光景を。
支えになっていた片刃剣が薙ぎ払われたことで、今度こそ崩れ落ちようとする指揮官の残骸。だが、ムクロはまだ、それを使うつもりだった。
残骸が地に伏せるより先に、ムクロは身体を沈める。左に薙いだ刃を反転させて、下から上へと斬り上げる。指揮官の残骸。その右顎のから入った刃は、彼の顔であったものを前後に分かつ。
おそらくは、上司の前でかしこまり、多くのものを叱りつけ、あるいは愛するものに笑いかけ、何かの離別には涙したろう顔面は、まるで子どもが遊びで被る面でも在るかのように上空をくるくる回り。幾ばくかの血肉と。そして視神経の縛りから解き放たれた眼球を二箇所に降らせた。
初撃から、常人のほぼ一息の間に行われた、ムクロの三撃。その衝撃は、やや遅れて城壁上を伝播する。
「なんだあれ、なんだアレは!」
「おい、いまのこれ、目玉」
「……腕って、こんな風になってるんだな」
喚くもの。呆然とするもの。脳が何かの一線を超えてしまったのか、飛んできた指揮官の左腕における筋肉と骨とを観察する者。
ムクロは、自身へ向けられる殺気が相当量減ったのを感じた。代わりに、恐怖と困惑が場を支配する。このまま、混乱させ続ければ、あとは王国軍本隊の一撃でこの戦いは終わるだろう。かつて帝国軍が王城へ侵攻した際のように。混乱している最中への『鉄弓』による一斉射撃は絶大な効果を発揮する。
今回は、それをさせるつもりはムクロには無い。
(この場で、降伏を宣言できる人間……!)
ムクロの瞳が忙しなく動く。『本物の魔法』の副次効果である『情報領域』からの情報読み取りでは、感情の質や向き、大きさは感じ取れても、現実でどういう立場の人間であるかなどの深い情報をは読み取れない。いや、感情を感じ取ることでさえ、識閾下でなく、意識して出来るようになるのは『本当の魔法』使いの中では上澄みなのだが。
(いた! アイツ!)
帝国軍の青い軍装。その中でも豪華な肩章を備えた一人をムクロは見出す。周囲には護衛。『共有の書字版』を持った者も控えている。
ムクロは駆けた。素早く、同時にあえて、その高級指揮官と目される男の視界に映り続けるように。
途上、細かく片刃剣を操る。斬れる限りの『鉄弓』を寸断し、それを灰へと変えていく。高級指揮官の男がムクロに気づいた。困惑。驚愕。恐怖へと表情が転じていくのが見て取れる。
ムクロは彼のそばに到達すると、何度も刃を振るう。周囲の護衛の持っていた『鉄弓』が灰になる。ついでに衝撃が伝わり彼らが倒れ込むように片刃剣の当て方を工夫してもいた。
護衛の全員が尻もちをつくか、転ぶかする中。唯一立ったままの指揮官の首の横へと、ムクロ・スパルダが片刃剣を添えた。寸瞬で彼の首を引き切ることができる位置。
「まだ、やるかい? 残業は嫌いなんだが」
「こ……」
高級指揮官の男が声を出す。灰色の混じった髪と、立派な口髭を蓄えた、いかにも歴戦といった見かけの男だった。
その男の答えは。
「この、侵略者どもが! 帝国は屈しない! 卑劣な言いがかりじみた侵略には!」
「良い啖呵だ」
皮肉げに笑いながらムクロは応じた。実際、護衛も機能しておらず、すぐそばに死が迫った最中にそれが言えるのは、相当な胆力と言えるだろう。それに、ムクロは彼の恐怖の表情を見ているし——感情を実際に感じている。恐怖しながらも叫んでみせたのだ。高級指揮官は。
「じゃあ、俺は仕事を続けないとならないわけだ」
ムクロが高級指揮官の首に片刃剣を突きつける光景。それを帝国兵たちは見る。中には万全に機能する『鉄弓』を持っている者も多い。高レベル帯の者もいる。彼らは指揮官が人質にとられている形だから戦闘を停止しているだけ——あるいは。待っているのか。
待ちわびた言葉は、放たれた。
「……いや。すまぬ、諸君。——ドリュブク・クサンド防衛司令の名前において。我々は王国軍への降伏を申し出る」
「王国近衛騎士団団長ムクロ・スパルダ。降伏を受諾する。——貴官の勇気に敬意を表する」
「お前が……いや。あなたが。——総員武装解除! 青旗を上げろ! 降伏した旨を街会議へも連絡!」
降伏に必要な手続きを高級指揮官、クサンド司令が伝達する。そこでムクロは片刃剣を下ろし、懐紙で血濡れを拭ってから鞘へと納める。
その彼に、クサンド司令は躊躇いがちに告げた。
「最初の言葉。失礼を言った。だが、いや……戦後処理では私一人の暴言として処理して欲しい」
「——俺は降伏の宣言を確認した。それだけだ」
苦々しげな表情で。絞り出すように言うクサンド司令。確かに。彼の啖呵は愚かな行為でもあった。あそこで降伏拒否であるとしてムクロが彼を殺していたならば。降伏は成立せず、更に多くの兵が生命を落とすことになっていただろう。
降伏するつもりであったのなら、即座にそうするべきだったのだ。彼の職責を考えるのであれば。だが——それでも言わずにはいられなかったのだろう。
「——する。……本国司令部へと、降伏をした旨の伝達をしても?」
「勿論だ。ああ。報告と同時に『共有の書字版』は破壊してくれ。死守命令が上から出たとか言われても困るからな」
「無論だ」
感謝、という言葉を口の動きだけにとどめて、事務的な話に戻ったクサンド司令。周囲の兵に諸々の命令を出す。
その胸中の複雑さをムクロにはうかがい知ることは出来ない。人は、本当の意味で人の心を理解することなど出来ない。痛いほどにムクロが知る、冷徹な事実だった。
「女王陛下は寛大なお方だ。これまで降伏した都市でも、蛮行は許されていない。軍人の扱いは多少窮屈だが、一定期間後、王国軍として採用することも検討されている」
「……終わるのか。我らの国は。帝国は。畜生。——なあお前さん。ワシはな、去年、王国領に女房と旅行に行ったんだ。魔導列車も通ってない辺鄙な田舎。『輝ける太陽亭』という店の鶏の煮物が、素朴だが美味くて、女房とまた来年行こうと話してた。それが、それがいまじゃ帝国と王国はこんな有り様だ」
今の段階で、済ませるべき司令官としての仕事を一応済ませたからか。あるいは、ムクロの言葉に何かを刺激されたのか。個人としての口調でクサンド司令は、否、ドリュブク・クサンドという男は話しだした。
「女房は息災かい?」
「……ああ」
「なら、守ってやんな。軍司令官の身のアンタに言うのもアレだがね」
軍の指揮官という立場は、個人を守るために存在するのではない。個人たち、民衆を守るために存在し、そして配下の兵の生命に(それを浪費することを含めて)責任を持つ立場である。
だが、少なくとも一時的に。ドリュブク・クサンドという男はその席を降りることが叶う。
そして彼にさらに幾ばくかの幸運があれば。愛する女と、ともに寄り添い、ともに年老い。そして時差はあろうものの、ともに逝けることだろう。
「とりあえず。この場での戦いは俺達の勝ちだ。勇戦を称える」
非礼にも、空を見つめてムクロは言った。
空以外の誰も見ることのない、敗北者そのものの表情で。ムクロ・スパルダは敗軍の将を称えた。
◆ ◆ ◆
「ペンティエでの戦いに勝ちましたのね? ご苦労さま、
マルグリテ・セヴェリナが待機する後方司令部にムクロが帰還すると、護衛であるルナ・リングハートを押しのけるようにして彼女はムクロへと抱きついてくる。ムクロは思った。あの街はペンティエという名前だったかと、今更に。
そんな彼の胸へと、マルグリテは顔をうずめた。傷の一つもないが、ムクロの黒地に銀の近衛装束には血の香りが残っている。それがまるで馥郁たる香りだとでも言うように。マルグリテは胸いっぱいにムクロの体臭とともに吸い込んだ。
「さっ、奥で今回の戦闘についてお聞かせ下さる? さぁ、奥へ。さぁ」
「アンタたち、毎回毎回ねぇ……」
顔を合わせるたびに、抱擁し、そして恐らくは、交合にもつれこむマルグリテとムクロを見て。ムクロ同様の黒地に銀の近衛装束を身に着けたルナ・リングハートは苦々しげな表情で嘆息した。
そんなルナの黄玉色の瞳を見て、ムクロは自身の胸中にいわく形容しがたい感情が生じるのを自覚する。夢のせいだと彼は断じた。
「護衛はお任せしますわね。リングハート卿」
何かを感じ取ったのか、ムクロの腕を掴むマルグリテの手に力が籠もった。強く、彼の腕を引き自室へと導く。マルグリテのルナに対する口調は淡白であった。了解しました、女王陛下。ルナの返答を最後まで聞かず、マルグリテはムクロとともに部屋へとこもる。
「ルナのやつはどうだ。うまくやれてるか」
まさにいま、その関係を目にしながら。それでもムクロは尋ねた。マルグリテの口からルナの様子を聞いておきたかったのだ。
「ええ。生真面目でよくやってくれていますわ。——どうせわたくしが前線に出られないのであれば、あなたが護衛で彼女が『撹拌』役でもよかったのに」
『本当の魔法』の使い手は、ステータス魔法に頼り切った相手に対して一方的な優位を得る。レベル0のステータス無しであることの露見を恐れず、
「アイツには——」
人殺しをさせたくない。その言葉をムクロは胸中で組み替えた。傲慢な話であったし、それをマルグリテに聞かせることで発生する悪影響も予想された。
「繊細な仕事は向かねぇよ」
「実際、見事ですわ
そっと。ムクロの頬に手を当てて、マルグリテは口にする。陶然とした口調。
「殺しすぎるのも考えものですもの。帝国人は、未来における私の臣下なのですから」
実際、ムクロが帝国兵の殺害を最小限に抑えていることが、マルグリテ率いる王国軍の快進撃に大きく寄与していた。特に占領後の統治において顕著だ。同胞を殺戮された後で、殺戮を行った相手を受け入れられる者は少ない。
「でも、あなたの担当が『繊細な仕事』だとするならば、わたくしの護衛は『雑な仕事』ということになるのかしら?」
拗ねた顔をマルグリテは作る。実際に瞳に浮かぶのは
「護衛がいらないくらいに強いだろう? マルグリテ。お前は」
「一度くらい起こって欲しいですわね、襲撃。せっかくわたくしも『本当の魔法』をおぼえたというのに」
マルグリテはムクロの頬に触れていた手を、自身の腰に吊られた鋭剣へと添え変える。その鋭剣はしばらく血を吸っていなかった。最後に吸った血はそう、マルグリテ・セヴェリナ自身のもの。
「毒にだけは注意しろよ。いまは、それが一番怖い」
「当然ですわ——ああ、あなた。食事も用意できていますわよ」
ムクロ・スパルダは現在、冒険者ギルド——ファラキア・エルフの用意した食事しかとらない。余人を介さぬようにマルグリテの元に運び込まれた食事だけを摂るようにしている。『身体強化』や『回復魔法』によって、偽りの魔法を使う者に対して無敵とも思える『本当の魔法』の使い手であったが、短時間で死に至る毒の類は非常に危険だった。
「毒見も済んでおりますわ」
「ファラキアが用意したものなら、問題は無いだろ」
「その点の見解はいつまでも一致しませんわね」
「ファラキアなんだ。信頼できる」
蜜月とも言える日々を送るムクロ・スパルダとマルグリテ・セヴェリナであったが。一つの見解だけは異にしていた。
それが、偽銀色の髪をしたギルドの長。ファラキア・エルフへの信頼。
かつてファラキアは敵だと断言したマルグリテの言葉を、ムクロは一蹴した。
五〇〇年。五〇〇年である。唯一、かたわらに在り続けた、ムクロ・スパルダの、唯一残った『仲間』。それが彼にとってのファラキア・エルフだった。
だから、ムクロはファラキアの出す食事は安心して食べることができる。
マルグリテは逆に、ファラキアを全く信頼していなかった。彼女が用意した食事に関しては、必ず毒見を行う。
この見解の相違に関して、ムクロとマルグリテは現状、深く話し合っていない。見解の相違がある。それを受け入れて、お互いの判断と行為を容認し続けている。
また。マルグリテ・セヴェリナは。ムクロ・スパルダという男が、
見解相違への追及を
「今日は、鶏肉の煮物だそうですわ。——冷めてしまいましたけれど」
「俺の好物だ。時間が経っても美味いものさ」
二人は、その日の戦い、ペンティエでの出来事を話し合いながら食事を済ませた。
食後。マルグリテとムクロは褥をともにする。
そうして、その日の剣撃を指先で再現させるのだ。ムクロの指が、あるいは右肩から脇にかけてをなぞり、あるいは左乳房を横に撫ぜ、あるいは首の周りを愛撫する時、マルグリテ・セヴェリナは法悦の喘ぎを漏らす。
それは、指の動きを通じて殺害行為を思い起こす、マルグリテ自身の満たされぬ血の乾きの代替行為であり、同時に——。
マルグリテの求めに応じているとき、ムクロの顔に表情は浮かんでいない。だがマルグリテは感じていた。マルグリテ・セヴェリナの持つ『本当の魔法』の素養は、隠しきれぬ彼の感情を『情報領域』から鋭敏に感じ取らせていた。
男をいたぶる方法を覚えた時。女は最も深い愉悦をおぼえるものである。
人間の三大欲求とされるうち、食欲と性欲に関するものを済ませたムクロは、ただ睡眠欲だけは満たさなかった。
夢を見るのが、怖かった。
◆ ◆ ◆
大陸世界において『スタンピード』と呼ばれる現象がある。元は共通語に存在しなかったその単語を使い始めたのは、他のダンジョン関連用語と同様に転生者を自称した賢者ローゼンクロイツ・パラケルススであった。
ダンジョンが「我、ここにあり」と知らせるかのように起こす現象で。特に五〇〇年前のダンジョン発生初期に多発した。
普段は絶対に起こらない現象。ダンジョンの入口から、大量のモンスターが地上への侵攻を行うのだ。
その脅威によって、人々はそこにダンジョンが生じたことに気づき。モンスターを殺す力を求めてモンスターを殺すという循環行為を成し。——そして次にドロップアイテムを求めてダンジョンへと依存していくことになる。
ダンジョンの主である機械知性にとっては、もはや不要とも呼べるその示威行為。それがスタンピード。モンスターの突沸。
それが、起こったとの連絡が『ギルドの黒子』であるアルサ・サルシオネを介してムクロ・スパルダに伝えられたのは、ペンティエでの戦いから三日後のことであった。
発生地は、王国を挟んで帝国の反対位置する、都市国家連合のある場所。
都市国家の名は、ギーデイン。
===作者からの連絡===
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